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2010年10月14日(木)付

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予算委論戦―熟議の歩みを進めたい

国会でこれほど「熟議」が語られたのは初めてだろう。とことん議論し、熟慮し、ともに解決策を探るというこの言葉が、衆院予算委員会で与野党からさかんに聞かれた。直接のきっかけ[記事全文]

検察審査会―無用の疑念防ぐ工夫を

小沢一郎氏に対する強制起訴の議決を受けて、民主党内などから検察審査会の審査のあり方や制度そのものに対する疑問や批判が出ている。無作為に選ばれた市民でつくる審査会が「起訴[記事全文]

予算委論戦―熟議の歩みを進めたい

 国会でこれほど「熟議」が語られたのは初めてだろう。とことん議論し、熟慮し、ともに解決策を探るというこの言葉が、衆院予算委員会で与野党からさかんに聞かれた。

 直接のきっかけは、菅直人首相が所信表明で「熟議の国会にしていくよう努めます」と唱えたことだ。

 衆参両院の多数派が異なるねじれ状態で、連立組み替えの見通しも立たない。政策ごとに野党の協力を得るしかない。首相は政治の現実を踏まえて、熟議を持ち出したに違いない。

 ただそれは国会本来の機能を回復することであり、時代の要請でもある。政治が前進する兆しとして歓迎する。

 55年体制下はもちろん、野党時代の菅氏自身がそうであったように、相手を鋭く追いつめる対決型の論戦は国会の一つの見どころではある。

 だがいま、日本は停滞の中にある。だれが政権に就こうと同じ課題に立ち向かわなければならない。知恵を出し合い、接点を求め、政治を前に動かす議論の仕方を身につけるべきである。

 そうした議論の末に、越えがたい違いが浮かび上がるなら、それもいい。選挙の争点が鮮明になる。

 熟議の作法が定着したとはまだまだいえないが、そのために何が必要か、手がかりはつかめたのではないか。

 まず、日本の行く末にかかわる問題を大局に立って議論する姿勢である。

 蓮舫行政刷新相が国会内でファッション誌の撮影に応じたことに、どれだけ時間を費やす必要があるか。尖閣諸島沖での漁船衝突事件は重大だが、論ずべきはセンカクモグラの保護より、中国とどう向き合っていくかだろう。

 相手を一方的に責め立てるのではなく、自らを省みながら論じる姿勢も不可欠である。

 石破茂自民党政調会長は、自民党政権が税制改革などを先送りしてきたことに「強烈な反省」を持っていると切り出した。温室効果ガス25%削減の政府方針を「アンチビジネス」と断じ、違いも鮮明だった。それでも、同様の問題意識を持ち、ともに打開策を探ろうという姿勢を感じたのか、首相は石破氏に「ありがとう」と繰り返した。

 建前に固執せず、なるべく率直に語る。自分の頭で考え、姿勢を改めるのもいとわない。それも熟議の条件だ。

 片山善博総務相は、政権交代後も水面下で天下りのあっせんが続いているのではないかという問いに「以心伝心や問わず語りはあったのではないか」と答えた。従来の政府答弁を越え、野党の攻撃を招くおそれもある。だが、正直に語ってこそ、対策を論じあう環境が生まれる。

 それには閣僚にも質問者にも知識と力量が欠かせない。党議拘束緩和などの仕掛けも必要だろう。長い道のりだが、一歩一歩、進み続けたい。

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検察審査会―無用の疑念防ぐ工夫を

 小沢一郎氏に対する強制起訴の議決を受けて、民主党内などから検察審査会の審査のあり方や制度そのものに対する疑問や批判が出ている。

 無作為に選ばれた市民でつくる審査会が「起訴すべきだ」と2度続けて判断した場合、強制的に起訴となる。この制度は、国民の司法参加を進める方策として昨年5月に始まった。

 これについて、朝日新聞は次のような主張や提案をしてきた。

 ▽検察の起訴のありようを市民の立場からチェックする意義は大きい。

 ▽一方で、議決の理由を見ると、結論に至る過程がわかりにくいものや、感情が先走り気味の記述もある。審査会には、権限の重さを踏まえた判断と説明責任が求められる。補助する弁護士や事務局の力量向上が必要だ。

 ▽社会も「起訴イコール有罪」という見方を改める必要がある――。

 こうした立場に変わりはない。

 「専門家である検察の判断を素人がひっくり返すのはおかしい」という声が今回も聞かれる。だが、専門家の判断が、主権者である国民の良識や感覚に照らしてうなずけるかどうかを点検するのが制度の目的だ。「素人は危うい」との考えを突き詰めれば、民主主義の否定になりかねない。

 一方で、審査会側の対応に問題がないわけではない。

 小沢氏の例では、議決日が民主党の代表選当日、議決書の公表はその約3週間後だったため、様々な憶測を呼んだ。関係者によると、日にちが重なったのは偶然で、議決書の作成と確認に一定の時間がかかったという。

 こうしたことは事務局がきちんと説明するべきではないか。審査の回数、日時など外形的事実も隠す必要はないはずだ。任期終了後、本人が同意すれば審査員が会見し、評議の秘密に触れぬ範囲で感想を語る機会を設けることなども、今後の検討課題だろう。

 審査の中身に対する批判には、議決の内容を充実させることで応えるしかないし、判断の当否は公開の法廷で争われる。そうした核心部分とは違う、事務運営などをめぐる疑念には、事務局の人事や予算を担当する裁判所が対応して解消に努めるのが筋だ。

 立法段階で見送られたものの、この1年余の経験を踏まえて考えるべき点もある。例えば、強制起訴の議決をする際には、起訴を申し立てられている側に意見を述べる機会を与えるようにしてはどうか。審査の公正を担保し、制度への理解も進むだろう。

 検察官にかわって起訴手続きをとる弁護士や補助弁護士の推薦にあたる各地の弁護士会にも、適切な人選と候補者の育成を求めたい。

 せっかく生み出した制度だ。改革の針を逆戻りさせず、育てるための議論を深めなければならない。

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