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ネット世論とナショナリズム=細谷雄一(時評2010)

中央公論 10月12日(火)17時39分配信

「民衆が、理性的かつ合法的な方式で、自らの考えを表現するものと信じている」

 これは、九月十八日に中国国内で大規模な「反日」デモが起こることを予期した、中国外務省の姜瑜副報道局長の発言であった。事の発端は、尖閣諸島沖の日本領海で起きた中国漁船衝突事件であった。中国では事件の原因を日本へと転嫁し、「日本は釣魚島(尖閣諸島の中国名)から出て行け」、あるいは「日本を打倒せよ!」という怒号やプラカードがあふれる。そのような憎しみの感情や敵意が柳条湖事件発生日の九月十八日という日付と重なり、反日デモの過激化が警戒されたのだ。

 なぜこうなってしまったのか。何が問題なのか。中国政府、あるいは中国国内の沸騰した一部の世論を非難する前に、いま世界で同時進行的に起こっている奇妙な現象に目を向けねばならない。というのも、政治の根本を揺るがすような深刻な病理が主要国でみられるからだ。

 たとえばアメリカ。同時多発テロから九年目となる九月十一日に、イスラム教聖典のコーランの焼却集会を、フロリダ州の教会のテリー・ジョーンズ牧師が計画した。オバマ大統領はこれを「破壊的な行動だ」と強く非難し、またクリントン国務長官は「恥ずべき行為」とその中止を呼びかけた。結局ジョーンズ牧師は計画を実行することはなかった。しかし彼はその後、「危険なイスラム過激分子の存在を知らせた」と満足げに述べ、「目的は達成した」という。

 私はこの夏にベルリンに行き、歴史博物館でヒトラーのナチスの焚書の歴史に触れてきた。ナチスを信奉した人々は、ユダヤ人が書いたすばらしい書物を、憎悪の感情に駆られて次々と燃やしていった。嫌いなもの、憎むべきものを、この世から抹殺したいという衝動。その矛先は、多くの場合に自らとは異質な「他者」へと向かう。不安と恐怖心に駆られた歪んだ自己愛である。

 この、中国とアメリカの二つの大国を蝕む奇妙な動きは、どちらもインターネットの普及に支えられた出来事であった。中国では、当初政府は冷静な対応を示したが、ネット世論の過激化とともに、次第に対日強硬姿勢を示すようになった。他方でコーラン焼却集会をめぐるアメリカの事件も、動画サイトのユーチューブにおいて、ジョーンズ演説の動画が世界中を駆け巡ったことが契機であった。誰もがグーグルで検索をかけて、実際にそれを見ることができてしまう。過激な排外主義の言論にいったん火がつくと簡単には止められない。そして新たな憎悪が生まれる。従来は、良質なジャーナリズムが価値のあるニュースを選別し、それを幅広く報道していた。しかしいまや、そのようなジャーナリズムは衰退し、代わりにネットを通じて多様なニュースがときに人々の認識を歪めていく。

『世論の曲解』(光文社新書)という優れた著書のある政治学者の菅原琢氏は、ネットと民意について論じるコラムのなかで、「『ネット世論』なるものは一部の人の意見の発露に過ぎず、参考になりません」と述べる(『朝日新聞』九月十七日付朝刊)。しかしメディアが過剰に報じることでそれが増幅され、広い範囲で「民意」へと翻訳される。

 そこで問題となるのが、現代のデモクラシーについてである。多くの場合に、各国政府とも過激な排外主義の感情が蔓延することを防ぎ、「理性」に基づいて冷静に対処するよう国民を説得している。さらなる世論の過激化が、その国の対外イメージを傷つけて、主要なパートナーとの外交関係を破滅させるからだ。しかしながら、常に政治指導者が理性の側にいるとは限らない。もしも過激で排外主義的な「ネット世論」にふりまわされる政治家が、それを自らの政治資本として悪用しようとしたらどうなるか。それをどうやって止められるのか。もしも増幅された「ネット世論」が実際の暴動や破壊行為、衝突へと帰結したら、どうしたらよいのか。

 この問題は、現代のデモクラシーの根幹にも関わるものである。本来は、理性的で自立的な個人が、熟慮をもって徹底的に議論をするなかから、あるべき合意にたどり着くはずだ。しかしわれわれが現在目にしているのは、より不寛容で、より破滅的な政治空間の萌芽である。いまからでも遅くはない。しっかりと寛容の美徳と、柔軟な思考の必要を認識しよう。それが可能となったときに、あらためて日本社会の優れた美徳を世界に示すことができるのだ。
(了)

ほそやゆういち=国際政治学者

最終更新:10月12日(火)17時39分

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