Part 2

アメリカ人のみた日本の検察制度―日米の比較考察大阪地検の事件を契機に、特捜部廃止論が再燃している。もちろん証拠の改竄は言語道断だが、それと制度論は別に考えるべきだ。「検察が捜査機関をもっているのはおかしい」という話は昔からあるが、問題はそれほど単純ではない。本書はアメリカの研究者が、日本の検察制度をアメリカとの比較で論じたもので、制度設計を冷静に考える材料となろう。

以前の記事でも紹介したように、日本の有罪率が99.9%というのは誤解で、これは検察の段階で起訴猶予にするケースが多いためだ。このように検察の裁量権が大きく、捜査権をもっているのが日本の特徴である。アメリカでは検察官が被疑者の取り調べを行なうことはないが、日本の検察官は勤務時間の60%を捜査に費やしているという。

つまり捜査機能をもっているのは特捜部だけではなく、いわば日本中の検察官の半分以上が「特捜部」の仕事をしているのだ。これは長所もあり、警察の捜査を検察がチェックして起訴猶予にするケースが4割近くある。その結果、有罪率が異常に高くなるのだ。アメリカの検察官は警察の捜査を追認する傾向が強いが、日本では検察の独立性が高く、むしろ警察の捜査を指揮することも多い。

著者は日米を比較して、捜査や取り調べを検察と警察が協力して徹底的に行なう日本の制度を、精密司法と評価している。それに対してアメリカの警察はろくな捜査をしないで逮捕し、検察はそれをチェックしないですべて起訴する粗雑な司法で、陪審員の感情的な評決で無罪になるといったケースは珍しくない。国民もメディアも無罪判決が出ても驚かず、裁判はゲームだから勝つこともあれば負けることもあるさと思っている。

ただし精密司法には欠点もある。それは検察が有罪と決めた事件で無罪判決が出ることは恥なので、被疑者に対する「圧迫的な取り調べ」で自白を強要する傾向が強いことだ。このとき検察官の大きな裁量権を利用して、「吐いたら執行猶予で楽にしてやるが、否認したら3年は臭い飯だぞ」といった取引を行なうのが常套手段で、これが数々の冤罪事件を生んできた。

この原因は、逆説的だが、日本の捜査機関に司法取引の権限が公式に与えられていないためだ。政治家の犯罪のような知能犯では物証が少なく、自白しか証拠がないことが多い。これを補うために、アメリカでは答弁取引、刑事免責、おとり捜査、盗聴など幅広い捜査方法を認めているが、日本では裁判を「真実の解明」と考えているので、こうした取引を認めていない。このため、密室で脅かして「落とす」しか立証の方法がないのだ。

だから著者は、捜査機関にこのような司法取引の権限を幅広く認める代わりに、取り調べをビデオに収録する改革を提案している。捜査官に自白の強要以外の捜査手法があれば、可視化することはむしろ被疑者の自白の任意性を証明する材料となろう。

問題は特捜部という組織をどうするかではなく、検察が捜査機能をもつべきかどうかだが、これについての著者の評価は肯定的だ。日本の警察は占領軍によって弱体化されたため、各県警本部は自治体の指揮下にあって政治的独立性が低く、警察が大物政治家を検挙したことはほとんどない。ロッキード事件以来、検察が政治家の腐敗を牽制した功績は大きく、今度の事件一つでそれをすべて否定することは公正な評価とはいえない。

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コメント一覧

  1. 1.
    • qingmutong
    • 2010年10月14日 10:05

    >このように検察の裁量権が大きく、そのため検査が捜査権をもっているのが日本の特徴である。

    このように検察の裁量権が大きく、そのため検察が捜査権をもっているのが日本の特徴である。

  2. 2.
    • qingmutong
    • 2010年10月14日 12:16

    刑事訴訟の日米比較で知りたいことの一つは勾留理由です。日本では証拠隠滅の虞が勾留理由になることが多いのでこれをネタに自白を強要することが多いのですが(自白しないと証拠隠滅の虞ありと認定され勾留が長くなる)アメリカではどうでしょうか。

    そもそも日本では逮捕してから証拠を集めることが多いのですがこの点の日米比較もご教示いただけたら幸いです。

  3. 3.
    • taru77
    • 2010年10月14日 18:22

     たとえば自白でも、西洋人が「私が殺したのは事実だ。しかし相手が・・・」と答えるのに対して、日本人は「殺してしまった。仕方なかった」と答えることが多い。日本人には「近代的自我」がないので、たとえ自分が殺したものでも、まるで社会や環境のせいであって自分だけの意思ではなかったかのように感じますし、他人(裁判官などの法律家)もそう考えます。
     しかし「殺してしまった」には、西洋的な責任主義の求める純粋な故意よりも、過失の意味合いが強い。だからリンチ殺人のような事件でも、殺人の故意が否定されて傷害致死罪になったりします。こんな風に行為者の主観が大きく刑罰を左右する現行刑法の下では、どうしても自白を偏重せざるをえません。刑事訴訟法だけの問題ではないのです。
     たとえばイギリスは可視化導入国ですが、殺人罪(謀殺)には殺人の故意が必要なく、重大な傷害の故意で足ります。それは行為からほぼ推定できるので、無理に自白を取る必要がない。しかし、日本の法律家は、責任主義などの現在の刑法をそのままに、取調べだけ可視化しろと言っており、私はこれに強い疑問を感じます。

  4. 4.
    • jestemneko
    • 2010年10月15日 23:19

    イギリスの検察には起訴権も捜査権もありません。取り調べの可視化とは無関係ですが、検察がもっとも恐れているのは日本の統治機構をイギリス型にするとの考えです。つまり大陪審の創設です。私は、日本の統治機構をイギリス型にするとの考えには賛成しましたが、日本の社会を活性化して経済も良くなると思うから賛成したのであって、大陪審の創設までは考えていません。私には、イギリスの司法制度を導入したアメリカは、消化不良を起こしているようにも見えます。とりあえず、特捜を解体して検察の捜査を二次捜査に限定し、取り調べを可視化するといった程度の改革でいいでしょう。算数ができない日本のバカ検事どもに科学的捜査なんてできるわけがないのです。だから、「割り屋」などというアホが出世し、大坪だの佐賀だのの逮捕がマンガになってしまう。起訴権の独占問題が残りますが、無能な検察から一次捜査権を剥奪し、警察の取り調べも含めて可視化すればそれで十分です。
    そんなのは民主党が勝手にやればいい。それより補正予算案を早く出せw

  5. 5.
    • isseisina0221
    • 2010年10月16日 01:45

    取り調べの可視化も大事ですが、捜査当局に都合のよいところだけを使われたり、最悪の場合編集されたりすることを考えてしまいます。
    既に可視化が実施されているイギリスではどうなのでしょうか?

    やはり理想としては取り調べへの弁護士の同席を徹底すべきではないかと。

    この話題の論調の大半が可視化しか論じていないことには、何やら意図的なものすら感じてしまいます。

  6. 6.
    • みねちゃん
    • 2010年10月16日 10:27

    あの、誰も教えてくれないんですが、
    どうして捕まえるのは警察なのに裁判は検察なんですか?
    しかも検察も捜査して自分たちで捕まえるんですか?

  7. 7.
    • jestemneko
    • 2010年10月16日 16:05

    isseisina0221さん、イギリスは名探偵ホームズの国です。私人訴追が原則。警察の仕事は捜査と訴追の「代行」です。行政機関が刑事事件に関与する場合でも「私人」として訴追するしかない。検察は存在しますし訴追もしますが、検察に捜査権や起訴権はない。訴追後の起訴判断は大陪審が行う。イギリスのように、捜査から起訴までのプロセス全体の透明性を高める必要があるでしょう。取り調べの可視化だけでは不十分との考えは正しいと思いますが、日本の政治レベルはイギリスの政治レベルよりはるかに低いのです。下手に真似をするとアメリカみたいに消化不良を起こします。特捜を解体して検察の捜査を二次捜査に限定し、警察の取り調べも含めて全面可視化するといった程度の改革が妥当でしょう。その程度のことなので、民主党が勝手にやればよいw
    みねちゃんさん、あなたの素朴な疑問に対する答えを出せないところに現行司法制度の欠陥があると思います。結局、日本の統治機構をイギリス型に変更するという大きな作業の中で解決するしかないでしょう。それを積極的にやろうとした政治家のひとりが小沢一郎ですね。しかし、小沢に頼らなければやれないというのは情けないですよ。自民党政権下でやりたいと思いますw

  8. 8.
    • livedoa555
    • 2010年10月16日 16:21

    有罪を立証しようとする検察側に捜査権があって、
    無罪を立証しようとする弁護側に捜査権がない。
    これが、冤罪が生じる土壌である。

    さらに、取り調べに違法性がなかったことの立証責任を
    検察側に課せば、可視化の必要性もなく、より実効的である。




  9. 9.
    • jestemneko
    • 2010年10月16日 19:12

    livedoa555さん、そのような制度は被告に多大な金銭的負担を要求することになるでしょう。それで助かるのは一部の金持ち階級だけ。
    日本国憲法は、日本の統治機構をイギリス型にすることを規定している。たとえ改憲してもその本質は変わらないと思います。立憲主義の精神にしたがえば、当然、司法制度はイギリスのような大陪審制にしないといけない。しかし、そうするには政治のレベルがあまりに低すぎる。判事や検事、弁護士等々の法曹関係者は、つまるところ憲法の精神に反するプロイセン型現行統治機構に寄生しているとも言えますが、体質を変えなければ「寄生虫」を完全駆除することはできません。「薬」だけでは無理。
    私の見るところ、小沢一郎は立憲主義の精神で国家の体質を改善をしようとしている。しかし、立憲主義の精神だけでアンシャンレジームを打破することは、おそらくできない。必要なものは、政府あるいは行政機構が訴追する場面でも「私人」の立場で訴追するしかないといった、私人訴追主義の哲学です。しかし、日本の政治も民度もそこまで高くはないですよ。諦めろとは言いませんが、短期的にはむずかしい。

  10. 10.
    • livedoa555
    • 2010年10月17日 08:53

    >livedoa555さん、そのような制度は被告に多大な金銭的負担を要求することになるでしょう。
    >それで助かるのは一部の金持ち階級だけ。

    その通りだと思います。更に、裁判制度の問題について考えるとき、裁判が終了した後のことも考える必要があります。

    検察に告訴され被告人になると、たとえ無罪判決を得られ、国家賠償も得られても、それ以上の金銭的負担が残り、場合によっては、失業し借金だけが残る悲惨な結果になることが少なくありません。(家庭の崩壊や住居を失うこともある)

    一方、検察官の活動は、全て国費で負担され、しかも給料まで貰えます。

    検察と被告人の圧倒的な経済力格差を見落としてはならいと、いつも感じています。



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