コンクリートの一室で、野球帽を目深にかぶった作業服姿の男性(63)が自動車部品を分解する作業をしていた。室内のほかの男性2人と会話はない。
横浜市の知的障害者入所施設。昨年7月、栃木県の黒羽刑務所を満期出所し、ここで重度の知的障害者たちと暮らす。
なぜ刑務所に? 横を向いて「ちょっとのことだよ。お菓子とか取っただけ」。初の服役だった。「刑務所ではたいてい(房の)外に出て遊んでた」。独り言のような語り口に、服役の意味が理解できた様子はない。
07年8月、横浜簡裁。検察は「万引きの前歴が21件。執行猶予は無意味」と主張。弁護人は「刑罰を理解する能力に欠ける。服役に意義はない」と擁護した。そのさなか、被告人席の男性は居眠りをしていた。判決は懲役10月。執行猶予も取り消され、計1年10カ月の服役が決まった。
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横浜市に生まれ、生後11カ月の時に日本脳炎で3日間意識を失った。てんかんの発作が続き、15歳で精神科病院に入院。両親は面会に来なくなり、33歳で退院して自立を始めたという。
85年から10年ほど男性がいた勤務先の上司を訪ねた。「箱枠作りの単純作業だが、誰より熱心だった。黙々と打ち込んでいたよ」。アパートを探したり、居酒屋で男性が好きなビールをおごった。だが万引きの悪い癖がついていた。
この会社を辞めてからのことは本人もよく覚えていない。横浜市で知的障害者の自立をサポートする「訪問の家」の岩屋文夫さん(47)が、自治体の依頼で男性を訪ねたのは04年夏。自宅アパートは電気・ガスも止まり、ろうそくの火で暮らしていた。岩屋さんと出会った後も万引きは続いた。
しばらくは送検されない微罪処分で済んだものの、06年には起訴、執行猶予付きの判決が出た。岩屋さんらは「今度やったら刑務所だよ」と言い聞かせたが、翌年も事件を起こした。
刑務所に入れば生活保護や福祉サービスは打ち切られる。支援者でも、受刑者がどこの刑務所にいるか知る仕組みはなく、受刑者本人が出す手紙だけが手がかりだ。満期出所し、行方がつかめなくなることも珍しくない。
「このままでは福祉と縁が切れ、再び支えるのは難しい」。岩屋さんは男性の逮捕後、出所した時に備えて知的障害者入所施設に引き受けを頼んだ。まだ拘置所にいる男性にあて先を書いたはがきを差し入れ、「(判決が確定して)刑務所に移ったら、必ず居場所の連絡を」と念を押した。しばらくして、黒羽刑務所にいるとの手紙が届いた。
施設では、再犯しないための支援策を何度も話し合ったうえで、出所の日は刑務所前で出迎えた。こうして、男性は再び福祉につながった。
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「今の楽しみ? 作業とか日曜に買い物に行くこととか……」。男性は目を野球帽の下に隠したまま作業に戻った。施設長は言う。「彼は過去の経験が積み重ならず流れていく、砂時計のような人生を送ってきた。職員が彼の人生に寄り添い、人とのかかわりを感じられるよう支えていかなければ」
ここに来て1年が過ぎた。男性は事件を起こしていない。【石川淳一、長野宏美】=つづく
毎日新聞 2010年10月14日 東京朝刊