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10・17 秋葉原での支那人(中国人)排撃デモの報告と総括
偽りの「友好関係」を壊した功績
平成22年10月17日、新攘夷運動を標榜する『排害社』(金友隆幸代表)を中心とする「排害勢力」(旧「行動する運動」勢力)による「尖閣諸島と秋葉原を支那の侵略から守れ!デモ行進」が電脳都市と称される東京・千代田区の秋葉原界隈にて盛大に行なわれた。
同デモには約250名が参加。
日本固有の領土・尖閣諸島沖で支那(中国)の工作船が海上保安庁の制止命令を振り切って衝突させ、海上保安官への殺人未遂として立件されても不思議ではない状況で逮捕した支那人(中国人)船長が政権政党と司法の怠慢によって釈放されるという暴挙から一時同事件は風化しかねない状況にあった中、日本国への侮りは断じて許さないとする一行が「支那人を叩き出せ!」「支那・中共の横暴を許すな!」とするシュプレヒコールを叫んだ。
このデモ行動の前日の16日、保守団体『頑張れ日本!全国行動委員会』が同じく尖閣事件への支那の対応について抗議するデモ行進を行ない、約3200人を動員している。
その情報が事前に支那サイドに伝わっていたのは当然だが、支那では全土的に日系店舗を襲撃までする大規模な反日デモが繰り広げられた。
尖閣事件以降、日本の民主党政権は財界の要望を受けて支那を刺激せぬように腐心し、事件当時の衝突シーンが収録されたビデオ映像の非公開も決定するなど、日本側が全面的な屈服を重ねることでようやく事態を沈静化させ、偽りの日中友好を保ち続けることに躍起となっていた。
それを覆したのが連続的に数千人を動員した支那への抗議行動であったと言えよう。その他、排害社が東京・池袋で展開したチャイナタウン構想の粉砕・反支那行動が支那系メディアで伝えられ続けたことも関係しているのだろうが、この事実は率直に認めたい。
かつてなら民意はテレビと新聞からの情報のみに依存し、事態は速やかに収拾がついたのかも知れないが、インターネットによる情報の共有化と覆い隠された真実の暴露という「時代の流れ」はもはやそれを許さないのだろう。
17日当日のデモの全般的な印象として私が思ったのは、これまでの「行動する保守」から排害勢力としての色合いが濃くなった現在ではより参加者のナショナリズムが急進的になったのではないかということだった。
それが良い悪いは別として、デモ行進の途中で支那人や反日左翼による挑発・妨害行為が起きる度にデモがストップを余儀なくされ、猛然と反撃に向かおうとする意識が高まって「愛国者即ち日本国に対する侮りは断じて許さない!」とする姿勢がさらに強硬になったということである。
集合場所となった秋葉原公園でスタートの直前、極右ブログ『日本よ何処へ』の瀬戸弘幸・主宰の「弱い羊となって千年生きるよりも、強い狼となって一日生きよ!」とする檄に誰もが触発されたこともあったのだろう。
この名言は私もかつて極右団体(国家社会主義者同盟=本部・埼玉県)に属していた頃、何度となく聞かされてきた言葉だが、女子供・老人、障害者といった確かに存在する弱者を守るにも国家が強くなければ守れないし、国家が強くなければ弱者を食わせる経済力もままならない。
食糧一つとっても日本人が古くから生活の糧としてきたクジラの肉を子供に食べさせてやれないのも、日本が国際的な圧力やシーシェパードら環境テロ団体の妨害に屈した弱さに起因する。
欧米白人は言うに及ばず、今や支那・朝鮮という同じアジア人からも侮られ、官民または老若男女に関係なく日本人そのものが外国・外国人に比して「弱者」という立場に置かれてしまった。
デモ行動の終了後には私は神奈川県川崎市で行なわれた『健全な国民社会を実現させる会』(中村寿徳代表=NPO外追理事)が主催した「外国人への生活保護問題」セミナーに参加したが本来、法的に見ても生活保護の対象とすべきではない在日朝鮮人ら外国人まで生活保護の支給対象とした戦後日本の福祉政策は明らかに「偽りの弱者」を量産し、その弱者(イコール外国人)特権を増長・肥大化させてしまった。
写真:『クリーンかわさき連絡会』の高橋賢一代表(左)も参加した「かなついセミナー」
公金の支出に限らず、社会制度(通名の使用)や入管法上の特権(特別永住資格)付与は皮肉にも弱者を「最強」に仕立て上げ、その庇護に務めてきた日本人の側が逆に虐げられ、排斥・排除される本末転倒な事態を生んでいる。
素晴らしき名言にケチをつけるつもりは一切ないが今日、日本での高校無償化対象や選挙権をも要求する在日朝鮮人らは日本人への「排外」「排斥」を説いて現在の特権的待遇を勝ち取ったわけではない事実に留意する必要があろう。
生物学的に言って決して狼にはなれない羊が、「弱い羊の論理(弱者優先)」が横行している今の日本社会で国家・政府、政治家や官僚といった為政者こそが先立って強い狼となるよう、「真の弱者」となった日本人が自ら権利の庇護を主張しない手はない。
日本人を外国の侵略から守ってくれ、日本人から搾取する外敵を排してくれと−。
常々我々が言っていたように決して支那人や朝鮮人ら外国人が強いわけではなく、日本人が「弱くなり過ぎた」ことに全ての国際問題は起因する。
弱いからこそ可能な限りの反撃を試みるのも事実である。
しかし、それが逸脱した反撃であった場合、日本人としての権利が守られるどころか逆に刑法上の罪を問われることも悲しき現実で、確かに「道理」はあっても尖閣事件への対応に見られるように司法・立法・行政から民間に至るまで、日本そのものが外敵に弱くなっている現実を忘れてはならない。
写真上下:電気街での抗議行動
デモ行動の終了後、支那に媚びる経営者の姿勢を正すべくアキバ電気街の量販店への抗議文手交に及んだ際、あまりの暴走気味に一抹の不安と限界を覚えざるを得なかったのも事実だ。
前述のように意識の高まりと姿勢の強硬さは時として暴走を生み、運動体そのものを危ぶませかねない。
なお、何が原因であったのかは分からぬが抗議行動への参加者同士で2度ほど喧嘩沙汰になるような場面も見られたが、公衆の面前で喧嘩するほどの元気もなくなったと指摘される現代日本人、排害勢力に仲間内で怒声を飛ばしあいながら今にも掴みかからんとするほど荒れる勢いがあったのは、これもまた現象として面白きかな。
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