特別企画集 空 芸南電軌
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■■■ 「賀茂芸南市」


2003年3月2日 日曜日 追記

きょう、黒瀬町長選挙が行われ、東広島市との合併をすすめる現職が、単独町政派の対立候補に2倍以上の票差をつけて再選した。これで、2005年3月までに黒瀬町が東広島市と合併することが、事実上決定したといえる。というわけで、このページで私が述べた「極論」は、「芸南」の設定上からも消え去ることとなる。

とはいえ、もったいないので、そのまま残しておくことにする。




まずは、以下の地図をご覧いただきたい。(新しいウインドウが開きます)

>> 2028年(“芸南”の設定上)
>> 2003年(現在)
>> 1889年(明治時代:おまけ)

2028年の地図に登場する、東広島市、黒瀬町、呉市、さらに周りの町を含めて合併されたと思われる「賀茂芸南市」について、なぜこのような“設定”にしたのかを、ここで説明する。

(2028年の地図で広島呉道路が都市高速化しているのは、あくまで私の予想です)



「東広島市黒瀬町」の白紙撤回

芸南モノレールは、2003年現在では、「東広島市」「賀茂郡黒瀬町」「呉市」の3つの行政区を結んでいる。

ここもまた、「平成の大合併」と呼ばれる市町村合併が行われようとしている。呉市と東広島市に挟まれた黒瀬町は、結局、東広島市を中心とする合併協議会へ参加した。そのため、芸南電軌の初期設定では、現在の黒瀬町を「東広島市黒瀬町」として扱っている。

ところが先日、黒瀬町長のリコール騒ぎが起きた。東広島市の合併協議会への参加が、町長の独断であったためだ。実際に町民の声を聞くと、呉市との合併を望む人、単独町制を望む人と意見はさまざまだ。

この事態を受け、芸南電軌の「東広島市黒瀬町」という設定は、いったん白紙に戻した。そして、現行の公式サイトには、具体的な市町名を記さないことにした。



賀茂台地の25年後

しかし、東広島、黒瀬、呉の3市町が、今のまま25年後を迎えるとは思いにくい。東広島市は賀茂郡内のほかの町を編入し、呉市は瀬戸内海の島々を編入しているだろう。坂町や熊野町も広島市に編入されている可能性が高い。そんな中で、黒瀬町だけが、ぽっかり穴のあいたような状態で居続けるだろうか。

だからといって、東広島と呉のどちらに編入させるかは、私は決められない。まず私は黒瀬町民ではない。そして、今までの流れからいうと東広島市に編入されるのが自然とはいえ、そうなってしまったら郷原町(呉市)こそ陸の孤島になってしまう。郷原町は、歴史を遡れば“黒瀬町”の一部だったのだ。

そこで、ごく少数の意見と思われる、「極論」と言われるかもしれない案を敢えて採用することにした。東広島・黒瀬・呉のすべてをくっつける、超広域合併案である。

正直、これは有り得ない(と思う)。東広島市が編入しようとしている範囲は、東広島市と黒瀬町を含めて692.12平方km、呉市が編入しようとしている範囲は、呉市を含めて353.20平方km、あわせて1045.32平方kmとなる。東京都の面積の約半分だ。



超広域合併

しかし、黒瀬町を単独町制にはせず、なおかつ東広島市と呉市のどちらか片方とは合併させないとなると、こうする以外に手はない。東広島を中心とする賀茂台地・賀茂郡の「賀茂」、呉を中心とする安芸の国の南側「芸南」、これを合わせた「賀茂芸南市」という大きな自治体を、芸南電軌の“設定”の一部として生み出した。

賀茂芸南市は合併に合併を繰り返されてできた巨大な市なので、市街地はあちこちに点在することになる。そういった事情や、面積的な問題からも、区制が導入されるのが自然だろう。実際、今後は政令指定都市に限らず区政を敷く自治体は増えるのではないだろうか。

豊栄、大和、河内、福富の各町および安浦、川尻、音戸、倉橋、下蒲刈、蒲刈、豊浜、豊の各町は、町域がそのまま区として引き継がれるものと思われる。もちろん黒瀬町も。しかし、東広島市は、西条、高屋、八本松、志和の4町が合併されてできた比較的新しい市であり、呉市も、最初の狭い市域に、次々と周りの町村を編入していった結果今の形となった。そのため東広島市はもとの町域を区に、呉市も、人口比がほぼ等分されるように3つの区に分けた。区名は最初の地図を参照願いたい。

あ、芸南線が「芸南」を通らなくなった…。賀茂モノレール…。…。えー。

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