相模原市大島で建築業を営む井上勇さん(75)が、「相模川最後の舟大工」といわれた亡き父・新七さん直伝の技術を継承し、川舟造りに取り組んでいる。現在、相模川流域で川舟を造れるのは勇さんのみで、注文も年に二、三件ほど。現在製作中の舟は「自分で釣りで使うために造っている」と職人らしくぶっきらぼうに話す。図面などはなく、目に焼き付いた生前の父の仕事ぶりを思い出しながら、樹齢百年を超えるスギ材を削り、かんなくずにまみれる。 先代の父新七さんは一九九一年に九十歳で亡くなった。次男の甚七さん(78)と四男の勇さんの兄弟は父のもとで修業。一度習ったことを聞き返すと、大工道具が飛んだ。 明治生まれの厳父は数少ない川舟大工として人気で、関東近郊から注文や修理を受けた。戦後から高度成長期前までは生活物資や木材運搬用としての川舟需要は高く、相模川中流ではアユの「どぶ釣り」が人気で、都内から一泊で宿に泊まり、芸者を乗せての遊びも盛況だった。だが、一九六〇年ごろから車社会の到来でレジャーも多様化し、漁や運搬用の川舟需要は激減。甚七さんは父とけんかし、勇さんも六〇年ごろに舟造りを辞め、建築大工として生計を立てた。 そんな勇さんが相模川沿いの自宅兼作業場で再び舟造りと向き合うようになったのは十年前から。数少なくなった先代からの顧客の注文に応えるためだった。 「図面も何もないけどよ、設計図は頭に入っている。一度体で覚えたことは忘れねえんだ」。さしがねを手に勇さんは話す。 作業場には、現在製作中のアユの友釣り用の川舟がスギの芳香を漂わせる。全長六メートル。底幅は七十五センチ、高さ五十センチ。さおでこぐ。腐らないためにスギの赤身と呼ばれる部分を使う。樹齢百年近くの大木でないと良い舟は造れない。「そんな大木は近場にない。長野の木曽などから取り寄せるんだ」 川舟のくぎはさびることで抜けなくなる。だが、最近は海用にメッキされたくぎばかり。千葉県まで川舟用のくぎを求めに行く。 体調の関係で甚七さんは今は舟造りに直接は携わっていないが、弟の作業を見守る。さおを使ってきちんと舟を扱える注文者に限り、製造を請け負う。上質のスギ材なら一隻百万円ほど。年に二、三件の発注があるという。後継者はいない。 勇さんが現在造っている自分用の釣り舟は「アユの魚影が濃くなるころ」、進水する予定だ。
[記事全文] 【神奈川新聞】
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