アメ横

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』

アメ横(アメよこ)とは、東京からニューヨークまで続く全長約10,860kmの商店街である。正式名称は「アメリカ横断ウルトラ商店街」

なお「アメヤ横丁」という名称は、国土交通省東京労働局によって検閲により削除されないように定められた、いわゆる偽名である。

目次

[編集] 概要

10,000kmを越える長大な商店街である。東京側からこの商店街に入る際、入り口の東京ドーム[1]「ニューヨークに行きたいかぁ!」「オー!!」という掛け声を言いあうのが習慣となっているが、この時点で商店街に入れる人数がいきなり100人に絞られる。そしてニューヨークにたどり着けるのはたったの2人。ニューヨークにたどり着くには「知力、体力、時の運」が必要とされる。途中で脱落した者は、「東京直行」の札を付けられて罰ゲームが課されるが、自分一人の力で戻らないといけないので、東京に戻れるかどうかは一切不明である。

ちなみにニューヨークの店に到着しても、買えるものは、満潮になると沈む島だったり、自動車の組み立てキットだったりと微妙なものばかりである。[2]

この商店街は常に防犯カメラで監視されており、日本テレビ系列によって、佐賀県沖縄県を除く日本全国に画像が出回る。そのため、たとえニューヨークにたどり着けなかったとしても有名人になれる。

また、エクストリームスポーツの競技としては、国内開催であるにも関わらず、トライクタスロンに次ぐ参加規模を有しており、「超人はトライクタスロン、一般人はアメ横」とも言われている。ただし、行方不明者を多数出してはいるものの、エクストリームスポーツとしては珍しく死者を出していない。これについては、「生き地獄」という裏コンセプトがあるという噂が立っているが、明確な理由は不明である。エクストリーム・オリンピックの際には「大感謝キャンペーン」と銘打ち、罰ゲームの多発・過激化が実施される。

しかしながら、非常に危険な商店街であることに変わりはない。そのため、入場資格は18歳以上、18歳でも高校生は不可と定められている。もし高校生が忍んでいた場合には、店主が機嫌を損ねて、全国高等学校クイズ選手権にでも行けや!!」と怒鳴り散らしてしまう。良い子はマネをしてはいけない。

「世界一長い商店街」「世界一ハードな商店街」として、ギネスブックにも掲載された。

[編集] 見どころ

以降ニューヨークまでは色々なルートがあるので、迷子にならないように注意されたい。
  • 早押し屋
  • 奇襲屋 - 突然出現するゲリラ屋台。客に焦燥や不眠を誘発させる。
  • 3択屋 - 洗濯屋とよく間違えられる。
  • マラソン屋 - スパルタ指導を受ける羽目になる。
  • 大声屋 - 自分の恥ずかしいプライベートを叫ばされる。
  • ばら撒き屋 - 店主がハズレという文字を見せて、「これを何と読む?」と告げる商談が有名。
  • 通せんぼ屋 - 店主が人々を通せんぼする難関。ただし、機嫌を取ることで道を譲ってくれる可能性がある。
  • ニューヨーク - パンナムビル屋上の露店。正装していないと入れない。ヘリコプターで招待される。

なお、店主に殴られる恐れがあるため、指示が出るまでは「敗者復活」「敗復」といった言葉をむやみに使わない方がよい。

[編集] 日本テレビ系列での画像流出

1978年から1992年まで、日本テレビ系列にて毎年夏 - 秋頃に、年1回のペースで画像を流出させた。テレビを通じて商店街の画像を流すことで、商店街自体の存在が広く知れ渡り、参加者が急増するきっかけとなった。

  • 1回目…球場の隅でひっそりと開店。ほとんど早押し屋ばかりが軒を連ねた。
  • 3回目…ばら撒き屋が新規開店。
  • 4回目…通せんぼ屋が新規開店、この時の客は全員女性だった。
  • 5回目…初めてアメリカ以外の国にも商店街を展開。
  • 6回目…店主が病気になったり、売上金が強盗に奪われたりしたため、「呪われた商店街」として話題に。
  • 特別編…歳末感謝セールとして、日本各地へ出張営業を敢行。その後高尾山で集団修行を行うも、逃亡者多数。
  • 7回目…通せんぼ屋がビンゴ大会を同時に開催。
  • 8回目…大声屋とマラソン屋が新規開店。
  • 9回目…ジャック・シラク(当時・パリ市長)の圧力で、パリまで商店街を延伸した。
  • 10回目…この時だけ、成田のじゃんけん屋が腕相撲屋に業態転換。南アメリカ経由と北アメリカ経由の2種類に分岐する、新たな商店街モデルを確立した。
  • 11回目…通せんぼ屋が太っ腹だったことで、初めてニューヨークに3人も来店した。
  • 12回目…南北アメリカ大陸全土に商店街を拡張。アラスカ鉄道沿線周辺で行方不明者続出。
  • 13回目…オーストラリア方面に延伸。通せんぼ屋が、長時間居座る客に疲れて寝てしまう事態が発生。
  • 14回目…泥屋が台風で崩壊寸前になるも、意地で営業を続けた。
  • 15回目…店主が若旦那へ交代。「敗復」と叫んで半殺しにされる客が続出。
  • 16回目…泥屋が台風で完全に吹き飛ばされたため、跡地を早押し屋が占拠した。

1993年、当時の日本テレビ会長が「ボクの趣味じゃない」と述べたことから、画像の流出が食い止められてしまった。その後1998年に、検閲により削除を駆使して再流出を試みたが、じゃんけん屋が少ししか開店しなかったり、紙屋が機内食に夢中になって用紙を忘れたり、飛び込み屋が「空から飛び込み屋」に業態転換したり、通せんぼ屋がニューヨークに移転したり、泥んこ屋が西インド諸島にも開店したりするなど大波乱な画像ばかりであったため、その後は流出を断念している。

[編集] 脚注

  1. 1987年までは後楽園球場だった。
  2. かつては「家族3人でニューヨーク旅行」といった、まともな商品も扱っていた。しかし「人生、ユーモア」という商店街の意向で、微妙な商品へと方針転換した。

[編集] 関連項目

Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディアの専門家気取りたちが「アメリカ横断ウルトラクイズ」の項目を執筆しています。
Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディアの専門家気取りたちが「アメヤ横丁」の項目を執筆しています。


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