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【プロ野球】

大沢啓二氏通夜 長嶋氏ら1200人参列

2010年10月14日 紙面から

大沢啓二氏の遺影とひつぎ=東京都港区の増上寺で

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 7日に胆のうがんのため78歳で死去した大沢啓二(本名昭=あきら)元日本ハム監督の通夜が13日、東京・芝公園の増上寺で行われた。チームの垣根を越えて幅広い交遊を深めた故人をしのび、球界や芸能界から約1200人が参列。故人をしのんだ。告別式は14日正午から同所で行われる。

 遺影の大沢さんは、トレードマークともいえる和服姿でほほ笑んでいた。選ばれた写真は2008年3月14日の誕生会の1枚。豪放磊落(らいらく)、義理人情を大事にする故人は親分と呼ばれたが、家族や知人に囲まれると好々爺(や)の一面を見せた。中央には輪状に花がつながれた。人の輪を大切にした故人の生前への思いが表されていた。本紙評論家の黒江透修氏が葬儀委員長を務め、巨人の長嶋茂雄終身名誉監督、大社啓二日本ハム球団オーナーなどが順に焼香し冥福を祈った。

 現役時代にしのぎを削った怪童・中西太氏は「本当に野球の好きな方だった。グラウンドで会ったときは元気にしていたのにねえ。もう少し長生きして少年野球の仕事もしてほしかった」と大きく息を吐いた。モルツ野球を通じて親交のあった山本浩二元広島監督は「7月にゴルフの表彰式で会ったときは元気にしていらっしゃったので信じられない。義理人情に厚く、考えられないぐらい細やかな気遣いをしてくださる方だった」と故人をしのんだ。

 会場には大沢さんが晩年も大切にした少年野球チームのユニホームを着た子どもの姿も。戒名は「将導院球岳日昭大居士(しょうどういんきゅうがくにっしょうだいこじ)」。熱血監督として采配(さいはい)を振るったことから「将」、遺族の希望で「球」、本名の「昭」の文字が配された。野球を通じ多くの人と交流した大沢親分との別れを惜しむ列は、途切れることがなかった。 (後藤慎一)

 

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