東洋大姫路・アン投手 ベトナムの花 甲子園に咲く
2001/08/13
力投するアン投手
十二日の甲子園。東洋大姫路の先発投手としてマウンドに立ったのは、ベトナム国籍の一年生左腕、グエン・トラン・フォク・アン君(16)だった。けんかをした相手に「国に帰れ」と言われたり、カタカナの名前を試合中にやじられたこともあった。しかしこの日は、五回途中まで3失点に抑え、夏の甲子園でのチームの十五年ぶりの勝利に貢献。スタンドで見守った同胞たちは「在日ベトナム人にとっても大きな一勝だ」と、うちわを振って歓喜にわいた。
両親と三人の兄姉はボートピープルだった。一九八四年春、小さな漁船でベトナムを脱出し、約十日間漂流。日本に向かうタンカーに救われ、長崎県内の収容施設でアン君が生まれた。一家は八八年、姫路市に移り、両親は町工場で働いた。
アン君は小学校五年の夏、地元の野球チームに入ったが、グラブは一人だけビニール製。同市内の鉄工所に就職していた兄のトリーさん(28)は、弟が六年生になった際、「イチローモデル」のグラブを贈った。
中学校の野球部に入っても、トリーさんが支え続けた。給料をはたいてバットやスパイクを渡し、遠征の車の手配やドリンクの用意も引き受けた。中学校の野球部の勝目徹哉監督(41)は「アンも偉いが、トリーさんはもっと偉い」と言い切る。
トリーさんは、弟の一球一球をスタンドで見守った。「緊張していたので心配だった。その分だけ減点して、出来は九十五点」。アン君の試合観戦は初めてという両親も歓喜の輪の中にいた。「アンはいい姿だった」と父親のトラン・バン・アさん(54)。
そのころアン君は、テレビのインタビューに答えていた。「一生懸命にやれば、夢は実現できる」と。両親はベトナム語を話せないアン君の代わりに、故国の祖父母に孫の雄姿を報告するつもりだ。
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