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[22387] 【習作】 永宮未完 オリジナル 迷宮探索物
Name: タカセ◆f2fe8e53 E-MAIL ID:4e98e308
Date: 2010/10/09 01:48
 以前投稿していた物の書き直し……というか主要キャラの掘り下げで過去から始めたためにほぼ新規となります。
 序をとっとと終わらせたら、迷宮やら冒険物にする予定となっています。 
一応迷宮物でありますが、地下やら古城は勿論の事として、やたらと広い砂漠やら湖等も少し設定を加えて迷宮化させた物とする予定です。
 
 稚拙かつ遅筆な物語ですが僅かでもお楽しみ頂き、お付き合いいただけましたら幸いです。



[22387] 序 ①
Name: タカセ◆f2fe8e53 E-MAIL ID:4e98e308
Date: 2010/10/07 23:51
 轟々と鳴り響く風の音。夜空をぶ厚く覆う黒雲からはまるで礫のように大粒の雨粒が降り注ぎ地上を激しく叩く。
 天を切り裂く幾筋もの雷光と鳴り止まぬ雷鳴は、まるでこの世の終焉がすぐ其処まで迫っているかのようだ。
 冬の終わり。春の到来を告げる春嵐は、毎年同じ日に大陸の南方海で発生し海岸線に沿って東に進み大陸各地に被害をもたらしながら、二週間近く掛けて徐々に北上していく。
 やがて春嵐は海から遠く離れた大陸の中央部。険しい山岳地帯へと至り忽然と消滅する。
 通常の嵐では有り得ない寿命と動き。そして規模。
 これは嵐が消滅する山岳地帯に原因があるとされている。
 そこには遙か過去に大陸に君臨した龍王が居を構えていた迷宮があり、主が滅んだ今も生き続けている魔法陣によって大嵐が発生し引き寄せられているからだと。
 二千年以上も定期的に続く大嵐の真相を究明しようと現地調査の申請をする者の後は断たない。だが極一部の例外を除きその地域への立ち入りが許可されたことはない。
 龍の秘術が解析され拡散する可能性や、調査によって予期せぬ事態が起きる懸念がされた事情もあるが、一番の理由は別にある。
 それは彼の地が聖地であるからだ。
 聖地と定めしは、迷宮を征し龍王を討ち滅ぼし勇者によって建国されし王国。
 後に王国は南方大陸統一を成し遂げ統一帝国としてさらに勇名を馳せることになる。
 討ち滅ぼし龍王の名を受け継いだその国は『ルクセライゼン』
 聖地である古代迷宮は『龍冠』と呼ばれ、国母たる代々の皇太后が守として余生を過ごす離宮が迷宮への入り口を塞ぐように建てられている。





 



 
 







  
 
 春嵐がもたらす激しい雷雨。 
 ただでさえ見通しの悪い夜の森。降りそそぐ雨がさらに視界を塞ぎ、針葉樹林で構成された森を縦横に走る遊歩道は長雨の影響で所々が冠水してまるで川のように水が流れている。
 そんな森の遊歩道をカンテラや魔術の灯りで前方を照らし、水に沈んだ根を何とか避けながらも懸命に走る幾人もの騎士達の姿が見られた。
騎士達がいるこの森こそルクセライゼンの聖地である古代迷宮『龍冠』
 彼等は離宮地下倉庫の探知結界が反応した一人の侵入者を追って、嵐の森の中へと踏みいっていた。
 龍達の長。龍王がかつて居を構えていたという伝説が残る【龍冠】は、人里から遠く離れた山岳地帯にある。
 夏でも山頂付近に真白い雪が残る高い山脈に周囲を取り囲まれ、その姿がまるで王冠のように見えることから、龍王の王冠『龍冠』と古来より謳われていた。
 山裾の隙間を縫うように流れる谷沿いに狭い道が一本あり、そこを通り山脈を抜けると巨大な盆地へ出る。
 盆地の南側には古代樹が群生する森林、北半分には周囲の山々からの雪解け水で作られる冷たく透き通った湖。
 湖の中央には湖水からテーブル状に突き出た大きな島が一つ。
 断崖絶壁の高い崖の上。島の天頂外周部には針葉樹林の森が広がり、島中央部には古めかしく荘厳な空気を醸し出す石造りの宮殿と広大な温室庭園が存在する。
 この宮殿の直下にこそ龍冠の本体ともいうべき迷宮への入り口があった。
 生物の侵入を拒む高い山脈と湖中央の切り立った断崖絶壁の島に存在する『龍冠』。
 険しい山々を越えるのは夏期でも非常に困難であり、雪が根深く残る春を迎えたばかりのこの時期には不可能といっても過言ではない。
 地上からの唯一安全なルートは湖から海へと続く谷川沿いの狭い道しかない。だが谷沿いには厳重な警戒網を誇る砦が幾つも設置され、人と物の出入りは厳しく検査されている。
 もう一つルートもある事はあるが、それは飛竜などの騎乗生物を使う空からの山脈越えとなる。だがこちらも常に監視がされており、しかも今は威力が強く巨大な春嵐の発生期。空路の山脈超えなど無謀の極み。
 だが今宵の侵入者はどこを通り抜けたというのか、その最深部まで入り込んでいた。







『反応を拾った! また森の中を移動してやがる!』


『無茶苦茶だ! なんて野郎だ!』


『場所は!』


 騎士達の襟元につけた魔術具より侵入者発見を伝える声が響く。次いで舌打ちと苛立ちを抑えきれない忌々しげな声や、苦しげな呻き声がいくつも聞こえてくる。
 遊歩道を走るのがやっとな騎士達を、まるであざ笑うかのように森の中を軽々と移動する侵入者に何度も囲みを突破され騎士達の苛立ちは募っていた。


『25番を南方向に抜けていった! 回り込める奴は回り込め! 何とか足を止めろ!』


 指示の声に森に散らばっていた騎士達が一斉に動き出す。近くの者は侵入者の進行方向を先んじて抑える為に直接的に回り込み、離れた場所にいた者は囲みを突破された場合に備え外側に回り込んでいく。
 しかし騎士達の数は二十人にも満たず、いくら相手が一人といえど移動速度が段違いでは捕らえるのは至難であった。
 現状は南側にある下の湖に通じる唯一の階段回廊は別働隊が封鎖し、残りの者達が北側にある離宮へと再度近づけぬように囲みを徐々に狭めながら退路を塞いでいくのがやっとだった。


『23! 姿は見えない!』


『こちらは27! 同じく確認できない! 22の方か?! 気をつけろ! 相当速いぞ!』


 近くを通ると予測される分かれ道に着いた騎士が次々に発見できずと報告をあげていく。
 直線的に森を抜けてくる侵入者に対して遊歩道沿いの回り道しかできない騎士達では、一度侵入者を見失うと再発見は容易なことではなかった。


「22分岐についた。了解」


 22番分岐路へと走り込んだ騎士は同僚の忠告に小声で答えながら、敵からの目印となるカンテラの火を消して近くの木の陰に身を隠し走り通しで荒れる息を整えつつ細身の長剣を引き抜く。


「ちっ……やりづらい」


 雨で滑らぬように柄に巻いた荒縄の感触に違和感を覚えた騎士は舌を打つ。
 強い風と雨を伴う嵐に森の樹が盛んにざわめき、音がかき消され気配が探りにくい事も苛立ちの要因だろう
 

「太后様がお留守のこの時期に……まさか狙いは」


 この時期に現れた侵入者の狙いを推測した騎士は、緊張を押し殺そうとゴクリと息をのむ。
 離宮の主である皇太后がここより遙か南方にある帝都にて執り行われる春迎の祭典に出席する為に、例年この時期は離宮から離れていることは周知の事実。
 龍冠が存在する山脈への無断侵入は未遂であっても大罪。ましてや離宮にまで辿り着いたのであれば、背後関係を徹底的に調べるために拷問。その上での死罪は確実。場合によっては反逆罪で一族郎党にまでその責は及ぶ。
 其処までの危険を冒して主不在の離宮へと侵入する理由として予想できる物はいくつか騎士にも思いあたる。
 龍冠はその成り立ちから曰くのある場所で、帝国が抱える幾つもの機密情報が眠っていると民の間でも噂され、実際にそれは真実である。
 今騎士の心に浮かんだのは、その中でも、もっとも隠し通すべき一つの秘匿存在であった。
 下手にその存在が明るみに出れば、帝国の崩壊と終わりの見えない戦乱を招きかねないほどの危険を含むモノ。
 四年も侍女として潜伏していた間者によって、その秘密が暴かれかけたのは僅か半年前。
 その時は一人の犠牲と情報操作により秘密は辛うじて守る事ができたが、身辺調査と選別が厳重に行われていた離宮の侍女に間者が潜伏していた事実は、現皇帝とその側近達に衝撃を与えることになる。
 表向きには皇太后を狙った暗殺未遂事件として処理しつつ、情報拡散を防ぐ為に元々少なかった離宮詰めの騎士と従者にさらに徹底した身上調査と思考調査が行われた。
 これによって騎士と従者はより厳選された極少数となり、調査によって僅かでも不安要素がある者は任を外され、秘匿存在に関する記憶封印がされ別地へと異動させられた。
 結果離宮の守りは薄くなったが、代わりに山脈外周部及び回廊である谷には兵力が倍増され、さらに新たな砦が幾つも設けられて守りをより強固な物へと変貌させている。
 ネズミの一匹たりとも見過ごさないと言っても大袈裟ではない警戒網。それをすり抜けてきたとは考えにくい。ならば……
 

「まさか他にも内通者が居やがったのか? っ。捉えれば判る」


 一瞬浮かんだ猜疑の念を即座に首を振って否定した騎士は自らを鼓舞し剣をしっかりと握り直して周囲の気配を探り続ける。
 だが風雨の影響もあって侵入者の姿は見えず気配も感じ取ることは出来ない。この嵐は侵入者にとっては心強い味方。騎士達にとっては最悪の障害となっていた。


「まずいな」


 このままでみすみす見逃すと判断した騎士は、口笛のような音を一つ鳴らして高圧縮した詠唱を唱える。
 詠唱によって発動した術は生体感知。有効範囲はさほど広くはないが、魔術師が偵察用使い魔として使う小鳥程度の大きさの生命体も感知できる術になる。
 周囲の木々がうっすらと光り出し輪郭を描き出し、幾つもの光点があちらこちらに浮かんでくる。
 木の洞や太い枝の根元辺りに浮かぶ光点。それらには動く様子も見えない。おそらく森に住み着いている小動物が嵐が去るのを耐え忍んでいるのだろうだろう。
 しかし暗闇の森の中に一つだけ別の動きをする反応がある。騎士が思わず驚くほどの速さで森の中を動く生命反応。
 その主はでこぼこした地面を避け木の枝や幹を次々に蹴りつけながら宙を跳び、騎士の隠れる方向へと段々と近付いてくる。
 距離はそれほど遠くはない。このまま真っ直ぐ進めば数十秒後には騎士が隠れている樹の近くを通り抜けていく。おそらくこれが侵入者であろう。
 迷い無く真っ直ぐ進む侵入者の足取りに、隠れているこちらの存在には気づいていないと騎士は判断する。
 
  
「発見した。仕掛ける」
 

 即断した騎士は小さな声で味方に伝えると、周囲を探る魔力の流れから存在気取られぬようにと探知術を切ると、浅く深く息を吸ってピタと止めて左足を半歩前に踏み出し半身体勢となる。
 天を駆ける稲光に刀身が反射しないように侵入者が来る方向に対して己の身体に巻きつけるような右下段の腰構えで剣を隠し、左手は柄頭の近くを順手に握り、開いた右掌を鍔近くに押し当てる。 
 踏み込みと共に身体全体のひねりを解放し同時に右手を突き出す事で電光石火の一撃となす、初手を重視した独特の構え。
 多数の追っ手に対して逃亡を図る侵入者が足を止めて戦闘をするとは考えにくい。故に交差はほぼ一瞬のみ。すぐに侵入者は逃亡を再開する。当たろうとも外そうとも次手を繰り出す余裕はない。
 情報を引き出すためにも生きたまま捕らえ無ければいけない。相手は地より僅か上を跳んでいる位置関係と目的からも狙うべきは足。
 足を殺して機動力を削ぐ。
 情報と状況を整理し予測から目標を定めた騎士は息を押し殺し最適のタイミングを伺う。
 天を引き裂く雷光と雷鳴。轟々と唸る風。枝葉をかき鳴らしざわめく木々。気を抜けば足を掬う勢いで流れていく水。


 ・ッ! ザッ! ザッ! 


 自然の猛威が不規則な音を奏でる中に微かな足音を騎士の耳が捕らえる。計ったかのように一定のタイミングで鳴る足音。
 騎士はそっと顔を出し侵入者を目視しようとした丁度その時、雷光が煌めき黒い影だった侵入者の姿が一瞬だけ照らし出される。
 姿があらわとなったのは僅かな瞬間だが、広い国中から選抜された高い実力を持つ騎士にとってそれだけあれば十分だ。侵入者の体格、武装、身のこなしを確かめた騎士は内心で僅かに驚く。
 樹を次々に飛び移り身が軽いとは思っていたが、侵入者は騎士が想像していた以上に小柄だ。人間種の子供ほどの大きさしかなかい。
 特徴のない茶色の外套を纏い、フードを目深に被ったその顔を窺い知ることは出来ない。騎士から見て反対側の右肩には、布でくるまれた持ち主の倍ほどの長さの棒のような物を担いでいる。長柄の先は大きく膨らんでいる。槍の類だろうか。
 小柄で森の中を自由自在に動き回れる長柄使い。
 人の子ほどの背丈と聞いてまず思いつくのは精霊族の一部だが、代表的な者に限ってもハーフリングやハイゴブリン等が幾つもあげられる。 
 これに魔族や獣人など他系種の者達も含めればその候補は数百にも及ぶだろう。たったこれだけの情報では相手の正体を絞り込むことなど出来ない。
 背後関係を探るためにも是が非にでも捕らえなければならないが、侵入者の動きを実際に目の当たりにして、相手が高い技量を持つことを確信した騎士の鼓動は緊張で僅かに速くなる。
 この森は全ての木を一定間隔に植え整備して作った森ではなく、元々あった森に少しばかり手を加えたに過ぎない。
 法則性もなく乱雑に生える木々を速度を落とさずに次々に一定のリズムで跳び移るには、先の足場を見極め続ける事が出来る頭脳と、思い描いたとおりに瞬時に身体を動かす高い身体能力が必要となる。
 侵入者の技量はおそらくは自らよりも上。そんな相手が逃亡中だというのに隠れている追っ手の騎士を見落とすだろうか。
 ひょっとしたこちらの存在に気づいていないと思わせられているだけではないのか。
 不意に弱気な考えが騎士の心に浮かび上がる。
 しかし迷いは剣を鈍らせる。
 騎士は不安を無視してぐっと足に力を込める。騎士の間合いまで敵は後二歩まで迫っていた。


 ザッ! 


 柄の握りを強め身体を僅かに前方へと倒す。後一歩。


 ザッ!


 枝を蹴りつける足音を意識が認識する前に騎士は左足を滑るように水を切りながら踏みだし隠れていた木陰から飛び出す。
 空中を跳ぶ黒い影が視界の真正面に一つ。騎士に対して左側面を晒す侵入者が其処にいた。
 宙を跳ぶ侵入者の体勢が僅かに乱れた。水を蹴った踏み込みの音でようやく隠れていた騎士の存在に気づいたようだ。
 慌てて音が聞こえる方向に顔を向けながら、右肩に担いでいた長柄を僅かに持ち上げ迎撃の構えを取ろうしている。
 察知能力と判断能力は騎士の予想以上に速い。だが足場のない空中でもたついて意識に身体がついていかないようだ。
 大きな隙が出来た侵入者。手練の騎士がその隙を見逃すはずもない。騎士は腰構えにしていた長剣を握る左手を一気に振り上げ、柄に当てた右手に捻りを加えながら強く打ち込む。
 剣は一拍の間も置かずに最高速に達し、侵入者の左足首に食らいつこうと襲いかかる。
 その時騎士の背後の空でまたも天を切り裂き雷が一つ奔る。刀身が雷光を受けて光輝いた。
 文字通りの閃光の一撃となったその一振りは、騎士の非凡な才能と何千何万と振った型の上に身についた必殺の一撃。
 だが刀身を輝かせた雷光は同時に、フードを被った侵入者の顔をも照らし出していた。
 雷光を受けて形を現したのは黒髪と黒目のまだ幼い少女の顔。
 それは騎士のよく見知る者……この瞬間に絶対にこの場にいてはいけない者の顔だった。
 自分が剣を振るったのが誰なのか瞬時に気づいた騎士は、とっさに狙いを逸らそうとする。しかし最速で振り出した剣は騎士の思うとおりにはならない。。
 非凡な才能を持つ騎士の腕を持ってしても、その速さを僅かに弛める程度のことしかできない。
 騎士のとっさの動きも無駄となり少女の足首はばっさりと斬り飛ばされている…………はずである。普通ならば。だがこの少女には騎士が作り出したその刹那の遅れで十分だった。
 少女が長柄を持つ右手を下に振りながら掌の中で滑らして足下へと柄を伸ばす。同時に伸びた柄を左足で絡め取って足首の後ろ側へと回した。
 次の瞬間、金属同士がぶつかり合う高音が嵐の森に高らかに鳴り響く。
 少女の足首を切断するはずだった刃を長柄の柄がガッチリと受け止めていた。布にくるまれていてその材質までは判らないが少女の持つ長柄にはよほど硬い金属が使われているようだ。
 必殺の一撃である騎士の剣を長柄が容易く受け止め、そして跳ね返してみせた。
 しかし剣に乗っていた力まで相殺されるわけではない。
 宙に浮かんだ状態で足下に強い一撃を受ければ小柄な少女の身体では衝撃で弾き飛ばされるだろう。
 しかしそうはならない。剣と長柄がぶつかり合う衝突音が鳴るとほぼ同時に少女が足を上げ下半身を丸めながら、左手を後ろに振り上半身を反らして横向きの衝撃の力をその体捌きのみで円の力へと変えるという離れ業をやってのけていたからだ。
 騎士の全速攻撃を受けたというのに、少女はまるで猫のように空中で一回転してスタッと地面に降り立った。


「あせった……ってそうじゃなくて! なんで貴女がここ」


 どうやら少女に怪我はないようだ。
 剣を振り切った体勢のままほっと胸をなで下ろした騎士だったが、すぐに今もっとも問題にするべき事があると気づく。
 なぜここにこの少女がいるのか。しかもなぜ侵入者として追われていたのか。


「邪魔するなっ!!」   


「おぶっ!」 


 問いただそうとした騎士に対して少女がもたらしたのは不機嫌な怒鳴り声……そして先ほど剣を防いだ長柄であった。
 溜めや構えを悟らせることなく不意に繰り出した少女の一撃。
 油断していたために攻撃をまともに頭部に受けることになった騎士が最後に見たのは布がほどけて顔を覗かした三つ叉にわかれる長柄の先端と、周囲に飛び散る妙に白い破片だった。
     



[22387] 序 ②
Name: タカセ◆f2fe8e53 E-MAIL ID:4e98e308
Date: 2010/10/11 13:22
「デュラン! デュラン! …………駄目だ。反応がない。まさかこの短時間でやられたというのか。あのデュランが?」

 
 何度呼びかけても通信魔具から返答の声が聞こえてくることはない。
 部下の一人が侵入者と接触すると連絡を入れてきたのはつい先ほど。その直後に連絡は途絶していた。
 離宮守備隊に選抜される騎士は優秀な人材で固められている。特に半年前の事件の後も残った者達は少数ではあるが国内最精鋭といっても過言ではない。
 それがたった一人の侵入者に手玉に取られ、その中でも実力者のデュランが連絡を絶つ異常事態。
  

「22分岐付近の者は引き続き侵入者の現在位置確認! 発見してもうかつに仕掛けるな! 他は近くの者と二人パーティ形成。再度包囲準備! 足止めし連携戦に持ち込む! 相手は上位の探索者かも知れん! 包囲完了しても油断するな!」


 離宮直衛守備隊の長を務める中年騎士は、侵入者が驚異的な実力を持っていると判断し緊迫した声で指示を下す。
 守備隊に属する騎士達は特別顧問の師事の元、迷宮で誕生した剣術を身につけている。生物として上位存在である迷宮の怪物達を相手取るために生み出された実戦的な迷宮剣術は単独戦闘を基本とするが、パーティによる連携戦も派生技法として重要視され一対多であるこの状況には適しているといえるだろう。
 ただでさえ広い網の目をさらに広げる事にはなるが、各個撃破され食い破られるよりはマシだという決断であった。
 しかし守備隊長には一つ懸念がある。
 侵入者の正体が北大陸に存在する迷宮。世界で唯一の生きる迷宮群である【永宮未完】を踏破し神の恩恵である身体能力強化【天恵】を得た者……それも最高峰の上級探索者だったらという恐れだ。
 天恵強化は迷宮外では著しく制限されるが、それでもある程度の効力を発揮する。そして時間制限はあるが迷宮内部と同等の超越した力を解放する切り札【神印開放】が探索者には存在する。
 能力開放状態の探索者に対抗する術は一つだけ。同様に能力解放した探索者を当てるしかない。
 だがそれについては問題はない。
 ここルクセライゼンにおいて正騎士へと任命されるには、準騎士としての経験とは別に中級以上の探索者である事が必須条件となっている。
 守備隊に籍を置く者は全てが正騎士にして中級探索者。非常時用に自ら得た神印宝物や国より下賜された物を常時その身に帯びていた。 
 
 
「侵入者が神印開放を行った場合は私が対処する! お前達は即時待避し離宮に残る者達と防衛に専念」


 守備隊長も若かりし頃は一人の探索者として鍛錬を積み重ねてきた。その証ともいうべき物が右腕で燦然と輝く銀製の精巧な飾りの施された腕輪だ。
 蔦薔薇をモチーフとした腕輪に咲くのは赤い宝石によって再現された一輪の花。石の中央には森を司る中級神の印が刻み込まれている。


「侵入者が陽動であり伏兵の恐れも考えられる! 伏兵が存在した時は合わせて順次解放! 帝都に連絡! 下の砦に救援要請も出せ! 私が許可する!」 


 切り札である腕輪に無意識に触れながら、侵入者警戒時よりもさらに引き上げた準戦時対応へと移行する指示を守備隊長は下す。


 ルクセライゼンは大陸を丸々一つ支配下に置く大帝国である。だがその実態は一枚岩ではなく、むしろ無数の国が集まって出来上がった寄り合い所帯ともいえる。
 これは南方大陸統一の理由が、当時北大陸で起きた世界的異変に対抗するための緊急的な意味合いが強かった所為だろう。
 その脅威も既に過去の物となり200年以上。平穏な時代での商業的な発展が行き詰まりつつある中で、広大な帝国のあちらこちらで戦乱の火種が燻り始めている。
 その中でもっとも大きな火種となり、そして現皇帝にとって最大の弱点である者が龍冠には存在する。
 警戒厳重な龍冠。その最深部まで潜入を果たした侵入者に対して守備隊長が過剰ともいえる反応を示したのは、いつ内乱が始まってもおかしくない空気を常日頃より感じ取っていたからであった。
 ……彼がこの判断は全くの見当違いであり、むしろ押さえつけられていた火種自らが燃え広がる切っ掛けとなるただの家出だったと知るのはもうしばらく後であった。
















「ぅ……変わった」


 雨の森の中、次々と木や枝を飛び移りながら目的の場所を目指していた少女は周囲の気配から騎士達の配置が変わった事を敏感に察知し、太い枝の上に着地して一端立ち止まり荒れていた息を整える。
 いくら枝その物は太くても、風は強く吹きあれ、雨に濡れており滑りやすく、ましてや右手には先ほど騎士を殴り倒した自分の身長の倍もある長柄を担ぎ、左手で幹を掴んだだけの不安定な体勢。
 だというのに困った顔を浮かべる少女の姿から木から落ちるというイメージがわいてこない。
 不安定な足場でも微動だにしないバランス感覚の良さもあるのだろうが、どうにも野性的な雰囲気が少女からでている所為だろうか。


「これでは半年がかりの私の綿密な計画が台無しだ……無駄に動いてお腹も空いたな。休憩だ」


 待ち望みようやく訪れた春嵐。だが逃亡計画がのっけから躓いたことに少女は不機嫌そうにつりめ気味の目をさらに尖らせて眉を顰めたが、胃がキューと小さく鳴って自己主張したことに気づき息を吐いて少しだけ気を抜く。
 現在位置周辺には木が生い茂っており少し離れている為に遊歩道からは生体探知されずらく姿も見えないと、周囲を見渡して考えた少女は小休止と決めて立っていた枝に腰を下ろす。
 頭と右肩で長柄を押さえつけると、外套の中に左手を突っ込みごそごそと漁る。懐から取り出した少女の手には大きな林檎が一つ握られていた。

 
「むぅ。失敗だったか。もう2,3個持ってくれば良かった。まさか家を出る前に食べることになるとは思わなかったな」


 幼い外見には似合わない尊大な口調で真っ赤な林檎を残念そうに見た少女は雨に濡れる事も気にせず林檎にシャリッとかぶりつきその甘さに今度は年相応の無邪気な笑顔を浮かべる。


「ん。やはり美味しい……探知結界に察知されたのは誤算だったが忍び込んで正解だったな」


 わざわざ地下倉庫に林檎を取りに行かなければ察知される事もなく、もっと楽に逃げ出すことが出来ただろう。だが少女にはそんな考えは毛頭ない。
 旅立つ前に一番の好物である中庭の庭園で採れた林檎を持っていきたかった。これが全てである。
 現にこうやって林檎は手元にあるのだから、その数と早々と食べてしまう事に対する不満はあるがそれ以外は特に気にしていない。
 良く言えば大らか、悪く言うなら大雑把。あまり細かい事にこだわらない所がこの少女にはあった。


「それにしてもどうするか……さすがにさっきみたいな不意打ちは二人相手では無理だな……捕まればミュゼに叱られるし、お祖母様が戻られたらお仕置きされてしまう……大願成就のためにも戻るという選択はありえない……かといって階段回廊の方から人が廻ってくる気配もないか」


 林檎をしゃりしゃりと食べながら少女は捕まった時の未来を考えた。
 従者にして従兄弟の姉に怒られるのもさることながら、普段が優しい祖母が怒るともう一人いる厳しい祖母以上に恐ろしい。その事をよく知る少女は怒りの様を想像しびくっと背筋を振るわす。ましてや守備隊の一人を思いっきり殴り倒した事が知られれば過去最大の怒りを買う事は必須。 
 先の事を考えるなら、今回は諦めて次の機会を伺うという選択肢もあるのだろうが、叱られたくはないという子供らしい思いが少女にもう後には引けないと決意させていた。
 だがそう易々と思うようにいかない事も少女は重々承知している。
 不意をつけたのはあくまでも先ほどの騎士が少女の存在に驚き油断していたからにすぎない。逃げるだけなら後れを取る事はそうそうないが、直接的な戦闘では守備隊騎士達には到底及ばない。
 逃げ続けて引っかき回していればそのうちに業を煮やし下の湖へと続く階段回廊を封鎖している騎士達の一部も追跡に来るだろう。その隙に突破すれば良いという予測も外れてしまった。
 唯一少女にとって有利なのはまだ自分の正体がばれていない事くらいだろうか。
しかし先ほど倒した騎士は通信魔具は壊して縛り付けて森に放置したがいつ目覚めるか判らない。騎士の口から正体がばれたら追っ手の騎士達も、相手が少女なら多少のことなら大丈夫だろうとある意味遠慮が無くなってくる。
 もっと早く階段回廊に近づけていれば他の手もあったかも知れないが、まだここは離宮と回廊の中間点ほど。突破しても突破しても回り込んでくる巧みな騎士達の配置で思った以上に南に下れなかったのが痛かった。


「バインドめ。頭は硬いがやはりお祖母様が選んだだけあって優秀だ。しかも勝負に出たな」


 騎士達の配置が換わったのは必要以上にこちらを警戒し森に騎士を分散させるのを止めてパ-ティによる連携戦を仕掛けてくる兆候だろうと、守備隊長の慎重でありながら必要とあれば大胆な手も打つ性格から少女は予測する。
 一対多の状況になれば不意を突くのは難しく早々に捕まるのは必至。だが網の目が広がり立て直しが出来ていない今この瞬間が最後の好機である事も事実。


「ん……仕方ない。抜け道と潜伏でいくか……登ったことはあっても降りたことはないが、まぁ私なら何とかなるだろう。ちょっとお腹もふくれたし全力だな」


 まだ幼くあるが明晰で回転の速い頭脳を持つ少女は活路をすぐに見いだし、芯だけになった林檎を名残惜しそうに見てから口に放り込むと立ち上がる。
 目指していた階段回廊へのルートをあっさりと見限り、林檎の芯をポリポリと囓りながら、先ほどまで引っかき回す為にわざと抑えていた移動速度を全力にし、包囲網が再度配置される前に抜けようと強い風が吹き荒れる中を西へと向けて突き進み始めた。


















 
『再発見! っ! さっきよりも速いぞ!? 猿か!?』


『西に向かってる! あっちは崖だぞ!?』


 通信魔具から次々と上がる部下達の驚愕の声に守備隊長は忌々しげに眉を顰めながら水をかき分ける足を速める。
 風雨はますます強くなっている。春嵐本体がもうすぐ其処まで迫っているのだろう。
 先ほどまでは何とか南に抜けようとする様子が見られた侵入者の動きは急に変わった。 こちらが再包囲を完了する直前に姿を現し動き始めたかと思うと、まったく別の方向へさっきほどよりも速い速度で動いている。南側へ抜けるルートへと重点的に配置していた事も裏目に出て網を完全にすり抜けられ追いかける状態。
 だが侵入者が一直線に向かっているのは西側……そちらは断崖絶壁の崖しかない袋小路だった。


『ひょっとして何も知らないで浮遊か飛翔で崖を降りる気なのか?!』


『馬鹿野郎! 魔力吸収域のことなら俺んとこの三歳のガキでも知ってる! そんな訳あるか!』


 龍冠に立ち入る事ができる者は極限られている。しかしその大まかな風景や特徴等は始祖の英雄譚や過去の皇族が描いた風景画等である程度は知られ、魔術が使用できない湖を龍を迎え撃ちながら越えていく始祖達の苦難は吟遊詩人達によく謳われる場面である。
 湖の上空に雲まで届くほどの高さで広がる特殊な領域【魔力吸収域】。ここではよほど膨大な魔力量を持つ存在。それこそ龍でもなければ魔術行使は不可能。そんな事は子供でも知っているといえる。
 浮遊も飛翔も使えず高い崖から身を躍らせるなど無謀の極み。もし無事に降りれたとしても深い為に凍る事はないが雪解け水で出来た湖水は容易く人命を奪うほどに冷たい。


「落ち着け! 逃げられないと悟りを背後関係を探られないために自ら命を絶つつもりやもしれん! それに上級探索者であればこの程度は何とかなる! むしろ森を抜ければこちらの物だ! 油断せずに追い詰める事に専念しろ!」


 慌てふためく部下達に守備隊長は叱咤の声を叩きつける。
 森から崖の間には僅かだが開けた平地があり其処ならば数の有利が最大限の力を発揮する。侵入者の思惑は予想通りなのか、それともまったく違うことか。だがどちらにしてもやる事は変わらないと守備隊長は左腰の鞘を抑えながら森の出口へと続く遊歩道をひた走る。


「……っ! 危ね! 根が張り出してる! 後ろ! 気をつけろよ!」


「……っちだ! 違う! 左前方! そっちの裏側に抜けた!」



 徐々に森の木々の向こう側に幾つもの灯りが浮かび、通信魔具越しではない怒声や罵倒が聞こえてきた。
 森の出口へと近付く事に徐々に騎士達が集結している。それは侵入者が徐々に近付いているということでもある。
 走りながらも息を整えいつでも抜刀できる体勢を作った守備隊長は森を抜ける。 
 防風林である森を抜けると風はより強く吹き荒れており、木々に遮られていた大きな雨粒が音を立てながら守備隊長の軽鎧にぶつかっていく。途切れなく落ち始めた雷光が周囲を真昼のように明るく染め始めている。
 天候は最大に荒れ始めている。大陸中を蹂躙した春嵐がついに龍冠直上に到達したのだろう。
 

「其処までだ! 動くな!」
 
 
 崖の直前で足を止めて立ち止まり雷光に照らし出される小さな侵入者の背中に向けて守備隊長は抜刀して警告の声を発する。
 だが侵入者は守備隊長の警告には何の反応もせず長柄を肩に担いだまま湖を見ている。
 諦めたのか、それとも何か企てているのか。
 その背中からは窺い知ることは出来ない。


「半包囲陣! 距離はこのまま!」


 彼我の距離は20歩ほど。距離を保ちながら守備隊長は侵入者の出方を見る。
 次々と森を抜けてくる騎士達は守備隊長と同等の距離の半円形の配置についていく。多方向からの同時攻撃を捌ける者などそう多くはいない。
 最後の騎士が森を抜けて配置につき包囲網が完成する、と同時に侵入者が突如振り向いた。
 騎士達が一斉に身構える中、侵入者の声が響き渡る。


「ん。やはりお前達は優秀だな。ここまで追い詰められるとは思わなかった。これなら安心して去ることが出来る。だから褒美だ。ミュゼに手紙を残した以外は誰にも何も言わないつもりだったが別れの挨拶をする事にした。感謝しろ」


 雷鳴轟く中にも朗々と響く幼くも通る声とそれには不釣り合いな傲岸不遜な物言い。
 それは騎士達にはあまりにも聞き覚えのある者の声と話し方だった。その正体に誰もが一瞬で気づき呆気にとられ声を失う。
 彼等が必至で隠し通してきた秘匿存在。帝国の命運を握るといっても間違いではない少女。
 予想外の事態に守備隊長も動けずにいる所で侵入者は顔を隠していたフードを脱ぎ捨てる。
 黒檀色の艶のある黒髪と少し吊り気味の勝ち気な目に浮かぶ同系色の瞳で騎士達をぐるりと見回すその顔には楽しげな笑顔が浮かんでいた。


「私の事情は皆知ることだな。だからあえて何も言わん。とにかく私は生まれ変わることにした。だからこの姿で会うのはこれで最後だ。バレイド。お祖母様達のことは任せたぞ。お前なら信頼できる。あぁ、それとデュランは森に転がしてあるから拾ってやれ。武器代わりに持ち出した燭台で思いっきり殴り倒したが、蝋がクッションになったから死んではいないだろう」


 妙にサバサバしているが遺言めいた物を一方的に言い切った少女はくるりと騎士達に背中を向けると遙か眼下の湖へと目をやり、そしてあっさりと崖に向かってその身を投げ出した。


「「「「「「「っ!」」」」」」」


 予想外の事態に固まっていた騎士達が思わず息をのみ、幾人かはとっさに少女が身を投げた崖に駆け寄ろうとする。その先頭は守備隊長である騎士バレイドだ。
 何としても助けようと自然と身体が動いていたのだろう。


「くっ!」


 しかし突如目の前が明るく染まったかと思うと間髪入れずに衝撃を伴う轟音が響き渡り、バレイドの身体は吹き飛ばされていた。


「っ! なんだ今のは!?」


「お、おそらく。雷です! けが人はいるか?!」


 とっさに動かずにいたために被害を免れた騎士の一人が答え、同僚の無事を慌てて確かめる。
 少女が身を投げ出した崖。まさにその位置に巨大な落雷が降り、騎士達の接近を阻んでしまったのだ。
 

「雷だと。なぜこの瞬間に」


 衝撃で痺れる身体を無理矢理に力を入れて立ち上がったバレイドは空を見上げる。
 いつの間にやら雨は止んでいる。それどころか天を覆い尽くしていたはずの黒雲は忽然と姿を消し、雲一つ無い満天の星空と白く染まる月に照らし出される夜空が姿を現していた。
 嵐の残滓は周囲に残る水と未だ強く吹き荒れる風だけ。今年の春嵐も龍冠直上で忽然と姿を消してしまった。
 それと同じように少女もまた目の前から姿を消してしまった。
 

「なぁ……夢じゃねぇよな。あれって。まさか絶望して命を断たれたってことなのか」


 誰もが続いた異常事態に呆然とする中、腰が抜けたのか座り込んでいた一人の騎士が声をあげる。
 少女の最後の物言いと状況は自殺したと思わせる。だが言葉を発した騎士本人も信じられないといった表情を浮かべていた。


「んなわけあるか! 自分から命断つような性格か!?」


 同じように倒れていた隣の騎士が立ち上がりながら怒声をあげる。理不尽すぎる状況に抑えきれない怒りがわいているのだろう。


「だがよ。ここ一年間の間に起きたこと考えてみろよ。お母上亡くした上に出生の事まで知ったんだぞ。その上魔力も瞳の色も無くして、かなり落ち込んでただろ……万が一って事も……悪い。やっぱ無いわ。そうなると何時ものアレか」


 倒れ込んだ拍子に泥だけになった軽鎧を手で拭う騎士が溜息混じりの声で呟くが、少女の性格を思いだしたのか途中で意見をひるがえし、ある事に思い当たる。
 一応は不敬罪に当たるので言葉を濁しているが、それは少女の代名詞ともいえる特徴だった。


「アレだろ」


「アレだな」


「どうにかならんのか突き抜けたアレっぷりは。つーか助かる目算あったのか。ここから飛び降りて」

 
 ここにいる者達は皆、幸か不幸か少女の能力と性格をよく知っている。
 傍若無人で傲岸不遜。常に強気一辺倒で引くことを知らない猪突猛進ぶり。そして年齢離れした異常なまでの戦闘能力と、それすら霞むほどの異常思考。
 世界に絶望して死ぬくらいならば、世界中の自分が気にくわない者を全て斬ればいいと真顔で宣う少女ならば、どのような状況であっても自ら命を絶つという事は有り得ない。
 崖から飛び降りても助かる確信か方法があったのだろう。少女だけに通用する思考の中では。
 ここにいたり少女が何時もの特徴的な行動に出たのだろうと全員が一斉に考えどうにも抑えきれない溜息を一斉に吐き出すとバレイドに目をむけた。


「すぐに帝都の陛下……はまずいな。カヨウ様に詳細連絡。ケイネリア様が過去最大の”アレ”な事をしでかしたと。それで伝わる」       


 少女の特徴。それは常人離れした肉体能力と卓越した頭脳を持ちながらある事情からあまりにも一般離れしてしまった思考に基づき、他者には理解できない独特的すぎる行動を起こす事にあった。
 端的に言えば少女は”バカ”である。それも過去に類を見ないほどの。

























 初めましての方。お読み下さりありがとうございます。
 そして旧作より引き続きご愛顧いただけます方。誠にありがとうございます。
 掘り下げが足りないと消去して再投稿という更新停止フラグが立ちっぱなしですが何とか序は終わりました。
 いろいろ設定が出ていますが細かいのは作中でそのうちに。
 キャラだけ掘り下げるつもりが、世界設定を掘り下げたり、統一言語の設定やら広がった理由、金銭価値の見直し等々と全体的に手をつけた上に、異世界物の別作も書くと趣味全開になっておりました。
 序①の誤字脱字の山に脳が止まってるなと思いつつ、ご指摘に大変感謝して修正いたしました。今後も容赦なくご指摘いただけると助かります。

 次は迷宮のある大陸へと移動して本格スタートの予定です。
 タイトルは【剣士と薬師】の予定で砂漠迷宮が舞台の話となります。
 旧作をお読みの方なら誰が出てくるか何となく判ると思いますが突っ込みは無しの方向でw
 もう一人の主人公。女主人公に匹敵する天才にして遙かに上を行く異常者たる鍛冶師見習いのエピソードもいくつか入れつつまったりいきますのでお付き合いいただければ幸いです。


 稚拙な小説ですがお読み下さりありがとうございます。
  



[22387] 剣士と薬師 ①
Name: タカセ◆f2fe8e53 E-MAIL ID:4e98e308
Date: 2010/10/16 23:14
 太古の神の一柱にミノトスという神がいる
 生命に試練と褒賞を与える迷宮を司るミノトスは常に悩みを抱えていた。
 いかに趣向を凝らした悪辣な罠を仕掛けようとも凶悪なモンスターを徘徊させようとも一度踏破されたダンジョンはその意義を失う。
 難敵を攻略する為の情報が飛び交い迷宮の秘密は暴露され略奪された宝物が戻る事はない。     
 何千、何万の迷宮を製作し、やがて彼は一つの答えに到達する。
 そしてその答えを、長い年月をかけ、形として作り上げた。
 それこそが『生きる迷宮』 
 街を飲み込むほど巨大な蚯蚓が複雑に入り組んだ主道を作る。
 地下を住処とする種族がその穴を通路へと変え、末端を広げていく。 
 迷宮から持ち出された宝物は、所有者の死亡や物理的な消失に伴い、神力、魔力の粒となり大気へと消えやがて、風や水に運ばれて迷宮に再び舞い戻り宝物として再生する。
 神域へと近づいた職人や理を知る魔術師。異なる世界を観る芸術家。彼らによって生み出された新たなる宝物には、神印と呼ばれる記章が浮かび上がりやがて運命に導かれるように迷宮へとたどり着く。
 数多く存在する宝物が放つ神力、魔力に魅了されたモンスターが自然に集まり、大規模な群れを形成し異種交配を重ねて新たな種族が生まれていく。
 その存在が世に知れ渡って既に千年以上。 
 いまだ拡張を続け、古き宝物が戻り、新しい宝物が発生し、太古より生き続ける伝説のモンスターが徘徊し、日々図鑑にも載っていない未知の種族が生まれる。
 世界で唯一の生きたダンジョン。そこは【永宮未完ミノトスの宝物庫】


















 トランド大陸は世界でもっとも大きな大陸である。
 北は年中凍りつく極寒の海に接し、南は赤道を少し超えて南方のルクセライゼン大陸との間に狭い海峡を作るまでに南北は長く、東の端から西の端まで歩けばそれだけで世界を半周した事になるほど長大だ。
 広大と呼ぶのが馬鹿馬鹿しくなるほどにひたすらに広い広いトランド大陸。ここは別名【大陸迷宮】とも呼ばれている。
 その理由は数多くの迷宮があるから…………ではない。厳密に言えばトランド大陸に現存する迷宮は一つしかない。その迷宮こそが【永宮未完】と呼ばれし迷宮神ミノトスの手による迷宮である。
 大陸の隅から隅まで根を広げる永宮未完は、地上、地下だけでは飽きたらず果ては天空までも迷宮化させ、日々拡張し形を変え続けている。その規模は大陸その物が迷宮と言ってもあながち大袈裟な表現では無い。
 大陸のあちらこちらに特徴が大きく異なる迷宮が群をなし、到る所に迷宮への入り口が口を開いている。
 迷宮への入り口近くには迷宮探索によって富や名声を得ようとする者達、所謂探索者達が集まり、彼等に物資を売る商人や武具を整備する職人達が商店や工房を開き、彼等が持ち帰る迷宮資源による利益によって其処に街が出来て、やがては国へと発展していく。
 迷宮に隣接し発展していった拠点都市は大陸中に数え切れないほどある。
 トランド大陸内陸部。世界地図でも下手な島より大きく描かれるほどの砂の大海【リトラセ砂漠】と其処に存在する砂漠迷宮群に隣接したオアシス都市ラズファンもそんな拠点都市の一つである。
 南方の山岳地帯で降った雨が地下に染み込み長い年月をかけて岩砂漠の一角に湧き出る。湧き出るその水量は年に雨の降る日が一,二回という極乾燥地帯にあるラズファンに【水都】と異名を与えるほどに膨大であり、過去にはこの都市の所有権を巡り幾たびも戦争が起きている。
 だがそれも昔の話。今はラズファンとその周辺地域は戦争という一点のみで考えれば平和その物といっていい。
 その理由は全世界の国家に対して大きな影響を持ちつつも国の大小に関係なく中立的立場をとるある組織がこのオアシス都市を運営管理しているからに他ならない。
 組織の名はミノトス管理協会。迷宮へ潜る探索者達の支援及び迷宮資源を一元的に管理する巨大組織である。
 迷宮資源の転売や高い加工技術による商品製造などで潤沢な資金を誇る管理協会直下のラズファンでは税率が極端に下げられており各種娯楽施設も豊富な事もあって、探索者のみならず個人旅行者や団体観光客、大陸中を行き来する交易商人や大キャラバン隊が日々訪れる活気ある都市としてますます発展していた。
 そんなラズファンの南噴水広場は夕食一回分ほどの手数料を払えば、誰でも三日間の間店が開ける自由市が開かれている。
 自由市といっても馬鹿には出来ない。日中は外を出歩くのも嫌になるほど熱くなる砂漠の都市にとって、露店商のチャンスは朝と夕方の涼しい時間帯に限られる。
 短い時間に少しでも多くの客が来るようにと皆が考えるために多くの商売人が集まり、この自由市には日用品から食料品、そして砂漠越えのための道具や武器防具などまで多種多様の商品が並んでいる。
 そしてファランズの自由市には店を開く資金は持たないが目利きの若手商人が仕入れてきた値段が安い割りには優良な品や、新進気鋭の職人が作り出した新規技術を用いた試作品等、所謂掘り出し物が時折出てきたりもする。
 その反対に低品質な品や形だけ似せた模造品がゴロゴロしているといった一面もあるが、だからこそ白熱した値段交渉や、喧嘩腰の真贋論争が市場のあちこちでやり取りされ、ラズファンの中でも、もっとも活気に溢れている地域の一つといって良いだろう。
 そんな市の北の角。武具を売る者達が自然と多く集まって、まるで世界中の武器を集めた展示会の様相を呈している見た目から通称【武器庫通り】と呼ばれる場所に店を開いた一軒の露店の前でも、朝も早くから店主と客が激しいやり取りを繰り広げ衆目を集めていた。




 
「てめぇには無理だ! こいつは売る気は無いって言ってるだろうが!」


 周囲一帯に強い怒鳴り声が突如響く。
 その怒鳴り声に露店を息子に任せて、奥の方で折りたたみの椅子に腰掛けうつらうつらと船をこいでいた老人が目を覚ます。
眠りを妨げられた老人は凝り固まった肩をごきごきとならしてからタバコを取り出し火をつけると、聞こえてくる怒声を肴に煙を上手そうに吸い始める。


「またクマの所か。あいつ客の選り好みが激しいからな。商売気あるのかね。ふぁぁぁ……あいつの顔で怒鳴られたら客が逃げるじゃねぇか」


 聞こえてくるのはクマという通称にあった外見を持つ交易商人仲間の声だけだ。
 相手の客の声が聞こえてこないのは怖がって声も出ないのだろうと老人は欠伸混じりに煙を吐き出しながら考える。
  

「商売気って人の事は言えんだろ親父。居眠りしてる暇があるならクマさん所にいって仲裁してきてくれ。あんまり騒ぎ起こしてるとうちの商隊そのうち出入り禁止になるぞ。店は俺が引き継いだけど商隊長は親父だろ」


 メモを手に客の応対をしていた二代目である老人の息子が持っていた鉛筆を振って、とっとと行ってくれと催促していた。 
 店主と客の喧嘩一歩手前の交渉は市の名物だがあまり度が過ぎると警備兵に目をつけられる。
 人脈を財産とする交易商としては大店との取引だけでなく、こういった市での個人客との関係も大事だと息子達に教えたのは老人自身であった。
 その手前、市の出入り禁止も困るし自分の客をほっぽり出して仲裁にいけとは息子や近くの仲間にも言えない。


「やれやれしゃあねぇな。いってくらぁ」


 結局半隠居状態の老人本人しか適任がいない。タバコの煙と溜息を吐き出すと老人は面倒そうに立ち上がった。




 

 





「おう兄ちゃんごめんよ。関係者だ。通してもらうよ……っておいおい。なんだよクマの奴は。あんなおちびさん相手に大人気ねぇな」


 飄々とした態度で騒ぎが起きている露店の前にできた見物人をかき分けて一番前に出た老人は、その喧嘩を見て咥えタバコで呆れ顔を浮かべる。
 投擲用、狩猟用と用途別になった各種ナイフや革製の小手が移動式のケースに並び、その横の簡易台には長さと太さが微妙に違う一般的なロングソードや、小さめのスモールシールドの類。
 後ろの方にある頑丈な作りの組み立て台には長槍やぶ厚い両手剣が立てかけられている。
 露店の一番手前には簡易机とその上には商隊が共同で借り受けた短期倉庫に預けてあるかさばる防具や武具の記載されたカタログが置かれたオーソドックスな構成。
 そんな武器露店の真ん前で四十ほどの日に焼けた浅黒い肌の店主が額に青筋を立てて怒鳴っていた。
 筋肉質の大男で獣の爪痕の二筋の傷が頬に平行にはしり、その体格と爪痕から仲間内ではクマと呼ばれており、体格に似合った大きすぎる声はよく響き騒々しい武器庫通りでの客寄せには良いが、喧嘩となると途端に悪目立ちしていた。
 一方その相手はというと砂漠越えの旅人によく使われる日避けの厚い外套に全身を覆い隠している。
 全身が隠れているために種族は判らないが、身長は怒鳴っている店主の半分ほどしかない。それほど小さい。いくら店主が大柄と言ってもあまりに差がありすぎる。
 成人しても人の子と同じ大きさにしかならない種族は数多くいるが、長年交易商人として数多くの種族と関わってきた老人の勘が、その立ち姿から想像できる骨格や見せる仕草で中身は人間だと言っている。
 人間であの大きさではまだ中身は年幼い子供だろう。
 己の技量を考えずに高い武器をほしがる子供は武具一筋の店主が一番嫌うと知っている老人だったが、もう少し穏便に諭せないのかと呆れていた。


「あーそうでもねぇぞ爺さん。あれが相手じゃ怒るの無理ねぇわ。むしろ殴らねぇから人間種は我慢強いって感心してた。俺等の種族ならとっくに殴り合いだ」


 老人のぼやきを聞いた隣にたつ獣人の若者が話しかけてくる。
 どうやら若者は最初の方から見ていたらしいが客よりも店主の方に同情しているようだ。


「どういう事だい獣人の兄ちゃん?」


「見てりゃわかるよ」


 尖った爪先で獣人が指し示した小さな客は、店主が浮かべる剣呑な色を含んだ鋭い視線に臆する様子も見せず真正面から向き合っていた。
    








「とっと失せろ!」

 
「お前が売ったらすぐに去るぞ。急いでいるからな。それとさっきから気になっていたんだがあまり大声を出すな。周りに迷惑だぞ」


 大の男でも震え上がりそうな店主の怒声に対して、小さな客はまったく動じる様子もなくむしろ煽るような内容を口にする。
 客の声は口元に巻いた砂避けのスカーフでくぐもって濁り男女の区別がつかない。だが煽るというよりも本人的には本気で忠告しているような雰囲気が声の何処かにあった。
 それがさらに店主の怒りを刺激する。


「ぐっ……迷惑なのはてめぇだ! あぁ! どう考えてもでかすぎるだろうが! 無理に決まってる! さっきから延々言ってるだろうが! 商売の邪魔しやがって!」


「邪魔ではない。お前の店で買ってやろうというのだぞ。感謝してとっとと私に売れ」


「く、口の減らないガキが!」


 何を言ってもすぐに言い返してくる相手に店主は苦々しげに歯ぎしりする。
 恐ろしいのは傲岸不遜すぎる物言いに人を小馬鹿にしていたり、無理して使っている感じがない事だ。
 普段から素にこのような傲慢な口調を使っている子供など大貴族の子弟でもそうはいない。よほど甘い親に我が儘放題に育てられたのだろう。
 しかし貴族の子弟と考えるには妙な事もある。その服装はいつ洗濯したのかも判らないほどの汚れた外套。とても金を持っているようには見えず、これだけの騒ぎになっているのにお付きの従者の姿も見えない。
 その事から目の前にいるのは没落した貴族の子弟ではないかと、怒り心頭ながらも商人として何とか残していた冷静な一面で店主は勘ぐる。
 迷宮で一旗揚げて没落したお家再興でもしようとしている世間知らずの元貴族子弟と予想していた。
 ここで一つ言っておこう。この店主は別に貴族が嫌いで武器を売らない訳ではない。
 武具を扱う交易商人として各国を回る店主もお得意様としての貴族も僅かながら抱えている。
 そして潰れた家の復興を他人に頼ったり神に祈るのではなく、自ら頑張ろうとする貴族がいれば応援しようと思う熱苦しい昔気質な所がある男である。
 ではなぜ売らないのか?
 それはこの男が武具商人として、一端の矜持を持っているからに他ならなかった。


「おうクマ。あんまり騒ぎなさんな。良い気持ちで寝てたのが叩き起こされたじゃねぇか」


 どうすればこの生意気な客をやり込めるかと沸騰していた頭で考える店主に対して、ゆったりとした落ち着けと言わんばかりの声がかけられる。
 それは店主が所属する商隊の長であり商売の師匠でもある老人の声だった。











「親方! あんたからも言ってくれ! この糞ガキにてめぇじゃ扱えないって!」

    
「む……おい。お前はこの男の知り合いか。私は忙しいんだ。早く剣を売るように言ってくれ」


 相手の怒りを意にもしない客に良いように振り回されている店主を見かねて声をかけた老人ではあったが、老人の顔を見るなり懇願してきた店主と、店主の糞ガキ呼ばわりに多少気を悪くしたようだがあくまでも剣を買う事にこだわる客が同時に詰め寄ってきて、二人の圧力を持った真剣さに思わず後ずさる。


「まてまて。クマもお客さんも。俺は今来たばかりでさっぱり見当がつかないんだがどれを売る売らないで揉めてるんだい? 店頭のかい。それともカタログかね」


 まずは何で揉めているのかしっかり聞き取らないと仲裁のしようもない。店主は弟子であり商隊仲間でもあるが、なるべく中立な仲裁役に徹しようと二人を落ち着かせるために老人はわざとのんびりとした声で尋ねる。


「「あれだ!」」


 老人の問いかけに二人が異口同音で答えて店の奥を指さす。
 二人の指さす先には組み立て式の頑丈な台に立てかけられた剣が一振り。
 片手持ち、両手持ち両用剣バスタードソードであった。鋼で出来た鈍く輝く長い刀身は斬り突きの両様に適した形状となっており、持ち手に合わせて柄も長くなっている。


「…………あれか」


 剣をまじまじと見た老人は客を見て、もう一度剣を見る。
 生粋の両手剣であるクレイモアーやトゥハンドソードに比べれば、バスタードソードは多少は短いが、柄から切っ先までの長さを合わせれば目の前の客とほぼ同等の長さはあるだろうか。
 しかも重さもそれなりにある。ただ持ち上げるだけならともかくとして、それで戦闘をやるとなればかなりの筋力を必要とする。外套に隠れて見えないとはいえ、どう見てもほっそりとした……幼児体型といっても差し支えないその身体に必要な筋力があるとは思えない。
 目の前の客がもしかしたら駆け出しの探索者であれば、闘気による身体能力強化で振り回すことは出来るのだろう。しかし身長と同等の長さの剣は扱いやすいのかと聞かれれば、商人としての絶対の自信を持って否定できるほどに無謀だ。
 つまりこの客には両手剣の類はもっとも不釣り合いな選択肢といっていい。
 そしてここの店主は客に会う武具を売る事を信条としている。どう言っても売らないだろうし、老人が同じ立場であればもう少し言い方を変えて別の剣、体格に合った小振りなナイフやショートソードを勧めている。
 周りで見ていた見物人が店主に同情的なのも、どう考えてもこの客の方が無理難題を言っていると判るからだろう。


「あれはそこそこにいい品だ。この店の質も他に比べて大分良い方だ。だからここなら良いと思い買おうとしたのに店主が売ってくれなくて困ってるんだ。説得してくれ。あの剣がほしいんだ」


 しかし唯一この客だけはそうは考えていないようで、本気でバスタードソードを欲しがっているのが老人には判る。
 店主もそれが判っているのか、どうにかしてくれと目で老人に訴えかけている。
 本人が欲しがっているなら何でも売ってしまえばいい。それは利益だけを求める二流の商人がやること。これが老人の商売学であり彼等の商隊での教えである。
 あくまでも顧客に適した物を。それが武器防具と直接命に関わる物ならなおのことだ。それで売った客が死んだとあれば、商人としての名折れであり信頼にも関わってくる。
 あの商人は欠陥と判っていて客に売ると悪評でも立てられれば、失った信頼を取り戻すのにかかるのは膨大な時間と手間が掛かる。
 売らないという店主の選択は老人的にも正解なのだが、この客はそれでは納得できず、店主と揉める事態になったようだ。
  

「お客さん、一応尋ねるんだが誰かに頼まれたのではなくて、ご自分でお使いになるおつもりかい」


「当然だ。自分の命を預ける剣を自分で選ばない剣士がどこにいる? 私が使うに決まっているだろ。細い剣だと私はすぐに叩き折ってしまうから頑丈そうなあの剣がほしい。ん……そうだ。出来れば二本くれ。予備だ」


 至極当たり前とばかりに小さな客が胸を張って答える。
 長年客商売をやっている老人は相手の話し方だけでその真意や嘘をある程度なら見分けることが出来た。   
この小さな客はほぼ本心で喋っている。身の丈ほどもある剣をちゃんと使う事ができてしかも頑丈でぶ厚い剣でないとすぐに叩き折ってしまうと困っている。本人が妄想の中だけで信じ切っているだけなのかも知れないが。


「あー…………長くて重すぎないかね。あれは」


「む。お前も同じ事を聞くのだな。だからこそ良いのではないか。私は背が低くて手足もまだ短い。長さの分だけリーチが伸びるし、重さがあれば斬る時に力を込めやすくなるからな。丁度良いあの剣がほしい」


 老人の問いかけに対して客からは先ほどからほしいの連発の即答が続く。
 ここまで来ると嫌がらせや冗談の類では無くて、この客は本気で欲しがっており、無理だから諦めろと説得するのは難しいと認めるしかなさそうだ。


「判った。少し待ってもらえるかいお客さん。売ってくれるようにクマを説得するんで」
 

「いいのか。助かる。礼を言うぞ。ありがとう」


 愛想笑いを浮かべる老人が快諾したと思ったのか小さな客は深々と頭を下げて礼を述べる。口調は傲岸不遜だがその謝辞の礼儀は何処か堂々としていてかつ上品であった。 
 だがそれでは納得がいかないのは店主の方であった。味方になってくれると思った老人がまさか売れと言ってくるとは思わなかったのか慌てて詰め寄ってくる。


「親方! 説得ってどういう事だ! いくらあんたの仲裁でも今回ばかりは」


「判ってるよ。耳貸せ…………この客の説得は無理だ。搦め手でいくんだよ。教えただろ」


 咥えタバコの老人は慌てるでもなく店主の首を掴むと耳打ちする。


「クマ。お前さんは値札を出してなかったよな。ちゃんと武器の価値を見られる客に売りたいなんて青臭いこと言ってよ、交渉ん時の初値を客に決めさせてたな」


「あぁ、そうだけど勿論赤を喰うような商売はしてねぇからな。才能ある若いのにはちょっとばかし安く売ってやるだけだぞ」


 客自身にまずは値段を決めさせて、その提示した値段から客の武器を見る目やどのくらい欲しがっているのかを判断して、それから値段交渉に臨むというのがこの店主のやり方。
 だから店に並ぶ商品もカタログにも値段の類は一切提示されていない。
 これでは客が寄りつきにくいとは思うのだが、店先に並ぶのは店主が選んだ良品ばかり。自然と目の肥えた価値の判る客が集まり、半年に一回で廻ってくるこの自由市でもそれなりの常連を掴んでいた。
 

「あんまり客を選り好みしない方がいいんだけどよ。それはともかくだ。俺の見たところあの剣の仕入れは金貨で四枚って所か? それで何時ものお前さんなら交渉で十枚前後辺りの売値にするだろ。だが今回はお前が値段を決めろ。買う気が起きなくなる程度の高値でな。買う気だけはあるお客を商売を妨害されたって警備兵に突き出すわけにもいかんだろ。自分からご退散願うのさ」
 
 
「なるほど……さすがは親方。面倒な客の扱いは慣れたもんだな」


「てめぇが下手なだけだ。この程度そこらの若造でもすぐ思いつくんだよ。とっとと騒ぎ納めろ。それとあとで周りに詫び入れとけよ。同業に恨まれると商売がやりづらいからな」


「任せろ親方」


 吹っ掛けて追い払っちまえと囁く老人の言葉に合点がいったのか、店主は小さく頷くと内緒話を切り上げて客の方へ向き直る。


「ガキ。売ってやる……ただし共通金貨で百枚だ。一枚たりともまけねぇからな」


「おいおい。いくら何でもそいつは」


「共通金貨が百もあったら一年は遊んで暮らせるぞ」


「……吹っ掛けすぎだ。相手が買うのを諦める程度に抑えろってんだ馬鹿野郎が。それじゃさっきまでと同じだ」


 買える物なら買ってみろと言わんばかりの獰猛な顔で睨みつける店主の口からでた値段に周囲がざわつき、背後の老人がこりゃぁ長引くなと煙と共に溜息を吐き出す。
 トランド大陸のほぼ全域で使われる共通金貨だが、それが百枚などよほどの高額取引でも無ければ出てくる金額ではないし、人混みに溢れたこの自由市でそんな大金を持ち歩いている不用心な者がいるはずもない。
 店主の発言は売る気はないと言ってると同じような物である。
 一方肝心の客の反応と言えば提示された値段に腕を組んで何も答えようとはしない。異常すぎる高値に呆気にとられているのか、馬鹿にされたと怒りのあまり声も出ないのだろうかと反応を見守っていた誰もが思った。だが違った……


「ん、百か…………二本は無理か…………それに足が無くなるが、何とかなるか。よし買った。丁度百枚入っているから受け取れ」


 少しだけ悩んだ素振りを見せていた客はあっさり頷くと外套の中に手を突っ込み腰に下げていた革袋を二つ取り外して簡易机の上にどかっと乗せる。
 二つの革袋には大陸全土で信頼のある銀行の屋号焼き印が刻印され、共通金貨五十枚と書かれた保証書付きの封印が厳重にされていた。


「一つ開けるから中身を確かめろ」


 客は躊躇う様子もなく革袋の一つに手をかけるとびりびりと封を破って口を開く。ずっしりとした重そうな革袋の中に満帆に詰まっていたキラキラと光る金貨が机の上に音を立ててこぼれ落ちていく。
 無造作に置かれた大金に店主は声もなく固まり、周りの見物人も静まりかえる。飄々としていた老人も口に咥えていたタバコが地に落ちたのに気づかず唖然としていた。
 老人もやり手の交易商人として長年商売をやっているが、いくら良品とはいえ魔術付与もされていないただの新造剣に金貨百枚を出すような者は見たこともなかった。 
 みすぼらしい外套を纏った客が惜しげもなく大金を支払う。誰もが白昼夢を見ているかのような現実感の無い光景に言葉を無くす。


「もらっていくぞ」


 しかし当の客本人は平然とした涼しい声で言い切ると、固まっている店主達を尻目に勝手に露店の奥へと進むと、背伸びして手を伸ばし棚のバスタードソードを外すと、横に合った付属の鞘にボタン式のベルトで固定する。


「まったく余計な時間を食った。剣を一振り買うだけで何でこんなに苦労しなくてはならないのだ」


 身長ほどある剣を背負うのは無理だと判断したのか柄を右手に持ち肩に担ぎあげ、ようやく用事が終わったと文句をぶつぶつと言いながら早々に去ろうとする。その背は何処か急いでいた。
 

「ま、まて! おい! 勝手に! 持ってくな! 偽金かどうか確かめてもねぇぞ」


「クマ……こりゃ本物だわ。革袋も中身も。あの銀行は協会関連で管理がしっかりしているから偽が混じることもない。共通金貨で一袋五十。2つで百。きっちりあるぞ」


 慌てて呼び止めようとした店主の横で、未開封の革袋とこぼれ落ちた金貨の一枚を手にとってしげしげと見ていた老人が驚きの声を上げる。
 身につけている外套は薄汚れているが、どうやらこの客は相当な金持ち……それもバカな金の使い方をする放蕩家なのかもしれない。


「本物なのは当たり前だ。その銀行は信頼があると聞いている。それに先ほど開店と同時に受け取ったばかりだからな。一枚たりとも使っていないぞ」


 呼び止められた客は振り返る。疑われるのが心外だと言わんばかりに答える胸を張ったその様子は小さな体格に似合わず何処か偉ぶっているようにも見える。


「くっ! 自分の姿を見てみろ! あんたはそいつを肩に担ぐのがやっとじゃないのか?! 使えない武器を持ってて死なれたとあっちゃ売った側の俺が商人として納得いかないんだよ! だから頼む! その剣はやめてくれ! 他のあんたの体格に適してる剣ならいくらでも安く売るからよ!」


 使いこなせるはずもない長大な剣を売るなど出来ないという商人としての矜持が頑固な店主に頭を下げ、先ほどまで怒鳴っていた客に対して頭を下げ懇願するという最後の手段を使わせる。
 しかしそんな店主の言葉に顧客は少し不機嫌そうなうなり声を上げた。
   

「む……しつこいぞ。私の技量を疑っているのか。なら良い。見せてやる」


 客は左手を外套に突っ込んだかと思うとごそごそと漁って何かを取り出し、店主に向かって見せつけようとその手を突きつける。
 客の手の中には硬い殻に包まれた小さなクルミが一つ握られていた。
 このクルミで何をしようというのか? 
 店主や老人。そして周囲の見物人の疑問の視線がそのクルミに集まるなか、客は手首のスナップで小さなクルミを高々と真上に放り投げる。
 周囲の者達の目が思わずそのクルミの動きに合わせて上空を見上げた瞬間、バチバチと何かが弾け飛んだ音が聞こえる。
 それは剣を固定していた鞘のベルトを留めるボタンが弾ける音。店主や老人達が音の正体に気づくのよりも早く彼等の視界の中を黒い影が走り抜け、微かな風斬り音が響く。
 圧倒的な速度で通り過ぎる影が空中に浮かんでいたクルミを真っ二つに断ち切った事に気づいたの者は、数多くの見物人のなかでも動体視力のよい獣人や現役の探索者達などごく僅か者達だけだ。
 大半の者は次に響いた声で何が起きたのかを知る事になる。
 
 
「まったく……私の腕を疑うとは失礼な奴だな」


 幼くもよく響く声が響く。
 その声の主はいつの間にやら抜き身となったバスタードソードを右手一本で軽々と構えた小さな客。その左手には真っ二つになったクルミが握られていた。


「……お、女?」
 
   
 剣を振るった勢いで外套のフードが外れたのだろうか、露わとなった客の素顔をみて見物人の一人が唖然と呟く。
 少し吊り気味の勝ち気な黒眼と、あまり手入れをしていないのかぱさぱさした質感の長そうな黒髪を首の襟口から無理矢理外套の中に突っ込んでいる。
 口元に巻かれた砂避けのスカーフの所為で下半分は隠れているが、十代前半の少女……それも整った造型の見目麗しいというべき顔が姿を覗かせていた。


「これで今度こそ文句はないな。私は忙しいんだ。余計な手間を取らせるな」


 左手で掴んでいた真っ二つに割れたクルミを机の上に放り投げた少女は地面に落ちていた鞘を拾い剣を鞘に仕舞っていく。
 机の上に置かれたクルミの殻にはヒビ一つ無くただ真っ二つに断ち切られている。
 小さく硬い殻に包まれたクルミを叩き割るのではなく綺麗に両断し、しかも弾き飛ばさず真っ直ぐに手元に落として見せた。それも自分と同じ長さの剣を用いて。
 その卓越した腕と人混みで混雑した通りのど真ん中でいきなり剣を振るう非常識さと合わせて信じがたい物であり、誰もが凍りついて何の反応も示すことが出来ずにいる。


「だがやはりそこそこに良い剣だったから特別に許してやる……ん。そうだ店主。ついでに一つ忠告をしてやろう。心して聞け」


 右肩に剣を担ぎ直した少女は凍りついた周囲の様子を気にも止めず去ろうとしたが、一端立ち止まって呆然としている店主の顔をまじまじと見つめた。
 



[22387] 剣士と薬師 ②
Name: タカセ◆f2fe8e53 E-MAIL ID:4e98e308
Date: 2010/10/16 23:13
「赤毛の姉ちゃんよぉ。俺はよまだ街で店を構えてないが交易商人として真面目に真剣に商売してたんだよ……それがよぉ、あんな小娘に虚仮にされたんだぞ。判るか俺の無念さ…………クソ。全然酔えねぇ……マスター! もう一杯!」


 酒場奥のカウンター席に腰掛けて赤ら顔でオイオイと男泣きしながら愚痴をこぼしていた酒臭い大男は大ジョッキをの麦酒を一気に煽り飲み干して、空になったジョッキを叩きつけるように置いて次の酒を注文した。 


「しかもよぉ。最後の最後に吐きやがった捨て台詞! 何つったか判るか姉ちゃん?」


「あぁー…………はいはい。なんて言ったのかお教え願えますか?」


 泣く子と酔っぱらいには逆らうな。
 理屈が通じない相手に対してはともかく合わせてしまえと、右隣に座る赤毛で長身痩躯の女性がうんざりした顔でおざなりながらも大男に続きを促す。


「『武器屋として大成する気ならば人を見る目を養った方が良いぞ』だ! 俺の半分も生きてなさそうな小娘だぞ! 俺は十六の時から三十年、三十年だ! 武器屋として客に関わってきたんだぞ! 少しでもそいつに適した武器をって何時も考えてるんだよ! それがそれが…………くぅぅぅっ! 畜生が……あんな小娘に……」


 憤懣を抑えきれない男は店員が持ってきたジョッキを引ったくるように掴みアルコールの強い蒸留麦酒をまたも一気に煽り飲み干したかと思うとカウンターに突っ伏して呪詛やら怨念めいた言葉を吐き出し始める。
 大人。しかも筋肉質で人相も凶悪な大男が人目もはばからず酒場のカウンターで泣きながら荒れ狂う。人の注目を集めそうな光景だったが、酒場にいる百人近くの客や店員達二は気にした様子もない。
 たまに新しく店に入ってきた新規客が酒場中に響く大声にぎょっとした顔を浮かべるが、入り口近くに陣取っている常連らしき客から簡単な事情説明をされて同情的な視線を女性に僅かに送るくらいで後は極力無視している。
 男の大きな声の所為で店内にいれば男の身に起きたのか嫌でも聞こえてくるのだから、下世話な好奇心は満たされるし、何より下手に関わってあの延々と続く愚痴に直接巻き込まれてはかなわない……あの赤毛の女性のように。それが店内にいる全員の共通認識となっていた。 


「なぁ赤毛の姉ちゃん聞いてくれ! 俺ぁよ武具を扱う交易商人なんだがよ…………」


 カウンターに突っ伏して昼間のことを思いだしている内に男はまたも怒りが貯まってきたようで、先ほど話したことも忘れて一番最初から一音一句同じ愚痴というには大きすぎる声で捲し立て始めた。


「……いつまで続くのよこの無限ループ。もう六回目」


 燃えるような赤毛と女性としては長身の痩躯が特徴的な女性は溜息を吐き出した。
 女性の腰ベルトには薬らしき錠剤と液体が入った小さな薬瓶がいくつかと大型ナイフを納めた鞘が一つぶら下がっている。
 ナイフの柄頭には小振りの小さな宝石が填められ、柄にも幾つもの印や魔術文字が刻み込んであり、魔術杖としての機能ももつ儀式短剣だと見て取れる。
 典型的な魔術師スタイルをしたこの女性は大男の偶然横に居合わせただけでまったく面識はなかった。
 だが隣でがばがばと酒をあおっていた男がいきなり泣き出したのを見て話しかけたのが運の尽き。後は延々と愚痴を聞かされるはめになっていた。
 相手にしないか店を変えればいいのだが、基本的に面倒見がいいのと、ちょっとした頼み事をこの店の店員に依頼していた為に女性としてもここを離れるわけにはいかず、早く頼み事が終わることを祈りつつ仕方なく大男の相手をしていたというわけだ。
 




 



 男泣きして愚痴をこぼす男を見て、泣き出したいのはこっちの方だと心中で女性が思っていると、男の向こう側からワインの瓶が一本差し出される。


「いや七回目だ。お嬢さんも人が良いねぇ。まぁ感謝の気持ちだ。もう一本開けたから飲んでくれ」 


 男を挟んで反対側にいる白髪で初老の男が話が巻き戻った回数を訂正しつつ、空になっていた女性のグラスに大男の背中越しに新しく封を切ったスパークリングワインを注いでくる。
 濁りのない透き通った透明さはまるで水のよう。だがグラスの底から微かに沸き立つ小さな泡が弾くその香りは芳醇で、口に含めば微かな甘みと心地よい酩酊を覚えるほどに強いしっかりとしたワインである事が判る。
 あまり酒には詳しくない女性でもその価値が一口で判るほどに相当な上物のようだが、すでに一本を開けてさすがに飽きてきたのと、愚痴を延々と聞かされる今の状況と釣り合うのかと聞かれると首を横に振るしかなかった。


「お爺ちゃん。この人そろそろ止めたら? 飲み過ぎに見えるんだけど……後あたしばかりに聞き役やらせないで貴方も聞いてくれませんか。そちらの連れでしょ」


 もう相手が聞いているのかどうかすらも判らないほどに酔っぱらっている男が、先ほどと同じ話をしているのをちらりと横目で見た女性は老人へと忠告する。


「問題無い問題無い。酒にはドワーフ並みに強いが鳴き上戸なんだよクマは。それに俺なんぞここの前の店で何度も聞いてそらで言えるくらいで飽き飽きしてるんだわ。悪いがもう少し付き合ってくれおくれや。ここの代金は持つからよ。何なら土産もつける。ここの砂トカゲ照り焼き串の持ち帰り専用タレはピリ辛で絶品だ。ほれこれもくってみな。ここのオアシス湖でだけ捕れるラズ蟹を使った蒸し焼き。高級珍味ってやつよ」


女性の言葉を軽く流すと老人は魚の載った皿を差し出す。
 男の相手は面倒だから女性に押しつけてしまえ。判りやすいほどに判るわざとらしい態度の老人は酒のつまみのような感覚で今の状況を楽しんでいるようだ。
 女性が老人を睨みつけるが、まったく意味をなしておらず、むしろその視線が心地良いかのように口元に人の悪い笑みを浮かべている。


「……このクソジジィ、見ず知らずの他人に身内の愚痴をおしつけるんじゃないわよ。ったく。こうなりゃあたしのやり方でやらせてもらうわよ」


 飄々とした老人に腹立たしさを感じた女性は舌を打つと腰ベルトに下がった薬瓶へと右腕を伸ばすと中から小さな赤い丸薬を一つ摘み取り出すと、自分のグラスの中へとポチャンと落とす。
 底から浮き上がってくる泡を受けてゆらゆらと揺れる丸薬は、女性がパチンと小さく指を鳴らすとあっという間にグラスの中のワインに溶け込んで跡形もなく消えてしまう。
 グラスを見てにやりとほくそ笑んだ女性は、左横で延々と大声で愚痴を続けている男の肩を叩く。


「だからよ!あの小娘の体格じゃ、ショートソードかナイフが精々なんだよ! 普通はそうなんだ……なんだ赤毛の姉ちゃん?」


「あーはいはいおじさん。麦酒だけじゃ飽きるでしょ。こっちも飲んだ飲んだ。嫌なことは飲んで忘れるのが一番だって」


 話を途中で遮られた男が不機嫌そうな声をあげるが、女性は愛想笑いを浮かべてグラスをその手に押しつける。


「おいおい。お嬢さん。今何を入れたんだい……って飲むなよクマ」

 
 怪しげな薬入りの酒を見て老人が慌てて止めようとするが、その前に男は女性から受け取ったグラスを一気に開けてしまう。
 すぐ横で行われていた行為にも気づけないほどに泥酔していたようだ。


「否! 忘れようとしても忘れられる訳がねぇんだよ! だから俺は……ぁ……の小娘……探しだ……ほんと……………」 


 忘れるという言葉に反応した男が立ち上がって今までとは違う行動を取り始める。だがすぐに呂律が回らなくなり力なく椅子に倒れ込むと、そのままがくんとカウンターに突っ伏し高いびきをかき始める。
 どうやら一気に深い眠りに落ちたのか、老人が男の肩を揺すってみるが目を覚ます様子はない。


「酔っぱらいを強制的に眠らせるのと二日酔いの症状を抑える効果をもつ魔術薬よ。ちょっと調整したから明日の朝にはすっきりした目覚めを保証するわ……すみません新しいグラス一つ。後、頼んでた旅客便の空きってどうなってます? 特にこれって目的地はないからどこ行きでも良いんで」


 警戒心のなさ過ぎる男に呆れ顔を浮かべていた老人に対し、薬を盛った女性は悪びれる様子もなくその正体を明かすと、カウンターの向こう側にいた店員にグラスと本命の用事はまだかと催促の言葉を投げかける。
 ここは酒場でもあるが、ラズファンを囲むリトラセ砂漠を通行し他の土地へと人や貨物を運ぶ旅客貨物の砂船や、大陸中央部へと抜ける近道である砂漠迷宮ルート越えのために護衛の探索者を募集をする代理申込所としても機能している。
 旅人である女性もラズファンから他へ向かうために、旅客便の空きを探しにこの店へと訪れていた。


「しゃあねぇな。後で若い衆に運ばせるか。ご主人。お嬢さんの勝利祝いだ。レイトラン王室農園の赤。開けてくれ……それにしてもお嬢さんただの魔術師じゃなくて職持ちかい。しかも薬師が当てもなく放浪旅とはまた珍しい」


 男を起こすのを早々と諦めた老人は肩をすくめると、有名酒造が集まる西方のレイトラン国の中でも最高級品の一つである王室謹製ワインをマスターに注文する。
 連れの愚痴に付き合わせた迷惑料としての意味合いもあるが、男を一気に眠らせた薬を作った制作者の腕に対する商人としての興味と老人個人としての賛辞の意味合いもあった。


「別大陸の出身なんでコネがなくて。適当な所で拠点作って工房を開いても良いんですけど。どうにもしっくり来なくて、材料見聞がてら大陸中をフラフラと廻ってるんです。ここにも水を見に来たんですけど何か違うなって」


 基本的に薬師は拠点とする街を決めてしまうとそこから動くことはあまりない。
 これは彼等が使う器具が大がかりな物になりやすい事と、材料が同じ種でもその土地土地によって特性が変わる事に大きく影響している。
 特性が変われば微妙な調合分量や場合によっては調合方法まで変化する為に、なるべく同じ土地。同じ水を使い同じ空気の元。同じ材料で調合を行う事が均一の効果を持つ薬を作る基本とされている。
 だから基本薬師は師事を受けた者の工房を受け継ぐが、近隣に新しく工房を立てるのが通例。たまに請われて遠く離れた土地へと赴く事もあるが、その場合は特性の違いを見極め調整するための慣れが必要となってくる。
 その為に薬師があてもなくフラフラとしているのはそれなりに珍しい事であった。


「お待たせ。レイトラン宮廷酒造の三十年物の赤。にしてもいいのかい先代。若いお嬢さん相手にこんな高い酒を奢って。二代目にまた愛人を作る気かって疑われんぞ」


 金糸で細かな装飾が施されたラベルのついたワインとグラスを二つを持ってきたマスターが倒れ込んだ大男を挟んで座る孫と子ほど離れた二人を見て、本当に狙ってるんじゃないかと顔なじみの老人に疑惑の眼差しを向ける。


「そらいい。お嬢さん。どうだい?」


 楽しげ笑った老人はマスターからグラスを二つ受け取ると、女性に手渡しながら尋ねる。
 その顔から本気ではなくて、女性がどんな反応を返すのかを楽しんでいるのがいわずとも判ってしまう。


「冗談。性悪爺の話相手は師で懲りてるんで勘弁願います。それよりマスター。旅客船の空きの方ってどうなんですか?」


 これ以上下世話な冗談に付き合ってられるかと憮然とした顔を浮かべた女性は、精神衛生上この見るからに高そうなワインの値段は気にしない方が良いと思いながら、差しだすグラスに茶色味の強い赤い液体を丁寧な手つきで注ぐマスターへと尋ねた。
  

「悪いなお嬢さん。探してるんだが予約で一杯でなかなかな。一週間前に『始まりの宮』が終わって止まっていた流通も動き出して丁度混雑している時期なんだよ。それでも何時もならここまで混むことはないんだが、今年はリトラセ砂漠北の迷宮群に『拡張』が確認されてな、大陸中の有名探索者パーティやら中堅所も続々集結中で大手の運送業者だけでなく個人所有の砂船まで貸し切られてるのが多いんだよ。一月もすれば多少は落ち着くはずだが、一応キャンセル待ちに登録しておくかい?」


「はぁ。ミスった。ケチらず往復で買うんだった……じゃあそれでお願いします。後仕事の紹介ってありませんか? 出来れば短期。接客とかの経験もあるんで何でもやりますから」


 片道で砂船の乗船券を買うのではなくて元の街に戻る事になっても往復にするべきだったと後悔しながらも手持ち金の残りを簡単に計算した女性は、多少の心元の無さを覚えて仕事の紹介を頼んでみる。
 ここが森林地帯や草原地帯ならば薬師として材料採取のための野営経験があるので狩りをしていれば何とかなるのだが、岩砂漠地帯ではそれも難しい。何かと金が掛かる街で一月も足どめになると出来たら住み込みがあればと考えていた。


「そうだな……先代。薬師関連で当てがあるかい」


 商売柄マスターも顔は広いが、それ以上に長年の交易商人としての人脈で遙かに多くの人と繋がっている老人に尋ねてみる。


「そりゃ幾人か心当たりはあるが……」


 蟹を摘みながら高級赤ワインを楽しんでいた老人はしばらく考えるとからポンと手をうつ。なにやら思いついたようだ。だがどうにも人の悪い笑みが唇の端に浮かんでいる


「お嬢さん。いっそのことうちのキャラバンに同行するかね? 三日後に北の迷宮特別区を抜けて中央部へと戻る予定だ。料金は迷宮越えルートの公共乗り合い砂船の半分。格安にしておくよ」


「……ご迷惑では?」


 老人の突然の申し出に女性は疑いの眼差しを浮かべる。
 酒場で偶然隣り合っただけで少しばかり関わりが出来たが、知り合ったばかりの相手に何でそんな申し出をするのか。しかも相場の半分という安さが余計に怪しい。


「お嬢さん。この先代は性格的には食えない性悪ジーサンだが、商人としては真っ当で信頼は出来るよ。金を取る以上絶対安全だ。まけた以上、裏はあるだろうがな。先代真意は?」


 訝しむ女性の反応を楽しんでいる老人にマスターがいい加減にしてやんなと視線でいいながらまけた理由を尋ねる。


「人を金の亡者みたいにいわんでほしいな。キャラバンには小さな子供もいるからきつい砂漠越えにただで使える薬師がいりゃ便利だと考えてるくらいだ。後、新進気鋭の薬師と人脈が作れりゃ後々おつりがくらぁ」


 タバコを取り出した老人が上手そうに煙を吸いながら喉の奥でわらう。これが本心なのか他に何か考えがあるのか女性には見分けることができない。


「師なみに性格悪……確かにこっちとしては大助かりだし、調子の悪い人の面倒くらいはみるわよ。まったく。それじゃお願いします……って、そういや名前も知らなかった。迂闊」


 海千山千の交易商人の腹を探るなんて出来るはずもないかと女性は諦めると、同行させてもらおうとしてはたと気づく。
 相手の名前も知らず、自分から名前を名乗った記憶もないことに。
 大男の愚痴を散々聞かされていたので相手の職業やどこの街を拠点としているとかなどは判っていたので、そう言った基礎的な情報が抜け落ちていることに女性は気づいていなかった。


「グラサ共和国の『ファンリア商隊』の商隊長ギガゾラ・ファンリアだ。お嬢……お客さん」


 人の悪い笑みを浮かべる老人の方は、互いに名乗りがまだである事をどうやら忘れてはいなかったようだ。
 女性が名乗るよりも先に自分の名と商隊名を告げるとカウンターで寝込む男の頭越しに右手を差しだした。 
 

「ルディア。北大陸ベルグランドのルディア・タートキャス。ご承知の通り薬師よ」


 名を名乗った女性……ルディアは相手のペースに巻き込まれすぎて自分のペースが崩れていると反省しながら、老人の手を握り替えした。


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