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[16475] 大友の姫巫女 南海死闘編【TS転生オリ主15禁】
Name: 北部九州在住◆69dd1406 HOME ID:7bfeb34b
Date: 2010/02/27 12:55
「姫。我らいつまでこの南蛮船に乗っていればよろしいので?」
「三州公が関が原で突撃を終えるまでじゃないかな」


 大傑作腕白関白にいたく創作意欲を刺激され筆をとった次第。
 とはいえ、三番煎じなのでイロモノに走ろうと決意。
 歴史改変転生オリ主でTS物です。

 しかも、この話、前話が百話越えるので、そっちを読んだ人向けです。
 で、ここで語られるのはそんな長い話のおまけみたいなもの。
 全てが語られる事無い物語の一部なので、読み終わっても禁断症状については当方責任をもてません。



 そんな長い物語のリンクはこちら
 http://mai-net.ath.cx/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=original&all=5109&n=0&count=1

 で、読むときの必需品、ぼち氏提供の「大友の姫巫女マップ」
 http://maps.google.com/maps/ms?ie=UTF&msa=0&msid=116581797823782678715.00046f0ed10e9ce756c13

 絵を書いてくれた人がいたので公開。
 本当にありがとうございます。
 http://satuma.kir.jp/link/ura/hokubu.htm

 なお、この物語に出てくるキャラクターの一人である恋の描写及び設定はXXX板「大友の姫巫女XXX~とある少女の物語~」の大隈氏より了解を頂いております。




 という訳で、ようこそ。新たなる煉獄へ。



[16475] 南海死闘編 プロローグ ○○年IFコンにて
Name: 北部九州在住◆69dd1406 ID:7bfeb34b
Date: 2010/02/14 16:08
「戦国物のIFで、合戦に勝った負けた、もしくは謀反で死んだ生きたとあるけど、天災での状況変化って見当たらないよな」

「というと、あれか?
 時代が違うが元寇時の神風みたいなやつ」

「まぁ、そんなものだが、俺が言っているのはゲームで良く出るイベント的な天災さ」

「台風や洪水、疫病や地震とかか」

「そう。
 あれはゲームではイベント処理されてたいした事ない様に調整されているが、実際に起きると洒落にならんからな」

「ストーリーを作る上で難しいってのもあるんじゃないか。
 何しろ、天災は指定などできずにその地域全体に影響を与えるからな」

「あと、荒唐無稽なのもあるかもな。
 IF物というのは、行き着く所、人知を尽くしてこそ天命を待てる訳で。
 天災はそれこそ天命になりかねんというのもあるだろうよ」

「まぁ、凶作イベントならそうなるだろうよ。
 だが、豊作ならどうだ?」

「それぞ、収穫が増えただけで、歴史の流れは変わらんだろうに」

「まて。
 ……読めてきたぞ。
 要するに、史実での凶作を無くすと言いたい訳だな」

「ご明察。
 天命を消して人知を尽くしてもらおうという訳だ」

「そんな都合のいい年があるのか?
 話を振ってきたという事はあるんだろうが」

「そのとおり。
 1567年。
 この年は機内を中心に旱魃が発生し、歴史に轟くほどの大飢饉が発生している」

「何で、畿内の旱魃が歴史に残る大飢饉に繋がるんだ?」

「あの当時の畿内は消費地であると同時に日本でも有数の米の生産地でもあったんだ。
 何しろ、都が置かれて長年手間暇かけて整備されていたからな。
 そこが旱魃で壊滅的打撃を受けた」

「それだけじゃないだろ。
 その前年からの織田家の軍事行動で畿内の米の備蓄が食い尽くされ、合戦で人手を取られた事で田植えに影響が出たのも大きい」

「そう。
 軍事行動と天災というダブルパンチで消費地である畿内が飢餓に陥った。
 もちろん、濃尾を抱える織田家は全力で領内の米で占領地である畿内を支えようとしたが、足りるわけがない。
 そして、運が悪い事に、西国は巨大流通網を構築していた大友毛利連合が出来上がっていた」

「何で運が悪いんだ?」

「消費地であるという事は、金を持っていると同義語だ。
 彼らは飢えぬ為に、その流通網を使って米を日本各地からかき集めたのさ。
 それが飢餓の第二幕の引き金になる」

「不作知らずの九州米といえど、畿内の口を一年満たすほどの量が作られている訳ではない。
 九州に住む人間も食わねばならぬからな」

「かくして、九州米まで食い尽くした彼らは次に銭をばら撒いて、各地の種籾すら買い付けに走ったという訳だ」

「……人の欲ってここまで愚かになるのかよ……」

「大友毛利連合はこの事態に対応しようとしていたみたいだそ。
 南蛮船をかき集めて大陸まで米の買い付けに行っているし、この次期に唐芋、つまりさつまいもとかぶぜんいもとか呼ばれている芋の普及を全国規模で促進していたりする」

「飢饉に強い唐芋を全国に普及したって、いい話に聞こえるが馬鹿かあいつら。
 自領で抱え込めば笑いが止まらない戦略物資だろうに。唐芋」

「その見方は正しくないんだ。
 この飢饉で既に大量の流民が発生し、不作知らずの九州を目指していたらしい。
 いくら九州といえど、その流民を全て受け入れられる訳もない。
 そして、この飢饉で売れる最後の財産である人間の価格が大暴落している。
 それは、遊女に付加価値をつけて高級化路線を突っ走っていた大友珠姫にとっては看過できる事態ではなかったらしい。
 ただでさえ、大友女は既に偽者が出ておりその対処で頭を悩ませていた彼女だ。
 低価格商品が高価格市場を荒らすのを見過ごせなかったという訳だ」

「珠姫だが、唐芋の普及で特に力を入れたのが薩摩・大隈――彼女の天敵である島津領――というのも面白いよな。
 その後の大友と島津の対決とその結果を知っている身とすれば」

「それだが、当時ですら反対意見があったのを押し通しているんだ。
 その時の珠姫の言い回しが皮肉がきいてやがる。
 『飢えた鬼を相手にするぐらいなら、太った豚を相手にした方がいいに決まっているじゃない』だと」

「いたのか?豚?」

「民間伝承なんてそんなものさ。
 真実より、面白さが求められるから、この言葉を言ったように聞こえる訳で。
 で、何の話だったっけ?」

「飢饉の話だろ。
 西国は分かったが、東国はどうなったんだっけ?」

「キープレイヤーは武田だ。
 ただでさえ四方に侵略しないと国が成り立たないあの家は、流通面から米が決定的なまでに不足していた。
 金はあるが、それを買い付ける港がないんだ」

「だから、今川侵攻を決意した訳だ」

「その通り。
 長男義信すら犠牲にしてな。
 そして、その武田を後押ししていたのが、対上杉戦を抱えていた織田という訳。
 武田を取り込む為に、同時婚姻政策までに踏み込んでいるからな」

「信忠に松姫、義信粛清後の後継者となった武田勝頼に遠山夫人を差出したんだっけ?
 織田信長もよほど武田と上杉が怖かったんだな。
 徳川信康と五徳の婚姻と同時期に、妹の市を水野信元の長男信政に嫁がせてる。
 徳川だけでなく、尾張三河国境に絶大な影響力を持つ水野家を取り込む事で、万一の武田戦への二枚目の盾および徳川の寝返りを牽制した訳だ。
 がちがちに東を固めたからこそ、安心して対浅井朝倉戦に全戦力をつぎ込めた訳で」

「その後の近江横山城再奪還と、美濃群上八幡合戦での織田の勝利は何よりも濃尾平野を完全に固めていたのが大きいだろうな。
 と、同時に武田は今川侵攻で北条が武田の敵に回り、北条と上杉が手を組むという事態に。
 けど、織田もここまでだった。
 何しろ飢饉の中心である畿内を抱えているからな。
 能登畠山家で一向宗がらみで内紛が勃発。守護大名畠山義綱とその父の畠山義続が追い出され、それが起爆剤となって北陸一向一揆が再起するという織田にとって最高のタイミングを生かすことができなかった。
 ここで、浅井朝倉、上杉まで滅ぼせていたらこの時点で織田の天下になっただろうに」

「なるほど。
 たしかに魅力的なIFだな。
 この時西国の諸大名は何をしていたんだっけ?」

「四国の長宗我部は土佐の2/3まで支配しながら、一条領を管理している大友家に手を出せずに畿内進攻に失敗した阿波の三好侵攻を決意。
 中国の浦上は毛利の謀略で宇喜多家をめぐってお家騒動が勃発。
 独立の風潮が強い宇喜多家を粛清するか、懐柔するかで家臣間が割れて統一行動が取れず。
 そのくせ、備中で残存の三村家勢力を粛清して直轄領に組み込もうとしていた毛利の顔色を見ながらだから、宇喜多直家の台頭を許してしまう。
 薩摩を統一した島津は、北上作戦を企てると」

「そして大友家は、ポルトガルと組んでのルソン侵攻の前準備と称して、琉球と台湾に拠点を作る事を画策するか。
 島津との血みどろの因縁を知ってると、大友って夢見ているよな。あいつら」

「だが、このルソン侵攻がその後の日本の南下政策を決定付けたんだよな。
 しかも、この飢餓時のあおり文句で、『南にいけば米が食べれる』だっけ?
 いくら、九州に大挙した流民をさばく為とはいえ、南蛮船で台湾に半ば捨てるがごとく送りつけるんだからいい度胸しているよな」

「けど、あの時は大友ってスペインから目をつけられてなかったか?
 府内攻撃から報復に近いルソン進攻なんてやって、よくスペインがアジアに兵を送らなかったな」

「スペインは送る気満々だったらしいが、オスマン帝国のスレイマン大帝の崩御による地中海情勢の緊迫化がそれを許さなかったんだよ。
 しかも、『ヴェネツィアの屈服』でヴェネツィア共和国がオスマン側についたから、西洋世界の恐慌ぶりに巻き込まれて兵を出す所じゃなかったろうに。
 スエズ運河工事もこの時あたりに始まったんだっけ?」

「そう。たしか、開通したのが『ヴェネツィアの屈服』の十年後。
 このアジアにおける影響力の喪失と、スエズ運河開通でスペインは史上最悪のバンカロータを宣言しないとならなくなり、海洋覇権国家としての地位を失う事になる訳だ」

「そして、忘れちゃいけないオランダ独立戦争。
 これに反スペインとして介入しルソン進攻の大義を得て、アジアに植民地を広げるんだからなんともはや」

「案外、大友がスペインと喧嘩なんてしなければ、日本が朝鮮半島辺りを征服する為に兵を出していたかもな」

「で、また白村江で大敗すると」

「ありそうだよな。
 珠姫、神功皇后化しているからな。
 本人、比売大神の化身と言っていたみたいだけど、毎年毎年孕んで戦や政をやっていれば神功皇后の方を思い出すよな」

「しかも、残った絵なんて史実が史実だから、ありとあらゆる形で春画の材料になって、珠姫=ビッチ姫ってあだ名が」

「だってあの姫、葛飾北斎の手で触手にもやられているから言い逃れできねーだろ。
 南総里見八犬伝にも何故か敵役で出てるし、陵辱調教にハーレムに異種と純愛除けばイベントフルコンプって何だよ」

「けど、意外と史実は純愛路線だったり。あのビッチ姫」

「彼女のエロゲーを作ろうとした某メーカーのシナリオライターがぶっちゃけていたぞ。
 『史実を調べるだけでエロゲーができていた』って」

「あれだろ。
 某くそげーおぶじいやー三冠を達成したゲームなのに、あの姫のシナリオだけができがよかったのは史実丸パクリってまったく救いようがなかった話」

「まったくだ」

「わっはっはっはっはっ……」



 彼らが笑いながら語る少し後ろで、年齢不詳の美女が顔に怒りマークをつけながら彼等を眺めていたらしいが、彼女が何に対して怒っていたのかは不明である。



[16475] 南海死闘編 第一話 立花家と杉乃井家と大友義鎮
Name: 北部九州在住◆69dd1406 ID:7bfeb34b
Date: 2010/02/27 12:13
 お元気ですか?
 珠です。

 現在四郎はお仕事中で博多に。
 ひまな私はこうして娘達とともに杉乃井で自堕落な日々を……

「母さま~」
「ははさま~」
「は……」
「姫さま~」
「ひめさま~」
「ひ……」

 いつからここは保育所になった。おい。
 上の言葉を発したのは、上から順に長女の黒耀、次女の琥珀、三女の翡翠で。
 次女と三女は残念ながら双子ではないのであしからず。
 なお、全員四郎の子だったりします。
 まぁ、三連荘で女だったので豊後外の国人衆の絶望っぷりと、豊後国人衆の歓喜っぷりがもう。
 あ、琥珀は生まれたてなので私が抱いているのですが。

 乳母どうしたのかって?
 いや、居るけどね。麟姉さんとか、瑠璃御前とかがちゃんと。
 けど、親が子供を育てないのは子供がかわいそうだという私の主張を強引に押し通す事に。
 ……おかげでえっち減ったけど。
 なお、四郎の正妻である鶴姫は目出度く男子を出産し、チートじじいを大喜びさせたり。
 恋の方は娘と息子だったのだが、杉乃井御殿で遊女のおねーさん達にあやされて育てられていたりする。
 戦争終わって、やる事といったらそりゃあれな訳で。
 なお、このお話は戦国期に女性が頑張る話で、女性比率が高く年頃の娘さんが成長するので、愛と政治の結晶であるお子さんがぽこぽこ生まれて来た訳で。
 大友領はそんな訳で上層部の出産ラッシュで、どこからでも子供が泣く声が聞こえてくる始末。
 おかげで、私の直属の部下の姫巫女衆なんかも幹部連中が私をはじめ軒並み産休という笑えない事態に。

 具体的にはこの三年で。

 私 (毎年生んでる。まったく自重する気なし)
 鶴姫(男子出産。現在育児中)
 恋 (女子出産。この間男子も出産。現在体力回復中)
 麟姉さん(男子出産)
 政千代(男子出産)
 舞 (女子出産)
 霞 (女子出産。二人目)
 あやね(女子出産。二人目)
 奈多夫人(男子出産。四人目)
 八重姫(男子出産)
 九重姫(男子出産)
 白貴御前(女子出産)

 
 で、子供(男子出産)が生まれた武将とかでも、

 戸次鑑連 
 田原鑑種
 高橋鎮理 
 小野鎮幸 

 という新世代ラッシュが。
 補足を少し。
 八重姫の相手は木付家の木付鎮直。   
 別府湾海戦時に私に報告を届けようと城内を突っ走っていたら、戦準備中の彼とごっつんこのそれなんてラブコメって感じの出会いでお付き合いを。
 四国からの新参者の藤原家と同紋衆の木付家では家格がどうこうという話も出たけど、私の次期後継者内定でそれも立ち消えに。
 げに恐ろしきは権力と最近切に思い知る今日この頃。
 で、九重姫のお相手は土居清良。
 四国の山の中で農業に一家言持つ人なんで、大友領全体の農業政策を任せるつもりで府内に呼び寄せたらいつの間にかくっついてやがった。
 まぁ、同じ四国組仲良くしましょうという事での縁談だと後で聞かされたのだが。
 白貴御前は本当は子供ができない体なんだけど、そこは神様ぬかりはなかった。
 生み終えて、娘の顔を見た白貴姉さんのマジ泣きに知瑠乃をはじめみな貰い涙を流す始末。
 なお、商売柄相手が誰だかまでは不明という事になっているが、

「この娘は大友一門として扱う」

 と父上(事実種は父上だ)が豪快に認知公言。
 まぁ、最上得意客だったしなぁ。白貴姉さんの。
 これも、恋という前例があったこともあって受け入れられたのだろうけど。
 で、恋のからみもあって、杉乃井家という新家を立てる事に。
 どーいう事かというと話せばまた長くなるのだが、私と四郎と恋の複雑怪奇な政治権力関係の為である。

 まず、私なのだが本家を継ぐ身とはいえ、豊後・筑前・筑後・隠岐にまたがる大領を持つ以上、私直属の家臣団がいる。
 具体的には爺こと佐田隆居やハヤテちんこと佐田鎮綱とか、次男坊とはいえ何で私の所に居るんだろうと首を傾げたくなる猛将高橋鎮理とか、切れすぎる剃刀こと田原(旧名一万田)鑑種とか。
 これに私が経営する遊郭を運営する麟姉さんとか、白貴姉さんとか、瑠璃御前とかも私の家臣である。
 で、今まで私の家臣扱いだった四郎こと立花元鎮が立花山城を拠点に五万石を持たせて正式に独立する(けど、私の側から離れないらしい)運びとなり、彼自身の家臣団編成に着手しているのだ。
 その結果、毛利側から監視よろしく送られてきたのが、正妻鶴姫(毛利側、来島村上家の娘)の家から村上吉継と、まさかのビックネーム清水宗治。
 備中を支配していた三村家が明善寺合戦で宇喜多直家に一族郎党のあらかたを討ち取られたのを見て、毛利が備中を直轄領に組み込もうとして三村家を粛清したのだ。
 清水家はその三村粛清に早い段階から毛利側についていたらしく、四郎の家老格としての大出世となった。
 私の家臣団に口を出さなかった代わりに、四郎の付き添いにガチの良将をつけるあたりさすが毛利元就と感心するしかない。
 ここで困った事になったのが、私と同じく四郎の妾である恋。
 何しろ母上の血を引く準一門扱いなので、恋が男子を産んでいい機会だから別府を管理する家として一家興してもらう事に。
 実際の管理は麟姉さんや瑠璃御前がするけど、国衆の介入を避ける為には恋の準一門という身分は大きな効果があるのだ。
 で、白貴姉さんの子供も杉乃井家の娘として育てる(まだ双方赤子だけど、ほぼこの二人の婚姻は確定している)事で、この杉乃井家は正式に同紋衆(大友一門衆)として扱われる事になる。
 と、同時にこの杉乃井家を四郎の家臣に組み込ませる事で、四郎の実家である毛利家臣団の監視を兼ねさせるという訳だ。
 とはいえ、元が遊女の二人に武家を興せというのも無理な話で、麟姉さんと瑠璃御前も旦那持ちというのもあって最後まで手助けできるわけも無く、この家に武家の家臣をつける事に。
 誰かいい人居たかいなと大友諸家漁りまくっていた私の所にやってきたのが、父上の紹介状を持った寒田鎮将と雄城鎮景。
 寒田鎮将は、元加判衆で勢場ヶ原合戦にて大将だった寒田親将の一族で、大内軍相手に壮絶な討死をしてから家は鳴かず飛ばず。
 雄城鎮景は雄城治景の息子で現在の評定衆についており、小原鑑元の乱後に残った最後の有力他紋衆でもある。
 なお、雄城家そのものは史実では父上のキリスト教信仰に反対して、追われたか出たかは知らぬが最後は肥前あたりに流れたという。
 だが、私の存在の為に父上はキリスト教信仰に転ばず、雄城家はそのまま他紋衆筆頭の地位を保ちつつひっそりと評定に参加していた訳で。
 両方とも歴史の闇に消えた家が揃って私の前に出てきた辺り、己がやらかした歴史改変の業の深さを思い知る。

「「是非とも、姫様のお役に立ちたく」」

 私はそんな事を思いながら二人の仕官口上を聞いていたのだが、とりあえず口を開く。

「まぁ、それを決めるのは恋と白貴姉さんだと思うのだけど?」
「先にお二方を尋ねた所、『姫様が了解するのなら』と」

 丸投げしやがった。あの二人。
 まぁ、気持ちは分からないではないが。
 寒田鎮将は分かるのよ。
 杉乃井家家老の地位は、恋の息子が赤ん坊な事もあってうまく行けば一発逆転で返り咲きを夢見れるから。
 問題は、現評定衆に連ねる雄城鎮景の方。
 あんた、下手すりゃ加判衆狙えるのに、なんで陪臣に落ちるのを望む訳?

「お館様曰く、『立花殿について牽制しろ』と」

 なるほど。
 杉乃井家ではなくてその上の立花家の家老として彼を送り込むつもりか。
 良将ではあるが村上吉継も清水宗治も村上家と三村家で毛利本家の人間ではない。
 その二人に対する家格で優位に立とうという腹づもりらしい。
 四郎の領地である博多近隣の地において大友家評定衆のネームバリューは、地元国衆にとって高いのだから。
 そういえば、父上の弟である大内義長にも同じ形で随行させていたな。
 その随行員で大内家家老として辣腕を振るったのが一万田鑑種というあたり歴史の因果ってやつは……
 同時に、父上が言わなかった事もうっすらと見えてくる。

 私が大友家当主になったあかつきには、私がしていた加判衆扱いである右筆の地位が空く。
 そこに爺である佐田隆居が就くことがいつの間にかほぼ確定になっている。
 問題は、爺が大友一門ではない他紋衆であるという事。
 大友家に久しぶりに一族ではない人間が要職に就く事で、大友領内の一門外の人間が密かに、

「もしかして、俺も」

 という夢を持ってしまっているのだった。
 それは当然一門衆である同紋衆にとって面白いはすがない。
 そんな他家紋衆で次に加判衆の椅子につく可能性が高いのが、この雄城鎮景なのだった。
 彼を立花家家老に飛ばす事で、自然と他紋衆が加判衆につく事をさけた訳だ。
 何しろ、私の家臣団から爺の次に加判衆を出すならば高橋鎮理だけど、彼の父親は現加判衆の吉弘鎮理だし、その次の田原(旧姓一万田)鑑種もどっちの名前をとっても同紋衆なのだから。
 父上やる事がさりげなく抜け目ない。
 と、同時に父上は右筆の加判衆扱いを継続すると共に、ここを外様である他紋衆が座る加判衆の席にしたいのだ。
 元々右筆は一門である私がついたからからこそ、加判衆扱いとして父上がなし崩し的に扱ったポストである。
 だから、次の当主が右筆をどう扱うかで加判衆から締め出す事ができる訳で、同紋衆には彼等の独占席であった加判衆の椅子が脅かされない事をアピール。
 他紋衆はそれをふまえても、最高意思決定機関である加判衆評定に参加できる可能性がある事で更なる忠誠を誓うだろう。

「いいわ。
 雄城鎮景は立花家筆頭家老になってもらうわよ。
 寒田鎮将は、立花家家老になる杉乃井家家老として二人して毛利側の監視をするように。
 けど、粛清しちゃ駄目よ」
  
「「はっ」」

 二人の将が私に頭を下げるのを見て、私は娘達と共に部屋を出てゆく。 
 目的地は、隣の保育園と化している部屋だった。

「じーじ」
「じぃじ」
「じ」

 黒耀がとてとてとその部屋で子供にまみれていた父上こと大友義鎮に抱きつく。
 身内すら信じられなかった父上は、今はちゃんと親の顔をして孫を抱きしめていた。

「いいご身分ですね。父上。
 夜は閨で母上達と遊び、昼はここで孫達と遊びですか?」

「何、お前が仕事をしてくれるからこうして呆けていられるのよ。
 で、あの二人はどうだった?」

 ちゃんと戦国大名の顔をしつつ父上は私に尋ねる。
 このあたり呆けているようでしっかりしてやがる。

「父上の目論見どおりこちらで引き取る事にしました」

 とってもいい笑顔で答えてやる。
 これで父上には裏まで読んで引き取りましたって分かるだろう。
 同じようにいい笑顔で父上は黒耀と琥珀をあやしながら口を開く。

「そうだ。
 お前が出した鎮台の追加設置案だが、少し弄りたい。
 旗本鎮台をわしの直轄にする」

 その言葉を聞いて私は翡翠を抱いたまま首をかしげた。

「構いませんが、何故です?
 陣代の戸次鑑連殿にお任せすればいいじゃないですか」

 この鎮台の追加設置案とは、南蛮人襲来時に国東方面の兵の指揮が取れなかった事の反省と、大友領統治の進捗で豊前や筑前・筑後に更に鎮台を追加しておく事を目的とした軍事増強策と人事異動案である。
 と同時に私の大名就任を睨んで、私の家臣団の抜擢と指揮系統一元化も狙っている。
 具体的に、 

 豊後国 日出鎮台  定数千  吉弘鑑理(現加判衆兼務臼杵鎮台大将)
 豊後国 臼杵鎮台  定数千  未定
 豊前国 小倉鎮台  定数五百 城井鎮房(現中津鎮台付将)
 豊前国 香春鎮台  定数五百 高橋鎮理(抜擢)
 筑後国 柳川鎮台  定数千  蒲池鑑盛(現久留米鎮台大将)
 筑後国 久留米鎮台 定数千  小野鎮幸(抜擢) 
 筑前国 太宰府鎮台 定数ニ千 田原鑑種(抜擢)
 筑前国 宗像鎮台  定数千  戸次鑑方(抜擢)
 肥前国 唐津鎮台  定数五百 臼杵鑑速(現加判衆兼務)
 日向国 延岡鎮台  定数五百 佐伯惟教(現臼杵鎮台付将)

 という各国への鎮台設置と大規模人事異動を行う事が決まっていたのだが、現臼杵鎮台大将である吉弘鑑理の後釜が見つからず誰にしようかと迷っていたのだった。
 で、父上は旗本鎮台を大名直轄にして、陣代兼務で戸次鑑連を臼杵鎮台に横滑りさせるつもりらしい。

「娘よ。
 お前が人の心をまだ持っているのは嬉しい限りだが、大名としては少し甘過ぎる。
 またニ階崩れのような事態になった時に、己の手足となる兵を用意しておきたいのだ」

 このあたりの嗅覚の鋭さは父上だなと感心する。
 なまじ知っているだけに、戸次鑑連が裏切るような男じゃないと分かっている事に胡坐をかいていた。

「父上。
 少し驕っておりました」

「分かればいい。
 しかし、田原を追い出し、奈多が弱っている今、吉弘鑑理が国東を抑えるか。
 本気で寺社領に切り込むつもりだな」

 うわ。
 こっちの狙い全部わかってやがる。
 色に溺れていようと、孫に甘い顔をしていようと父上も戦国大名として名前を残すだけのチートは持っているという訳だ。

「そこまで読んでましたか。
 私の力の源泉ではありますが、宇佐八幡および六郷満山は力が強すぎます。
 私が大友家当主という位置に居る間に削っておかないと害をなすでしょうから」

 私という守護者の下、広大な寺社領と無視できない僧兵を持つ彼らの力を弱める為にも、万一の一揆を警戒して最強戦力を国東半島に戻したのだった。
 なお、話は変わるが小金原合戦時、総予備として臼杵に待機してもらっていた吉弘鑑理は、

「我が家はお家の戦に出る事で忠義を……」
 と、懇々と私と父上に『戦に出させろ』と説いて、私達をげんなりさせる始末。
 実は、大友家にとって戸次鑑連とその一党が出るまでは武闘派というのは吉弘家の方だったりする。
 なお、勢場ヶ原合戦で大将として出陣して寒田親将と共に討死にした吉弘氏直は吉弘鑑理の父である。
 血が騒ぐのもわからんではない。
 で、挙句に息子の吉弘鎮信に諭されて帰るのだからどうしてくれようかと。
 まぁ、大友の主要な戦に自ら一族総出で出ていたから、外されたと感じるのも分からんではないが。
 と、思ったら吉弘鎮信が吉弘鑑理が去った事を確認してこそっと耳打ちを。

「此度の出征に弟が出る事を聞いて、吉弘家の者で腕に覚えのある者をつけたいのですが」

 父ほど直情的ではないが、兄もやっぱり武闘派だった。
 そんな、吉弘家の手勢が高橋鎮理と共に小金原合戦で、山中幸盛率いる尼子勢の突撃を食い止めて勝利に貢献したのだから、

「さすが我が子よ。
 吉弘の武門の誉れよ」

 と親馬鹿ぶりを発揮して周囲に微笑ましい笑みを作らせていたのは内緒。
 

「おやかたさまだ」
「ひめさまもいる~」
「あそぼ~」

 いつの間にか、わらわらわらと杉乃井の子供達が。
 なお、遊女の子供も武家の子供も一緒くたに育てているのは我が母上たる比売御前だったりする。
 子供ができないのをいい事に、

「めんどうだから全部杉乃井に持って来なさい!
 まとめて面倒見るから!!」

 と、豪快に育児をやりだしたのだった。
 これが返って母上の政治的影響力を強める結果になるとは思っても無かった訳で。
 で、それを見た養母上の奈多夫人や白貴姉さんも訳隔てなく子供を育てる方針に。
 すっかり杉乃井の保育所は腕白小僧や小娘どもが大名や大名夫人と遊ぶというとても愉快な場所になっていたりする。
 
「ひめさま~
 お風呂に行って、一緒に『ぶりはまちたいそう』をやろ~」

 すっかり、子供達のいい姉御となった知瑠乃が私を誘ってくる。
 父上が私の方を見て、何だそれという顔をしているので説明してやる事に。

「ぶりとはまちを持って、脱ぎながら踊る事で、強くなる祈祷です。
 子供達も楽しみながら脱ぐので、評判いいのですよ。
 私と母上が考案しました」

「そうか。
 ……なに?」

 かすかに眉を顰める父上。
 やっている事がストリップと変わらない事に気づいたらしい。
 だが、わたしが狙ったのは某国営教育放送の『○ジャマでおじゃま』なのだ。

「で、温泉からあがった時は逆に踊りながら着物を着るんですよ。
 みんな喜びます」

「……ほどぼとにしておけよ」

 注意すべきか、メリットを取って見過ごすべきか考えたあげくの父上のお言葉は黙認だった。
 このあたりの父上の感覚もいつのまにかりっぱな親になっているんだなぁと素直に感動したり。

 なお、温泉でみんなと踊っていた所を知った麟姉さんの強襲によってこの『ぶりはまち体操』は永久封印された事をここに記しておく。
 とはいえ、評判はよかったらしく、保育所で代々伝わってゆくのだが、それは別の話。


 作者より一言。
 寒田鎮将と雄城鎮景ですが、双方一族が残っている事までは掴めたのですが、史料が見つからなかったのでオリキャラとして出しました。



[16475] 南海死闘編 第ニ話 ある家族の家族旅行
Name: 北部九州在住◆69dd1406 ID:7bfeb34b
Date: 2010/03/08 15:41
「海ぃ」
「うみー」
「zzz」

 珠姫丸に乗っておおはしゃぎの黒耀と琥珀を眺めている珠です。
 もちろん、手には翡翠が眠っていたり。
 この時代、生まれた村から出ない人の方が多かったのですが、現在私達は家族旅行中だったりします。
 目的地は安芸国、吉田郡山城。
 老いて、最近は寝たきりらしい毛利元就に孫の顔を見せておこうかと思い、四郎と共に家族旅行としゃれ込んで……

「しかし、南蛮船というのは凄いな」
「本当ですね。
 ほら、波があんなに」
「家畜室が凄いらしいって。
 楽しみね」

 何でいやがる。
 父上に母上に養母上よ。

「何、孫と旅に出るのに置いてきぼりなどひどいではないか」
「そうですよ。
 ほら。
 黒耀と琥珀があんなにはしゃいで」
「船員の皆様の慰安をと話したら……ごめん」

 あんたら、今現在戦国時代って分かって言っているのか?おい。
 あと母上、それは私の仕事だ取るんじゃない。
 そんな私の言葉を口に出さずに、目で突っ込んでみたが流石は父上。いう事が違う。

「愚か者め。
 わしがふらりと出てゆくのは家中誰もが知っておる事。
 それが、少し遠出をするだけの事よ」
「そうですよ。
 わたしも居ますし、長寿丸は府内に残しているから困りもしませんよ」
「私はいつもの事だから問題ないし」

 そうだった。
 この父上は私より放浪癖があるのを完全に忘れていた。
 というか、養母上も一緒なら、

「また、あの三人外でまぐわっているんでしょ」
「いい年して、姫様が色狂いなのはご両親の血を引いているからのぉ」
「まぁ、戦もなし、急ぎ片付ける用件もなし。
 姫様や長寿丸様と親貞様もいるし、問題なかろうて」

 こんなのりである。
 この父上、すっかり隠居モードに入ってやがる。
 とはいえ、大友家の主要政策における決定には父上の加判は、絶大な威力を発揮するのもまた事実で。
 家中で猛反対のあった唐芋の全国普及の決定を支援してくれたのは、この大友義鎮である事は忘れるつもりもない。
 今頃、内政担当の志賀親守殿や一万田親実殿は青筋を立てて探しているんだろうなぁ。
 とりあえず、船長たる安宅冬康を手招きして尋問タイム。

「何であれがいるのよ?」

 親をあれあつかいというのもいかがなものかと思うが、とりあえずあれでこちらの怒りが分かったらしい安宅冬康は顔から汗を出して弁明する。

「そ、それが……
 姫様、今日は家畜室を使うと聞いて準備をしていたら、どこから聞きつけたかあのお三方が……」

 な、なんですと?
 改めて、あれあつかいの三人をまじまじと見て。
 うわ。
 父上さり気なく尻触っているし、母上も養母上も振り払わずに頬を赤めているし。

「安宅冬康ぅ~
 どうして、追い払わなかったのかな?かな?」

 ちょっとL5の顔で問い詰めると、汗だらだらで安宅冬康が弁明を。

「ひ、ひめ。
 それがしにどうお館さま方を追い払えと」

 いや、八つ当たりって私が一番わかっているけど、言わずにはいられないのだ。
 というか、一言も発せずに置物と化して危険から身を避けている四郎にも八つ当たる。

「四郎だって、一家を率いる身なんですから、父上ぐらい追い出す気概を持たなくてどうします」
「いや、姫。
 一家を率いるからこそ、無用な争いは避けるべきかとそれがしは愚考するに」

 こんちくしょう。
 最近私の扱い方を覚えてきたからって、官僚的答弁といい笑顔で私がごまかされると思って……

「母上怒ってる」
「おこってるぅ」
「…ぅぁ」

 やばい。翡翠が泣いちゃう。
 大急ぎであやす私を一同楽しそうに見やがって。

「翡翠おねむ~」
「おねむぅ」
「zzz」

 娘達が翡翠をつんつん触るのを見ながらため息を一つ。
 ほっとした矢先に父上が更なる爆弾を。

「で、お前が南蛮人からしつらえた服があるのだろう。
 早く見せろ」

「安宅冬康ぅぅぅ!!!
 なんで、父上達にばれているのよっ!!
 あんたまさかちくったわねっ!」

「それがしではございませぬ!
 何しろあれは島井宗室殿がお持ちになられたではございませんか。
 妙に大きな箱だとは思っていましたが……」

 汗だらだらで安宅冬康の弁明を聞いて、全てのからくりが解けた。
 あの御用商人、あれを母上達にも送ったな。 

「実に楽しみだ。
 お前が特別にまぐわう為に作ったというのだからな。
 翡翠はわしが預かるゆえ、着替えてくるがよい」

 きっと、夜は家畜室で母上達とお楽しみなんですね。わかります。
 ちくしょう。
 四郎に種付けしてもらおうと色々手をかけたのが裏目にでやがった。

「どんな服を用意したのかしら?
 あなたの服だから破天荒なんでしょうねぇ」
「どうせ裸になるとは思うけど、服で男どもを魅了するのも悪くないわね。
 実に楽しみだわ」

 やっぱり、あんたらのもある訳だ。
 島井宗室には今度何か報復を考えておこうと心に決めながら、両脇を母上と養母上に抱えられて船室に引っ張られていったのだった。



「ほぅ……」
「……」(ごくり)
「これは、なんと……」

 父上、四郎、安宅冬康の三人の感想の他、水夫達の口笛がこの服の評価を物語っていた。
 いや、かつてクリスマスで来た服を揃えようと頼んでたのだけど、あれ、『聖女というか性女』とか『勝負服ならぬ娼婦服』と公表直後から突っ込まれていたから欲しいとは思っていたのだった。
 そんな服の最新モードが出来たというので一式作らせたらこの様である。

 母上が着ているのが、かつて私が着ていたハイプリ服。
 なお、三人とも胸のサイズが違うのでカスタムしているあたり、島井宗室抜かりは無い。
 両足から丸見えの太もものストッキングは当然白である。
 この服で妖艶に微笑むのだから、そりゃ『性女』とか『娼婦服』とか呼ばれる訳である。
 神様だけど。母上。
 なお、真ん中の前掛けは十字ではなく大友の家紋である杏葉にかえていたり。
 
 で、少し恥じらいがあるらしい養母上はプリ服である。
 藍色で片側スリットから覗く黒のストッキングが大人の女を醸しだすのだが、着た後で我に帰ったらしく、「やっちまった」的に顔を赤める姿が実に色っぽい。
 もちろん両肩の紋章を杏葉にかえてある辺りいい仕事してやがる。

 で、私は今回のメインとして「アークビショップですね。わかります」と思った人はちょっと待って欲しい。
 なんとあんな破廉恥な服ではなくシックな修道服を着ているのだ。私は。
 スリットも太ももも出さないロングスカート修道士服なのですよ。
 まぁ、ネタをばらせば、某戦国ゲームの父上の衣装だったりする訳だ。
 当然前掛けは杏葉に変えているけど。
 『盲目の狂信者』って何だよ。狂人である事は否定しないが。
 この父上がそんなキャラな訳ねーだろと大爆笑しながらも、その衣装は素敵だったのでこうして採用をば。
 もちろん、この清楚な修道士服の下は……である。原作的に考えて。

 なお、この三人のちちくらべをすると、

 神乳(母上)>牛乳(養母上)>巨乳(私)

 に、なるのだが、養母上はぽこぽこ子供生んでいるから乳の出がとてもよく、黒耀とか私の乳より養母上の方を好んで飲んで大ショックだった事も。
 まぁ、こうやって並ぶと母上と養母上の見事な年増園ぶりが。
 
「珠。
 なんて服を用意したんですかっ!」

 うわ。
 手で片方のスリット隠して真っ赤になって怒る養母上が可愛すぎる。
 これで、私より子供生んでいるって信じられない。

「あー、前掛け外せばこのままできるのか。
 よくできているわね。この服」

 母上、機能美に感動しないでください。
 一応その服、高位の聖職者が着る服なんですから。

「姫。
 か、かわいいですよ」

 な、
 なに、赤くなって真顔でつぶやきまくりやがりますか。四郎。
 そんな顔されたら照れるじゃない……」

「声に出ているんだが。娘よ」

 父上、いらないこと言わないでください。
 せっかく三人揃ったので、爆乳音頭を踊ってみたらえらく受けたので今度杉乃井の出し物にしよう。
 まぁ、そんなのんびりとした航海は続いたのだった。



「で、何を企んでいるんです。父上」

 夕食後、甲板に上がって一人佇んでいた父上に声をかけた。
 ウェールが髪と共に潮風になびき、手で押さえながら私は父上の本心を尋ねてみた。

「さしたる策があってここにいる訳ではないが」

 月夜に照らされた父上の顔は何処と無く寂しそうに見えた。

「会ってみたくなった。
 弟を死に追いやった毛利元就にな」

 父上の弟である大内義長は大内家を簒奪した陶晴賢によって担がれ、厳島にて彼が敗死した後に毛利元就によって滅ぼされた。
 だが、彼の破滅の裏には冷徹にその破滅に手を貸して、豊前筑前の領国化を狙った父上の存在も大きい。

「あれは、お前と共にこの西国の繁栄を築いた柱だ。
 あれが居なくなった後で、お前一人でその繁栄が支えきれるのか、あれに尋ねたくてな」

 その声になんとなく父上が過去を向いている事を悟った私はあえて声をかけなかった。
 波の音しか聞こえない夜の甲板で、父上は重くなった口をゆっくりと開く。

「わしは、お前を育て間違えたと今でも思っている」

 その言葉に衝撃を受けなかったといえば嘘になる。
 帆柱に添えた手が自然と柱を掴む。

「大名として生きるのならば、身内をこの手にかける事は避けては通れぬ。
 本当ならば、わしがお前の手にかかって、それを教える事ができたらと思っていた」

 淡々と語るがゆえに、その言葉に口を挟めない。
 着ている修道士服と相まって、懺悔を聞いているように錯覚してしまう。

「お前は、毛利元就亡き後、西国を継ぐ事になるだろう。
 大友だけならそれでも構わぬ。
 だが、お前が継ぐ西国、いや天下はお前の甘えや優しさなどに見向きはしないだろうよ」

「……それは、分かっているつもりです」

 かろうじて声を出したが、父上までかつて信長に痛罵された言葉を私に送るとは思っていなかった。
 実質的な大友毛利連合の総指揮を、毛利元就亡き後に私が取る事になるのも規定路線である。
 桁違いに膨れ上がる利害関係と複雑怪奇に入り組んだ統治、そして織田信長との対決に向けてやらねばならぬことはいくらでもある。

「人が助ける事ができるのは、目で見えるもの、手でつかめるものでしかない。
 天下などは、その全てを見る事はできず、お前の手でつかめるのはほんの少しだ。
 それを知らずに天下を継げば、いずれお前も壊れるのだろうよ。
 かつてのわしみたくな」

 闇が晴れたとは言え、父上の心の傷が癒えた訳ではない。
 その傷が大名大友義鎮としての原点でもある以上、それは決して消える事無く死ぬまで疼き続けるのだといやでも理解した。

「もっと、傲慢になれ。
 もっと、腹黒になれ。
 戦国の世では、お前の優しさは害にしかならぬ」

 真顔で誠実に、だからこそ否応無くその言葉は私に突き刺さる。
 その言葉に何も答える事はできず押し黙っていると、楽しそうに父上が笑った。

「だから、お前は子供なのだ。
 子供がいる身でそこで即答できぬようなら、まだわしが手助けせねばならぬではないか」 

 何でだろう。
 父上の姿がぼやけるし、頬の一部に何か液体が伝わるのだが。

「天下と子供を秤にかけるぐらい傲慢にならねば、子供など守れはせぬぞ。
 『子供のため』その大義無くば、人を殺し続ける事はできぬ。
 だが、それを行える者のみが大名として家を背負ってゆけるのだ」

 父上は月夜に照らされた海を見続ける。
 泣いている私を見るのが照れくさいのか、言っている自分の言葉が恥ずかしいと自覚しているからなのか、あるいは両方か。
 
「今だから偉そうに言う事ができる。
 今の大友はわしが作った。
 親を叔父を弟を殺し、多くの兵や民を殺して作ったわしの国だ。
 その業を背負って、お前の前に居る」

 父上は私の方を振り向いて、静かに私の手を取った。
 その手から伝わる父上の温もりが暖かく、そして優しい。 

「わしの血塗られた業で作られた大友という家をお前に渡す事ができる。
 それがもの凄く嬉しいのだ」

 そう言って父上は笑った。
 その笑顔は忘れる事はできないだろう。
 あの父上がこんなに優しく笑ったのだから。

「だから、少しだけ手伝ってやる。
 そのために毛利狐に会おうと思ってな」

「父上……」

「親は、いずれ子供に越えられて行くものだ。
 だが、それまでは子供を助けるものだ。
 わしが親を語るか。
 世も末だな」 

 声を殺して泣く私に、父上は私の頭に手を置いて優しく撫で続けた。
 私はその手の大きさと暖かさを忘れないようにしようと心に決めたのだった。



「ところで、先ほどから母上達が見ていますが」
「……」
「まさか、このあと、家畜室でお楽しみなんてこのいい空気ぶち壊しだと思うのですが」
「……」
「どうオチをつけてくれるのか娘としてとても楽しみではあるのですが」
「……」


 結局、家畜室は父上達のお楽しみで使われましたとさ。
 ちくしょう。



[16475] 南海死闘編 第三話 老将は死なず
Name: 北部九州在住◆69dd1406 ID:7bfeb34b
Date: 2010/03/08 16:33
 吉田郡山城は安芸国の山の中にある。
 城外に広がる屋敷群などはその毛利の繁栄を象徴してはいたが、西国の雄たる大毛利家の中枢とは思えないほど質素な佇まいをしていた。
 それも大友との講和の後、安芸国広島に新たな城を建設しつつあり、既に商業施設などは広島に移りつつあったからである。
 新たなる本拠となる広島城は大友の技術支援もあり、完成すれば太田川の三角州に五層の大天守そびえる西国の首都と呼ばれるであろう大城郭が建築中である。
 若き当主である毛利輝元は広島にて小早川隆景や吉川元春の補佐の下で政務の一部を行いだしているが、毛利躍進を一代にて成し遂げた毛利元就はこの吉田郡山より動こうとはしなかった。

「この城が全てだった男でしかないよ。わしは。
 天下など、わしの手には大きすぎる」

 かつて息子達や義娘に語った言葉どおり、彼はこの城で終わるつもりらしい。
 だから、九州の地より南蛮船にてやってきた珠姫御一行は、わざわざ吉田郡山の地まで足を運ぶ事になった。
 病で床についていた毛利元就は三人の孫娘の前では、ただ孫の到来を喜ぶ老人でしかなかった。


 月夜美しい穏やかな夜、開け放たれた部屋に月明かりが届き、半身を起こしていた毛利元就はその明かりに照らされた庭を眺めていた。

「起きていたか」

 毛利元就の寝室として使われている部屋に彼以外の声が響く。

「来ると思っていた。
 だからこうして待っていた。
 人払いは一応しているつもりだ」

 声の方に顔を向ける事無く、毛利元就は声の主である大友義鎮に声をかける。
 静かな夜に少し荒々しく床を鳴らしながら、大友義鎮は毛利元就の隣に座った。

「娘が気に入っている、南蛮渡来の酒だ。
 葡萄という果物で作られた酒だそうだ」

 手に持った箱を開けてワインを取り出す。
 ワインボトルの隣に入っていたのは、ワイングラスではなく景徳鎮製の青花の茶碗だったりする。
 飲みなれない人間がワイングラスを持ちそこねて落すのを心配した珠姫の心遣いなのだが、それは当の二人に分かる事無く、普通の酒のように大友義鎮はそれにワインを注ぎ毛利元就に渡す。
 なお、この染付磁器に金の匂いを感じた珠姫は、大陸や半島から職人を呼んで肥前国唐津にて大規模な窯場を整備したはいいが、なかなかいいものが作れずに苦労しているのを二人は知っていた。

「毒は入っていないだろうよ。
 あれは、『はやくくたばれ』と毒つく事はあれど、手は思ったよりまともゆえな。
 闇討ちあたりを覚えて欲しいとは思うが」

「そうだな。
 松永久秀や宇喜多直家、織田信長あたりを相手にするには少しあの娘は優しすぎる。
 だから、手を貸したのだが」

 そして二人同時にその茶碗をあおる。
 もちろん、毛利の家臣の毒見済みではあるが、互い同時に飲むあたり戦国の信頼感がいかほどのものか現していた。
 茶碗に入ったワインを揺らして毛利元就は楽しそうに笑う。
 その笑いが気になったのか、大友義鎮はワインを飲む手を止めて口を開いた。

「やはり、織田信長があれの敵になるか」

「群上八幡の合戦の詳細は聞いたか?
 あやつ、わしが考え、我が義娘が差配した手を更にでかくやりおった」



 畿内の合戦は京を押さえ足利義昭を擁する織田と、足利義輝を旗印にする上杉家の同盟国である浅井・朝倉家の合戦に集約されていた。
 浅井に奪還された横山城を取り返すために、織田は総力をあげて兵を出し、朝倉は浅井の後詰に動くという戦を織田信長は読みきっていた。

「多方向から攻撃を受けた信長は、それを各個撃破せざるを得ない状況に追い込まれているわ。
 だから、それをさせない為に多方向『同時』攻撃に切り替える必要があるの。
 そして、大将である信長の動きを封じ込める。
 厳島よ」

 そうほざいた珠姫へのあてつけのごとく、横山城へは明智光秀と柴田勝家率いる近江衆・美濃衆一万が、琵琶湖西岸を北上し若狭および敦賀に向かう軍勢には森可成と羽柴秀吉と松永久秀率いる一万二千が進撃していた。
 これに対し朝倉家の防衛の総指揮を取る朝倉景紀(朝倉義景に丸投げされたともいう)は、横山城だけでなく若狭の防衛に手を回す必要があり、更に都合が悪い事に能登畠山氏の内紛から一向一揆が、能登・越中・加賀で再蜂起してしまい、その対処に追われていたのだった。
 それを朝倉景紀によって失脚されられ、油坂峠を越えて美濃を突く事で復権しつつあった朝倉景鏡が見逃すはすが無く、再度斎藤龍興と共に勝手に油坂峠より一万五千の兵を持って美濃に侵攻した。

 それが織田信長の罠である事も知らず。

 美濃国群上八幡まで出向いた朝倉軍は、待ち構えていた織田信長の旗本及び丹羽長秀・佐久間信盛・滝川一益率いる尾張・伊勢衆二万を見て待ち伏せされていた事を悟り撤退しようとするが、織田信長自らの急襲によって壊走。
 朝倉景鏡と斎藤龍興は討死し、油坂峠から越前に戻るまでに朝倉軍は三千近い兵を織田軍に討ち取られるという大敗北を喫したのである。
 そのまま兵を近江に転じて横山城を攻める織田軍を止める力を浅井・朝倉家は持っていなかった。
 更に、琵琶湖西岸に兵を勧めていた織田軍にいた松永久秀の手引きで、若狭の国人衆が織田側に寝返るに及んで朝倉家は横山城への後詰を断念し、横山城は再度織田家のものになったのである。
 その詳報を聞いた珠姫は、

「こっちの手をちゃんと理解して、三倍返しを食らわしやがった。
 これだからチートは……」

 と呻きながら頭を抱えたらしいが、彼女の異国語は家中の誰も分からなかったのでそのまま闇に葬られている。
 とはいえ、織田信長が群上八幡の勝利の余勢を持って越前に侵攻しなかったのは、飢饉による兵糧不足のせいだった。
 銭の力を知っていた織田信長は、それでよしとして市場の力を深く理解していなかった。
 何故彼が飢饉に苦しむ畿内を抱えながら大兵を動かせたのか、それは畿内の銭をかき集めて米を買い占めたからに他ならない。
 この米の買占めが飢饉のさならる拡大を招き、しっかりと信長に跳ね返ってくるのだから因果応報とは良くできているものである。
 その信長の銭を持ってしても越前侵攻に足りるだけの米を集め切れなかった、いや、急上昇し続ける米価に信長の銭が追いつかなかったと言った方が正しいだろう。
 信長自身は織田領内の米の価格統制で乗り切ろうとしたが、大商人連中である堺衆は信長の影響下に置かれておらず、物が無くなるのではなく無くなる恐怖が価格を作るという事を理解していなかった。
 彼が堺に対して価格統制令を出しても、

「物が無いのに、価格を抑えろとは無理ですな。
 そもそも、どこぞの誰かが米を買い占めて戦など起こさねば……」

 けんもほろろである。
 大友毛利の西国連合による流通圏ができた事によって、証文経済の進化として手形取引が始まり、物資は全て門司に集められ、堺は消費地の窓口として機能しだしていたのだった。
 既に米そのものが無い堺に対して、物資集積地である門司を抱え込んでいた博多に米価決定権が移っていた事が悲劇に拍車をかけた。
 この米の狂乱相場は結果として甲斐・信濃に地獄を現出させ、奥州・北陸では民の飢餓などお構いなしに港から米が門司に送られるという惨劇があちこちで見られ、歴史に、

『飢えて死す者、その数わからず』

と伝えられる伝説の大飢饉となるのだが、この米相場で米そのものを持っている門司を抱える大友家と毛利家は笑いが止まらないほどの儲けを出しており、広島城の建築資金などはそこから出たあぶく銭の有効活用だったりする。
 なお、大友家におけるあぶく銭の使い道が唐芋の普及であり、大陸からまで米をかき集めた米価相場の操縦と、流民を台湾に捨てるがごとく送りつけた殖民政策だった。



「とはいえ、戦をするのは貴様の孫だろう。
 勝てるのか?」

「負けぬ事で精一杯だろうな。
 何より、輝元も義娘も天下など望んではおらぬ」

 ワインでうっすらと内側が紅色に染まった茶碗を置いて、二人の話は進む。
 酒の肴には少し物騒な会話なのだが、楽しいらしく二人とも顔に笑みが浮かんでいた。

「あれが考え出した鎮台を近く作るつもりだ。
 ひとまず、山口・三原・月山富田に置こうと思っている」

 毛利元就がぽつりと漏らした言葉に、大友義鎮が口元に手を当てて返す。

「鎮台を作るか。
 だが、その数では追いつかぬぞ」

 そもそも珠が考案した鎮台制度というのは、反乱に対する攻勢防御を名目に国衆の動員に任せていた兵の管理を大名が把握し、擬似的な常備兵化と訓練による精鋭化に装備の統一、鎮台所属の一体感を国衆ではなく大名家そのものへの忠誠に切り替えるという彼女の兵制の肝であった。
 だからこそ、大名統治が進んでいる本国豊後では旗本鎮台を入れて、日田・日出・臼杵・大野と五つもの鎮台が設置されているのだ。
 だが、毛利元就が出した地名に一つとして本国安芸の名前が出ていない事で、大友義鎮はいやでも悟らざるを得ない。
 西国随一の大大名毛利家は、外様系の国衆は制圧し粛清できたとしても、内部の譜代・一門衆の統制がまだ行えないという事を。
 それは、一代で成り上がったが為に一門・譜代・外様の関係が序列化しておらず、緩やかな連合政権として成立している毛利家の宿命でもあった。
 大友家の場合、土着の外様である大神系氏族を長い年月をかけて粛清し、義鎮自身が二階崩れや小原鑑元の乱で一門・譜代の粛清を、そして珠が占領地である豊前国人衆を掌握し、筑前国人衆を粛清する事で大名支配の完成を一応達成している。
 それですら、後回しとなった筑後国人衆に対する統制は後手後手に回り、柳川鎮台設置に対して柳川城主である蒲池鑑盛に大友義鎮自ら文を書いて理解を求めているし、阿蘇家や相良家という二大勢力が幅を利かせている肥後等は彼らに下駄を預ける始末。
 大友家ですらこれである。
 ましてや、毛利家の場合、そもそも吉川元春と小早川隆景の序列すらはっきりしておらず、一門や譜代衆の序列は何をいわんやである。

「わしができるのはここまでだろうな。
 月山富田に吉川元春、三原に小早川隆景、山口には内藤隆春をと考えている」

 大内家との縁も深く長門守護代でもある内藤隆春は、家中から讒言を受けてその詮議が続いている最中だったりする。
 広島では、三村家の粛清による毛利直轄領組み込みが、道理を得ない形の粛清(何しろ元同盟国で不義理など無い形での粛清併合)だった事もあり、

「次は誰か?」

 の疑心暗鬼に捕らわれつつあったのである。
 その疑惑の渦中にいる内藤隆春に山口鎮台を任せるという方針は、動揺する家中を収める効果があるだろう。 
 もちろん、内藤隆春をそのまま信じるわけではない。
 山口の先にある博多に四郎こと立花元鎮という一門が控えているからこそであり、山口で反乱が起きたとしても潰せると判断しているからに他ならない。
 そして、その反乱に大友が介入しない事が分かっているからこその手だ。

「今の時期に長門侵攻?
 馬鹿いわないでよ!
 大友という大敵で毛利が一枚岩になるじゃない!!」

 某大友家加判衆の意見だが、この冷徹かつ冷酷な意見を毛利元就も読みきっていたからこその策だった。

「吉川と小早川か。
 優秀すぎる一門は揉めるぞ」

 実に白々しく大友義鎮は心配してみせる。
 事実、この時期の毛利家中は宗家輝元が若年なのもあって、権力が二人の叔父になる吉川元春と小早川隆景の二人に集約しつつあり、しかも担当が吉川が山陰、小早川が瀬戸内と分かれた為に、双方の国人衆の利害対立に上が巻き込まれるという情況もしばしば起こっていたのだった。

「貴様が一門の心配をするか」

 それだけ言って毛利元就が哂う。
 毛利元就の策でもあったが、陶晴賢亡き後に糸の切れた傀儡と化した大内義長を見殺しにしたのは、目の前にいる大友義鎮自身なのだから。
 なお、追い詰められた大内義長を返還しても良いという毛利側の申し出に対して、大内の一品である大内瓢箪という茶器を要求したという逸話まで残す始末。
 だが、大内義長が死ぬ事で大友宗家は義鎮ただ一人しか残らず(この時点で大友親貞の存在は義鎮は知らなかった)、否応でも豊後が一本化したのもまた事実であった。

「あの時、もらった大内瓢箪に茶を入れるたびに、晴英(大内義長)の事を思い出すのだ。

 誘ふとて 何か恨みん 時きては 嵐のほかに 花もこそ散れ

 晴英の辞世の句は忘れた事がない。
 そして、その句を思い出す度に、無念そうな顔をこちらに向けて何も言わぬやつが現れる。
 わしは経のように呟く事しかできなんだ。
『もう少し待ってくれ。
 貴様より惨たらしく死んで地獄に落ちる』
とな」

 茶碗に残っていたワインを飲み干して、改めて二人の器に大友義鎮はワインを注ぐ。

「何を持って親を超えるか。
 親の愛など分からぬわしにとって、それだけの為にしか生きてこなかった。
 九州探題となり、父上を超えた後はどうなってもいいと思っていた」

 茶碗を持ったまま大友義鎮は月夜に照らされる庭を眺めた。
 黒と白によって作られる世界は静かで、時が止まってるように見える。
 淡々と語る大友義鎮の言葉に毛利元就は口を挟まなかった。

「そんな時、宇佐に預けていたあれがいい感じに育ってきた。
 会ってすぐに分かったよ。
 わしが何をしたか知っていると」

 目を閉じて楽しそうに笑う大友義鎮の瞼には、まだ幼子なのに才を出してかつ『こいつは危険だ』と警戒心ばりばりで身構えていた珠の姿が映る。
 事実、和解するまでの父娘の会話の殆どに愛などありもせず、毛利元就の蠢動もあるのだが間違いなく珠姫は大友義鎮を殺す覚悟を決めつつあり、大友義鎮もそれを受け入れようとしていた。

「嬉しかった。
 因果というのは巡るものだとわしははじめて神仏に感謝したよ。
 これならば、わしを殺してくれる。
 親を殺して家を奪ったわしが娘に殺されるだろうとな」

 吐き出した大友義鎮の顔に、闇も後ろめたさも無い。
 その顔を毛利元就はしばらく無言のうちに眺めた後、興が冷めたように息を吐き出した。

「変わったな。
 いや、変えたというべきか。
 あれのせいで」

 あれとは、毛利元就にとっての義娘であり、大友義鎮にとっての愛娘である珠姫に他ならない。
 大友義鎮は二杯目のワインを飲み干すが、三杯目を注ぐ事無くその茶碗を置いた。
 茶碗を置いた音が月明かりの中で少し大きな磁器特有の澄んだ音色を奏でる。
 その音が今の大友義鎮を現していた。

「晴英の事も最近は見なくなった。
 だが、地獄であれに逢った時に誇って言おうと思う。
 『わしの娘は凄いだろう』とな」

 そう誇る大友義鎮を毛利元就は羨ましいと素直に思った。
 そして、先に逝った毛利隆元がいれば言い返す事ができるのにと、訳も無く溢れた思いを無表情に抑えて、二杯目のワインを飲み込んだ。

「大名とは孤独なものだ。
 こんな話をする事もできぬ。
 だが、わしも年だ。
 愚痴の一つも漏らしたい時はある」

「漏らせばいいではないか。
 全てを子や孫に押し付けて。
 そして誇ればいい。
 親にできぬ事を押し付けるのもまた子の勤めだ」

 大友義鎮が豪快に笑い、呆れた毛利元就だがつられて二人して笑い出す。

「一つ頼みがある」
「用件にもよるな」
 
 真顔に戻った毛利元就の言葉に、大友義鎮は笑顔のまま答える。
 そんな大友義鎮の言葉など聞かなかったかのように、すらすらと毛利元就は用件を口に出した。

「輝元に恨まれてやってはくれぬだろうか?
 育てはしたし、元春や隆景がついてはいるが、だからこそあれには狂気が分からぬ。
 この戦国の世において、道理のみで進む訳ではない。
 理不尽かつ不条理なものを教える事はできなんだ」

「それをわしに押し付けるか」

「当然の事だ。
 何しろ、おぬしにとっても輝元は息子になるのだからな」

 奈多夫人との間にできた二番目の娘である梢姫が近く毛利輝元の元へ嫁ぐ事になっている。
 珠や四郎などは孫の顔見せの他に、この縁組の打ち合わせも兼ねていたりするのだが、大友義鎮は純粋にただついてきただけで口を出してはいない。
 
「ふん。
 娘になら殺されても構わぬが、義息にはわしを殺せるだけのものはあるのか?」

「ないな」

 即答して見せた毛利元就に大友義鎮が呆れる。
 その顔を見て、毛利元就は心底楽しそうに笑った。

「おぬしにその顔をさせたのだ。
 わしの孫も中々凄かろう。
 だから教えてやってくれ。
 おぬしを殺すには家中まとまらねばならぬと。
 元春や隆景や元鎮、一門譜代全てと手を取って当たらねばならぬとな」

「……まぁ、良かろう。
 餓鬼の殺意など娘でなれておるわ。
 だが、そこに娘を入れなくていいのか?」

 珠の名前を外した事に大友義鎮はその真意を尋ねる。
 毛利元就の答えは大友義鎮の想定していた答えと同じだった。

「言わなくても分かる。
 何しろ、わしの義娘だからな」



 毛利元就の部屋を後にした大友義鎮は、そのまま隣の部屋に顔を出す。
 そこには、毛利輝元・吉川元春・小早川隆景・珠姫・四郎と一同が雁首を揃えて二人の話を聞いていたのである。
 
「人払いは一応しているつもりだ」

 という毛利元就の言葉を思い出して大友義鎮は笑みを浮かべるが、その笑みが怖いらしく毛利輝元が腰を浮かそうとして吉川元春と小早川隆景に視線でたしなめられる。

「聞いたとおりだ。
 わしの首は餓鬼にくれるほど安くは無い。
 全員でかかってこい」

「「「「「はっ」」」」」

 その一言に、控えていた全員が頭を下げたのだった。


 毛利元就は、それからもうしばらく生きた後に吉田郡山城で子や孫に囲まれ、畳の上で静かにその生を終えた。


 友を得て 猶ぞうれしき 桜花 昨日にかはる けふの色香は


 大内・尼子を過去の亡霊に押しやり、大友と死闘の果てに和解し西国にその影響力をくまなく広げた戦国時代随一の英傑は、静かに去った。
 そして、毛利元就の願いどおり、毛利と大友は戦国の終わりまで争う事は無かった。



[16475] 南海死闘編 第四話 右筆の間茶飲み話
Name: 北部九州在住◆69dd1406 ID:2a1e2f20
Date: 2010/03/16 22:57
元亀元年(1570)年 府内 府内城 二の丸政所

「これじゃ駄目ね。
 やり直して頂戴」

 仕事をしています。珠です。
 書類を突き返した相手は寺社奉行の大友親貞。
 付き添いの奈多鎮基も一緒です。

「問題は相手に名を残したまま、こちらが実を取る形にしないといけないのよ。
 強権で押してみなさい。
 国東半島で一揆が勃発するわよ」

 親貞君の仕事として寺社に対する影響力の低下を画策した提案を却下した理由は、宇佐八幡および六郷満山寺院群の荘園群の没収・直轄領化という提案があまりにもストレート過ぎたからである。
 まぁ、奈多鎮基の補佐ではそうなるだろうなとは思っていたけど。
 ちなみに、この手は奈多鎮基の父親である鑑基が散々やった手である。
 具体的には、宇佐八幡の分社である奈多八幡に荘園を移し、荘園収入の半分は大名に、残りの半分は奈多八幡にという手で、寺社奉行も兼ねていた奈多鑑基の裁定は常に奈多八幡側に有利になり、それが史実では宇佐八幡の大内・毛利側へ走らせる遠因にもなった。
 まぁ、宇佐に人質に出ていた私がその裁定を妨害し、新田開発等で宇佐側を宥めた結果そんな事態は起こってないが、今度は宇佐八幡自体の力が強くなりすぎるという事態にに頭を悩ます羽目に。

「義姉上なら押さえる事ができるのでは?」

「あ・の・ね・ぇ。親貞。
 私は加判衆右筆であると同時に、宇佐八幡禰宜である事分かっている?」

 ちなみに、現在の私の公的身分は従四位下典侍という女官位にかわっているが、宇佐八幡禰宜の名前の方が九州では通りがいいのでこっちの方を使っていたりする。
 私の新田開発や座の収入などもあり、かつての栄華再びと思わせるほどの繁栄を宇佐八幡は味わっていた。

「しかし、姫様は大友家を継ぐお方。
 ならば、大友家に有利となる裁定を断るとは思いませぬが」

 横から口を出した奈多鎮基を睨みつける。
 一呼吸おいて笑みを浮かべたまま、ゆっくりとある事を口に出した。

「あしからず言っておくけど、宇佐八幡および六郷満山への対処は、大友家領内の全ての寺社に対する基本として扱われる。
 そのような案を持って来いって言っているの。
 この案だと奈多八幡の荘園も同じ形で奪えるけどそれでいいのかしら?
 彼ら、揉めるなら寺社奉行では埒が明かぬと加判衆評定に持ち込むだろうし、私はそれを受理するわよ。
 何しろ、まだ宇佐八幡禰宜ですので」

 私が激怒している事に気づいた二人は真っ青になるが、先に頭を下げたのは親貞の方だった。

「申し訳ございませぬ。義姉上。
 この親貞、まだ力及ばす姉上の手を煩わせる事になろうとは」 

「いいわよ。
 かわいい義弟の為にやっている事なんだから。
 多少の失敗はこっちで何とかするから、萎縮せずに案を持ってきなさい。
 下がってよし」

「はっ」

 二人が下がったのを確認して、私はため息をつく。
 とりあえず、部下の失敗時に頭を下げる程度の頭はあるという事ね。親貞君。
 今回の提案は、実際は奈多鎮基が作った事を私は見抜いていた。
 あれだけあからさまだと、かえって親貞君を気の毒に思ってしまうから不思議だ。

「姫様。
 一休みなされては?」

 控えて仕事をしていた麟姉さんが声をかけてくれたので、それに従う事に。

「そうね。
 一息つきましょうか。
 政千代、お茶と茶菓子を持ってきてくれないかしら?」

「はい」

 ちなみに私の仕事場である府内城右筆の仕事場は、男どもから『女の城』と呼ばれていたりする。
 何しろ私に、その補佐をする麟姉さんに政千代、必ずどちらかがついてる護衛役の八重・九重姫、更に忍の舞・霞・綾音の誰か一人がつき、彼女達にそれぞれ手伝いの姫巫女衆が二・三人つく大所帯なのだ。
 ここに陳情に来た国衆は、誰もがその女達の視線に耐えられないらしく、用件を言ってそそくさと逃げるように去る始末。
 今や九州はおろか西国にも影響力を与える大大名となった大友家は、書類仕事が飛躍的に増加。
 とはいえ、読み書き算盤ができる人間を組織的に投入できたのは私とその配下である姫巫女衆しかなかったので、この女の城を崩そうにも崩せないというていたらく。
 おかげで、現在大友領内の読み書き算盤の普及率は急上昇中である。
 更に、国衆は人質代わりに子弟子女を杉乃井に預けるし、遊郭に隣接する学び舎という中々カオスな施設群が。
 『学び舎を卒業する時に別のも卒業するのですね。わかります』と一人ツボに入って笑い転げたのを奇異の目で見られたのは内緒。

「あー疲れた」
「今日のお茶請けはカステラだそうですよ」
「やった。私これ好きなの」
「美味」
「毒見は済ませているのでどうぞ」

 わいわいがやがや。
 茶道なんてそっちのけ、わびもさびもない女の宴である。
 しかも、ここにいる主要メンバー全員が子持ちのママさんである。

「そういや、旦那とうまくやってる?」
「はい。……あっちの方も……」
「あらあら」
「うちも問題ない」
「はいはい。のろけ乙」

 こんなのりである。
 あ、舞は尼子から亡命してきた鉢屋衆の鉢屋弥之三郎の血を引く忍と結婚して、正式に大友家直属の忍び衆の長に。
 遊女に歩き巫女、鉢屋衆に英彦山の山伏というカオス組織を切り盛りするのは大変らしく、そのくせ私の護衛までするのだからいつ仕事をしているのかと不思議で仕方ない。
 まぁ、大まかな方針と人事予算権を私が握っているという厄介事をさせてないから大丈夫なのかも。
 その分私が地獄だが。

「姫様。
 吉岡長増老がお茶菓子として饅頭を持ってきたと」

「いいわよ。
 お通しして」

 さすが吉岡老。女を動かすすべを心得ている。
 公式での面会だとどうしてもガードが固くなるけど、こんなお茶会時にお茶請けまで持ってこられたらいやでもガードが下がるではないか。

「邪魔するの。
 会ったのは田北老の葬儀の時以来でしたかのぉ?」

「そうですね。
 田北老も角牟礼城で往生できたから幸せでしょう」

 お茶請けの饅頭を侍女に渡してしみじみと私と吉岡老は語る。
 先ごろの事だけど、田北老こと田北鑑生がひっそりと世を去った。
 杉乃井で若侍相手に持てる全てを教えていた彼は、正月なので故郷である角牟礼城に戻り、そのまま眠るように逝ってしまったのだった。
 本来門司の戦でその生を終えていた武将は、いい爺となって後輩達にその武を教えて去り、角牟礼城で行われた葬式では私や父上だけでなく、彼の薫陶を受けた四郎や小野和泉など杉乃井の若侍全員が葬儀に参列したのである。

「『このまま往生したら、北浜で負けたまま終わってしまう』と嘆いていたが、それが本当になろうとはのぉ」

 吉岡老の言葉には懐かしさがあり、私もそのぼやきを思い出して笑みをこぼす。
 彼の最後の戦となった北浜夜戦の後、小金原合戦を経て毛利家と和議を結んだ大友家は、平和という果実を手にして夜盗や一揆鎮圧はあれどついに大きな戦は今に至るまで起こしていなかった。
 ちなみに、この平和な時に一線にて兵を預かっている四郎と小野和泉はよほど北浜夜戦の敗北が堪えたのだろう。
 猛訓練している時ですら、

「南蛮人が攻めてきたときに……」

 と、己の失敗を語り、それを二度と繰り返さないように兵の掌握を心がけているという。
 なお、明善寺合戦で同じように兵の掌握ができずに大敗を喫した毛利輝元も、四郎の文のやり取りでその事に気をつけようと吉川元春に教えを請うているとか。
 人間失敗しないと学ばないものである。

「で、吉岡老がわざわざこんな所にやってきたという事は親貞君がらみの事ね。
 来ると思っていたわ」

「姫様には適いませぬな」

 吉岡長増は大友親貞の後見人である。
 一門として豊後国衆を束ねられる親貞君の勢力確立の為に、落ち目の奈多鎮基を抱き込もうと考えたのだろうけど、使えないとわかったのでその尻拭いに来た訳だ。
 なんというかご愁傷様である。

「独り言だけど、田原親賢の方がまだましだと思うけど」

「はて、何か聞こえたような?」

 田原親賢の親は奈多鑑基で、奈多鎮基とは兄弟の関係にある。
 親貞君の与党に奈多家を抱きこませるなら、窓口を田原親賢に変えろという私の忠告は間違いなく吉岡老には届いただろう。
 事実、この後で何をやったか知らないが寺社奉行の補佐に奈多鎮基ではなく田原親賢がつくのだから、吉岡老は老いてもないし手も速いと感心するのは別の話。

「で、姫様。
 この一件はどのように収めるつもりで?」

「難しいわね。
 とりあえず、寺社が持つ武力を削る所から始めようかなと思っているわ。
 鎮台に彼らを所属させるから、そこから少しずつ切り崩すしかないわね」

 たとえば、私の直属組織である御社衆や姫巫女衆も寺社勢力である。
 これに宇佐八幡なら武家化した時枝氏という武装勢力があったり、六郷満山の寺院群の僧兵は無視できないだけの兵力を有していた。
 これらを鎮台に組み込む事で、彼らを取り込むのが狙いである。

「あとはお坊さん達が抱え込んでいる銭を吐き出させないと。
 この間の南蛮僧の問答の話は聞いた?」

 南蛮人達の襲撃後、ものすごく住民感情が悪化したキリスト教だが、私が徹底的に保護した事もあってその布教活動は続けられていたのだった。
 もちろん、そんな状況は寺社勢力には面白くないらしく、私の前での公開問答会というか、朝まで生テレビみたいな討論会が開かれたのだった。
 これに宣教師達が大惨敗。
 ちなみに、我が父上はキリスト教にすっころぶ前まで禅宗にはまっており、怡雲宗悦というお坊さんを招いて臼杵に寿林寺という寺を作っている最中だったりする。
 という訳で、父上ご観覧でこの怡雲宗悦の容赦ない攻撃にたじたじの宣教師達なので、私が宣教師側に立って援護をしなければならぬ羽目に。

「唯一絶対の神様はかれらの故郷を救うのに忙しいから、『こっちに来るまで待ってくれ』と伝えるために彼らがやってきたのよ。
 まぁ、弥勒菩薩様より早くこっちにくるつもりじゃないの?」

 の私のフォローに怡雲宗悦はおろか父上まで大爆笑。
 なんでか宣教師達が顔を真っ赤にして私にお礼を言っていたけど、何か怒らせたのだろうか?
 それはともかく、その場で私が訴えたのはかれら坊さん達が救おうとしなかった絶対的弱者を宣教師達が救っている事実であり、たとえ偽善と言われようと物でつると言われようが、手をさし伸ばした事実は評価すべきであると。
 このあたりを訴えると笑っていた父上はおろか怡雲宗悦も黙り込む。

「差し伸べられた手を引っ込めさせるのならば、代わりに誰がその手を差し伸べるの?
 なお、私は彼らの行いを正しいと思い、宇佐八幡および六郷満山の寺院群に彼ら宣教師に負けぬよう施しをするように命じるつもりです。
 彼ら宣教師達より私達は銭も米も持っているのですから。
 その時は、お坊様も私達と共に彼らへ手を差し伸べてほしいのですが」

「もちろん。
 拙僧とて、貧しき者に御仏の教えを伝えるのは使命ゆえ」

 こんなやりとりで弱者に対する施しで銭を吐き出させる予定なのだ。
 そして、ただ銭を与えるだけでは貧困は解決しない。
 この手の問題は時間がかかるが王道のみが解決の道である。

「弱者に職と教育を」

 寺社を教育機関として整備し、その費用を施しとして寺社に負担させる。
 もちろん、その教育内容はしっかり大名家が管理・監視する。
 そして職は新田開発や交易等で大名家が用意する事で、彼らを中産階級に押し上げると同時に彼らの忠誠心を大名家に向かわせるのだ。
 実るのに十年はかかるだろうなぁ。

 まぁ、そんな話をつらつらとお茶を飲みながら語っていたのだが、いつの間にか部屋がしーんと。
 何で黙っているのかな?みんな?

「姫様。
 すばらしい考えにございます。
 わたくし、姫様の手足となって働ける事がこんなに嬉しいと思った事はございません!!」

「姫様も立派になられましたのぉ……
 それがしもいつ黄泉路に旅立っても問題はなさそうじゃ」
 
 麟姉さんに政千代泣かないでください。すごく恥ずかしいので。
 あと、吉岡老簡単にくたばらないでください。父上に直言できる数少ない人なんですから。
 そんなこんなをやっていると、どたどたと音を立てて四郎が部屋に。

「な、何事です!?」
「なんでもないの!
 で、試し合戦はどうだったの?」

 今日、四郎は試し合戦の為に杉乃井御社衆を率いて訓練に出たのだけど、汗を流した為かさっぱりした姿なのだが悔しさが顔から滲み出ていた。

「申し訳ございませぬ。姫。
 それがしの不徳で試し合戦に負けてしまいました」

 よほど悔しかったのだろう。
 畳につけた手が震えている。
 しかし、杉乃井御社衆って旗本鎮台に負けて、南蛮人戦で崩れてといい所はないけど、その度に猛訓練をしていた私が気楽に動かせる御社衆では最精鋭のはずなんだけど?
 私の疑問が顔に出ていたのだろう。
 四郎がぽつりぽつりと報告する。

「此度の試し合戦は新たにできた日出鎮台が相手で、御社衆を寒田鎮将が率い、立花家からも清水宗治の手勢を連れて始めた次第。
 日出鎮台は吉弘鎮信殿が大将に、奈多政基殿と六郷満山僧兵衆が出て始めたのですが、左翼に陣取った僧兵衆が手薄と見て攻め立てたのですが崩れず……」

「その間に、吉弘鎮信殿率いる本陣に突っ込まれたって訳か。
 そりゃ負けるわ」

 途中で手が見えたので思わず口を出してしまい、四郎に驚かれるがそれを気にせずにそのまま手の内を見てきたかのように話す。

「大友最精鋭の一つである吉弘家の郎党相手に御社衆がかなう訳が無い。
 ならば、右翼か左翼を崩して挟んでしまうという四郎の方針は間違っていないわ。
 四郎が間違えたのは、いえ、侮ったのは左翼の僧兵衆を烏合の衆と思って調べてなかったでしょ。
 今の報告で僧兵衆を誰が率いていたか言わなかった。いえ、言えなかったのね」

 私に指摘されて見事なまでに呆然とする四郎。
 この敗戦で四郎も大きくなってくれるといいんだけれど。

「姫様はもしかして、僧兵衆の率いていた者に心得があるので?」

「ええ。だって私が引っ張ってきたんだから。
 四郎が日出鎮台に勝つ為には、左翼ではなく右翼の奈多殿を攻めるべきだったわね」

 清水宗治を連れてきたのだから、彼を左翼にぶつけたのだろう。
 それが正しいがゆえに四郎は敗れたのだ。

「大和より逃れし筒井家の僧、順慶殿に従う筒井党の侍大将、島清興殿よ」

 そう四郎に告げて、種明かしをした私はお茶を飲むのだった。

(清水宗治の猛攻を支えられるのならば、対島津戦に十分使えるわ)

と内心ほくそ笑みながら。

 なお、私が狙った『弱者に職と教育を』は、聞いていた吉岡老経由で親貞君が提案し、無事に加判衆評定でも通り彼の功績となった。



[16475] 南海死闘編 第五話 木崎原合戦 一条家日向派遣軍
Name: 北部九州在住◆69dd1406 ID:2a1e2f20
Date: 2010/04/05 02:24
「もう、四郎なんて知らない!!」

 しょっぱなから四郎と大喧嘩中の珠です。
 これだけ派手にやらかしたのは、「お口と手とお尻は浮気じゃない」と父上と母上まで巻き込んでの大喧嘩以来だったり。
 なお、

「姫はそれがしでは足りないのですか!」

 と激昂する四郎に、

「だって、四郎分身できないじゃん」

 の一言で撃沈してしまい、

「鶴や恋もいるから、あまりさせたら四郎枯れちゃうし」

 がとどめになって父上の所に。
 逆だろう。色々と。
 どたどたと杉乃井の廊下を歩きながら、喧嘩の原因を振り返る。
 まぁ、私の自業自得ではあるんだけど、現在行われている二つの出兵計画に関する事だった。
 それが、浦上領出兵計画と日向救援計画である。

 まず先に浦上領出兵計画から話そう。
 現在毛利家は総帥輝元(実際に動いているのは吉川と小早川の両川だが)の指導の下で、浦上領侵攻計画を練っている。
 何しろ輝元は、初陣である浦上戦で宇喜多直家率いる浦上軍に明善寺合戦で大敗するという失態を演じている。
 ただでさえ吉川元春と小早川隆景の二人に実権が移っている現状で家督を継いだ場合、確実に国人衆から舐められるという訳で汚名を返上する必要があったのだ。
 とはいえ、小早川隆景は直轄領に組み込んで新しい備中から離すのは怖い。何しろ隣の備前に宇喜多直家がいるのだ。
 で、そんな情況を四郎宛に手紙で嘆いた彼に四郎経由で私が案を出したのだ。
 それが、海上からの播磨侵攻計画である。
 備前・美作にまたがる浦上領の内、備前の宇喜多を小早川が抑え、輝元自身は三原まで出向いて水軍を監督しつつ淡路に拠点を築き、浦上領の背後になる播磨国守護だった赤松氏を支援する。
 そして、出雲の吉川元春が美作を急襲して奪い取り、浦上の勢力を削って宇喜多直家を寝返らせるという手である。
 何の事はない。
 私が信長にやって、信長がそれをまねした、同時飽和攻撃の亜種である。
 馬鹿の一つ覚えではないが、大兵で押すならこれほど安心な手も無い。
 もっとも、連絡を密にしないと各個撃破されるという欠点もあるが、あの両川でそんな失態は犯さないだろう。
 で、輝元提案として「さすが輝元様」と家中で持ち上げられたその時に、安国寺恵瓊が私の所にやってきて、具体策とその詰めを協議していたり。
 やっぱり侮れないわ。小早川隆景。誰がこの案を出したかちゃんと見切ってやがる。
 さて、この播磨なんだが守護赤松氏の衰退で東播磨の別所家は独立状態だし、その下の守護代をやっていたのが現在ぶいぶい言わしている浦上家だったりする。
 あげくに、赤松氏内部でも激しく対立が。
 先に出した別所も赤松分家だったりするし、赤松そのものも置塩赤松や佐用赤松や竜野赤松といった具合に個々で割れきっているし。
 どどめに親子対立や兄弟対立やらもうぐちゃぐちゃ。
 ここ見ていると、父上の血の粛清がいかに偉大であったか思い知らされる。
 そんな状況だから、気づくと他国の草刈場になっている播磨なんだが、現在ちょっかいを出しているのが浦上と織田である。
 この二国、毛利の脅威を感じていて浦上は背後を固めるために、織田は浦上を対毛利防壁に使うためにという同盟が成立している。
 こっちの手が一手遅かった結果、浦上・織田軍の播磨侵攻が先に行われ、織田側の総大将が羽柴秀吉で副将が松永久秀、池田勝正・伊丹親興・和田惟政等が率いる一万の兵力に別所長治・小寺政職らも同調。
 あっという間に一万六千の大軍に膨れ上がっていた。
 一方の浦上軍が毛利を警戒しながらの出兵で、浦上宗景が率いる五千の兵しか出していないあたり、この侵攻の主導権がどちらにあるか分かろうというもの。
 結果、置塩赤松家では当主赤松義祐が降伏の後隠居。後を親織田派の則房に取って代わられ、竜野赤松家では降伏した赤松政秀がつい先ごろ毒殺されるという報告が。

 わー。だれのしわざなんだろうねー。(棒)

 そんな織田・浦上連合軍は、現在佐用赤松家赤松政範の上月城を包囲中。
 なお、織田は調子に乗っているらしく、信長自ら率いる主力は浅井朝倉攻めのクライマックス中。
 美濃・近江・若狭と同時に攻め込まれた織田の大軍に一乗谷は炎の中に消え、小谷城は風前の灯だとか。
 このまま播磨を織田に食われてなるものかと洋上からの赤松支援を画策する為に淡路国の岩屋城に拠点を築いているのだが、これに多大な功績があったのがうちにいる安宅冬康である。
 何しろ、彼は元々この淡路国を治めていただけに、根回しはうまくいって何の妨害もなく拠点化が進められたのである。
 もちろん、費用は毛利払い。
 そんな拠点化だがうまく行き過ぎた。それが厄介事を呼び込むのだった。

「安宅殿を三好に戻す事を考えませぬか?」

 何度目かの協議の時に安国寺恵瓊の口から出たのはこれである。
 そもそも畿内に覇を誇っていた三好家は、三好長慶亡き後領国が畿内派と四国・淡路派に分裂してしまっている。
 あげく、畿内三好家を統べる三好義継は織田信長の傀儡と化してしまい、反攻を企んだ三好三人衆の主導で始まった野田・福島合戦は信長の速攻で崩壊して和議を結んで四国に逃げ帰るしかできなかった。
 そして、彼らの本拠である阿波は現在土佐長宗我部家の猛攻を受けて、畿内反攻などもはやできない状態になってしまっていた。
 忘れてはいないのだが、安宅冬康は三好長慶の弟の一人として三好政権を支えていた重鎮の一人だ。
 松永久秀と三好三人衆に粛清されそうになった時に、私がかっさらって南蛮船を任せたのだけど、政敵である三好三人衆がいる三好家に戻せばまた粛清されかねないし、長宗我部へ与える餌として阿波を見ていたので放棄した提案だった。

「彼が三好を継げば、四国・淡路だけでなく、摂津や和泉河内の三好家に従っていた勢力にも影響力を広げる事ができます」

「言わんとする事は分かるけど、三好三人衆と松永久秀どうするのよ?」

 私の言葉に安国寺恵瓊はすらすらと答えを用意する。

「この話、毛利からではなく、阿波と讃岐の三好家から出ているのですよ。
 長宗我部の攻撃を抑えきれない三好三人衆に、かの国の国衆が離反している次第で」

 そういう事か。
 足元に火がついているからこそ、四国の国衆は元々畿内三好家の系列である三好三人衆を見限ったという訳だ。
 こりゃ、三好長くないなと思っているとは知らずに、安国寺恵瓊はもう一人の人物の事を口にした。

「松永殿はこの話を聞いて、
 『三好が一つになる好機。それがしでよければお手伝いしたい』と」

 ボンバーマンっ!!!
 あんた、どの口がそれを言うかっ!!!!!
 まぁ、あれはもうしょうがない。
 ボンバーマンだし。

「南蛮船での淡路支援はお約束しますが、安宅冬康については考えさせてください。
 真面目な話、彼を死地に送りたくは無いのです」

 ちなみに、ひっそりと行われたポルトガルとのルソン侵攻軍の大友側の大将が彼だったりする。
 永禄11年(1568年)から始まったこの侵攻は、大友側の南蛮船が五隻+倭寇勢力から十数隻のジャンクを動員し、ポルトガル側の南蛮船も五隻参加するという一大洋上侵攻となり、ルソン島からスペイン勢力を蹴散らし彼らの拠点であるゼブ島も陥落。
 全島制圧なんて到底できないので殖民都市を築くだけで精一杯なのだが、極東からの反撃にスペインは呆然としたとか。ざまぁみろ。
 で、その殖民都市経営に志願した商人がいたので彼に丸投げしたのだが、その人物が堺の豪商納屋才助で、マニラとゼブ島の日本人街を任せている。
 おかげで、蝋燭、麝香、真壺、ルソン壺、唐傘、香料など珍品が献上されたり、香辛料、磁器、象牙、漆器、絹製品などが日本に流れ込んで笑いが止まらなかったりするのだが。
 なお、これらの交易で一番潤っているのが実は南米スペイン領向けだったりする。
 ポルトガルと組んだのが幸いして、スペインでは「極東の現地人をそそのかして実際にルソンを攻めたのはポルトガルだ」という声が上がり、ポルトガルとスペイン間の外交環境が壮絶に悪化していたりするが知ったことではない。
 実際、ポルトガル商人を大友は優遇しているし、南米航路については全てポルトガル商人に任せているのだ。
 話がそれたが、こんな感じで交易が活発化しているので、いまや日本人でもっとも南蛮船を操れる彼を手放したくないのだった。
 


 まぁ、浦上家についてはこんな所なのだが、問題はこっちの方。日向救援計画。
 救援と名がついているあたり察してほしいのだが、伊東家の情勢が思わしくないのだ。
 それもこれも、南蛮人襲来からの騒動で発生した鳥神尾合戦のせいである。
 この合戦で菱刈家が滅び、援軍に出た相良家と伊東家も甚大な被害を蒙った。
 通常の合戦ならその回復にさほど問題はなかったのだが、この合戦、異常なぐらい死者が多い。
 ゲームなどでは忘れそうになるが、人間というのは戦力になるまで十数年かかる生き物である。
 だから、このように一合戦で多数の死者が出ると、その回復にえらく時間がかかるのである。
 さらに戦力回復ができたとしても問題がある。
 この時期の兵士というのは、ほとんどの大名家が農家から徴兵している。
 つまり、それが居なくなるという事で、生産力にも打撃を受けてしまうのだ。
 戦力の低下に生産力の低下とというダブルパンチに、普通の大名家は耐えらず、それに見切りをつけた国人衆の離反という形で大名家は滅ぶ。
 では、その滅亡の危機を相良家と伊東家はどう乗り切ったのか?

 相良家については簡単である。
 この家は既に大友家に従属しているから、大友家が全面支援をしたのである。
 具体的には、夜盗どもを薩摩に送って略奪させたり、小競り合いに隈府鎮台の兵を後詰に出したり。
 手を変え品を変え、

「相良に手を出したら、ただじゃ済まんからな!」

 と島津に恫喝し続けたのである。
 もっとも費用も馬鹿にならず、薩摩の防諜体制と治安維持(何しろ大口を守っているのはあの新納忠元だ)で送った夜盗の半分は帰らずじまい。
 人件費の高騰に、大友領内の犯罪者すら送って、

「悪い事すると薩摩に送りますよ!」

 と、世の母達の叱り文句の一つになる始末。
 あげく、それでも人が足りないから倭寇まで雇って送り、言葉も分からず文化も違う彼らにとって格好の餌となった肥薩国境は虐殺とその仕返しの皆殺しの嵐に。
 とても殺伐とした状況なのだが、なんとか相良は持ちこたえているのだった。

 だが、日向の伊東家は実を言うと大友と従属関係でもなんでもないただの『お隣さん』なのである。
 むしろ、延岡あたりを支配している土持氏あたりを従属化してしまったので、冷戦状態と言っても過言ではない。
 『島津を追い払うために大友に助けを求めたら、大友に乗っとられた』は避けたいのが戦国の常である。
 そして、困ったのが伊東家自体が事態を深刻に見ていなかった事も大きい。
 ……その原因は間違いなく私にある訳なのだが。
 まず、大隈の肝付氏が私の金で転んで親島津から反島津に転向し、しかも元々菱刈用にと私が援助していた雑賀鉄砲衆を飫肥に投入。
 その結果、伊東家は念願の飫肥城を落として我が世の春真っ盛りである。
 更に、私が始めた南蛮船建造や大友領内の公共事業で木材価格が高騰すると、日向杉が高い値で売れて経済的にも回復傾向にある。
 どどめとばかりに島津家では永禄11年(1568年)に島津中興の祖と言われる島津忠良が世を去り、隠居したとはいえ影響力が大きかった島津貴久が肝付を牽制している最中に病に倒れるという報告を受けたばかり。
 そして、私の捨て身というか容赦ない肥薩国境の修羅場に島津が奔走しきっているのを見て、誰かが囁いたのだろう。馬鹿野郎。

「今なら、真幸院取れるんじゃね?」

 と。
 真幸院、今で言う所の宮崎県えびの市の事なんだけど、ここは薩摩・日向・肥後と国境を接し、肥沃な穀倉地帯という事もあって、南九州随一の戦略的要衝なのだ。
 そして、唯一日向に残った島津家の拠点でもある。
 幸いにも大隈は肝付家が島津を抑えてくれるし、肥後の相良家とは伊東家は同盟関係にある。
 で、双方島津に痛い目にあわされているので、借りはぜひとも返したいと来たもんだ。
 もちろん、伊東家だって馬鹿ではない。
 きっちりと兵を揃え、確実に勝てる戦力で侵攻する予定なのだ。
 その数三千。

 聞いた瞬間、あの立ちくらみは忘れたくても忘れられない。
 真幸院、伊東軍三千、そして島津側守将を聞けばいやでも悟ってしまう。
 飯野城城主、島津義弘。
 今はまだ島津忠平と名乗っているみたいだけど。


 き、木崎原合戦のフラグきたこれ。


 壮絶にまずい。
 何がまずいって、いかにこの状況が危機的なのか説明できないのがまずい。
 というか、普通十倍の兵力差があるのに負けるというのがおかしい。
 何より、この合戦で伊東家は没落し、孤立無援と化した肝付家は降伏する事で島津の薩摩・大隈・日向における覇権が確立してしまい、耳川フラグにリンクしてしまうのが絶対にまずい。
 止めるならこの木崎原合戦でしかない。
 で、冒頭に戻る訳だ。

「姫。
 それがしを日向にお送りください」

「却下!!!」

 即答で四郎の提案を却下して、それが大喧嘩となってあの冒頭である。
 ちなみに、大友名義での派遣は伊東が嫌がるので、伊東家の縁戚である一条家からの援軍という形となる。
 なお、一条おじゃる丸がほざいた、私を養女として一条の娘にするは政治的にすごく都合がいいので、曖昧のままに使わせてもらっている。
 今回の日向派遣軍の費用を出しているのも、『一条家』の珠姫である。
 そんな政治的ロジックに尾びれがついたらしく、

 御簾の向こうから姿を見せない、才媛たる一条家の姫君

 がでっちあげられる事に。
 御簾の向こう誰も居ないんだけど。まじで。
 笑い話では、その姫に入内をと皇室が望んだとか。望まなかったとか。
 分かってて言っているのだろうが、うちを取り込む事で皇室や公家に落ちる銭目当てなんだろうなぁ。きっと。
 京都の一条亭が御所より立派なのは既に周知の事実になっているし、それを超えるようにと信長が二条の幕府施設を改築しているのも耳に届いていたりする。 
 話がそれた。
 派遣軍の規模は、雑賀鉄砲衆をまた雇い、御社衆を中心とした傭兵集団で三千という所か。
 伊東家の戦力と足して二十倍の兵力でも不安で仕方がない。
 そもそも、十倍の兵力を潰している時点で異常なのだ。
 けど、四郎の提案は魅力的な案ではあるんだよなぁ。
 大友側の大将でなく、かつ影響力が行使できる大将として四郎って実に使い勝手がいいのだ。
 だからこそ、敗北の可能性がある日向なんぞに送れるか。
 とはいえ、頭(大将)がいない御社衆がいかに脆いかは、これまでの戦で散々指摘されている訳で。
 まぁ、都合のいい大将がいるんで遠慮なく使おうと思っていた矢先だっただけに、四郎の志願をはねつけた訳で。
 現在六郷満山に庇護されている筒井家の臣たる島清興と松倉重信って使い勝手のいい大将が。
 この二人、畿内にいた事もあって雑賀にも顔が利くし、大友側の大将でもないので「筒井家復興の資金を出す」と持ちかけたら快く了承したのである。
 もっとも、こちら側からも大将は出さないとまずいとは思っているわけで、博多遊郭の御社衆を率いる怒留湯融泉か原鶴遊郭で御社衆を鍛えている恵利暢尭に出張ってもらうつもりだったのだけど。
 この面子ならば、大負けはしないだろう。

「姫!
 お待ちください!!」

 どたどたと四郎が追ってくるけど聞こえないふりを。
 けど、四郎は私を捕まえて心のうちをぶちまけた。

「お答えいただきたい!
 六郷満山の僧兵達を日向に送って、それがしを留めるのはどういう事ですか!
 それがしでは力不足と言うのですか!!」

 これがこたえるんだ。ほんと。
 説明できないのが本当につらい。
 待てよ……?
 四郎はもしかして、この間の試し合戦で彼ら相手に負けた事が今回の決定に繋がっていると勘違いしてない?   
 うわ。
 尋ねたくても尋ねられない。つついたら蛇が出かねない薮だ。これ。
 さぁ、どう言い逃れようか。

「四郎。
 四郎には播磨に出向いてもらおうと思っていたのだけど」

 考えていたのは事実だ。
 問題は、宇喜多直家や松永久秀や羽柴秀吉が闊歩する戦場に彼を投入する事になる。

 日向で島津義弘とガチでぶつかってもらう。
 播磨で宇喜多直家や松永久秀や羽柴秀吉とバーリ・トゥードルール一本勝負をしてもらう。

 どっちがいいだろうというか、両方バッドエンドじゃねーかと頭を抱えて放棄した案でもあるのだが仕方ない。
 まだ、南蛮船という制海権を握っているので、やばくなったら逃げられるこちらの案を薦めてみる。
 だが、私の話に四郎は静かに首を振った。

「姫。
 姫が、日向の動向をここの所ずっと探り、案じているのをそれがしが知らぬとお思いですか!
 姫が御身を日向に置いてこの戦を采配したいのは分かっております!!」

 その一喝に私は呆然とする。
 四郎にまで感づかれている、つまり、本気で策を練らないといけないのは日向だとバレている以上私はごまかすのをやめた。 

「死ぬわよ」

 真顔で言い放った私の一言に四郎が固まる。
 その顔にははっきりと『理解できない』といった言葉が浮かんでいる。
 そうだろうなぁ。
 何処の誰が、二十分の一の兵力相手に負けて、しかも命を落としかねないと言われて真面目に受け取るかというもの。
 ごくりと四郎の喉が鳴って、搾り出すように言葉を吐き出す。

「それほど……
 それほど、この戦は危ないのですか?」

「できる事なら、私が総大将で万の兵を率いていきたい所よ。
 けど、それを許す環境でもないしね」

 ため息をついてこちらも本音を漏らす。
 大友家次期後継者に内定している事もあって、勝手気ままな戦というのはできなくなっている。
 今回の日向派遣軍だって、家中で図ったら議論噴出で纏まらないのが分かっているので、大友家の戦力ではなく私の私兵である御社衆などが主体なのだ。
 毛利輝元がいい例で、これで負けでもしたらその汚名返上を迫られ、国衆に動揺が走る。
 つかの間の平和を楽しんでいる大友家にとって、自ら波紋を広げる事は次期後継者として自重せざるを得ないのだ。
 だからこそ、今回の合戦は『一条珠』が行う傭兵軍が絶対条件になる。
 この軍勢が敗北してもそれは一条家の敗北であり、大友家には何の問題もないと言い張れるのだ。
 分かっている奴は白い目を向けるだろうが、大半の国衆はこのロジックを見抜けないし、見抜くつもりもない。
 伊東家との外交関係と、家中の政治的制約からひねり出したこの三千という兵力が私が今回送れる限界なのだ。

「で、相手は鳥神尾の島津忠平。
 寡兵で戦をひっくりかえした大将よ。
 彼相手にこれだけの兵しか連れて行けないなんて、死ねと言ってるようなものじゃない……」

 ここで「死んでも構いませぬ!」あたり言ってきたならば絶対に行かせるつもりはなかったのだけど、四郎はにこりと微笑んで私を抱きしめた。

「死にませぬ。
 それがしは、珠の為に居るのです。
 必ず帰ってきます」

 その……耳元でそんな約束されても困る。
 顔が真っ赤になっているのが自分でも分かる。
  
「約束だからね。
 絶対にきっと帰ってきてよね。
 そうでないと、恋と鶴姫と三人で泣いちゃうから」

 あれ。
 何でだろう。
 目から熱いものがぽたぽたと。

「約束します。
 何があっても絶対に帰ってきます」
   
 まぁ、そこから先はあれでそれでしっぽりと……。
 こうして、私に四人目の娘を種付けして四郎は日向に向かったのだった。





 一条家 日向派遣軍   雇い主 一条珠

 総大将         立花元鎮 
  立花家         清水宗治・村上吉継・寒田鎮将      千
  御社衆+六郷満山僧兵衆 島清興・恵利暢尭・怒留湯融泉      千五百
  雑賀鉄砲衆       松倉重信                五百

 合計                               三千


 伊東家 真幸院侵攻軍  伊東祐安                 三千


 伊東・一条連合軍合計                       六千



 島津家 真幸院防衛軍  島津忠平(義弘)              三百




 作者より一言

 この時期の島津義弘は島津忠平と名乗っていたので、会話文についてはそれに修正。
 



[16475] 南海死闘編 第六話 木崎原合戦 前編
Name: 北部九州在住◆69dd1406 ID:2a1e2f20
Date: 2010/04/12 13:37
 日向国 都於郡城

 四郎こと立花元鎮が日向国美々津より伊東家本拠の都於郡城に入場した時、まだ彼の率いる全軍が上陸してはいなかった。
 とはいえ、伊東軍は既に集結を終えて前線基地たる三ツ山城に出発しようとしていたのだが。

「一条の姫より話は聞いておる。
 あの姫も心配性よの」

 伊東家当主伊東義祐は雅に笑いながら四郎達を歓迎した。
 従三位という高い位を持ち、都文化を取り入れた雅ないでたちは、たしかに親戚に当たる一条兼定に似ているような気もしなくはない。
 面談の間である広間には、高価な装飾品がこれでもかと並べられ、著しく調和が取れていなかったりするのだが。
 このあたり、生まれついての貴族の兼定と、それを模倣したに過ぎない伊東義祐の差なのだろうと四郎はなんとなく思った。
 珠姫の元で一流な品々に囲まれて暮らせば、それぐらいの事は四郎もいやでも分かってしまう。
 
「我等はこの地にて戦働きで武功を求めるつもりは毛頭ございませぬ。
 兵糧の運搬や一揆の牽制などで働く所存。
 それが一条の姫との約定にて」

 伊東義祐の挨拶もそれがこころからの歓迎ではないのは四郎とて承知していた。
 毛利家は今では大大名ではあるが、元就や無き兄隆元よろしく元は大内や尼子の命に従っていた国人である。
 おまけに、今の四郎は大友家の人質扱いでもあり、持って生まれた丁寧さと警戒心はさらに磨きがかけられていたのである。
 腰の低さと貴公子面した面持ちが伊東義祐の警戒心を下げ、控えていた伊東家重臣達も安堵のため息をもらした。

「貴公らにお頼み申すのは、三ツ山城への兵糧の搬入でござる。
 一条の姫が送っていただいた兵糧を、そのまま三ツ山城に運んでもらいたい。
 その後は、戦が終わって落ち武者狩りには参加してもらう程度か。
 一応、一条の姫の申し開き程度の働きは用意させていただくゆえ」

 今回の一条派遣軍が受け入れられた背景に、この軍勢だけでなく伊東軍の兵糧までも珠が出していた事も大きい。
 実は伊東家、伊東義祐の代に伊東四十八城と権勢を誇ってはいるが、圧政にて民の暮らしはあまり良くはない。
 おまけに山ばかりの土地である為に、基本的に兵糧が少いのだった。
 もっとも、その兵糧を伊東帰雲斎が着服し横流しをしている事は周知の事実で、他の伊東家家臣の恨みを買っていたりするのだが。
 そんな伊東家にて権勢を誇っていた伊東帰雲斎が傲慢を隠す事ない物言いで告げるが、それを四郎はさも当然のように了承したのである。

「承知。
 我等一所懸命に働く所存」



 城外に作られた陣屋に戻った四郎は率いる武将達と軍議を開く。
 最初に、立花家家老である清水宗治が情況を説明する。

「立花家の手勢は全て都於郡城に到着。
 雑賀鉄砲衆は油津に着いたらしく、松倉殿を向かわせております。
 御社衆の到着が遅れており、島清興殿率いる六郷満山僧兵衆は美々津に着いたとの報告が」

 この時代、軍勢の集結にかなりの時間がかかる。
 大友家自慢の南蛮船といえども、一度に三千もの兵士とその兵士が食べる兵糧や矢弾を運べる訳がなく、数度に分けてこの地に運ばねばならない。

「兵糧搬入だけでも我等の手勢で片付けてしまうか?」

 同じく家老である村上吉継が海の男らしく豪快に言ってのけるが、それを制したのは杉乃井家から派遣された寒田鎮将だった。

「姫との約束をお忘れか?
 我等だけで出るのはそれを破る事になりますぞ」

 ちなみに、今回の日向派遣において珠姫は三つの事を約束させ、四郎だけでなく参加武将にまで起請文の提出を求めている。
 それが、


 その一 必ず帰ってくる事。
     生きて帰る事こそ最大の功績なり。

 その二 隊を散らさない事。
     弱兵ゆえ寡兵は必ず崩れると心せよ。

 その三 川を渡らない事。
     鳥神尾の二の舞は絶対に避けるように。


 の三つであり、
 「島津忠平(義弘)の首を取って来いとか、戦に勝てとかではないので?」
 と諸将を呆然とさせた起請文である。

「今回の戦は兵を出した事に意味があるの。
 間違っても、戦うとか勝つとか言わないように。
 万が一戦って討ち死にでもしようものなら、墓前で罵倒してやるから覚悟なさい!!」

 と、こんこんとといて回る始末。
 ここまで来ると、珠姫の島津恐怖症はよほどのものかと笑う者もいたが、

「その笑い声、返ってきた時にまた聞きたいものね」

 殺気と恐怖と嘲りをミックスした珠姫の一言に一同凍りつく始末。
 その顔を思い出したらしい村上吉継が首をすくめて慌てて言い訳を口にする。

「わかっておるわ。
 それがしとて、姫の言葉を信じぬ訳ではない。
 だが、島津というのはそこまで怯えるほどなのか?」

 それは、四郎を含めた一同の偽りない感想だった。
 現在の島津家は三方向に四戦線を抱えて、追い詰められているとしか見えなかったのである。
 まず、肥薩国境。
 ここは、相良家が担当しているが、鳥神尾で壊滅的打撃を受けた事もあって実際は大友家が出張っている。
 まず、水俣―出水の海岸線部分は、隈府鎮台や阿蘇家が出張って激しく小競り合いを繰り広げていた。
 守る島津義虎も下手に出る事をせずに押せば退き、退けば押すの繰り返しだが膠着化させる事で兵力を拘束していたのである。
 一方、同じ肥薩国境の人吉―大口間だが、こちらは夜盗などを片っ端から送りつけてはいるのだが、守将新納忠元の巧みな統治と容赦ない夜盗狩りで送れども送れども帰らずという始末。
 まぁ、それでも真幸院に一番近いこちらも拘束はしている事になるだろう。
 そして、大隅戦線は肝付と一進一退を繰り返し、総大将たる島津貴久が病に倒れるというアクシデントが発生。
 どどめとばかりに今回の真幸院侵攻である。
 普通に考えるなら、負けると考える方がおかしい。
 だからこそ、三つ目の『川を渡るな』という約束に繋がっている事を、四郎以外は理解していなかった。
 四郎は今回の出兵に際して徹底的に鳥神尾合戦を調べ、その教訓として釣られて川内川を渡った菱刈軍の敗走時の溺死者に気づいたのだった。
 ここにいる将の中で一番長く御社衆を率いており、御社衆の負けすら経験している四郎にとって、御社衆がどの程度のものか良く知っていた。
 彼は御社衆を率いて川を渡って崩れた場合、元に戻せないと悟っていた。

「ひょっとして、姫様は旗本の育成が目的で我等を派遣したのではないのか?
 そうならば、弱兵の御社衆をここに連れて来た意味があろうというもの」

 毛利から来た清水宗治が盛大に勘違いをするが、その勘違いも外から見た限りではある種の真実をついていた。
 珠姫の大友家次期当主就任という背景には、豊後国人衆と豊後外国人衆の対立という背景があり、何かの事態が発生した場合に御社衆を使うと考えられていたからである。
 もちろん、これは盛大な勘違いではある。
 何しろ、南蛮人攻撃時などを見れば分かるとおり、珠姫は最初から現在に至るまで常に信頼していた兵力は宇佐八幡の膝元である宇佐衆なのだから。
 彼らこそ珠姫の旗本と呼ぶに相応しい。
 それを知っているだけに、立花家の武将達はこの戦で功績をと密かに思っているのだった。
 珠姫の家臣団には宇佐衆だけでなく、高橋鎮理率いる香春鎮台(香春岳城兵が中心)や、大兵力を率いて博多を守護している田原鑑種なんてのもいる。
 そんな家臣団同士の勢力争いは、人として組織ができれば必然におきてしまう物である。
 ちなみに、そんな事を知る由もない珠姫にとって、御社衆とは緑と一マナで出てくる『リバーボア』程度にしか考えていなかったりするのだが。
 
「そこまでして彼らを連れて来る必要はあったのか?」

 まだ疑念を持っていた村上吉継が御社衆の必要性について漏らす。
 何しろ御社衆は、北浜夜戦や太刀洗合戦での見事な負けっぷりが宣伝されているから、その疑念はもっともだったりする。

「居ないよりはましです。
 兵は多い方がいい」

 その疑念を聞いていた四郎が否定する。

「『兵を出した事に意味がある』と姫様は仰いました。
 この兵が日向に留まるか、大隅の肝付家に向かうか迷わせて伊東家の助けになる事こそ肝要なのです」

 流石に四郎は珠姫が何を意図しているのか分かっているつもりだった。
 これは珠姫の十八番になりつつある同時飽和攻撃の亜種なのだ。
 四方向からの攻撃に更に後詰を送る事で、敵の対処能力を破綻させる狙いである。
 とはいえ、疑念がないわけではない。
 そこまで手を構築しているのに、珠姫はこの戦を負け戦と踏んでいる節があった。 
 その珠姫が見ている負け戦を四郎は見ることができない。
 だからこそ、彼は日向に来たのである。
 珠姫が見た負け戦を打ち破る為に。
 もちろん、そんな事は誰にも言えない秘密なのだが。
 だから、彼は知らない。
 二つ目、三つ目の制約と御社衆が繋がる事で、否応無く枷となって派遣軍の行動を縛る事を。
 味方の行動を縛ってまで戦場に出させないぐらい、珠姫が島津義弘を恐れている事を。

「これはあくまで伊東家の戦。
 我等がでしゃばる必要なく、無用な戦は避けていただきたい」

「「「はっ」」」

 四郎の言葉に一同が頭を下げる。
 と、同時に四郎に控えていた巫女が頭を上げて、一同に向けて口を開いた。
 珠姫がつけたくノ一あさぎであり、さくら・むらさきを含めた三十人程度の間者を率いる者としてこの評定に参加していた。

「今回の真幸院派遣ですが……情報がまったく手に入っておりません」

 その一言にしんと場が静まる。
 彼女が放った言葉の持つ意味を皆の脳が咀嚼して理解するまでに瞬き数瞬程度の時間を要し、どう対応するかまでにさらに数瞬の時間を要した。 
 四郎をはじめとした一同が呆然とする中で、あさぎは極力表情を消して報告を続ける。

「実は、真幸院をはじめ薩摩に手の者を出したのですが、その殆どが帰ってきていないのです」

 あさぎの報告に、我に返った四郎が苦い顔をして尋ねる。
 表情を消しているように見えるあさぎだが、見るとその手は震えておりこの失態に対して必死に堪えているのが四郎にも分かってしまう。

「それはどういう意味です?」

「こたびの戦に先立ち、姫様は薩摩および日向に手の者を送りました。
 ですが、薩摩に送った者はほとんど帰らず、戻った者も正体が露見して命からがら逃げおおせた者ばかり。
 薩摩の動向をまったくつかめていないのです」

 これは、なまじ共通語が広がった前世を持つ珠と、忍びの編成が甲賀抜け忍や蜂屋残党という九州外から作られた諜報組織の構造的失態たった。
 薩摩の強い方言に応対できず、なによりも地場の防諜組織を持つ島津家にとって、たとえ忍びの適応力といえどもわすがな語尾の違いで間者を次々と摘発していったのである。
 この失態に珠姫は第二派を送ったが、これも殆どが帰らず。
 失った忍びが三十人を超えた時点で、薩摩への派遣を打ち切ったのである。
 だからこそ、この軍議の場にあさぎが控えているのだ。
 戦略レベルでの情報入手に失敗していたからこそ、せめて戦場での情報把握にと姫巫女衆のくノ一まで投入したのである。

「日向の方は取れたという事ですか?」

「はい。
 伊東家に忍び込んだ者の話では、今回の伊東家の狙いは飯野城ではありません。
 加久藤城です」



 日向国 美々津

「おっと、申し訳ござらぬ。
 拙僧、ご覧の通り目が見えぬゆえ」

「いや、こちらこそ申し訳ない。
 同じ僧として御仏の加護があらんことを」

 一条派遣軍はここから徒歩で都於郡城に向かうことになっている。
 既に立花元鎮と立花家家臣団が都於郡城に着いているが、御社衆がまだ到着していなかった。
 更に珠姫が提供する兵糧を輸送する為に、先に着いた六郷満山僧兵衆と御社集の一部がその搬送に奔走していたのである。
 冒頭の台詞は、そんな僧兵の一人が盲僧にぶつかった事から始まる。

「おぼーさーん!
 いたいた。探したんだから!!」

 見るからに遊女姿の女が手を振りながら盲僧に駆け寄る。
 その女のたわわな胸や晒した太ももに僧兵の目が行きながらも、口笛を吹いて二人を茶化す。

「おや、そのおなごはどんなご縁で?」

 言外に『あんたの愛人か?』と匂わせるあたり、正しく僧侶達もこの戦国の世では腐っていた。
 事実、この僧兵も学よりも槍働きを得意とし、学がないからこの二人の違和感に気づけない。
 それを分かっているからこそ、盲僧はただ笑みを浮かべて僧兵のいるだろう方向に言葉を紡ぐ。

「この女子、三ツ山城の女中をしていたらしいが、杉乃井に働きに行くとか。
 だが、学がなく字が書けぬので拙僧が代筆した次第。
 その縁で、見送りにきておるのよ」

「ほう。
 杉乃井で働くのかい。
 こりゃ、一度会いに行かねばならぬな」

「あははははは。
 そん時は安くしてあげるよ。
 けど、乗るはずの船が乗れなくなっているのよ。
 で、私じゃ言いくるめられるから、お坊さんに頼んで説教してもらうのよ!!」

 ぷんぷん怒ったしぐさをする女に僧兵も気を緩める。

「すまんな。
 そりゃ、俺達が港に入ったので、他の船が押しのけられているんだ
 あと数日は堪えてくれんか?」

 みるみるがっくりする女の姿は見えないはずなのだが、気配で分かるのだろう。
 盲僧が横から口を挟む。

「なんとかならんものかのぉ?」

「帰りの船に乗せられたら何とかなるかも知れぬが……」

「ならば、お頼み申す。
 このおなごの身元は拙僧が保証しよう。
 こんな僧だが、幸いにも三徳院に置かせてもらっている身でな」

 この時期の寺社は権力と軍事行政権を握っている所が多く、その寺社に住む者の保障は旅においてかなり広範囲の身分保障になった。
 この場に珠姫直属の姫巫女衆がいたらまた話は別だったが、杉乃井で遊女になるという事は、将来この女は姫巫女衆の候補になると同義語でもあった。
 それぐらいはこの僧兵も知っていたがゆえに、ぽんと心地よく手を叩いた。

「なら大丈夫だろう。
 上に相談してみよう」

 はしゃぐ女を尻目に盲僧が僧兵の耳元で囁く。

「……もしかして、戦か?」
「ああ、伊東の殿様の手伝いだそうだ。
 このあたりが戦になる事はないから安心しな。
 ほら、港に連れてってやるから坊さんの手を繋いでな!」

 途中から声を大きくして女を呼んで、僧兵は港に戻ってゆく。
 だから、手を繋いだ女と盲僧が呟いたのを聞く事は無い。

(今の話、島津の殿様に伝えとくれ)
(……心得た)

 

 薩摩国 内城

「兄上。父上の容態は?」

 そう問いかけるのは島津四兄弟の末弟、島津家久。
 その後ろに三男島津歳久も控え、大隅にて倒れた島津貴久の身を案じる島津義久に尋ねる。

「思わしくないらしい。
 できれば、こちらに戻ってきて欲しいのだが」

 島津義久。
 若き島津の当主は、今その大器を咲かせようとしていた。
 だが、兄弟間に見えるのは純粋に父を心配する息子の姿でしかない。

「では、肝付はそれがしに」

「任せた」

 歳久の志願に義久も即答で返す。
 稀代の知将と呼ばれ兄義久の参謀としてついていただけに、この場での代役にうってつけであった。

「それがしも手伝わせてください!」

 家久の志願を義久は手で制す。
 黙る兄弟達を前に音も無く入る女中は、島津忠平が放った間者だった。

「伊東勢は既に都於郡城を発ったとの事。
 おそらく、数日で三ツ山城に入城するかと。
 更に、大友家の後詰が日向に上陸しております」

 その報告に歳久も家久も顔色を失うが、義久だけは全てを聞かされていたので笑顔が崩れる事がない。
 その笑顔に若干戸惑いながらも家久が言葉を口に出す。

「兄上。
 このままでは飯野城が。
 直ちに後詰を……」

「いや、伊東勢が攻めるのは加久藤城だ」

 ぽかんとする家久だが、義久の近くにいた歳久はその笑みから察して苦笑するしかない。

「忠平兄者が何か仕掛けたな?」

 その智謀は四兄弟の中でも随一の歳久が即座に見抜く。
 義久は忠平から先に来た文を見せてその策を口にした。

「既に伊東家は数度に渡り真幸院にて焼き働きをしていたが、それに紛れて女間者を伊東家の三ツ山城に送り込んだ。
 『加久藤城には忠平の妻子ら50名ほどの兵しかおらず、加久藤城の鑰掛口は攻められると脆い』と教えてな」

 当然、嘘である。
 だからこそ、歳久が真っ先に疑念を呈す。

「その策は分からぬでは無いが、伊東側とて愚かではあるまい」

 その歳久の言葉に、とても面白そうに義久は忠平の策のタネをばらす。

「その女間者は、加久藤城の女中という設定で、女中はとある武士と不義密通を重ねていたのであるが遂に事が露呈してしまい、罰せられることになっていた。
 しかし、忠平の妻がこれを哀れに思い、自身の住まう部屋に通じる「鑰掛口」よりそっと逃がしてくれたという話を吹き込んでな」

 流石に呆然とする二人に義久は楽しそうに笑う。

「しかも、伊東に来た理由も、女が相良へと逃げようと思ったが加久藤の峠は山深い上に険しく、相良の焼き働きに襲われたらと思うと怖くなってときたものだ。
 あれは、将の才もあるが語り部としても食っていけるかも知れんぞ」

 義久の笑いに釣られて歳久も家久も大笑いをする。
 ひとしきり笑った後に、真顔になって歳久は口を開く。

「では、真幸院にて伊東と雌雄を決すると?」

「そうだ。
 我等は四方から攻められているが、その最も強い所を打ち砕けば残りは雲散霧消するだろうよ。
 新納忠元に後詰の準備をさせよ。
 その間は伊集院忠棟に任せる。
 歳久。
 お前は肝付兼盛と共に大隅に行け。
 伊東家の侵攻にできるだけ派手にうろたえて見せて、兵を引くそぶりをみせるのだ。
 肝付良兼はそれに食いついてくるから……」

 義久の言葉に途中からにやりと歳久が笑って答える。

「伊東が負けた後で、散々に打ち破れと。
 かしこまった」

 歳久の言葉に満足そうに頷いて、義久は家久の方に声をかける。 

「俺は万一に備えてここに残る。
 新納忠元の後詰だけでは少し足りぬ。
 家久。
 お前が率いろ」

「はっ。
 ところで兄上。
 大友の後詰はどうするので?」

 家久の獲物を狙う獣のような笑みに、義久は笑いを堪えながら言い切った。

「伊東ともども丁重にお出迎えしようではないか。
 木崎原でな」

 珠姫が犯した最大の失敗。
 それは、島津にこの戦が決戦であると認識させてしまった事である。



 一条家 日向派遣軍   雇い主 一条珠

 総大将         立花元鎮 
   立花家         清水宗治・村上吉継・寒田鎮将      千
   御社衆+六郷満山僧兵衆 島清興・恵利暢尭・怒留湯融泉      千五百
   雑賀鉄砲衆       松倉重信                五百

 合計                                三千


  伊東家 真幸院侵攻軍  伊東祐安                 三千
 伊東・一条連合軍合計                        六千



 島津家  真幸院防衛軍  島津忠平(義弘)             三百
      援軍      島津家久・新納忠元            千五百

 合計                                千八百 





 作者より一言

 この時期の島津義弘は島津忠平と名乗っていたので、会話文についてはそれに修正。
 なお、島津側の素敵な策のソースは『戦国ちょっといい話悪い話まとめ』より

 http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2473.html 木崎原の戦いと加久藤城の女中
 http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2720.html 島津義弘と三徳院の盲僧、菊市

 島津義弘はただの最強な野戦指揮官なだけじゃない。
 優秀な諜報官でもあったんだよ!

 ……なにこのチート。
 どうやって勝てとorz


 読者の皆様にお願い

 こんな島津家なのですが、伊賀・甲賀みたいな間者組織の名前をご存知の方はぜひ教えてください。
 ちなみに、島津義弘は女間者使いでもあったそうで。



[16475] 南海死闘編 第七話 木崎原合戦 中編
Name: 北部九州在住◆69dd1406 ID:2a1e2f20
Date: 2010/04/12 14:15
 日向国 三ツ山城

 この城は、伊東家の真幸院侵攻の最前線基地である。
 それを島津側も知っており、建設途中に二万の兵を持って攻め立てたが落ちなかった堅城である。
 四郎こと立花元鎮率いる一条家日向派遣軍も兵糧を伴ってこの城に入場した事で、伊東家の兵と合わせて六千もの大部隊が駐留する事になった。

「良くこられた。
 貴殿らが運ばれた兵糧には大いに感謝しておる」

 三ツ山城城主米良重方は、島津軍二万を相手に一歩も引かぬ戦振りのほかに、伊東家の悲願でもあった飫肥城攻略戦において島津の撤退と飫肥の割譲を実現させた知勇兼備の将として知られていた。
 それと同時に軍議の末席に座った四郎に対して中央の武将が立ち上がり言葉をかけた。

「良くぞ参られた。
 貴殿らの援軍にて我等の勝利は間違いないぞ」

 今回の戦の総大将である伊東祐安は豪快に笑い、それに諸将もつられて笑う。
 なお、彼は鳥神尾合戦時の伊東側の大将であった事もあり、復讐の念に燃えていた。
 場を和ませる為と、わざと勇敢な所を誇示する挨拶をして見せた伊東祐安は、四郎に対してその労をねぎらった。

「兵糧が届いた事で我等は千人力ぞ。
 貴殿らも戦に参加していただけると心強いのだが、ここから先は我ら伊東家の戦。
 この城にて休んで、国に帰って頂いて構わぬ」

 顔に出ているが、伊東祐安自身は四郎たちの戦力に期待しているし、参加もしてほしかったりする。
 戦場にて予備兵力が増えるのは心強いし、それを求めない大将にろくなやつはいない。
 だが、よそ者が活躍するのは何処の家も嫌がるのは一緒で、それを彼が代弁して言っているに過ぎない。
 その辺りの機微も四郎は見抜き、丁寧な口調で伊東祐安が求めているであろう言葉を口に出す。

「我等はこの地にて戦働きで武功を求めるつもりは毛頭ございませぬ。
 兵糧の運搬や一揆の牽制などで働く所存。
 それが一条の姫との約定にて」

 伊東義祐の前でも吐いた言葉だが、それが一条派遣軍がこの場にいる言い訳になる。
 戦場の伊東家の陣地にまで兵糧を運び、その背後を守ると言われて拒否する将はいない。

「立花殿は此度の戦、何処を攻めるか聞いておられるか?」

「さて。
 戦には関わるつもりもなく、伊東家の陣まで兵糧を運ぶのみゆえ、聞かずとも良いと思うておりました」

 しっかりと伊東家の攻撃目標から作戦計画まであさぎ達間者から聞いているのだが、四郎はあくまでしらを切り通した。
 そんな四郎の真意を知ってか知らずか伊東祐安は米良重方に目で合図をし、今回の攻撃計画を四郎に告げる。

「今回の戦は境目の城である飯野城ではなく、その支城にあたる加久藤城を落とそうと思うている。
 加久藤城を落としてから、飯野城を囲んで枯らしてしまおうという次第。
 飯野城を囲む為に長期陣になるゆえ、立花殿が率いられた手勢に大いに働いてもらいたい」

「承知。
 で、加久藤城を落とす手はずは?」

 一番気になった、加久藤城攻略の手はずを四郎が尋ねると、米良重方が棒を持ち三ツ山城から飯野城に向けて線を引いた。

「立花殿の手勢は荷駄を持って付城に兵糧を入れてくだされ。
 とはいえ、飯野城を攻める先鋒として見えるように、途中までは堂々と飯野城に向かっていただけるとありがたい。
 既に陣触れは『飯野城を攻める』と間者に触れさせているので、島津は手勢を飯野城に集めるはず。
 その隙に我等と相良の援軍を持って加久藤城を落す次第」

 その言葉に四郎は力強く頷きながら、地図上の北から伸びる矢印を見逃さなかった。
 背後から加久藤城を目指す矢印の元は相良領。

(なるほど。
 我等という囮に島津を引きつけて、背後から相良と共に襲うのが本命か)

 兵は多いがその力量を知らぬ一条軍よりも、何度か共同で島津軍に当たった相良軍の方が信頼できると言われたら四郎とて返す言葉が無い。
 むしろ、この相良援軍は珠姫の指図かとも勘ぐってしまうが、これは純粋に伊東家と相良家の外交交渉の成果だったりする。
 伊東軍と同等の兵を持つ一条軍を潰す場合でも、多方面に敵を抱える島津軍にとっては一条軍を潰すだけの兵が揃わない可能性が高い。
 島津軍が一条軍を叩いた場合は飯野城と加久藤城はがら空きとなり、伊東軍は打って出た島津軍を一条勢と挟んでしまえばいい。
 逆に、この二城に篭るならば、伊東・相良・一条という大軍で囲んでしまえばいい。
 今の島津家に、合計で六千以上の兵力を叩くだけの戦力を一戦場に用意出来ない事は、この場の全員が認識していたのである。
 相良の援軍は城攻めでも効果が出るだろう。
 ただでさえ加久藤城は守兵も少なく、見取り図もそこに勤めていた女が逃げだした事で分かっている。
 伊東軍が攻めている背後から相良軍が襲えばひとたまりも無いだろう。
 伊東家も馬鹿ではない。
 二手・三手と手を打って戦に望んでいる事に四郎は安堵する。

「で、立花殿は途中まで向かったら兵を付城の方に向けてもらいたい。
 立花殿の手勢を破るだけの兵を島津が持っているとも思えぬが、兵糧を積んだ荷駄を持っての行軍ゆえ、不覚を取らぬとも分からぬ」

 それは、事実上の戦力外通告でもあったが、御社衆の負けっぷりを知っていたらそれもあるだろうと四郎は思っていたので、気にするそぶりも見せない。
 このあたり、囮として使いつつも、使い捨てにできない伊東家側の苦心が伺える。
 一条派遣軍の総大将は、大友家次期後継者である珠姫の愛人たる立花元鎮。
 囮として使い捨てて、珠姫の逆鱗に触れたくなかったのである。
 そんな事情を感じ取ったのか、米良重方の申し訳無さそうな声にも四郎は反応する事無く、淡々と出陣に際して必要な物を要求する。

「ならば、真幸院の地図と土地に詳しい者を。
 運ぶ前に一揆などに襲われては困るゆえ」

「心得た」

 この真幸院そのものが島津と伊東の長年の係争地であった事もあり、伊東側の人間も多くいた。
 事前情報が入手できなかった一条派遣軍において、もっとも欲した現地案内人の確保に目処が立った事で四郎は安堵のため息をつく。

「それで、我等はこの城から何処に兵糧を運べばよろしいので?」

 長期の包囲戦になると、この三ツ山城でも遠すぎる。
 近くに付城を作るのが攻城戦の手順なので、四郎はその付城の場所を尋ねたのである。

「何度か真幸院を攻めている時に使っている陣城がある。
 放棄した故に守りは薄いが、此度もそこに本陣を置こうかと思っている」

 中央に地図が置かれ、米良重方がある一点に石を置いた。
 そこは川内川と池島川の合流地点にほど近く、陣を敷くならば格好の位置にあった。
 その一帯を木崎原という。

「我等はこの城を鳥越城と呼んでいる。
 我等が着いた後に、ここに兵糧を送ってもらいたい」

 米良重方に四郎は頷いて、最後の質問をする。

「で、戦はいつ始まるので?」

「明日。貴殿らの到着を待っておったのだ」

 我が策に自信ありとその言葉の裏に込めながら、伊東祐安が答えたのだった。




 四郎は軍議の後、地図と地元に詳しい者を連れて与えられた陣屋に戻る。
 そこには一条派遣軍の全ての大将が揃っていた。
 なお、こちらでの軍議は、これが初顔合わせという事もあるので、互いの情報交換をこめて行われている。
 そして、与えられた地図を広げ、地元の者の話を聞いて四郎達は珠姫の『川を渡るな』の意味を知るのだった。

「なるほど。
 これは姫様が『川を渡るな』と念を押したくなるな」

 地図を見ながら清水宗治がぼやく。
 真幸院は南九州随一の暴れ川である川内川の上流に当たる。
 鳥神尾合戦で大量の溺死者を出しただけに、その懸念がやっと実感できたのである。
 しかも、伊東軍の攻撃目標である加久藤城は川内川と池島川の合流地点に当たり、流れが速く川も深い。

「だが、加久藤城も飯野城もこの川を渡らねば攻める事はできぬぞ」

 村上吉継の言葉に寒田鎮将が反論する。
 それで仲が悪いという訳でもなく、うまが合うのか良く酒を酌み交わしていたりする。

「だから、攻めるなという事だろう。
 我らはこの戦にて槍働きをするなと、姫様より仰せつかっているではないか」

「……それは分かるが……」

 言葉に詰まる村上吉継だが、功績が欲しいのは誰もが同じである。
 重苦しい空気の中、ぽつりと呟いた声が思いのほか大きく聞こえた。

「気になる事がある。
 伊東家の連中、兵に若い輩が多い」

 松倉重信の懸念も当然だが、そもそも伊東家は鳥神尾合戦の大敗で、大量の熟練兵を失っている。
 今回の動員はその伊東家がやっとの思いで再編した外征軍であり、それもあって若年層にて構成されていた。
 このあたり、御社衆の方が戦場経験が高いという逆転現象が起こっていたりするが、その経験は敗走時に己一人が逃げる時に発揮されるのが玉に瑕なのだが。

「鳥神尾で壊滅的な打撃を受けたからな。
 むしろ良く持ち直したというべきか」

 怒留湯融泉が懐かしそうに呟く。
 彼の人生において、この御社衆に左遷されるきっかけとなった大刀洗合戦の後に起こった合戦だけに、顔は苦々しそうに見えるのだが。

「我等の手勢だけでも、島津勢は超えているはす。
 ならば、一気に飯野城を落しても構わないのでは?」

 恵利暢尭が村上吉継と同じく強硬論を主張する。
 だが、それを隣にいた島清興が反対したのである。

「我らに地の利なく、人の和もこの様。
 これで御大将は天の時があるとお思いか?」

 その理路整然とした口調に一同見事なまでに黙り、四郎がたえきれずに苦笑する。

「その通りだ。島殿。
 これで戦に勝てると思うほど、我らは阿呆ではない。
 姫の命をただ遂行して、無事に帰る事を第一に考えようぞ。
 この戦における全ての悪名はこの立花元鎮が引き受けるゆえ、諸将は皆それを心得てもらいたい」

 その四郎の一声にて軍議は決して、諸将は四郎に対して一礼すると共に、彼を大将として認めたのだった。
 同時に、退路の確保と木崎原への偵察をあさぎ達間者に命じ、各自明日の出陣に備えたのだった。



 その日の夜、準備をしていた一条軍を尻目に伊東軍が三ツ山城より出発する。
 何事かと駆けつけた四郎達一条家の諸将を前に、鎧姿で馬に乗った米良重方が苦笑する。

「馬上から申し訳ござらぬ。
 我らが攻める加久藤城は、飯野城より遠くてな。
 先に出させてもらう次第」

「馬鹿な!
 いくら遠いとはいえ、話で聞いた距離ならば、今からなら夜更けには加久藤城に着くではないか!
 朝から出ても十分……殿!」

 抗議する寒田鎮将を制したのは、四郎の手だった。
 まだ何か言いたげな寒田鎮将を制したまま、米良重方と同じように四郎も苦笑して見せる。

「油や松明が山と積まれていたのはこれが理由でしたか。
 えらく往生しました」

 四郎達が運んできた荷駄には兵糧だけでなく、松明や油が通常よりはるかに多く積まれていた。
 たしかに、三千の兵が夜に移動するならばこれぐらい必要だろう。
 と、同時に四郎はこの戦における伊東側の勝利を確信した。
 少なくとも、彼らは油断していないし、これだけの規模での夜襲をかけられる錬度がある。

「後武運を」

「明日の朝、鳥越城で会いましょう。
 では!」

 そう言って、米良重方を乗せた馬は伊東兵と共に闇夜に消えていった。
 


「立花様。
 よろしいでしょうか」

 夜半にあさぎに叩き起こされた四郎は、そこで驚愕の報告を聞く事になる。

「こちらの間者が襲われた……!?」

「はっ。
 立花様が連れてこられた者の話を元に手の者に確認に行かせたら、島津側の間者と遭遇したとの事。
 三組送り出して、一組が二人やられ、まだ二組が誰も戻ってきておりません」

 間者を預かっているあさぎにしても、想定外の大損害なだけに顔が青ざめている。
 ここで、四郎も狼狽などしようものならば取り返しがつかない事になりかねないので、落ち着く為にゆっくりと息を吐き出して尋ねる。

「やられたと思うか?」

「おそらく……」

 陣触れが出ている一条派遣軍の事は、知られる事が前提なので構わない。
 問題は、その陣触れに際して出した間者が襲われた事にある。
 姫巫女衆を始めとした大友の諜報組織は、三人一組で行動する事が基本となっている。
 これは、遊女や歩き巫女などの情報収集部門から始まって、甲賀脱忍や鉢屋衆残党、彦英山山伏という感じで拡大していったので、一騎当千で活躍する専門的な忍集団に技量錬度が劣るという欠点を抱え込んでいた事が理由である。
 この問題を、その諜報組織の頂点にいる珠姫は溢れんばかりの銭の力で解決した。
 通常の忍び里の数十倍の規模の誇る、末端関連組織まで入れたら二千人を超える数で押したのである。
 単独行動が多い忍び集団の中での数的優位は、できて間もないつぎはぎだらけの大友家諜報組織が機能していた最大のポイントだったのである。
 今回珠姫がつけた十組三十人の間者達も一戦場どころではなく、一国の諜報組織に匹敵する規模なのだ。
 その間者の二組が丸ごと戻らず、残り一組も一人しか帰ってこないという事は、大友側を上回る間者、おそらくは島津家が抱える忍び衆である山潜衆を投入している事に他ならない。

「向こうも、存亡の戦とばかり総力を注いでいるのだろう。
 次の手配と伝令を伊東軍の後衛に走らせろ。
 島津の間者が動い……て……?」

 急に黙り込んだ四郎の言葉をあさぎは待っていたのだが、四郎はあさぎがいる事すら忘れて、今気づいた事実に愕然とする。  
 
(何で、この真幸院を島津は『存亡の戦』と認識しているんだ?
 相良に肝付も軽視できる戦線ではないのに……我等の存在か?
 いや、一条派遣軍は目的地がこことは伝えてられていなかったし、肝付支援の可能性もあった。
 にも拘らず、島津は間者をここに集中させた……)

 額から汗が吹き出て、体の震えが止まらない。
 そんな中、四郎は唐突に父である毛利元就の言葉を思い出す。


「そして観察せよ。
 己の目で見て、耳で聞いて、考えろ。
 それがお前の身を守る事になるだろう」


(あの時はうまくいくと思ったが、伊東家の策はあくまで机上の策。
 だが、現実はあさぎの報告どおり、島津家は山潜衆を投入するほどこの戦に力を入れている。
 どうしてだ?
 姫がしかけた各地から島津を攻める策は破綻していないはず……)


 唐突に四郎に電流が走る。
 それは思い出した毛利元就一世一代の大決戦となった厳島合戦の事。
 あの合戦で、毛利元就は徹底した情報誘導で陶軍を勝っていると思い込ませ、誘導させて厳島という死地に足を踏み入れさせた。





 丁度、今の伊東軍のように。





 みかねたあさぎが声をかけようとした時に、四郎は耐え切れずに決定的な事実を叫んだ。 

「おい!
 こっちの情報が島津に筒抜けになっているぞ!!!」

 だが、四郎の叫びは、一手遅かった。




 一条家 日向派遣軍   雇い主 一条珠

 総大将         立花元鎮 
   立花家         清水宗治・村上吉継・寒田鎮将      千
   御社衆+六郷満山僧兵衆 島清興・恵利暢尭・怒留湯融泉      千五百
   雑賀鉄砲衆       松倉重信                五百

 合計                                三千


   伊東家 真幸院侵攻軍  伊東祐安                三千

   相良家 伊東家派遣軍  佐牟田常陸介              五百

 伊東・相良・一条連合軍合計                     六千五百



 島津家  真幸院防衛軍  島津忠平(義弘)             三百
      援軍      島津家久・新納忠元            千五百

 合計                                千八百 




 作者より一言。

 薩摩の忍者組織の名前ありがとうございます。

 地理メモ 鳥越城 宮崎県えびの市池島鳥越



[16475] 南海死闘編 第八話 木崎原合戦 後編
Name: 北部九州在住◆69dd1406 ID:2a1e2f20
Date: 2010/04/17 16:43
元亀元年(1570年)5月4日

 まず、最初に言っておく。
 この合戦における伊東軍は精鋭であり、決して油断している訳ではなかった。
 なぜならば、伊東軍の侵攻路からそれが分かるのである。
 加久藤城へ攻撃をしかけるには、川内川を渡らないといけない。
 しかも、夜襲を企んでいた事から深夜の渡河という暴挙を無事に行っている。
 講談などで語られる川中島合戦などで、

「鞭聲肅肅(べんせいしゅくしゅく)夜河を渡る」

 なんて事が、暴れ川として名高く鳥神尾合戦で大量の伊東兵を溺死させた川内川でできる訳も無く。
 明々と松明をつけて、互いに大声で安否を確かめ、縄を辿りながら渡河してみせたのである。
 さて、ここで不思議に思う事はないだろうか?
 夜半にそんな派手な渡河をかましたら普通気づくだろうと。
 当然の疑問だが、これに伊東軍が出した回答は、
 離れた池島川を渡って迂回して、川内川を渡る。
 という、珠姫が聞いたら、

「馬鹿か!あんたら!!!」

 と、叫ぶ事必死の暴挙で渡河して見せたのである。
 そう。
 この暴挙を伊東軍はさしたる損害なしで達成して見せたのだ。
 これこそ、この伊東軍が精鋭である証拠である。
 事前準備を整え、できうる限り策を張り、精鋭の大軍で奇襲する。
 くどいようだが、あえて言わせてもらう。

 伊東軍は、精鋭であり油断も奢りも無く、この合戦に挑んだのである。




 ただ一つ、最初の前提が全て間違っていた以外は。




 地理説明

                  飯野城
 ③                 凸  
 ↓               ←A
   加久藤城       ■■■■■■■川内川
    凸     ■■■■■
       ■■■■
    ① ■■
■■■■■■■  木崎原    伊東軍侵攻路
    ↑ ■■■   ↓▲鳥越城跡←←←←←三ツ山城
    ↑   ■■■■■■
    ②←←←←←←←←■■■■■■■■池島川




伊東軍
  鳥越城跡 本陣 伊東祐安     千
①      先陣 伊東祐信     千 
②      後詰 伊東祐次     千

  相良軍     佐牟田常陸介   五百

  合計               三千五百


島津軍
A         島津忠平(義弘) 二百五十

  合計               二百五十




「かかれぇ!!!」

 先陣大将である伊東祐信の声と共に伊東軍は加久藤城に攻めかかった。
 明け方のもっとも闇が濃くなる時間を選んでの総攻撃だったが、この攻撃に対して寡兵しかいない加久藤城兵は矢弾にて答えた。
 まぁ、川内川渡河の時点で赤々と松明を焚いているのだから、気づかない方がおかしい。
 とはいえ、この急襲に近隣の城からの後詰が間に合う筈がない。
 ましてや、伊東軍は加久藤城の元女中から搦め手である鑰掛口から攻撃しているのだから、陥落は間近だろうと楽観視していたのである。
 だが、加久藤城は落ちないどころか、城内に進入する事すらできない。
 それもそのはずで、そもそも鑰掛口の名前の由来が、「鑰(鉤)掛うど」と呼ばれて鉤を掛けて登らなくては通れないというほどの絶壁だったのである。
 おまけに、夜の暗さと若い不慣れな将兵の勘違いで、鑰掛の登り口にある樺山浄慶の屋敷を間違って攻撃して時間を食う始末。
 樺山浄慶父子3人を討ち取って勘違いを悟り、そんな難所だと知らない伊東軍は必死に細い道をがむしゃらに進み、島津軍の弓鉄砲に撃ち取られてゆく。
 鑰掛口での攻防が終わったのは、夜明け直後。
 伊東軍に朝日に照らされた加久藤城の絶壁が、伊東軍将兵の目に露になった瞬間だった。

「……謀られた」

 伊東祐信の呆然とする呟きを耳にする者はいなかった。
 真幸院全体に轟くときの声と、無数にはためく島津家の丸に十の字の旗に誰もが呆然と、そして愕然とした後で叫んでしまったからである。

「島津の大軍に囲まれたぞ!!」

 と。
 その旗の下に兵がいるかどうかなど、考える者は誰もいなかった。


 地理説明

  
 ↑                飯野城
 ③       △         凸  
  △             
   加久藤城    A  ■■■■■■■川内川
    凸  △  ■■■■■
    B △■■■■E       △
C→  ↓ ■■ ↓←F
■■■■①■■  ↓         △
      ■■■↓   ▲鳥越城跡
D→  ②   ■↓■■■■
         ←   ■■■■■■■■池島川

     △
    白鳥山         △


伊東軍
  鳥越城跡 本陣 伊東祐安     千
①      先陣 伊東祐信     九百数十 
②      後詰 伊東祐次     千

③ 相良軍(逃亡中)佐牟田常陸介   五百

  合計               三千四百数十


島津軍
A         島津忠平(義弘) 百五十
B         川上忠智     数十
C         新納忠元     五百
D         島津家久     千
E         鎌田政年     五十
F         五代友喜     五十

△         虚旗
  合計               千八百



「引け!
 鳥越城の本陣と合流するぞ!!」

 伊東祐信が兵を戻そうとするが、後ろは暴れ川として名高く、鳥神尾で伊東軍将兵を飲み込んだ川内川である。
 そして、伊東軍先陣は城攻めに疲れ、将兵ともに動揺していた。
 そんな好機を島津軍が見逃すはずが無かった。

「加久藤城から兵が打って出てきます!」

 川上忠智が数十人しかいない手勢をまとめて打って出て、伊東軍を蹴散らしてゆく。
 だが、所詮数十対千ではせいぜい混乱させるだけしかできない。 

「先に、加久藤の城兵を叩くぞ!
 渡る際に、鎧を脱ぎ捨てよ!
 さもなくば、川内川に飲み込まれるぞ!!」

 殿を買って出た伊東祐信とその手勢が、加久藤城兵に向かって突貫する。
 たとえ乱れたとはいえ、数は圧倒的に伊東軍の方が多く、寡勢の島津軍は蹴散らされて加久藤城に戻ってゆく。

「深追いはするな!
 我らも川を渡って、後詰と合流するぞ!!」

 鎧を、中には刀槍すら捨てて、伊東軍は川内川を渡河する。
 その思い切りのよさが、伊東軍先陣の命を救った。
 だが、川内川を渡った伊東軍が見たものは、白鳥山にはためく島津軍の旗。
 鐘や銅鑼を鳴らした手勢が山を下ってこようとする姿だった。

「大口からも島津勢が!
 丸に鍵十字の旗印、新納忠元です!!!」

「白鳥山にも敵勢が!
 奴ら何処からやってきたんだ!!」

 大口からの速すぎる後詰には訳があった。
 伊東軍の行動を島津の間者集団である山潜衆が常時監視をしており、早い段階で後詰に動いたからである。
 とはいえ、島津軍とて万全の体制で臨んだわけではない。
 特に大口方面で焼き働きをするはずだった相良軍の参加は想定外で、彼らが擬兵に驚いて撤退するまでその監視と牽制をせざるを得なかったからである。
 その結果、新納忠元率いる島津軍の参加が少し遅れたと同時に、三ツ山城の監視を外さなければならず、三ツ山城に残っている一条軍三千の動向が不明になる。
 これらの誤算を島津義弘は理解しており、独力での伊東軍撃破に動く。
 手勢三百の内、五十を飯野城の守備に残し、更に鎌田政年率いる五十を木崎原に潜ませ、もう一つ五代友喜率いる五十を敵中突破させて白鳥山背後に進ませたのだ。
 特に五代隊の敵中突破は、地の利と伊東軍の混乱、五十という少数によって助けられて無事に白鳥山までたどり着く。 
 だが、そんな事を伊東軍が知る訳がない。
 そして、鎧を捨ててなんとか脱出に成功していた伊東祐信の先陣が役に立つとも思えなかったのである。

「ここはそれがしが支えるゆえ、はやく本陣と合流を!
 我らはここで島津勢を迎え撃つ!」

 後詰が対岸に布陣していたのは、先陣の退路確保の為であり、伊東祐次にとっては想定の範囲内ではあった。
 この周囲に満ちる島津の大軍に囲まれているという事以外は。
 そして、自分達が本陣と合流できないだろうと既に悟っていた。

「かたじけない!
 本陣まで駆けるぞ!!」

 伊東祐信とて、伊東祐次とこれが今生の別れになる事は理解していたが、名残を惜しむ時間すら残されてはいない。
 馬を池島川に乗り入れさせて悪態をつく。

「相良と一条の連中は何をやっている!!」

 彼らは知らない。
 相良軍が虚旗に驚いて撤退している事を。
 一条軍が合戦前に島津軍の罠を見切った事を。
 一方、鳥越城の伊東軍本陣も事態を把握し、先陣が窮地に陥っている事を理解していた。
 そして、必死に逃げ出そうとしている伊東軍先陣を助けるために、鳥越城から出陣せざるを得なかったのである。

 その瞬間を島津義弘は待っていた。

 川内川と池島川の合流地点にある木崎原に伊東軍先陣と本陣が合流したその時、島津義弘率いる百五十の兵が突撃する。
 朝から昼に太陽が移ろうとしていた初夏の陽気など吹き飛ばす殺戮の宴は、まさに佳境を迎えようとしていた。

 

 地理説明

  
                  飯野城
         △         凸  
  △             
   加久藤城       ■■■■■■■川内川
    凸 C△  ■■■■■
      △■■■■        △
      ■■ A E
■■■■■■■  ④         △
     B■■■    ▲鳥越城跡
    D②  ■■■■■■
     F       ■■■■■■■■池島川

     △
    白鳥山         △


伊東軍
④      本陣 伊東祐安・祐信  二千
②      後詰 伊東祐次     数百

  合計               二千数百


島津軍
A         島津忠平(義弘) 百五十
B         川上忠智     数十
C         新納忠元     五百
D         島津家久     千
E         鎌田政年     五十
F         五代友喜     五十

△         虚旗
  合計               千八百



「島津軍が川内川を渡って突っ込んできます!」

「敵は寡兵ぞ!
 押し返せ!!」

 島津軍百五十の突撃を、伊東軍は先陣と合流した二千の兵で押し返す。
 いくら先陣が使えないとはいえ、本陣の兵だけでも押し返せると総大将の伊東祐安は考え、事実島津軍の突撃は伊東軍に阻まれてじりじりと後退しつつあった。
 そんな島津軍の先頭にて島津義弘は獅子奮迅の働きで伊東軍と戦っていたが、じりじりと伊東兵の波に押しつぶされようとしていた。

「ここは我らが支えるのでお引きくだされ!!」

 この時、殿を引き受けたのは、遠矢下総・久留半五左衛門・野田越中坊・鎌田大炊助・曾木播磨・富永刑部の六人。
 彼ら六人が敵陣に斬り入り、討ち死にするわずかの時間が島津義弘と島津軍を救った。

「引け!
 一旦体制を立て直すぞ!!」

 島津軍は川内川を渡り、飯野城に逃げるそぶりを見せる。
 対岸を見ると、伊東祐次の後詰が島津家久率いる島津軍によって包囲殲滅されようとしていた。
 ここで、島津義弘率いる島津軍を叩き潰してしまわないと、背後を突かれる恐れがあった。
  
「追え!
 島津忠平(義弘)の首を取れ!!」

 伊東祐安の命で伊東軍二千が島津軍を追って川内川を渡る。

「御大将!!
 後詰は……」

 その命に意を唱えようとする伊東祐信の言葉を伊東祐安は叫んで黙らせる。
 後詰の大将で、今まさに包囲殲滅されつつある伊東祐次は伊東祐安の息子だった。

「言うな!!!
 源四郎(伊東祐次)を助けて戦に負けたとあったら、源四郎にしかられるわ!
 敵の大将、島津忠平(義弘)を討って仇をとる!」

 そして、川内川を渡り終えた伊東軍に新納忠元率いる五百が横から殴りつけ、背後から鎌田政年の五十が時を同じく襲い掛かる。
 ちょうど、息子伊東祐次が討ち取られたその瞬間に、伊東祐信もまた島津の包囲網に捕らわれたのである。



 地理説明

  
                  飯野城
         △         凸  
  △             
   加久藤城       ■■■■■■■川内川
    凸  △ A■■■■■
      △■■④■        △八幡丘 
      ■■ E         ⑤
■■■■■■■  ↓  鳥越城跡   △横尾山    
      ■■■↓→→→▲↓
       D■■■■■■→→→→→→伊東軍退路
             ■■■■■■■■池島川

     △
    白鳥山         △


伊東軍
④         伊東祐安      千数百
⑤     一条軍 立花元鎮      二千

  合計                三千数百


島津軍
A    島津忠平(義弘)・新納忠元  五百
D    島津家久・川上忠智・五代友喜 数百     
E         鎌田政年      五十
△         虚旗
  合計                千数百




 伊東軍は大混乱に陥っていた。

「敵が!
 囲まれたぞ!!」

「足が……
 お、おぼれ……」

 足元は川内川。
 その渡河中の包囲である。
 次々と兵は足を取られて川内川に引きずり込まれてゆく。

「引け!
 鳥越城まで退け!!」

「負けじゃ!負けじゃ!
 この戦負けじゃ!」

「おら、死にたくねぇ!!!」

 阿鼻叫喚の伊東軍は算を乱して敗走する。
 それを、島津軍は次々と討ち取ってゆく。

「もはやこれまで。
 かくなる上は、敵陣に突っ込んで、大将の首を討ち取ってくれるわ!」

 伊東祐信が島津義弘に向けて馬を返して一騎討ちを挑む。
 その武勇凄まじく、憤怒の形相で槍を島津義弘に突き出すが、島津義弘の馬が膝を折ってかろうじてその槍をかわし、必殺の槍がかわされた隙をつかれて島津義弘の槍が伊東祐信のわき腹に刺さり馬から崩れ落ち、そこを足軽に討ち取られた。

「伊東祐信、討ち取ったり!!!」

 その声に更に崩れる伊東軍だが、逆に武勇を誇る者は敵討ちとばかりに、島津義弘に次々と挑んで手勢に討ち取られてゆく。
 中でも、長峰弥四郎は伊東家でも剛勇で知られ、日の丸の前掛けのある兜に大太刀を振り回して島津義弘に迫る。
 咄嗟に従者が出した楯板でその大太刀は阻まれたが、楯板を切り通して従者の兜の吹返しまで切裂くほどの太刀筋だが、刀が押さえられたらどうしようもない。
 楯板から大太刀を抜く間も無く、長峰弥四郎も伊東祐信と同じ運命を辿り、完全に算を乱した伊東軍が壊走しようとした時にその煙が島津義弘の目に映る。

「横尾山から煙が!」
「八幡丘からも同じく!」

 二つの山に派手に立てていた島津軍の虚旗が、赤々と炎に包まれて燃えていた。
 あの辺りに兵はいない。
 ならば、誰が虚旗を焼いたのか?
 その答えは、敵である伊東軍にとって希望の叫びとなって島津義弘に届いたのであった。

「大友軍だ!
 大友軍が後詰に来たぞ!!」

 彼らにとっては、一条という偽りすら捨てるほど切羽詰っていたのだろう。
 そして、この叫びがこの合戦終幕の幕開けとなった。


 地理説明

  
                  飯野城
         △         凸  
  △             
   加久藤城       ■■■■■■■川内川
    凸  △  ■■■■■
      △■■■■         
      ■■           A
■■■■■■■     鳥越城跡   ⑤横尾山    
      ■■■   D▲↓
        ■■■■■■→→→→→→伊東軍退路
             ■■■■■■■■池島川

     △
    白鳥山         △


伊東軍
⑤     一条軍 立花元鎮      二千

  合計                二千


島津軍
A    島津忠平(義弘)・鎌田政年  三百
D         島津家久      七百     
△         虚旗
  合計                千



 ここで話を、少し戻す。
 深夜にくノ一あさぎの報告で島津軍の罠に気づいた四郎こと立花元鎮は、早急に軍議を開き対策を協議する。
 だが、敵が待ち構えている中での深夜の進軍など、自殺行為に等しい。
 何よりも兵の半分を占める御社衆は、深夜行軍などできぬ兵の士気と錬度しか無い事を四郎自身が一番良く知っていた。

「負けましたな。この戦」

 島清興の響く声が更に深く四郎の耳に突き刺さる。
 集めてみて後で知ったと珠姫自身が笑ったのだが、この一条派遣軍の面子は皆負け戦の経験者だったりする。
 島・松倉は筒井家で松永久秀に国を追われ、怒留湯融泉は太刀洗合戦、恵利暢尭は彦山川合戦、村上吉継は慶徳寺合戦、清水宗治は明善寺合戦で手痛い敗北を喫している。
 そして、四郎と寒田鎮将は北浜夜戦で負け戦の辛酸を味わっていた。
 だから、大体負け戦の空気やパターンなら分かってしまうのだった。嬉しくない事に。
 そんな経験者でも特に武勇の才を誇る島清興が「負ける」とはっきりと言ってしまった為に、諸将はそれをすんなりと受け入れたのである。

「あの姫の事だ。
 そこまで読んでいたのかもしれませぬな。
 だから、我らの起請文に一言たりとも『戦に勝て』と書かなかったとか」

 寒田鎮将がわざとらしく冗談を言って場を盛り上げるが、実際に珠姫がこの戦の負けを読んでいた事など知る由も無い。

「ならば、道は二つ。
 負けを知って打って出るか、このまま帰るか。
 幸いにも伊東家からももう帰っていいと言われましたからな」

 怒留湯融泉が寒田鎮将と同じようにわざとらしく言い捨てる。
 このまま逃げ帰る事が実際にできないからこその物言いだった。
 逃げ帰って、

「お前らいったい何をやっていた?」

 と大友家中から突っ込まれる事が分かりきっていたからである。
 珠姫はかばってくれるだろうが、それでは侍の面目が立たない。
 とはいえ、このまま負け戦に出向いて討ち死にでもしようものなら犬死でしかない。

「伊東軍の撤退を助けるしかございませぬな」

 村上吉継がため息をつきながら、唯一の策を口に出す。
 負けて逃げる伊東軍を助け、追撃に来る島津軍に一太刀浴びせて撤退する。
 だが、口に出して言うのは簡単でも、実際に行うのは恐ろしく困難を伴うのも彼らはわかっていた。

「だが、伊東軍の崩れに巻き込まれたら、我らもひとたまりもありませぬぞ」

 清水宗治が懸念の声をあげる。
 何しろ、彼は明善寺合戦で救援に来た毛利軍が三村軍の総崩れに巻き込まれて同じく崩れた様をその場にいて見ているだけに説得力があった。

「深入りはしない。
 それしかないでしょう」

 四郎が凛とした声で言い、地図に指を這わせる。

「御社衆は日が出たら、この城から鳥越城までの間に柵を作ってもらいたい。
 落ち延びる伊東勢が落ち着けるように飯などを残してな。
 怒留湯殿に恵利殿。よろしいか?」

「心得た」

 あっさりと珠姫との約束を破り、四郎は柵を作るという仕事を名目に御社衆を切り離す。
 兵の士気・錬度を均一にしておかないと、その弱い所から簡単に崩れるという事を戸次鑑連との試し合戦で四郎自身がいやというほど思い知っていた。

「島殿。
 御社衆で使えそうな者はそちらで動かしてもらいたい」

「よかろう」

 とはいえ、御社衆内にも武勇を誇る輩もいるのは事実で、全ての御社衆を切り離して兵を減少させるつもりはない。
 そのあたりの見極めを四郎は島清興に任せたのである。

「残りは、朝にそれがしと共に出陣。
 鳥越城まで出て、伊東軍を助ける」

「「「「「はっ」」」」」

 諸将が声を合わせて了解した後で、島清興が四郎に尋ねる。

「何か策はあるので?」

 その言葉に、ふと遠くを見ながら四郎は呟いた。

「父から聞いた話だ。
 厳島合戦時、毛利は数倍の陶勢を囲んで大勝利に導いた。
 だから、その囲みを解く」

 朝、出陣した一条軍は真幸院から聞こえるときの声に合戦が始まった事を知った。
 そして、この時にあさぎ達間者を一斉に放つ。

「既に合戦が始まっているのに、我らの方に間者を残すとは思えぬ。
 よしんば、残していたとしても、我らの数を越える事はあるまい」

 四郎の読みは的中し、真幸院進撃時に多くの情報を入手することに成功したのである。
 それは、伊東軍が断末魔の叫びをあげて崩壊しつつある事を知る事でもあった。

「これでは死地ではないか!」

 川に囲まれ、無数の虚旗はためく真幸院を見た四郎の叫びは、一条軍全員の心の叫びでもあった。
 なお、同じ叫びをあげて相良軍が逃げ帰っているのだが、それを四郎が知るわけも無い。
 だが、四郎の手元にはあさぎ達間者がちゃんと情報を持ち帰っていた。

「八幡丘、横尾山には兵がおらず、農民達がときの声をあげるのみです」

 その報告を聞いて四郎は確信した。
 多兵で敵を囲むのならば、こんな小細工をせずに後詰として残す。

(その事実は、島津軍はこちらより兵が少ない!!!)

「八幡丘、横尾山を攻めよ!
 囲みを解いて伊東軍を支援する!!!」

 農民達は突如現れた伊東軍二千に驚いてちりちりに逃げ出す。
 そして、無数に刺してあった島津軍の旗を全て燃やしたのだ。
 晴れ渡った初夏の真幸院で高台であるこの二つの陣の旗が燃える様子は、敵味方全軍に見えるだろう。

「島津軍!
 こちらに向かってきます!!」

「伊東軍に池島川沿いに落ち延びるように伝えよ!
 方陣にて敵を待ち構える!」

 敗走する伊東軍を島津家久の手勢に任せて、真っ直ぐに一条軍に突っ込んでくるのは島津義弘。
 既に満身創痍だが、伊東軍を潰した事で士気は高く、鬼人のごとき形相で一条軍に突撃してくる。
 それを四郎は苦笑しつつ眺めた。
 この陣形の事を知っていたら、あの突撃は自殺行為でしかないと分かっていたからである。

「放てい!!!」

 真幸院に轟く最大規模の轟音に、島津・伊東の両兵とも一瞬足が止まる。
 四郎が敗北を知った方陣。
 その陣を使った南蛮人の言葉でこの陣を言うのならば、



 テルシオ



 と、言う歩兵で構成される要塞だった。 

「何故だ!
 何故、あの陣に近づけぬ!!!」

 憤怒の形相で島津義弘が叫ぶ。
 島津軍とて鉄砲は持っているし、諸大名に比べて保有率は高い。
 だが、大友軍の方陣に近づけない理由は、彼らの鉄砲の使い道にあった。
 島津軍の鉄砲は狙撃で、しかも敵陣突撃の支援攻撃として使われているのに対して、方陣の左右に陣取る大友軍鉄砲隊はそこから正面中央に殺し間を作る制圧射撃に使われていたのである。
 しかも、その鉄砲隊が天下でも有数の技量を誇る雑賀鉄砲衆で、突っ込んだ島津軍が面白いように倒れる。
 その、大友軍正面ででんと構えている長槍隊が抜けない。
 長槍隊の排除を目論んでも、その間に鉄砲に射抜かれる。

「家久殿の横槍が!!」

 島津義弘がにやりと笑う。
 たとえ正面が強力でも、横合いから突っ込まれたら、先ごろまで戦っていた伊東軍と同じく壊走するのが常だ。 
 これで勝ったと思った島津義弘の耳に、轟音と甲高い音が轟き、島津家久勢の戦列を叩き崩す様子がはっきりと見えていた。

「ば、馬鹿な……
 大友の奴ら、横にも鉄砲を置いていたというのか……」

 島津義弘の呟きが事実だからこそ、島津家久勢は大打撃を受けているのだった。
 鉄砲だけではなく、大友軍はこのテルシオ導入に先立って大砲の運用まで始めて、小金原合戦では宗像軍を吹き飛ばしている。
 だが、ただでさえ重たい大砲の運用には日向の山奥という土地柄では難しい事もあって、代わりのものをと探していた四郎は四郎だからこそ気づいたそれを大量に持ってきていたのである。
 棒火矢、焙烙火矢と呼ばれていた水軍が使っていた兵器を。
 また、水軍出身で運用をよく知っている村上水軍出身の村上吉継がいた事も幸いした。
 その案を聞いた珠姫が、

「何処のカチューシャよ……」

 と、謎の異人語を吐いて大笑いしながら大量購入し、村上吉継に持たせていたのである。
 その吹き出る火矢の勢いに島津家久勢の隊列が吹き飛び、撒き散らされた炎が足軽達に燃え広がり隊列を崩してゆき、鉄砲の餌食となる。
 鉄砲による面制圧射撃による敵突撃の粉砕と、野砲による敵隊列の破砕、そして長槍隊による近接攻撃阻止と、それを全周に行える隊形。
 島津のお家芸である『釣り野伏せ』に対する最強の相性を持つこの陣形を、はるか昔から対島津戦を想定していた珠姫が見逃すはすが無く、南蛮人が府内を焼いた直後からその研究と導入を目論んでいたのだった。
 それが、この木崎原で花開く。
 こうして、元から少数だった島津勢は近づく事すらできずに大友軍の方陣から叩き出された。

「ええい。
 敵が追ってきたら、また伏兵で叩くぞ!」

 島津義弘と島津家久は一旦後退して合流し、伏兵をしかけながら逆襲の準備をする。
 が、いくら待てども、大友軍はやってこなかった。

「大友軍!
 陣を焼いて撤退してゆきます!!!」

「しまった!」


 無敵と思われるテルシオにも弱点があり、特に顕著なのが機動力の無さである。
 一度陣を敷いたら簡単に進めないのが難点で、陣を崩して撤退するその瞬間が一番危ないのだった。
 更に、大量の火薬を使う為に荷駄隊の補給がないと戦えないという欠点も持っていた。
 今回その荷駄隊である御社衆は伊東軍敗残兵の吸収と撤退後の防備の為に柵作りに出ており、この場に連れていない。
 そして、彼ら一条軍はこの戦が負け戦である事を分かっている。
 己の面子が守れる程度の戦果を上げるだけと目標を絞っており、兵達の動揺や暴走も清水宗治・村上吉継・寒田鎮将・島清興・松倉重信らの良将達がしっかりと制御し続けていた。

「荷は全て捨てよ!
 兵糧は半分だけ焼き捨てるのだ!!」

「何で半分だけで?」

 四郎の命に寒田鎮将が質問を投げる。
 その答えを四郎はいたずらっぽく笑って告げた。

「兵糧の半分が燃えていて、その隣に無事な兵糧があったらどうする?」

「そりゃ、もったいないから消し……
 なるほど。
 殿もえげつないですな」

 追撃に出る島津兵が見て、火を消せば消す時間だけ逃げられる。
 一条軍・伊東軍合わせて六千が食べる為に用意された大量の兵糧が集められて火がつけられる。

「さぁ、逃げるぞ!
 皆、死にたくなければ駆けよ!!」

 四郎の声に合わせて一条軍は粛々と撤退してゆく。  
 その殿をつとめていた四郎に向かって馬を進める一党が現れる。

「待て!旗を見ろ!!!
 あれは伊東軍だ!!!」

 それは、かろうじて島津軍の追撃から逃れる事ができた伊東軍総大将伊東祐安だった。
 刀は折れ、返り血で鎧は汚れ、兜が飛んだらしくざんばら髪を揺らして鬼気迫る表情で笑う。

「良くぞこられた。
 そのまま帰られたかと思いましたぞ」

 いらない子扱いして勝手に戦を始めたのはそっちだろうがという声を我慢して、四郎は穏やかに伊東祐安に告げる。

「遅れた事は、申し訳なく思っています。
 殿は引き受けますゆえ、早くお引き下され」

 その言葉に伊東祐安が激昂した。

「引くだと!
 あれだけ島津を討ち破っておいて引くだと!!
 ふざけるのも大概にしろ!!!
 ものまま戻ったら源四郎や右衛門(伊東祐安の弟)は何の為に死んだか分からぬでは無いか!
 あと少しなんだぞ!
 あと少しで島津を打ち破って真幸院に伊東の旗を立てられるのだ!
 帰りたくば帰ればいい!
 わしは、伊東家は勝利の報告無しにここから下がらぬぞ!!!」

 そう言い捨てて、伊東祐安とその主従が再度木崎原に突っ込んでゆく。
 それを止める言葉を持たずに四郎が呆然としていると、伊東祐安の後を追ってきたらしい米良重方と柚木崎正家の郎党が四郎に向けて馬を走らせる。

「立花殿。
 御大将は?」

「止める間もなく、戻っていかれた。
 貴殿らはどうするので?」

 その答えは分かっているのに、四郎は尋ねないとならない。
 彼も一軍を率いる大将なのだから。
 そして、二人の答えは予想通りだった。

「御大将が攻めているのに、我らが逃げ出せると?
 これまでの協力、まことに感謝している」

 『日向一の槍つき』と称される柚木崎正家が弓を片手に豪快に笑えば、

「立花殿。
 鳥越城で会う事は適わなんだが、我らを助けてくれて感謝する次第。
 御大将に代わって礼を申させていただく。
 お引きくだされ。
 貴殿を失ったら、伊東は大友に滅ぼされるゆえに」

 米良重方は丁寧な物言いで四郎に撤退を勧める。
 その言葉に抗うすべも無く、四郎はただ二人に言葉をかける事しかできなかった。

「……御武運を」

 ほんの少しだけ、四郎は馬を止めて悩む。
 このまま兵を島津に向けてしまえば勝てるのではないかと。
 島津が寡兵なのは間違いなく、今、四郎が率いる二千で戦場を蹂躙できるのではという甘い誘惑が四郎に囁く。
 そして、軽く頭を振ってその誘惑を振り切った。
 既に伊東軍は深夜から戦い続けて疲弊しきっているし、川を渡ったらしく鎧を脱いで水浸しの兵も多い。
 何より、島津はこちらの来襲を待ち受けていた。
 後どれぐらいの策があるか分からない。 

「義理は果たした!
 兵を引くぞ!
 三ツ山城に帰還する!!」

 そして伊東軍は帰ってこなかった。
 兵を引いた島津軍が、四郎達を捕まえるつもりでかけた伏兵にかかり全滅したという。
  

 
 こうして、木崎原合戦はその幕を閉じた。
 伊東軍三千のうち、伊東祐安をはじめ幹部クラスの武士128人、それを含めた士分250余人、雑兵560人余りを失い、五体満足な者は数えるほどしか残っていなかったという。
 とはいえ勝った島津軍も、島津義弘が率いた300人のうち士分150人、雑兵107人と参加した将兵の半数を喪失。
 後詰に来た新納忠元と島津家久の手勢も、半分以上の死傷者を出すという大損害を蒙ったのであった。

 唯一の例外は四郎が率いた一条派遣軍で、その損害は数十人と少なく、この戦の勝者が誰なのかを雄弁に物語っていた。
 だが、四郎の勝利が何の意味を持たない事を、四郎自身がいやでも思い知っていたのである。 
 後に、『珠姫の火消し』『大友の傭兵大将』と呼ばれる立花元鎮の戦はこうして終わり、これから歴史に否応無く名前を残してゆく事になる。





木崎原合戦

兵力
 伊東軍   伊東祐安・立花元鎮 他        六千五百
 島津軍   島津義弘・島津家久・新納忠元 他    千八百

損害
 三千(死者・負傷者・行方不明者含む)
  千(死者・負傷者・行方不明者含む)

討死
 伊東祐安・伊東祐次・伊東祐信・柚木崎正家・米良重方・長峰弥四郎 他(伊東軍)



 作者より一言。
 木崎原合戦の資料を漁っていたら見つけた、木崎原古戦場の看板より。
 これを見た瞬間、

「あ、これ勝てんわ」

 といやでも悟らざるを。

 http://www.shimazu-yoshihiro.com/shimazu-yoshihiro/aDSC_0623.jpg



[16475] 南海死闘編 第九話 木崎原合戦 あとしまつ
Name: 北部九州在住◆69dd1406 ID:0a1898ae
Date: 2010/05/16 09:12
 後に『珠姫の三千人抜き』と艶話で有名になる美々津での乱交話は、大友文書や佐田文庫に残された書簡によって創作である事が判明している。
 と、同時にこの乱交話を作り、広めたのも珠姫自身であった事も判ってしまい、史家達に混乱と波紋を広げる事になるがそれは当の珠姫は知る訳が無い。
 現在まで伝えられている珠姫色狂い伝説のほとんどが、珠姫自身の流布であり、その理由が彼女自身が大友家当主という大名の地位をショートリリーフに限定しようとしていたという事が考えられるだろう。
 父である大友義鎮の大友二階崩れや、幼少時に体験したであろう小原鑑元の乱の回避に、珠姫が全力をあげて阻止して円満な家督譲渡を企んで彼女自身を貶める必要があったというのが、現在一番説得力がある理由の一つである。
 事実、この珠姫色狂い伝説は図に当たり、現在でも彼女の名前は稀代の色狂いの代名詞となっている。
 だからこそ、多くの人は珠姫の闇の部分に目を向けない。
 そして、珠姫の生涯の中で『最高傑作の謀略の一つ』と史家が口を揃えて言う、木崎原合戦の後始末から彼女の色狂い伝説が始まっているのは何かの偶然なのだろうか?

 
 珠姫の三千人抜き

 木崎原合戦の惨敗後、美々津まで逃げ戻った大友軍に対して、出迎えた珠姫が、
「今回の敗戦は私の責任であり、その責めを負わねばならぬ」
 と、言って己の体を兵士達に差し出した大乱交の事。
 その時逃げ戻った大友軍三千の将兵全てに珠姫は抱かれたとされ、その情事の痕で珠姫自身が白くなるほどだったという。
 以後、このように乱交して白くなる女の事を『珠姫衣装』と呼ぶようになった。
 実際にそのように抱かれたのかと言われると疑問符がつくのだが、美々津で珠姫自身が穢れを払うために祈祷の舞(ストリップ)を踊ったのは美々津史にも残っており、何だかの慰安行為は行っていた可能性は高い。
 なお、似た記述に『水鏡』の藤原仲麻呂(恵美押勝)の娘である東子姫の『千人に陵辱された後に斬首』という記述があるが、本当かどうかの信憑性は不明である。

――民明書房刊「日本史闇の真相」より抜粋――




 杉乃井御殿の奥で、珠姫は鍋をつついていた。
 もうすぐ初夏というのに何故鍋と思うのだが、汗をかきながら実においしそうに鍋を食べる珠姫に島井宗室も神屋紹策も口を出さない。いや、出せない。
 はふはふと珠姫が食べる鍋の火元に二人の視線が向けられていたからだった。
 彼ら二人が大損を出した伊東家向け証文がぱちぱちと音を立てながら燃えているのだから。

「あなた達も食べないの?」

「いえ。
 我らは別に」

「ふーん。そっか」

 島井宗室の言葉を気にする事無く、また食べ始める珠姫。
 何気に一枚証文を手にとって、それを火鉢の中に入れる。
 ぱっと明るくなった証文は、そこに書かれている数千貫の価値と共に炎と消えてゆく。
 二人ははっきりと悟っている。
 少なくとも、彼ら二人が何のために来たのかを珠姫は間違いなくわかっていると。
 木崎原合戦によって発生した大金融恐慌に対する対処を、商人を代表してお願いにあがった事を。

「で、いくらほどいる訳?
 銭が?」

 豆腐をはふはふとほうばりながら話の核心に入る珠姫だが、まったくもって威厳が無い。
 とはいえ、その話をしに来たのだからと神屋紹策はその金額を口にした。

「それすら判らぬのが実情で。
 姫様の財全てを出しても足りるかどうか……」

 物流の拡大による証文市場と手形取引が西日本で広がり、南蛮遠征によって倭寇や南蛮人の取引でも証文が使われたこの時期、西日本は証文バブルに踊っていたのである。
 何よりも大きかったのは、永禄の大飢饉といわれる飢饉で大友家が大陸からの米の買い付けまでした事で、アジアの大国である明帝国の銀決済にリンクしてしまった事が事態を悪化させた。
 日本から台湾・大陸・マカオにまたがる巨大流通システムに大陸から莫大な銀が流れ込み、それが更に付加価値をつけて証文相場を暴騰させる。
 そんなバブル真っ只中に起こった木崎原合戦大敗の報告に市場は急激に反応した。
 伊東軍の壊滅が日向伊東家の債務不履行と見なされて、伊東家証文が大暴落。
 その損失穴埋めに基軸通貨となっていた大友家証文も暴落し、それが引き金となって全ての証文が大暴落するという大金融恐慌が発生していたのである。
 この時にバブルの泡と消えた証文の価格価値は数百万石分に相当すると今では言われ、この金融恐慌が南蛮商人および中華系倭寇の没落と後の明帝国崩壊の遠因になる。

「まぁ、なんとかしましょうか。
 麟姉さん。彼を呼んできてくれない?」

 珠姫の一声で、麟姉さんこと豊後太夫が誰かを連れてくる為に部屋から下がる。
 それを見送った後に、珠姫が葱を箸でつつきながら口を開く。

「ところでさ。
 こんな話を知ってる?
 ある男が、ある証文を借りまくったそうよ。
 『数日後に返すから』と言って、その数日借りる為に手間賃まで払って。
 で、かき集めた証文をその男は全て叩き売った。
 市場に一気に溢れた証文で、その証文の価値は暴落。
 数日後に価値が地に落ちた証文を男は買いなおして、借りた相手に全部返したそうよ。
 男の手元には手間賃を差し引いても残った甚大な銭の山ができたとか」

 珠姫が何を言っているのかよく分かっていなかった二人だが、話が進む内にその話を理解して顔が見る見る真っ青になる。
 つまり、それを珠姫が行ったと言っているのだった。
 それならば、この金融大恐慌の理由がわかる。
 木崎原での大敗は別にして、その後に起こった全証文・手形の大暴落はそれを大量に保有していたか、かき集めるだけの銭を持っていないとできない。
 そして、そんな事ができる人間とそんな事を考え付く人間は、全世界においても珠姫しかいない。

「と……という事は姫様、あんた……」

 島井宗室が唖然とした顔で呟く。
 大商人たる彼だからこそ、わかってしまったのだった。
 引き金を引いたのが珠姫ならば、その引き金を知っていないといけない。
 つまり……

「やっぱり、私は商人にはなれないないわね。
 四郎を殺せなかったし」

 決定的な一言を言って珠姫は自虐の笑みを浮かべた。
 彼女がやったことは、所詮禿と呼ばれる人々の、特に某国政府から告発された何か竜の名前のつく国民的RPGのモンスターに出てきそうな名前の会社の二番煎じでしかない。
 ただし、珠姫は某金色石人形と違って、プレイヤーではなく、ゲームマスターであり、ゲームデザイナーであった。
 はっきりと言おう。
 彼女がやった禁断の一手。それは、


 中央銀行自らが行ったインサイダー取引


 なのだった。
 何より、珠姫は最初から最後までこの木崎原合戦が島津の勝利に終わる事をまったく疑っていなかった。
 だから、彼女は木崎原前に保有する伊東家の証文を放出し、他の証文をかき集めさせ、四郎を止められずに日向に送ると同時にその情報までも市場に流したのである。

「兵力二十倍で、ましてや珠姫の愛人の出馬。
 これで負ける方がおかしい」

 案の定、彼女が放出した伊東家証文は高値で売れ、それを原資に他の証文もかき集めさせる。
 他の商人に珠姫が関与している事を伏せる為に家臣を使っての隠密行動は、バブルに踊っていた他の商人に気づかれる事無く進む。
 そして、木崎原合戦敗北の一報が入ると同時に、大友家証文を含めた全ての証文を叩き売ったのだ。
 かくして、大金融恐慌によって泡と消えた数百万石は全て珠姫の手元に納まった。
 なお、四郎を含めた一条派遣軍まで壊滅していた場合、その桁は一つ跳ね上がっていただろう。

「姫様」

 豊後太夫が二人の男を連れて部屋に戻ってくる。
 その内一人はまだ元服もしていない子供だった。

「紹介するわ。
 今回の立役者である、佐伯改め大神惟教とその息子甚四郎君よ」

 元々佐伯と名乗っている事からわかる様に、彼らは佐伯家の人間である。
 が、地場国人衆大神系の頂点である佐伯家を大友家が放置するわけも無く。
 大友義鑑時代に大神惟治を謀反の罪で粛清、父上の時にも小原鑑元の乱に連座して現当主である佐伯惟教が伊予に亡命していたりする。
 ちなみに、その佐伯惟教の大友帰参を手助けしたのが、南予侵攻を行った珠姫だから彼女と佐伯氏の縁は以外に深かったりする。
 で、そんな佐伯氏傍流の大神惟教だが、豊前国中津に居を構えてひっそりと生活していたのだが、ここが珠姫の本城となる中津城建築と山国川治水事業にて功績をあげ、彼女の目に留まる。
 また、その息子である甚四郎が文字通りの神童で、しかも胆力がある出来物なので珠姫が杉乃井に連れてきて英才養育を施したのである。
 事、算術においては大谷吉房も舌を巻くぐらいで、大谷紀之介と良く学問を争う姿が目撃されていたりする。
 これが、珠姫の隠し玉だった。
 この仕手戦はどうしても隠密にやる必要があると同時にかなりの人手を必要とする。
 幸いにも珠姫の手元にはその手の隠密行動を得意とする姫巫女衆がいるのだが、その彼女等に指示を出す頭が珠ではすぐばれてしまう。
 珠姫の代わりに仕手戦の指示を出したのがこの二人だった。
 珠姫の指示を大神惟教がきっちりやり通し、その伝達は子供である甚四郎が引き受ける事で糸そのものを露見させない。
 だが、実際には大神惟教名義で甚四郎が全てを操作したのだった。
 もちろん、功績は親である大神惟教に行き、褒賞として大神姓改姓と中津奉行就任が内定していたりするのだが、それはここではどうでもいい話。

 ついでに、木崎原合戦大敗の報告から四郎生存が伝えられるまで、彼女が部屋から出てこなかったのも本当にどうでもいい話。

「で、姫様は何をするつもりですかな?」

 種明かしをしてもらった珠姫に神屋紹策が恐る恐る尋ねる。
 巨万の富を得たとはいえ、その信用回復と再構築にはそれ以上の富と時間がかかるはすである。
 それをしても何かを得る事が珠姫にはあったと二人は確信していた。
 だが、その何を得たのかまでわからないから尋ねたのだった。

「惟教。
 例のものを」

「こちらに」

 甚四郎の手から二人に渡されたのは一枚の証文だった。
 発行者は大友家ではなく、珠姫自身になっている。
 その内容は、無担保・無制限で博多・門司・府内の座において必ず珠姫の名前において支払われると但し書きがついているのがポイントだった。
 信用不安の最大の問題は、信用によって成り立っているからいったんそれが崩壊すると、損がどこまで膨らむかわからないという所にある。
 この証文は、明確に損が確定できるというメリットが存在し、珠姫自身が最後の貸し手となる事を宣言していたのだった。
 そして、金銀米遊女などの換金物との信用補完があるこの戦国経済で、損切りができた店から信用が回復して他者より多く儲ける事ができると二人は気づいたのである。
 日銀特融ならぬ珠姫特融は、徳政令を想定して真っ青になっていた商人連中に歓喜と共に迎え入れられるだろう。
 同時に、商人ならば日本はおろか東アジア一円で珠姫に逆らう事ができないという事も意味していた。

「なぁに、ちょっとしたお願いを聞いてもらえたらなと思って」

 天真爛漫な珠姫の笑みだが、世が世なら絶対こういわれるに違いない。
 悪魔の囁きと。

「これから島津に荷卸する時は市より一割高く卸してほしいだけよ」

 つまり、島津から物を買う場合、一割安く買え。
 物を売る場合、一割高くして売れと言っているのだった。
 これは、龍造寺に対して行った経済封鎖の拡大版である。
 龍造寺は所詮肥前の一部を領有していた国人でしかないのに対して、島津は薩摩一国を有し、立地上海上交易に有利な場所にあるから経済封鎖が中々機能しないのが難点だった。
 だが、この珠姫特融が行われた後で、珠姫の命に背いてまで島津に荷を卸す馬鹿は誰もいなくなるだろう。
 それだけの目的でこの大金融恐慌を引き起こして、商人連中を逆らえないようにした事に否応無く二人は気づかされるのだった。

「ですが、この証文には一つ問題が……」

 島井宗室が言いにくそうに口ごもる。
 木崎原合戦の大敗は、珠姫自身の信用にも傷をつけていた。
 このままでは、この証文そのものが信用されない可能性を島井宗室は指摘したのである。

「わかっているわ。
 だから、この証文は……」

 そして、珠姫は紙くずでしかない伊東家証文を火鉢にくべながら全貌を語ったのである。
 
 





 大友家評定は、木崎原合戦大敗後より病と称して休んでいた珠姫が、久方ぶりに顔を出すという話で持ちきりになっていた。

「姫様が久方ぶりに評定に出るそうな」
「という事は、日向での釈明を御館様にするのだろうな」
「いくら我等の兵を動かさなかったとはいえ、伊東家の負けは甚大。
 『真幸大崩』と呼ばれる始末はつけてもらわねばならぬ」
「できれば、この責を取って次期当主を辞退して頂くのが一番なのだが」

 評定衆の付き人達の囁きは総じて珠姫に冷たく、相変わらず珠姫の豊後内での評価はあまり高くない。
 彼女の与党が佐田家を始めとした豊前衆というのが豊後国人衆を刺激しているのだった。
 何しろ豊前は大内や毛利との戦で寝返ったり日和見をした敵国という意識が豊後国人衆には強く、勢場ヶ原合戦での大友本陣壊滅は間道を教えた宇佐衆の大内軍協力が決定打になっていた事もあり、感情的しこりは簡単には払拭できない。
 リリーフとはいえ、政権が珠姫とその与党である豊前・筑前衆に渡る事に、豊後国人衆は上層部はともかく下層から中層部では大反対だったのだ。
 そして、彼らが担ぐ旗も存在していた。
 大友親貞である。
 寺社奉行として頭角を現していた彼に期待する声も多く、彼をリリーフにという声も少なからず存在していたのである。
 だが、珠姫の圧倒的な功績でそれが押さえ込まれていただけに、木崎原合戦の大敗という失態で一気にそれが吹き出したのだった。
 なお、大友親貞自身は現状で珠姫と争う事をまったく望んでいないし、望んでも勝てない事をとてもよく理解していたりする。
 そのあたり、彼の後見人である吉岡長増の教育が良く行き届いている証左だろう。
 広間が静まり、一同が平伏する。
 入ってきた、大友義鎮とその後ろにいた珠姫が広間中央に座り、評定が始まった。
 そして、第一声を義鎮に向けて放ったのは珠姫だった。

「此度の日向における御社衆の負け戦の全ての責任は私にあり、その責を取りたい次第で」

 場が大きくざわめく。
 珠姫自らが責任を認めたのだ。
 あえて正面突破を図ったように見えた珠姫に評定衆一同が驚きの顔を隠せない。

「ふむ。
 その責とやらをどう取るつもりだ?」

 ただ一人面白そうな顔で大友義鎮が珠姫に尋ねる。
 珠姫は義鎮の顔をまっすぐに見上げて、実に妖艶に微笑んでその責任の取り方を告げた。

「問題は、負け戦で大友の旗に泥を塗った事にあるはずです」

 あえて珠姫はここで言葉を切る。
 異論が無い事を確認して、珠姫はその責任の取り方を口にした。

「百戦して百勝とも行きますまい。
 次の戦は私自らが出て、勝って汚名を返上したい次第で」

 場がざわめく。
 もし、珠姫出陣なら、南予侵攻以来の遠征となるからだ。

「『真幸大崩』と呼ばれる大敗をお前が出ることで取り戻せると?」

 既に義鎮の目には笑みが浮かんでいる。
 こういう言い方をする珠姫は、必ず裏に何かを潜ませているのを知っているからだ。
 だから、言葉はあえて叱責するかのように厳しく言い放つ。
 それに対して珠姫は答えずに、あえて別の人間に話を振ってもらう。

「実は、日向内部にてお家争いの気配があり、伊東義祐殿から支援の文が」

 珠姫の振りで横から口を出したのは臼杵鑑速。
 彼は大友家の外交官であり、珠姫から先に今回の仕組みの説明を受けていた。
 その時に驚愕しているので、今の評定で語る彼の顔に感情は無い。

「伊東家は木崎原での負け戦の責任をめぐって、伊東帰雲斎を排除せよという声が。
 ですが、伊東義祐殿はそれを断り、兵にて鎮圧を図ろうと考えましたがその兵がいない状態。
 我等に支援を求めております」

 評定衆の顔に理解の色が浮かぶ。
 この支援を申し出る事で姫は汚名を返上すると。
 だが、珠姫の言葉はそれをはるかに超えたものだった。

「父上。
 いい機会ですので伊東家を滅ぼしましょう」

 と。
 時が止まった。
 その時を動かしたのは、動揺しつつも何かあると覚悟していた大友義鎮の声だった。

「理由は話してくれるのだろうな?」

 珠姫がにこりと微笑む。
 了解の合図なのだが、後に珠姫の笑みと呼ばれる代名詞の悪辣さを笑みを崩さずに語る。

「まず、伊東家の横柄な態度です。
 渦中にあり、頭を垂れて我等に助けを求めるのが筋なのに、支援を求めるのみ」

 その伊東家の間違えた外交判断を下した直接の原因は珠姫なのだが。
 頼まれもしない一条派遣軍を送って勝手支援を出した事が、伊東家に『大友は既に味方』という判断を下していた。
 溺れる者は藁をも掴むが、所詮藁で助けられる訳が無いのだ。

「次に、彼らは木崎原にて疲弊しています」

 諸将は言葉も出ない。
 それは分かっていた事なのだ。
 だが、珠姫が伊東家を支援した形で、日向侵攻ができないというロジックで珠姫を攻めようとしていた豊後国人衆は見事に梯子を外される形となった。

「そして、最後。
 島津も木崎原の痛手から立ち直っておりません。
 更に、あれだけの死傷者を出した伊東家は島津に助けを求める事はできますまい」

 多方面に敵を抱える島津にその余力は無く、おまけに親兄弟を皆殺しにされた島津に助けを求めるなど屈辱以外の何者でもないだろう。
 もう一つ、助けを求める相手に肥後相良家があるが、この家は既に大友家に従属している上に、木崎原では偽兵に驚いて敵前逃亡の大失態をやらかしている。
 珠姫の笑顔のお話でそこを突っ込まれた相良義陽は、顔を真っ青にして伊東家を生贄に差し出したのである。
 伊東家は既に孤立無援だった。

「既に、伊東帰雲斎より所領の安堵と伊東義祐殿の命を助ける事を条件に、内応に応じてもらっています。
 延岡鎮台にも動員がかけられ千五百の兵が待機し、美々津には私が派遣した三千が帰る為に集まっています。
 旗本鎮台と大野鎮台、臼杵鎮台からも兵を出して、一万五千の兵を一週間の内に集める事ができます」

 誰一人、珠姫の話を止められない。
 止められるロジックを持ち得ない。
 日向救援が日向征服の前振りだったなんていくらでも突込みが入れられるのだが、実際に征服される日向の富に皆目がくらんでいる。
 これを持って、やっと珠姫は豊後国人衆を掌握したのである。

「私が大友の杏葉を背負うに当たり、皆の不安を払拭するためにも、木崎原の責を日向一国で返したいと思うのだがいかが?」

 その言葉に異を唱える者は誰もいなかった。



 作者より一言
 『水鏡』の記述は資料では見つかりませんでした。
 ですが、ネット(特に戦火スレ)では耳にしていたので、ネタに使わせていただきました。



[16475] 南海死闘編 閑話 知瑠乃育成計画
Name: 北部九州在住◆69dd1406 ID:0a1898ae
Date: 2010/05/16 09:19
 久しぶりの出だしですが、珠です。
 杉乃井で日向出陣に向けて色々と準備中なのですが、何でか目の前にででんと麟姉さんと政千代が。
 何か、悪い事した覚えはないのだけど……

「姫様。
 失礼ですがその着物は何でしょうか?」

 ぽん。
 ちょっとばっかし、インスピレーションにくるものがあったのでそっこーで採用したのだけど駄目かな?

「まさかと思うのですが、それで日向遠征に……」
「というか、ほとんど見えているのですが……」

 こう何か爆発するのを抑えているような感じで、二人が淡々と呟く。
 何処が?
 隠れているじゃない。

「姫様。
 失礼ですが、墨を塗っても隠れないものがあるのですが。
 色々と」

 戦国期の裁縫技術であの紐みたいな紋様を用意するのはさすがに無理だった。
 で、その時私に電流が走る。

 そうだ!ボディペイントという手があった!!

 人間とは偉大なもので、ちゃんと足りなければ対処の為にあがくものである。
 で、墨でべたべたと。
 汗やなにやらで墨が溶けるのが色っぽいと遊女達には大好評だったりする。
 そんなわけで、この服には問題が無い(力説)。
 何しろ某ニコニコする動画で有名な紳士服ブランドからネタは頂いてきているから、男どもはメロメロである。
 このブランドデザイナーが外国の元軍人というのだから、世界もまだまだ捨てたものじゃない。
 なお、そんなブランドを着たモデルの女性も、全適正Sという「慣れです」という言葉の似合う小悪魔な女性だったりする。
 そんな女性になりたいものである。

「ふっふっふ。
 だいじょーぶっ!!
 この絹袖を両腕に装着すれば、手で隠せ……」

「「おやめください!!!」」

 何故!?

 結局、二人の激怒説教+泣き落とし懇願の果てに、ストリップ時のみという事で妥協が成立したのだった。
 せっかく取った痴女スキルがもったいないなぁ。
 で、しぶしぶ普通の着物に着替えて政務をと思ったら今度は大谷紀之介が。

「姫様。
 知瑠乃殿の事でお話が」

「何よ?
 悪さしたなら説教していいと許しは与えたつもりだけど?」

 衣装の件で不機嫌な私は、若干トーンが八つ当たり気味だったりする。反省。
 もっとも、そんなこっちの機微を知らぬふりをしつつ大谷紀之介が用件を口にする。

「悪さではないのです。
 ただ、武道にかまけて少し勉学の方がおろそかに」

 ああ、それは仕方ない。名前が名前だし。
 一応、あの娘を最終的には氷帝様に育てようとは思っているのだが、メガ⑨は無理だろうと思っていたし。
 さしあたって、現状はチル姉路線だろうか、ロサ・ブリュまで行くと嬉しいのだが。

「姫様は、小野鎮幸殿に勉学を促された事を聞き及び、それがしが懇々と説いても聞く耳が無い様子で。
 恥ずかしながら、姫様のお力を借りたく」

 あー、「ほっとけ」と言えなくなってしまった。
 腕を組んでため息をつく。

「あの手の手合いは、一番得意なものを打ち砕けばちっとは聞く耳を持つんだけど、男子が喧嘩をふっかけるのもあれだしねぇ」

 彼女がいい感じでプチ大久保彦左衛門路線を突っ走っているのも、いくつかの奇跡と思惑が交じり合っているからである。
 まず、当然の事だが知瑠乃は女である。
 で、男から喧嘩をふっかける事ができない。
 やって、勝つのは当たり前だし、そもそも知瑠乃がちょっかいを出すのは、非が相手側に合ってかつ自分ではない第三者を助ける為に出張ってきているのだ。
 この時点で男に大義名分が無い以上、勝ち負けどうこう以前の問題である。
 しかも、知瑠乃の背後についてる輩の政治力がまたえぐい。私の事なのだが。
 あれ?私がいつの間にか黒幕になってね?
 元々、別府での長寿丸との喧嘩友達だったのだが、長寿丸に家臣団からの近習がつくようになると、子供社会における彼らの横暴に知瑠乃が祭り上げられてしまったのだ。
 しかも、彼らの年代で初陣を果たして敵の大将をスナイプするという大功をあげ、父上の顔見せを済ませてお菓子という褒美をもらうという実績もちである。
 なお、養母上も元々内気気味の長寿丸をぐいぐい引っ張ってゆく知瑠乃が気に入っているらしく、保護者の白貴姉さんも父上の愛人の立場。
 うん。既に閨閥の時点でこいつ側近連中に口答えできる輩はいないだろうな。

「悔しかったら、あんたらも戦の一つで功績を立ててみなさいよ!」

 この一言で、何人の長寿丸の近習達が悔し涙を飲んだ事か。
 彼らの初陣が今回の日向遠征であるあたり、いかに知瑠乃の一言に言い返せなかったか判るだろう。 
 そんな訳で、力でねじ伏せるのはパス。

「んじゃ、あれの得意としているもので凹ませるのがいいんだけど……弓よねぇ……」

 私の実に困った顔に大谷紀之介も困った顔しか浮かべない。

「それがしを含めて、同年代で弓で知瑠乃殿の弓に適う者がおらず……」

 チルノに弩って補正発動条件らしいから、まあ面白いように的に当たる。
 ……私、彼女に何も神力与えてないんだけどなぁ……

「姫様は一時期剣の道にはまっていらした時がある様子で。
 道は違えども是非とも諌めて頂きたく」

「あー。それパス」

「ぱす?」

 大谷紀之介のきょとんとした顔なんて気にせずに私は手をぶんぶんと横に振る。
 きっと顔も赤くなっているに違いない。

「異国の言葉よ。
 気にしないで。
 私の剣の道と知瑠乃の弓は一緒にしたら知瑠乃に失礼よ」

 私の場合は純粋に神力を使ってチートしていただけなのだ。
 おまけに、丸目長恵に見事にずたぼろにされるというおまけつき。
 結局、与えられた力は自ら手に入れた力に勝てないと切実に思い知って、剣の技を封印したのだった。
 そんなこともあって、神力スキルについては極力直接的攻撃能力とかよりも、補助系を意図して取るようにしている。
 実際、使い勝手は補助系の方が使いやすいしね。
 話がそれた。

「とりあえず、大会でも開きますか。
 どうせ日向遠征組も武功を立てようと張り切っているんだから、いい景気付けになるわ。
 で、知瑠乃が負ければ反省するでしょうし、勝っちゃったらまた何か考えるわよ」

 まぁ、勝っちゃうんだろうなぁとうっすらと思いながら、私はとりあえずその場しのぎの妥協案をだしたのだった。
 案の定、それは的中する。
 『輝け!第一回杉乃井弓術大会』(何が輝けなのかよく分からないが、なんとなく語呂がいいから私が入れた)は晴天の中、杉乃井御殿で開かれたのだが……
 見事に真っ青になっている男連中と、一人ガッツポーズをしている紅一点、まぁ知瑠乃の事なのだが。

「あたいったらさいきょーねっ!」

 うん。こうなるとは思っていたが、本当にやりやがった。
 お祭り好きな私の企画だから、観客も居る訳で。

「お前等、女子に負けてどうする!!」

 日向遠征軍に加わる予定でこっちにやってきた小野和泉が激怒しながら若集に説教しているし。
 人は年を取ると変わるもんだ。あの小野和泉が説教する側に回るとはねぇ。

「大義である。
 これからもその弓で珠の助けとなってくれ」

 ああ、父上も養母上もめっちゃいい笑顔で知瑠乃を褒めてるし。
 どうせ、母上と白貴姉さん含めた御乱交の後ついでに顔を出したのだろうけど、こういう時に顔を出すあたり腐っても大名とその正室だよなぁと素直に感心したり。
 あ、参加していた大谷紀之介も凹んでって……あんたが凹んでどうするよ。

「ん?
 娘よ。何やってるの?」

 噂をすれば、その母上が私に声をかける。
 湯上りらしく、体からほのかに漂う湯気が艶かしい。

「弓の大会をしていたのです。
 あそこで跳ねている知瑠乃が優勝したのですが」

 何かエロエロではない空気で母上が的を見ているのですが。

「懐かしいわね。
 ちょっと、これ借りるわよ」

 若集の一人から弓を借りた母上が矢をつかえ構える。
 その姿が絵になっていて、私も回りも声をかけるのを忘れ、母上がはなった矢が的を射抜くのをただ見つめる事しかできなかった。
 なお、母上が矢をはなった場所は、知瑠乃が弩を放った場所より遠い。
 知瑠乃を含め、一同皆ぽかーん。
 何しろ、誰もが予想すらしなかった母上が、それまでさいきょーぶりを見せていた知瑠乃の鼻っ面を叩き折ったのだから、誰もその想定外の事態についていけない。
 で、そんな状況を生み出した母上というとすたすたと知瑠乃の所にやってきて、あたまをぽんぽんと撫でながらにっこりと。

「この年であの的に当てるのは凄いけど、この杉乃井ではまだ二番目よ」

 あんた何処の特撮ヒーローですか。
 で、去ろうとする母上に小野和泉が声をかける。

「御前様、恐るべき弓の腕で」

 その小野和泉に弓を渡して当たり前の様に一言。
 
「那須与一には負けるわ」

 あ!!!
 そーいや、この母上元々は源平合戦時の宇佐焼失を防ぐ為に実体化したんだった。
 という事は、えろえろあへあへしているくせに、何しろ古の鎌倉武士とやり合う為に騎馬適正と弓適正高いのか?
 あの時代の武士連中騎射レベル高いだろうからなぁ。

 
 で、この話のオチなのだが……

「姫様。
 知瑠乃殿の事なのですが、あの後『御前様のようになるんだ!』と白貴太夫の手ほどきを受けて、やはり勉学には……」

 大谷紀之介の疲れきった報告に、そっちに行きやがったあの⑨はと私も頭を抱えたのだった。



 作者より一言

 少し仕事が修羅場なので更新が大きく遅れます。
 次の更新は五月末の予定です。



[16475] 南海死闘編 第十話 日向侵攻 府内城ブリーフィング
Name: 北部九州在住◆69dd1406 ID:0a1898ae
Date: 2010/06/03 05:40
 珠です。
 現在、府内城大広間にて参加武将を集めてのブリーフィング中です。
 南予戦以来の出陣、しかも次期大友家後継者の出陣という事もあって、父上の無言の全権委任を背に好き勝手しています。

「まず、この場で今回の戦の目的および、戦における各隊の行動を説明するわ。
 分からない所があったら、必ず質問する事。
 いいわね?」

 ででんと中央に置かれた日向の地図に、参加各将の手元にはレジュメを配布。
 なお、ちょいと動きにくいので、いつもの服ではなくこのために新しい服を用意したり。
 まぁ鎧をつけていない腹ペコ騎士王の私服なのだが。
 なお、某ロリコンニュータイプに惚れていたクシャナ様の声と同じ人が演じたお方の衣装と最後まで迷っていたのは内緒。

「今回の目的は日向制圧。
 伊東家を完全に滅ぼして、大友家の領地にする事。
 成功したら、大幅加増を約束するから各自奮闘するように」

「はっ」

 私の第一声に集まった数十人の男達が皆頭を下げた。
 まずは報奨を約束して、参加者のやる気をUPと。

「本陣は美々津に置きます。
 佐土原を落したらそこに本陣を移すので気をつけるように。
 兵糧は美々津から荷駄を使って運ぶので、各自美々津への道は必ず押さえるように」

 そこで、手をあげる者がいたので私は発言を許す。

「どうぞ。志賀親守」

「兵糧が届かぬ場合は乱捕りをして構わぬのでしょうか?」

 いつもは内政の仕事ばかりさせているけど、今回は自領が日向に近い事から遠征軍に参加している志賀親守が確認する。
 その問いかけに私は当然のように答えた。

「それは現場に任せるわ。
 ただし、乱捕りした場合、そこを領地として与えるからそのつもりで」

 実にしらじらしく私が言ってのけたので、場の空気が和む。
 その弛緩した空気を使って私がたたみかける。

「乱捕りをすればするほと、負けた時の落ち武者狩りが激しくなるし、勝ったとしても一揆に悩まされるわよ。
 それは戦をする上で避けたいのよ。
 たとえ、荷駄の道が途切れても本陣から後詰を出して道を作ります。
 乱捕りは極力さけて頂戴」

「かしこまりました」

 私の約束に志賀親守が皆を代表する形で答える。
 ここまで釘をさしておけば乱捕りは大幅に減るはすである。

「次に、伊東家の戦力分析に行くわね。
 現在の伊東家は四十八の城を持ち、根こそぎ動員したらまだ一万ほどの兵を動員できるわ。
 けど、鳥神尾と木崎原で歴戦の将兵を根こそぎ失って後詰が出せない状態。
 ちなみに、この兵数を四十八で割ると一つの城あたり二百人ちょっと。
 これを前提に手勢を分けます」

 私は、つかつかと地図まで歩いて小さな大友の旗を美々津に刺した。
 そして、美々津と延岡に凸の木型を置く。

「既に一条派遣軍の名目で美々津に三千、佐伯惟教が率いる延岡鎮台千五百が先に展開しているわ。
 延岡鎮台は一条派遣軍を吸収後、先陣として美々津周辺の制圧を命じています。
 彼らの仕事は美々津以北の安全確保と美々津の保持です」

 続けて私は地図の北に当たる場所に凸をいくつか置く。
 位置関係から、これが豊後の二陣以降という事が分かるだろう。 

「第二陣は志賀親守率いる大野鎮台三千と戸次鑑連率いる臼杵鎮台三千の二つ。
 大野鎮台は陸路で、臼杵鎮台は海路で美々津に来てもらうわ。
 この時点で陣代の戸次鑑連が美々津に入るから、軍事的な事は以後彼に任せます。
 それと、今回きてもらう久留米鎮台は戸次鑑連の所につけるからそのつもりで」

 私の声に一同戸次鑑連の方を見るが、戸次鑑連は別に動こうともしなかった。
 今回の戦は実は私が総大将のくせに、私が戦場で指揮をする事はほとんど無い様になっている。
 私の仕事は、戦略レベルでの修正と兵給の確保、地元豪族の謁見という本当に楽な仕事なのだ。
 それもこれも、この戸次鑑連がいるおかげである。
 久留米鎮台の小野和泉を呼んで、久留米の防衛は今回日田鎮台の田北鑑重が出る事に。
 現役の加判衆の出馬は、対龍造寺に『何かやったら分かっているわよね?(にこっ)』という恫喝でもあり、小野和泉の参加は武官の次世代エースである彼の功績稼ぎという側面もあったりする。
 『人事は政治なり』とはよく言ったものである。

「そして、私の本陣である旗本鎮台とその他五千は海路で美々津に。
 後詰めとして、吉弘鑑理率いる日出鎮台三千は陸路で来てもらう事になるわ」

 私は話しながら全ての凸を美々津の所に持ってくる。
 今回の戦は二万近くを動員する大規模な戦なので、兵糧を運ぶ船舶の確保がかなり大事になる。
 流石の大友家でも全軍海路で運べるわけも無く。
 部隊の多くは陸路で日向に入る事になっていた。

「荷駄については私が管理します。
 実務は田原親賢が裁くので彼に通すように」

 田原親賢の名前を出した途端に数名がとても嫌な顔を。
 お前等、そんなにこいつが嫌いか?
 なお、父上だけでなく私も彼を重用しているから一部の国衆にえらく嫌われていたり。
 で、そんな彼らに「だったら仕事をやってみろ」と書類を渡したら黙りやがった。
 田原親賢の処理能力はかなり高いのだ。
 人望も同じぐらいあれば言う事無いんだけどねぇ。

「美々津集結後の最初の目標は都於郡城と佐土原城。
 この二つの城を落した後で軍を三つに分けます」

 凸の一つをそのまま南へ下げる。

「第一陣の延岡鎮台はそのまま南下して飫肥城を押さえるように」

 更に凸をもう一つ南に下げる。

「第ニ陣のうち大野鎮台は大隅国境を目標に。
 必要ならば後詰もこちらに振り分けます。
 なお、大隅には入らない事。
 今回の戦、そこまでの兵糧は用意していないわ」

 残念ながら木崎原合戦の後、肝付家は大隅国財部城(龍虎城)郊外にて大敗して島津家に既に降伏していたりする。
 財部城は肝付家の所有なのだが、ここを抜かれると都城平野側から侵入されるので島津と伊東・肝付が度々争っていた場所だった。
 今回の木崎原合戦前の状況で、伊東家が戦力を木崎原に集中する為に、肝付家は財部城に肝付兼純を大将とした兵千を送り出して島津軍を阻んでいたのだった。
 が、木崎原合戦で伊東軍が壊滅したという報告が届くと足軽達は我先にと逃げ出す始末。
 それを大隈方面の島津軍が黙ってみている訳が無かった。
 ちなみに、大隈方面の島津軍の大将の名前って島津歳久って言うらしいよ。
 手勢でそのまま財部城攻撃を開始し、動揺収まらない財部城は陥落。
 肝付兼純は討死、肝付軍が送り出した兵は逃げたか討ち取られたか知らないけど殆ど帰らなかったって言うんだから、これだからチートって奴は……
 で、ここで肝付家中の島津派が巻き返しに出る。
 その中心人物が肝付兼続の妻だった阿南夫人で、この人島津忠良の娘だったりする。
 で、島津家と肝付家が開戦状況になっても肝付家に残った剛の者で、やっぱりこの人もチート一族で、肝付家当主の肝付兼亮(義息にあたる)を敗北の衝撃から立ち直っていない家中を纏め上げて追放したのだ。
 これによって、大隅の国衆も軒並み島津の傘下となり、島津は大隅と何よりも貴重な肝付戦に振り分けていた兵力を予備兵力化させる事に成功したのだった。
 なお、いくら肝付が島津に降伏したとしても、この戦に限り大友は肝付を独立大名扱いする予定だったりする。
 これは、戦線拡大で日向以南に戦場が広がらない為の欺瞞なんだけどね。
 実際はもう対島津戦は避けられない状況だし。

「で、残りはここ真幸院に向かいます」

 その一言に場のざわめきが一瞬止まった。
 真幸院、木崎原合戦の衝撃はこっちにもしっかりと伝わっているからだ。
 そして一人の武将が手を上げた。

「姫様に確認したいのだが、真幸院に陣取る島津勢に対してどういう理由で戦に及ぶおつもりか?」

 その質問を口にしたのは久しぶりの登場であるハヤテちんこと佐田鎮綱。
 彼もすっかりダンディな良い執事になり、子持ちのパパさんである。
 今回の遠征には私の旗本として宇佐衆を率いる事になっている。
 私が本気であると見せるためには、この手の最古参最精鋭の出陣が一番手っ取り早い。
 これも、豊後国人衆がようやく黙ったからなのだが。
 同じ理由で、香春鎮台の高橋鎮理と手勢も引っぱって旗本に組み込む予定。

「そうねぇ。
 『伊東家への戦で伊東領を全て制圧する』というあたりでいいんじゃない。
 真幸院も領有を主張していたんだし」

 あえてこのあたりを乱暴にしているのも理由がある。
 今はまだ薩摩・大隅進攻――対島津戦――への本格介入をしたくないのだ。
 肝付が島津に降伏した事で戦線が拡大する可能性があるし、何よりも腹立たしいのが肝付戦に貼り付けていた兵力が予備として真幸院に投入できる状況になってしまったのである。
 その兵の数は千はあるだろう。
 え?
 その千に脅えるのかって?
 うん。
 多分、その千って某吸血麻雀で悪魔から血を抜くのと同じぐらい無理ゲーって分かるし。
 今の島津に木崎原で待ち受ける兵は三千は越えない。
 けど、その三千を指揮している連中が、島津義弘・島津歳久・島津家久の可能性が限りなく高い。
 何?このジェットストリームアタック?
 そんな内心をひた隠しにして淡々と私は説明を続ける。

「どっちにしろ、伊東家を滅ぼして日向を制圧する以上、日向国人衆を掌握する為にも真幸院には足を踏み入れないといけないわ。
 でないと、こっちが日向国人衆に舐められる」

 何しろ漁夫の利で弱った伊東家を叩くという中々素敵に外道な進攻計画なので、日向国人衆の支持率はそんなに高くなるわけが無い。
 で、彼らの支持率をUPさせるためには安全保障、つまり『島津から守ってあげます』というアピールが一番効果的なのだ。
 その為には我々が真幸院に進攻するのが一番手っ取り早い。

 たったニ万の兵で島津相手にガチバトル。
 そんな罰ゲームなんかしたくない。
 え?
 四郎がテルシオで島津破ったじゃないかって?
 島津なら対テルシオ戦術を考えて適応するでしょ。
 一番やりかねないのが、山岳地帯での小規模ゲリラ戦とか。
 テルシオは陣形が作れる平地がないとそもそも陣が組めない欠点があるしね。

「真幸院をこっちにくれたら大隅については関与しない」

 という外交アピールをする為だけに、実は今回のブリーフィングをやっていたりする。
 これだけ大々的にやれば必ず漏れるだろうし。この情報。
 まぁ、虫のいい話だろうと思うが、こちらに交渉の余地ありのサインは島津側に出しておかないと、追い詰められて死兵と化した島津軍なんてものと戦いかねない。

「各陣の編成はこのとおりに、大規模に動くから伝令は必ず確保する事」

 各人が再度レジュメに目を通す。
 そこには、文字通り大友にとっての乾坤一撃の決戦戦力が書かれていた。



大友家 日向侵攻軍

 総大将 大友珠

 先陣  佐伯惟教
           一条派遣軍  立花元鎮(配属武将省略) 三千
           延岡鎮台   佐伯惟教        五百
                  土持親成        五百
                  三田井親武       五百

 第二陣 戸次鑑連
           臼杵鎮台   戸次鑑連        三千
                  由布惟信
                  柴田礼能
           久留米鎮台  小野鎮幸        千   
           大野鎮台   志賀親守        三千
                  朽網鑑康
                  入田義実

 本陣  大友珠
           姫巫女衆   吉岡麟         五百
           宇佐衆    佐田鎮綱        千 
           香春鎮台   高橋鎮理        五百
           旗本鎮台   斉藤鎮実        三千
                  田原親賢
                  角隈石宗

 後詰  吉弘鑑理
           日出鎮台   吉弘鑑理        三千
                  木付鎮直
                  奈多鎮基

 合計                           一万九千五百

  

 何よりすてきなのが、この二万近い兵の殆どが常備兵およびそれに類する兵力という点。
 長い時間をかけて、やっとの思いで整備した職業軍人による常備軍なのだ。 
 つまり、一年中戦闘可能。
 ただ、この大友家を持ってしても二万までしかこの軍を動かす事ができなかった。
 理由は簡単。
 金がとてつもなくかかるからだ。
 略奪しないという事は、兵給がしっかりしないと兵の士気が落ちる事を意味する。
 火力重視という事は、弾薬を常に供給しないと戦力にならないという事である。
 そして決定的に大事なのは、これ以上の兵を動かすならば、幕僚団が絶対に必要になる。
 大友家の、大友珠の限界の手札なのだ。

 私の内心など笑顔の仮面で隠し、諸将を見渡してうんうんと頷く。
 少なくともここまでの話で分かっていない人間は居ないみたいだ。
 だから、私はぱんぱんと軽く手を叩き、両手を腰において一同をゆっくりと見渡しながら、開戦の言葉を朗らかに告げたのだった。


「さあ、戦争を始めましょう」



[16475] 南海死闘編 第十一話 日向侵攻 那由他の決意とソドムのサロメの演説
Name: 北部九州在住◆69dd1406 ID:0a1898ae
Date: 2010/06/03 05:59
 薩摩国 内城

 島津家の本拠たる薩摩から見る桜島は今日も煙を噴いていた。
 ついこの間、大隅から見る桜島も島津のものとなり、先の大戦果である木崎原合戦に意気軒昂しているように見えた。
 表向きは。

「兄上。
 博多の商人どもが物を売り渋っております。
 かつての竜造寺と同じかと」

 島津家久が上井覚兼と共に焦燥した顔で報告する。
 今、新大名となった島津義久とその兄弟達、更にその側近達の顔は皆一様に暗い。
 木崎原合戦から端を発した大金融恐慌と珠姫特融を中心としたその収拾は彼らには分からないが、彼らには分かる範囲での影響が既に出始めていたのだった。

「何故じゃ!
 我等は勝ったのではないか!!
 にも係らず、何故商人どもは我等に物を売らぬ!!」

 老中の一人である喜入季久が激昂するが、土地を巡って争ってきた彼らにとって、銭もうけ、ましてや投機や融資という概念で合戦そのものを組み立てた珠姫のロジックが理解できるわけがない。
 上井覚兼などはじかに博多に行って交渉したがその全てを断られ、薩摩商人は木崎原合戦の英雄である島津家久が出向いて頭を下げても物の売り買いを渋る始末。
 現状ではまだ危機的状況ではないが、その真綿で首を絞める経済封鎖に島津義久は的確に反応したのである。

「それだけではありませぬ。
 大友が日向に兵を入れるとの事。
 当然、真幸院も狙うと公言しており、先の戦の意味がなくなるやもしれませぬ」

 筆頭老中である伊集院忠棟が顔には出さずにその危機を皆に伝える。
 珠姫が意図した通り、大友軍の日向侵攻は島津家に筒抜けになっていたのだが、その規模と兵力も珠姫が意図した通りに彼らに衝撃を与えたのだった。
 小金原合戦で確固とした武名を轟かせた戸次鑑連が実質的に率いる二万の兵による日向侵攻に、木崎原で壊滅的打撃を受けた伊東家が耐え切れる訳が無い。
 そして、二万もの兵を集めた以上、日向だけで終わる訳も無い。

「何処か大友の背後を突ける勢力があれば……」

 喜入季久が救いを求めるような声で呟くが、その希望をぶった切ったのは島津家久だった。
 家久は博多に送り出した上井覚兼から情報を仕入れていたのである。

「無理です。
 野心があり大友に楯突く力がある家といえば、肥前の竜造寺家だが、大友はあのあたりの兵に一切手をつけていない」

 実際はもっと惨かった。
 日向侵攻で竜造寺が動くと確実に判断していた珠姫は対竜造寺包囲網を強化。
 博多は田原鑑種ががっちりと守護し、その両脇を臼杵鑑速と戸次鑑方が固めていた。
 直接的に戦場になるであろう筑後はなお酷く、蒲池鑑盛に警戒をさせた上で田北鑑重を持ってくるという念の入れよう。
 彼は、現役加判衆であり、竜造寺謀反が発生していた時の総大将として派遣されたのである。
 なお、この筑前と筑後で竜造寺謀反が発生した場合に、初期動員で三千を越え(これは竜造寺家の最大動員に近い)、その三日後には一万を越える兵が展開できるようにしているあたり、いかに大友が太刀洗合戦の惨敗を教訓にしているか分かろうというもの。
 先の経済攻勢で十二分に珠姫の怖さを思い知っていた竜造寺隆信は、先制攻撃に近い恫喝に手を上げて釈明の為に鍋島信生を派遣する始末。
 それは同盟国と呼んでいい毛利家の正面になる豊前でも同じだった。
 現在、対浦上戦真っ只中とはいえ、互いに血を流してきた相手なだけに、警戒の兵をしっかりと残していたのである。
 最前線の小倉鎮台の兵に手をつける事も無く、中津鎮台は宇佐衆を抜いたのみだし空いたとすれば香春鎮台ぐらいのもの。
 これとて、宗像鎮台がフォローに入れる位置にあるし、豊前方面で戦が発生したら南蛮船による妨害も兵糧輸送任務の合間に警戒ローテーションを組んでいる念の入れようである。
 珠姫は、この日向戦において、『負けても動揺しない』分を除いた全力を投じたのである。
 それですら二万の兵である。
 今、この場に集まっている島津家首脳陣の表情は暗い。

「忠平。もう一度木崎原ができると思うか?」

 若き当主である島津義久が弟で木崎原大勝の立役者である島津忠平(義弘)に尋ねる。
 縋る訳でもなく、現状認識でしかないと分かっていたからこそ、忠平は即答した。

「無理ですな。
 あの場には大友の援軍がいた。
 その援軍に我等は手も足も出なかった以上、次に木崎原で躯を晒すのは我等島津でしょう」
 
 その容赦のまったくない物言いに義久の顔に笑みが戻る。

「ならば、頭を下げるか?
 今ならば、竜造寺よりはましな座を用意してくれるだろうよ」

 そもそも、何の妨害も無く上井覚兼が博多に行けた事自体が大友側の明確なサインだった。
 珠姫が意図的に諜報をオープンにした事もあって、『真幸院を譲ればそれ以上島津には手を出さない』という条件提示まで彼らの耳に入っていた。
 だが、その真幸院自体が南九州における最重要戦略拠点であり、この地を押さえれば薩摩・肥後・日向の三方向に兵が出せる以上絶対に譲れるものではなかった。
 それを分かっているからこそ、あえて冗談の形で義久は口に出したのである。
 だが、その冗談を笑う者はこの場には誰も居なかった。

「何だ。何だ!
 兄上達や家久までしょんぼりとして、戦はこれからですぞ!」

 そんな場をづかづかと破ったのが、遅れて入ってきた島津歳久である。
 彼は肝付戦の事後処理の為に遅れてきたのだった。

「ご苦労だった。歳久。
 大隅の方はどうだ?」

「おとなしくはするでしょうが、兵として使うのは難がありますな」

 義久の労いの言葉に、歳久は核心をついた答えを最初に出す。
 祖父の島津忠良から『始終の利害を察するの智計並びなく』という評価をされた彼ゆえに、この状況が詰みに近いのは十二分に分かっていた。
 だからこそ、彼にしか見えないか細い可能性を歳久は口にした。

「ですが、こたびの戦は今までと比べて格段に楽でござるな。
 何しろ、ただ一人を相手にすれば良いのですから」

 その一言に場の空気が変わった。
 それは、島津家勝利のか細い可能性でしかない。
 だが、歳久から語られる可能性は理路整然としており、十二分に説得力があったのもまた事実だった。
 判断するのは当主である兄義久であると言下に言い含めて、歳久はその可能性の全てを語り終える。

「まぁ、この様に戦が進むならば楽なのですがね。
 万が一、いや、億が一もないですな」

「ふん。
 那由他の果てでもいい。あるのならば十分だ」

 そう言って、忠平がこの上なく楽しそうに笑う。
 それは、自らが言った那由他の果ての賭けに勝つと確信している笑みだった。
 見ると家久も似たような笑みを浮かべている。

「なるほど。
 我等に分からぬ理ならば、我等に分かる理まで持ってくれば良いか。
 さすが兄上」

 いつの間にか皆歳久と同じような笑みを浮かべている。
 それは、中央に座る義久も同じだった。 

「いいだろう。
 その可能性に賭けようではないか。
 その時のかの姫の顔が楽しみだ」

 かくして、島津家は開戦を決意した。









 黄金の国にはソドムがあり、そこを支配しているのは女帝である。
 
 その女帝の手はミダス王の手と同じで、彼女の手で書かれた証文はこの地域だけでなくマカオや明帝国でもその価値の銀で支払われた。

 その姿はサロメのようで、男を惑わす踊りを好み、男を欲情させる衣装を身につけていた。

 だが、民衆や将兵の前に出て彼らの歓呼の声を浴びる女帝は、カエサルのようだった。


 ある宣教師の記述より。




 珠です。
 府内城でずが、お祭りです。
 別名出陣式と言うのですが。

「母さま~お人いっぱい~」
「いっぱい~」
「い……」

 娘達も喜んでいます。
 祭囃子が鳴り響き、府内の町に飾られた大友の杏葉の旗が。
 姫巫女衆達が歌い踊り、酒が振舞われながら住民達が兵を見送ってゆく。
 お祭りと出陣式を一体化して大友家の権威を創出する。
 まぁ、某国の国家社会主義政党あたりがみたら鼻で笑う程度のプロパガンダである。

 もちろん、府内にいるのが全軍ではない。
 旗本鎮台の兵に宇佐衆に姫巫女衆、香春鎮台の兵を足した分だけである。
 臼杵鎮台および大野鎮台は既に移動が始まっており、日出鎮台の移動はこれら府内の軍勢が出陣してから行われる。
 全て同じ装備で固められた数千の兵達は見る者を圧倒していたし、だからこそ華として歌い踊る姫巫女衆のあでやかさに人々はあてられる。
 府内城大手門前にお立ち台が作られ、その前を精悍な兵達が行進してゆく。
 それを私と父上がじっと観閲していた。

「お前は時々妙な事を言い出したり、やったりするが、これは一際変わっているな」

 むっつりと兵を観閲していた父上が小声で私に囁く。
 私は、娘達と共に(裏でぐずった時用に麟姉さん達が待機している)にっこりと営業スマイルで兵達を見送っていた。
 ちなみに今日の私は禰宜スタイルで、ストリップはしない方の巫女服である。
 
「士気は戦に係ります。
 ならば、上げるだけ上げるのも大将の義務です」

 営業スマイルを崩さずに父上と同じように囁き返す。

「二万で足りるのか?」

 何だか、娘からこづかいをせびられた父親みたいな台詞を父上が吐く。
 だが、単位は「円」ではなく「人」である。

「それ以上増やすと、兵が飢えます」

 ちなみに、史実の耳川合戦の話だが、大友軍は公称六万実数四万の大兵を送ったが、その兵給は脆弱極まりなくそれも耳川大敗の一因としてあげられていたりする。
 筑前立花合戦や肥前今山合戦で似たような兵力を運用していた大友家がこの合戦で兵給が維持できなかったのは何故か?
 理由は簡単で、日向が山国だからである。
 ぶっちゃけると、略奪するだけの物すらない。
 いくつかのエピソードを紹介しよう。
 史実の耳川合戦で日向北部は神(キリスト教)の国建設に向けて父上が寺社建築・仏像・古文書など日向北部の文化財がことごとく破壊・破脚していたりする。
 これには裏面があって、当時の神社仏閣というのは領地を持つ独立勢力で、多くの寺社には兵糧が蓄えられていた。
 つまり、この時点での破壊(略奪)で既に大友軍の兵給が限界に来ていた事を暗示していたりする。
 まだある耳川裏話。
 この耳川合戦は正確には第一次日向遠征と第二次日向遠征に分けられて、耳川合戦は第二次日向遠征に分類される。
 で、上の寺社破壊は第一次遠征時で、第一次と第二次の間は半年ほどしか経っていない。
 こんな状況だから、なまじ日向に近い南群衆は遠征そのものに反対し、それが無理ならと肥後経由侵攻の搦め手勢として参加する始末。
 最前線の部隊が戦場を回避するぐらい略奪が激しく、搦め手勢は九州山地の山奥をのろのろ進んでついに耳川に来る事すらなかったそうな。
 なお、この耳川合戦で豊後北部と筑後国人衆が壊滅的打撃を受けて、竜造寺飛躍のきっかけになるのだからほんと突っ込み所満点である。
 そんな素敵な可能性のある戦場に足を踏み入れるのだ。
 兵給線の確保は絶対条件である。
 幸いにも一条派遣軍が帰還の為に美々津を押さえていたのは大助かりだった。
 海路で兵糧や物資が運べるからで、美々津―延岡間が確保できたらそこまでは将兵は移動するだけでいいはすである。
 現在ある南蛮船は、建造やら購入で七隻。
 今回は全て投入し、かつ他の船まで使っての水軍総動員の兵糧運搬作業になり、投入する水兵だけで実は一万を越えかねない(累計で)という状況に。
 戦争の鉄則の一つである必要な所に必要なだけの物資を投入する為に、近代以降は戦闘部隊と後方部隊の比重が逆転し、ベトナム戦争の米軍などでは比重が1対9になっていたりするほど。  
 なお、今回はあくまで日向遠征が目的という事で、肥後方面は隈府鎮台の志賀鑑隆と同盟国の阿蘇家の甲斐親直に丸投げしっぱなしである。
 え?そっちも指揮しないのかって?
 どーやって指揮するんですか?肥後南部から豊後経由で日向美々津の私の本陣になんて非効率極まりないでしょ。
 だから、「足止めしといて」という戦略目的だけ伝えて後は二人の裁量に任せっきりである。
 このあたり、本気で幕僚団が構成できないと織田家みたいな方面軍制度に移行せざるを得ない訳で。
 そういう所で織田家やその発展形である豊臣家、その最終形態である徳川幕府の組織を見ていると進化の方向がとてもよく分かったりする。
 話がそれた。
 お仕事モードに戻らないと。

「大友の杏葉の旗に集う諸君!
 それを見る府内の町の諸君!
 日向木崎原における悲劇において、我等は適切なる義務をはたした。
 にも拘らず、伊東家は我等に感謝するどころか、身内同士で争いを始める始末。
 これは我等を愚弄し、我が父であり九州探題である大友義鎮の権威を軽んじる行為であり、たとえ慈悲深い父がこれを許すと言えども、偉大なる父を敬愛する私はこれを断じて許す訳には行かない!!」

 気分は某公国の三女で、ノリはグラビティフロントのPVちっくである。
 お立ち台での演説なんて当然皆始めてだし、真面目に仕事をして訴える私の姿というのも新鮮だろう。

「私は諸君に尋ねる。
 諸君は私とともに、大友家の武力の勝利を信じるか?」

 沸き起こる歓声。
 もちろん、サクラもちゃんと用意してある。

「私は諸君に尋ねる。
 諸君は私ともに、勝利が我々の手中に帰するまで、激しい決意をもって、そして迷うことなく、この戦いを続ける用意があるか?」

 湧き上がる歓声。
 今度はさっきの歓声より大きい。
 流石だ。
 この演説のネタ元は本当にプロパガンダの天才だ。
 何よりも、あの演説がスターリングラードの敗戦後に行われているあたり、本当に彼は口先の魔術師と言うしかない。

「私は諸君に尋ねる。
 父上を、九州探題大友義鎮の栄光を信じ、私に力を貸してくれるか?」

 ゆっくりと、不安げな表情で私は尋ね、その回答が万来の歓声として返って来るのを確認して、ゆっくりと笑みをこぼして、一筋の涙を零す。
 女は生まれながらにして女優である。

「ありがとう。
 みんな本当にありがとう。
 私は誓うわ。
 貴方達に勝利を!
 父上達に栄光を!!!
 そして、大友の敵に絶望を!」

 誰もが熱狂している。
 将も兵も観衆も、皆がこの一体感に飲まれ陶酔している。
 だから、私は最後の魔法の言葉を唱えた。

「出陣!
 日向を大友の国に!!!」


「「「日向を大友の国に!!!」」」


 観衆の歓声が止まぬ中、私は府内城に戻る。
 さぁ、後に引けなくなったぞ……と。
 父上、何か狐につかれたような目で私を見ないでください。
 というか、何で諸将の皆様は「うちの姫様はやれば出来る子だったんだ」という生暖かい目で見ているのかな?かな?
 あと麟姉さん、涙ふいてください。うちの娘にたれてます。

「スバラシイエンゼツデシタ。ヒメサマ」 

 拍手をしながら私に近づくキリスト教の修道士の名前はルイス・デ・アルメイダ。
 医師であり商人でもあった彼は私の絶大な支援の下で病院を建設し、その運営と発展に努めている偉大な人物である。
 既に病院は府内だけでなく博多と門司にも作られており、多くの命を救っているはすである。
 なお、病院の制服(もちろん女性)は私がデザインしたナース服である。

「ありがとう。
 で、そちらのお方はどなた?」

 最初の挨拶に一発かまそうとラテン語でお話すると相手が見事に固まりやがった。
 異国の話を商人達に聞き続ければこれぐらいはできるものである。
 人間仕事と金儲けと異性を口説く事は、最高の異国語学習というのは嘘ではない。
 なお、彼らはスペインと壮絶にドンパチしているので、同じく一発見せ付けておこうと私が招待したのである。

「フランシスコ・カブラルトイイマス。
 ヨロシクオネガイシマス。ヒメサマ」

 紹介された宣教師の視線がもの凄くとげとげしい。
 まぁ、キリスト教の布教は許したけど、マリア信仰にかこつけて彼らの信者奪っちゃったからなぁ……

「珠姫よ。
 それとも、『ソドムのサロメ』と名乗った方がいいかしら?」

 『ソドムのサロメ』とはスペイン艦隊を叩き潰して、ルソン侵攻までかました私に対して西洋世界が名付けたあだ名である。
 上手い事いうものだと南蛮人相手にはネタとして自己紹介に使っていたりするのだが、これを言うと大体の南蛮人は唖然としたりするのだが彼は敵愾心の方が上回ったらしい。やっかいな。

「コレハ、ヒメサマヘノケンジョウヒンデス」

 いつの間にかアルメイダ神父の手には眩く光る黄金色のカットラス。
 なんというか、浪漫武器?

「ありがたく受けとっておくわ。
 で、誰かこれいる?」

 諸将に即座に渡そうとしてアルメイダ神父がうろたえる。

「ヒ、ヒメサマ。
 コレハ、センジョウデヒメサマノミヲマモルタメニヒツヨウナモノデス。
 ソレヲワタスナド、ヒメサマハドウヤッテオンミヲマモルオツモリデスカ?」

「え、日向なんぞ素手で」

 一同ものの見事に固まりきった中で何故か父上が大爆笑していたり。
 いや、これだけの大合戦で私が剣振るうようじゃ負けでしょ。
 と、言おうとした時に、あの最凶アコライト先生と同じ台詞を言った事に気づいたのだった。

「姫様。
 少しよろしいでしょうか?」

 いつの間にか仕事モードに戻った麟姉さんが私の耳元でぽそぽそと囁く。 

「え?」

 いけない。
 素で声が出てしまった。
 おちつけ。
 悟らされるな。
 胸元に入れていた扇子をぱっと広げて麟姉さんの耳にぽそぽそと。
 麟姉さんは一回頷いて場の空気を乱さないように姿を消したのだった。

 それから少し時間が経って、父上と南蛮人が話している時に厠と言って姿を消す。
 少し離れた部屋には、麟姉さんと麟姉さんが私に頼まれて呼んだ戸次鑑連と角隈石宗と佐田鎮綱の三人が。

「ごめんなさい。
 出陣前に呼んでしまって。
 けど、耳に入れておかないとまずい情報が来たから。
 諸将には三人から伝えてくれないかしら?」

 説明している私の顔が青いので何かまずい事態が発生したと気づいた三人に、麟姉さんがその情報を持ってきたくノ一に声をかけた。

「むらさき。お願い」

 一条派遣軍につけていたくノ一のむらさきは麟姉さんの声で、淡々とその事実を伝えた。

「はっ。
 島津が動きました。
 肥後国水俣城を包囲。
 それだけでなく、久七峠を突破して人吉に向かっている模様。
 それぞれの将・兵の数共に不明です」

 その報告に角隈石宗と佐田鎮綱の顔は変わるけど、戸次鑑連は動じた様子はない。
 本当に雷神頼りになるなと思いながら、むらさきは私が「え?」と声を漏らした報告を口に出していた。

「日向国三ツ山城が島津軍に包囲されました。
 総大将は……島津忠平(義弘)です」



[16475] 南海死闘編 第十二話 日向侵攻 伊東崩れと島津電撃戦
Name: 北部九州在住◆69dd1406 ID:0a1898ae
Date: 2010/06/12 16:02
 日向国 美々津 大友軍先陣(一条派遣軍)

 日向における事態の急変を豊後本国に送った四郎こと立花元鎮率いる大友軍先陣なのだが、だからといって軽々しく動ける状況でもないのはしっかりと理解していた。
 木崎原合戦で一仕事終わったと思っている兵は多いし、褒賞とてまだ払われていない。
 彼らをどうやって次の戦にかり出すかという仕事に首脳部が頭を悩ませていたのも事実だった。

「帰りたい奴は返しましょう。
 いても邪魔です」

 御社衆がどの程度か良く分かっている四郎はあっさりと御社衆を切り離す決意をする。
 戦場にて手持ちの兵を切り離す決断をあっさりとする四郎に諸将もびっくりするが、この戦で御社衆というものがどういうものか観察してよく分かっていた島清興が四郎の決断に賛同する。

「それがよろしかろう。
 どうせ、御社衆は豊後で再度募集をかけるのだろう?
 そこから使えるのを拾ってくればいい」

「豊後は無理ではないかと。
 多分門司か博多で募集といった所でしょうか」

 御社衆の内情をやっぱり知っている恵利暢尭がぽつりと漏らす。
 豊後ではこの日向戦の動員が始まっていて、既に人手不足になりつつあるのだった。
 何しろ二万の兵の出陣である。
 彼らについてゆく荷駄や宿泊などは既に大繁盛しているのが目に見えている。
 それでも二千はこの美々津に残る訳で、ここでじっとしているのならば十分すぎる兵力である。

「で、日向三城の動向は分からぬか?」

 怒留湯融泉が少しいらつきながら、地図に書かれた美々津の北側にある日向三城と呼ばれる門川城・塩見城・日知屋城を睨んで言葉を口にする。
 この三つの城は伊東家の対大友戦における第一防衛線にあたり、延岡鎮台が美々津で合流する為にも絶対に抜かねばならぬ城だった。
 で、ここで伊東家の内紛が壮絶に影響している。
 今回の日向侵攻において大友軍は伊東帰雲斎側についてその反対勢力を叩くという名目で出兵している。
 もちろん、そのついでに伊東家そのものも滅ぼしてしまう気満々なのだが。
 で、その反対勢力の筆頭である財部城主落合兼朝が先手を打って蜂起。
 この財部城は美々津の南にあって伊東家の対大友防衛線の要であり、伊東家の北部勢力が軒並み反大友に回りかねない事態になっていたのだった。

「佐伯殿にお任せするしかないでしょう。
 あの方はこちらにも知己が多いゆえ」

 四郎がやんわりと延岡鎮台の佐伯惟教を匂わせて怒留湯融泉を嗜める。
 豊後と日向の国境である祖母山が源である大神系一族の頂点に君臨する佐伯氏は、それゆえ日向にも顔が利く。
 その佐伯家当主である佐伯惟教の手腕は、珠姫が主導して帰参を許した南予戦でも遺憾なく発揮されており疑う必要も無い。
 だが、問題は時間にあった。

「こんなに早く三ツ山城が抜かれるとは……」

 清水宗治がくノ一あさぎの報告に声を震わせる。
 三ツ山城どころではない、日向南部全域に渡って伊東家の防衛線が破綻した事をあさぎは職務上淡々と伝えたのだった。

「日向三ツ山城は島津軍により開城。
 また、日向須木城城主米良矩重が島津に呼応し謀反。
 野久尾城も島津側に寝返った模様です」

 これは、伊東帰雲斎の大失敗だった。
 木崎原合戦で討死した米良重方の弟だった米良矩重が兄の領地を全て継ぐ事になったのだが、その時に理由もわからずに加江田郷が伊東帰雲斎の領有になっていたのである。
 木崎原合戦の戦犯として非難を受けていた伊東帰雲斎だったが、すでに大友軍を入れて内部粛清を考えていた彼は米良矩重の抗議を黙殺。
 かくして、激怒した米良矩重はそのまま島津の諜略に乗って寝返ったのだ。
 あさぎがあげた城は全て米良矩重の持ち城である。
 対島津防衛線の主戦力である米良氏の離反に呼応して、対大友防衛線の主戦力だった落合氏も蜂起。
 これも、落合兼朝の嫡男である落合丹後守を伊東帰雲斎が成敗した怨恨が絡んでいるのだから、自業自得である。
 もはや戦う前に伊東家は崩壊していたのだった。
 
「現在、島津軍は日向高原城を囲んでいます。
 ここが抜かれると今の伊東家では押さえるのは難しいでしょう」

 あさぎの言葉に一同は半ば呆然と伊東家の地図を眺めるしかない。
 伊東四十八城を誇り、従三位に叙せられた伊東義祐率いる伊東家がこんなに崩れるとは誰も予想していなかったのである。

「まずいぞ……
 このままでは、美々津以南が全て島津に持って行かれかねん」

 村上吉継も事態の急変振りに焦りの色を隠さない。
 そこに、あさぎの部下であるくノ一さくらがやってきて、とどめの報告を皆に伝えたのだった。

「日向内山城主野村松綱が島津に呼応して謀反。
 もはや、伊東家では島津を支えきれないかと思われます」

 押し黙る一同。 
 呻く様に松倉重信が口を開く。

「しかし、島津の奴等、佐土原まで出張る兵糧があるのか?
 勢いはいいが、これでは立ち枯れるぞ」



「あ!?」

   

 すっとんきょうな声をあげたのは寒田鎮将。
 島津の怒涛の進撃の種に心当たりがあったからだ。

「どうした?寒田鎮将。
 何か言いたい事があったら言ったらどうだ?」

 いつもつるんでいる村上吉継が軽い口調で言ってのけるが、それに返す寒田鎮将の声は重たい。

「殿。
 それがし、殿の命で兵糧を『半分だけ』焼いたのですが……」


「「「「「「!!!!!!」」」」」」


 ここにいる将はそれだけで分かってしまった。
 木崎原からの撤退時に安心して逃げられるように、一条・伊東軍の六千が真幸院で十分行動できるだけの甚大な兵糧。
 いくら島津が火を消したとしても半分丸々ではなく、1/3、1/4程度だろう。
 だが、寡兵の島津にとって今回の軍事行動に賄うに足りるだけの兵糧分だったとしたら……

「責めは全てそれがしが負う。
 あさぎ。この事を府内の姫の元に届けよ。
 さくら。お主はこの事を佐伯殿に届け、以下を付け足せ。
 『我等はこれより、兵二千を持って日向三城を背後より突く』と。
 怒留湯殿。
 寒田鎮将と共に残って美々津を押さえて頂きたい」

「心得た」
「承知」

 了解の声を出した二人を見た後で四郎は立ち上がり、声を張り上げる。

「姫様の戦で島津に漁夫の利を持ってゆかれるわけにはいかぬ。
 佐伯殿率いる延岡鎮台と合流した後にそのまま財部城を落す。
 何としても島津より先に佐土原を落すのだ!」

(だが、木崎原と同じく遅いだろうな……)

 四郎は心中を漏らす事無く、出陣の陣振れを出したのだった。
 そして、それは的中していた。




 日向国 高原城 正面 島津軍本陣

 今回の日向侵攻において、もっとも衝撃を受けた将は誰かと言われたら、今この場に居る島津忠平(義弘)に違いなかった。
 何しろ、真幸院や飫肥で散々伊東家と死闘を繰り広げてきた彼にとって、この伊東家の自壊はまるで夢を見ているような感覚に襲われるのだった。

「内山城主野村松綱殿が手はず通り謀反の旗をあげました。
 これで、高原城へ伊東家は後詰を遅れないでしょう」

 今回の諜略の立役者がこの上原尚近で、日向関連に人脈を持ち、伊東家との交渉を行っていた事から伊東家の内情を熟知していたのである。 
 野村松綱の寝返りなどはその情報の最たるもので、野村松綱の妹が既に没している伊東義益の側室になっているのに正室となった一条房基の娘の命で彼女が殺された事を知らなければこの寝返りはありえなかった。
 そして、縁戚顔で堂々と進駐してきた一条派遣軍(大友軍)を見た野村松綱の心中を察した上原尚近が手を回して、この寝返りを成立させたのである。
 とはいえ、木崎原合戦後の伊東帰雲斎と他の家臣の対立を島津側が知っていたからこそこの一手が光るのであって、やっぱり今回の伊東家崩壊は自壊と言った方が正しいだろう。
 現在、この場に居る島津軍の兵力は千ばかり。
 木崎原合戦での大消耗で残った戦力を軸に鹿児島からの後詰を足した貴重な貴重な野戦戦力である。
 この千が無くなってしまったら、今の伊東家と同じく篭城するだけしか戦法がなくなってしまい、島津家も今の伊東家と同じく崩壊する事を島津忠平はしっかりと理解していた。

「できれば、この城も諜略で落としたい所だ」

 軽口を叩く忠平に上原尚近がニヤリと笑う。
 その笑みに策がある事を知った忠平目で合図してその策を語らせた。

「野村松綱殿より文を。
 『野尻城主福永祐友殿も我等に降伏しても構わない』と」

 野尻城主福永祐友は伊東家と縁戚関係を結んでいる譜代の家臣である。
 彼すら寝返っても構わないというのは、この時代の大名と家臣の主従関係が安全保障によって成り立っている事を如実に表していた。
 その意味で、木崎原にて野戦能力を完全に失った伊東家はその時点で滅んでいたと言っても過言ではない。

「野尻城主福永殿の所領を安堵すると伝えよ。
 同時に、この話を高原城に伝え開城を迫れ。
 逃げるなら逃げて構わぬと」

「御意」

 高原城を守る長倉祐政は伊東姓を賜るほどの剛の者で、崩壊する伊東家にまだ忠義を尽くしていた。
 それゆえ、この城は落さざるをえないと覚悟していたのだが、背後の野尻城や内山城が島津側に寝返ったのなら話は別だ。
 事実、この二日後に長倉祐政は和議に応じて高原城を開城する事となる。

「正直、ここまで上手くいくとは思っていませんでしたな。兄上」

 上原尚近退去後に今回副将を務める島津家久が軽口を叩くので忠平が嗜める。

「勘違いするな。家久。
 あいつらは今は勝てぬと分かっているから、俺達に尻尾を振っているに過ぎぬ。
 大友の大軍が迫れば、此度と同じように旗を大友に変えるだろうよ」

 それもまた一面の真実を突いていた。
 伊東家の多くの将兵が木崎原で討死しており、その意味で決して彼らは島津を許してはいない。
 幸いにも伊東帰雲斎という島津以上に憎まれた者がいるからこそ隠れているが、彼が排除された後でその恨みは確実に思い出されるだろう。
 そして、今の伊東家には千程度の島津軍を相手にするほどの野戦戦力が用意できないという、目を覆いたくなるような現実に直面していたのである。

「分かっております。兄上。
 我等の後ろで旗を変えぬように目を見張らせておきますゆえに。
 で、佐土原までの道が開けましたな」

 かつて島津歳久が語った『万に一つの賭け』だが、その条件の一つが整いつつあった。

「大友軍が使ったあの方陣は陣がしっかり組まれているからこそ、移動には不向きだ。
 だから、大友軍が『移動せざるを得ない』場所にて戦いを挑む」

 それが、島津の対方陣対策なのだが、木崎原では警戒されるのが目に見えている。
 何より、『川を渡るな』と木崎原戦で珠姫が厳命していたのを、島津は後になって知ったぐらいである。
 だからこそ、彼らが警戒しても川を渡らざるを得ない状況を作り出す必要があった。

「降伏する城については家久に任せる。
 篭城する城についてはそのままほおって置け。
 やつらは後ろを突く事すらせぬだろうよ」

 島津軍の寡兵による猛進撃に伊東家の諸城は心理的罠に陥っていた。
 その寡兵を叩く野戦軍が今近くには無いが、我慢して篭城すれば大友軍が大軍を率いて日向にやってくる。
 ならば無理して闘うことは無いと、事なかれ主義に走る事を忠平は見抜いていたのだった。
 そして、そんな中で打って出る気概のある将は既に木崎原であらかた討ち取っていた。

「と、いう事は佐土原も落さぬと?」

「もちろんだ。
 佐土原を落したら、かの姫が手打ちを考えてしまうだろうからな。
 だからこそ、あの場所に陣を張る事に意味が出る」

 島津忠平は笑う。
 万に一つの可能性に『那由他の果てでもあるなら十分』と言い切った彼の笑みを見ていると本当にその賭けに勝ってしまうのではないかと家久は思ってしまう。



「日向根白坂。
 そこで、かの姫の大軍を待ち受ける」



 島津忠平は知らない。
 だが、そこが大隅の防衛まで考えたら迎撃する最上級の場所であることは知っていた。

 珠姫は知っていた。
 その地が大友没落の決定的引き金となった耳川合戦、その主戦場である事を。 



[16475] 南海死闘編 第十三話 日向侵攻 美々津物の怪奇譚
Name: 北部九州在住◆69dd1406 ID:0a1898ae
Date: 2010/06/16 18:02
 四方に薙刀を持った三人の巫女さん達。
 その中央にちょこんと置かれた漆塗りの木箱が一つ。

「姫様。厠へは行かずに、これに用をたしてくださいませ」

 近くに居るはずの麟姉さんの言葉がなぜか遠くに聞こえる。
 何?
 この羞恥プレイ?


 しょっぱなからかっ飛ばしております。珠です。
 とりあえず四郎に会いにと南蛮船使って美々津に上がったら居ないでやんの。
 なお、本陣出陣とかではなく視察なので、四郎の顔を見たらそのまま豊後に帰宅する予定。
 けど、間が悪いというか、四郎は日向三城と呼ばれる門川城・塩見城・日知屋城を落としに行っているとか。
 で、帰る前に状況の把握に努めています。
 そしたらまあ出てくるわ。出てくるわ。島津無双が。

「野尻城と紙屋城まで寝返ったって本当?」

 嘘を言うわけないだろうが、私はそう聞き返す。
 だが、くノ一のあさぎがつきつけた現実は冷酷だった。

「はっ。
 野尻城城主福永祐友と、紙屋城城主米良主税助は、先に寝返った内山城城主野村松綱の手に乗り謀反。
 高原城は開城し、長倉祐政は佐土原に向けて落ちた模様」

 地図をにらんで連鎖的に崩壊してゆく伊東四十八城を眺める。
 早く佐土原に入りたい所だけど、財部城(高鍋城)の落合兼朝が謀反を起こしているから合流すらできない。
 ここで、四郎の手勢が居たら一気に南下をという誘惑を振り切る。
 大軍は一気に揃えてこそ価値がある。
 敵に各個撃破のチャンスを与えてやる必要はない。
 とりあえず、四郎宛に私が美々津に着いた事は伝えているから、城を落としたらこっちにやってくるだろう。
 で、だ。

「あのさ。麟姉さんに舞さんに、八重・九重・政千代のお三方の皆様。
 なんで、そんなに獲物持ってびっちりと警戒しているのかな?かな?」

 これなのだ。
 むらさきが持ってきた肥後方面の報告を聞いた舞や麟姉さんの驚きと警戒振りがもう。
 というか、戦場から遠いのに姫巫女衆総警戒態勢って何事?

「姫様は、先ほどの報告を聞いてお分かりになりませんか?」

 ため息をつきながらも麟姉さんは片時も気を緩めていない。
 なんかあったっけ?

「久七峠を島津がどうやって抜いたか聞いたから警戒してるんです!」

 あ、怒った。
 たしか……あ。なるほど。

「姫様が、佐牟田長堅と同じ目にあわぬ様に気をつけるのは当然です!!」

 基本的に、峠というのは抑えていれば寡兵でも守れるので、よほどの事がないと突破できない。
 だから、私が鳥坂峠合戦で行ったようにおびき出して叩く必要がある。
 ところが、島津はその手を使わずに、意外と思う手を使ってきた。

 暗殺である。

 若くして武勇を誇る佐牟田長堅は狩の趣味があり、その最中に襲われて命を落としたというのだった。
 島津の忍び衆に私の忍びもかなりの数がやられており、あなどれないとは思っていたが、こういう直接的な使い方をしてくるとは思っていなかった。
 それだけではない。
 先の木崎原合戦で戦場前で逃亡という大失態をやらかして、相良義陽の不興を買っていた同じ一族の佐牟田常陸介が島津側に内応して久七峠は島津の手に落ちたのである。
 で、久七峠から相良氏本拠の人吉城に向かって進軍する島津軍の兵数はまだ不明だけど、大将は島津以久。
 これと時を同じくして水俣城にも攻撃を加えている。
 こっちは島津義虎だけでなく、新納忠元まで出ており、やっぱり兵力はまだ不明。
 というのも、木崎原と同じく偽旗を派手に立てているのではっきりわからないのだ。
 とはいえ、両方とも島津一門を大将にしているあたり島津の本気度がわかる。
 私はこの日向がど本命だと信じて疑っていないのだが、諸将の中にも動揺が広がっているのも事実で、

「高千穂経由で肥後に後詰を送ってはどうか?」

 という意見が出たり。 
 だからどうして兵を分けて各個撃破の……(以下略
 ごほん。
 まぁ、相良方面は全部隈府鎮台に丸投げしている。
 志賀鑑隆も馬鹿ではないし、甲斐宗運もいるから大丈夫だろう。
 ちなみに、この二将は兵を千ずつ率いて志賀は水俣、甲斐は人吉に向かっているという。
 さっきまで各個撃破とわめいていたのに、この対応を黙認するのかと疑問に思うそこの貴方。
 それを言う前に、ちょっとだけ肥後南部の地図を見てもらいたい。
 実は、人吉から水俣へ救援を出す場合、球磨川に沿って八代まで出るか、祝坂峠を超えるかという大仕事が待っていたりする。
 つまり、どっちかに兵を出して後にもう一方を攻撃する場合、移動だけで疲弊してしまうという訳。
 それに相良家だって兵がいない訳ではない。
 敵を追い返し、もしくは足止めするだけならそれぞれ千程度の兵でも十分なのだ。

「ですから、姫様も『お犬遊び』は止めてくださいませ」

 何故っ?!
 立ち上がってさすがの仕打ちに私は猛抗議をするのだが……

「ひどいっ!
 麟姉さん私の欲求不満解消方法のわんこプレイを制限するなんてっ!」

「この状況下で島津の忍が入っていたら、我らでは防ぎきれませぬ」

 正論である。
 まごう事なき正論である。
 せっかく各陣をわんこプレイで訪問して真っ白けにしてもらう計画を立てて楽しみにしていたというのに、安全にはかえられない。

「仕方ないわね。
 麟姉さんの顔に免じて、少しだけ我慢するわよ」

 この私の妥協に、なぜか盛大にため息をつく皆様。
 私の疑念が伝わったのだろう。麟姉さんがあきらめ顔で適わない要望を口にする。

「できれば、大名家の姫君として色々とご自愛なされて頂けると嬉しいのですが」

「うん。それ、無理」

 ずっぱりと言い切る私である。
 何しろ四郎が、転勤族よろしく今日は別府、明日は博多、明後日は戦場な日々なのだ。
 性欲をもてあます。

「姫様。
 立花殿がお着きでございます」

 こっちの到着に兵をあわてて戻したのだろう四郎が鎧姿で入ってくる。

「姫様。ただいま戻りまして……」
「かたい挨拶はいいわよ。
 おかえり。四郎」

「はい」

 ああ、この四郎の笑顔を見るとほっと落ち着くわ。
 おっと、仕事を忘れる所だった。

「で、日向三城は抜けた?」

「姫様の支援で日知屋城が落ちた後、門川城が開城。
 日向街道はこれによって美々津までつながりました。
 塩見城が残っておりますが、現在佐伯惟教殿が囲んでおり時間の問題かと」

 日知屋城落城については、水城だったのが幸いして南蛮船からの大砲砲撃で支援したのだった。
 水軍衆の支援のない水城というのがこんなに弱いのかと思えるぐらい、大砲の砲撃であっさりと落城したのである。 
 まぁ、大砲で本丸ぶっ壊されたらそりゃ持たないか……ん?

「四郎。お連れの人はどなた?」

 四郎が見慣れない顔の偉丈夫な若武者を連れているのに今更ながら気づく。
 私の声にその若武者が一礼して自己紹介をする。

「それがし、信濃国で生まれた野崎綱吉と申す者にて……」

 まぁ、自己紹介は省くが、『あの』御社衆にも出来人がいたとかで引っ張ってきたとか。
 木崎原合戦や先の日向三城攻めにて戦働きだけでなく、荷駄運搬でも功績を出したので、四郎は褒美として私の顔を見せておこうという訳だ。
 過去経歴一切問わず、使えるのならウェルカムな採用方針を取っているので、こういう出来人を逃すつもりは毛頭無い。

「姫様にお願いしたき義がございます。
 あの南蛮船の威力を持ってすれば、薩摩沿岸を暴れさせる事は自明の理。
 なにとぞ、島津の後ろをかの船で襲わせるようお願いしたく……」

 うん。
 こいつできるわ。
 南蛮船の威力とその使い道を理解して、背後を襲うように進言するってのは並の将では出来る訳が無い。
 そして、四郎の顔を見るが、あらかじめ聞いていたのか、驚くそぶりすら見えない。
 案外、四郎が考えて自分の功績にすれば目立つから、部下のできそうなやつに功績を譲ったのかもしれない。
 確実に水軍の理解は毛利の血を引く四郎の方が高いはずだからなぁ。

「うん。
 それをしたいのは山々なんだけどね。
 できない理由ってのがあるのよ」

 私の言葉に、四郎の眉がぴくりと動いた。
 やっぱり、発案者は四郎っぽい。

「よろしければ、その理由とやらをお聞かせくださいませぬか?」

 とはいえ、あくまで自分が発案者のそぶりを崩さない野崎綱吉の評価も私的にプラスである。
 これはいい拾い物かもしれない。

「南蛮船が七隻しかないからよ。
 そして、その七隻全てを使って、二万の兵の兵糧や火薬や弾薬の手配を行っているから、薩摩を荒らすのは無理。
 これが理由その一」

 日知屋城は豊後への帰り道だったからこそ、ついでにとやっただけなのだ。
 私の言葉に頷いた四郎と野崎綱吉は目で私にその続きを促す。

「二つ目。
 南蛮人の府内・別府攻撃を見たでしょ。
 無関係の民を巻き込んでの攻撃は避けたいわ。
 後々を考えてね」

 府内の町がかなり焼けた南蛮人達の攻撃は、終わったあと、報復もかねて生き残った船員の大部分が吊るされる事になった。
 戦争をやっている以上、恨みを買うのは仕方ないが、よけいな恨みまで買うつもりはない。
 そして最後の理由を口にする開く前に、日向のとある場所を指で指した。

「最後。
 その七つの南蛮船の内、どれかを油津に回すから。
 本当に余裕が無いのよ」

 日向国油津。 
 飫肥城の外港である。
 この間島津から奪ったこの飫肥方面は、幸いにも伊東義祐の三男である伊東祐兵が抑えていた事もあって崩れてはいない。
 私はここに後詰を送る事で伊東家の崩壊を防ごうと考えていたのだった。

「ここに後詰を送るわ。
 財部城(高鍋城)の落合兼朝が邪魔をする以上、早く伊東家の崩壊を止めないと高城川以南が全部島津に抑えられちゃうから」 

 その言葉に四郎が反応した。

「でしたら、油津に向かわせる手勢にそれがしを加えてくだされ」

 言うと思った。
 私はため息をついてそれを了承する。

「兵は千。
 兵糧と火薬を考えたらそれ以上はもたないわ。
 島津が押してきても絶対に戦わない事。
 目的は飫肥城および油津の確保。
 美々津での全軍終結が終わったら交代させるわ」

「はっ」

 四郎の声にかぶさる形で野崎綱吉が声をあげる。

「今ひとつお尋ね申す。
 今の姫様の差配も見るに、姫様は島津を恐れている様な気がするのですが、それはいかな理由で?」

 今の発言は予想外だったらしく、四郎も顔色を変えている。
 たしかに、過剰とも思える準備と堅実極まりない指揮は、『なんで姫様は島津を恐れているんだ?』という声が上がるのは当然だろう。

「鳥神尾や先の木崎原を見るだけでも恐れるのは十分だと思うけど?
 あんな化け物と当たるのだから、警戒するのは当然だわ」

 そう言ってはぐらかしたけど、納得はしないだろうなぁ。
 あの島津の化け物ぶりを知っているが故に、それを伝えられないもどかしさがある。
 たとえるならば、私はニセアカギ程度の才能しかないのにワシズやアカギ相手に麻雀をするという所か。
 なんかその雀卓、某国総理大臣も居そうで怖い。
 天地創世(ビギニングオブザコスモス)あたり食らったら人生\(^o^)/である。

 あ、すごくいいたとえ思いついた。
 これもみんなに説明できないのがもどかしいが。
 野球で三割バッターといえば凄い打者の部類に入るが、裏を返せば七割は打ち損ねている訳だ。
 で、今、目の前に打率.273のバッターがいるんだけど、彼にボールを投げるようなものである。
 ちなみに、その試合って、



 第二回 WBC 決勝戦 十回表 二死 ランナー一・三塁 って言うんだけど。



 その例えがおかしいという人は冷静になって木崎原合戦を思い出してほしい。
 史実で兵力十倍、今回なんて兵力二十倍であいつら勝っているんだぞ。
 何故、恐れない?
 何故、怖がらない?
 戦場の向こうに居るチート野郎島津義弘は、そんな化け物なのだという事が何故理解できない?
 ましてや、私が今立っているのは戦場であり、ちょっとしたミスや何気ない不運が即座に命を落とす場所である。
 
 話がそれた。

「んじゃ、船で豊後に引き上げるけど、ね♪」

 四郎に向けてウインクをして私は港に帰る。
 南蛮船の出港は明日。
 朝までたっぷり四郎に可愛がってもらおう。








 珠姫一行が港に帰った後、四郎は野崎綱吉を注意する。  

「差し出がましい事を言うな」

「申し訳ございませぬ。
 ですが、気になったのです。
 かの姫が、門司合戦、彦山川合戦、鳥坂峠合戦等を勝って見せたほどの将であるのに、それほどまでに島津を恐れるのかを」

 珠姫は理解できない。
 理解できる訳が無い。
 彼女自身が皆に心底恐れる島津義弘と同等、もしくはそれ以上の『化け物』に見られている事を。



[16475] 南海死闘編 第十四話 日向侵攻 新田肩衝と大兵の誤算
Name: 北部九州在住◆69dd1406 ID:0a1898ae
Date: 2010/06/20 16:33
 珠です。
 四郎とつかの間のわっふるを楽しんで府内に帰ってきたら……

「姫様。この戦そろそろ終わりにしてくれませぬか?」

 島井宗室が大名物を手土産に土下座をしていました。
 何事?

「博多商人の間で動揺が広がっているのです。
 弱りきった伊東ならまだしも、島津を相手とすると九州大乱になりかねぬと。
 そうなれば、商売にどのような影響が出るか」

 あー、そう来たか。
 戦争ってのは、戦闘だけ考えるものではない。
 あくまで政治の一手段なのだ。
 日向・薩摩・大隈にまたがる大乱が大友側勝利に終わっても、こんどはその復興が責任としてのしかかる。
 それは、かなりの銭と人的資源を注ぎ込まねばならない一大事業となる訳で。

「姫様の商いに、薩摩大隈はいらぬでしょう。
 ならば、そこは捨てても構わぬではございませぬか。
 呂宋や台湾、南蛮の商いに支障が出かねませぬ」

 何かひっかかる言い方よねと思いながら、土産の箱をぱかりとあけて……
 ちょ!おま!?



 新田肩衝きたこれ!!!



「これ、どっから手に入れたのよ?」

「まぁ、色々とございまして」

 さすがに顔色を変えた私に島井宗室がニヤリと笑う。
 話を聞くと、三好政長(宗三)が持っていたこれは彼が摂津中島江口の戦いで戦死した後、息子である三好政康が持っていたらしい。
 で、三好政康が織田信長から追われて野田・福島で兵を上げた時の銭の担保がこれだったとか。
 そりゃ、これ一つで数千の兵を作るだけの銭の担保になるわな。
 その後の三好家は四国で長宗我部の侵攻に追われる日々で、とうてい借りた銭を支払える訳もなく。
 そこに目をつけた島井宗室が大金を目の前に積んで分捕ってきたと。

「経緯はわかったけど、なんで私なのよ。
 父上にあげればそりゃ狂喜するでしょうに?」

 その問いを待っていたかのように、島井宗室がとってもいい笑顔で笑う。
 こういう時のいい笑顔の事を世間一般では『悪魔の笑み』という。

「この事をお父上にお伝えすれば、お父上がどう動くか姫様もご存知で。
 それをせずに、こうしてお願いにあがる我等の窮状を考えていただければと」

 これ、世間一般では脅迫っていわね?
 私が言う事聞かなかったら、『新田肩衝渡してお願いしたのに言う事聞いてくれない』とちくるんだろうな。
 珠姫特融打ち切ってやろうかしら。
 ん?

「こんな事するって事は、何かあったわね。
 言いなさい」

 そうなのだ。
 現状、私の一存でどうとでも首を取り替えれる商人がここまでするというのは、何かあったはずなのだ。
 それも、私をこんな小細工で脅さないといけないぐらいに。

「さすが姫様には隠し事ができませぬな。
 神屋貞清が南蛮船を門司と堺の航路で運用しだしているのですよ」

 はい?
 どこから持ってきた?その南蛮船?
 私の疑念が顔に出ていたらしく、島井宗室がそのからくりを口にした。

「毛利が造り出した南蛮船を用いて」


 あ!?

 ああ……

 あの腐れアンパンっ!
 人のドル箱に手ぇ突っ込みやがって!!!!」

「姫様。
 その腐れあんぱんやどる箱とは何で?」

「こっちの話よ!
 気にしない事!!」

 途中から心の叫びがだだ漏れだったらしいが、そんなことは今はどうでもいい。
 そーいえば、すっかり忘れていた。
 毛利も南蛮船の建造を始めたんだった。私の支援で。
 けど、毛利も今浦上戦をやっているはずだったと思って、即座にその理由に気づいて苦笑する。
 毛利が掌握している瀬戸内水軍は、南蛮船を使わなくてもいいぐらいの規模と船数だった。
 たとえば、木津川海戦で毛利がかき集めた七百隻の船というのは、兵にして五千程度の兵給を維持する事ができる。
 実際、史実の播磨戦で五千の兵を上陸させて、黒田官兵衛の率いる五百の兵に返り討ちにあっていたりする。
 ……なにやってんだよ。毛利軍は……
 それはさておき。
 響灘海戦で打撃を受けたとはいえ、その全ての船が沈められた訳でもなく、南蛮船への置き換えも進んではいないが、現在備前の宇喜多直家相手に対峙している現状なら南蛮船の活躍は必要ない。
 主戦線の美作は高田城が吉川元春によって落城し、現在岩屋城で浦上と毛利がにらみ合っている状況である。
 小早川隆景が宇喜多直家を牽制しているから、浦上軍は全力で吉川元春率いる毛利軍に当たれず、戦そのものは毛利優位に進んでいるらしい。
 浦上の後詰を行いたい織田家は、播磨上月城に羽柴秀吉・松永久秀を送り込んで攻略を目指したが、先ごろ兵を返したという報告が届いている。
 浦上が長くないと悟ったからか、宇喜多が寝返ると確信したからかあるいはその両方か。
 どっちにしろ、毛利が対浦上戦で順調に戦を進めているのは間違いがない。
 で、話を南蛮船に戻すのだが、現在毛利は呉に作った造船所で三隻ほど南蛮船を持っていたりする。
 そして、私が島井宗室に南蛮船をレンタルしたように、神屋貞清が毛利にレンタルをお願いしたのだろう。
 毛利輝元は無能ではないのだろうが、天然というか空気読めない所があるからなぁ。
 神屋貞清のお願いをさして考えずにほいほい許可しそうだから怖い。

「しかし、それでも腑に落ちないわね。
 あの輝元が許可を出したのはわかるけど、商人側からの要望だけで動くとも思えないし。
 誰か武家側でこれを押した人間がいるんでしょうけど、それは誰かわかる?」

 それを聞いた島井宗室の顔が実に言いにくそうに歪む。

「実は……神屋殿が接触していたのは、立花様の御正室にて……」

 あー納得。
 というか、あのちっぱいは後で泣かす。
 瀬戸内水軍にコネがあって、神屋貞清が接触できて、私が激怒した場合に宥める事ができる四郎に接触できる人物。
 見事だ。

「そこまで調べているんだから、どう接触したかも分かっているんでしょうが。
 全部吐いてしまいなさいよ」

 私の投げやりな言葉に、島井宗室も苦笑しつつからくりをばらす。

「はっ。
 実は、この日向戦に大友の南蛮船が総動員されるのはご存知かと思われますが」

 ご存知も何もその手配したの私じゃん。
 レンタルの条件である戦時使用という事で、全運行スケジュールを白紙にして、違約金まで支払い、代替船の手配までしたのに何が問題かと。
 なんて突っ込みは心の中でしつつ黙って話を聞くと、話がとんでもない方向に。

「皆、南蛮船の便利さに慣れてしまい……」

 あ、そういう事か。
 人間便利なものを知るとそれ以前に戻るのはなかなか無理がある。
 ただでさえ、門司-堺間に投入していた南蛮船は最速かつ大容量だからドル箱と化した訳で。

「博多の商人が困っておる。
 姫の戦ゆえ手出しはすまいが、そちらが持つ南蛮船でなんとかできぬか?」

 と、親元(鶴姫の親は村上水軍)に泣きついたんだろうな。
 で、水軍側も渡りに船と。
 何しろ、ライバルの大友南蛮船が休業しているのだから。
 ああ、腹が立つが私の自業自得でもある。
 そこまで見えた私が盛大にため息をつくと、島井宗室が盛大にぶっちゃける。

「姫様が銭を貸し出した後、博多では合従連衡が進んでおり、多くの商家が大店化しつつあります。
 その結果、『大友寄り』でも『毛利寄り』でもない商家ができつつあり、私や神屋殿が脅威を感じているのですよ」

 これも自業自得なのだが、珠姫特融の結果、多くの商家に債権を持つ事になった私は図らずも所有と経営の分離を促す結果になっていたのだった。
 金というのは小銭をちまちま集めるより、大金を運用したほうがリターンがでかい性質を持つ。
 なまじ、私あての債務を皆が持ってしまったがために、

『返済するのならまとめた方がよくね?
 債務が大きくなったら潰しにくいだろうし』

 どこぞの不良債権処理でえらく聞こえてきたフレーズだが、理にはかなっている。
 そして、私が提唱した保険というシステムに彼らは目をつけたのだった。
 各人が名を連ねる座を作り、そこで銭を出し合って船を出し、その銭の配分に合わせて分け前を得るというシステムを商売にも使えないかと。
 株式会社の誕生である。
 こっちでは『○○座屋』と名乗っているみたいだが、やっている事は株式会社まんまである。
 売買自由な証文経済と保険システムがめぐりめぐって株式会社に繋がるとは、経営史もびっくりである。
 で、そこまで話が進んでいるならこっちはその方向だけを示してやればあとは勝手に育つだろうと、たかをくくっていたのだがこんな形で繋がるとは。
 なるほど。
 新田肩衝持って島井宗室が陳情に来る訳だ。

「私や神屋殿は大友や毛利にまだ顔が利きます。
 ですが、この座屋が流行れば、私や神屋殿を超える商家が出で来るでしょう。
 そうなる前に神屋殿は手を打ったのでしょうし、それがしも打ちたいと思っております。
 薩摩・大隈程度の上がりならば、我等の船で稼ぎ出してごらんにいれましょう。
 ですから、姫様。
 何とぞ此度の戦を御広げになってくださいますな……」

 島井宗室の嘆願に私は盛大にため息をついてみせたのだった。




「姫様!
 南蛮船を四隻にするって正気か!!」

 府内城の一室。
 今回の日向戦の兵給を一括管理しているその部屋で、朝倉一玄が悲鳴のような質問を私にぶつけるが、私の声は冷酷だった。

「南蛮船七隻のうち、三隻は門司と堺の航路に戻すわ。
 代わりに、本陣と後詰の出陣は延期。
 四郎の手勢を南蛮船で油津に上げるから、美々津への荷駄は南蛮船三隻で行います」

 これでも、島井宗室の嘆願を受け取った私のぎりぎりの妥協点なのだ。
 門司-堺航路への三隻投入というのは、門司と堺の両方に必ず大友の南蛮船がいる体制である。
 定期性を考えたら、これで毛利南蛮船と互角に戦えるはすである。
 南蛮船使用の変更について即座にそろばんをはじいていた大谷吉房が、その惨状に青ざめて手を額に当てているが見ないふりをする。
 ただでさえ、対島津戦を想定して意図的に豊後南部のインフラ整備を後回しにしていたつけがここに出ている。
 荷駄は細い山道連なる日向街道をのろのろ進み、南蛮船以外の船ではとうてい侵攻軍全体の兵給が維持できない。
 これで略奪OKにすれば少しは変わるかといえば、現在の占領地である日向北部は山ばかりでそもそも略奪する物がない。
 今回の荷駄を実質的に統括する田原親賢が真顔で私に尋ねる。

「理由を話して頂けるのでしょうな?」

「商人どもの要望よ。
 今、ここで南蛮船を取り上げると府内が寂れるって」

 この理由は真実ではないのだが、一番的を得ているように聞こえるので私はこう答えた。
 何しろ、交易路の概念や、株式会社化による商人の肥大あたりを話して理解できるとは思えないし。

「今回の戦はあくまで伊東家を滅ぼすのが目的なのに、すでに伊東家の所領の過半が島津家が握っているでしょ。
 そのまま島津を潰す戦をやって欲しくないってさ。
 まぁ、木崎原の完勝を知っていれば、みんなそう言うわよねぇ」

 情報というものは常に正しく流れているわけではない。
 木崎原での島津の勝利は島津の損害を覆い隠す、『二十倍もの敵を退けた無敵島津軍!』なる幻想を持って九州はおろか西国に広がっているのだった。
 私があくまで伊東家に焦点を絞ったのはこれが理由である。
 日向に限定し、その中で問題となる真幸院の扱いで対島津戦開戦を目論んでいただけに、伊東家の予想以上に速い崩壊と島津の急進撃にロジックエラーが点りだしているのだった。
 何しろ、『伊東家を滅ぼす戦』なのに、油津に四郎を上げて飫肥城近辺を守備させるという矛盾が。が。
 まぁ、いざとなれば四郎にはまた一条の旗をつけてもらえばいいとして。
 
「延岡鎮台、大野鎮台、臼杵鎮台は予定通りで?」

 田原親賢の問いに私は首を縦にふった。

「ええ。
 第二陣(小野鎮幸率いる久留米鎮台も)まではきっちりと美々津に送り出す。
 先陣が率いているのが、延岡鎮台と一条派遣軍の残りで二千五百。
 四郎が油津に持っていった千と、傭兵連中で契約が終わって帰る千は省くわ。
 第二陣は想定どおりだから七千。
 一応これでも無理なく戦えるはずよ」

 問題はこの九千五百で島津を打倒できるかである。
 島津戦を開戦した場合、島津義久が土下座するか、鹿児島まで攻め上がるかしないと戦そのものが終わらない。
 最悪、朝廷講和の可能性も視野に入れておいた方がいいのかもしれない。

「お尋ねしますが、此度の戦、姫様は日向に出る事はなくなったので?」

 大谷吉房の質問に私は今度は首を横にふった。

「ここで私が出陣をやめたら『臆病者』って豊後国人衆に罵られるわよ。
 伊東家と戦うにせよ、島津家と戦うにせよ美々津には出ます」  

 これだけ大規模な仕掛けを作った以上、修正や変更はあれども中止だけはありえない。
 それは、私が次期後継者から外れる事になりかねないし、大友家臣団の内部分裂に繋がりかねないからだ。

「なんとしても高城川までは押さえるわよ。
 そこから先は……」

 そう言いかけて、言葉がとまった私を皆が見ているが、すでに気にする余裕がない。
 戦うのか?
 島津軍と耳川主戦場で?




追伸 その一
 全部終わった後で、鶴姫は宣言どおりゲンコツグリグリ攻撃にて泣かした。
 やらかした理由は案の上、
「わらわいい事したであろ?」
 という善意だった。


追伸 その二
 毛利宛にドスの効いたお手紙『何、人のシマに手出しているのかしら?ワレ』と書いて送ったら、輝元のチートじじい譲りの長文謝罪文がやってきた。
 それでも毛利側は南蛮船の運航を止めなかったあたり、やっぱりあれもチートじじいの血は流れているんだなぁ。




作者より一言。
 新田肩衝が大友宗麟の手に渡った経緯については、はっきりしていない所があるのでこっちで創作しています。


 次回更新ですが、仕事の都合で七月下旬まで大幅に更新が遅れます。
 ご容赦のほどを。



[16475] 南海死闘編 第十五話 日向侵攻 高城川チキンラン
Name: 北部九州在住◆69dd1406 ID:0a1898ae
Date: 2010/07/14 09:00
「大友軍第二陣、美々津入場!」

 その声に、先に美々津にいた大友軍将兵に緊張が走る。
 それはそうだろう。
 大友軍における決戦戦力の中で最強を誇る戸次鑑連率いる軍勢が中核なのだから。
 規律正しく行軍し、精悍な顔つきの将兵と共に馬上から指揮するは、陣代として前線で指揮を取る戸次鑑連。
 その後ろに、由布惟信と小野鎮幸が馬を進めている。
 小金原合戦で大友軍勝利の原動力となった彼らが美々津に到着したという事は、大友軍がいよいよ本格的に南下する事を意味していた。 

「伊東が佐土原を捨てたというのはまことか?」

「まことだ。
 伊東義祐は一族を引き連れて飫肥に落ち延びた。
 飫肥は立花殿が後詰に入っており、ここで兵を整えて再度押し出すつもりらしい。
 で、島津はまだその佐土原に入城していない」

 第二陣到着後、早急に開かれた軍議の席で戸次鑑連が放った第一声に答えたのが、第一陣を取りまとめていた佐伯惟教である。
 ちなみに、この伊東家が佐土原放棄を決断していた時に、大友軍は何をしていたか?
 美々津近辺および日向北部の足場を固めるべく、美々津以北の城を落としていたのだった。
 先に日向に入っていた立花元鎮は島津の北進に動揺し、性急に軍を南に進め財府城を攻めようとしたが、その為にも背後にあたる日向三城を攻略する必要に迫られたのだった。
 これに成功し、豊後との連絡線を確保した大友軍は立花元鎮が珠姫の指示でそのまま飫肥に転進。
 後を佐伯惟教が引き継ぐこととなったが、佐伯惟教は塩見城開城後に逸る諸将を抑えてそのまま山側の山陰城の攻略に向かったのである。

「日向は、山を制した者が勝つ」

 立花元鎮よりはるかに日向の土地勘があり、日向国人衆にも知己が多い佐伯惟教はそう言って山陰城に兵を進めた。
 山陰城城主は米良重直といい、島津に寝返った米良矩重の分家筋に当たる家である。
 この事実だけでも、日向山岳部における米良一族の影響力がいかに強大であるかを示しており、大軍ゆえに海路を選択した珠姫の盲点でもあった日向山岳部の掌握を珠姫はそのまま追認した。
 同様に、祖母山系を源とする大神系一族の頂点である佐伯氏というネームバリューは日向山岳地帯でも絶大な影響力を持っており、山陰城の米良重直も降伏・開城。
 更にその奥にあたる星原城の奈須祐貞も降伏し、これによって山側から後方連絡線を遮断する動きを封じる事ができた大友軍は、安心して兵を南に向ける事がでるようになったのである。
 とはいえ、その間に伊東家の動揺は続き、多くの諸城が寝返った結果伊東義祐は佐土原城防衛は無理と判断。
 飫肥城に落ち延び、そこで兵を再編して島津軍を追い払うという方針に切り替えたのだった。
 その判断をしたのも、伊東家の崩壊を防ぎたい珠姫が海路で後詰を油津に送り込んだからなのだが。
 同時に、伊東義祐はこの時点で大友に従属する旨を伝えており、伊東家滅亡を前提に計画を立てていた珠姫にすれば戦略条件の激変に頭を抱えていた。
 もっとも、美々津以北を完全に掌握した事で、こうして戸次鑑連率いる第二陣が無事に到着したのだが、博多の商人連中の圧力でその後の派兵計画まで狂っている事はまだ美々津には届いていない。
 大兵にもかかわらず、それゆえに危険をきっちりと排除して足場を固めきった佐伯惟教もやはり名将だったのである。

「大兵には大兵の戦いがある。
 わざわざ寡兵の戦を選択する必要もあるまい。
 堅実に、穴無く兵を押せば、島津にはそれを受け止める兵もあるまいて。
 伊東が生きようが滅ぼうが、我等には関係ない」

 この場に珠姫がいれば頭を抱えそうな発言を佐伯惟教は言い切るが、前線指揮官の発言とすればまったくもって正しい。
 それだけで無く、珠姫あたりの立場をよく分かっているから次の言葉も出てくる。

「米良殿には須木城へ文を出すように頼んである。
 米良一族が島津に通じたのは伊東帰雲斎の横暴が原因。
 排除できるならば、島津はこのまま立ち枯れるだろうよ」

 この日向での戦が土地ではなく、人で決まる事を佐伯惟教はあっさりと言ってのけた。
 それを分かっていたからこそ、佐伯惟教は島津の佐土原放置にも、伊東帰雲斎に恨みを持つ落合兼朝が篭る財府城に手を出さなかったのである。
 伊東帰雲斎が排除できた時点で、落合兼朝も米良矩重も島津に通じる理由が無くなるのだった。
 それは珠姫も理解しており、伊東家従属の条件に『伊東帰雲斎の追放』と『伊東義祐の出家、隠居』をあげているのだが、そのあたりの交渉は飫肥にあがった立花元鎮に任せている。

「では、伊東帰雲斎が排除されるまで我等はここで待てばいいかな?」

 戸次鑑連が実に白々しく言ってのけるがこれは佐伯惟教への誘い水だった。
 大友家中でもっとも日向と伊東家に精通している佐伯惟教が、このまま珠姫に下駄を預けたままで戦を終わらせる訳も無い。
 彼女の諜略がかかりやすい下準備をする事も前線指揮官の勤めである。

「日向は、山を制した者が勝つ。
 これは、山手の城々が深く入り組んでいるので放置される事が多く、海手で攻め込んだ者が山手より後ろを突かれる事が多いからだ。
 財府城も同じで、ここを落とす前にこの山手の城を潰す必要がある」

 佐伯惟教は中央に置かれた地図の財府城より少し山側の城を指した。


地理説明

白 大友軍(伊東)
黒 島津軍
             ↑
             美々津 
   石の城(予定)
    凸
       高城 松山砦(予定)
       ▲  凸

           財部城
            ▲
    穂北城
     凸

 三納城
  凸  
           富田城
      都於郡城  凸
       ▲    
         佐土原城(放置)
          ▲


「高城。
 この城を落とす。
 とはいえ、この城は海側から攻めるのには少し骨が折れる。
 高城川と切原川に囲まれた高台にある城だ」

 城主は野村蔵人佐。
 島津に寝返った内山城主野村松綱の一族で、野村松綱の蜂起と同じくして伊東家に反旗を翻していた。
 財府城を攻めると、ここから側面を突かれる為に落とさねばならぬ城の一つである。

「姫様が聞いたら、『攻めるな』と言いたくなる城だな」

 朽網鑑康が茶化して諸将に笑いが広がる。
 木崎原合戦時の起請文『川を渡るな』と念を押した珠姫の逸話は、木崎原の伊東軍の壊滅と立花元鎮率いる一条派遣軍の帰還で畏怖の念を持たれて広がっていたのだった。
 そんな笑いが収まるのを見計らって、佐伯惟教は高城よりさらに上流の場所を指差す。

「今回、帰参した米良家・奈須家の手勢を使い、この城に付城を築く。
 場所はここだ」

 佐伯惟教の声に、何で財府進撃を遅らせてまで山岳部掌握を優先させたか皆が理解する。
 土地勘ある国人衆を抑える事で戦を有利に進めると同時に、彼らを一手に集めて別方面に動かしてしまえば寝返って背後を突かれる恐れも無い。
 佐伯惟教は美々津以北を完全に掌握し、美々津を揺るがない大友軍の拠点とする事に成功していたのだった。

「ここは石ノ城と言って、今は廃城同然だ。
 だが、高城川上流にあたり、ここを押さえる事で高城川が渡り易くなる。
 この城は裏手に道があり、それが此度帰順した奈須家の所領と繋がっている。
 兵糧および資材の手配をお願いしたい」

「わかった。
 それがしから姫様に頼んでおく。
 ちなみに、米良家・奈須家の手勢の軍監は誰にするつもりなのだ?」

 内政畑であり、今回の兵給にも関与していた志賀親守が佐伯惟教の要望を了解すると同時に、そこに誰を派遣するかを尋ねる。
 それも用意していたらしく、佐伯惟教はあっさりとその人物の名前を告げた。

「土持親成殿」

 ある意味当然の人選に諸将も納得する。
 衰えたりとはいえ、日向有数の名家で伊東家と度々争うだけの格を持つ家。
 土持親成自身も才豊かで、今回帰参した米良家・奈須家とも付き合いがある。
 任せるのならば、彼以上の適任も居ないだろう。

「よかろう。
 佐伯殿の案に乗ろう。
 それで、山手の付城を築くのならば、海手の付城は何処にするのだ?」

 提案を総大将として了承した戸次鑑連が佐伯惟教に続きを促す。
 それに佐伯惟教は高城近くの高台を指差した。

「海手側の攻め手はここに陣城を作る。
 この松山と呼ばれる高台に陣城を築いて高城を囲む」

 その説明に朽網鑑康が異を唱える。
 高城に攻勢正面を向けると、本来の目標である財府城への戦力が薄くなる懸念からである。

「落とすのではなく、囲むだけでいいのではないか?
 どうせ、財府城を落とす為に財府の渡しを越えるのだろう。
 この城が障害にならないだけで兵を先に進めるべきでは?」

 それに対して口を挟んだのは、美々津に残った島清興である。
 大友家中において新参者かつある種の部外者でもあるのだが、堂々とした立ち振る舞いがそれを指摘させない。

「財府から先なのだが、兵糧は美々津から荷駄で運ぶ以上、この高城川は完全に掌握しておきたい。
 同時に、高城を落とせば、穂北城経由で都於郡城に迫れる」

 都於郡城というのは、先に病で亡くなった伊東義益の城で、伊東家の城の中でも別格の本城扱いの城だった。
 この城と佐土原城が伊東家の中核と位置付けられている以上、無視する訳にもいかない。
 なお、佐土原の伊東家退去と同じくしてこの城も島津軍に開城している。
 
「当の島津は今、何処にいる?」

 その質問を発したのは柴田礼能。
 槍の名手でかつ怪力であった事から南蛮人から「大友のヘラクレス」と呼ばれる剛の者である。
 その問いに日向国国人である三田井親武がすっと地図のある場所を指した。

「忍びの者によると穂北城に向かっているとか。
 穂北城主壱岐加賀守と三納城主飯田祐恵はまだ伊東側だが、島津は三納城には目もくれずに穂北城を囲んでいるとか。
 やつらも高城を目指していると見える」

 その報告を聞いて一堂黙り込む。
 状況が混沌としている中で、彼ら島津軍の突出を訝しがっているのだった。

「何であいつら一ツ瀬川を渡るんだ?
 三納城を落として、一ツ瀬川沿いに陣を築けば守りやすいだろうに?」

 小野鎮幸が首を傾げる。
 日向南部の薩摩側は島津の脅威を感じていたのから雪崩を打って寝返っていったが、都於郡城より北の三納城・穂北城・富田城の三城は反島津の姿勢を崩していなかった。
 木先原合戦で縁者を討ち取られた恨みもあるが、何よりも美々津に大友軍が陣取っているのが大きい。
 島津側についた財部城と高城が抜ければ、大友軍は佐土原城に後詰が送れたし、伊東義祐の飫肥退去という事態も無かっただろう。
 もっとも、この三城の城主にとって滑稽なのは、大友も伊東家を救う気はないという所なのだが。

「一つ気になる報告がある。
 島津の奴等、落とした城から兵糧を全て持ち出しているらしい」

 由布惟信の報告に諸将が更に首を傾げる。
 兵糧の持ち出しと言えば聞こえがいいが、やっているのは乱捕り(略奪)であり、そんな事をすれば間違いなくその土地の民衆は離反する。
 にも拘らず、島津軍は強引に北進を続けている。
 この理由は何だ?


「誘っているらしいな。
 我等を」


 低く呟かれた声の主を諸将が目で追うと、あっさりと島津の意図を見破った戸次鑑連が笑っていた。

「どういう理由かは知らぬが、島津のやつらは我等に勝つ策があるらしい。
 考えられるに、高城か財府城の後詰か、穂北城を囲む振りをして後詰にくる我等と当たるつもりか。
 そのどちらかだろうよ」

「では、その誘いに乗るか?」

 佐伯惟教の声に戸次鑑連は首を横に振った。

「佐伯殿が足場を固めたお陰で、美々津より北は心配する必要は無い。
 ならば、島津の選択肢は二つしかない。
 戦うか、逃げるかだ」

 重く響く戸次鑑連の声に、諸将は雷神と呼ばれし大友の宿将の凄みを感じる。
 状況を単純化して、それを理解させるのは誰にでもできることではない。

「此度の戦は、日向を得る事が肝要。
 ならば、今は島津という蝿を潰すより追い払うのみで構わぬ。
 まず高城を落とし、財府城に諜略をしかけよ」

 自分の立場を良く分かっている戸次鑑連この軍議を冗談にて終わらせた。
 それがある種の自虐に聞こえるのは、既に自分の知る戦とは違うと彼自身が知っていたからに他ならないのだが。

「そこから先は、姫様の戦よ」

 と。




 美々津で戸次鑑連が島津軍の行動を看破してみせた頃、島津義弘は高城を目指し穂北城を囲んでいた。
 
「山田有信。
 そなたにはつらい任務を頼まねばならぬ」

「なんの!
 これぞ家の誉れ。
 はっきりと言ってくだされ。
 高城にて死ねと!!」

 島津義弘の悲痛な顔に、山田有信は笑ってその命を受けた。
 かつて、薩摩・大隈・日向の太守だった事もあって、島津家はそれなりに日向の土地勘を持っていた。
 同時に、雪崩をうって寝返った伊東家の諸城からの情報もしっかりと集めて、高城の重要性を看破していたのである。
 高城が落ちない限り、大友軍は大兵で高城川を渡れない。
 それが分かっていたからこそ、島津軍も強引な北上を続けていたのだった。
 できる事なら、全軍を持って高城に向かいたかったが、三納城と穂北城が靡かない以上危険を犯すわけにはいかなかった。
 彼が率いる兵は日向方面に島津が回せる全ての兵力なのだから。
 とはいえ、高城に島津の旗を立てたい。
 結果として、穂北城を囲んで城兵が打って出る事を防いで、少数の兵を高城に派遣する事しかできなかったのである。
 その数たったの五十人。
 一騎当千の兵とはいえ、二万の兵に囲まれかねない高城に送るにはあまりにもすくない兵である。

「で、それがしは何時死ねばよろしいか?」

「できるだけ遅く。
 我等が退くだけの時を稼いでほしい」

 既に大筒の運用を始めている大友軍に対してそれがどれほど無謀な命令であるか、島津義弘はいやというほど分かっていた。
 大友軍が損害を省みずに強攻すれば、一日持つかどうかと島津義弘は判断していたのだから。
 それを知らぬ山田有信ではない。
 己を含めて将兵を死地に送る命を受けた者として当然の質問をあえて山田有信は問いかけた。

「一つだけお聞かせくだされ。
 それがしの死が島津の勝利に繋がるのでしょうか?」

 島津義弘はただ頷いただけだったが、それで十分だった。
 島津義弘の顔は揺らいでいない。
 島津義弘は島津の勝利のために、山田有信とその手勢を死地に送り込むのだと。
  
「ではこれにて。
 殿の勝利、三途の川より見守らせていただきまする」

 山田有信と入れ違いに島津家久で陣中に入る。
 兄が何を命じたのか察したが、それを言う感傷も時間も今の家久は持ち合わせていなかった。

「兵糧を全てかき集めて送っている。
 事を終えるのに急いで三日という所か」

 大友軍が急進するなら、都於郡城や佐土原城まで届く日数である。
 山田有信には最低でもそれだけの時を稼いで貰わねばならなかった。
 彼がそれだけの時を稼ぐ事を信じて、島津義弘は弟である家久にその命を告げた。

「夜陰に紛れて、兵を退くぞ。
 大友を、珠姫を蟻地獄に誘い込む」

 穂北城より分派した山田有信の手勢は、寡兵ゆえに大友軍より先に高城入場を果たす。
 篭城準備をしていた野村蔵人佐は、この寡兵を城門前まで出迎えるという厚遇にて出迎えた。
 篭城側にとって少ないとはいえ援軍の存在は、指揮を高める上で影響が大きかったからである。
 海手側より大友軍先陣が高城に迫った時、高城にはためく島津の「丸に十字」の旗に大友軍は進撃を停止。
 同時に、島津軍が後退する報告が届いて、予定通りに石の城および松山に付城を築いて長期戦の構えを取ったのである。

 結果、高城は攻められる事も無く、一週間という時を稼ぎ出したのだった。



 その報告は山田有信が高城に篭って一週間、大友軍がこれから高城を攻める時に飛び込んできた。

「相良軍が肥後国大畑にて島津義久率いる島津軍と戦い大敗。
 相良軍総崩れ。相良義陽討死」

 の急報が。



[16475] 南海死闘編 第十六話 日向侵攻 大畑合戦
Name: 北部九州在住◆69dd1406 ID:e408aabc
Date: 2010/08/01 15:18
 基本的に長期戦を想定していた大友家勢力の中において、相良家が何故突出したのかといえば彼らには突出する理由があったからに他ならない。
 今回の日向遠征における実質的な総司令官である珠姫はまったく気にしていなかったが、相良家は彼らから見ればお家取り潰しの危機に瀕しているように見えたのである。
 まず第一に、鳥神尾合戦時の『決して攻めるな』という珠姫の命を無視した無断突出による惨敗とその復旧支援。
 この時点で相良家は既に珠姫に頭が上がらなくなっていたりする。
 にもかかわらず、第二の失態として木崎原合戦時の後詰の無断撤退。
 あげくに肝心の伊東軍が壊滅的打撃を受けるというおまけつきで、島津に一撃与えて無事に帰還してみせた一条派遣軍と比べてもその差は歴然としている。

「あんたら何やっていた?」

 と、珠姫が突っ込めばまったく言い逃れできない大失態をやらかしている。
 そしてとどめとなったのが、その木崎原合戦に兵を率いて出陣していた佐牟田常陸介の寝返り。
 仏の顔も三度までというのならば、これ以上なく相良家はアウトであった。
 そして、これら全ての事について珠姫が何も言ってこない事が、相良家家中の疑心暗鬼を更に深める結果となったのである。
 珠姫がお飾りの大将で何も言わないのならばそれはそれなのだが、彼女は秋月や筑紫、原田や宗像等の筑前国衆を容赦なく粛清した過去をしっかりと持つ、大大名大友家の次期後継者である。
 ただでさえ、肥後は相良家や阿蘇家という国衆の力が強くて、大名独裁を目指している大友家といえども刺激する事無く尊重する路線をとっているだけに、このまま失態を続けている相良をほおって置くほど甘くは無い。
 下手すれば粛清の果てに取り潰しという未来だってありえるのだった。
 それを、相良義陽をはじめとする相良家の一同が理解していない訳が無かった。
 そして、そんな心理状態を島津歳久は読みきっていたのである。


 地理説明


 相良家 白
 島津家 黒


        人吉城
         凸


            大畑城
             凸

     久七峠        堀切峠(加久藤峠)
      ▲          △
 

 大口城            加久藤城
  ▲              ▲



 人吉における相良家の対島津国境というのは二つあって、一つは薩摩国大口に繋がる久七峠から人吉に入る道。
 もう一つは、堀切峠(加久藤峠)を通って、日向国加久藤に抜ける道である。
 で、この二つの道が交わるのが人吉であり、久七峠と堀切峠の間には険しい険しい九州山地が横たわっていた。
 この二つの峠を守備していたのが相良家一門衆である佐牟田家だったのだが、勇将の誉れ高い佐牟田長堅が暗殺され、佐牟田常陸介が寝返った事で、島津家は久七峠を押さえて人吉に攻め上がる道を確保したのである。
 大口城から兵を率いて、寝返った佐牟田家一党まで配下に収めたこの攻め手の大将は島津以久で、島津義久にとっては叔父にあたる。

「久七峠を確保できたのは、佐牟田家一同のおかげよ。
 このまま先陣を任せるゆえ、島津の為に更なる武功をあげてもらいたい」

 峠の頂上に築かれた陣地内で、島津以久が佐牟田常陸介を諸将の前で褒め称える。
 こうやって寝返った国衆を満座で褒め称えるのは政治的パフォーマンスでしかないが、兵力が絶対的に不足している島津家にとって、彼が率いていた五百近い兵数というのはそれだけの功績でもあったのだ。
 ちなみに、この久七峠にいる島津軍はこの佐牟田家の手勢を合わせても千人しかない。

「ありがたき幸せ!
 このまま人吉まで我らが先導する所存で。
 狙いは水俣ですか?」

 佐牟田常陸介も後が無いだけあって必死である。
 もっとも、この地にやってきた島津軍の数を見て落胆したのは秘密だが、相良と島津の因縁の地である水俣に大兵を出していると言われれば納得せざるを得ない。

「いや、貴殿の力を存分に活かせる戦場を用意した。
 それは……」

 島津以久はもったいぶった口調でその土地の場所を告げた。
 もっとも、島津以久も島津歳久からその場所を教えられただけだったのだが。



 水俣方面は島津軍は島津義虎と新納忠元率いる三千の兵が攻め寄せており、実は各地に派兵している島津軍の中でも一番兵を集中させていた。
 そのため、

「これが島津の主力では?」

 の声が大友側から出ては消えていたりする。
 もっとも、

「兵ではなく、将。
 島津四兄弟が率いているのが主力に違いないわ」

 という珠姫の強引な主張で、日向に大兵をかき集めているのだが。
 とはいえ、最前線たる水俣を軽視していた訳でもなく、水俣城包囲の急報に隈府鎮台の志賀鑑隆と阿蘇家の甲斐宗運がそれぞれ兵を千ずつ率いて南下中だし、相良家自体も人吉から千程度の兵を水俣に送る事を検討していたのである。
 だが、久七峠陥落という急報に相良軍の動きが止まる。

「久七峠の兵がこのまま人吉に押してきたら……」

 ここで相良家の領地の特殊事情が出てくる。
 本拠地人吉と現在救援を求めている水俣の間には祝坂峠という難所があり、水俣まで兵を出してしまったら戻るのにえらく時間がかかるのだ。
 そればかりではない。
 人吉と水俣の両方が狙われた事で、相良家に向かった後詰も二分され、甲斐宗運の手勢が人吉に向かう事に。

「今の島津に人吉を突く兵は無い」

 と、甲斐宗運は見切っていたのだが、政治がそれを許さない。
 一門でもあった佐牟田家の離反は、相良家内部の国人衆の動揺を誘っていたのである。
 同盟国である阿蘇家の後詰は、相良家内部の動揺を抑える効果を狙っていたのだった。
 同時に、水俣に大友家評定衆でもあった志賀鑑隆をそのまま向かわせたのは、これ以上の失態を大友家に見せたくなかったという裏事情も存在していた。
 水俣城を守るのは犬童頼安で、寡兵ながらも城を守り島津軍を寄せ付けなかった。
 ちなみに、新納忠元と、

 夏風にみなまた(水俣)落ちる木の葉かな (新納忠元)
 よせて(寄せ手)はしづむ月のうら波   (犬童頼安)

 なんて歌合戦をやっていたりするのだが、後詰を待つ相良軍と兵を失いたくない島津軍のある種弛緩した空気がこの状況を作り出したといえよう。



 水俣方面がこんな状況だから、必然的に焦点は人吉に移る。
 久七峠の島津軍を追い払えたら、人吉の相良軍を水俣に送る事ができ、島津軍を押し返す事ができる。
 人吉にいる相良軍の兵力は二千。
 後詰にやってくる阿蘇軍千と合わせたら三千で、強攻すれば落とせない訳ではない。
 かくして、出陣準備をしていた相良軍にその報告は飛び込んできた。

「堀切峠(加久藤峠)に島津軍数百!
 島津義久自らの出陣です!!」

 第三者的に見れば『罠だろ』と見え見えなのだが、それは相良軍も理解していた。
 とはいえ、既に大失態を三度も繰り返し、肥後戦線を危機的状況に追い込んだのは相良の自業自得である。
 だが、ここで島津軍の総大将である島津義久を討ち取る事ができれば、逆転満塁ホームランの大金星。
 その誘惑に、相良軍首脳部が勝てなかったのを誰が攻める事ができるだろうか。

「今ここで島津義久を討てば、全ての失策を帳消しにする事ができますぞ!」

 丸目長恵が出陣を主張する。
 実際、彼は珠姫に会っているだけにその危機感は強い。
 かの姫の剣は恐れる事は無いだろうが、あの姫は剣を持たない方が怖い。
 その方向に彼自身が諭しているだけに、現在の相良家のどうしようもない失態続きに焦っていたのだった。

「されば、こちらに向かっている阿蘇家の軍勢と合わせて……」

 深水長智が堅実な策を提案するが、丸目長恵はそれに対して首を横に振る。

「我等だけで手柄を取るべきです。
 阿蘇と手柄を山分けしたら、それまでの失態に対して弁明する事になりかねぬ」

 ちなみに、相良家の外交担当は本来は深水長智の方だったりする。
 彼が大友への支援要請の全てを取り仕切っていれば、珠姫の思考や意図、その構想から相良に何かするとは考えない事が分かっただろう。
 だが、鳥神尾の大敗から背後に当たる阿蘇家との交渉と支援を確実にする為に、彼は阿蘇家に出向いていた。
 だから、丸目長恵が何故焦っているのかが彼には理解できない。

「島津義久がこちらに出向いただけで、大友にとっては朗報だろう。
 そのまま動向を見張りつつ、久七峠を奪い返し、水俣を守りきれば何も問題は無い」

「それで、相良が秋月よろしく大友に潰されたらどうするつもりだ!」

「そもそも、大友が我等を潰すと何故考える?」

「ならば、尋ねろというのか!
 『失態続きのわれらの家を潰す考えがおありか』と!!」

 軍議の席でみの二将の意見対立が、そのまま主戦論と持久論に成り代わって真っ二つに割れる。
 それぞれに言い分があるだけに、まとめるべき相良義陽自身も迷いに迷って結論を先延ばしする始末。
 双方にしこりを残したままの散会となり、ただでさえ佐牟田常陸介が寝返った動揺が収まっていない中、この結論先延ばしは最悪の結果を導き出す。

「なんだと!」

「はっ。
 丸目長恵とその手勢が人吉を出て、大畑城に向かっております!!」

 丸目長恵の単独出撃にあわてる人吉城内。
 このまま見捨てる訳にもいかず、相良軍は否応無く全力で出撃せざるをえなかった。

「深水長智。
 後を頼む」

「はっ。
 甲斐殿にはそれがしから事の次第を伝えておきます故。
 御武運を」

 こうして、相良軍二千は自ら島津歳久の罠に飛び込んだ。
 

 
 相良軍、大畑城に到着。
 丸目長恵が無断出撃について詫びるが、それを相良義陽が許したのは、彼を粛清すると佐牟田常陸介離反から始まった国衆の動揺が致命的になると考えたからに過ぎない。
 半ば罰にも等しい先陣を丸目長恵に命じて、堀切峠(加久藤峠)に到着した相良軍が眼下に見下ろした島津軍の旗ははるかに多かった。いや、多すぎた。
 数千、下手したら万に届きかねないほどにはためく島津の『丸に十字』の旗を見下ろして相良義陽と丸目長恵は苦虫を潰したような顔で叫ばすにはいられなかった。

「しまった!
 偽旗に騙されたか!!」
 
 堀切峠の南に位置するはあの加久藤城。
 佐牟田常陸介が偽旗で逃げ帰ったあの木崎原のある真幸院である。
 明らかに多すぎる偽旗にそう考えてしまうのも無理はない。
 ときの声は聞こえてくるが、木崎原では農民が叫んでいた事は相良家でももう掴んでいる。
 では、ここにいるはずの島津軍は何処にいる?
 真幸院の隣は大口である。
 そして、大口からは島津が占拠した久七峠を経て人吉に繋がっている。
 とどめに、まだ阿蘇軍は人吉に到着していない。

「まずい!
 久七峠の手勢が人吉を突く!!
 急いで戻るぞ!!!」

 急進撃、急撤退で兵が消耗しない方がおかしい。
 大慌てで、撤退を開始する相良軍にときの声だけでなく銃撃が轟く。

「なんだと!?」

「堀切峠の関所が島津に攻撃を受けています!!」

 最初に正しい情報を与え、実際に見えるのは偽旗で膨らませた姿。
 ならば、必然的に騙された事を悟り、彼ら自身が勝手に彼らが取られたらまずい最悪の手を考え付くだろう。
 そして、撤退する所を偽旗の下に潜んでいた兵で急襲する。
 島津歳久会心の策だった。

「逃げるな!
 島津の兵は少ない!!
 押し戻せ!」

 峠の山頂という有利な地形なのに、相良軍は島津軍に押され続ける。
 謀られた事実と木崎原での島津軍の幻想が消耗しきった相良軍に心理的衝撃として伝わり、何よりも久七峠の島津軍に人吉を突かれる恐怖に相良軍は恐慌状態に陥いる。
 険しい山の中の峠で恐慌を起こした相良軍が、総崩れになるのに時間はかからなかった。

「ここはそれがしが殿を!
 はやく殿を落ち延びくだされ!!」

 島津の足軽を次々と切り倒して丸目長恵が叫ぶ。
 凄腕の剣豪といえども、銃弾飛び交う戦場で戦局が戻る訳も無いが、総崩れを防ぐ程度の活躍はしていた。

「すまぬ。後を頼む。
 引け!!」

 丸目長恵の手勢を残して相良軍が撤退する。
 だが、島津軍は殿となった丸目長恵の手勢に追撃をかけず、矢弾を放つのみで襲ってこない。
 その為になんとか丸目長恵とその手勢は生き残ったがその理由は大畑城で明らかになる。

「大畑城に島津軍が!」
「こっちに向かってくるぞ!!」
「やつら何処から現れたんだ!!!」

 実は大畑近辺で久七峠からの道と堀切峠の道が繋がっていたのだった。
 獣道程度だが、軍が通れない事も無い。
 そんな地の利を佐牟田常陸介とその手勢は持っていたし、大畑城は対島津の最前線だけあって、佐牟田の手勢も詰めていて顔見知りも多かった。
 そして、鳥神尾の大敗で主戦力を失っていた相良家では大友の支援で傭兵を大量に雇用していたが、彼らは基本的に勝ち馬に乗る。
 久七峠から来た島津軍は人吉ではなく最初から大畑を狙い、出できた相良軍を叩く作戦だったのである。
 堀切峠から逃れてきた相良軍にこの攻撃を支える力は残っていなかった。

「早くお逃げを!」

 必死に敵の攻撃を支える旗本の叫び声を、相良義陽はただ首を横に振って拒否した。
 ここで大敗し彼自身の首が取れたとしても、それはそれでよし。
 今までの大失態に自ら責任を取ったと言い訳するように深水長智に既に諭している。
 そして、ここに島津軍が来たという事は人吉を攻めない事を意味し、今から押し出したとしても盟友である甲斐宗運の手勢は人吉に入った後。
 肥後での大名としての地位は失うかもしれないが、少なくとも取り潰しだけはなくなったと、妙な安堵感と共に眼前に広がる修羅場を人事のように眺めていたのだった。

(たしかに、この戦は島津の勝ちだ。
 だが、人吉に家を残した我等の勝利ぞ……)

 相良義陽の首が飛んだ時、彼は床几に座ったまま笑っていたという。


大畑合戦

兵力
 相良軍   相良義陽・丸目長恵        二千
 島津軍   島津義久・島津以久・佐牟田常陸介 千数百

損害
 千(死者・負傷者・行方不明者含む)
 寡少(死者・負傷者・行方不明者含む)

討死
 相良義陽(相良軍)



 大畑合戦の後、島津軍は大畑城を捨てて久七峠と堀切峠に兵を戻す。
 総大将討死にという異常事態に混乱している相良家に、悠々と撤退する島津軍を追撃する事などできる訳が無かった。
 とりあえず、甲斐宗運と深水長智の協議の結果、相良義陽の弟である相良頼定が後を継いだが、その代償として水俣を含めた葦北の地全部を大友に献上する事に。

「何であんな最前線を貰わなきゃならないのよ……」

 と、壮絶に頭を抱え込んだ珠姫だが、過去の大失態など気にせず(というか、相良の考え過ぎなのだが)に相良頼定が後を継ぐ事を承認したのだった。
 なお、これらの処理の最中に勝手に突出し大敗の原因となった丸目長恵は領地没収の上相良家を退去し、剣聖上泉信綱の元に修行に行くのだがそれは別の話。
 肥後情勢の悪化に伴い、珠姫は即座に日向遠征軍の後詰としていた吉弘鑑理率いる日出鎮台三千を肥後に急派。
 現役加判衆を送り出す事で、肥後の動揺を押さえようと躍起になっていた。
 これらの手配を終えて、珠姫自身が率いる本陣がついに日向に出陣。
 負け続きの戦にけりをつけるべく、自ら日向に乗り込んできたのだった。
 それを島津歳久が狙っている事をあえて承知の上で。


 
 日向 美々津

「姫様の本陣が到着……なんだあれは?」
「毛利の水軍衆!?
 何でこんな所に……凄い数だ……」

 毛利水軍の船に翻る赤旗の杏葉――後に赤札杏葉と呼ばれる――を眺めながら、珠姫丸の上で珠姫は証文の束を海に投げ捨てる。
 
「本当は、あんたらの借金消したくないんだけど、なりふり構ってられなくなったから。
 期待しているわよ。
 鍋島信生」



 こうして、南九州全域で行われていたこの戦はついに佳境を迎える。



[16475] 南海死闘編 第十七話 日向侵攻 島津四兄弟の思惑
Name: 北部九州在住◆69dd1406 ID:e408aabc
Date: 2010/08/07 20:42
「忠平。もう一度木崎原ができると思うか?」

「無理ですな。
 あの場には大友の援軍がいた。
 その援軍に我等は手も足も出なかった以上、次に木崎原で躯を晒すのは我等島津でしょう」

「ならば、頭を下げるか?
 今ならば、竜造寺よりはましな座を用意してくれるだろうよ」

「何だ。何だ!
 兄上達や家久までしょんぼりとして、戦はこれからですぞ!」

「ご苦労だった。歳久。
 大隅の方はどうだ?」

「おとなしくはするでしょうが、兵として使うのは難がありますな。
 ですが、こたびの戦は今までと比べて格段に楽でござるな。
 何しろ、ただ一人を相手にすれば良いのですから」

「歳久。
 何を考えている?」

「説明してくれるのだろうな。歳久」

「たいした事ではござらぬ。
 大友珠姫一人討ち取ればこの戦は終わると考えたまでの事」

「歳久兄上。
 かの姫は大友の大兵に守られて、とても手が出せぬではありませぬか」

「だから、その大兵から珠姫を引き剥がしてしまえば、珠姫は間者一人で討ち取れると言っておるのだ」

「「「!!!」」」

「歳久。
 どうやって、かの姫を守る兵を引き剥がす。
 かの姫の兵は十二単より分厚いぞ」

「守っていては、大兵に押し切られます。
 ゆえに、こちらから攻める事が必要」

「日向でか?」

「肥後でもですよ。
 忠平兄上。
 相良は鳥神尾と木崎原の失態で大友に弁明せねばならぬ立場にある。
 誘って叩くには格好の相手」

「では、肥後を主戦線にするのか?」

「いえ。殿。
 叩くのは退く為。
 水俣・大口につけている兵を下げる為に、相良を叩くのです。
 これで二千程度の兵が確保でき、大友は肥後に後詰を送る為に、かの姫の薄絹数枚程度を剥ぎ取る事ができましょう」

「かの姫は日頃裸を周知に晒しているのに、いざ脱がすとなると大変だな」

「それは世の女全てにおいて言える事。
 忠平兄上。
 兄上は家久を連れてできるだけ日向の奥まで攻めてくだされ」

「遠くって……歳久兄上。
 もう少し具体的に言ってくださると助かるのですが……」

「……そうだな。
 大友が大兵ゆえに、足を止めるとそのまま居座ってしまうあたりまでかな」

「よけいわかりませぬ。歳久兄上」

「できるだけ長く大友の大軍を日向の地に留めさせるのだ。
 大兵ゆえ、一度止まれば士気は緩み、警戒はいやでも薄くなる。
 で、忠平兄上と家久は攻め取った地で乱捕りをして、できるだけ多くの民を大友側に追い立ててくだされ」

「民を追い立てるの……何故止める!忠平!!」

「殿。
 今のままでは、大友に負けるは必定。
 にもかかわらず、歳久は策があると言うのです。
 それが外道であれ、お家の為ならば最後まで聞くのが主君のつとめでござろう」

「……悪かった。忠平。歳久。
 続けてくれ」

「追い立てられた民に間者を紛れ込ませて、珠姫の命を狙わせます。
 そして、それを失敗させるのです。
 わが方の別の間者によって」

「見えてきましたぞ。歳久兄上。
 策の最初に間者を忍び込ませ、その間者に功績を立てさせて珠姫の信を得る策ですな。
 たしか、忠平兄上は木崎原の前に一人女間者を杉乃井に放っていたはず。
 それを使うのですな」

「そのとおりだ。家久。
 日向で派手に動き耳目を集めている間に、肥後の相良を叩いて目を逸らさせる。
 その後、兵を日向に集め、乱捕りで民を追いたてて大友に、かの姫にその全てを応対させる。
 間者に狙わせてそれを防がせれば、島津の策は尽きたと考えよう。
 そこを狙う」

「そううまくいくものか。歳久」

「ですな。
 とはいえ、ここまでは姫は乗ってくるでしょう。
 退く事で日向南部に空白ができ、民が逃れるほど乱捕りし尽くされた以上、日向を征服しに来た珠姫はその後の回復という民の掌握の機会を逃すまい。
 それゆえ、間者の潜入とその失敗までは確実に乗ってきます。
 ここから、姫を迷わせまする」

「迷わせるだと?」

「いかにも。殿。
 かの姫が佐土原に入ったという事は、真幸院以外全て大友に取られた状態になると考えてくだされ。
 そうなった時、かの姫には二つの道がある。
 真幸院を攻めて戦を終わらせるか、大隅に入って島津を滅ぼすまで戦を続けるかです。
 そして、かの姫は島津を滅ぼす戦は考えていない」

「歳久兄上。
 何故そういい切れるのです?」

「かの姫の此度の戦の目的が日向だからだ。
 日向のみ、しかも落ち目の伊東家だからこそ博多の商人どもは銭を出している。
 これが、島津征服に変わるならば、銭を出し渋る所がでるだろうよ」

「その理由を聞かせてもらっていいか?歳久」

「簡単な事です。忠平兄上。
 あなたが、木崎原で信じられない勝利を収めたからに他なりませぬ。
 あれで、博多の商家のかなりが没落したと聞く。
 それだけの事を忠平兄上はやってしまっている。
 たとえ、かの姫が大兵といえどもそれがかの姫を縛りまする。
 あの姫は『姫の皮をかぶった商人』であるゆえ、丁半博打に全財産を賭けるようなことは絶対にしない。
 たとえ、その目に細工がして姫の言い目が出るにしても。


 これが、それがしがかの姫だけを相手にすればいいと言い切る最大の理由です」


「……」

「……」

「……」


「かの姫については分かった。歳久。
 では、実際の大兵にはどう立ち向かう?
 間違いなく、大将に戸次鑑連が名を連ねているぞ。
 あれにどうあたるつもりだ?」

「それは忠平兄上や家久が考えてくださいよ。
 戦場では何が起こるかわからぬゆえ。
 まぁ、この様に戦が進むならば楽なのですがね。
 万が一、いや、億が一もないですな」

「ふん。
 那由他の果てでもいい。あるのならば十分だ」

「なるほど。
 我等に分からぬ理ならば、我等に分かる理まで持ってくれば良いか。
 さすが兄上」

「いいだろう。
 その可能性に賭けようではないか。
 その時のかの姫の顔が楽しみだ。
 歳久。
 ついでに尋ねるが、お前の策が破れ、兵にて決戦を挑む事になった場合、何処で槍を合わせればいい?」



「ここまで聞いておきながら、それがしにそれを言わせますか?
 霧島があるおかげで大隅に兵を進めても、薩摩に入る前にかの姫の兵を捕らえられます。
 そして、戦を終わらせるのを考えるならば、集った島津の手勢を絶対に姫は放置できませぬ。
 さらに、日向南部の乱捕りで大兵を率いる大友は否応なく飢え、一揆の心配をせねばならぬでしょうから兵を分けざるを得ない。
 だから、大友の最精鋭、おそらく戸次鑑連が大将の手勢が来る事になるゆえ、地の利は絶対に必須。
 ならば、ここしかございませぬ。



 日向国 真幸院 木崎原



 もう一度、がんばってくだされ。忠平兄上」



[16475] 南海死闘編 第十八話 日向侵攻 美々津オンステージ
Name: 北部九州在住◆69dd1406 ID:e408aabc
Date: 2010/08/18 04:06
「よせて! あげて!」


「よってないぞ~」


「誰じゃぁぁぁぁ!
 今、言うたやつは誰じゃぁぁぁ!!」

「鶴姫様おさえて!おさえて!!」

 なんだか舞台の上で修羅場中ですが珠です。
 ちなみに、鶴姫センターで、私と恋の三人で、

『鶴姫罰ゲーム慰安ツアー 爆乳音頭コンサート IN美々津』

 を絶賛開催中。
 この歌なのに、鶴姫がセンターな時点で、足軽の突っ込みは想定どおり。
 この歌は本当にひん……いや、つるぺっ……いや、慎ましい胸をお持ちの方にとって板板……げふんげふん。痛々しいらしく、現在激怒な鶴姫を恋が必死に抑えているあたりで将兵達の大歓声が。
 私は指差して笑っているのだけど。
 まぁ、どこかのフルフラットな鉄壁武将を敵に回したようだが、こっちには居ないから問題ないはすである。
 あのお方、場合によっては軍神持ちだから敵に回すと怖い怖い。
 ……既にその胸で喧嘩を壮大に売っているのはあえて言わない方向で。
 何でこんな事をしているのかというと、鶴姫がやらかしてくれた毛利水軍の南蛮船投入という事態に激怒した私が、げんこつぐりぐり攻撃で腹の虫が納まらなかったからである。
 ちなみに、その時のゲキド・オブ・タマの行動は、

 府内より珠姫丸で出港。
 翌日博多到着。鶴姫げんこつグリグリ。鶴姫を連れて博多出港。
 その翌日広島到着。毛利輝元とOHANASHI。
 次の日小早川隆景到着。毛利水軍借受。
 その三日後、毛利水軍府内到着。
 それからまた三日後、大友軍を乗せて美々津到着。

 という神速ぶりを発揮。
 もっとも、激怒した私が船が崩壊しないぎりぎりの所で、神力で風を吹かせまくっていたというのがあるのだが。



 回想シーン IN 博多

「あわわわわわ……ど、どうしたのじゃ!?
 そ、そんなに怖い顔をして?」

「ふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ。
 鶴りん。ちょっとお話しようか?」



 回想シーン IN 広島

「お、おおおおおおおおおお、叔母上!?
 ど、どどどどどどど……どうしてこちらに?」

「ふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ。
 TERU。ちょっとお話しようか?」


 三原から小早川隆景がすっ飛んで着た時に彼の目に映っていたのは、

「ガクガクブルブルゴメンナサイナノジャァァァァ……」
「ァハハハ……ホシガ……ピカットヒカッタンダ……」

 何でか空ろ目で、壊れたカセットテープのごとく謎の言葉を吐き続ける二人だったそうな。
 ちょっと、チートじじい毛利元就ゆずりの長文説教独演会(白雪先生+メガネ(友引高校ラムちゃん親衛隊隊長)アレンジ)を朝まで聞かせてあげた(鶴姫は博多でもやったので二回目)だけなのに。



 毛利元就ゆずりの長文説教独演会(白雪先生+メガネ(友引高校ラムちゃん親衛隊隊長)アレンジ)の一説

 私達末法の世に生きる煉獄の家である大友と毛利は、共に手を携えて生きねばならないのです。
 たとえ、互いの手が血に染められてその衣が汚されようとも、比翼の鳥となった我等は離れる事ができぬゆえ、痛みも共に味わうほかない。
 しかし、それゆえに愛は、互いの体を越えて魂に届く真理の言葉は必ず届いて、私達を更なる高みに導いてくれるのです!!
 ああ、天下よご照覧あれ!!
 西海に咲いたこのささやかな果実、大友と毛利が築いた平和という儚い幻想は、こうして私達の心に魂に末法というこの戦国の世に対する反逆として燦然と輝き続けるのです!!!
 にもかかわらず、あなたたちが起こした行いは大事に至らなかったとはいえ、罪の果実を口にするに等しい愚かで無垢な行為!
 私はこの西海の幻想の守護者として貴方達の行為を咎めるつもりはありません。
 それは、その幻想が分からぬ事を理解していなかった私の罪でもあるのです!!!
 悲しまないで鶴姫。
 恐れないで輝元。
 人は間違いを犯す者。
 生きる事、それだけで修羅となるこの戦国において、聖者は隠棲し愚者が哂うものなのです。
 大事なのは、その間違いを正す勇気を持つこと。
 そして、笑って明日を受け入れる事なのです。
 私も己の愚かな行為を消えることの無い心の傷として刻み、笑って貴方達と共に明日を飛びたいのです!!!



 うん。
 そろそろ限界。
 正直、私が空ろな目で笑いたかったぐらいダメージが。が。
 なまじ、姫様や殿様ってのを説教するのは色々と大事になるとはいえ、一応『何を言っているか良く分からないが、とにかく怒っているらしい』と周囲に認識させたのでよしとする。
 身振り手振りは某関西の歌劇団アレンジで緩急をつけて、会話の静動を印象付けで歌って踊るがごとくの説教に、周りの従者も悶絶中。
 というか、一番悶絶したいのは私だって言うのに……やっている最中は自己陶酔の中二病が悪化してノリノリだったのだが。   
 で、小早川隆景到着後の後始末時に後ろに控えていた連中が笑いを堪えていたのは、まぁ、見なかった事にする。 

「で、姫様はこの一件のあとしまつをどうつけるおつもりで?」

 探りを入れる小早川隆景だが、表面上は実に穏やかである。
 あれだけの醜態を見ても笑いも嘲りもせずに何事もないように本題に入るあたり、さすがチートじじいの血を引く毛利の柱石である。

「どうしようかしらね~
 とりあえず、『私が激怒して広島にすっ飛んだ』ってのが大事だから、粗方終わっているのよね~」

 以外にこれが馬鹿にならなかったりする。
 人間関係ってのは、『何処で怒るか?』ってのが大事で、その沸点が分からずに双方致命的な所に手を出して破局ってのは結構多い。
 だから、こうやって取り返しがまだきくあたりで、互いの基準点みたいなものを設定しておく必要があるのだ。

「……」(我に戻ったけど、何か言いたそうに口をぱくぱく開く鶴姫)
「……」(我に戻った私を見て、さっきまでのあれはなんだったのかと大混乱中で目をぱちぱちさせる輝元)

「二人とも、何か言いたい事があるの?」

「「いえ。何もありません」」

「よろしい」

 当分はこれで安泰だろう。
 とりあえず二人はそのまま無視して、私は小早川隆景に探りを入れてみる。

「こっちに戻ってきたって事は、宇喜多直家への根回し終わっている訳ね。
 で、彼いつ寝返るのよ?」

 あ、事情を知っているらしい毛利輝元が後ろでビクッってしやがった。
 カマかけ大成功である。
 こっちの視線が輝元を捕らえていたのに気づいた小早川隆景が一つため息をつく。
 かわいそうに。
 私が帰った後、もう一幕説教だろう。

「浦上支援で播磨に兵を入れた織田が、上月城を落とせずに兵を引いたのはご存知で?
 先ごろ、美作岩屋城が落城。
 戦の焦点が津山に移っており、ここも近く抜く事ができるかと。
 そうなれば、備前に侵入する事は容易。
 既に人質も預かっております」

 手が早いな。小早川隆景。
 そこまで決まっているなら浦上の崩壊は決定事項だろう。
 では、それを前提にお願いしてみましょうか。

「宇喜多が寝返るならば、そっちの水軍が浮くわね。
 今、日向でやっている戦で船が足りないから出してよ。
 お代はちゃんと払うから」

 何を鳩が豆鉄砲食らったような顔してやがる。
 元凶の鶴姫に輝元よ。
 あんたらがやらかしてくれたポカをフォローする為に決まっているでしょうが。これ。
 ただでさえ、南蛮船を戻したおかげで日向戦は船が足りなくて、後詰が送れない状況になっているというのに。

「それで、南蛮船をいくらご入用で?」

 さすが小早川隆景。話が速い。
 狙いが毛利の南蛮船である事を見抜いてやがる。

「そっちも始めたばかりでしょうから、言を翻すのは差し障りがあるでしょ。
 一隻はそのまま商人どもに貸して、残り二隻をこっちに回せないかしら?
 後は、伊予・安芸・周防・長門あたりの空いてる船はまとめて持って行きたいわね。
 どうせ、塩飽水軍には話通しているんでしょ?」

 じっと私を見つめる小早川隆景の顔にふっと笑みがこぼれる。
 大友と毛利の同盟継続に日向戦における毛利水軍派遣は、これ以上無い政治的メッセージである事に気づいたからだろう。
 しかも、毛利水軍徴用で毛利に金が入るという利もある。
 もちろん、大友にも利はあって、博多・門司―堺の南蛮船航路の船数は大友三隻に対して毛利一隻となり、ドル箱は大友が寡占状況を維持できる。
 そこまでこっちの狙いを見抜いての笑みである。

「姫様にはかないませぬな」

「次は無いと思いなさい。
 まぁ、頭がサシで話すならば、聞く耳は持つからそのつもりで」

 次に何かやらかしたらそっちが府内にきやがれと言下に言い含めて、私と小早川隆景は互いの手を握る。
 これで、南蛮船は六隻となり、更に他の船でなんとか当初計画どおりの兵給が確保できる。
 安堵のため息を吐いた私にその声が聞こえてきたのは、そう言う運命なのだろう。きっと。

「あ!
 もしかして、伯母上のお怒りの原因は、先に送った文にあったのでは?」

「そうなのか?珠姫よ?」

 TERU。
 てめぇ、そのまま正座で小早川隆景の説教オンステージ追加。




 というわけで冒頭に戻るわけだ。
 わざわざオンステージをする為だけに、恋まで杉乃井から呼んだかいがあったというもの。
 大盛況でコンサートは幕を下ろしたのだった。
 で、現在麟姉さんと佐田鎮綱率いる十重二十重の護衛に守られながら陣幕慰問中。
 御大将自らの慰問が士気をどれぐらい高めるか知っているだけに、この手の行為は疎かにはしない。
 ちなみに、現在の大友軍は先陣が高城に出向いて攻城戦の準備をしており、第二陣がその高城に向けて出発する予定だったりする。
 ちょっと誤算だったのは、木崎原戦の功労者である雑賀衆が帰国を願い出ている事で、本国からの指示らしく契約延長ができなかった事である。
 まぁ、本陣が出張った事で、雑賀衆が抜けた分の火力は補えるので返す事にしたのだが。
 ちなみに、肥後国大畑の大敗の報告はこのあたりで届いており、即座に日向向けの後詰を肥後に送り、代わりに証文を破棄する事を餌に竜造寺家(というか鍋島信生)を召喚。
 こうやって本陣が到着した事で四郎もこっちに戻せる(後任は斉藤鎮実)し、四郎が戻ったら私・恋・鶴姫の三人で色々と慰労をば。
 四郎は飫肥の後詰という任務をしっかりとやりきり、更に伊東家従属に関するこちらの条件である『伊東帰雲斎の追放』と『伊東義祐の出家、隠居』をしっかり飲ませての帰還である。
 実に渋くいい仕事をする男になってうれしい限り。
 なお、伊東義祐と伊東帰雲斎の二人は共に出家して京にいる親戚にあたる一条家のお世話になる事に。
 もちろん、こちら側も彼ら二人に扶持を与えて生活が困らない程度の支援をするつもりだが。
 伊東家は飫肥城主だった伊東祐兵がそのまま継ぐことになり、現在の飫肥とその周辺五万石を安堵。
 とはいえ、日向三十万石の内二十万石近くを支配していた伊東家にとって1/4の大幅減である。
 木崎原からここまで落ちたかと嘆くべきか、そこまでして家を残せた事を喜ぶべきか、伊東家の心中は私には分かる訳が無い。
 これで、財府城が抜ける。
 とりあえず、あのあたりで島津と死闘をしなくてすむだけにほっとする。
 だが、気になる事が一つ。
 財府城が抜けるという事は、そのまま佐土原城まで押さえられるという事で。
 現在、穂北城まで迫っていた島津軍の行方が分かっていない。
 あいつら、何処で我々と戦うつもりなんだろう?

「姫様。こちらにおられましたか!」

 声の方を向くと、武者姿の戸次鑑連が同じく武者姿の由布惟信と小野鎮幸を連れてこちらに向かってくる。
 たしか、高城攻略に向かう準備で三人とも忙しいはずなんだが、何かあったか?

「何かあったの?」

 私の問いかけに、複雑そうな顔をした由布惟信と小野鎮幸を無視して真顔で戸次鑑連がその何かを告げた。

「松山砦の佐伯惟教より文が。
 南から次々と村を追われた民がやって保護を求めていると。
 聞けば、南は島津が乱捕りを重ねて食うに食えぬ状況。
 そして、島津自身が『大友側に行けば食える』と吹聴して回っているとか」

 その報告に足元がふらつき、そばに居た麟姉さんにもたれかかる。
 島津の奴等、焦土戦術をしかけてきやがった。


8/18 掲示板で指摘を受けた誤字を修正



[16475] 南海死闘編 第十九話 日向侵攻 日向丸ごとハウマッチ
Name: 北部九州在住◆69dd1406 ID:e408aabc
Date: 2010/08/18 04:33
「ひめさま~。
 お茶持ってきたよ。
 で、田原さまが『まだか?』って」

「ありがとう。知瑠乃。
 とりあえず、田原親賢には何かごまかしておいて」

「わかった!
 田原さまには『なにかごまかす』って言えばいいんだね!
 言ってくるっ!!」

「ちょっとまったぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 なんだか〆切前の作家のようなやりとりから始まっています。
 珠です。
 何が悲しゅうて、美々津くんだりにまできて、缶詰になっているのかと言いますと。
 島津がしかけてきた焦土作戦に対して、発生した避難民対策に頭を抱えていたのだった。
 戸次鑑連がもたらしたその報告に、奈落に落ちる感覚を味わいながら、次に沸いてきた感情は激怒だった。

 おーけー分かった。
 島津よ。
 あんた、誰に喧嘩売ったか、思い知らせてやる。



 その喧嘩、百億倍で買ってあげようじゃないの。



 で、島津がどうやっても勝てない銭でこの問題を解決する事に。
 さて、少し長くなるが、焦土戦術とそれにおける対策について話をしたい。
 焦土戦術というのは、防御側がその土地の家を焼いて食料を奪い、攻撃側にその土地の攻撃価値を失わせ、かつ利用させない戦術のことである。
 これを戦国時代なんかでやられると、難民が暴徒化して一揆が起きるわ、ただでさえ弱い兵給線が完全に崩壊するわとたまったものではないのだが、防御側も当然その土地の民からめっさ恨まれる諸刃の剣だったりする。
 島津とて、本国薩摩では到底できない戦術なんだが、外周部でまだ自分の領地でなかった日向だからやったという所か。
 ちなみに、今回の日向戦の場合だと高城川以南の占領地が不安定になるのでそこには兵力置かないといけないわ、兵給線破綻を避ける為に兵を帰国させないといけないわとやっぱりマイナス要因が即座に出るぐらいで。
 毛利水軍借受と後詰の吉弘鑑理率いる日出鎮台三千を戦線崩壊危機にある肥後の後詰に回した事で、今すくどうにかなる状況ではないのだが、高城川から南に兵を進めたら確実に泥沼にはまり込む。
 という訳で、避難民をまとめて日向から追い出す事に。
 美々津から船に乗せて、府内や門司・博多に連れて行って、そこで職を紹介させるのだ。
 もちろん、戦が終わったら日向に帰る事前提の話なのだが、あてもなく職を紹介できると言っている訳ではない。
 現在、私は最高のケインズ政策――戦争――をやっているのだから。
 豊後では日向向け荷駄の徴発で需要はうなぎのぼりだし、日向を制圧できたら日向復興事業が待っている。
 よしんば、この戦で負けても最悪台湾やルソンに送りつければいいし。
 ニューフロンティアが消滅した21世紀では色々と問題が顕在化していたケインズ政策だが、この戦国時代なら何処にでもニューフロンティアは転がっているのだった。
 では、流れてくる難民がどれぐらいなのか?
 それを計算してみよう。
 現在の伊東家が確保している領地は五万石で、約十五万石分の領地を島津が占領し、そこで略奪をしている事になる。
 石高計算では、基本的に一万石につき兵士二百五十人を供給できると言われている。
 そして、人口における兵士比率というのは5%が基本で、それ以上の徴兵は生産活動などの社会に悪影響を与えると言われている。
 で、これを当てはめるならば、

 250×15=3750
 全人口における兵士数5%=3750人
 =75000人

 この七万五千人が現在略奪を受けている地域に住んでいると思われる人口である。
 現在日向に送っている兵力の約五倍である。
 考えただけで頭が痛くなる人数だが、幸いにも彼らが美々津にまで来れるのならば、話は別である。
 美々津の港には兵糧を降ろして帰る空の船が溢れているのだから。
 となれば、どうやって彼らを美々津にまで連れてくるかだ。
 現在、角隈石宗を使者に財府城に開城を迫ると同時に、松山砦の佐伯惟教には高城攻撃中止・待機命令を出している。
 さすがに七万五千が一斉に群がったら、美々津ではさばき切れない。
 だから、戦場である事を利用して、難民の退路を財府城経由に誘導させるのだ。
 財府城が抜ければ、富田城経由で放置が確認されている佐土原城まで道が繋がる。
 難民の誘導を考えたら、都於郡城までが進出限界線だろう。
 高城を落とすのはそれからでいい。
 難民の美々津搬送は帰りの荷駄隊に任せる。

 で、だ。  
 知瑠乃が持ってきたお茶をすすりながら、修羅場をふと眺める。
 そこには、鉢巻を巻いた四郎と志賀親守が、木で作った定規を片手に紙に筆で線をひいていた。
 更に、豊後から急遽召喚した朝倉一玄と大谷吉房が計算を検算しており、大谷紀之介と大神甚四郎が算盤片手に計算に疲れたのかオーバーヒートでぶっ倒れている。
 何をさせていたか、そろそろ答えをばらそう。

 荷駄と難民を統括するダイヤグラムの作成である。

 ダイヤグラム。つまり運行管理表を導入する事で、何処にどれだけの荷駄があって、現在どれだけの兵糧や難民を運んでいるか一目で分かるという優れものである。
 更に、現実に運行している荷駄隊には全てカンバンと名づけた木札を持たせて受け渡しをする事で、リードタイムを把握し意識させる。
 目指せ、赤い電車の逝っとけダイヤ。
 最終的には、赤い電車の品川駅を目指すのだ。
 これで、佐土原まで兵糧を大量に搬送しつつ、難民を一気に日向から一時的に追い出すのだ。
 まぁ、海路が神力で難破を考えなくていいからのチートシステム導入なのだが。

 これが実現したら、一揆をはじめとした背後の破壊工作をかなり考えなくてよくなる。
 つまり、大兵でひた押しに押せる。
 しかも、難民の支持が全てこっちが総取りとリターンがでかい。

 で、だ。
 問題は、その概念と計算ができるやつが圧倒的に少ない訳で。
 私が統括して、とりあえず計算できる人間をかき集めてのこのザマである。
 冒頭の田原親賢の催促は、彼が荷駄担当の現場責任者だから、修羅場に引っ張れなかったという事もある。
 あと、白貴姉さんのお供に何でかついてきた知瑠乃なんだが、いいや知瑠乃だしと放置していたら、

「ぼくも行くんだ!」

と長寿丸が盛大にごねるし、ひっそりと今回初陣の長寿丸の近習連中が私に、

「どうか、知瑠乃だけは前に出さないでくれ」

って土下座するし、あんたらそんなに知瑠乃が怖いか。
 うん。私は怖いから良く分かる。補正的意味で。
 という訳で、お茶組みをさせていたり。
 修羅場の中、いいマスコットとして動いてくれている。
 あー、太陽が黄色い。

「姫様。これを」

 四郎から受け取った最終のダイヤグラムを眺めて、最後の確認をする。
 ちゃんとスジに余力もあるし、一応問題らしい問題は見えない。
 後は実際のトラブルに私が応対して、スジを引き直せばいいだけである。
 そういえば、国鉄のダイヤ改正がこんな修羅場だったそうなとふと思いながら、私は皆に声をかけた。

「お疲れ様。
 これで問題はないわよ。
 私が、田原親賢の所のまで持ってゆくから休んでて頂戴」

 その瞬間、最後まで張り詰めていた気が緩んだのだろう。四郎達がへなへなと畳に倒れこむ。
 ……見なかった事にしてあげよう。



「ひめさま。
 なんか騒がしいね?」

「ほんとよね。
 何かあったかしら?」

 ちなみに、私の本営は美々津の商家を一軒丸ごと借り切っていたりする。
 妙に騒がしい美々津の街のざわめきを庭から聞きながら、知瑠乃と護衛の姫巫女衆と共に田原親賢の所に。
 ちなみに、今の発言で姫巫女衆の一人が先に駆けて何事かと調べているはずである。
 一応先の島津による佐牟田長堅暗殺を警戒して、この商家に丸々天岩戸結界を張っていたりするのだが。

「姫様。できあがりましたか」

 その田原親賢の第一声と、忙しそうにかつ嬉しそうに働く彼の家臣の姿を見て、私は警戒を下げた。

「何がいい事があったの?」

「はっ。
 先ほど、早馬で角隈石宗殿が財府城の落合兼朝と和議を結び、開城すると。
 これで、高城川を越えて佐土原に向かう事ができますな」

 さすが大友家の軍師をしているだけあって、頭も回るし弁も立つ。
 落合兼朝が伊東帰雲斎を処分した事でこちら側についた報告だった。
 顔に笑みが浮かんでいる事を自覚しつつ、私は田原親賢にできあがったダイヤグラムを渡す。

「島津に一泡吹かせるわよ。
 第二陣を財府城に向かわせて、先陣は美々津で一度休ませて再編。
 高橋鎮理に本陣の兵千をつけて松山砦の後詰に送るわ。
 都於郡城まで押すわよ」

「はっ」

 ダイヤグラムを受け取った田原親賢がそれを家臣に手渡して、大急ぎで書き写してゆく。
 それを眺めながら、なんとなく頭に日向の地図を浮かべて先の事を考える。
 伊東家を残すことにしたので、飫肥方面に兵を入れる必要がなくなった。
 となれば、佐土原城および都於郡城の防衛の為に大淀川の線で迎え撃つと思ったのだが、やつらの乱捕りでこちらを抑えきれると思ったのか。
 それが、間違いである事を思い知らせてやる。
 一万以上の兵力で日向国境まで迫った時に島津のやつらがどんな顔をするか楽しみ……

 ん?

 という、事は、

 決戦場は木崎原かっ!!!!

 盛り上がっていた怒りの炎が冷水をかぶったかのごとく、みるみる下がっていくのが分かる。
 ああ、耳川大勝利の後で『夢をもう一度』って根白坂で決戦を挑んだ島津が、同じ事を考えるならここしかないわな。
 しまった。
 完全に島津の策に乗った。
 七千の兵で突っ込んで敗北した木崎原に約二倍の一万四千しか持っていけないなんて、敗北フラグじゃないか。
 うわ。
 という事は、肥後大畑の島津の勝利もこの前振りかよ。
 実際、後詰として吉弘鑑理の三千を肥後に送ってしまったし、大将討ち取られて動揺続く相良家を抱えた状況で水俣に兵を送れる訳もない。
 考えたくないが、間違いなく木崎原に島津は動因兵力の全てを集めてきている。

「ひめさまどうしたの?
 おかおあおいよ?」

「ん?
 疲れちゃったみたい。
 知瑠乃。奥で休みましょうか」

「うん!」

 言えるわけがない。
 島津に十倍以下しかない兵力で、地の利もない木崎原で戦って負ける事を考えてしまったなんて。



 奥に戻って、しばらく頭を冷やしていると、高橋鎮理が鎧姿でやってくる。

「姫様。
 出陣前の挨拶に……」

「堅苦しいのはいいわよ。
 で、高橋鎮理。
 絶対に高城を攻めないでね」

 挨拶途中で遮った私の声に高橋鎮理が怪訝な顔をするのを無視して私は言葉を続ける。

「いずれ、島津とは雌雄を決する大戦が行われるわ。
 高城ごとき小城であなたの兵を失いたくないのよ。
 松山砦には先陣を休ませた後に再度派遣するから、あなたには本陣で私の側で戦ってもらうわよ」

 言えない。
 高橋鎮理の顔を見て、彼がやらかした大玉砕筑前岩屋城の戦いを思い出したなんて。
 あれで、島津は九州統一を逃したのだから同じ愚を犯してはいけない。
 間違いなく高城に入っている島津兵は死兵だから、攻めたらおびただしい損害が出る。
 
「では、決戦の場は?」

「日向国 真幸院 木崎原。
 あんた、あっこで島津忠平に勝つ自身ある?」

 漏れた不安を高橋鎮理は笑い飛ばした。
 日ごろ真面目な彼が、私の怯えを吹き飛ばす為に無理して作った笑いだったが。

「ご心配なさるな。
 島津忠平にできた事が、それがしや、戸次殿や小野殿、鍋島殿にできぬと思いますか?
 ましてや、姫様も伊予での戦で見事戦って見せたではござらぬか」

 その笑みと言葉に、ふと昔を思い出す。
 気づいてみたら、不安が無くなった訳ではないが不必要な怯えは消えていた。

「あの時は、無茶をしたわね。
 鳥坂峠だっけ?」

 後になって知ったが、鳥坂峠の完勝は西国で思いっきり轟いたらしい。
 私の武将としての実績は、この鳥坂峠合戦をはじめとした南予侵攻で確立したと言っていい。
 もっとも、これをもって島津義弘や毛利元就等のチート武将と同列に並ばれて語られたと知って、思いっきり悶絶したのだが。

「はい。
 陣中央に抜擢して頂いたのに、おいしい所は立花殿と佐田殿に持っていかれましたが。
 此度はあの二人においしい所を渡さぬつもりですので」

 わかって言っているのだろうが、陣中央に置かれる時点であんたの率いる兵があの時一番信頼できると言っているようなものだったのだが。
 基本的に使えない四郎率いる御社衆や、囮となって大損害を出した佐田鎮綱率いる宇佐衆と比べたらいけない。

「言うようになったじゃない。
 けど、小金原で尼子勢を止めたみたいな働きを期待しているわ」

 二人して笑う。
 やれる事は全てやった。
 ならば、天命を尽くすのみ。

「姫様。こちらにおられましたか。
 何やら、楽しそうに話されていたようですが?」

 何かの書類を持って四郎が入ってくる。
 いたずらっぽく、四郎にウインクして、さっきまでの話をかいつまんで話すことにした。

「次の島津の戦、四郎や佐田鎮綱に負けないって」




 この日から五日後。
 放置されていた佐土原城に戸次鑑連率いる大友軍第二陣入城。
 更にそれから二日後。
 小野鎮幸率いる第二陣の一部が、同じく放棄されていた都於郡城に入場。
 この時点で、かなりの避難民がこの二城に集っていたが、油津港を抱える飫肥城との陸路を繋ぐ事に成功した大友軍は、たいした混乱も無く難民をさばききった。
 と同時に島津に寝返った日向の諸城に内応の書簡を送りながら、虎視眈々と木崎原突入を狙っていた。

 同じように持てる全ての兵を集めた島津軍も、木崎原でいまや遅しと大友軍を待ち受けているのを理解した上で。



[16475] 南海死闘編 第二十話 日向侵攻 島津間者始末顛末
Name: 北部九州在住◆69dd1406 ID:e408aabc
Date: 2010/08/31 06:10
 現在佐土原城に居ます。珠です。
 なお、絶賛ゲキド・オブ・タマモードだったりします。

「で、何か黄泉路に向けて言い残す事ある?」

 切れています。
 ぶちぎれています。
 そりゃそうです。
 当人の知らぬ間に、踊りのためにやってきた恋を囮にして島津の間者を一掃する作戦なんて取られたら、激怒するしかありません。
 大慌てで佐土原城にすっ飛んできて、ででんとガイナ立ちで容赦なく睨み付けている私の視線の先には、囮となった恋とその囮作戦を指揮実行した鍋島信生が。
 ちなみに、問い詰めたら佐田鎮綱や麟姉さん、四郎や囮役の恋も承諾済みというから腹が立つ。
 何?
 私はのけ者ですか?

「姫様。
 まさかと思いますが、御身を危険に晒すことを……」

 皆を代表して佐田鎮綱が念を押すが、私もそこまで馬鹿ではないので佐田鎮綱の言葉を途中で遮る。

「私もそこまで馬鹿じゃないわよ。
 私が怒っているのは、この策そのものをする必要があったのかという事!
 護衛の姫巫女衆にも死者が出てるし、私もやられるほど前に出るつもりはないって再三言っているじゃないのよ!」

 すっと頭を下げた鍋島信生が響く声でとんでもない事を言ってのけた。

「一つ訂正を。
 姫様。
 姫巫女衆を斬り捨てたのはそれがしでございます」

「はい?」

 素で声がでる。
 怒りより、何で彼が私の護衛たる姫巫女衆を斬ったのかという疑問の方がはるかに大きかったので、思った以上に大きな声が出てしまい、詳細は一同も知らされてなかったらしく一様に皆が鍋島信生の顔を見つめる始末。

「かねてより、姫巫女衆の中に島津の間者が居る事は分かっておったゆえ、この策はその間者をしとめる為。
 失礼ながら、姫様および一同の手を身内の血で汚す事も無かろうと。
 これが、姫様によって証文を捨てて頂いた、竜造寺家の恩返しでござる」

 その言葉は凛として堂々と皆の耳に響く。
 それゆえ、怒りを一時置いて、私は事の詳細を彼に尋ねざるを得ない。

「とりあえず、全部吐きなさい。
 処分はそれを聞いてから下すわ」

 ひとまず怒りを納めた私の言葉に、鍋島信生以外の連中が安堵の息を漏らす。
 鍋島信生は一度四郎の方を見て、アイコンタクトを交わしたらしく、四郎が軽く頷いたのを確認してから口を開いた。

「まず、姫様もご存知かと思われますが、先の木崎原からこれまで一方的に我らが押されていたのは、地の利と人の和を島津が抑えていたからに他なりませぬ。
 つまり、島津の間者に大友の間者が押されていたという事実がございます」

 その間者組織の頂点の人間に容赦なく言ってのける鍋島信生。
 くやしいが、間者の投入については事実だけに私も首を縦に振らざるを得ない。
 四郎の報告書に寄れば、木崎原戦前後で五十人近い間者が既に日向の地で消えており、その再編にかなりの時間と手間がかかると頭を抱えていたのだから。

「このまま押せば、また木崎原のような負け戦を行うは必定。
 それゆえ、島津の間者を日向より消す必要がございました」

「それについては理解したわ。
 で、その必要性と今回の囮はどう繋がるわけ?」

 私が続きを促したので、鍋島信生が淡々とその先を語る。

「桶狭間合戦しかり、厳島合戦しかり。
 寡兵が大軍を破るには本陣を突くしかございませぬ。
 そこで、総大将が討ち取れるのならばなおよし。
 ですが、逆に言えば総大将一人討ち取れるのならば、寡兵でも構わぬ訳で」

 まぁ、真理である。
 当然、それを狙っているのはこっちも分かっているから、十重二十重と護衛を固めるわけで。
 なんて考えていたら、それを読んでいたらしく鍋島信生はすっとこんな言葉を私にぶつけてきた。

「姫様。
 万の兵を寡兵で相手にするより、数十人を数人で相手にする方が容易いのです」

 あ、凄く納得。
 ようするに、視点の問題だ。
 私は極力大局から物を見るように意識しているが、その大局ですら末端ならば数人・数十人の集合体である。
 そして、万を越える大友軍の中枢部、特に私の周りだけを見るならば、その護衛は百人を超える必要はない。

「だから、私を狙うために間者を送り込むか。
 言わんとする事は理解したけど……」

「姫様。
 まだお解かりになってございませぬな。
 島津は、姫様一人を斬る為だけに、この戦を組み立てておりまする」

「はい?」

 また素で声が漏れる。
 というか、おちつけ。
 深呼吸。深呼吸。
 私は、島津をどういう認識で捕らえていた?


『やつらの一番たちの悪いところは、戦場の勝利がそのまま戦争の勝利に繋がっている所よ。
 それまでどれだけお膳立てをしても、一回の敗北で全てをおしゃかにしかねない。
 やってらんないわね。
 あの『戦略級戦術兵器』は』


 ちょっと待て。
 という事は、あいつら、更に視野を狭めてきたという事か。
 私一人の命を絶つ為に合戦すら利用するって……肥後大畑合戦や日向侵入はその前準備!?
 いや、こっちが木崎原に全軍突っ込む事すら想定して、その隙に私を討つつもりだったという事か!!!
 今、自分の顔が真っ青になっている事が嫌でも分かる。
 何気に周りを見ると、私の顔を心配しているだけみたいで、鍋島信生が何を言っているのか理解できていないんだろう。
 当たり前である。
 鍋島信生が言っている事が事実ならば、島津は私を討つ間者数人の為だけに、島津全軍を危険に晒したと言っているのだから。
 これはもう戦ですらない。

「此度の囮は、恋姫という義妹君が美々津に不意に来られた事で急遽組み立てました。
 それゆえ、姫様付でない姫巫女衆に声をかけて護衛を整えさせたのです。
 姫様がまだ殺されていないとはいえ、ここまでの島津の動きを見るに必ず姫巫女衆に間者がいると確信しておったゆえ。
 ご存知でしたか?
 此度の戦、全て島津が先手を取っている事を」

 分かっている。
 島津の先手に、事実私は振り回され続けている。
 それゆえ、最後でひっくり返すべく大兵で押して……


『やつらの一番たちの悪いところは、戦場の勝利がそのまま戦争の勝利に繋がっている所よ。
 それまでどれだけお膳立てをしても、一回の敗北で全てをおしゃかにしかねない。
 やってらんないわね。
 あの『戦略級戦術兵器』は』


 あー
 なるほど。
 はっきりとその罠にはまった訳だ。私は。
 そう言えば、島津のお家芸の釣り野伏は九州の武将は皆承知していたというのに、何故か引っかかると評判だったな。あれ。
 その種がこれか。
 黙りこんだ私をそのまま話を続けろと受け取ったらしい鍋島信生は、その先を淡々と語る。

「姫巫女衆を護衛に、竜造寺の手勢を更に外周に置いて佐土原にお忍びで行く陣触れを出しました。
 この時点で、我らの一行は囮である事は明白。
 同時に、姫様付ではない姫巫女衆が功績を立てる絶好の機会でもあったのです。
 案の定、夜盗に身を装った間者が我らを襲い、それを討ち取ると共に、その夜盗を討つのに功績大だった姫巫女衆の一人を斬って捨てたのです」

「一応聞くけど、襲った夜盗が本物だったという可能性は?」

「日向の民が大友軍に逃れれば食と職を保障するのに、何故夜盗になる必要が?
 本物の夜盗ならば、万の兵を動かしている我が方に襲う事は考えますまい」

 立て板に水。
 よどみなく、すらすらと答える鍋島信生に一同声も出せない。
 鍋島信生。
 呼んで正解のチート武将ではあるが、ものすごく釈然としない。

「あなたが斬って捨てた姫巫女衆が島津の間者でない場合は?」

 一番聞きたかった事を声を押し殺して尋ねたが、それでも鍋島信生の顔も声も崩れない。

「それでも構いませぬ。
 重要なのは、姫様の中にいる島津の間者の排除。
 それを斬って捨てようとも、警戒している事を知って動きを止めるのも同じ事。
 この日向での戦の間おとなしくして貰えるならば、間者の命など次の事でございまする」

 恐ろしい割り切りである。
 その冷徹さこそ、戦国に名を残す名将の資質だろうが、やっぱり納得はしない。

「後で、斬った娘の家に見舞いの銭と私からの感状を書きます。
 手配して頂戴」

 その言葉を鍋島信生は待っていたらしい。

「既にそれがしが手配しております。
 それがしが斬って捨てた娘は、日向国三徳院の僧の紹介状を持っていたとか。
 いずれ、家も分かりましょう。
 あればの話ですが」

「……」

 つまり、最初から彼女が怪しいとあたりをつけていた訳か。
 状況証拠からして真っ黒である。
 畜生。
 借金帳消しにしただけの働きをちゃんとやりやがった。
 ため息をついて私は腰を下ろし、それが処罰無しと分かったのだろう。一同から安堵の声が漏れる。

「最後に一つ聞かせて。
 なんで、あなたは島津の手が分かったの?」

「簡単な事。
 我ら竜造寺が大友に謀反を起こした場合、その総大将は姫様でしょうから、島津と同じ事を考えていた故に」

 あ。
 凄く納得した。
 ちなみに、鍋島信生は今山合戦で島津と同じような事をして、見事総大将だった大友親貞を討ち取っているわ。
 長期対陣で気が緩んでいた大友軍は宴会を開き酒と女を買ったとあるが、当然その酒と女は地元調達な訳で。
 そんな彼らから情報を仕入れていた鍋島信生は、迷う事無く大友軍本陣を突く事ができた訳で。

 と、言う事は、竜造寺も間者を姫巫女衆に入れているな。
 後で、舞や麟姉さん・白貴姉さんと図ってチェックしておかないと。

「この話はこれまで!
 二度とこんな事を私抜きでしない事!!
 いいわね!!!」

 私がこの話の打ち切りを宣言した時に、鍋島信生がいたずらっぽく微笑むのを見逃さなかった。
 それに気づいたのだろう。
 明らかに先ほどとは違う肩を抜いた口調で、その笑みの種明かしをして見せたのである。
  
「はっ。
 ですが、非礼を承知の上で申し上げます。
 此度の策、恋姫様の方が、姫様らしく見えるゆえに成功した次第で」

 はい?

 えっと、りぴーとあふたみー?

「……」
「……」
「……」
「……」
「……」

 ねぇ、どうして誰も私の目を見ないのかな?かな?
 きょとんとする私に、どこからか現れた知瑠乃がとどめの一撃を。

「あたい知ってるよ!
 『男の上で嬉しそうに腰を振るのが姫様で』、『男の上で恥ずかしそうに腰を振るのが恋様』だって!
 姫様。何で腰を振るの?」

 つうこんのいちげき!
 たまは9999のせいしんてきだめーじをうけた。


「どこのどいつじゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!
 大典太光世で三枚におろしてくれるわぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」

「姫様!おちついて!
 皆が見ています!!」

「姫様。三枚におろすのは魚だよ。
 あたまわるいなぁ」

「知瑠乃!
 あんた余計な事言わないのっ!!!」


 最後が無ければマジメナハナシダッタノニナー



[16475] 南海死闘編 第二十一話 日向侵攻 佐土原停戦勧告
Name: 北部九州在住◆69dd1406 ID:ccc3f850
Date: 2010/09/09 12:38
 その使者は、まさに全軍を島津が待ち受ける木崎原に突入させようとした矢先に到着した。

 従者も少なく、兵士で群れるこの佐土原にたどり着いたのは前関白近衛前久。
 そして、彼の従者みたく共に来ていたのが古田重然で、彼は主人である織田信長から命を帯びていた。
 この二人が珠姫に出会う事で、歴史は次の時代を告げようとしていた。


「兵を引けですって!?」

 周りの人間を無視して叫んでしまう珠です。
 というか、このお公家様は今何て言った?

「いかにも。典侍。
 お上は此度の戦で三位入道が国を追われる事に心を痛めておる。
 どうであろうか?
 このあたりで戦を止めるというのは。
 その労ならば、いくらでも骨を折ろうというもの」

 空気読んでくれ。
 おねがいだから。
 公家謁見だから、諸将が全員この場所にいるんだぞ。
 さっと目だけで諸将の顔を見るが、ある者は怒りに、ある者は鳩が豆鉄砲食らったような顔とまちまちだが、とりあえず皆この急展開におどろいているという事だけは把握。
 ちなみに、典侍は私の事で、三位入道というのは出家して京に落ち延びていった伊東義祐の事である。

「何故、今、この状況で、どうしてそれを言うのか理解して、その言葉をおっしゃっているので?」

 はっきりと、ドスの効いた声で睨みつけながら近衛前久に問いただす。
 しかし、腐っても関白という公家の頂点位にいた男は、小娘の恫喝にさした反応を示す訳でもなくとある事実を提示してみせた。

「典侍に尋ねるのだが、この戦はそもそも伊東家と島津家の争いのはず。
 それが何故大友家が出張っているのか、そこをお聞きしたい」

 いやな所をついてきやがった。
 この戦は、近衛前久の言うとおり、島津家と伊東家の戦だ。
 そして、現在行われているのは、大友家と伊東家の戦である。
 この二つの合戦は同時進行しているようで、実はきっちりと分けられて考えられている。
 どうしてかというと、戦の始まりと終わりの定義づけは、それがその後の論功行賞に密接に関わってくるからだ。
 だからこそ、当初計画ではあくまで伊東家を相手にして日向を征服、その後真幸院の領有問題を火種に対島津戦開戦となっていたのだった。
 ところが、島津の日向侵攻に伴って、この戦は島津と伊東の戦がまだ続いている状況になっている。
 それがゆえに、伊東家が大友に従属してしまった現在、対島津戦に開戦のロジックエラーが点っているのだった。
 何を理由に島津に喧嘩をふっかけるのか?
 それが、今の私にない。

「という事は、近衛様がいらっしゃったのは、島津と伊東の戦のあとしまつと考えてよろしいので?」

「もちろん。
 典侍の戦に手を出すほど愚かではない」

 私達が何を言っているかといえば、現状で戦を止めるならば、大友の全占領地をそのまま伊東家に返さなくていいと言っているのだった。
 何でかというと、大友と伊東の戦は伊東が従属した時点で既に決着しているからである。

「ならば、盟主としてこの戦を続けるという事もできるはず」

「それをする為にも、木崎原の後始末をつけてもらわねばならぬ。
 言わんとする事は、典侍ならば分かろう」

 合戦というのは思った以上に手続きというのが多い。
 それも命のやり取りだから、その手続きはかなり厳密に決められている。
 近衛前久が指摘しているのは、木崎原合戦後の伊東家の進退を含めた事務手続きの不備である。
 伊東家従属を見ても、伊東家を継いだ伊東祐兵が府内に人質を連れて出向き、父上に従属の申し入れをするという政治的儀式が必要になる。
 ところが、現状で合戦真っ只中の伊東家で、大将たる伊東祐兵が離れる事などできる訳もなく。
 そのあたりの筋を通す為にも、一度合戦を止めろと言っているのだった。 

「では、肥後大畑合戦で我らに従属している相良家についてはいかがか?
 盟主として、相良の代わりに島津を討つならば問題はないと心得ますが?」

 元々従属していた相良家の一件で島津戦を行う旨を伝えるが、それでも近衛前久は首を縦に振らない。

「相良家も木崎原へ伊東家の援軍として出ていたではないか。
 島津の大畑合戦は、木崎原合戦の島津の報復として取られても仕方なかろう。
 なにより、相良の戦を何故日向で行うのか問われたら、典侍はいかが答えるおつもりかな?
 おまけに、相良家もお家の継承についてちゃんとしたという報告は届いておらぬ。
 ここで戦を強行すれば、姫と大友の名前に傷がつきますぞ」

 まったくもって正論である。
 はっきり言って、木崎原からこの方負けすぎた。
 日向国木崎原で伊東を、大隅国財部城(龍虎城)郊外で肝付を、肥後国大畑で相良と立て続けに大敗している。
 結果、伊東は大友に従属、クーデターの起きた肝付は島津に降伏、大将を討ち取られた相良は家督相続でどうしようもないというすてきぶり。 
 かくして、九州はおろか天下に轟く無敵島津軍神話ができあがり、はやくも商人連中は島津と戦う事の愚を唱えてきている始末。

「それでも、今島津を討つというのならば?」 

 あえてその事を近衛前久に問いかける。
 この言葉に、ぱっと扇子を広げた近衛前久はこれ以上なく雅に笑って、今までの流れを全て投げ捨てた。

「別に、構わぬでおじゃるよ。
 末法かつ下克上な世の中ゆえ、朝廷の権威も地に落ちているのは事実。
 塵のごとく帝の言葉を吹き飛ばすのも世の流れというもの。
 もっとも、それができるとも思えぬが」

 うわぁ。
 この公家えぐい。
 最初から、こっちがその言葉を呑めない事を判って言い放ちやがった。
 下克上だの、戦国だのと中央がその権威を勝手に落としていた傍ら、地方ではその権威が保持どころか更にその価値を高めていたりする。
 なぜか?
 簡単な話で、それしか権威が無いからだ。
 元々武士というものは、荘園の警護や略奪から始まった夜盗や山賊達の成れの果てである。
 そんな彼らが天下を差配するまてに勢力を拡大させたのはなぜか?
 源氏や平家という貴種を御旗にして、権威を確立したからに他ならない。
 力だけの統治ではいずれその力によって倒される。
 それをさせない為に正当性という権威を手に入れて初めて統治は機能するのだ。
 事実、室町幕府はその権威の確立に当初から失敗して南北朝時代を作り出してしまったり、戦国時代を引き起こしてしまったりしたのだけど。

「耳に挟んだのじゃが、典侍はこの戦の前に右馬頭の所に怒鳴り込んだとか。
 色々お忙しい事でおじゃるなぁ」

 そこまで耳に入っていたか。
 なお、大友と毛利の和議も朝廷和議である。
 つまり、ここで朝廷の勧告を無視して戦を始めると、自動的に毛利との和議もぶっ飛ぶ。
 ならば、幕府の権威で……って、将軍が二人並んでいる状況だし、京にいる足利義昭を頼ったら必然的に織田信長が絡んでくるからパス。
 おまけに、どこぞのTERUが南蛮船交易に手を出して、私が激怒して広島にすっ飛んだのは西国に知れ渡っている。
 完全に詰んだ。

 何も言う言葉を持たずに、ただ私は近衛前久とその従者をにらみつけた。
 こんな手を前関白とはいえ、一介の公家である近衛前久一人で組める訳が無い。
 私にも朝廷には一条おじゃる丸がいるし、彼に与え続けた銭でそこそこの朝廷内の与党を持っている。
 そして、何よりも近衛前久がこちらの情勢を知りすぎている。
 朝廷にこんな停戦勧告を出す政治力と経済力を持ち、西国の事情を把握するだけの情報力を持ち、それを駆使して私の行動に足止めをかける人物なんて一人しか居ない。
 間違いなく、従者面をまったくしていない古田重然の主人たる織田信長の仕業だ。 
 しかし、妙だな。
 近衛前久は元々三好政権と組んだ結果として、織田信長上洛後に都落ちをしていたはすだが。

「……」

 で、何か言う事があるだろうがよ。
 そこで、従者顔どころか相変わらずへうけた顔している古田重然よぉ。

「す、すばらしい……
 その燃えるような緋色、そして絹ごしに透けるおみ足、何よりも怒り顔にありながらその気品を際立たせている金の肩飾り……
 これは、ぜひとも報告せねば……」

 そっちか。オマエは。
 ちなみに、今回は赤セイバー服である。
 上質の絹を使っているから前は丸見えだが、ちゃんと黒いぱんつはいているからはずかしくない。
 ふと思い立って、麟姉さんに大典太光世を持ってこさせて構えてみる。

「なんと!
 そのお姿は巴御前のごとくたけだけしく凛々しいではないか!
 これも報告せねば……」

 ちょっとは気がはれたので、大典太光世を戻して改めて座って話を元に戻す。

「で、その隣の古田重然とやらも何か話があるんでしょうが。
 とっとと、話してくれるとありがたいんだけど?」

 あ、急に現実に戻ったのが、顔に影がさしこんだぞ。へうけもの。

「し、失礼つかまつりました。
 それがし、織田家美濃山口城主の古田重然と申しまする」

 城主?
 こいつ、何時の間にそんなに出世したんだ?
 というか、何で城主の言葉の時にそんなにどんよりとした顔をするよ。

「そういえば、堺で会ったわね。
 私があげた大名物の北野茄子は使ってる?」

 まさかそれが地雷とは私も気づく訳もなく。
 突然マジ泣きする古田重然に、私も近衛前久もどうしていいかおろおろするばかり。

「そ、その時は本当に良き物を頂き、それがし天にも昇る心地でござった。
 ですが、信長様が名物をお集めになると聞いた父が……ぉぅ……ぉぉぅ……」

 いや、ちょっと待て。
 だから、諸将満座そろって日向侵攻の総仕上げをしようとする場に乗り込んでの朝廷からの停戦命令なんでド修羅場に、何いきなり昼メロ持ち込んでやがる。
 なんとなく分かった。
 本人与り知らぬ所で北野茄子一個で城を手に入れた訳だ。
 そりゃ、出世できないわなぁ。このへうけもの。

「気落ちしたそれがしを気遣ってか、信長様は摂津の中川清秀殿の妹と縁談を取り持って頂いたりと色々していただいているのですが……」

「わかった!
 あんたの縁談祝いに何かあげるから、そのおもいっきり電話相談みたいなのりはやめて!!」

「本当でござるか!!!」

 目爛々に輝かせるなよ。へうけもの。
 まぁ、これでやっと本題に進めるわ。

「実は、それがしは近衛殿に御付して、土佐からこの地に来たのみで。
 姫様にこれを届けろとしか信長様の命を頂いておりませぬ」

 古田重然が差し出した箱を麟姉さんが受け取って持ってくる間、私は気になった言葉をそのまま近衛前久に返してみる。

「土佐?
 たしかに、日向行きなら土佐にもあるけど、畿内からこっちに来るなら、府内なり門司行きの方が船便多いでしょうに」

「そのとおり。
 じゃが、土佐の長宗我部元親に守護職もしくは土佐守の打診をする仕事があったゆえ」


 今、何て言った?

 長宗我部元親に守護職か土佐守の打診だと?
 それが何を意味するのかいやでも悟らざるを得ない。
 長宗我部を取り込み、停戦命令を出して島津を助けるという意味が今、線で繋がった。
 土佐は一条という権威によってゆるやかな統治が進んでいた。
 だが、風雲児たる長宗我部元親に守護職か土佐守という権威を与えるとどうなるか?

「土佐国では俺が一番偉いから俺に従え!」

 という権威を中央が与える事によって、大友が管理している土佐一条領が問題化する事に他ならない。
 現在、南予と土佐一条領には戦時動員をかけたら四千程度の兵が集められるが、長宗我部が本気で突っ込んできたら八千近い兵力を集められる。
 そして、一番厄介なのが本来後詰を出す豊後はこの日向侵攻に兵を使っているから後詰が出せない。
 海を越えての派遣だから、一合戦やって負けた場合、四国の大友領を全部かっさらわれる可能性もある。 
 朝廷の勧告だけでなく、実際の危機まで用意して島津を助けるか。織田信長。

 行き着く所、西国の覇権というのは瀬戸内海を中心とする制海権を誰が握るかの争いと言ってもいい。
 古くは源平から、近くは足利尊氏の九州落ちとそのカムバックもこれである。
 この制海権争いに影響力を与えるのが、水軍が留まれる港を確保できるかにかかっている。
 それを、伊勢湾海上交易利権で富を成した織田信長がわからないはすがない。
 土佐から薩摩に抜ける航路は瀬戸内航路を押さえる外周線。
 すでに私の名前が轟く東アジア一帯で、反珠姫のラインを構築するだけで、私ほどではないが織田家にとっては十分な富が流れ込むだろう。
 たとえば、畿内にもいる宣教師経由でスペインに話をつけたりとか。私なら間違いなくする。
 では、外周線に押さえ込まれた瀬戸内海をどう攻略するかだが、瀬戸内海というか畿内に織田水軍の港が絶対に必要になる。
 ぶっちゃけると堺だ。
 西国有数の巨大貿易港を押さえ込んでしまえば、東瀬戸内海の水軍衆に巨大な楔が打ち込める。
 それは、信長がついに天下という彼の概念を私が抑える西国に広げようとするに等しい。
 信長は、このタイミングで堺を狙っている。
 私にとってこのタイミングはものすごく悪い。
 この日向侵攻は、私が大名として立つ絶対条件として企画立案された案件だ。
 ここで全権を掌握、特に本国となる豊後国人衆の支持を取り付けないと私が大名時に行うつもりの、


 信長以降にできるであろう武家統一政権に目をつけられない程度に大友家を分割・縮小させる


 事ができなくなる。
 私も毛利元就も天下なんて望んでいなかった。
 そして、天下を望まないならば、大友も毛利も最終的には豊後や安芸一国まで削られるだろう事も覚悟していた。
 だから、私が大名の時に近隣諸国に同紋衆を大名化させて血の継承を画策し、先の証文バブル崩壊でかき集めた富で豊後一国でも生きられる体制を構築するつもりだったのに。
 信長の堺侵攻が現実化したら、間違いなく堺だけでなく博多の商人達も私の出馬を促してくる。
 それは、大友毛利という大名連合を基幹とする、現在の流通・決済システムに先のバブル崩壊以上の致命的打撃を与える事になるからだ。
 私もそうだが、毛利輝元はもっとやばい。
 彼は宇喜多直家相手に明善寺合戦で大敗を喫しているから、実は現在進行中の備前・美作での対浦上戦は負けるわけにはいかない戦いになっている。
 これに失敗しようものなら、毛利家当主としての資質を失いかねず、次期後継者をめぐる吉川元春率いる山陰派と小早川隆景率いる山陽派の内部分裂が起こりかねない以上、堺への対処など出来る訳もない。
 古田重然が持ってきた箱を開けると、中にはただ蛤が一つ。
 開けようとするけど、のりでぴったりとくっついているらしく開かない。

 私は、シギという訳ね。

 はっきりと、今信長の言葉を理解した。
 どこの中学生よ。
 これじゃあ、まるで好きな子相手にいたずらするいじめっこと同じじゃないの。 


「そんな端っこで踊ってないで、俺と中央で踊れ!」


 織田信長が恐ろしい。
 彼の本当のチートを見せつけられて。 
 織田信長は、それを言う為だけに、こんな仕掛けを作りやがった。


 天下を捨てた私に、彼は明確に天下と言う舞台に踊り出ろと誘っているのだった。


 そして、この場に近衛前久がいる意味も理解した。
 彼があの場所にいると、たしかに戦はしにくいだろうからなぁ。
 堺を取る為には、どうしても堺の近くに織田側の拠点が必要になってくる。
 同時に、京都が最前線にならぬようかつ、畿内の諸大名(特にボンバーマン)に睨みをきかせる場所に拠点が作る必要がある。
 そして、その拠点が大友毛利連合にも使えるのならなお良い。
 そんな都合の良い拠点は畿内広しといえども一つしかない。
 何よりも、彼の天下布武の邪魔になるし、実際最後まで抵抗したのも彼らだった。


 諸将や麟姉さん及び近衛前久や古田重然に心配されながら、恐怖と羨望、そして歓喜と優越感の入り混じった笑みを浮かべ、いや、笑っていた。
 壊れるぐらいに、笑いながら、分かってしまった。









 織田信長の目的は石山本願寺だと。



[16475] 南海死闘編 第二十二話 日向侵攻 粥餅田対陣
Name: 北部九州在住◆69dd1406 ID:ccc3f850
Date: 2010/10/04 01:03
日向侵攻後半戦における時系列のまとめ。

 大友軍、佐土原城占拠。都於郡城占拠。
 >>佐伯惟教率いる延岡鎮台に高城包囲続行を指示。
 >>近衛前久薩摩に移動。

 内山城内応。
 >>大友軍主力再編。
   立花元鎮及び鍋島信生率いる二千を小野鎮幸指揮下に。
   先陣は小野鎮幸を大将に久留米鎮台と立花元鎮及び鍋島信生の手勢三千。
   第二陣が戸次鑑連率いる臼杵鎮台で三千。
   本陣が大友珠率いる旗本鎮台他で五千。
   合計一万千に再編。
   志賀親守率いる大野鎮台を後詰に指定。
 >>島津軍は高原城に後退中。

 神屋城内応。
 >>飫肥城後詰交代。
   斉藤鎮実率いる千から朽網鑑康率いる千に変更。
 >>入田義実率いる千を大隅国財府城(龍虎城)方面に分派。大隅国境前で停止予定。

 大友軍主力、内山城へ移動。
 >>志賀親守率いる千を佐土原に後詰として残す。

 内山城開城。
 >>島津軍、高原城より退去。

 大友軍主力、神屋城へ移動。
 神屋城開城。
 >>近衛前久帰還。
  『島津は朝廷の和議に従う旨』を通告。

 大友軍主力、高原城占領。
 >>米良矩重内応
 >>島津軍真幸院へ撤退を確認。

 大友軍主力、三ッ山城へ移動。
 三ッ山城開城。
 >>米良矩重より、島津軍のかなりの戦力が木崎原に集結しているのを確認。
 >>米良矩重、兵五百を持って参加。先陣に編入。





 大友軍主力、三ッ山城出陣。 
 粥餅田近辺に島津軍を確認。






「伝令!
 粥餅田付近に島津の旗印!!
 兵数は不明!」

「米良矩重より、『島津は偽旗で兵を欺くので注意されたし』との事」

「先陣より伝令!
 先陣は進軍を停止し、合戦準備に入る!」

「間者より報告!
 島津軍が木崎原より粥餅田方面に移動!
 多くの間者が島津の間者に討ち取られております!!」

 珠です。
 現在戦場にいます。
 何で、こんな場所にまで出張らないといけないかと言いますと、前関白である近衛前久の和議勧告の受諾の為である。
 戦争では一歩でも引いたら舐められます。
 だから、ギリギリのチキンレースを行わないといけません。
 今回の戦は木崎原合戦の続きであるために、その領有を争っていた真幸院に入らないといけなかった訳で。
 同時に、島津にとっても大友軍を絶対入れたくない訳で。
 そういう意味で、この対陣はある種予想ができた事。

「先陣に伝令!
 絶対にこっちから仕掛けない事!
 間者は損害をまとめて動ける者は本陣を警戒!
 相手がやるなら絶対に伏兵を仕掛けてくるわよ!
 戸次鑑連にも伝令!
 こちらからしかけない以外は全部任せると伝えて!!」

「はっ!」

 私の怒鳴り声に伝令が飛び出して馬に乗ってその命令を伝えに行く。
 騎馬武者達が号令をかけ、足軽達が隊列を整え、陣を構築してゆく。

「旗が多いわね。
 偽旗とはいえ、そこそこの数はいるんでしょうが」

 前線から離れた本陣からでも林立する島津の旗、旗、旗。
 これが、前の木崎原や先の大畑合戦で島津の勝利に貢献した偽旗である。
 それがずらりと山や丘に林立しているのは壮観なものである。
 もっとも、その前の平地で万の兵を動かしている我らも島津にとっては脅威なのだろうが。
 流石に待ち受けていただけあって地の利は向こうが握って離さないか。

「戸次鑑連様より伝令!
 雁行陣を敷くとの事。
 本陣はそれに伴い後備に退いてもらいたいとの事にございます」

 雁行陣。
 雁の群れが列をなして飛ぶ陣形で、縦深陣を展開する事で私を島津に近づけさせない腹か。
 この陣はそのまま魚鱗陣や鶴翼陣に移行しやすいという特徴もあり、大兵で相手の出方を見るのに最適な陣の一つである。

「姫様。
 このままお引きになって、三ッ山城にお下がりになられては?
 姫様がおられる事で、かえって危くなる可能性が」

 麟姉さんの進言は実に正しいのだが、この状況で下がるのはかえってまずい。
 一応、双方とも和議は受諾しているのだ。
 この対陣は大友と島津の国境線の確定の為である。
 もちろん、裏切り裏切られの戦国の世だからこのまま開戦というケースもある。

「向こうは争う気も無いし、こちらも争うつもりは無い。
 一応はね。
 ここで下がったら豊後国人衆になめられるわよ。
 だから、戸次鑑連も『後退』であって、『城まで退け』とは言ってこないでしょ。
 麟姉さん。田原親賢に荷駄を下げさせるように伝えて」   

 そう。
 開戦できるのだ。
 だからこそ、ここまで出張って、そして迷っている。

「雁行陣に従い本陣を下げるわ!
 私の姫巫女衆の前を宇佐衆、後ろを香春鎮台が固める事。
 島津側に動きは?」

「ありません!」

 物見の確認の声に私は大声で命令を伝えた。

「陣を変えなさい!」

 
 地理説明 粥餅田

 数字 大友軍
 黒色 島津軍 偽旗



←木崎原
         ▲ ▲

     ▲
    ▲

       ①①①
 ▲      ②②②
         ③③③ 
          ③③
                →三ッ山城
大友軍
① 先陣 小野鎮幸 三千五百
②第二陣 戸次鑑連 三千
③ 本陣 大友珠  五千

島津軍  不明


「手が出しづらいわね……」

 既に陣を組んでから一刻が経過している。
 島津も大友もまったく動きなし。
 更に厄介なのが、島津の旗が立っている場所は全部山だったり小高い丘だったりする訳で、敵兵の把握ができずに攻めるのを躊躇する地形だったりする。
 中央部の旗が立っている場所を総攻撃して突破できればいいが、島津軍が左右に少なからぬ兵を置いていたら挟まれる。 
 島津軍がこちらより多いとは思えない。
 だが、確実に兵力比は木崎原より縮まっているのは間違いない。
 二十倍の数で負けた島津軍相手に、たった数倍で戦うなんて悪夢じゃないか。

「向こうの動きは分かる?」

 私の言葉に軍師として控えていた角隈石宗が口を開く。
 考えてみれば、この人軍師として私と組んでお仕事したのはこれが最初のような気がする。
 南予侵攻時は武将で、しかも別行動だったし。

「物見を出した所、どの旗の下にも人影はある様子。
 ですが、もし和議を破って攻めるのでしたならば、早めに攻めるべきかと」

「どうして?」

 私の問いかけに、角隈石宗がただ指を曇り空に向けて一言。

「雨が降りまする。
 鉄砲及び大筒が使えなくなりますゆえ」

 そうだった。
 この人軍師というより、気象予報士というか幻術使いという方がしっくり来る人だった。
 そんな角隈石宗の雨が降るの一言に私の心は更に乱れる。

「雨が降る前に、あの陣ぬける?」

 西の空を見るとかなり暗くなっている。
 これは夕立が降る可能性が高そうだ。

「無理でしょうな。
 兵数不明で飛び道具も使えず、守り手にあの島津忠平(義弘)がいる可能性が高うございます。
 雨降る中で乱戦になって、釣りだされる可能性の方が高いですな」

 私と角隈石宗の会話を聞いていた麟姉さんが、傘を持ってこさせるように姫巫女衆に指示を出している。
 火縄と火種を濡らさぬようにと、田原親賢の声が遠くから聞こえる。
 そして大きな傘が次々と広げられる。 
 時間はもうあまりない。

「ならば旗の立っている所全部攻めてみようか?」

「大兵の多さをお捨てになるつもりですか。姫様。
 一手抜かれたら本陣にまで迫られますぞ」

「ごめん。
 言った私が馬鹿だった」

 扇を取り出して意味も無く扇ぐ。
 顔から汗が垂れて、着ていた巫女服が汗で気持ち悪い。
 心の中で悪魔が囁く。
 このまま開戦してしまえ。
 連戦で消耗している島津を叩くチャンスなのだと。
 ここで島津を潰せれば、後ろを気にする事無く信長と対峙できる。
 そう。
 島津を潰せるのならば。



 なるほど。
 ここが、私のルビコンか。



 戸次鑑連も小野鎮幸も兵を完全に掌握しているらしく、勝手に仕掛けるようなそぶりは見せていない。
 戦になるかもというか、私が散々この和議について迷っていた事は、大友軍の武将ならば誰でも知っていた。
 だから、臨戦態勢でじっと私の命を待っている。

「時に姫様。
 お聞きしたい事があるのですが?」

 不意に聞こえた角隈石宗の好々爺な声に、毒気を抜かれた私は扇を扇ぎながら口を開く。

「手短にお願い。
 残り時間、少ないから」

 手短にと言ったのに、実にのんびりとした口調で角隈石宗はその聞きたい事を私に告げた。

「申し訳ござらぬ。
 年ゆえ物忘れが激しくて。
 この戦、何の為に行うのでしたかな?」

「何言ってるのよ!
 そんなの日向征服の……」

 激昂しかけた私の頭が急速に冷える。
 そうだ。
 この戦は日向征服が目的のはず。
 ならば、既に目的はほぼ達成している。
 最初のブリーフィングで私は何て言った?

「どっちにしろ、伊東家を滅ぼして日向を制圧する以上、日向国人衆を掌握する為にも真幸院には足を踏み入れないといけないわ。
 でないと、こっちが日向国人衆に舐められる」

 もう、目的達成しているじゃないか。
 米良家がこちらについた事で、真幸院の一部領有は成功している。
 日向国人衆も島津の焦土作戦で疲弊した上に、難民を全部こっちで引き取ったから逆らえる訳が無い。
 無理して戦わなくて良いんじゃなかろうか?

「孫子にこんな言葉があります。
 『高陵には向かうことなかれ』(高所を攻めるな)、
 『佯(いつわ)り北(に)ぐるには従うことなかれ』(わざと逃げる敵を追うな)、
 『鋭卒には攻むることなかれ』(やる気の兵と戦うな)、
 『餌兵には喰らうことなかれ』(餌に食いつくな)、
 『帰師(きし)には遏(とど)むることなかれ』(帰る敵を追うな)、
 『窮寇(きゅうこう)には迫ることなかれ』(窮地に追い込んだ敵を攻めるな)。
 今の我らに色々当てはまりますな」

「……」

 すげぇ。
 指摘されるまで気づかなかったけど、孫子のやっちゃ駄目な事、8つのうち6つまでクリアしてやがる。

「『軍争篇』だったっけ?
 けど、一番言いたい事はこれなんでしょ。
 『兵は国の大事にして、死生の地、存亡の道なり。察せざるべからず』。
 これも合うわね。
 『兵は拙速(せっそく)を聞くも、 いまだ巧の久しきを睹(み)ざるなり』」

「お見事でございます。姫様。
 それが言えるのならば、この場の決断はおのずと明らかかと」

 角隈石宗があえて言わずに、私に言わせた孫子始計篇の言葉は、


 戦争は国家の大事であり、国民の生死、国家の存亡にも関わるのだから細心の注意を払って検討に検討を重ねなければならない。
 戦争において長期戦に持ち込んでうまくいった事は聞いた事が無い。


 読んでいたはずなんだけどなぁ。孫子。
 現場の今の今まで綺麗さっぱり忘れていた。
 これは日向伊東戦であって島津戦ではない。
 島津戦を行うなら、一からちゃんと島津戦の仕掛けを作るべきなのだから。
 なし崩しに戦って、薩摩が取れるとか何甘い事考えていたんだろう。私は。

 ぽたりぽたりと雨粒が頬に当たりだす。  
 これで、鉄砲と大筒の使用が事実上不可能になったか。

「神は言っている。
 今ここで争うべき運めでは無いと」

 雨粒に当たりながら天を見上げて冗談を口にする。
 それを聞いたらしい角隈石宗も冗談で言葉を返す。

「姫様。せめてそこは仏あたりで返して頂けると拙僧としては嬉しいのですが」

「あら、私は神に仕える巫女なのよ。
 忘れた?」

 麟姉さんが差し出した傘に入り、軽く首を振って悪魔の誘惑を振り切る。
 島津戦もそうだが、織田戦でもここでの開戦は悪手だ。
 今、島津と戦って勝っても、軍の再編に半年、後始末に一年、日向・大隅・薩摩の復興に三年はかかる。
 あの織田信長に三年の自由時間を与えるなんて、どう考えても敗北必至じゃないか。

 持っていた扇をゆっくりと下ろした。
 そして、その決断を口にする。

「撤退するわ。
 殿は高橋鎮理、残りは戸次鑑連の指示で三ッ山城まで後退」

 私の決断に皆安堵の声が漏れる。
 決断した以上は手早く、早口で私は命令を飛ばし続ける。

「角隈石宗殿。
 近衛前久公と話をして、島津と誓紙の交換の手続きをお願いします。
 田原親賢と麟姉さんは酒と粥の用意を。
 戦はこれで終わりだからありったけ出すこと!
 伝令!
 佐伯惟教に和議成立を伝えて、高城を開城させるように。
 くれぐれも島津の将兵は丁重に扱う事」

 喋っている内に、妙なスイッチが入ったらしい。
 最後はやけの大声でこの戦を締めくくった。

「勝どきをあげなさい!
 日向における戦は、我ら大友の勝利と!!」

 対峙していた大友軍一万一千五百から上がる勝どきの声に負けじと、島津側からも勝どきがあがる。
 この対陣双方の勝どきは、大友側が、

「日向をほぼ征服した」

 という勝どきであり、
 島津側は、

「真幸院を守った」

 という勝どきである。
 勝どきの声をあげる兵達にも安堵の顔色が見える。
 そりゃ、あの島津軍、鳥神尾・木崎原・財府(龍虎)城郊外・大畑と連戦連勝の無敵島津軍を相手にはしたくは無いか。 
 こっちの損害がどれだけでるか本当に分からなかったからなぁ。

 三ッ山城に帰る途中に駆けてきた四郎を見ずに、次の命を伝える。
 天下に引きずり出された八つ当たりというのは自分でも分かっている。

「四郎。
 編成途中の御社衆を率いて、毛利一門として淡路の岩屋城に入りない。
 あなたが石山救援の総大将よ」



 ならば、引きずり出した事を後悔させてあげるわ。信長。



[16475] 南海死闘編 第二十三話 日向侵攻 あとしまつ
Name: 北部九州在住◆69dd1406 ID:ccc3f850
Date: 2010/10/09 09:35
 日向国 美々津


「な に を な さ っ て い ら っ し ゃ る の で す か ? ひ め さ ま ?」

「ちょ……りり麟姉さん。
 これは色々と、そう!
 将来の大友家の雇用対策の一助に……」

「姫様がおっしゃる事に百歩譲って利があるとして、どうして姫様がその穴の開いた木箱に入ろうとしていたのかお聞きしたいのですが?
 ちなみに、先ほどの姫様自身の説明だと、この中に遊女が入って、銭を支払って穴から出るあれに奉仕するとか何とか」

「だって四郎が先行っちゃったし、しばらく会えないし、手と口は浮気じゃないし、戦終わったから色々煩悩開放をば」

「何処の大名家の姫様が、傀儡女以下の事を嬉々としてやりやがっていやがりますか!!!
 そもそも姫様、あんたお腹にお子がいらっしゃるじゃないですか!!!!!」

「うん。だから今なら浮気も問題な……ちょ!痛い痛い!!
 耳引っ張るのは駄目だってっ!!
 のぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ……」


「また、あの姫が豊後太夫に耳引っ張られてるぞ」
「こりないのぉ。
 あれで次期大友家当主になろうというのに……」
「あれで顔姿がいいから、一度やりたいとこなんだがなぁ」
「お前新顔か?
 だったら、戦が終わった後で杉乃井遊郭の大手門に朝行ってみろ。
 あの姫様が裸で晒されているから。
 触らなければ顔と口子種かけ放題」
「まことか!?」
「で、喜んでいる所をあの豊後太夫に耳引っ張られて奥に連れ込まれると。
 あれを見ると、戦は終わったんだと実感するよ」




 同じころ 豊後国 府内



「お味方大勝利!
 日向国はほとんどが大友の手に!!」

 その報告が府内の町に南蛮船で届けられた時、誰の顔にも歓喜が浮かんだのは当然の事だろう。
 出兵している者の身内は彼が帰る事を喜び、商人達は新たな征服地である日向にて金儲けを企み。
 何も関わりが無い者でも、その空気を感じてなんとなく喜んでいたのだった。

「町が、賑やかなようですな。
 ここまで、声が聞こえてきますゆえ」

「娘の戦が終わったらしい。
 詳細はおいおい届くだろうが、さしたる戦も無く日向を手に入れたらしい」

 府内城に近い武家屋敷の一角、吉岡家の屋敷はそんな浮ついた空気を気にする事も無く、閑静な空気の中に漂っていた。
 それは、隠居の身である吉岡長増が病に臥せっており、当主である吉岡鑑興も真面目な人物であるゆえ浮つく事をしなかったという事もあるのだろう。
 病身の吉岡長増の隣に見舞いに来た大友義鎮と供に連れてきた美々津帰りの恋が座り、府内の町の賑やかさを遠くから肌で感じていた。

「恋。
 奥方の文を持ってきておるのだろう。
 早く鑑興に渡してやるといい」

「は、はい」

 珠付である麟の為に、恋は麟から旦那宛の手紙を頼まれていたりする。
 なお、麟の子供達は、杉乃井や府内で比売御前や奈多夫人に可愛がられたりする。
 おかげで、彼女達に可愛がられた子供達は、同紋他紋一門係わらず全員、

「我らには母様が三人いる」

 と自慢するほどまでに可愛がられ、子供達が大人になって政治的影響力を持ち出しても、『母様に迷惑がかかる』と決定的な対立を避けるようになったとか。

「では、恋殿はこちらに。
 何かありましたらお呼びください」

 気をきかせた吉岡鑑興が恋と共に別部屋に移り、吉岡長増と大友義鎮の二人だけになる。
 話す事も無く、ただ二人がそこにいるだけの時間は思ったより長く、覚悟していたよりは短かった。

「で、だ。
 そろそろ、娘の監視を解いてもらおうと思ってな」

 何気なしに漏らした義鎮の一言だが、それはとんでもない爆弾発言だった。
 珠についている麟が間者であると言っているのだから。
 だが、その言葉を吉岡長増は否定しなかった。

「気づいておられましたか。
 あれが、姫様への監視であった事を」

 起き上がろうとする吉岡長増を手で制して、大友義鎮は呟く。
 浮かんだ笑みは、悪戯が成功したような悪餓鬼のように吉岡長増には見えた。

「長い付き合いだ。
 爺の考えそうな事はなんとなくわかる。
 あの娘と長く付き合える時点で、素性的に怪しいとは思っていたよ。
 もっとも、珠が連れてきた瑠璃御前やその娘達を見て世間は広いと驚かされたが」

 麟は吉岡鑑興の嫁であるのだが、彼女自身の氏素性は謎に包まれている。
 林左京亮の娘というのが一応紹介ではあるがそれも怪しく、武勇知略に秀で、何よりも色事に長けている(彼女は珠の愛妾だったのである)のが義鎮にとって決定打だった。 
 珠の行動は、遥か前からじっと監視され続けていたのである。

「事実、あれと殺し合いをする寸前だったのだからな。
 何故止めた?」

「簡単な事じゃよ。若。
 父に弟まで殺し、子まで殺させるほど世の中はひどくはないと思ったまでの事。
 それに、既に麟への命は遥か昔に解いておりますゆえ。
 あの晩、姫と若が戸次鑑連の屋敷で語り合ってから」

 あの晩の醜態を思い出してか、大友義鎮は顔をそらして庭を眺めるふりをするが、頬に伝わる汗が全てを物語っていた。
 それを見た吉岡長増が寝たまま力なく笑う。
 そんな姿は本当の若と爺に見えただろう。 
 だが、大友義鎮の本当の爺は既に居ない。
 彼にとっての爺は本来は入田親誠。
 大友二階崩れの首謀者として粛清された彼が大友義鎮にとっての爺だった。
 だが、入田親誠亡き後にその爺の席に座ったのが吉岡長増だったのである。
 最初は吉岡長増の事を警戒したし、排除も考えなかった訳ではない。
 だが、小原鑑元の乱時に府内から一時逃げるまで追い詰められた大友義鎮を支えて、謀略で敵を切り崩していったのも吉岡長増だった。
 そして、吉岡長増が切り崩した敵を戸次鑑連が討ち取るという形で、小原鑑元の乱を乗り切ったのだった。
 大友義鎮の生涯で最も危なかったこの乱の時、吉岡長増が珠を預けていた宇佐八幡および宇佐衆を率いる佐田隆居に文を出して謀反に走らせなかったのを義鎮は知っていた。
 それ以後、大友義鎮は吉岡長増を信頼し、互いに言うつもりは無いがその関係は破綻する事無くこうして続いていた。

「覚えておきなされ。若。
 姫様が大名の座を降りる時に、必ず血が流れましょう。
 佐田・城井・田原・立花・佐伯・竜造寺、これらの家の処遇にはゆめゆめ気をつけなされ。
 佐田と立花は姫様と一心同体ゆえ、旗頭に担がれましょうし、竜造寺は火種があれば燃え上がる油のようなもの。
 姫様を殺したくなくば、姫様の旗本である彼らに必ず枷をつけなされ」

 あえて、殿ではなく今まで呼んだ事すらない若と呼んだ事で、大友義鎮は吉岡長増の命が残り少ない事をいやでも悟らざるを得なかった。
 吉岡長増は爺らしく最後まで大友義鎮の身を案じていたのだった。
 それは、大友義鎮が望んでいた家臣とのふれあいでもあった。

「既に、此度の戦において佐伯惟教が勲功をあげる事を、姫様が大名になる以上に国衆は嫌っておりまする」

 特に吉岡長増が問題視したのが佐伯惟教で、彼自身に恨みは無く名将であることを評価もしていたが、大神系国人衆と長年にわたる血みどろの闘争を繰り広げてきた大友同紋衆にとって、大神系国人衆の宗家的立場である佐伯氏の復権など認められる訳が無い。
 何よりも、彼は南予侵攻時に珠の声で帰参を許された珠姫与党だ。
 とはいえ、佐伯惟教は今回の日向遠征の前半において日向北部をきっちりと掌握し、その功績は評価されるべきだった。
 雄城鎮景を立花家に追いやった形で、他紋衆から加判衆に入る危険をぎりぎりまで下げたつもりだったのに、厄介な事になったと吉岡長増は言っているのだった。
 しかも、木崎原より長期で日向に残って、今回の合戦の功績第一位に上げられるだろう立花元鎮は毛利一門でもっと問題だった。
 志賀親守も地味に功績を立てていたりするが、この二人を押しのける事は難しいだろう。
 珠の政権下で確定で加判衆に入る佐田隆居に続くであろう、毛利(立花元鎮)+大神系国人衆(佐伯惟教)という他紋衆の加判衆入り。
 それは二階崩れや小原鑑元の乱以上の恐怖を同紋衆に与えていたのだった。

「それが、同紋衆の意見か」

 大友義鎮がため息をつく。
 二階崩れと小原鑑元の乱を知っているだけに、娘の権力基盤そのものが爆弾であるという吉岡長増の指摘に同意したからに他ならない。

「姫様によって、他紋衆はいやでも強大になりましょう。
 なんなれば、乱が起これば他紋衆は毛利の後詰を期待できます。
 小原鑑元の乱より激しく、そして悲惨な事になりましょう」

 幸いにも表立った謀反の動きは無い。
 これも、此度の日向戦を含めて珠にさしたる失態が無く、国人衆への利益供与を与えていたという実績がその芽を抑えているに過ぎず、与えられた利益と比例するように失ってゆく権力にじわじわと不満がたまっているのも事実だったのだ。

「評定衆か。
 あれで、豊後外での謀反はだいぶ押さえられたと思うが、豊後が火種になろうとはな」

「人は、与えた恩より、失った恨みを長く思うもの。
 同紋衆の疎外感は、長寿丸様が家督を継いだ時に一気に噴出しましょう」

 珠の進言で導入した評定衆という制度も問題の一因になっていた。
 評定に参加できるというある種の栄誉職ゆえに、遠慮なく外様にまでその門戸を広げたのだった。
 結果、必然的に豊後国人衆の地位は低下する。
 だからこそ、珠が大名の座から降りて長寿丸がついた時に血が流れると吉岡長増は言っているのだった。
 長寿丸が大名の地位についた時に、珠との違いを出す為にも加判衆編成はいやでも同紋衆を主体とした豊後国人衆で構成される可能性が高いからだ。 

「手はあるのだろう?」

 さしたる心配事では無いように大友義鎮は尋ねた。
 なぜならば、吉岡長増は問題だけを指摘するような男ではない。
 指摘するだけの男が大友家中枢に居座っていられるほど戦国大名は甘くも無い。

「今川から分かれた北条よろしく、家をお分けになりなされ。
 そして、姫のみを大友内部に取り込むしかございませぬ。
 絶対に姫を加判衆からお外しになってはなりませぬ」

 珠が大名を降りた後で新設分家を作り、そこに先にあげた連中を陪臣として入れる事で大友本家への影響力を削る事は珠自身も考えていた。
 本人は宇佐近辺と杉乃井があればいいと楽観視していたが、筑前と豊前の二国は確定でくれてやらねば家臣が納まらない。
 現状の大友領内で珠が多大な影響力を持っているのは、筑前・豊前・四国に征服された日向と広大であり、この二カ国確保ですら珠にとっては影響力削減になってしまうという所に珠という姫の英傑ぶりとやっかいさがある。

「そして、姫様が家督を継ぐ前に、志賀親守と吉弘鑑理を隠居させ、後釜に同紋衆をお入れなさいませ」

 次の引退が囁かれていた二人を先に隠居させてその後継を決める事で、他紋衆の影響力排除を狙う。
 そして、こんな話をするという事は、後任の根回しは既に行っているのも吉岡長増だった。

「次は誰にする?
 既に考えているのだろう?」

「志賀鑑隆殿と田原鑑種殿」

 志賀鑑隆は大友三大氏族で一番の勢力を持つ志賀家の南志賀家当主であり、北志賀家当主だった志賀親守が加判衆についていた後釜とすれば当然の選択である。
 だが、吉岡長増が田原鑑種を推したのには流石の義鎮も息をのまざるをえない。
 元々大友家に反抗的だった田原家を継ぐ前の苗字は高橋家で、その前は一万田であり大内義長の重臣だったという経歴を持つ彼は、同紋衆の血を引く野心ある男であった。
 実際、この二人は知らないが珠ですら一度は粛清を考えたにも係わらず、有能すぎたので取り込んだという前科を持っていたりする。
 と、同時に田原家の代表として加判衆に入るという事で、大友義鎮の寵臣である田原親賢を加判衆に入れさせないという側面を持っていたのだった。
 田原親賢が何故嫌われるのか?
 理由は大友義鎮の寵愛でも才能でもなく、彼が奈多家という他紋衆かつ義鎮の外戚になるという同紋衆の恐怖から来ている。
 だからこそ、大友義鎮は大友三大氏族である田原家へ養子に行った彼を同紋衆として扱うよう狙ったのだが、小原鑑元の乱の記憶が残る同紋衆がそれを認める訳がなかった。
 もっとも、田原親賢を警戒しすぎて立花元鎮と佐伯惟教の台頭を許してしまうあたり、世の中はうまく行かないと吉岡長増は力なく笑ったりしているのだが。

「一万田も下げさせるつもりだな。
 兄弟で加判衆を務めるだけで嫉妬を買おう。
 次に同紋衆で加判衆に近いとなれば……」

「木付鎮秀殿を。
 彼にはそのまま日出鎮台を率いさせてくだされ」

 一万田親実と田原鑑種は兄弟である。
 弟が入る以上、兄が下がるのはその前の加判衆人事で田北鑑生の引退時に田北鑑重が入るという前例がある。
 そこまで読んでいたらしく、吉岡長増があっさりと後任の名前を告げる。
 鎮台制度ができた事によって、従属大名を除くと加判衆および評定衆は鎮台大将から選ぶというのがある種の不文律になりつつあった。
 なにしろ、現地裁量権の大きい鎮台の大将である。
 これを大過無く勤められるのならば、資質とすれば十分である。
 木付鎮秀は別府奉行時に珠との付き合いがあり、珠が連れてきた八重姫と息子である木付鎮直が夫婦になっている珠姫系の同紋衆である。
 なお、志賀鑑隆は珠が香春岳城を持った時の城代だった男であり、先に上げた二人を含めて全員珠と顔見知りな者達ばかりだった。

 互いに言いたい事は言ったし、聞きたいことは聞いたので、また部屋が静かになる。
 これは聞かなくてもいい事なのだろうが、大友義鎮は三途の川を渡ろうとする老人に最後の声をかけた。

「しかし、最後の会話がこれでいいのか?
 息子も孫も、嫁でもなく、わしで?」

 それは当然の疑問だが、吉岡長増は息子や孫や嫁に見せるような笑顔を大友義鎮に見せて、先ほどより弱い声でその問いに答える。

「既に他の者とは別れを済ませておりますゆえ。
 息子に、嫁に、孫。
 戸次鑑連に角隈石宗殿にも殿と姫を支えて欲しいと頼んでおきました。
 姫様の凱旋を見れなんだのは残念ですが、こうして若に来て貰いました。
 何の不満がありましょう」

 吉岡長増が大友義鎮の手を取る。
 しわがれた老人の手から命はどんどんこぼれてゆく。
 けど、その取った手を最後の力で強く握って吉岡長増は笑った。

「誇りなされ。若。
 この府内の声を、この府内の空気を、そして豊後大友家をちゃんと姫に渡せる事を誇りなされ。
 若の罪、この老いぼれが少し背負っておきますゆえ……」

「死んでからまで世話になるか。
 ……おい……」

 ことんと乾いた音がして、力強く握られていた吉岡長増の手が落ちた。
 安らかな笑顔を浮かべて、吉岡長増は寝たまま静かに逝った。
 その死に顔をじっと見つめたまま、大友義鎮は何も言うでなく、吉岡長増が最後に伝えた府内の空気をじっと感じていた。
 祭囃子が聞こえる。
 戦勝を祝って誰かがやっているのだろう。
 お祭り好きの、珠の配下である姫巫女衆あたりだろうか。

「殿様。
 お茶を……」

 お茶を持ってきた恋を手で制し、大友義鎮はそれを静かに告げた。

「逝ったよ。
 恋。済まぬが人を呼んでくれぬか?」

「は、はい。
 誰か!誰か……」

 安らかに逝った吉岡長増の顔を見ながら、大友義鎮はぽつりぽつりと言葉を漏らす。
 目から涙を流しているのに、それを気づかないふりをして。

「なぁ、爺。
 知っているか?
 俺は今泣いているんだぞ。
 親の死に目にすら泣かなかった俺が、弟を見殺しにした俺が。
 まだ人らしい事ができたと爺は教えてくれたのだな。
 目を開けてくれよ。爺。
 俺は爺に教えてもらってばかりで、何も爺に返していないのだから……
 なぁ……」

 吉岡長増の死は大友一門として扱われ、珠たち日向遠征軍までも喪にふし、盛大に葬儀が行われた。
 それだけでなく、毛利・織田・島津・長宗我部等の外交使節が弔問に訪れて、葬式の裏で色々どす黒い事を話し合っていたあたり、彼は最後の最後まで大友家に尽くしたのだった。
 彼の死後、長寿丸の元服を待たずして、義鎮の名前で珠が大友家を本格的に動かしだす。
 そして、珠が最初に手をつけたのが対織田戦になる石山本願寺への救援だった。



 地理メモ
 粥餅田  宮崎県小林市北西方2450-46
 由来   ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2439.html



[16475] 南海死闘編 第二十四話 対島津内線作戦計画……の挫折
Name: 北部九州在住◆69dd1406 ID:ccc3f850
Date: 2010/10/14 15:27
 日向国 佐土原城

「で、取った日向だけど誰かいる?」

 この一言で、諸将を呆然とさせてしまっている珠です。
 ちなみに諸将の手には知瑠乃から渡された証文が一つ。
 私が発行した千貫文の証文なんだけどね。
 麟姉さんは吉岡長増の葬儀の為に先に帰しているので、私の後ろには白貴姉さんが座っていたり。

「え?
 千貫文で足りなかった?
 それならば、足りない理由を書いて持ってきて頂戴。
 ちゃんと理由があるなら払うから」

「姫様。
 お願いでございますから、少しお待ちくださいませ」

 諸将を代表して戸次鑑連が珍しくうろたえた声で私を止める。
 はて?
 何か彼らを呆然とさせる事をしたかしら?

「どったの?みんな?呆然として?」

「姫様。
 まず、これは何かとお尋ねしてよろしいですかな?」

 角隈石宗が証文をひらひら揺らして尋ねてみる。
 いや、見ても振っても銭は出ないと思うよ。換金しないと。

「見ての通り、千貫文の証文。
 みんな戦で色々元手がかかったでしょ。
 その支払いはこっちでするから、その支度金」

 鎮台制度の為にかなりの軍事費用を大名家本体が受け持つとはいえ、払い物が出るのは消費活動しかない軍事行動において当然の事で。
 たとえば、士気向上の為の宴会や物資を集める為の荷駄の手配(予定より速く多く集めたい場合、軍計画とは別に将が自腹で用意したりする)。
 情報収集に間者を雇ったり、住民慰撫の為に銭をばら撒いたり。
 軍を動かすというのは支払いの連続でもあり、このあたりの手配は基本的にその将の自腹だったりする。
 だからこそ、将は褒美の段階で永続的収入が見込める土地を欲するのだ。

「だって、今回の日向遠征で日向をほぼ手に入れたとはいえ、戦に焼き働きでろくな収入にならないじゃない。
 とりあえず、貴方達の名前で証文書いて商人から銭借りるのより、私が払った方がいいわよ。
 基本満額だし。
 私の証文」

 そこまで言って何人かに安堵の顔が見える。
 今回の遠征で功績は立ててないけど、出兵に参加した将達にとっては、借金地獄に落ちなくてすむ事を意味しているのだから。

「いえ、ですから、我らは日向の戦の後を考える為に集った訳で……」

 角隈石宗の説明に得心が言った私は手を叩きながら先走る。

「だから恩賞でしょ。
 払いはそれで片付けて、問題は誰に日向を任せるかって所なのよねぇ……
 ああ!
 復興資金が欲しいって事か!!
 おーけーおーけー。
 復興資金も私が払うから、どーんとこの価格……」

「姫様!
 お願いですから、もう少し、我らに噛み砕いて、ご説明をお願い申し上げまする!!」

 テレビショッピング口調で最後の価格を言おうと思ったら、戸次鑑連に怒られた。
 あれ?

「たしかに、戦は終わり申したが、島津の脅威はそのまま残っております。
 これをどうするかという話を忘れて、恩賞の話をするのは少し浮かれていると思うのですが」

 あ。
 そこか。

「国境線で防ぐのって実質的に不可能だし。
 島津が侵攻を決意した時に、こちら側の兵が後詰に間に合わない可能性高いし」

 今回の戦で大友は日向の大部分、肥後相良領の過半を入手。
 島津は大隅をしっかりと制圧している。
 で、一応戦は終わったけど戦術環境はむしろ悪化していたりする。
 経済封鎖できりきりと島津は締め上げていくのだが、島津が暴発した場合に対処ができないという欠点を抱えているのだ。
 目の前に日向の地図を持ってこさせて、簡単にそれを説明する。

「まずは都城盆地なんだけど、あっこの北郷家って島津家分流なのよね。
 今回は一応こっちについたみたいだけど、まず寝返るだろうし」

 元々薩摩・大隅・日向に権勢を誇っていた島津家は、日向にも分家があったりする。
 それがこの北郷家なんだけど、島津側として伊東家や肝付家と戦い、私の支援もあって飫肥城陥落時に伊東家に従属していたりする。
 とはいえ、その理由が伊東家と肝付家が反島津に回ってしまい、飫肥城も取られて孤立してしまったというのが大きい。
 だが、その伊東家と肝付家の二家は木崎原合戦から始まる戦乱によって没落。
 北郷家は当主の北郷忠親が病で倒れ、動くに動けなかったという理由である種の中立を貫いたのだった。
 結果、島津分家筋という理由もあってか島津軍の略奪から外れ、大友軍を都城平野に受け入れるという寝技で今回の戦を切り抜けていたりする。
 まぁ、うちの一門や譜代もそうなのだが、豪族クラスの寝技ぶりはいつもながら感嘆に値する。
 ちなみに、その北郷家は今回の集まりにも、病欠という届けをだして来ていなかったりする。
 だから、ものすごくやっかいなのだ。
 次に後を継ぐであろう北郷時久の出方次第ではあるのだが、まず彼は島津に転ぶだろう。
 飫肥城は伊東家が入り島津憎しの炎を燃やしているからまぁ問題は無い。
 真幸院からのルートは山道なので塞ぐのは簡単である。
 だが、大隅が実質的に島津支配下に入った事によって、今まで孤立していた北原家が島津領国とくっついてしまい、都城平野から北上されるルートを島津が手に入れてしまった。
 それを考えると、島津は三つある日向侵攻路の内二つを握った事になる。

「……と、言う訳で、島津は二方向からこの城にやってくる事になる訳で、この城を最前線に考えるならば、いっその事この城の主に日向全部任せてしまおうと思って。
 その方が私も楽だし」

「ぶっちゃけやがったよ。この姫様」

 後ろで白貴姉さんがぽそっと言った言葉は完全に無視して、私は真顔で話を続けてみたり。
 やっと、ここで私が欲しかった「おお……」という声が聞こえてきたり。

「という訳で、早い者勝ちで一名様先着で日向一国プレゼント!
 おまけに、今回は特別サービスという事で、戦で荒れた復興資金も出しましょう!!
 どうよ!
 このサービス価格!!」

 これで、サクラがぱちぱちの拍手をすればテレビショッピングの一本できあがりで、後は電話を待つばかり……

「お願いでございまする。
 姫様。
 おふざけにならないで、ちゃんと話を進めてくだされ」

 どったの?
 みんなため息ついて?
 何で、角隈石宗は耐えるような声で、私に説明を求めるのかな?

「いや、真面目な話、日向一国あげるって。
 私にとって、元々いらない土地だったし。日向」

 真顔で言い切った私の一言に、今度こそ完全に見事なまでに時が止まった。
 あれ?
 なんで、戸次鑑連と志賀親守と角隈石宗のお三方がつつっとやってくるのかな?かな?

「姫様。少しこちらへ……」

 がっしりと両手を捕まれて、そのままずるずると隣の部屋へってあれ……?

「あの姫様、妙に欲が無いのが困り物なんだよ」

 いや、したり顔で諸将に説明してないで助けろよ。白貴姉さん。




「話を真面目に進めるわよ~~~」

 隣の部屋で三人に泣かれて、土下座されてやさぐれています。珠です。
 いや、本当に日向いらないというのに。まじで。

「大名として御立ちになるのに、その欲の無さは罪です!」

 って、加判衆+軍師の三人でこんこんと説教とされても、本気でいらないんだからしょうがないじゃないか。
 いつの間にか佐土原城は私の城になっているし。
 城代派遣しないといけないじゃないか。めんどくさい。

「さっきの話の続きだけど、島津の侵攻に対して防衛がかなり難しいという事は理解してもらえたかしら?」

 とりあえず、確認の言葉を投げてみるがそれについては誰も異を唱えなかった事にほっとする。

「今回の島津の動きを見て分かったと思うけど、島津の行動限界がこの佐土原あたりなのよ。
 事実、高城には兵を入れたけど少数だし、間にあった穂北城や富田城は抜けなかったでしょ。
 できれば、島津と戦うにはもう少し上の方がいいのよ。
 あいつらを飢えさせ、疲れさせるためにもね」

 そう言って、私は地図上のとある一点を指差す。
 その場所に諸将がじっと私の指の先を見る。

「高城川対岸。
 ここを島津の阻止限界線とするわ。
 美々津は私の直轄にして、今回の戦と同じように兵をここで集結させて島津軍に当たる予定。
 ただ、違うのは財府城も高城も今回は我々の城で基本守りという所よ」

 それに手をあげるのが最前線に領地を持つ米良矩重。
 日向国人衆の皆様を代表してだろう、彼に期待の目を向ける日向国人衆。

「それでは、我らの領地を攻められている時に後詰を送らぬと言っている様に聞こえるのですが?」

「うん。
 送る気ないから、逃げても寝返ってもいいわよ」

 だから何でそんなに固まる。お前ら。
 というか、また戸次鑑連と志賀親守と角隈石宗のお三方が立ち上がってこっちに……

「ちょっと待った!
 これは、ちゃんと説明するから少しだけ待って!!
 米良矩重。
 あなたに尋ねるけど、あの島津とガチで戦いたい訳?
 また、木崎原の二の舞があるかも知れないというのに?」

「そ、それは……」

 流石に、何度も島津と戦っているだけあって、島津の強さが分かっている米良矩重が言葉を濁し、日向国人衆も私に目を合わせようとはしない。
 そりゃ、木崎原以降島津に勝ち星をつけた所がないゆえに、この恐怖を皆が引きずっていたり。
 まぁ、その恐怖に一番脅えきっているのは私なんだけど。

「あれとガチで戦って勝てると思う人がいたら手をあげなさいよ。
 だからその人に日向を任せるって言ったのに、何で分かってくれないかなぁ」

 実に白々しくため息をついてみたりしたのに、何でみんなして私を見る。あんたら。
 ちょっとした緊迫状態に飽きたのか、また白貴姉さんが私にぼそっと。

「姫様こそ分かって無いでしょ。
 その島津に勝てる可能性があるの、姫様しかいないって」

 な、なんですと!?
 最近過労死した某ポルなんとかさんちっくに言うと、


 あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!
『島津と戦いたくないから誰かに押し付けようと思ったら、いつのまにか島津戦の矢面に立たされていた』
 な…何を言ってるのかわからねーと思うが、私も何をされたのかわからなかった。


 ほとんど気分はそんなのりである。
 今までじっと聞いていた高橋鎮理が淡々と私を諭す。

「お気づきになられておりますか?姫様。
 姫様の言う『あの』島津相手に、策を披露しているのが、姫様しかおらぬというこの矛盾を。
 姫様はやればできると皆が信じておるのでございます」

 さらりと米良矩重が追随する。
 彼も最前線に立っているだけに必死なのだろう。

「そうでございます。
 皆、姫様なら島津を潰せると期待してるのでございます。
 どうか、その期待を裏切らないでくださいませ」

「……」

 言わんとするのは分かるのだけど、それは私を買いかぶりすぎ。 
 私とて魔術師でも神様でも無いのだから、兵を瞬間移動なんて出来る訳が無い。

「んじゃ、もう少し具体的に言いましょうか。
 今回の兵の移動を見れば分かるとおり、美々津集結すら一月かかっているわ。
 これで、最前線たる三ッ山城まで後詰を送るとなると、二月かかる計算になる。
 兵を逐次投入するつもりはないから……」

「つまり、それまで持ちこたえれば良い訳ですな」

 お願いだから、人の話を聞けよ。おい。
 何で、さわやかに無理難題を言いますか。君達は。

「いや、今回の戦で見せたとおり、避難民も全部受け入れるから、高城川まで逃げてくれると私的には本当にありがたいのだけど」

「我らに土地と城を捨てろとおっしゃいますか!」

 激昂する日向国人衆に対して、私も今度は一歩も引かない。
 彼らを守って外線で戦ったら、それぞ第二次木崎原合戦である。

「そう言ってるんだって!
 寝返りも逃亡も全部私が責任持つからって、さっきから再三再四言ってるでしょうがぁぁ!!!」

「伊東家の時はちゃんと後詰を出して守っておりましたぞ!」

「その伊東家が鳥神尾と木崎原で大敗して、あんたら国人衆が出せる兵力が無いからこういう事言っているんでしょうが!!!」

 そして、場が急速に固まる。
 そうなのだ。
 普通の状態ならば、この日向で万の兵を編成できたりする。
 だが、鳥神尾と木崎原という二つの合戦で、文字通り日向から徴兵できる青年男性をあらかた奪い去っていた。
 そして、それは彼ら日向国人衆の身内がその戦でかなり亡くなっていた事を示す訳でもあって。

「ごめん。
 少し言い過ぎた」

 潔く頭を下げた私に今度は米良矩重も頭を下げた。

「こちらこそ助けていただいた姫にご無礼を。
 ですが、我らの窮乏はご理解していただけたらと」

 ご理解も何も、粥餅田で先手に加わった米良矩重の五百の手勢が、子供に老人に女だったという事実が全てを物語ってる。
 旦那や子供を殺されて、焼き働きで土地を荒された島津に対して、寝返ろとか逃げろという選択肢が既にないという事を。
 杉乃井からの報告では、逃れてきた日向女がまとめて遊女として働きたいという報告が届いている。 
 そのほとんどが旦那を殺されて逃れていた女性だったりするから、島津に対しての日向の人間の恨みはしゃれでなく深い。
 彼女たちに伴侶をつけるべく近くネルトンパーティーを企画しようと、文を杉乃井に送ったばかりだったりする。

「……」
「……」

「それでは、姫様。
 この佐土原に鎮台を設置してくだされ。
 そして、大友同紋衆をこの日向の地に置く事で彼らも安堵するでしょうし」

 黙り込んだ私達に角隈石宗が妥協案を提示する。
 鎮台大将は大友家の国政に参与できる評定衆だし、大友一門を人質に置くことで、大友がというより私が日向を捨てないという枷を作る事に私も同意せざるを得ない。

「分かったわよ。
 佐土原に鎮台を作って、高原城が空いているから、ここに大友一門の誰かを入れましょう。
 誰か高原城に入る者はいる?」

 高原城を守っていた長倉祐政は伊東家が飫肥に移った事で、その所領が空いていたのである。
 ここで前に進み出た男が一人。
 さすがにこれは意外だったらしく、大友側の将も皆彼が出た事に驚いていた。

「さすれば、その大任をどうかそれがしに!!」

 入田義実。
 大友二階崩れの首謀者として粛清された入田親誠の嫡子である。
 そんな背景を持っているから、何かあったら即粛清と冷遇されていた一門でもある。

「そりゃ、構わないけど、何かあったら逃げるか裏切るかちゃんとしなさいよ。
 城を枕に討ち死になんて絶対にしたら駄目だからね」

「ご安心なされ。
 わが家は冷遇されているゆえ、島津も内応の手を伸ばしてきましょう。
 その手を掴んで操って見せまする」

 自分の立場を分かって、ちゃんと私のオーダーも理解しているみたいだし、まぁよしとしよう。
 一応、確認を取っておくか。

「なんなら、この城と日向国丸ごとあげるけどどうよ?」

 私の言葉を、入田義実は即座に切って捨てた。
 笑顔で。

「姫様ご冗談を。
 わが才ではせいぜい城一つ守るのが精一杯。
 国ではこの身滅ぼしてしまいますゆえに」

 あ、これは裏切らないわ。
 同時に、死なせたらもったいない人間だ。
 私は、そのまま高橋鎮理を見て口を開く。

「高橋鎮理。
 あなたにこの城を任せるわ。
 入田義実を絶対に死なせないように。
 いいわね!」

「はっ」

 長い付き合いだから、今の『入田義実を絶対に死なせないように』の意味は分かっているだろう。
 やばくなったら入田義実連れて逃げろと暗に言っている事を。
 間違っても、城を枕に討ち死になんてしてくれるなよとアイコンタクトで念を押して、そのまま今度は四郎が先に行ったので残った元一条派遣軍の一人に声をかける。
 私の前にいる将は、鎧姿の似合ういい爺で御社衆のまとめ役をやっていた。

「香春鎮台は怒留湯融泉に任せるわ。
 長く冷遇してごめんなさいね」

「あ、ありがたき幸せ……」

 あ、怒留湯融泉がマジ泣きしてる。
 筑前での戦で左遷されてからずっと冷遇していたからなぁ。
 
「佐伯惟教には財府城をあげるわ。
 高橋鎮理と入田義実と共に、この地をしっかり治めなさい」

「御意」

 後継者を殺されて跡継ぎのいない落合兼朝は、開城時にそのまま僧になったことで財府城も空いていたりする。
 佐伯惟教をここに置くことで、日向北部はまず寝返らないだろう。  
 延岡鎮台を拡張し、この佐土原鎮台も機能させたら六千程度の兵が作れる計算になる。
 本来ならば。
 青年男性が崩壊しきっている日向において、その六千の数字が出せるのはおそらく十年後。 
 念には念を入れておくか。

「大野鎮台と延岡鎮台から兵を出して、交代で佐土原で警護をする事。
 島津の焼き働きで逃れた民が帰るのにあわせて忙しくなると思うけど、何かあったら私の所に持ってくるように。
 日向諸将は城を捨てて逃げるのがいやならば、それぞれの所領の地図を提出するように。
 我々は豊後の人間だから、出さなかったら迷子になるかもしれないわよ」

 私のこの言葉を冗談だと分かったらしく、やっと皆が笑う。
 とはいえ、佐土原に詰める兵は千程度。
 経済封鎖で締め上げるとはいえ、回復するであろう島津が侵攻した時には足りなすぎる。

「日向が守れるかどうかは、島津に荒された日向を復興できるかどうかにかかっているわ。
 それぞれそれを忘れぬように」

「「「「「はっ」」」」」

 皆が一同に頭を下げたのを見て、私は深く深くため息をついたのだった。
 実質的に対島津防衛計画が何も決まっていないという事実を見ない振りをして。


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