しかし残念ながら、シニア世代の多くは消費に消極的だ。日本人の民族性なのか、特にシニア世代には「子孫に美田を残す」的な価値観が強く、自分の楽しみのためにお金を使おうとしない。彼らが持つ900兆円もの金融資産の大半は、預貯金として眠ったままである。
そこで退職の時期を迎えた団塊世代が、シニア消費を牽引することに期待がかかったのだ。団塊世代の価値観やライフスタイルは、先行世代とは明らかに異なっており、彼らは自分の楽しみのためにお金を使うのではないかと考えられていた。
団塊世代の名付け親である堺屋太一氏は、著書「団塊の世代」にこう書いている。「『団塊の世代』は過去においてそうであったように、将来においても数々の流行と需要を作り、過当競争と過剰設備を残しつつ、年老いていくことであろう」。堺屋氏の予測通り、団塊の世代は常に消費市場のリーダーであり続けてきた。
しかし今、団塊世代はリーダーの座を降りつつあるのかもしれない。
キリギリスになれなかった団塊世代
不発に終わった“団塊退職バブル仮説”の要点は、「今までアリのように働いてきた団塊世代が、退職を機にキリギリスのように消費を謳歌するようになる」ということだった。だが団塊世代は、キリギリスにはなれなかった。
その理由はいくつか考えられる。第1に団塊世代は定年を迎えたものの、完全に退職したわけではない。実際に60歳を過ぎたばかりの男性の有職率はおおむね80%程度となっており、団塊世代の大半はまだ仕事を続けていると考えられる。
第2に団塊世代は、過去の退職世代に比べて経済的負担を負っている場合が少なくない。隠居後は子供が養ってくれた過去の世代と異なり、団塊世代のほとんどは老後の食いぶちを自分で賄わなければならない。それだけでなく要介護の老親を抱えていたり、子供に経済的援助をしていたりする世帯も少なくないのが現実である。
第3に年金制度の脆弱性が明らかになったことで、まだ老い先の長い団塊世代が自衛せざるを得なくなっている点が指摘できる。60歳の平均余命は、男性で23年、女性で28年まで伸びている。現在の年金制度があと20年以上も維持できると、楽観している人はおそらく皆無であろう。つまり団塊世代を「逃げ切り世代」と位置付けることは、必ずしも適切ではないのである。
このように現実の団塊世代はさまざまな負担と不安を抱えており、楽隠居できない世代なのである。
企業はシニア市場から逃げている
シニア市場が盛り上がりを欠く要因は、シニア世代の需要側にのみ問題があると考えるべきではない。シニア市場の開拓を担うべき企業の側にも問題はある。
日本市場の将来を悲観した多くの企業が、新興国市場の開拓に血眼になっている。企業が有望市場に力を注ぐのは、当然のことだ。しかし日本から逃げ出す前に、企業にはやるべきことがあるのではないだろうか。それはシニア市場の開拓だ。日本のシニア世代は人口が急増しているだけではなく、多額の金融資産を持っている。この市場は新興国市場よりも身近で、豊かで、しかも成長性もある。だが多くの日本企業は、シニア市場に対して及び腰である。
日本のシニア市場では、医療・介護など、ある意味“後ろ向き”の消費が急拡大している。そのいっぽうで、小売・サービスなどの“前向き”の消費は盛り上がりを欠いている。そして百貨店・テレビ放送などシニア世代を主要顧客とする業界でも、シニア市場の開拓に腰を据えて取り組もうとする動きは乏しい。
百貨店の主要顧客は団塊世代であり、特に三越などの老舗百貨店や地方百貨店ではその比率が高い。だがその三越も、シニア市場の深耕よりも顧客層の若返りに力を注いでいるようだ。三越は銀座店の増床開店にあたり、「客層を50〜60代から、30〜40代に広げる」ことを大きな目的にしていた(三越銀座店の増床開店については、第4回レポート「銀座百貨店戦争」を参照されたい)。