きょうから新聞週間が始まる。報道の使命と責任を自戒し、読者のみなさんにも役割を確認してもらおう、との狙いである。
戦後間もない1948年、新聞・通信社などでつくる日本新聞協会が設けている。
報道の使命とは−。基本的には、国民の「知る権利」に応えて真実を究明し、正確かつ公正に伝えることだ。加えて地方紙には地域の視点での報道が求められる。
この1年、新聞が自戒すべきことは何か。
まず挙げられるのは、厚生労働省の元局長村木厚子さんが逮捕され無罪に至った文書偽造事件、それに伴う大阪地検特捜部の証拠改ざん隠ぺい事件の報道だろう。
村木さんの逮捕から起訴に至るまでの記事は、本人が関与を否認していると断ってはいても、村木さんの上司や部下が特捜部に関与を認めたことを報じ、“クロ”との疑いを強くうかがわせる内容になった。
身柄が拘束され、本人に接触できない状況での報道は、検察の言い分に偏りがちだ。取材の限界を十分に踏まえた上で、慎重に伝える姿勢が必要だった。
証拠改ざん隠ぺい事件では、一連の報道によって絶対的な権力を持つ検察にメスが入った。強引な取り調べの実態が明らかになってきたことは、新聞の力を見直していい出来事だった。
裁判員制度が始まった昨年、マスコミは「できる限り情報の出所を明示する」との指針を設けた。事件報道が偏見や予断を与えないように配慮したからだ。
出所を明示することで、報じる側にはさらに重い責任が生じる。記事の信頼性は高まる。明示の対象を広げる努力が必要だ。
無論、本人の承諾があってのこと。内部告発のようなケースでは、何があっても取材源は守られなければならない。
認知症の実情を追った本紙のルポルタージュ「笑顔のままで」がことしの新聞協会賞に選ばれた。ここでも実名報道に徹したことが評価されている。
取材に応じていただいた人たちの協力があってこそだが、実名にできたことで切実さを伝える力につながっている。
インターネットの普及は新聞にとって逆風といわれる。けれども情報で肝心なのは信頼性である。
「きっかけは小さな記事の一行だった」。新聞週間の代表標語のように、日本の社会をより良い方向に後押しできる信頼度の高い記事を送り出したい。