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谷亮子が引退表明…“自ら幕”で最後の意地

同席した民主党・小沢氏(左)の横で笑顔で会見を行う谷議員
同席した民主党・小沢氏(左)の横で笑顔で会見を行う谷議員
Photo By スポニチ

 柔道女子48キロ級で五輪5大会連続出場を果たし、00年シドニー、04年アテネで連覇も達成した谷亮子(35)が15日、都内で会見を開き、現役引退を表明した。今年7月の参議院選挙に民主党から立候補し当選した後も現役生活との両立を目標に掲げたが、断念。12年ロンドン五輪への最後の道とされていた来月の講道館杯(千葉)のエントリー締め切り日だったこの日、自らの手で華麗なる柔道人生に幕を閉じた。

 涙も、後悔の言葉もなかった。小沢一郎・元民主党代表同席の下、午後5時から永田町で行われた会見。グレーのスーツで登場した谷は「本日、競技生活の第一線から退くことにいたしました」と第一声を発すると「日本中、世界中のファン、選手の皆さま、これまでご指導いただいた先生方に感謝を申し上げたい」と笑顔で、柔道への別れを告げた。

 引退への動きはまさに突然だった。ロンドン五輪に向け競技と政治活動の両立を“公約”してきたが、13日になって谷自身が親族や近い関係者に政治専念の意思を表明。翌日には政界入りを後押しした小沢元代表と会談し、その意思を伝えた。決断の理由を「国政の場に送り出していただいて、柔道だけでなくスポーツ全体のために力を発揮していきたい思いが強くなった」と説明した。

 だが実際は、ギリギリまで追い詰められた末の決断だった。2年以上も試合出場のない谷を、全日本柔道連盟が強化指定トップの「ナショナル」から1ランク下の「シニア」に降格させたのは先月19日のこと。11月の講道館杯に出場しなければ、強化指定外にする方針も決めていた。そしてこの日が、エントリーの締め切り日だった。「欠場の届け出をした」谷は午後4時すぎに強化選手辞退届も提出したが、欠場なら自動的に強化選手から外れ、ロンドンへの道が消滅することも理解していた。引退に追い込まれるのではなく、自ら引退する形をとったのが谷なりの意地だった。

 現役にこだわり続けてきた。09年に第2子を妊娠、出産。今年は参議院議員となってブランクが長引いても、一度も引退は口にしなかった。だが、北京五輪後は、柔道着をつけての稽古が結局できないまま。「毎日、早朝や深夜に体を動かして、手を抜かずにやってきたからこそ、次のステップに行ける」と胸を張ったが、試合ができる状態にはほど遠かった。

 「環境が整えば、また世界を目指したい」と将来の復帰も口にしたが、現実味は薄い。だからこそ「国政で取り組んでみたい政策もある。まずはスポーツ行政の一元化」とすぐに政治家の顔をのぞかせた。希代の柔道家の挑戦は失敗だったのか、それとも―――。「大きな期待を力に変えてきた。重圧は応援ととらえられる」という35歳が次のステージで結果を残したとき、結論は出るのかもしれない。

 ◆谷 亮子(たに・りょうこ=旧姓・田村)1975年(昭50)9月6日、福岡県生まれの35歳。福岡工大付高(現福岡工大付城東高)―帝京大―日体大大学院修了。小1で柔道を始め、15歳で90年福岡国際を制して注目を集める。五輪は92年バルセロナから5大会連続で出場し、金2個を含むメダル5個獲得。世界選手権7度優勝。今年7月の参議院議員選挙で民主党の比例区から立候補して初当選。夫はプロ野球・巨人の谷佳知選手(37)、長男・佳亮くん(4)、次男・晃明くん(1)。1メートル46。血液型B。

Yahoo!ブックマークに登録 [ 2010年10月16日 ]

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