要素は多い方が好きが強固になる。
ところがひかれあっていても、ささいな“イヤなこと”で、好きの構造がひっくり返ることがある。実例を挙げよう。リエさん(仮名)がカレとデートに初めて出かけた時のことだ。
「お昼、どうする?」、リエがカレに聞いた。
「何にしようか」とカレ。
「●●ビルに、うどんのお店と韓国料理のお店があるの。どっちにする?」
「う~ん(しばし考えて)、うどんにしようか」
リエはその日カレを振った。なぜか。ワケはこの短い会話に凝縮されている。
まず、初デートなのにランチの場所さえアテがない。これは“無思考・無計画なオトコ”というシグナルを送った。次に彼女の提示した選択肢で、うどんを選ぶという愚かさを露呈した。うどんは悪くないし、うどんを責めるわけじゃない。だが初デートでうどんかコリアなら、コリアしかない。これは普遍的な鉄則である。キミ、空気を読めよ。
そこで彼女は「カレは人のことを考えないオトコ」という結論に達した。蛇足だが、そのうどんが割り勘だったことがダメ押しになった。
ここで第二法則「嫌いが許容範囲を超えると、好きなものは見えなくなる」が展開される。
もう1つ例を挙げておこう。サラさん(仮名)は有能でジェントルマンな上司Kさんを尊敬していた。ところがある日の飲食店での出来事で、尊敬の念が粉々になった。サラさんの説明。
「もちろんお店の人が悪いの。お汁をドーンとこぼして、それがKさんのズボンにドッとかかっちゃって。でもね、その後が……『店長呼べ!』『クリーニング代全額出せ!』『ひざをついて謝れ!』と言うの。Kさんてそんな人だったの……と引きました」
●好き嫌いを決める3つの脳
好きはきっかけで始まり、要素の重なり具合で強くなる。ところが嫌いが許容範囲を超えると、好きはパッと消滅する。この関係はどうやら脳ウンチク学的にも説明がつく。
好き嫌いを決めるためには、脳の3つの部所が関わる。まず、大脳辺縁系(だいのうへんえんけい)は大脳の古い皮質で、人の本能に関わる部分。ここに「美しい」とか「好き」とか「嫌い」とか、「快」か「不快」かという感覚情報が集まる。好きの要素が集まり重なる場所だ。
そして2つ目は大脳新皮質である。ここは人格・意欲・創造性を司る機能、つまり理性を発揮して「やっぱりこれ嫌い」や「好き」を感じる。「値踏み」もしくは「世間体チェック」とも言える。
だが快・不快を初期判断するのは、大脳辺縁系の奧のアーモンドのカタチをした扁桃核(へんとうかく)とされる。…