2010年10月14日
06年8月の右ひじのX線写真。矢印部分に薄い線が写っていた。軟骨のかけらが、はがれる前兆だ(提供写真)
野球が大好きな徳島市の中学3年、池内真吾(いけうち・しんご)君(14)の右ひじに異常が見つかったのは、2006年7月のことだった。翌月には徳島大病院のスポーツ専門医のもとで、詳しい検査を受けることになった。
両親と病院へ向かう車内の空気は重かった。野球をしていて痛かったことは一度もないし、自覚症状もない。「アカンかったらどないしよう」「いや、いける(大丈夫)いける」。小学5年生の心の中は、揺れ続けた。
診察室に入ると緊張はピークに達し、足の震えは止まらなかった。右ひじのX線写真を見た松浦哲也(まつうら・てつや)医師(運動機能外科学)は、信じられない言葉を口にした。
「1年間は投げられません」
診断名は、「離断性骨軟骨炎」。一般的に「野球ひじ」と呼ばれるものの一つで、ひじの外側にある関節の表面から軟骨のかけらがはがれる障害だ。
ひじの曲げ伸ばしができなくなるため、はがれた軟骨のかけらを摘出したり固定したり、他の部位から軟骨を移植したりする手術が行われる。「初期」なら、障害の出た腕を使わずに安静にしていれば治せるが、完全にはがれた「終末期」では手術するしかない。
終末期は中学から高校の頃に迎えるものの、発症するのは11歳前後が多いといわれている。初期では痛みもない。野球ひじの中では1割にも満たないが、最も治りにくい。
「先生ほんまですか。痛くもなんもないんですよ。1年いけんなら、もう試合に出られんですよ」。父の一洋さんが矢継ぎ早に話したことを、池内君は全く覚えていない。頭の中は真っ白になっていた。
「1年かければ、しっかり治ります」
松浦医師の説明は続いた。このまま放置すれば、あと数年で軟骨がはがれること。初期の今なら手術せずに完治し、再発しないこと。そのためには投球と打撃だけでなく、右手でカバンなどを持つこともしないこと。極端に言えば、筆記用具とはし以外、手にしてはいけないという厳しいものだった。
徳島大病院から帰る車内で、運転する一洋さんが切り出した。「もう少年野球は辞めへんか」。シーズン最後の大会は9月。小学6年の8月まで投球禁止が続けば、復帰できても間に合うはずもない。
「それは無理。野球やりたいけん」
つらく厳しい一年が、始まった。
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