皇室のこと。

2007年01月06日

せっかくブルーフォックスさんから長々コメントをいただいたので、それについてコメントしてみようかと思う
皇太子夫妻への風当たりについて、
1.皇太子妃様は全く公務をしないのに私的外出は喜んで行く
2.男子のお世継ぎが生めない

3.
皇太子様は雅子様と愛子様ばかりを見ていて国民を見ていない
4.愛子様のしつけがなっていない
などを挙げられた。
他の人たちはどうかわからないが、皇太子夫妻を批判する理由はこれらの事柄が主になっているのだと思う
たしかに、これらのことは事実だと私は思う
けれど、そういう事柄をそれだけで批判するということに私は疑問を覚える
どうしてそうなったのか、そうなった理由や状況などを考慮することが欠けているように思えてならない
たとえば学校を何日も休む子がいたとしよう
何日も休むことは決して褒められることではない
しかし、その子がどうして学校を休んでいるのかを語らずして休んでいることだけを取り上げ、批判するのはおかしいと思う
その子は病気かもしれない、怪我をしているのかもしれない
もしそうではなくずる休みだったとしたら、どうしてずる休みをしたくなったのか、それを考えてみるべきだと私は思う
学校でいじめがあったのではないかとか、何か学校に行きたくない理由があるのではないかとか・・・
そのように考えていけば解決の糸口が見つかるだろうし、その子の気持ちをわかってあげることができると思う
そういう方向から挙げられた事項についてコメントをしようと思う

1.皇太子妃様は全く公務をしないのに私的外出は喜んで行く
皇太子妃が公務ができない状態でいるのは、適応障害という病気にかかっているからだ
適応障害という病気がどういうものであるかを知らずに皇太子妃が公務をできていないことを批難するのはどうかと思う
皇太子妃がなぜ適応障害という重い病にかかってしまったのかについて考えることができれば、公務ができない状態を批判することはないと思う
皇太子妃の私的外出については、治療の一環であると私は思う
適応障害は精神のエネルギーが欠乏してしまう病気である
このエネルギーを回復させるには、自分のエネルギーの源になるようなこと−つまり自分にとって興味のあることや好きなことーをすることである
皇太子妃が私的な外出をするのは、皇太子妃が心からリラックスできるような環境作りのためであり、エネルギーを回復させるためであると思う
精神的な病というのは、そうではない人から見ると単なるわがままだとか、怠けだと見られがちである
怪我のように目に見えないのだから、他人からは回復状況や病気の程度はわからない
精神エネルギーを回復させるための治療が遊びだと思われてしまうことはよくあることで、仕事や勉強になると具合が悪くなり、趣味や遊びは難なくできるために誤解を受けやすいものである
ましてや皇太子妃という立場は、常に人目にさらされている
何をしたか、どこへ行ったかを逐一報告しなければならない
治療のためとは言え、私的外出が続けば、精神的な病に理解のない人からは仮病だとか怠けだとか言われてしまうことになる
私は精神科医ではないから適応障害という病気について詳しくはわからないが、わからないのならわからないで、私にはわからないたいへんなことがあるんだろうな、病気にならないとわからないことってあるんだろうな、というふうに思う
皇室に入るということは「たいへんなんだろうな」と思うことはできても、実際にどのようにたいへんなのかは一般の人にはわからないと思う
いろいろ想像はできても、それはあくまで想像するだけで、詳細についてはわからないことのほうが多い
そういうわからない状態で皇太子妃を批判するのはどうかと私は思う
皇太子妃が公務を行えない状況は確かにいい状況ではないと思う
けれど、それは皇太子妃の責任だけではないと思うし、皇太子妃に批判が向くものではないと思う
・・・とこのように書くと、批判派は「だからと言って仕事をしなくていいってわけではない」と反論してくるのが常
極端すぎるのだ
これでは売り言葉に買い言葉でたどり着く島なしである
たしかに、このままでいいとは思わない
どうしたらよい状況に向かうのか、考えていきたいと思う
しかし、批判派は皇太子妃が公務できないでいるのをすべて皇太子妃の責任であるかのように書きつづっていると思う
皇太子妃の私的外出に誤解を招く理由もあると思う
外出する時期や外出場所など、治療とは言え考慮したほうがよいのではないかと思うこともあるからだ
しかし、それももしかしたらやむをえない理由や状況なのかもしれない
結局「わからない」のだ
私にはわからないことを想像だけで批判するのはどうかと思う
批判する人は「あの人はこう言っている」と引用しては持論を証明しようとするが、ある人が「こうではないか」と想像で言ったことを読んだ人が「この人はこうだと言っている」と 他に伝えるのだから、引用ばかりするのはあまり信用できないのでは、と私は思う
皇太子妃の件でもこのような形で批判派が蔓延していったような気がする
ただ、そうだとしても、皇太子妃に批判する気持ちを持った人が多いというのは事実だと思う
理由はどうであれ、ここまで多いのは驚きだし、それなりの理由もあるのだと思う
どういう理由で、どういうきっかけで皇太子妃を批判的に見るようになったのか、考えていきたいと思う



(11:22)

2006年12月27日

ネットで皇室について語っているサイト(主にブログ)をいろいろと見てみた。
まず、皇太子妃批判派。
すべてではないが、なんだかとっても品がない。
2チャンネル?って思ってしまうくらい、嫌味が多い気がした。
皇太子妃の行動言動をあら捜ししてる気がして、皇太子妃がどう行動しようと気に入らないのでは?という感じがした。
また、皇太子妃を批判する人たちは同時に秋篠宮擁護の立場に立っている。
皇太子妃を秋篠宮妃と比較して、秋篠宮妃は公務もちゃんとしてる、男子も産んだ、天皇両陛下ともうまくやっている、宮内庁ともうまくやっている、と絶賛している。
私が最初に持ったイメージは、昔の姑が嫁の家事がきちんとできていないのを注意するために、障子のさんを指ですっとなでて「汚れています」っていうようなかんじ。
皇太子妃批判サイトが圧倒的に多かったが、皇太子妃を擁護するサイトもないわけではない。
こちらはどちらかというと冷静で理論理屈立っている印象を受けた。
皇太子妃を擁護するサイトは必ずしも秋篠宮家に批判的というわけではなかったが、秋篠宮家にいい印象を持っていないサイトもあった。
2チャンネルものぞいてみたが、皇太子妃擁護のスレッドに皇太子妃批判のレスが多く見られるし、皇太子妃批判派はとても熱心にネットを利用している印象を受ける。
ネットアンケートで「誰が次期天皇にふさわしいか」とか「皇太子妃は必要か」などがあり、前述は秋篠宮殿下、後述は必要ないが圧倒的に多かったのだが、皇太子妃擁護派に対し皇太子妃批判派のネット上での活動量が多いので、これは当然かと思われ、アンケート結果に偏りがあるのではないかとも思われる。
また、これらのサイトでは頻繁に右翼だの左翼だのという言葉が出てくる。
「左翼はすぐにこう言う」とか「右翼はこうだ」とか・・・。
どっちも極端すぎて私はどちらにも所属できないけど、そんなふうにカテゴライズするのはとってもステレオティピカルだと思った。
サイトをざっと見て、うへーと思った。
日本は昔皇室の悪口なんてとっても言えなかったのに、今やこんなにあふれ返っている皇室批判。
原因が何であれ、ここまですごいとは思いも寄らなかった。
日本も変わったものだなあ、と思いをはせてしまった。
まだそれぞれのサイトをじっくり読んではいないので、細かいコメントはこれからゆっくりして行こうと思う。


(17:24)

2006年12月25日

皇太子妃がいろいろと批判されているというのはなんとなく聞いていたけど、ネット上にあふれている皇太子妃批判サイトを見てびっくりした。
もうほんとにすごい、なぜここまでってくらい書かれている。
しかもけっこう数が多い。
そして毒舌。
ここまでとは思っていなかったのでほんとにびっくりした。
私は皇太子妃が適応障害になったり、皇太子殿下が「人格否定発言」をしたのは知っていたけど、「そうなんだ、やっぱり皇室ってたいへんなんだな」って思っていた。
そして、みんなそう思っているのかと思っていた。
でも、私のように思っていたのは少数派なのでは?と思うほど、皇太子妃批判が多いのだ。
しかも皇太子妃批判をする人たちはほとんど秋篠宮支持派である。
秋篠宮家のことはよく言っておき、皇太子夫妻のことはボロクソに言うっていうパターン。
あまりにもすごいので読んでいて鳥肌が立ってきてしまった。
なぜそこまで皇太子妃を嫌うんだろう、どうして秋篠宮家が好きなんだろう・・・。
わからないよ・・・。
私は別にどっちが好きってわけじゃないけど、ここまで嫌うのも好きになるのもかなりエネルギーがいると思う。
しかもみんなよく知っている・・・皇太子妃が何をしてるとか何をしなかったとか、どこへ出かけたとかしぐさや表情、手の振り方、髪型などなど、昔のうるさい姑みたいにものすごーくチェックしている。
ある意味感心、ある意味呆れる。
んで、最近皇室にものすごく関心が出てきたので、これからちょこちょこ皇室について思ったことなどを書き残していこうかと思っている。
今日はプロローグということで、おしまい。


(18:30)