映画「青い山脈」「昭和残侠伝」シリーズなどで二枚目スターとして活躍した俳優の池部良(いけべ・りょう)さんが8日午後1時55分、敗血症のため、都内の病院で死去していたことが11日、分かった。92歳だった。葬儀は10日に近親者のみで行われた。後日、「お別れの会」を開く予定。昭和を築いた往年の俳優がまた、逝った。
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関係者によると、池部さんは9月上旬に入院後、敗血症を発症。臨終の間際まで意識はしっかりしていたが、8日になって容体が急変。美子夫人や親類にみとられ、安らかに息を引き取った。数年前から体調を崩すことが多く、入退院を繰り返していたという。
池部さんは東京・大森の生まれ。父は漫画家の池部鈞さん、画家の岡本太郎さんがいとこという芸術一家で育った。立教大学を卒業。1941年、映画監督を志望し東宝に入社したが、同年、映画「闘魚」で俳優デビューする。翌年に徴兵され、南方戦線で終戦を迎えた。
戦後、俳優業に復帰すると「青い山脈」(49年)などに主演。175センチの長身とさわやかな甘いマスクで、一気に二枚目人気スターとなった。さらに「雪国」(57年)「暗夜行路」(59年)などの文芸作品でも高い評価を受け、演技派に脱皮した。
当たり役は65年から9作製作された「昭和残侠伝」シリーズの風間重吉。高倉健演じる主人公・花田秀次郎と、敵対しながら友情で結ばれる役柄が人気を博し、クライマックスでの決めぜりふ「ご一緒、願います」は流行語になった。
生涯の映画出演作は150本以上。83年から2009年まで日本映画俳優協会理事長を務めた。テレビでも活躍し、02年のNHKドラマ「夏の日の恋」が遺作となった。
文筆家としても知られ、91年には「そよ風ときにはつむじ風」で日本文芸大賞を受賞。現在も「銀座百点」「百歳万歳」などの雑誌で連載を持ち、病床でも原稿用紙に向かっていたという。
所属事務所「鈍牛倶楽部」の國實瑞恵社長は、07年に出版された池部さんの半生を描いた本「映画俳優池部良」で、高倉が池部さんを評した一節を引用して、その人柄を語った。「『恥じらい、悲しみ、モダニズム、育ちのよさ、ぎこちなさまでを追い風にした人柄』。べらんめえ口調でユーモアがあり、凛とした方だった」。昭和の伊達男が天国に旅立った。