憲法公布54周年−憲法を守り暮らしに生かす−護憲の集い

シンポジウム

長崎 ただいまから、「憲法公布54周年―憲法を守り暮らしに生かす―護憲の集い」を始めますので、よろしくお願いいたします。
 みなさまもご存知の通り、国会の中には憲法調査会が設置をされ、早いときには1週間に1回という形で公聴会を開き、審議が進められてきました。去年の国会では、日本の戦後民主主義を守ってきた砦をすべて崩壊していくように、「新ガイドライン法」や「日の丸君が代法」が通りました。私がおります生野区でも、新しい国家体制を作るような形で「日の丸君が代」の強制が行なわれつつあります。
 この中で、憲法がいかに私たちにとって大切なものであるか、そして、いかに憲法を守り、暮らしに生かしていくのか、ということで護憲・大阪の会(準備会)を4月に立ち上げました。今日、その正式結成を兼ね、この「護憲の集い」を開催することとなりました。
 今日は3人のパネラーの方のお話を聞いていただき、ディスカッションを深める中で、憲法を守るたたかいが私たちにとってどんな意味を持つのか、そして、どんなたたかいをしていくのかということを深めていきたいと思います。
 今日、集いの司会・進行をさせていただきます、社民党大阪副代表の長崎由美子です。よろしくお願いいたします。
 最初にパネラーの方をご紹介します。
 最初に、芦澤礼子さんです。東京で「あごら」という女性情報誌の編集をしておられます。94年から中国四川省で日本語教師をされてきました。この間、東京で辛淑玉さんらとともに、皆さんご存知の石原都知事の「三国人」発言や、東京での自衛隊を大動員した防災訓練に対して、たたかい抜いております。その現場からの発言、そして若い世代からの発言をいただきたいということで、今日は東京から来ていただきました。
 そのお隣りに、「黒一点」ということで、今日は女性が3人に男性が1人ですが、奥野恒久さんです。龍谷大学の大学院生で、先日、憲法調査会で学生という立場で発言をされました。「憲法調査会とその問題点」ということで、この間の改憲論が出てきた流れ、そして、憲法調査会の中で発言をしてきたご報告などをしていただけたらと思います。
 続いて、いま、怒涛の国会から駆けつけていただきました、衆議院議員の辻元清美議員です。辻元清美議員は社民党の政策審議会長、今回新たに大阪の新しい顔ということで、社民党大阪府連合の代表としてスタートしました。この間の国会の情勢報告、とりわけ、憲法調査会がどういう状況で進められているのかという点をご報告していただき、論議を深めていきたいと思います。よろしくお願いいたします。
 それでは最初に、パネラーの方々に、20分ずつ発言していただきますので、最初に、奥野さんの方よりお願いいたします。


憲法調査会とその問題点
奥野 恒久(龍谷大学大学院博士後期課程)

 いま、ご紹介いただきました奥野恒久です。チケットに「奥野恒久(憲法学)」と書いてあり、すごい先生が来られるのかと思った方もおられるかもしれません。まだ、たいした研究はやっておりませんので、こういう場でお話させていただくのが恐縮です。一応、憲法学を専攻している立場にあるということ、参議院の「学生とともに語る憲法調査会」に出席させていただいたということ、そして、京都の方で「憲法会議」という団体の事務局をやっていることで、憲法問題に関わりをもってまいりました。何よりも日本の憲法を発展させていきたいと強く思っている者として、ここで発言をさせていただきます。
 レジュメを用意させていただきました。「憲法調査会とその問題点」というのが与えられたテーマです。憲法調査会の状況については、辻元議員よりお話があるので、僕の方はもう一つ広く、改憲論とか、いまの改憲論議についてレジュメに沿ってお話をさせていただきたいと思います。

憲法が政治的議論の争点に

 「はじめに」から早速入ります。
 憲法調査会が国会に設置されたことによって僕が強く持っている印象は、国民の暮らしの前提としての憲法が、政治的議論の争点としての憲法になりつつあるのではないかと思っています。例えば会場の中にも、学校の先生をされている方がおられると思います。社会科の先生は日本国憲法について話をされるはずです。かつてですと、「この憲法の下で私たちは生活している」とか、「その憲法とはどういう憲法なのか」というように教育されたと思います。しかしいまは、「私たちはこの憲法の下で」の「この憲法」自体が「護憲か改憲か」という中で、政治的な争点になってしまっています。だから、この憲法を前提とする教育が果たしてどこまでできているのか、ちょっと懐疑的です。というのは、僕自身、塾の講師をし、日本国憲法について授業で扱います。そのときに、「僕らの憲法って、こんな憲法やねん」という教え方をしたいんだけど、「いまはそれに対して批判の声もあるよ」、ということも紹介していかなければいけない。実はこういうあたりに憲法調査会の設置の一つの狙いがあったのかなということも、実は危惧しています。

改憲運動が強くなってきたのか?

 「一 今日の改憲動向の特徴」から順にお話をさせていただきます。
 まず、(1)の「弱まる国民の『改憲アレルギー』(≠強まる改憲運動)」です。僕はいま、改憲運動が強くなってきているとは、実は見ておりません。改憲論は確かに出てきておりますが、むしろ、国民の「改憲アレルギー」、改憲に対する拒否反応が弱くなってきていると見ています。改憲をめざして汗を流している人がそれほど多いとは見ておりません。確かに、自覚的な改憲派もおります。例えば世論調査では、読売新聞では60%、日経新聞では60.5%、最近の毎日新聞では43%の方が改憲派だと出ています。ところが、この方々が改憲のために汗を流して、日本国憲法を変えるぞということをやられているかというと、そういうふうには見られません。したがって、確かに、自覚的な護憲の層というのは減っており、「改憲アレルギー」は減ってきているけれども、それが即、改憲派がものすごく強まってきているとは見ておりません。ですから、僕の見方では、これからの僕たちの運動、働きかけ、説得、工夫、こういったこと次第では、今からでも勝利できる、勝てるはずだと思っております。
 ところが、「改憲アレルギー」が弱くなってきていることについても若干、分析をしておく必要があると思います。私の見るところ、その原因には大きく二つあります。何よりも大きいのが、冷戦が終わり、湾岸戦争が終わったあと、「国際貢献」という言葉がもてはやされたことだと思います。「他の国は軍隊を出し、血を流し、汗を流しているのに、日本はお金だけでいいのか」。「一国平和主義だ」。こういうこともよく言われました。それから、小選挙区制の導入に伴う政界再編が行なわれ、護憲政党とか、護憲をずっと旗印にされていた学者とか、そういう人たちが護憲についての発言を弱めていった。場合によっては、「9条とか安保、これもOKだ」、というような発言をされる方々も見られてきた。さらに、読売新聞社という大新聞社が改憲試案を出したり、小学館という出版社が改憲キャンペーンをやる。こういった中で、徐々に国民の「改憲アレルギー」が弱まってきたのではないか。これが一つの原因です。

「護憲的改憲論」の登場

 もう一つは、いま出されている改憲論は、かつてのように天皇制を強化し、ものすごい大規模な軍隊を持つという、こういう「復古的改憲論」というのは一応、出されておりません。とりあえずですけども、「護憲的改憲論」という装いをとっていることです。
 いま出されている改憲論で、おおざっぱにどのような主張がなされているのかということを書いておきました。
 一つはやはり、9条を改める。それから、プライバシーであるとか環境権、さらには「知る権利」といった「新しい権利」を明記したらどうか。さらには首相公選制、国民投票制というのを導入したらどうか。公共の福祉を強調するべきだ。憲法改正を簡単にすべきだ、ドイツのように憲法裁判所を日本でも設置すべきだ。こういう主張がなされています。9条の改憲というのはありますけども、かつてのように復古的な、日本が戦前に戻るといった、そういう改憲論とはとりあえず一線を画していると思われます。これも、国民の「改憲アレルギー」を弱めるのに一役を買っていると見ております。

改憲論の主眼はやはり9条

 そこで、(2)の「『装い』にもかかわらず、改憲論の主眼は9条の改定」です。そういう装いにもかかわらず、改憲論の主眼は9条にあると考えています。
 一つには、新ガイドライン法が昨年の145通常国会で成立しました。先ほど言いましたように、僕は「京都憲法会議」というのをやっていますけれども、そこで全国の憲法学者にアンケートを取ってみようということになりました。「新ガイドラインが憲法違反かどうか」ということを、憲法学者に聞いたわけです。週刊金曜日がご協力していただいて、2月11日号にそのアンケート結果を出すことができました。結論から申し上げます。360人の憲法学者にアンケートを出し、131人から回答がありました。128人という圧倒的多数から、「新ガイドライン、周辺事態法は憲法違反である」という回答を得ました。憲法学者の間では、いまでも、「自衛隊・安保は憲法違反である」というのが支配的というか、多数です。百歩譲って、個別的自衛権だったらOKという従来の政府解釈をしたとしても、新ガイドラインは憲法違反であるという結論です。だとすると、この新ガイドラインを強化していきたいと思う人にとっては、やはり9条を改める、変えてしまうということは、ものすごく緊急の措置といいますか、しなければいけないことになっているはずです。
 それから、「新しい権利」を明記するとか、首相公選制を導入しようというのは、確かに国民に受け入れられやすい改憲論だとは思います。当然、首相公選制にはそれ自体の問題があり、後ほど議論になると思います。しかし、どうでしょうか。環境権を入れようという国民の主体的な運動というものが、それほど国民の間にあるでしょうか。環境を守れという運動は確かにあります。強い運動があります。ところが、憲法を改め、憲法の中に環境権を入れるべきだという、国民の自覚的な運動がどこにあるかというと、けっしてありません。そうなると、改憲派の方も、首相公選制をどこまで本気で考えているのか、環境権の導入や知る権利の導入などをどこまで本気で考えているのか、国民の側もどこまで本気なのか疑問です。このような議論を持ち出すのは、やはり国民の「改憲アレルギー」を弱めるためではないかということです。例えば、首相公選制を導入するための憲法改正を一回やり、その時は9条の改正をやらなかったとしても、9条を変えるための露払いとして行なわれる可能性もあると見ております。

強まる改憲の現実性

 (3)の「強まる改憲の現実性」です。小選挙区制の問題があります。いま、選挙の問題が非拘束名簿の問題も含めて、非常に重要だと思います。6月25日に行なわれた衆議院選挙。比例代表と小選挙区と両方で行なわれたわけですけども、自民党は比例では28%の得票です。議席は56議席で31%。小選挙区の方ではどうでしょうか。自民党は41%しか得票していないのに、177議席、59%もの議席をとる。このように、小選挙区は民意をものすごく大げさに、歪めて表わす制度です。今でさえ、改憲派の国会議員が52%いるといわれています。何かの拍子に小選挙区の下で選挙が行なわれて、もっともっと改憲派の国会議員が増えるということは考えられることだと思います。したがって、先ほど改憲運動自体は強まっていないと言いましたけども、小選挙区制の導入がなされたということは、かつてに増して改憲の現実性は強まっている、ということもやはり見ておかなければいけないと考えています。

今日の改憲論の背景

 二つめ、「二 今日の改憲論を支える要素」で、今日の改憲論の背景について気づくことを何点か書いてみました。
 a.として、復古的改憲論。これは主流ではないと思われますが、やはり、復古的改憲論、従来からの改憲論、「押し付け憲法」論、こういったものがあります。改憲派にしてもこの復古的改憲論者たちと一緒にやっていかなければならないわけですから、場合によっては教育基本法を変えるとか、そういう問題とも重なり合いながら、復古的改憲論を主張する人たちの意見も汲み取ろうということが出てくることは考えられます。
 b.として、モラルの低下とか、資本主義・競争主義が暴走するのに伴い、「公共性」を待望する、憲法の中に公共心などを入れようという議論も出てきています。「公共性」というものそれ自体については、護憲派の方も真剣に受け止めなくてはいけない論点もたくさんあると思います。しかし、改憲論者などが主張している「公共性」というものが、「公共」=「国家」、あるいは、利己的な人たちが増えてきたから抑えをかけようという「公共」だからちょっと問題があると思います。
 次に、c. の 財界などの支配層による「新自由主義」戦略−規制緩和政策です。僕は、今の改憲論を支える背景として重要なのが、財界などの支配層による「新自由主義」などといわれる戦略だとみています。「新自由主義」とは何か。「近年、国家の名の下で国民の面倒を見すぎていた。その結果、お金がかかって仕方がない。だからできるだけ、国は国民の面倒を見るのを控えようではないか。まかせられるものは市場にまかせてはどうか」という「小さな国家」論が「新自由主義」の議論です。それでは、国は何をするのか。「市場の中で、日本の大企業をサポートしていく。これが国のすべきことだ。そのためには、世界の中の自由市場を妨害する人たちや国を、日本もアメリカと一緒になって叩かなければならない。だから、新ガイドラインだ」。さらに、「だから日本も軍事力を持てるように憲法を変えるべきだ」。こういう議論になるわけです。この種の「新自由主義」戦略が、僕は改憲論の中の中心ではないかと見ています。
 それと関連して、d.の国民の平和意識というのも問題だと思います。和田進さんは、「日本の国民の平和意識というのはものすごく強いが、これはあの悲惨な原爆や悲惨な空襲から出てきた『紛争に巻き込まれるのがいやだ』という平和意識ではないか。もし、その平和意識だけに頼っていたら、いま日本が関わろうとしている戦争はすべてをとられるような戦争とはちょっと違う。むしろ、普通の国民はテレビを見たりスポーツ観戦をしたり、日常の生活をしながら、自衛隊が外で戦争にかかわる。そういう戦争ではないか」と主張されています。この戦争を批判するのに、「紛争巻き込まれ」意識だけでは弱い。これも改憲論を支える一つの議論であると思います。
 あと、教条的な護憲・平和運動への反発と書きましたが、これは割愛させていただきます。
 次に、大きな三番めの「改憲論を評価する視点」です。社民党の土井党首の師匠にあたるのが元同志社の田畑忍先生で、そのお弟子さんに上田勝美という僕の先生がおります。彼らの議論が、憲法改正と改悪を分けろという議論です。歴史の発展に基づいて進んでいくための改憲は改正。例えば、天皇制というものをなくしていく、これは改正だ。ところが、軍事力を持てるようにするのは、歴史の流れに逆行する、だから改悪だ。こういう議論をされるわけです。この議論の枠組でいいますと、いま出されている改憲論は改悪論です。

いまこそ憲法について真剣に議論しよう

 そろそろまとめに入らないといけません。
 僕の立場からすると、いま出されている改憲論は改悪論なのですが、「改悪論だ、けしからん」と言ったところで、国会で3分の2以上の国会議員が発議をし、そして、国民投票にかけられると、憲法改正、改憲というのが起こりうるわけです。しかも、現状は護憲派にとってかなり苦しいのは目に見えています。けれども、ここで言いたいのは、こういう困難な現状というのを逆手にとって何とかならないかという提案です。
 いままでずっと、憲法の空洞化が支配層によって進められてきました。その中で、国民がどれだけ、正面から憲法と向かい合ってきたかということです。いま、憲法調査会が設置され、本当に改憲というのが起こるかもしれない。だからこそ、日本国憲法について、ちょっと一回、真剣に考えてみようか、真剣に議論してみようか、という状況にもっていけないだろうか。その上で、やはり、日本国民がこの日本国憲法を選び抜く、それでこそ、日本国憲法が本当に我々の憲法になるのではないか。こういう方向に持っていくような運動を構想できないかと考えております。

幅広く連帯し改憲を阻止しよう

 最後に、京都の状況について一言報告させてもらいます。京都では今まで、あまり交流のなかったいわゆる社民党系の人たちと共産党系の人たちに加え、宗教者の方々が一緒になって、「守ろう憲法と平和、京都ネット」というのをつくっています。そこでは、何か一つの運動を常に共闘してやるというのではありません。「それぞれがそれぞれの運動をやるべきだ、ただ、情報交換とか顔合わせだけはきっちりやっていこう」、と月1回の情報交換の場を持つようになりました。とくに宗教者の方の熱心な努力によってできたわけです。この12月16日には、辛淑玉さんをお呼びして講演会なども予定しているのですが、普段から交流を持ち、いざ、本当に国民投票が起こるかもしれない、そういうときには、いっしょに運動を起こす。このような準備段階に入りつつあります。
 その意味でも、今日、こういう場に呼んでいただき、大変感謝しています。僕は本当に議論しながら、国民が憲法について考え、なんとかいまの憲法を選びぬくような運動をつくりたい。これが一番なのですが、それでも本当に改憲が起こりそうになったとき、幅広く連帯し、つながって阻止するような、そんな準備運動を始めたいと思っていますので、今日、みなさんといっしょになれたことを大変感謝しております。どうもありがとうございました。

長崎 どうもありがとうございました。それでは、引き続きまして芦澤さん、よろしくお願いします。


女性と憲法
芦澤 礼子(あごら新宿)

 はじめまして、東京から来ました芦澤と申します。よろしくお願いします。
 奥野さんのお話、とっても分かりやすくてありがとうございました。私は今日、東京から来たのですが、本日は護憲・大阪の会にお招きいただき、ありがとうございました。
 最初に、パネリストにという話を伺ったとき、とてもびっくりいたしました。こういうたくさんの方を前に話をするというのは本当に初めてのことです。実は、市民運動の中で司会者というのはよくあるのですが、司会者は自分の言葉でしゃべるのではないのである意味では300人いようが1万人いようが平気というところがあるのですが、今日は本当に緊張しております。
 私は『あごら』という雑誌の編集者をしております。今回、「憲法があぶない」という特集号を作ったわけです。いま後ろで売っているわけですが、ここに私が短く書きました文章が目にとまり、招かれたと覚悟を決めてやってきました。
 『あごら』は女性の雑誌なので、「女性と憲法」というテーマで話してくださいと言われました。知ったかぶりしないで、いまの自分の感じていることを率直に話してみようと思います。

日本のフェミニズム運動と『あごら』

 まず、はじめに『あごら』の自己紹介と、私は何者かということを少しお話したいと思います。
 『あごら』というのはどういう意味かといいますと、ギリシア語で「広場」という意味です。アクロポリスのふもとにある哲学者の広場で、ソクラテスとか著名な哲学者が集まって議論したという広場です。そのときは男しか入れなかったのですが、今は女でも誰でも入れる広場なのだということで、女性の雑誌ですが、もちろん男性もウェルカムという雑誌です。60年安保の運動の反省に上に生まれた女性のグループで、日本のフェミニズムの運動の中ではかなり古い運動だということです。呼びかけ人は斎藤千代という女性で、いまは70歳を超えているのですけども、まだ元気でばりばり活動しています。今日は「若いパネリストで」ということで、私もそう若くはないのですがまいりました。
 『あごら』は不戦・不差別・不暴力というのを掲げています。まず最初は、女性の経済的自立ということで、女性だけの会社の「バンク・オブ・クリエイティビティ」というのを創設しました。1972年から月刊誌の『あごら』を発行しております。そのテーマは一貫して女性の権利、人権で、創刊号のテーマも「女が働くこと」でした。それから四半世紀経ち、女性の権利はどうなったのかといいますと、日本では均等法ができ、男女共同参画社会基本法ができました。世界の方に目を向けますと、1975年のメキシコ会議から、今年、2000年のニューヨーク会議まで、5回の世界女性会議が開かれ、女子差別撤廃条約もできるという形で進んできました。実際にも、女性の権利というのはかなり拡大してきたという実感があります。
 『あごら』はその流れをずっと記録してきまして、いまでも女性史などを研究されている方には、貴重なメディアということで親しまれています。しかし、部数が少ないもので初めてご覧になる方も多いと思います。

実は「ピースボート」に4回乗船

 私自身のことですが、1963年生まれです。敗戦後18年、まさに高度成長の只中に生まれ、当然、日本国憲法は生まれたときからすでにあったという世代です。1歳で東京オリンピック、5歳でアポロの月着陸、小学校1年生で大阪万博。その頃、大阪というのはものすごく遠いところと思っていました。東京生まれなのですけども、とっても遠いところと思っていました。4年生で石油ショック、6年生でロッキード事件。辻元清美さんの世代が共通一次の最初だと思うのですが、共通一次が始まって3年後ぐらいに高校を卒業。ご丁寧に共通一次を二回も受けて大学に入り、均等法施行1年めに大学卒業という世代です。
 安保世代とか、団塊の世代とかいう話があります。私たちの世代は何かといいますと、辻元さんの世代が新人類なら、私たちの世代はHanako世代。まさにブランドまみれの世代でございます。そういう世代なので、安保闘争というのはもう歴史上の出来事だというのが私たちの実感です。さらにいうと、卒業して女も就職するのが当たり前、就職することに何の疑問も抱かないという世代です。私は母親が小学校の教師なのですが、中学までは割と自由な校風の学校に通い、高校でかなり保守的な学校に行ってしまったものですから、そこのあたりで日の丸・君が代への違和感ですとか、10代の中ごろにはおかしいのではないかと感じ始めました。
 1987年に就職して、組合で平和担当になったのが、そもそも平和運動に関わることになったきっかけです。そのころ、私の組合は一応共産党系の組合だったので、反核運動で原水協の集会などによく参加していました。やはり、そういう組合がおかしいと思ったのは、なんで原水協と原水禁があるのか、そのへんを先輩組合員に聞いてもいまいちよくわからない。こういう政党色の強いのは私には合わないと思って、いろいろな平和運動に携わり、実は、ピースボートには4回も乗っております。1991年の1番最初の北朝鮮クルーズにも参加し、金日成さんが生きている時に行けてよかったな、と思っています。あれからずいぶん変わったなとしみじみ思っています。
 私は大学の専攻が中国史だったものですから、結構、中国は好きで行っていました。1989年の天安門事件の1ヶ月くらい前に、ちょうど北京に10日くらい行っていたときがあり、そのとき、天安門事件1ヶ月前の天安門のいろいろな状況などを目撃し、それを『あごら』に書いたのが、『あごら』との縁のそもそもの始まりです。

中国で迎えた「戦後50年」

 『あごら』に書いた文章がお手元のパンフレットの中に書いてあります。1994年から95年まで、中国四川省の成都市、麻婆豆腐のふるさとなんですけど、そちらのほうで1年半、日本語教師をやらせていただきました。そこで、中国の学生たちに日本語を教える中で、日本国憲法というものを教えていきたいという気持ちに駆られ、初めてこの憲法をきちんと一から読んだということです。
 1995年というのは、ご存知の通り、戦後50年です。中国側から見れば、抗日戦争勝利50年なんですね。本当に見る方向を変えると、物事は全然違って見えるのだということが、非常にその時の印象です。毎日、抗日戦争のときのフィルムを流しています。こういうような継承の仕方というか、やはり、子どもたちも毎日毎日見るわけですから、そういうふうな継承をしていくのだなと思いました。
 ところが、私の任期中、日本の閣僚の一人が戦後補償について不穏当な発言をしたということで、中国の新聞にかなり大きく報道されました。私はもちろん、日本人の代表として行っているわけではないのですが、やはり、みなさん、日本人の代表と見ます。そこで、「あなたは一体、どう思うの」とか聞かれることが多かったのです。そういうときには、「日本には日本国憲法があり、日本は二度と戦争はしません。あの戦争の反省の上にこういう憲法ができたのです」と、一生懸命言うわけです。言いながら、ものすごくむなしい思いをしました。中国に行っている日本語教師というのは、国費の人もいますけども、私費で行っている人もかなり多いわけです。その人たちは気持ちで行っているわけです。気持ちで中国に行っている人たちが、そういう閣僚の発言一つで、「やっぱり日本人は」と見られてしまうというのは、「私たちはこんなに努力しているのに、あの人たちは何もわかってないじゃないか」と、すごく腹が立ちました。こういうこともいまの私の活動のベースになっていると思います。
 任期が満了し、シルクロードとか中国の東北地方、いわゆる旧満州ですが、731部隊の本拠地とか、柳条湖事件の現場などを回りました。そのあと、北京の女性会議、それは1995年の8月から9月ですけども、そちらの方に立ち寄り、帰国したあと『あごら』のお手伝いをして、そのまま働いております。

沖縄、盗聴法、新ガイドラインでデモ、集会の日々

 私が帰国した1995年9月というのは、どういう事件が起こったときか、みなさんに思い出していただきたいと思うのですが、沖縄での少女暴行事件の起こったすぐ後でした。東京でも反対運動がすごく盛り上がっていて、私が『あごら』の事務局に顔を出したら、「今日は集会があるから行きましょう」とかありました。そこから、沖縄との縁も始まったわけです。実は、沖縄に初めて行ったのもピースボートなのです。ちょうど1988年に白保のサンゴの問題、石垣島の飛行場のことで問題が盛り上がっていた時に初めて行きました。こんな美しいものが世の中にあるんだな、とすごく感動したことを覚えています。
 『あごら』の毎号のテーマは女性問題ということですが、平和問題や人権問題についてもいろいろなことをやっています。とくに、昨年の史上最悪といわれた、長い長い145通常国会の時には、国会が事務局から地下鉄で10分くらいのところなので、よく国会のに行っていました。思い出しても腹が立つのですけども、会議、会議、集会、デモという繰り返しの毎日でした。請願デモのときは衆議院の前を通るのですが、たすきをかけた辻元清美さん、参議院の前では福島瑞穂さんが出迎えてくれて、「がんばれよ」と。そういうときには、私もげんなりしかけていたんですけども、「辻元清美さんは国会の中で、変なおじさんたちを目の前にしてたたかっているんだから、私もがんばらなくちゃ」と思ってがんばりました。けれども結局、あのような結果になりました。盗聴法阻止のときには、福島瑞穂さんや円より子さんら野党の女性議員が3人で、リレーで大演説をやられました。そのときは、やっぱり、女ががんばらなければと思ったのです。けれども、盗聴法阻止はできませんでした。そのとき、去年の国会が終わったときには憲法調査会が始まることがすでにわかっていましたので、「外堀を埋められた。次は本丸だ」と、今度は9条が標的になるんだなと、本当に血の気が引く思いがいたしました。

『あごら』で憲法特集に取り組む

 憲法調査会が始まってみたら、やっぱり思っていたとおりではないですか。これは『あごら』で特集を組まなければいけないと思いました。編集部の中でいろいろと考えました。憲法に対する特集は、他のところでもいろいろ出しているのですけれども、女性を正面に掲げたのはないだろうと、「女性と憲法」をテーマにしました。今年の5月は憲法記念日を中心にいろいろなところを駆け回って、ちらしを集めてここに行ってみようとか、いろんなところを取材をしたり、話を聞いたりしてまいりました。ところが幸い、5月3日、私と憲法という広場で、角田由紀子弁護士がすばらしい「『女性の権利』と憲法」というスピーチをしていただきまして、それを『あごら』の巻頭にいただくことができました。
 ちょうどその前の日に、参議院の憲法調査会でベアテ・シロタ・ゴードンさんが参考人として発言されたので、それも載せさせていただきました。ベアテさんはご存知のとおり、22歳でGHQの一員として憲法草案に起草に加わられた方です。ベアテさんは偶然というわけではなくて、幼少時代を明治憲法下の日本で過ごされ、日本の女性の無権利状態を目の当たりにされました。それがベースとなって、憲法をつくられたということです。結局、女性の権利として憲法に盛り込まれたのは、14条です。「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」という条文です。そして、24条の婚姻。「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。(2)配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない」というこの二つが盛り込まれたのです。
 けれども、実はベアテさんは他にもいろいろなことを盛り込もうとしてきたということです。妊婦や幼児を持つ母親の保護、非嫡出子の差別禁止なども盛り込もうとされてきたのですけれども、それはGHQの民政局の会議の段階で蹴られたということです。そして、14条や24条も日本との交渉の間に、かなり削られたということです。しかし、これだけでも、いま残って本当に良かったなと思います。これがなければ、本当に真面目な話、辻元清美さんは今、衆議院にはいらっしゃらなかったのは確実です。私も投票することはできなかったわけです。

女性の権利はたたかいとったもの

 ですから、本当に憲法というのは、私たち女性にとっては、ありがたい、そういうものだと思います。しかも、ベアテさんの同僚だった、ミード中尉という女性の方が、この憲法を普及するために日本全国を歩き回ってくださって、「これはGHQの恩恵で与えられたものではなく、日本女性の今までのたたかいの上に勝ち取ったものです」と宣伝されました。今までのたたかいとは、「市川房枝さんとか、そういう大勢の女性たちが、参政権のためにたたかってこられた土台の上につくられたものです」ということをおっしゃってくださったということです。私はのほほんと、選挙権があって当たり前という顔をしていますけども、そういうことを今改めて思い起こしています。
 ところが、この憲法調査会の議事録の中で、扇千景さんという憲法の恩恵で参議院議員になり、一党の党首になられた方が、「日本国憲法ができたおかげで、日本女性のいいところが、この55年の中に失われた」ということを発言されているのです。いいところは何かということは、何も具体的にはおっしゃらない。三歩下がって三つ指ついてということではあるまいか。多分、そういうことを言っているのだと思うのです。もし、それだったら、それは本当に大変なことで、なくなってよかったと思っています。
 「押し付け憲法」論について、ちょっと話します。「松本試案」というのをご存知だと思いますが、明治憲法に三本毛の生えた程度のもので、女性の権利など全然入っていません。もし、この日本の案が通っていれば、今ごろは本当に私たちは何の権利もないだろうと思うと、むしろ「押し付け」られて良かったのではないかと思っております。

住友電工裁判の差別判決に怒り

 これだけ大事な女性の権利ですが、最後にお話したいのは、大阪でたたかわれていた住友電工の賃金差別裁判です。住友の方は電工以外にも三つ裁判を抱えています。この判決が、まず、「性別による差別を禁じた憲法14条の趣旨にはこの差別は反する」。憲法14条の趣旨には反すると明確に判決は述べています。それにもかかわらず、「昭和40年代当時は、まだ性別分担意識が強く、女子が結婚により短期で退職する状況にあったから、企業としてはこのような当時の社会意識とか、女子の一般的な勤続年数に照らして、もっとも効率のよい労務管理を行なわざるをえず、したがって、男女別雇用管理も公序良俗違反とはいえない」、という判決で、全面棄却になりました。
 私はこれには非常に怒ったんです。憲法14条違反といっているのに、なんで全面棄却なのか。公序良俗って、それは法律なわけ、とすごく怒ったんです。けれども、実は、公序良俗というのは、民法第90条に基づいているそうです。私もあとからわかって、そうなのと思ったのです。公序良俗なんてすぐに変わってしまうものです。昭和40年代はそういうことが公序良俗だったと断定する根拠は何なのか。本当に住友電工の人たちは、昭和40年代から30年以上も継続して働いていらっしゃって、そのあとも全然是正もされず、これからもされないといったら、あとに続く女性にとっても、本当に希望のないことです。憲法を生かすのならば、憲法14条違反だというところですでに法律違反な訳ですから、そこで是正をしてほしいと思いました。
 もう、時間がなくなってしまいました。東京から来たので、ぜひ、東京の石原都知事の話などもしたいなと思ったのですが、これはあとに譲り、沖縄の話などもしたいと思います。どうもありがとうございました。

長崎 どうもありがとうございました。引き続きまして、辻元さん、よろしくお願いします。


憲法調査会の議論について
辻元 清美(衆議院議員、衆議院憲法調査会委員)

 みなさん、こんばんは。衆議院議員の辻元清美です。
 私はいま噂になっております「疑惑の館」からやってまいりました。先ほどまで国会の方でも揉めていまして、振り切るようにしてこっちに来ました。中川官房長官が辞めた模様をみなさんもご存知のように、この1週間というか、臨時国会が始まってから連日てんやわんやの日々です。今日も本当は中川官房長官が辞めたということで、いろいろあったのですが、やはり、大阪の憲法の集会が大事や、と大阪に帰ってきました。森政権はもうメルトダウンの状況になってきていると思うのです。いま永田町では、「次はどうなる、何がどうなる」といったことばっかりです。

国会の場ではものすごくシビア

 そういう中で、昨日、憲法調査会が開かれました。
 衆議院本会議で参議院の選挙制度の非拘束名簿への改悪を強行採決した直後に、憲法調査会を開いているわけです。私は憲法調査会のメンバーですので、その会議に出たわけです。自由党推薦の参考人が来て話をしました。その話の趣旨は、日本は君主制の国で、天皇の国体護持というような話をするわけです。1時間ちょっとその方が話をして、各党の質問をするわけです。ほとんど自民党の議員はいません。ドント方式で議席配分されますので、50人ぐらいの委員会で自民党はその半分ぐらいです。3人ぐらいしかいませんでした。最後は、2人ぐらいしかいなかったのです。野党の民主党も半分以上いません。でも、共産党や社民党は熱心で出ています。50人の中で社民党は2人しか出られないわけです。共産党も最近、わけがわからないようになってきて、自衛隊を活用するといっています。この時代にどない活用するねんと、思いますね。東アジアはますます緊張緩和していっているのに。何に活用するねんと思うのです。
 明らかに、この憲法調査会というのは、改憲に持っていくための、レールを敷くための形、箱ものです。中の議論なんかどうでもいいわけですよ。時間をこなしているというだけの既成事実をつくるためのものです。
 昨日はそういう状況で、6時ごろまでやっておりました。いま、隔週で2人ずつ話を聞きたいという人に来てもらい、日本の将来の21世紀の形みたいなことを話すのです。4週間後には、午前3時間は石原慎太郎、午後3時間は櫻井よしこです。「うわー」、という感じでしょ。その次は、松本健一が午前中です。なぜそうなるのかといえば、参考人を選ぶのも、ドント配分。要するに議席の多い順に参考人を呼べますから、社民党は30人のうちのたった1人しか呼べないというありさまなのです。
 ですから、みなさんも今日の新聞で、昨日の憲法調査会の様子をご覧になり、「なんやねん、こんな議論しているのか」と思ったかもしれません。そうなんです、そんな人しか呼べないわけです。そういうのがいまの現状です。私は、国会の場ではものすごくシビアであると思います。これが、憲法調査会の現状についての一点めです。
 そういう中で、憲法調査会は6時間、朝3時間、午後3時間やります。私の発言はそのうち7分しかない。6時間のうちの7分。私が7分、相手が7分で14分です。こういう中で審議が進められています。インターネットで同時中継されていると思いますし、ぜひ一度、見に来ていただいたらどうかと思うのです。私たちの仲間が、東京中心にですが、昨日もたくさん傍聴に来てくださって、「あんな、ひどいとは思わなかった」と言っています。

本当は1条から8条はなくしたい

 そういう中で、憲法について言えば、私はいま「護憲派」と言われているわけですが、本当のことを言えば、1条から8条はいらないと思っています。天皇制を廃止しろとずっと言っています。天皇制を廃止する、女が総理大臣になる、安保を廃棄する、この3つで日本は大きく舵を切れると10年前にテレビで言ったのです。めちゃくちゃ、右翼の攻撃がありました。いまでも、私はそう思っているのです。はっきりと、それを国会の中でも言い切っているのです。ところが、そう言い切る議員は少ないのです。「それなら、あなたは天皇制があった方がいいと思っているのか」と言うと、「いや、もういらんな」と。「言えよ」と言っても言わないのです。びくびくして。そういう時代をずっと引きずってきていると思うのです。
 ですから、本当は1条から8条はカットして、日本国憲法は9条から始め、天皇は伊勢にでも行ってもらって、特殊法人か何かになってもらう。財団法人でも宗教法人でもいいけど。そして、皇居をセントラルパークにし、アジア平和記念館とかをつくり、アジアの留学生を呼ぶという計画を立てているのですが、賛同者は少ないのです。国会の中では。それで、そういう話をすると、自由党の平野という議員なんかは走ってきて、「あんたどこの生まれや」と聞きます。「生まれは奈良の吉野の山奥で、育ったのは大阪やねん」と言うと、「そんな奈良の人間で、天皇制やめとけいうやつおるんか」と。「ごろごろおるぞ」と言い返しました。それくらい不思議がられるほど、そういうことはタブーになっています。

政治状況を見極めるのが政治家の仕事

 この話をいまの憲法調査会などで議論したいというときはあります。私は「9条ばっかり言うのではなく、1条から8条をどうするねん」、と言いたいと思います。しかし、だから「論憲」だと主張しだすと足をすくわれてしまいます。9条狙い撃ちですから。ですから、いまは憲法を論じることがすばらしい、という「論憲」には組みしません。この憲法を変えるとか変えないとかいうとき、そのときの政治状況を見極めるというのが、私らの仕事でしょう。なんでもいいから、議論したらよろしいというのとは違います。数では圧倒的に負けていて、しかも政治状況が非常に悪いときに、そういうことを言い出すということは、相手に首を差しだし、打ち首にしてくれと持っていくようなものなのです。民主党はそれをやっていますけれども。鳩山さんは、何か、集団的自衛権を認めておられるらしいいようです。あの人は多分、安保のこととか、日米新ガイドラインのことを理解していないと思います。集団的自衛権が何なのかということを理解せずに、しゃべってはるんだと思うんですね。きっと、宇宙からお達しか何かが来たのと違いますか。私は妄言だと思うのです。そういう状況が、いま憲法調査会を取り巻く政治状況というか、国会の様子です。

これから脚光を浴びる9条の理念

 さて、そういう中で、9条の理念は、これこそ21世紀に脚光を浴びると私は思っているのです。いま、南北朝鮮の対話が進んでいます。金大中大統領がノーベル平和賞をもらいましたが、あの人一人と違うわけです。みなさん、思い起こしてください。みなさんもきっと取り組んでいらっしゃったと思います。日朝友好の北朝鮮の問題、共和国の問題ですね。それと、韓国民主化の支援や労働者との連帯、政治犯の釈放や金大中大統領の死刑に抗議する署名、日本の在日韓国朝鮮人の権利の保障や指紋押捺反対など、様々な運動をやって来られたんじゃないでしょうか。そういう運動の上に立って、いまの南北の和解があります。私は、運動を続けるということは、挫折しそうになったり、なんだか細々と大丈夫かな、少数派だといつも思うのです。しかし、それを続けるということしか、社会を動かす原動力にならないと思うのです。どうですか、みなさん。そうでしょう。
 私は先週の金曜日の夜中、「朝まで生テレビ」という田原総一郎の番組で朝鮮総連系の人と民団系の人が初めて同席して、私も出ていたのです。そのときも申し上げたのですが、韓国や北朝鮮も大きく変化しているわけです。今日は徐勝さんたちが国会に韓国のNGOの人たちを連れて来ました。彼らは北朝鮮に対して米を支援している団体なのです。そして、米と一緒に子どもが絵を描いて、それを北朝鮮に届け、そこで展覧会をする。また、北の子どもたちに絵を描いてもらい、自分の顔を描いてもらって韓国で展覧会をするという運動をずっと続けてきた人たちです。そのときに聞いた話だと、韓国でも南北に分断されているということを子どもらはもう知らないということです。ソウルだと車で40分ぐらいで38度線に行きます。そこに本当に食糧がなくて困っている人がいるから米を送ろうと言っても、「へえ、そんな状態なの。同じ言葉しゃべるの?」と。いまの世代の子どもたちはもうわからない。だから、絵を描いて、お互いにみな親戚もいるんだ、同じ同胞なんだということを子どもたちに教えざるをえない時代になってきたと言うわけです。ただ、若者はその分、昔の怨念がないわけです。ですから、非常に話も早いわけです。そうなるとやっぱり、手をつないだ方がいいというように、世代もずいぶん変わってきています。こういうことを去年実感したわけです。

韓国で金大中大統領から頼まれた「9条守れ」

 去年、長崎さんと韓国に行き、金大中大統領に「明日会いたい」と申し入れ、会ってくれました。二人で青瓦台に行ったのです。お茶をいれてもらい、「高そうな茶碗やな」とか、これは「李王朝のものかな」とか言って、二人できょろきょろと青瓦台の中を見回したりしました。なぜ「明日会いたい」と言って、彼が会ってくれたのか。そのときに申し上げたことは、「私たちは日本で、金大中大統領が死刑判決を受けたときに救援活動をしたり、朝鮮の問題をずっと運動してきた」ということです。とくに、長崎さんが、生野で在日の子を預かる保母さんをしていたという話を、その間に立つ人に伝えたのです。絶対、「だめもと」で行ってみようと思って言ったら、その日の夜に青瓦台から電話があり、「お会いします」ということになって出かけたのです。
 そのとき、金大中大統領は「アジアの中で日本にお願いしたいこと、アジアの中でいっしょにやっていくためにお願いしたいことは三つある。憲法9条を守ってほしい、非核三原則を守ってほしい、専守防衛に徹してほしい、この三つです」と言ったわけです。やはり私たちは、憲法9条の理念を守らないといけない。とくに、北東アジアで緊張が低下しようとしているときに、憲法9条を変えますということを世界に発信するというのは、この緊張緩和の流れに反することです。私は「国益」なんていう言葉は大嫌いですけど、あえて使えば、「日本の国益を考えた場合、いま、北東アジアがこれだけ緊張緩和に向かっているときに、憲法9条を変えるなんていうことを日本が言うことは、日本の国益に反するじゃないか」と改憲派の人に言っているわけです。「国益」という言葉は嫌いだけど、相手は好きだから、その言葉をあえて使って反論しているわけです。

日朝韓の若者が南北の鉄道を結ぼう

 私はこの憲法9条の理念こそ21世紀を先取りしている、21世紀に憲法9条の理念を生かして行かないといけないと思っています。今年も、ピースボートで北朝鮮、共和国に行きました。いま、南北の鉄道を再建してつなげようといっています。できたら、日本から若者をボランティアでつれていって、その共同作業をいっしょにできないか、こういうことをいっしょにやれないかなと思っています。かつて日本は朝鮮半島を侵略したわけです。ですからいま、若者がいっしょに汗を流すということをやりたいと思っています。いま、その計画を進めようとしています。これは日本、北朝鮮、韓国でやりたいと思っているのです。そのためには、国際的なNGOが仲立ちするという形でやるしかない。政府同士ですと絶対無理ですから。森さんがまたしょうもない発言をしました。なんか、ブレアにええかっこしいで言ったらしいのです。ですからいま、国際的なNGOが音頭をとるという形でできないかという仕掛けをやっています。
 ガルトゥングさんという平和学で紛争解決のプロセスの提示というプログラムづくりをやっているノルウェー人の方がつくられたNGOがあります。イスラエルとパレスチナがまた火を噴きましたが、このイスラエルとパレスチナの1回めの和解のときも、このNGOが和解の、紛争解決のプロセスをかなり具体的に提示しました。アクション・プランを提示しました。北アイルランドとイギリスの紛争のときも提示しています。そこでいま、南北朝鮮のプログラムというものをつくろうとやっているのです。

NGOは「いっしょに働く」

 NGOと市民運動といわれていたものとは本当は同じなのですが、ちょっと、感性が違うのです。たとえば、いままでの運動というのは、署名を集めて、集会をして、そして、デモをするというスタイル。NGOは相手のところへ行くとか、共同作業を中心にするわけです。ですから、すべてのことを政治的な課題だけに閉じ込めておくとダメだと思います。例えば日本的では、カンボジアに自衛隊を派遣するか派遣しないかということを政治の道具にしているわけです。あのときは55年体制が残っていて、社会党と自民党の対立が残っていて、国会の中の論点、争点にしているわけです。それで、いかに選挙で勝とうかということが前に出る。それではダメです。あのとき、カンボジアに誰かいっしょに行こうと呼びかけ、もう一つの形での平和のプロセスをカンボジアの人といっしょにどうつくるか、という形で市民が動きました。私たちピースボートは行ったのです。自衛隊の基地にも行きました。どういうことをしているか見に行きました。「ろくなことしてへんな」と思いました。そういう形で、NGOというのは相手との共同作業をメインにする。理屈だけをこねるのとは違い、すべてを国内的な問題、政治課題に矮小化するのではない。いままでだったらセクトとかグループの主張であったり、自分たちの力を伸ばす道具にするのではなく、相手といっしょに働くということが新しいと私は思っています。
 ずっと、ピースボートの活動を続けてきて、東チモールにも先日行ってきました。PKFを東チモールで活動させるために憲法を変えるなどという論議があります。ですから、東チモールの人たちとどういうことができるのかということを探りに、まず東チモールの人たちとサッカー大会をしようということで、サッカーの試合をして帰ってきました。その中でできた仲間たちとこれから連絡をとりながら、東チモールと日本との共同作業を進めていこうと思っているのです。私たちは、東チモールを支援する議員連盟も立ち上げ、政治的な受け皿も同時につくるわけですが、NGOや市民の動きなどもあって初めて、政治が動くと私は強く思うのです。

少数の改憲論者に引きずられる怖さ

 さて、そういう中で、改憲を主張する人たちの3点セット、国会の中で同時に言うことが三つあります。一つは、教育基本法を変えろ。もう一つは、教科書の従軍慰安婦の記述は削除せよ、誇りを持った教科書にせよ。それともう一つは、少年法を見直せ。大体、3点セットで決まっているわけです。パターン化されているわけです。私はこれを、敗戦コンプレックスを引きずった国家主義者たちの思い込みで、いまの若者の未来を決めないでほしいと思っています。彼らはずっと、敗戦コンプレックスを引きずっているわけです。ずるずると。村上正邦とか、青木とか、中曽根とか。コンプレックスの塊です。それとこわがりです。びくびく、びくびくしてる。だから、ハリネズミのように武装したがるのです。ああいうこわがりの、それこそ女性の人権とかさっぱりわかっていない人たちだと思います。ですから、女性の議員も増えてくれというと、次に、でも女らしくやってくれと言うとかね。「土井さんや辻元は女とはちゃうな」と平気で言うとか、全然、わかっていないわけです。そういう思い込みの人たちに引っ張られるのがいやだと私は主張しているわけです。
 日米新ガイドラインとか、ワンパターンですよ。そういう人たちのワンパターンがなぜ広がるのかというと、日米新ガイドラインも憲法違反。それから去年は、盗聴法、国旗国歌法、住民基本台帳法の改悪。いまの非拘束名簿のやり方もそうですが、強行採決をやるのです。数の横暴と言っています。しかし、数の横暴が恐ろしいときがどういうときかと考えたら、少数者に引っ張られた数の横暴なのです。この非拘束名簿のことも、自民党の中だって実は、あんなのはかなわんな、と思っているわけです。ところが、一部の人たちが、久世問題を隠したいとか村上正邦がKSD問題で出てきたとか、そういう一部の人たち、とくに参議院の青木が、なんだか竹下の亡霊にとりつかれてやったわけです。経世会を維持したいとか、そういうことで一部の人たちに引きずられ、なぜだか口をつぐんでしまう。もしくは疑問を呈しない。文句をいわない。みんな言わないから、なあなあでものが決められていく。こういうときが多数の横暴だと思うのです。ホンマに多数の人たちが、これがいいと思っていたら、横暴と言わないですよね。多数が決めたというわけです。ですから、そういう状況がずっと国会の中を覆っていると思います。

連立政権との付き合い方を考えよう

 なぜそうなったかといえば、一つは連立政権になってややこしくなったことです。連立政権への付き合い方に、政治の場にいる国会議員、政治家も有権者もまだ慣れていないということです。例えば、私たちもこの間まで与党に入っていたわけです。3年ぐらい前までです。あのとき、私たちがずっと与党の中に入っていたら国旗国歌法とかやっていませんよ。新ガイドラインだって、「やりたいやりたい」というのをずっとつぶしてきた。はっきりと自民党の人は言います。社民党とやっているときはやれなかった。がまんしていた、と言うのです。ですから、最悪の事態を回避しながら、どのように良い方向に向かっていくのかが、いまの過度期の連立時代だと思うのです。一挙にいいものはできません。来年、参議院選挙がありますが、参議院選挙でどこも一党で過半数を取れないでしょう。そう思いませんか。具体的に「護憲で行く」という人が選挙で勝たないと意味がないのです。
 それでは、参議院選挙後にみなさん、手を胸に当てて考えてください。どういう組み合わせがあなたにとっていい組み合わせですか。これが難しいのです。このへんから応用問題に入ってくるのです。連立時代になってくるので、自分にとってベストの選択は何か、どういう形で政権を維持してほしいのかということです。政治というのはリアリズムじゃないですか。憲法を守るために、どういう組み合わせの勢力を結集して力を合わしていくかとなるわけです。その政党の中でも改憲派、護憲派と入り乱れているので、どういうように引き抜いていくのか。新しい勢力をつくるために、そういうことをやらないと、いつまでたっても力が出ない。
 もう一つは民主党です。民主党の鳩山さんとか、羽田さん。土井さんが「鳩山さんは自民党にお帰りになったら」と発言をしたのですが、この民主党の中の旧社会党から行った護憲派といわれている人は、ほとんど発言権がありません。選挙でほとんど落ちたのです。半分以上が1年生になって、松下政経塾が最大派閥のようになってきています。ですから、野党第1党の民主党に対するロビー活動を、護憲派がどれだけかけられるかということです。
 そのためには、組合を動かすということです。いま、連合は民主党基軸ということで、大阪でも民主党です。昨日も日教組の人たちがロビー活動でいろいろ来ているわけです。30人学級のこととかで。それで、ちょっと意見交換をし、憲法のこととか、少年法の改悪とか、いろいろあるからいっしょにやろうよと言いました。「いや、ホンマはやりたいんです。でも、立場が」というわけです。さっきのと同じなのです。みんな「おかしい、このままじゃダメだ、本当はこっちやりたい、でも、立場が」とか言います。言ったからといって、打ち首獄門にあうわけではないのです。組合の中でも、なんとなくいやだというだけなのです。それで、どんどん、一方の方向だけで、少数者で、なんとか過去の思い込みで引っ張ろうとしている人たちの勢力に組みしていることにならないか、と私は問題提起として突きつけていきたいと思うわけです。

いまからじわじわと口コミで広げていこう

 今週の月曜日に大阪から帰るとき、伊丹の空港の待合室に入ったら、亀井静香が座っていたのです。彼は「お前、選挙に強かったな」と言うのですね。「絶対、負けると思わなかった」と。自民党と公明党が選挙協力をして、民主党、連合の候補者もいたわけです。選挙で勝てば発言権も増えるのです。長野で田中康夫が勝ったでしょ。田中康夫のところもすごい、すさまじい選挙でした。長野というところは、民主党は羽田孜ですから、羽田さんの旧保守です。もう、みんな池田という副知事をやったわけですが、その包囲網に田中康夫は勝った。川田さんも勝った。これは一つの流れをつくる可能性があるわけです。もちろん、政治を変えていくのは、選挙がとても大事だと思うけれども、さっきも申しました運動、やっぱり、南北朝鮮がここまで和解にこぎつけたのは、私たちの粘り強い運動があったんだという自負心を持ちながら運動をやっていくことが大事です。
 最後になりますけれども、手段として、いきなりデモをして、国会の周りを囲むというのは無理ですよね。手段としては、口コミです。やっぱり、私はそう思う。自分の選挙だってそうだったし、口コミです。それから、インターネットのメール作戦。改憲というのは、一挙に来る可能性があります。今回の非拘束名簿のように、一挙に国会でやる可能性があるのです。ですから、そのときにあわてて運動を展開していてもダメで、いまから、じわじわじわじわと粘り強く、近所の人に、一人が周りの人に言い、一人が一人に言い運動を広げていく。それしか方法がないと思うのです。しかし、大きなメディアが味方するわけでもない、何か大きな組織が先頭に立つわけでもない中で、民衆の運動が勝ったのは、いままでの歴史の中で口コミだったり、一人から一人につながっていく力です。この力が歴史を変えていると私は思いますので、また、めげずに来週も国会に行って、たたかいたいと思います。以上です。

長崎 ありがとうございました。いまの話を受けて、とくに、国会の中では論議も空洞化し、改憲の動きがどんどん進められているということが、辻元さんの発言で出ていると思います。


パネルディスカッション

長崎 まず、芦澤さんに石原発言が改憲の後押しになっているということを少し発言いただけたらと思います。

自衛隊の軍事演習だった首都防災訓練

芦澤 いよいよ石原都知事が憲法調査会で発言するということで、「あー、来たぞ、来たぞ」と思っています。同じ作家ということで田中康夫氏と石原慎太郎氏が知事になったのを同一視する向きもあるらしいのですが、全然違うと思っています。
 9月3日に東京で、防災訓練の「ビッグレスキュー2000」というすごいものがありました。これはやはり、防災訓練に名を借りた自衛隊の軍事演習であったことは明確だろうと思います。そのとき、東京では10ヶ所で訓練が行なわれたのですが、私が住んでいる江東区では木場が会場になりました。朝から晩までものすごくうるさかったんですね。この防災訓練は毎年行なわれていますが、去年は自衛隊の参加は500名ちょっとでした。今年の参加は7000名以上で、空前絶後のものすごい大部隊が参加しています。
 私自身は目撃できなかったのですが、いろんなところで市民が監視行動を起こしました。写真などでご覧になったと思うのですが、銀座の装甲車が通ったところや、晴海でのヘリの訓練、まだできていない都営地下鉄大江戸線に練馬から部隊を乗せ、木場の会場まで通すという訓練も行なわれました。あちらこちらで「つくずく慎太郎はあれがやりたかったんだろうな」と話されたように、石原都知事はしみじみうれしそうでした。そのときは市ヶ谷の防衛庁が指揮の中心になったわけですけども、防災服に身を固め、森首相とツーショットであちらこちらの会場を軍用ヘリで移動し、演説するわけです。それも防災というよりは、日本の国を攻めてきたときはこういうことが必要なんだと。陸海空三軍という言葉とともに連発しておりました。憲法99条に憲法擁護の義務があります。国会議員、裁判官、公務員はこの憲法を尊重し擁護する義務を負うというのがあります。けれども、憲法を尊重もせず、擁護もしないこの人は憲法99条違反として訴えた方がいいのではないかと本当に思います。
 辛淑玉さんたちが8月15日からずっと東京の新宿で毎日、多文化探検隊ということでいろんなイベントをやっていらっしゃいました。新宿区というのは本当にたくさんの民族の方が共生しているところです。多文化探検隊の一番最後の行事として、もし、災害が起こったときに、その外国人の言葉もわからないみなさんがたくさんいる中で、どうやって助け合っていかなければならないかということを主眼に、9月2日、多文化共生防災実験というのが新宿区のお寺で開かれました。本当に面白かったのですが、いろんなボランティアの方なんかも参加しました。たとえば、危険をジェスチャーで知らせるというのがありました。ところが、ジェスチャー一つとっても、各国でジェスチャーが微妙に違うのです。このジェスチャーはどういうことを表わしているのだろう、というのをクイズ形式でしたわけです。やっぱり、伝え方とか動き方が微妙に日本人と違う。外国人の方から見ても、日本人はこういうふうな動き方をすると。そういう機会がないとわからないじゃないですか。私は本当にこっちの方が役に立つなと思いました。
 そのときは神戸からもたくさんの方々がパネラーとして来ていただきました。その方がおっしゃるには、神戸では老朽化した家が倒れ、その下敷きになって死んだ人が多いということです。自衛隊なんかが駆けつける前に、ほとんどの方が亡くなるということを聞きました。東京でも下町ではそうした老朽化した小さな家が多いのです。そうなりますと、この自衛隊の訓練にお金を使うより、そういう老朽化した家がどれくらいあるか調べ、それが防災的に適格なものなのか調べ、きちんと調査するとか、そういうことが、よっぽど人の命を救うためには大事だ、あれだけ自衛隊が大規模なことをやってしまうと、自衛隊がやってくれるから大丈夫、自分では何もやらなくていい、と普通の人は思い込みかねないと思いました。やはり、防災というのはそれぞれの心構えが大事だし、その意味でも自衛隊の演習というのは石原慎太郎の考え方を体現しているものだと思いました。
 石原の支持率というのは非常に高いわけです。なぜ、高いかというと、歯に衣を着せず言いたいことを言っているからです。言いたいことを言って、その内容の如何は問わない。言いたいことを言っている状況自体が気持ちがいいとなっています。これは非常に東京にとっても恐ろしいことですし、辛淑玉さんも9月3日の反対デモのときに、「私は一人になっても石原とたたかう」と言ってました。この東京の石原の支持率の高さを見て、私は本当に一人になるかもしれないということを、心に込めて話されたと思います。本当にレトリックではない。東京は息苦しいようになっています。

長崎 ありがとうございます。奥野さんに、先ほど、時間が足りなくて補足が必要な部分と、これから改憲阻止に向けて緩やかなネットワークをということで、京都で取り組まれていることを少しお話していただけますでしょうか。

「血を流しに行くのは自衛隊ですよ」!?

奥野 補足といいますか、憲法調査会に出席した時の話を先ほどはしませんでした。その辺を少しお話ししたいと思います
 実は、憲法調査会に出た学生たちと飲みに行こうという話をし、行ったのです。行く途中で、後で話すと自由党の党員だという学生が、「世界の中には虐殺などがまだまだある。そういうのを日本は黙って見ていていいのか。そういうことがあったときには、場合によっては血を流してでも駆けつけていかなければダメじゃないか」と、こういうようなことを言われたのです。
 辻元さんは辻元さんで、そういうこととはまったく違う立場でピースボートの活動で人を送ろうとされている。彼の方は軍事的に、まだ世界の中には戦争があるから、これを日本は助けにいくべきだと、こういう議論をするわけです。こういう議論が比較的受けているのではないかと思っておりまして、僕は「本当にあなたは正しい。僕は自分が右翼から攻撃を受けた時には何とかしようという腹は決まっているけれども、ちょっと、他の国に行って、そういう人たちのために自分の命を張ってまで行こうという、そういうことを自分は真剣に考えてはいなかった。君は立派だ」と、皮肉っぽく言ったのです。彼は何と言ったと思います。「いや、僕は行きませんよ。行くのは自衛隊ですよ」。ああ、こういうことなのか。それほど真剣に考えての発言じゃないんだな、と受け止めたというのがそのときの経過です。
 それから、9条論について、辻元さんから口コミでどうやって憲法を守る声を上げていくのかという提起がありました。やはり、ご近所の方とか友達の方とかに、「憲法大事やで」ということを言うときに、一つは、「世界のために日本は何もしなくていいのか」という問題についての解答がいります。もう一つは古くから言われていることだけれども、「攻められたらどうするのか」、攻められてきたときのために、それなりの軍備は必要ではないか、9条にちょっと付け足して、最低限の軍事力を持つことはいいのではないかという議論が多い。この人たちを説得するというのも、なかなか困難な、難しいところがあるのではないか。もし、今日の場でそういう議論が出てきて、ご意見をいただければありがたいと思っています。
 京都の方では、何を受けて始まったかといいますと、やはり新ガイドラインです。東京の方で日にちは忘れたのですが、大規模なデモがありました。キリスト教の牧師さんが呼びかけられたと思います。それを受け、京都でも何かできないか、ということがきっかけで始まったです。まず、ガイドラインに対するデモを行ない、盗聴法に関して取り組み、これで終わりでは惜しいから、何らかの形で会うぐらいは会おうじゃないかということで、月に1回準備会をし、そして月にもう1回は例会をしています。例会は、単に話し合いだけでは面白くないので、それぞれが関心を持っており、それなりにフォローしている方にチューターになっていただき、30分程度の学習会をするということを続けています。第4木曜日が例会で、第3火曜日が準備会という形で、それなりに軌道に乗ってきているのですが、求心力のある時期と求心力がない時期というのが出てきて、昨年は求心力がずっとあり、60人ほどが出席していたのですが、いまは30人の月があったりしています。できることをつくろうじゃないかということで、例えば講演会なんかを準備したり、いろいろな試みをやっています。大事なことはやはり、強引に決めないとか、お互いの意見をみんなでとにかく出し合うことです。なかなか決定に時間がかかり、大変なことはあるのですけども、そんなとりくみをやっています。

長崎 ありがとうございました。辻元さん、積極的にこちらが「護憲」を打って出るということで、どんなことをアピールしたらいいかお願いできませんか。

冷戦後の社会の構造を鋭く突こう

辻元 今の奥野さんの話で、先ほどの自由党の党員の人の話、「僕は行かないけれど、自衛隊が行く」という話がありました。NGOは行くのです。「憲法を守らなあかん」と思っている人が現場に入っているのです。ルワンダだって、カンボジアだって行っています。改憲と言っている人ほど、「自衛隊を行かしたらいい」と話だけして、自分は行かないわけです。でも、「憲法を守らなくては」と思っている人は、戦火の中に入っているわけです。若者やNGOが。そこがものすごく大きな違いです。
 アメリカ大使館の人が先日来まして、日本の国際貢献について、同じような話をしたわけです。では、世界のどこが言っているのか。湾岸戦争のときに、日本はカネだけ出して、血を流さないとどこが言ったと思います。世界中ってどこですか。ヨーロッパなんか言ってません。アジアも言うわけがない。アメリカは日本からカネを搾り取りたいから言ったわけですよ。アメリカだけです。いまも、「日本はもっと国際貢献をしろ」とどこが言っているのか、突き詰めていくとないのです。アメリカの大使がこの間、ちょろっと言ったぐらいです。
 これは要するに、アメリカのいまグローバリゼーションにのったら儲かる財界が後押しするわけです。この奥野さんのレジュメに「財界などの支配層による新自由主義の戦略の中のグローバリゼーション。アメリカの軍事力の前線部隊の後方を日本は担っている」とあります。ですから、この経済のメカニズムとかIT革命、情報のグローバリゼーションと軍事面でのいまのアメリカの流れは一体になっている。いまの経済の流れもフォローしていかなければならないと思います。ところがいままで、平和を守れという運動の中には、憲法やアジアの平和、外交、軍事力、自衛隊という概念は入っていましたが、経済の概念が足りなかったと思うのです。しかしいまは、このグローバリゼーションという、ある意味で戦争より恐ろしい、人を殺しかねない「ギャンブル資本主義」の暴走が始まっていると思います。途上国ではずいぶん死んでいく人が増えているわけです。
 ですから、運動側も「経済をどうしていくのか」ということを考えないかぎり、いままでのような「二度と子どもを戦場に送るな」というだけでははっきりいって、私は無理だと思うし、思想の貧困だと思います。このことしか言えないのは。いまの21世紀を間近に迎えた地球がどういう状況にあるのかというところを、東西の壁が崩れた冷戦後の社会の構造というものを、総合的に鋭く突いていかなければダメです。
 もう一点、運動の側が陥ってはいけないのは、奥野さんのレジュメのEです。「教条的な護憲・平和運動への心理的反発」というのがあるのです。平和勢力といわれた側にも、改憲を言っている人たちの中にも、かつての冷戦構造の頃の頭の思考回路しかない人たちは、「護憲」と言ったらレッテルを貼ってしまうわけです。こちらもそれにまんまとのって、かつて「教条主義」と言われたような匂いを振りまいて「護憲」を言うと、かえって反発を買います。違う手を見つけないといけない。そのためには、行動です。いま、北朝鮮の米のことで、私はこんなことをやっているとか、要するにアクションを伴った発言じゃないかぎり、教条主義的な護憲といわれるレッテルを貼られ、拒否反応を起こされてしまいます。いま、こういう活動をしているとか、いま、こういうことを思うと、自分の身近なことから言わないで、「憲法9条を守れなかったらアジアの侵略が繰り返される」などといきなり言っても、だれも聞いてくれない時代になっています。そこのところの工夫が必要ではないかと私は思います。

長崎 ありがとうございました。今日はたくさんのご意見をいただいたと思います。国会の中の状況や私たちがどういう戦略を考えていくのか。現在出ている改憲を後押ししているものとして、ITとかグローバリゼーションとかいわれる戦略があること、そのアメリカの軍事戦略の中で、日本が集団的自衛権を持つべきだということが言われている。こちらも新しい形で一歩踏み出し、これからは戦争を体験して絶対に戦争をしてはならないという世代から引き継いで、新しい世代が憲法を守っていかなければならないということを発信し、新しい声を届けていきたいと思います。
 まだまだご意見をいただきたいのですけども、会場の都合もあり、会場からのコメントを少しいただきたいと思います。
 それでは、最初に宗教者という立場で日本基督教団のMさん、よろしくお願いします。


会場からの発言

憲法9条と歴史と向き合うこと

 生野区の日本基督教団大阪聖和教会の牧師をしています。宗教者としてということですけども、もちろん宗教者としてもしっかり考えていかないといけませんが、私自身としても意見を申し上げたいと思います。
 宗教者の立場として、一つ言えば、少し前に宗教法人法が改正されました。実はいろんな宗教法人に対し、役員の名簿を提出するとかいろんな規制が強くなっています。このことも、実は政治的な問題で、自民党と公明党が手を結ぶ前につくられたわけです。信教の自由が憲法の中で非常に大切なものとしてうたわれているにもかかわらず、行政が強い形で宗教の世界に入ってくるということがあるわけです。このことが憲法9条とつながっている、問題の根は一緒だと思うのです。
 つまり、歴史をどうとらえるのか、歴史とどう向き合うのかということです。信教の自由が憲法の中に入っているのは、戦争中に天皇制国家主義の中で、天皇を中心とした国家神道が戦争に突き進んだ力の中心になったという反省から、政教分離の原則と信教の自由という大切な原理が出てきたということです。ですから、その背景を抜きに、改憲を議論することは非常に危険です。憲法9条について、いまの状況というのももちろんあると思うのですが、憲法9条がどういう歴史的な背景から出てきているのかということを私たちは常に考えないといけないのではないかと思うのです。私は、生野区に住んでおり、在日の人たちがたくさんいるわけです。いま、在日の人たちと向き合う中で、いろいろな話をもちろんしますが、そういう人たちがどういう歴史を負わされてきたのかということを抜きに、そこで出会うことは不可能だと思うのです。
 実は、日曜日に説教の準備をしていて、ある本にいわゆる歴史をどう捉えるのかという中で、敗戦後40年を迎えた1985年に、二人の政治家の対照的な発言がありました。一人は当時の西ドイツのワイツゼッカー大統領。もう一人は日本の中曽根首相です。同じ時代です。ワイツゼッカー大統領は「荒れ野の40年」という有名な演説をしています。中曽根さんはよくご存知の通り、「戦後の総決算」として靖国神社を公式参拝しました。この本で二つの発言を取り上げていました。
 「軽々しく比較することは慎むことであるが、そこに表われている罪責の認識をあえて問うとすれば、ドイツ人は過去の歴史に対して、主体的責任的に語ろうとしている。それを繰り返し、新しく装備し、記憶する。それに対して、日本人は歴史の中に生きながら、非歴史的であり、情緒的であり、過去について忘れること、水に流すことを良しとしている。ドイツ人は加害者としての認識を明確に持ち、そこで問われている罪責に対して、真摯に語ろうとする。それに対して日本人は加害者としての認識は極めて曖昧であり、反対に被害者意識をもって、責任を回避する。また、ドイツにおいて宗教的であるということは、歴史的、良心的、責任的であるということであるが、日本において、これは主観的、個人的、非歴史的、現実逃避的、無責任的である」。
 やはり私たちは、宗教者としても、もちろん市民としても、歴史的、良心的、責任的な立場から憲法のことについても考え、とくに9条を中心とした日本がやってきた歴史の背景の中でつくられた憲法をしっかりと守り、そしてより良いものにしていく取り組みをしていかないといけない思っています。以上です。

長崎 ありがとうございました。もうお一人、いま出ましたけれども、在日外国人の立場でいま、生野におきまして民権協という形で活動を続けているSさんにお願いします。

在日コリアンと憲法の理念

 今日は護憲の集いということですが、在日コリアンの立場から「護憲」という文言について、非常に複雑な思いをするわけです。
 一つは日本の憲法と外国人の問題です。もちろん、憲法は最高法規なわけですが、その中で、明文上は外国人の人権条項はありません。そして、日本の国内法においても、外国人を登録するための登録法はありますし、管理をするための入管法はありますけれども、在日外国人の人権を保障する国内法はありません。民族差別を処罰するような法律はありません。そういう日本の憲法を前にして、それを守るということは在日外国人にとってどんな意味があるのだろうかと思うわけです。
 ここで、誤解をしていただきたくないのですが、私は個人的にもちろん改憲とか、論憲とか、いまの政治的な流れに組みするものではまったくありません。むしろ日本の憲法が、どういうところから出てきたのかいうことについて、実は在日コリアンとしてそれを継承し発展すべき内容がたくさんあるのではないか、そのことがむしろ責務ではないかというようにも思っています。戦争での本当に多くの屍の中から、日本の平和憲法が生まれた。憲法の基本原理である主権在民、基本的人権の尊重、そして恒久平和という普遍的な理念というのも、やはり、前の戦争の非常に大きな犠牲の上に出てきた。その中で、在日コリアンの非常に多くは旧植民地の出身者とその子孫ですが、その日本国憲法の精神を体現しているという意味では、在日コリアンが日本の憲法の理念を守っていく責務はあるかなと思っています。
 21世紀に向けて、日本の社会はこれから多民族、多文化化することは間違いないと思います。いい悪いは別にして、グローバリゼーションの加速はあるでしょうし、日本の少子高齢化の中で、日本の人口が減少する時代を迎えている。そういう中で、日本が多民族多文化社会をつくれるかどうかというのが、実はいま、21世紀の日本の国の形をどうつくるのかというときの一つの重要なテーマではないか。そう考えるときに、多文化社会、共生社会をつくっていくという方向の中で、ぜひとも日本の憲法の理念を生かしていくことが求められていると思います。
 民権協の中でも、北朝鮮への人道支援を行なっています。いま、北朝鮮の中で、いろんな状況があっても、数十万単位の人が食糧難によって餓死あるいは病気で死亡している。6歳から7歳までの子どもの60%が慢性的な栄養失調である。もちろん、日朝関係の中にはいろいろな問題が横たわっているということについては承知しています。私はいつも、在日の立場から、日本人に北朝鮮への人道支援を訴えているのですが、そのときに日本の憲法前文を引用するのです。それは、「我らは全世界の国民が恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有する」という前文です。そういう平和的生存権を日本の憲法前文が訴えている。日本の一人一人が、世界中の一人一人が恐怖と欠乏から免れ生存する権利があると訴えています。すばらしい精神ではないかと思います。
 いろいろな問題があり、解決していく必要があると思います。しかし、一方で、北朝鮮の中で、苦しい立場にいる人たちを、隣国である日本が無関心で見過ごすことの異常さもあるのではないか。そのときに、日本の憲法の理念を在日コリアンの一人としても、拠りどころとしながら、支援を行なっていくということについて少し、意見を述べさせていただきました。

長崎 ありがとうございました。本当に短い時間の中で、意を尽くしていただきました。それでは、最後になりますが、護憲・大阪の会の結成のアピールをしていただきます。
今日は本当にありがとうございました。