信頼できる人は当然ながら人々に好意的に受け入れられます。ところで、この信頼できる人とはどのような人でしょうか。
困難な約束も、約束してくれたからには実行してくれる。「いざ」という時に、周囲の人が自分の元を離れていっても、この人だけは大丈夫。
そう思える人を信頼できる人といえるでしょう。
「信頼できる人」とは「裏切らない人」とも言えるかも知れません。裏切らない人とは一緒にいても安心することが出来ます。
興味のある人の日常生活を知りたいと思うのは自然なことです。
しかも、相手が隠していることほど知りたくなる。人にはそういった傾向があります。
芸能スキャンダルや噂話。世の中にはそういった人の隠れた一面を暴くような行いが多数ありますが、誰もその話題の中心になりたいとは思わないはずです。
人は人のことを知りたいと思う割には、自分の不都合な面を知られることは好まないようです。
もちろん、自分にとって都合の良いことは積極的に広めたいようですが…。
誰でも、自分の実態と周囲への態度は使い分けてしまっているものです。
そもそも、あなた自身がそういった人間であるからこそ、人の隠している一面に興味がわくのかもしれません。(罪は共有することでその意識が薄れるため、隠し事もお互い様であれば安心できるため。)
しかし、一方で使い分けているということは知られたくないわけですから、自分の秘密が他人に知られることを好まないのは極一般的です。
自分の明かしていないプライバシーまで積極的に探ろうとする人は、多くの人にとって脅威の存在なのです。
結局、他人のプライバシーを探ろうとする人と、積極的にかかわりたいと思う人は少なく、その人にプライバシーを探られた人は当然その人が嫌いになります。
これは身近な人ほど強く反応します。
あなたが身近な人と思っているというのは、そのまま信頼の証です。信頼の証というのは「この人は自分に不利益をもたらさない、安心できる存在」ということです。
そのように思っている人が、もしあなたが秘密を探ろうと何かしていると知ったら、その人は途端に危険人物になります。危険人物とは距離を置く必要があるのですが、身近であるために強い姿勢を打ち出さなければ用意に距離を取れません。結果として、感情も態度も通常の相手以上に強い反応を示します。
「ちょっと携帯のメールを見たくらいで…」
ほんの少し、相手のプライバシーを覗き見ただけで、実際たいした内容でもないのにどうしてこうも過剰に反応されるのか。と、思っている人もいるのではないでしょうか。
これは大きな勘違いです。
大小は異なるものの、誰にでも隠し事はあるものです。「あえて言わない」というのも結局は相手の反応を気にして伏せているだけで、実質は隠し事と同じです。
なので、覗き見たものの「実際たいした内容でもない」というのは、あくまで偶然なのです。
偶然にも秘密が漏れなかったということが、偶然にも秘密か知られてしまった。ということの裏返しで、場合によってはどちらにも転びます。
危険な行為であるということが重要なのであって、この際、結果論は関係ないのです。
また、秘密は言わないこと自身が罪悪感や不信感を増大させてしまうので、些細な秘密も自分から離すのではなく、相手が見つけてしまった場合は大変です。
「何で話さなかったの?」
「いや、大したこと無いと思ったから」
「大したことが無いなら、普通話すでしょ」
と、余計面倒なことになります。
このように考えると、実は相手の秘密を探る行為は、その行為自体が相手に嫌われる危険をはらんでいるだけでなく、実際に何かの秘密を見つけてしまうと、本当に関係が崩壊してしまうということです。
と、なってくると、人は何を目的に人の秘密を除こうとするのでしょうか。…いずれにしても、その行為は破滅に向かうしかないというのに…。