取り急ぎこちらの件ですけど
“天皇陛下はあいさつで、平城京に「父祖の地としての深いゆかりを感じています」と話した。
平城京から遷都した桓武天皇の生母は「続日本紀によれば百済の武寧(ぶねい)王を始祖とする渡来人の子孫とされています」と指摘。
百済からは仏教や論語が伝えられ、渡来人は「わが国の文化や技術の発展に大きく寄与してきました」と、国際交流の意義を強調した。”
古代史の、特にこのへんの時代については、誰でも幾らでもテキトウなことが言えちゃいますので、ソースは1本。
<百済>(ウィキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E6%B8%88#.E6.B0.91.E6.97.8F.E3.81.A8.E8.A8.80.E8.AA.9E
百済(くだら / ひゃくさい)は、古代の朝鮮半島南西部にあったツングース系扶余族による国家(346年 - 660年)。
「満州族のルーツである女真族と扶余族のルーツは同じツングース民族の為、民族的に同系である満州族を国民として多数抱える中国は、中国政府のシンクタンクである中国社会科学院の公式研究書で百済に対して「(高句麗と)同様に古代中国の辺境にいた少数民族である夫余人の一部が興した政権」と記述している。
中国の教科書では、高等教育出版社の『世界古代史』は、古朝鮮・高句麗・扶余は韓国の歴史ではないと、韓国史の始まりは統一新羅からとの主旨で記述しており、中国の100余りの大学で使用されている福建人民出版社の『中国古代史』では、扶余・高句麗・沃沮・穢貊は中国・漢代の東北地区の少数民族だと記述している。」
他国の教科書の中で自国のことがどう書かれているか、に極めてセンシティブな韓国が、
このことについて公式に中国に抗議したり、謝罪と賠償を要求したりしていないわけですから、
確定事項ということでよろしいかと。
つまり満州族の国である百済のあった場所が、今でいう韓国の領土の一部にあたるというだけの話で、
百済人と朝鮮民族とは何のカンケイもない。と。
要するに、百済人は満州人なわけです。
あと、
平城京に遷都したという記念祝典なのに、「平城京から(平安京へ)遷都した桓武天皇の・・・」という話の流れと、
“渡来人は「わが国の文化や技術の発展に大きく寄与してきました」”というおことば
については深く味わうべきでしょう。
(上田正昭やら民ダンが何をたくらんでいるかは知りませんが、彼らにとって壮大なブーメランになりそうですネ、ということですw)
黄の半身浴死と息の合う事wと思いながら
一部見逃してたので ぉし、見るぞ。と
が、再放送って同じトコ見逃すマイ法則発動デシタ
昨日はポイズンがテムジンやってた映画を深夜流してましたが
騎馬の戦いシーンで
死んでしまう〜っ体勢ばかりで
「ぅら、迫力あるだろ?ヘヘ」がいやらし過ぎ
馬に負担かけ過ぎで映画の旨味のなさで寝ちまった
けど、百済人=満州人の声明がブーメランする的に思えた週末デシタ
>ツングース
大人のクセにタラちゃんやこぼちゃんのよな
かりあげを一部にした為
大人扱いされずらい初秋というか晩夏を送っております
ツングースDNAのせいだw
作ってる側のセンスがモロに出てしまうと思います
>大仏開眼
藤原氏vs反藤原氏ですね
さて、藤原氏とは一体何なのか
ホウショウ?
カクムソウ?
たぶんどちらでもない。。。