▼▼▼▼「見直し・新選組」1 − 「新選組」はどう読み解くべきか▼▼▼▼中村武生
1.人気・知名度の高さ 珍しい「新選組」を描こうと思う。
「新選組」は人気がある。「新選組」人気をここまで高めたのは、東京の新人物往来社だといってもいい過ぎではない。主に一般むけの歴史書を刊行してきた出版社で、 約30年にわたり、百冊をこえる新選組関係書籍を世に送り出してきた。 同社が刊行する新選組本のなかには、一万円を越える高価な書物もある。それが版を重ねているのである。関係者によればこのネタは一定の顧客があるので、高価でもさばけるのだそうだ。すごいことだと思う。 人気があるだけではない。「知名度」も高い。高等学校の日本史の教科書にちゃんと載っている。「池田屋事件」を起こした団体という位置づけだ。いわば高校生に必要な知識のなかに入っているわけだ。 そうすると学界でも周知の対象で、研究も充分されていると思われるのではないか。ところが違うのである。 2.専門研究者不在の分野 戦後の日本史学会の双璧に、歴史学研究会(東京都)と日本史研究会(京都府)がある。それぞれ『歴史学研究』、『日本史研究』という会誌を刊行しているが、現在まで「新選組」がタイトルに含まれた論文が載ったことがない。
また明治維新史学会(事務局広島大学)という、やはり専門研究者によって構成される学会があり、すでに6冊の論集を刊行している。同研究者はほかに『幕末維新論集』全12巻(吉川弘文館)も刊行しているが、これらの論文にも「新選組」はない。実は「新選組」だけではなく、新選組を最も有名にした「池田屋」も同様なのである。 つまり意外なことだが、専門の日本史研究者は全く新選組や池田屋事件の研究をしてこなかったというわけだ。 ではいったい誰がこのおびただしい「新選組」を執筆してきたのか。それは大学などの専門の研究機関に籍をおかない、いわゆる「民間」の新選組研究者(以下、「新選組研究者」)である。 3.「新選組研究者」の功績 「新選組研究者」の多くは新人物往来社編集部によって「発掘」され、同社刊行の雑誌『歴史読本』などを発表の場としてきた。彼らは戦前の子母沢寛(しもざわ・かん)、平尾道雄らの成果や、司馬遼太郎『新選組血風録』『燃えよ剣』など作家によって「歪められた」新選組像を払拭しようと尽力した。その過程で多くの新出史料が発見された。その最大の発見の一つが、元幹部隊士の手記「島田魁日記」「浪士文久報国記事」だろう。これは大きく評価されるべきである。この「世紀の発見」は間違いなく専門の日本史研究者が出来なかったことである。
4.「史料批判」という手続き しかし評価ばかりもできない。「新選組研究者」はこれら多数の新史料を使い、おびただしい新選組本を発表してきた。それを読むと、発見された史料の使い方に大きな問題があることに気づかれる。
史料には、価値の高いものがある反面、使えないものも多く含まれている。これらをよりすぐる作業が求められる。これを「史料批判」という。 率直にいって「新選組研究者」はこれが不十分であった。専門研究者がそっぽを向き続けた理由の一つはここに求めてよいと思う。 「史料批判」は歴史研究にとって不可欠の手続きである。かみくだいて述べよう。 例えば腹がへったとする。パンを見つけた。さっそく食べようと思った。賞味期限をみたら一週間過ぎている。みなさんは食べられるだろうか。まずためらわれるはずだ。さあどうするか。 この賞味期限が過ぎた「パン」を正体不明の新史料だと思っていただきたい。空腹で食べようと思う気持ちが、研究意欲である。食べ物が豊富なら、まずこの「パン」は食べず、捨てると思う。良質な史料を使い、正体不明のものなら使わない方が安全である。 しかしこれしかなかったら。食べなければ死ぬのである。食べないということは、この「研究」をあきらめるということを意味する。 けれど賞味期限が過ぎているわけだから、無防備に食べたら腹痛などが起きるかも知れない。それが信憑性の低い史料を使って、のちに書いた論文が不評をかう(研究姿勢が問われる)というのと同じである。 賞味期限の過ぎた「パン」をよく調べ、腐っているところやカビた部分は切り捨てて、安全な部分を見つける。これが「史料批判」なのである。 小結 厳密な史料批判の「濾紙」を通すと、全く異なる「新選組」が現れる可能性がある。次回以後、具体的にご紹介したい。
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