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ノーベル化学賞:「猪突猛進」陰に内助…根岸すみれさん

ウェストラファイエット郊外の自宅で話す根岸英一さんと妻のすみれさん=米・インディアナ州で2010年10月6日午後10時ごろ、山科武司撮影
ウェストラファイエット郊外の自宅で話す根岸英一さんと妻のすみれさん=米・インディアナ州で2010年10月6日午後10時ごろ、山科武司撮影

 【ウェストラファイエット(米インディアナ州)山科武司】ノーベル化学賞受賞が発表された6日、ウェストラファイエット郊外の自宅に戻った根岸英一・パデュー大特別教授(75)を待ちかまえていたのは、世界各地からのお祝いの電話だった。ひっきりなしにかかってくる電話を、そっと夫に取り次いでいたのが妻のすみれさん(73)だった。

 6日早朝、すみれさんもスウェーデンのノーベル委員会からの電話で目が覚めた。「早朝、深夜の電話は不幸が起きたことを知らせることが多いじゃないですか。家族に何か起きたかと」。あわてて1階の自室を出ると夫の英一さんが受話器を耳に、手で小さくガッツポーズを作りながら2階から下りてきた。夫が電話の内容を告げる前に「コングラチュレーション“ズ”(おめでとう)」と言った。

 日ごろ英一さんから「ズ(S)」をつけ忘れることを口やかましく注意されていた。「だから今日は絶対に間違えませんでした」。正しく「ズ」を強調し夫の快挙に花を添えた。

 2人が交際を始めたのは、すみれさんが高校生、英一さんが大学生の時。英一さんの中学・高校の同級生がすみれさんの兄だった。

 1960年、当時、山口県岩国市の帝人の研究所に勤務していた英一さんに頼まれ、神奈川県の実家から市役所に結婚届を提出した。自身の名前が旧姓から新姓の「根岸」に変わったことを知らず、担当者の呼び出しに気づかなかった。「世間知らずだった」と振り返る。

 その年、渡米した英一さんを追って米国に渡り、50年が過ぎた。2人の娘を育てあげ、19歳から11歳の孫4人に恵まれた。今は家事をこなす傍ら、英語が十分に操れない在留邦人向けの通訳兼コーディネーターの仕事に就いている。6日も3件、仕事の約束が入っており、夫と喜びを分かち合うのも早々に切り上げて出かけたという。

 家庭では「昔ながらの夫唱婦随」(英一さん)。猪突(ちょとつ)猛進型で思ったことをすぐに口に出し、カッとなると時には手も出る夫をすみれさんは「イノシシ」と評する。一方で、気分転換に夜中でも自宅のグランドピアノで独学で学んだ「知床旅情」を弾き、大声で歌う。そうした夫の姿を静かに見守ってきた。

 「化学のことは全く分かりませんが、夫のこうしたストレートなところがいいのじゃないでしょうか」

 今年は夫妻の金婚式の年だ。夫婦の大切な記念の年に、ノーベル賞受賞は大きな贈り物となった。

毎日新聞 2010年10月7日 23時36分(最終更新 10月8日 0時00分)

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