■東大島(東京都) 猛毒クロムを市街地から市街地へと埋め直し
日化工がこの地域で操業を始めたのは1915年。中村さんの父が東大島に住み始めた60年前には、家の屋根や窓枠に六価クロムの黄色い粉が積もるのは日常茶飯時だったという。だが、住民はそれを猛毒とは認識していなかった。
六価クロムが周辺住民を震撼させたのは75年。日化工の労働者461人のうち62人に鼻中隔穿孔(鼻の右穴と左穴を仕切る軟骨に穴があく)、18人が潰瘍に侵され、8人が肺がんで死去したことが明らかになったのだ。
「それどころか、江戸川区と江東区を中心とした都内の1000か所以上に、日化工が52万tのクロムを投棄していたことが判明したのです。クロムが埋まっている場所で遊んでいた子供たちにも鼻血や湿疹などが現れました」
日化工は72年に江戸川区での操業を終了。その後、都との交渉で「汚染土壌処理費用の全面負担」に同意し、浄化処理工事を始める。これで問題は解決したかにみえた。
「ところがです。92年、東大島駅周辺の再開発事業区域に、クロムの汚染土壌がまだ9万立方メートルも埋められていることがわかり、そのうち4万立方メートルを江東区大島9丁目にある都営アパートの向かいの公園予定地(都有地)に埋め立てることになったんです」
クロムを掘り出していた現場は、中村さんが当時住んでいたマンションの正面だった。
「都の『クロム健診』で、当時中学生だった娘の尿中クロムの値が許容量上限までいってしまいました」
市街地から市街地への埋め直しに驚いた住民たちは、都監査委員会に監査請求を出すが却下。さらに工事差し止めを求めて提訴するが、これも敗訴に終わってしまう。
本来、最も厳しい遮蔽型の最終処分場で処理されるべきなのでは? 都環境保全局はこう答えた。
「あの場所のクロムは「廃棄物の処理及び清掃に関する法律」(廃掃法)の制定以前に投棄されたもので、『産廃』にはあたりません。つまりこの事業は『産廃処理』ではなく『環境保全対策』の一環。法的制約は受けないのです」
こんな理屈で、猛毒が堂々と市街地で処理されているのだ。今でも、あちこちの工事現場で地中からクロムが顔を出している。
「私たちは、ここに住む限り一生クロムの被害と付き合っていかなければなりません。都には、周辺地域での疫学調査をしたうえで、日化工とともに恒久的な浄化処理に取り組んでほしい」(中村さん)【続きを読む】