朝青龍との3000日戦争
フジテレビ「とくダネ!」でおなじみの相撲リポーター、横野レイコさん(48)が、破天荒横綱に最前列でマイクを向けてきた記録をつづった「朝青龍との3000日戦争」(文芸春秋、1500円)を出版しました。
若貴の角界入り発表以来23年間、土俵内外を取材し続けた女性リポーターが見届けた朝青龍という男の正体とは? 時には「くそババア」などと悪態をつかれても憎みきれなかった魅力を聞きました。
私と横野さんは、ある意味で「戦友」と言わせて頂いてよいのかもしれません。新聞とテレビの違いはありましたが、常に最前線で彼を取材して、暴言を吐かれたという点では全く同じですから(笑)
彼が心の病でモンゴルへ帰国してしまった2007年9月には、私も追跡取材でモンゴルへ。ウランバートルから西へ約400キロ離れたハラホリンまで彼を追いかけた現場でも横野さんとお会いしました。
「おばさん」「ばばあ」「クソばばあ」たまには普通に「レイコさん」・・・。これらは、これまで朝青龍が使ってきた横野さんへの呼称。それでも大相撲の名物女性リポーターは、破天荒な男の魅力にグイグイと引き込まれ、常に最前列でマイクを向け続けていました。
横野さんは朝青龍と接した3000日をこう振り返ります。「憎まれ口を叩いても、心底嫌いで言っているわけじゃないことは伝わってくるんです。むしろ好きになっていく自分に気付く。報道する立場だからいかん、いかんと言い聞かせるわけですが・・・」
2009年初場所後の朝青龍と報道関係者との懇談の酒の席ではセーラー服を着る羽目に遭わされました。関西出身のリポーター魂に、朝青龍は大爆笑。「おまえもようやるなあ」と「おばさん」の根性を認めさせました。
学生時代は、大関・若嶋津(現松ヶ根親方)のファンになったのをきっかけに相撲追っかけギャルだったそうです。テレビリポーターになってから相撲取材に携わるようになった横野さんの「初土俵」は1988年2月、当時の藤島部屋で行われた若・貴の入門会見でした。空前絶後の若貴時代を終幕まで見届け、2003年初場所、横綱・貴乃花引退とバトンタッチして横綱昇進を決めたモンゴルから来た異能横綱も最期まで見届けました。23年間、相撲取材をして来た横野さんの目には、この2横綱が対照的に見えています。
「国民の誰からも愛されて、期待どおりに強くなっていった貴乃花と、モンゴルから来て横綱になり、貴乃花に負けないメディア動員力をつけた朝青龍は全くタイプが別。すべてにおいて予定調和でいかないところに朝青龍の魅力を感じました」。優勝一夜明け会見で「マック食いてぇ!」。ハワイまで追い掛けてきたカメラマンには「死ね、この野郎!」・・・。感情を包み隠さずストレートに出す取材対象は、相撲界に限らず出会ったことがないそうです。
本の中では、スポーツ報知でも報じてきた数々の朝青龍騒動を遠慮なく描かれています。本人が喜ぶ内容ではないですね。発売3日前のインタビューでは、肩を揺らしながら近づいて来た朝青龍に「おまえ、本出すんだってな。やめろ。止めろ」とすごまれたそうです。しかし、その1時間後にはニコニコしながら取材に応じ、現役時代の思い出話を語り合ったとか。この男の機嫌は1秒先が読めないんですね。
お騒がせ横綱が去り、土俵が寂しくなったのも事実。本人は目下、政治家への道を模索中だ。横野さんは「今まで以上の努力をしないと第2の人生では横綱にはなれないと思う。モンゴルの大統領になって欲しいし、大人になった彼をみたいですね」。愛情を持って、憎まれ口の主を見守り続けるつもりのようです。
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