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「史上初」を次々と成し遂げた功績は消えず

 【谷亮子現役引退】日本柔道界トップの上村春樹氏(全日本柔道連盟会長兼講道館館長)は東京・春日の講道館で会見し「20年間、日本の大黒柱として日本の柔道をよく守り、伝えてくれた。YAWARAちゃんの愛称で女子柔道を浸透させてくれた。凄い選手だった」とねぎらった。

 9月に東京で行われた世界選手権で日本女子は8階級中6階級で金メダルを獲得する圧倒的な強さを誇った。だが、谷が15歳で国際デビューした当時は、世界選手権の金メダルは過去6大会で山口香の1個だけ。黒地に白ラインが入った帯で男子の黒帯と区別され、強化が遅れていた女子は世界と大きな差があった。

 その女子柔道を注目度でも実績でも劇的に変えた。吉村和郎強化委員長は「彼女が今の日本女子柔道の隆盛の基礎をつくり、けん引してきてくれた」と絶賛する。小さな体とヘアゴムで留めた髪形。15歳、中学生で出場した90年福岡国際で優勝し、当時の人気漫画タイトルからとった「YAWARAちゃん」のニックネームで親しまれた。

 人気を国民的レベルまで押し上げたのが92年バルセロナ、96年アトランタ五輪決勝での敗戦。悲劇のヒロインとして大きな注目を集める中「最高で金、最低でも金」と臨んだ00年シドニー五輪で金メダルを獲得し、国民栄誉賞の声も上がった。

 それを挟んで93〜03年の世界選手権で前人未到の6連覇を達成。巨人の谷佳知と結婚後の04年アテネ五輪では「田村で金、谷でも金」の公約を果たした。長男出産後の07年世界選手権では「ママでも金」を達成。08年北京五輪は銅メダルに終わったものの、五輪・世界選手権での通算64試合で黒星はわずか4度。アトランタ五輪決勝後から北京五輪準決勝前までは実に37連勝と圧倒的な強さを誇った。柔道だけでなく、女子アスリートとしても次々と「史上初」を成し遂げた功績は、永遠に消えることはない。

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