桜が散り去り若葉になっても、博麗神社での花見は続いていた。
しかし、永遠に続くかと思われるほど毎夜行われていた花見も、木々が青々と生い茂るようになると終わりを告げた。
そんな中、博麗神社の巫女、博麗霊夢は花見の後かたづけをのんびりとしていた。
あまりにものんびりと後かたづけをしていたため、賽銭箱の中の桜の花びらを掃除する頃には、気の早い蝉が鳴き出していた。
「なあ、霊夢、賽銭箱って花びらを入れるものだっけか?」
「何を言っているの? 魔理沙。お賽銭を入れるところに決まっているじゃない。最近の暑さで頭でもやられたの?」
霊夢はその手を休めることなく、掃除を続けながら答えた。
「だが、どう見てもその賽銭箱には花びらしか入っていないぞ。いや、それはもう花びらといえるものじゃないがな」
「五月蠅いわね。大体、あなた達いつも宴会に来ておいて一度でも後かたづけした?
毎年、毎年、参加する人が増えて、散らかる一方なんだから。あれを掃除する身にもなってよね。
そもそも魔理沙、あなたいつもやってきて見ているだけだけじゃない。
たまには手伝ってくれても罰は当たらないわよ」
「はは、でも、普段霊夢はいつも暇にしているじゃないか。これくらい掃除するがちょうどいいぜ」
からからに乾いた花びらをしゃがんで掃除する霊夢の傍らで魔理沙はのんびりと空を眺めていた。
ぼんやりと空を見ていた魔理沙は、視界の下から何か動くものが上がってくるのに気づいた。
「おい、霊夢。お客さんのようだぞ。珍しいな」
「はぁ?」
つい、こないだまで(といっても既に一月以上はたっているが)宴会ずくめで来訪者が絶えなかった博麗神社である。
来訪者なんてそれほど珍しくもないと思いながら霊夢は首を空に向けた。
「違う、空からじゃない。階段から人間のお客さんだ」
魔理沙の言葉に驚きと戸惑いを感じながら、霊夢は階段の方に目をやる。
本来、妖怪が近寄れないはずの博麗神社だが、霊夢の人徳?のおかげか、里では妖怪神社とまで呼ばれており、人間の参拝者はほとんどやってこない。
そのため、もっぱら神社にやってくるのは妖怪や魔理沙のように空を飛んでこられる者たちだ。
人間が、しかも徒歩でやってくるなんて今の博麗神社にとって、極めて珍しいことである。
見ると、ちょうど男性が階段を登り終え、辺りを見回しているところだった。
朝日の下、やや逆光にはなっているが、たしかに人間のように見える。
一瞬、霖之助かと思ったが違った。
たしかに、髪型や色は似ているが、メガネはかけておらず、また霖之助のように細身ではなく、洋服に身を包み寝袋を肩から背負っていた。
年は20代後半といったところか。
男は周囲を軽く見回すとゆっくりと社殿の方へ近寄ってきて、賽銭箱の横に座る巫女装束姿の少女に話しかけた。
「君はこの神社の巫女さんかい?」
「え、ええ、そうですが…あなたは?里では見かけたことなけど……」
幻想郷の人間の里はお世辞にも外の世界と比べると大きいとはいえない。
普段あまり里に行くことのない霊夢でも大体の顔は見知っている人達ばかりだったが、彼を見かけた記憶はなかった。
思い当たる節がない来訪者の質問に対し霊夢は質問で応えた。
「ああ、私は旅のものです。まあ、これといって特に目的があるわけではなく、自由気ままに、その日の気分で行くところを決めて歩いて旅をしているんです」
「ああ、風の吹くまま気の向くままっていう旅ね。
いいわね。しかし、歩いてここまで来たの?この辺の道は獣道で、妖怪に合う危険も高いのに…」
「まあ、下手な道よりはここの方が妖怪に合いそうだけどな」
「五月蠅いわね」
「妖怪? そんなものがこの辺では出るのかい?」
「え!?」「え!?」
幻想郷では妖怪は珍しいものではない。
昨今では人間の里でも妖怪を相手にした店ができているくらいだ。
ましてや巷で妖怪神社と呼ばれているところだ。
その神社にやってくる人間から妖怪が出るのかい?などという言葉を聞くとは2人とも微塵にも思っていなかった。
「…里では結構有名だぜ、ここの妖怪神社の話は。それに、この辺はもう幻想郷の外れの方だからな」
「へぇ、ここは幻想郷というところなんだ。
なんだかとっても幸せそうな名前だね。桃源郷と音が似ているからかな?」
「!?」「!?」
2人が驚いているのをよそに、旅人はゆっくりと辺りを見回す。
「も、もしかして、外の人!?」
「あんた運がいいな! 妖怪に出くわす前にここに来るなんて。
下手したら今頃は妖怪の腹ん中だぜ」
「魔理沙、そんなこというと変に怖がらせちゃうでしょ。せっかく無事にここまで来られたんだから。
あ、心配しないで。いきなり人を食べる妖怪なんてほとんどいないし、このまま鳥居をくぐって帰れば会うこともないから。安心して」
「ん? どうしてこのまま帰れば妖怪に会わないんだい?この辺には妖怪がいるんだろ?」
「それはね、ちょうどここ、博麗神社が幻想郷の結界の境なの。
だから、妖怪がでるのもここまで。
鳥居より先からは外の世界、つまりあなた方が普段過ごしていた世界なの。
そこでは妖怪はでないと思うわ。たぶん。行くことができないから確かなことはいえないけど……」
「結界? 幻想郷というのは何か特別なところなのかい?」
「え、あーはい、簡単に言えば幻想郷は妖怪と人間が住む世界ね。
もともと妖怪が多く住む地域だったらしいけど、人間が増えてきたので妖怪が結界を貼って外の世界と行き来ができないようにしたらしいわ、大昔に。
今ではあなたのようにたまたま事故でこっちの世界に入り込んでしまうこと以外は幻想郷の中に入ることも出ることもできなわ」
「うーん、それって、入ることも出ることもできないなら、偶然入ってしまった私のような人間はもとの世界に戻れないんじゃないの?」
「いや、完全に行き来ができないわけではなくって・・・えーと、そちらの世界で勢力が弱まった妖怪や忘れ去られたものはこっちに流れ着くことができるの。
だから逆に言えば、あー、何て行ったらいいの魔理沙?」
「知るかよ、そんなこと。結界を管理しているのは霊夢だろ」
「私だって詳しくは知らないわよ。
私が管理しているのは博麗大結界の方で、この問題は紫が管理している方の結界なんだから」
「じゃ、本人に聞いてみな。いつ来るか分からないがな」
「あー使えないわね、つまりね……」
今までもたまに幻想郷に紛れ込む人間はいたが、ここまで結界について深く聞いてくる者はいなかった。
たいていの人間は一通り説明を受けるとそのまま鳥居をくぐって帰っていったし、
ごく希にそのまま幻想郷にとどまる者もいたが、彼らもここまで結界について言及してくることはなかったのである。
そのため、今まで当たり前のように思っていた結界について、改めて矛盾点を指摘されて、霊夢は困惑していた。
「要するに、偶然幻想郷にやってきてしまった人間は、本来幻想郷にいる存在ではない異質なものだから、結界の外に出られると言うことなのかな?」
「たぶんそんな感じだったかな」
詳しいことが分からず答えに窮していた霊夢は相手が考えた説を適当に肯定することで答えをはぐらかした。
「ふむ、なるほどね。そう考えると私がこの世界に入り込んだのは当然のことかもしれないな」
「ん? それはどういうことだい?まさか、向こうの世界の知人が皆死んでしまって知っている人がいないとか?」
「あれ? どうして分かったんだい?
そうだよ。たぶんもう誰も私を知っている人間なんて生きてはいないだろうな」
「おいおい、マジかよ。冗談のつもりだったのに」
縁起でもない冗談が当たってしまったにもかかわらず、とくに悪びれる様子もなく魔理沙は返した。
「あ、そんなに気にする必要はないよ。旅に出たのがだいぶ昔だからね。もうみんな天寿を全うしているはずだよ」
「は?旅人さん、あなたいったいいくつなの?
見たところ私たちより上みたいだけど、そんなんな知人が全員死んでいるような年には見えないわよ」
霊夢は目を細めながら旅人に対して疑念のまなざしを向けた。
「いくつだったかな? 旅をするようになってから年なんて数えていなかったからな。
でも少なくとも100年はたっていると思うよ。旅に出たのが30手前だったから……」
「はぁ!? 100歳以上だって!?
おい、霊夢、外の人間ってこんなに若く見えて100年以上生きるもんなのか?」
「知らないわよ。私外の世界なんていったこと無いんだから。
紫にでも聞きなさいよ」
「あ、いや、でも考えてみればかなり長生きしているな。
年の衰えも感じないし。なんでだろうね。ははは」
驚いている2人をよそに旅人は軽快に笑い飛ばしていた。
「あんた、天人か仙人なんじゃないのか?でなければ、獣人と魔法使いとか」
「そうね。ねえ、旅人さん今までにあなたに会いに死神がやってきたことあります?」
「死神?あの大きな鎌を持った奴?いいや、ないね。
小食だけど天人とか仙人とかでもないし、魔法とかそういった特別な力なんて使えないよ」
「そう、まあ死神が来ていないならまだ寿命があるんでしょ。
気にしてもしょうがないわ。
遠い先祖に妖怪の血が入っているのかもしれないしね」
霊夢は深く追求するとめんどくさくなりそうだと思い、簡単に切り上げた。
もし仮に、何か問題があれば四季映姫がやってくるだろうとも考えていた。
「あー、ところで、ここの神社、博麗神社だっけ?なんの神様を祀っているんだい?聞いたことない名前だけど」
「え、え、祀っている神様!? えーと……」
「魅魔様じゃないのか?」
「あんな悪霊、間違っても私の神社の神様じゃないわ!」
「はは、その魅魔っていうのはよく分からないけど、悪霊だって祀られれば神様になるんだぞ」
「いいえ! だから私は祀っていないってば!そんなことより旅人さん、あなたこれからどうするの?
外の世界に帰るの? それとも幻想郷に留まる?」
魅魔とは、かつてこの神社に取り憑き、霊夢をさんざんからかった悪霊である。
魔理沙だけでなく見知らぬ旅人にまでからかわれるのはたまったものじゃない上に、
質問の答えもまた満足に答えられそうにない霊夢は旅人の今後の身体について話題を出すことで話をそらすことにした。
「そうだな。今までいろんなところを旅してきたけど、この幻想郷というところはまたひと味違っていて面白そうだね。
普段は入れないところのようだし、しばらく留まっていくことにするよ」
「言っておくけど、後からでようと思ってもでられないかもしれないわよ。それでもいいの?」
「それならそれでいいさ。そうなったらそうなったらで一興だよ」
「そう、じゃ里に連れて行くわね。魔理沙は…」
「いや、いいよ。そんなことは」
魔理沙はどうする?と霊夢がいおうとしたところを旅人はさえぎった。
出かける仕度をしようとしていた霊夢は驚きと呆れた気持ちになった。
「あのね、さっきも言ったけど、この辺は獣道で見通しも悪いし、妖怪もでるのよ。
あなた、里に着く前に食べられるわよ。それに、里に着いてからどうするのよ?
住む場所のあてとかないでしょ? 1人でいってどうするのよ?」
「妖怪に出くわしたらその時はどうにかするさ。
住む場所にしたってしばらくはその辺で野宿すればいいしね」
「野宿って…、食事はどうするの?まだ木々には何も実っていないわよ」
「森に来れば一年中キノコは食べられるけどな」
妖怪でさえ敬遠する森に、しかも食べたらどうなるか分からないキノコを勧める魔理沙である。
「別に食べなくてもいいよ。今までも毎日食事していたわけじゃないからね。霞でも食べて過ごすよ」
「本当に仙人なんじゃないのか?」
旅人の冗談に対し魔理沙が冗談で返す。
「ああ、そう。そこまでいうなら止めないわ。あ、ちょっと待ってて」
霊夢はそういうと社殿の中に入り、1枚の紙を持って出てきた。
「はい、これ。幻想郷の地図よ。たまにいるあなたのように留まりたいって人に渡しているの。
本当は危険なところに近寄らないように渡しているんだけど、野宿するならなおさら必要でしょ」
「ありがとう。これは助かるよ」
地図を受け取ると旅人はそれを見ながら今の位置を確認した。
「たしか階段から下りると外に出てしまうんだよね? ここは幻想郷の東端か。
それならそこの林から降りていっていいかい?」
旅人は左手の方、つまり神社の南側の雑木林を見ながらいった。
「ええ、いいわよ。でもそんなところから下りていくの?」
「ああ、幻想郷からでたくないからね。じゃ世話になったね」
お礼を言うと旅人は地図を寝袋の中に入れ、雑木林の中に入っていった。
旅人を見送った霊夢は再び賽銭箱の掃除をしていた。
「はぁ、また変なのがやってきたわね。
しかし、最近外からやってくる人が多いわね。
いったい何を考えているのかしら紫は」
「でも、今回の奴はなんか面白そうじゃないか。いっていることが本当なら」
「あんなの嘘に決まっているでしょ。
仙人でもないのに100年以上生きてあの若さは保てないわ。
もしそんなことができるなら縛り上げてでもその秘訣を聞き出すわ」
少々物騒なことをいっているが、目は本気である。
「しかし、本当に良かったのか?好きに行かせて。
今頃ルーミア辺りにでも食われているかもしれないぜ」
「なら、あなたが後ろからついていって見守っていればいいでしょ。面白うそうだと思うんなら」
「私はそんなに暇人じゃないぞ」
ぼんやり空を眺めている人がいっても全く説得力がない台詞だ。
「それに、そろそろお茶の時間だしな」
「もう、毎日のようにただで飲食していって。お金取るわよ!」
そういいながら賽銭箱の掃除を終えた霊夢は後かたづけをはじめた。
「さ、お茶を入れるから座敷にいってて」
「お、そうこなくっちゃ」
話を終えた2人少女は仲良く一緒に社殿の奥の居住区に入っていった。
初夏。梅雨前の過ごしやすい空気が幻想郷を包み込んでいた。
第2話へ続く