海の民・「阿曇族」をご存知でしょうか。
およそ2000年前ごろから、福岡市東区の志賀島一帯を本拠地に、中国との間などで海運に携わっていた一族です。
その後、全国各地に散りましたが、ルーツは謎に包まれています。
先日、阿曇族にゆかりのある人たちが、かつての本拠地・志賀島に集まりました。
先週末、福岡市東区の志賀島で開かれた交流会。
集まったのは、阿曇族にゆかりのある人たちです。
阿曇族は海の民で、およそ2000年前ごろから中国や朝鮮半島との間で海運に携わっていたととされています。
当時、その本拠地は現在の福岡市東区の志賀島一帯にあったといわれています。
地元の志賀海神社に伝わる『志賀海神社縁起絵』。
阿曇族の祖先とされる、阿曇磯良丸が海中から亀にのって現れ、神功皇后の新羅遠征で船の舵取り役として活躍する姿が描かれています。
日本書記や古事記には阿曇族を示す記述はありますが、その由来はわかっていません。
阿曇族はその後、いつ、どういう理由かもわかっていませんが、全国各地に散っています。
現在、「アズミ」に関係する地名が全国に16か所、また、志賀島の「シカ」に由来する地名が全国に17か所あるとされています。
中でも、一番関係が深いといわれているのが長野県の安曇野市です。
志賀島から、およそ760キロ離れた安曇野市。
山に囲まれた、この地にある穂高神社では、海の神様を祀っています。
年に一度の「御船祭」では、船の形をした山車が祭りの主役です。
穂高神社が祀る、海の神様の親にあたるのが、福岡市の志賀島にある志賀海神社の綿津見命です。
阿曇族の大切な神様です。
●志賀海神社・崎山庫助権禰宜
「穂高神社とこちらの関係は、綿津見の神様が、いわゆる阿曇族と一緒に長野の方まで行かれたということ。一説には、阿曇族が長野のひすいを求めて行ったのではないか」
福岡市と安曇野市の共通点は、ほかにもあります。
博多名物おきゅうと。
実はこれ、福岡の志賀島の阿曇族ととても関係の深い、遠い場所でも同じものが食べられているんだそうです」
●安曇誕生の系譜を探る会・細川修副会長
「信州の安曇野ではイゴとか、エゴと言うんです。これは、うちの方では、お盆とかお葬式とか、そういうときには絶対なくてはいけない食べ物。神様や仏様にあげて供えて、そのお下がりをいただく、つまりはその心をいただく。そういう大事なもの」
海に面していない長野県で、海草を使ったおきゅうとを食べる慣わしがあります。
しかも、その慣わしは阿曇族が志賀島の後に本拠地にしたといわれる安曇野市一帯だけなんだそうです。
●安曇誕生の系譜を探る会・金井恂会長
「阿曇族というのは、福岡県粕屋郡の地域、志賀島を含めてこの地域に住んでいた。そういう人たちがどういうことで、信州の山の奥までやってきたのかは、誰が考えても非常に不思議に思うし、謎に包まれている」
福岡市の志賀島で、謎に包まれた阿曇族をテーマにシンポジウムが開かれました。
●風浪宮・阿曇史久宮司
「(阿曇族は)海の集団ですから、航海技術を持って、松浦の沖を過ぎて、玄海と通って、こちら(福岡県大川市)とも交流があった」
●志賀島歴史研究会・古賀偉郎理事
「金印は、阿曇族が洛陽の地まで行って、光武帝から貰い受けて持ち帰ったと、私自身は思っています」
シンポジウムでは、阿曇族の謎を解き明かそうと、全国的なネットワークづくりも呼びかけられました。
●志賀島歴史研究会・岡本顕實さん(顕は旧字体)
「(阿曇族の実態は)はなはだ漠然とした状態だった。それを全国集会をもつ形で、各地も新たに認識を深めて、きっちり調べていこうではないか。意外と面白い古代史のリアルな実像が新しく描けるんじゃないかと思う」