今が苦しいときだ
今日、ある人と久々長電話をした。大半がバカ話であったが、その中で在特会の話が出た。たしかに在特会は今回の事件で対応能力がなかったし、一時の盛り上がりはどこかへ吹っ飛んでしまっている。離れていった人もたくさんいるだろう。という話だった。でもそんなのはたいした問題ではない。
今回のことぐらいで離れていった人は、初めから興味本位で参加していただけで、確かな感情と確かな論理があって参加していたわけではない。そういう人はどれだけたくさんいたところで、初めから役には立たないし、何かあればすぐに雲散霧消するに決まっている。
対応能力にしたって、オギャーと生まれてまだ3年や4年、しかもネットで会員を募っているわけであって、しっかりした組織とか対応能力を期待する方がおかしい。皆、会長一人に期待し過ぎである。文句を言うなら、組織の一員として自分が支えようと努力すべきだ。
そんなもんスーパーマンじゃないんだから、一人の人間で対応できるはずなかろう?? 金策だけで大変だろうに。その荒波を乗り越えるのは、組織の役目であって、自分も組織の一員として在特会を支えるんだという人をどれだけ作るか、きちっとした体系をどれだけ作れるのか問われているのだ。どんな運動をやるにも、会にとって一番大切な生命線は組織であるということを今回のことで知るべきだ。確かに在特会は、今まで会長個人のカリスマ性によってもっているような会であったといえる。
どこかのおもろいオッサンたちの5人の会で名誉顧問が3人代表が1人婦人部長が1人というような、ただ役職をつければいいというような、マンガのような組織のことではない。
3、4名のしっかりと崩れない核さえまずできれば、あとは自然に思うようなことができて行くはずである。そして核の真ん中にあるのは、俺が俺がというエゴではなく「公心」だ。
逮捕された人には申し訳ないが、逮捕自体が問題ではない。逮捕によって良い面悪い面が必ずあるわけだから、良い面を生かし今後につなげるべきである。
もう一つ言えば、能力がないのは在特会だけではない。それを包括する日本社会にもうその能力はないのだ。日本の国防や外交を見てもそれがわかるだろう。だいたいがおかしい社会なのだから、このようなことになるのだ。
そう言えば、その人が面白いことを言っていた。
「あーゆ一ね、一時的に盛り上がるデモあるでしょう。尖閣とかね、なにか問題が起こるとデモやるでしょう。デモはオナラなんですよ。社会に不満がたまっているから、それをガス抜きするためのオナラ。オナラをするとガスが抜けてもうやらないでしょう? 」
確かにそうだ。私たちはガス抜きをして喜んでいてはいけない。単にオナラで終わらないために、組織にするためにたゆまぬ努力をせねばならない。ええじゃないか運動をして満悦し喜んでいるのは愚者の所業であり、どう解釈し今後どうして行くかを考えるのは思想の仕事である。
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