ファン氏死去:米国の対北人権運動家が語る思い出

 「わたしにとって父のような方でした。わたしをいつも励まし、大きな力になって下さいました。(南北が)統一したら、平壌にわたしの銅像を建てて下さると冗談もおっしゃっていたのに…」

 延世大学(ソウル市西大門区)の講義室12日、北朝鮮の人権問題をめぐり運動を繰り広げている米国ディフェンス・フォーラムのスーザン・ショルティー代表(51)は、故ファン・ジャンヨプ元朝鮮労働党書記を失った悲しみで、インタビューの最中、何度も涙をぬぐった。二人は2001年、ファン氏が「北朝鮮の人権のために努力していると聞いた」とし、来韓していたショルティー氏の宿泊先を訪ねた際に初めて会ってから10年間、親交を深めてきた。ショルティー氏は1年に2、3回韓国を訪問するたびに、必ずファン氏に会っていたという。

 ファン氏は今回も、韓国を訪れたショルティー氏と11日に会う約束をしていた。今年4月の自由北韓(北朝鮮)週間イベントの後、6カ月ぶりに再会する予定だった。しかし、この約束は11日午後3時ごろ、ファン氏の殯(ひん)所(出棺まで棺を安置する場所)で実現した。

 ショルティー氏は、「今回会ったら、『今こそわたしたちが動き出すときだ』と話そうと思っていた」とし、ファン氏にできなかった話を打ち明けた。ショルティー氏は「三代世襲について、北朝鮮住民の不満が少しずつ出てきている今、さらに多くの人たちに北朝鮮の実情を知らせ、北朝鮮を解放させるべきだと話そうと思っていた。ファン氏はわたしの意見に同意しただろう」と話した。また、「脱北者たちは、長期ビジョンを示してくれる保護者を失った」とファン氏の死を残念がった。ファン氏はショルティー氏に対し、「統一したら平壌に行って暮らしたい。『漢江の奇跡』を起こした韓国のように、『大同江の奇跡』を起こしたい」と話していたという。

ハン・スヨン記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
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