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Twitter Send 2010/10/11 13:30 KST
日本の炭鉱への強制動員朝鮮人、選挙人名簿を初発見


【ソウル11日聯合ニュース】太平洋戦争当時、日本・北海道で最初に開発された「茅沼炭鉱」に朝鮮人1000人余りが強制動員され、ストライキも行っていたことが初めて確認された。

 また調査の過程で、日本が敗戦後、衆議員選挙に必要な選挙人名簿を作成するため、1945年9月に成人男性を対象に調査した「選挙権下調書」が初めて発見されたが、ここには動員された朝鮮人の記録も含まれていた。

 国務総理室傘下の行政機関「対日抗争期強制動員被害調査および国外強制動員犠牲者ら支援委員会」は11日、2005年9月から真相調査を行い、報告書「北海道茅沼炭鉱に強制動員された全羅北道出身者の被害真相調査」をまとめたと明らかにした。

 北海道では1939年10月から朝鮮人の強制動員が始まり、太平洋戦争時には15万人に達した。茅沼炭鉱も1939年10月の130人を皮切りに、毎年被徴用者が増え、1944年には825人の朝鮮人が動員されていた。戦後状況を考慮すると、同炭鉱の朝鮮人動員規模は1000人余りと推定される。

 「選挙権下調書」は各市、町、村に居住する満25歳以上の成人男性(1920年12月以前の生まれ)を対象に調査した記録で、選挙法改正に先立ち、9月に公布された緊急勅令に基づき作成された。

 満25歳以上の選挙権者のみが記録されており、強制動員された朝鮮人の全容を把握するのは難しいが、家族同伴の動員者に対する記録があるうえ、日本当局が個別調査で作成したため精度が高く、意味のある資料だと、委員会は評価している。

 居住年月日、本籍、氏名、生年月日、世帯主などが記録された名簿には計350人が登載されており、独身者名簿(253人)、妻帯者名簿(66人)、世帯主名簿(31人)で区分されている。

 朝鮮人は飢えや厳格な規律、監視、殴打、差別待遇のなか、10時間以上の重労働を強いられながらも、団体行動とストライキで、日本の支配に立ち向かった事実も確認された。茅沼炭鉱では1941年、食事の改善を求めるストがあり、1944年には同僚が日本人に殴られ、死亡する事件が発生するや、炭鉱の労働者らが団体行動を行った。植民地支配からの解放後、退職金などを要求するストを行ったとの記録もある。

 報告書は、劣悪な環境、不当な待遇に積極的に抗議したことに対し、「強制動員された朝鮮人労務者が日本人に対抗することは、非常に大きな決意を要する積極的で勇気ある行動」と評価している。

 調査を進めた専門委員は、茅沼炭鉱の強制動員実態を調査する過程で、選挙権下調書という特殊文書を発掘したことが何より大きな成果だと説明し、今回の調査を機に日本全国で選挙権名簿が発掘されれば、と期待を示した。