鶴亀松竹梅の福相が人気
福島県伝統的工芸品(平成9年3月31日指定)
白河だるま[しらかわだるま]
白河だるま 白河だるまは、今から約三百年前、藩主松平定信が当地の南画家、谷文晁(たにぶんちょう)にダルマの原画を描かせ、それを元に職人を京都へ修行させたのが始まりという。「白河鶴亀松竹梅だるま」と呼ばれるその顔が他にはない特徴。眉は鶴、口髭(くちひげ)は亀、鬢(びん)は松と梅、顎髭(あごひげ)は竹を表しており、見るからに福々しくおめでたい。京のあでやかさがあるのもみちのく民芸には珍しく、白河だるまは身近な縁起物、大願成就だるまとしても広く親しまれている。商売繁盛・家内円満・合格祈願などの願いをだるまに託し片方の目を入れ、願いがかなった時にまた片方に目を入れる風習が残る。
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全国でも珍しい古来の手ひねり
福島県伝統的工芸品(平成9年3月31日指定)
田島万古焼[たじまばんこやき]
田島万古焼 明治二年頃、二本松万古焼職人が田島に行き技術を伝承したのが始まりといわれている。最盛期の昭和初期には、日用雑貨のみならず、美術工芸品等も多く生産していた。第二次大戦により一時中断したが、昭和四十四年に復興し、現在に至っている。田島万古焼は、全国でも珍しい、古来の手ひねり万古として指紋を生かして作られている。土の色を生かした素朴で荒削りな姿に力強さとほのぼのとしたぬくもりが感じられる。蓋(ふた)などの持ち手や側面に、蛙や亀・すごろくなどの装飾が施され、数奇好みの茶人など愛好者が年々増えている。
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自然の持ち味を生かして
福島県伝統的工芸品(平成9年3月31日指定)
つる細工[つるざいく]
つる細工 南会津郡只見町では、自生するマタタビやあけびの蔓(つる)をしっかりと編み込んだつる細工が昔から生活用品として使われ、後に民芸品へと発展してきた。町をあげてつる細工の編組技術とデザインの研究に研鑽し、その応用技術は全国にも類を見ない。草の採取から仕上げまで、一人の職人の手によって一つ一つ手作りされる。素材の持つ素朴さからふるさとの野山の香りとぬくもりがそのまま伝わってくるようだ。今では、実用品としてはもちろん民芸品や自然派志向のインテリアとして幅広く、愛らしい存在感が多方面に愛用されている。
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野馬追いによみがえる戦国絵巻
福島県伝統的工芸品(平成9年3月31日指定)
日本甲冑[にほんかっちゅう]
日本甲冑 年に一度、相馬・双葉地方の甲冑が一堂に参集し、「野馬追い」の戦いで現役として栄光を取り戻す。橘斌(たちばなたけし)氏はその勇姿をまるでわが子を見守るように見つめている。全国的にも数少ない甲冑づくりの一人である。現在、甲冑づくりの仕事は分業ではなく、鍛冶からすべて出来上がるまで橘さん一人の手で行われている。金・銀・鋼・鉄などを原材料にした一領分の部品数はゆうに一万個を超え、頑丈さを美しさで包み込む。実践派の精巧な甲冑は全国的にも珍しい。新作の場合は一領の完成に三年はかかるという。まさに男の技と根気の結晶である。
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包丁へのこだわりに応える
福島県伝統的工芸品(平成9年3月31日指定)
鹿島包丁[かしまほうちょう]
鹿島包丁 明治七年頃、廃刀令により農具・包丁中心の農鍛冶を創業したらしい。鹿島町では昭和二十年代までは鍛冶屋が八軒あったというが、現在は濱名里美さんがただひとり鹿島包丁の伝統を今日に伝えている。昔ながらの手作りで仕上げていく。地金と鋼を鉄ろうで接着し、焼いて形を整え、長さを調整しながら粗研ぎをする。その後の「焼き入れ」と呼ばれる作業が一番重要だ。熟練の技で作り上げた包丁は輝きが違う。折れず曲がらずよく切れる。板前さんはじめ刃物にこだわる人はけっこう多いが、鹿島包丁はその丈夫さと鋭い切れ味で知る人ぞ知る名品なのである。
●おことわり
製作者の濱名里美氏は平成10年7月にご逝去され、現在、 鹿島包丁は製作されておりませんが、福島県の貴重な伝統的工芸品として紹介させていただきました。


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たくましく育ての親心
福島県伝統的工芸品(平成9年3月31日指定)
いわき絵のぼり[いわきえのぼり]
いわき絵のぼり 端午の節句や男の子の成長を祝う縁起物として江戸時代から伝えられてきたいわき絵のぽり。豆汁で溶いた15種類の顔料を使って木綿地に鮮やかに描かれる。疫病を払う神である鍾馗(しょうき)、勇者のしるし・八幡太郎義家や源義経、武田信玄・上杉謙信の川中島の決戦などの武者絵をはじめ、高砂、神功皇后、大黒など迫力ある絵柄も15種類、丹念な手描きである。あふれんばかりの力強さを漂わせている絵のぽりには、子供たちの健やかな成長を願う親心が込められており、贈り物としても人気が高く、民芸愛好家の間でも高い評価を受けている。
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伝統の紙漉きに新風を
福島県伝統的工芸品(平成9年3月31日指定)
いわき和紙[いわきわし]
いわき和紙 いわき和紙の起源は、遠く永禄年間といわれている。江戸時代には棚倉藩の保護奨励を受け、明治には約六百戸からの和紙作り農家があったという。現在では一軒のみ。いわき市上遠野の山間の集落で瀬谷安雄さんがたった一人で和紙作りに精魂をこめている。近くの山野で採れるクワ科の楮(こうぞ)を原料に使い、冬の厳しい寒さの中で一枚一枚丁寧に漉いていく。瀬谷さんは、伝統の技術だけであきたらず、押し花を利用したり草木染めをしたり、様々な工夫をこらした和紙作りを試み、伝統に新風を吹き込み、多方面の工芸関係者からも注目されている。
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