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Twitter Send 2010/10/14 21:11 KST
日本・金沢の尹奉吉慰霊碑、韓国国会議長が初訪問


【金沢14日聯合ニュース】朴ヒ太(パク・ヒテ)国会議長が14日、日本の石川県金沢市にある抗日運動家・尹奉吉(ユン・ボンギル)の慰霊碑を訪れた。

 尹奉吉は1932年、中国・上海の虹口公園(現:魯迅公園)で行事を開いていた日本の首脳部に爆弾を投げつけた(上海天長節爆弾事件)。現場で取り押さえられ裁判にかけられたのち、金沢で処刑され、遺骨は野田山の陸軍墓地通路に埋葬された。

 光復(植民地支配からの独立)後、地元の在日同胞らが遺骨を発掘し祖国に持ち帰った。現在、遺骨はソウル・孝昌公園に埋葬されている。ただ、当時も遺骨の一部が見つかっておらず、今も野田山にある。

遺骨を発掘した在日同胞らと在日本大韓民国民団(民団)は、尹奉吉の死から60年を迎えた1992年に、埋葬地近くに慰霊碑を設置した。当時も金沢市長だった山出保市長が、韓日関係を考慮し、市の所有地を無償で提供した。在日同胞と日本人市長がこうした活動をしている間、韓国政府が関心を向けていなかったのは事実だ。

 遺骨発掘にたずさわった朴仁祚(パク・インジョ)さんは、2009年に亡くなる直前まで一連の活動にかかわった。2002年に聯合ニュースのインタビューに対し、「韓国政府の要人が同地を訪れたことは1度もなく、尹奉吉が知ればさぞ悲しむだろう」と話していた。

 石川県の民団関係者は、年間500人余りの韓国人観光客と国会議員らが慰霊碑を訪れているが、長官以上の政府高官による公式訪問はこれまで1度もないと説明した。

 今回、3部要人(国会議長・大法院長(最高裁判所長官に相当)・首相)の1人である朴国会議長は初めて慰霊碑を訪れ、「余りに遅かった」と言葉をもらした。民団関係者らは、尹奉吉が日本で処刑されたことを知っていても慰霊碑がどこにあるのか知らない韓国人が多いと話し、国家報勲処や観光公社が地図を作り配布してほしいと、朴議長に訴えた。

 朴議長は、これまで爆弾事件のあった公園は何度も訪れたことがあるが、「殉国の地を何故訪れなかったのだろうと胸がふさがる思いだ」と述べた。広報が行き届いていないせいではないかと指摘し、今後はより多くの人が訪れ、霊前で祈りをささげるべきだとの考えを示した。

献花する朴ヒ太国会議長=14日、金沢(聯合ニュース)