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【スポーツ】

谷亮子引退 競技生活20年ママで議員で金断念

2010年10月16日 紙面から

柔道の現役引退表明の会見を終え、手を振りながら会場を後にする谷亮子参院議員=東京・永田町の憲政記念館で

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 柔道女子48キロ級で2000年シドニー、04年アテネ五輪で2大会連続金メダルを獲得した参院議員の谷亮子さん(35)が15日、東京都内で記者会見し「本日、競技生活の第一線から退くことにいたしました」と、現役引退を表明した。全日本柔道連盟(全柔連)には強化指定選手の辞退届を提出した。

 谷さんは今夏の参院選に民主党から立候補して初当選。同党のスポーツ議員連盟会長に就任、政治活動を続ける一方で、12年ロンドン五輪出場を目標に競技を続ける意向をみせていた。

 柔道引退会見というよりは、“政治家専念会見”に感じられた。場所は国会議事堂にほど近い憲政記念館。谷さんの隣には、出席を強く求められていた民主党の小沢一郎元代表が座った。

 「参議院議員の谷亮子です。本日、競技生活の第一線を退くということにしました」

 この日は12年ロンドン五輪出場への前提条件となる11月の講道館杯全日本体重別選手権(千葉)の出場エントリー締め切り日。ギリギリの決断だった。実際、4日前の11日には午後10時前まで練習しており、政治活動と柔道を両立させたいという揺れる思いがあったようだ。決断は13日。夜に夫でプロ野球選手の佳知氏に伝えた。だが、会見では迷いがなかったことを強調した。

 「特に悩むということはございませんでした。両立を頑張り、競技の練習、努力もやってきたのは事実。スポーツの振興、政策をもっと充実させたいという気持ちが強くなった」

 今年7月、参院議員となり、競技者と子育ての“3足のわらじ”。厳しい現実が待っていた。「日本にはそういう環境が整っていない。スポーツを志すという意味では、競技より、環境を整えたいという気持ちが強くなってきた」。柔道家としてより、政治家としてスポーツに携わっていくことを決めた。

 一瞬、柔道家の顔に戻る場面はあった。報道陣から一番印象に残っている試合を問われると、「中3、15歳のとき、世界のトップに立った福岡国際」を真っ先に挙げた。続けて「2000年のシドニー、04年に連覇したアテネ、北京では子どもを出産して『ママでも金』という大きなメッセージを送ることができた」と五輪3大会を挙げた。カラフルなゴムで髪を結っていたヤワラちゃんが結婚して谷亮子となり、ママとなった。約20年間トップ選手として、柔道界を支えてきた。

 会見中、終始笑顔を振りまき、涙はなし。感傷的な言葉さえ一切なかった。弱いところは決して見せず、きっちり政治家としての“所信表明”を終えた。

 

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