【コラム】独立門を元の場所に戻せないのか(上)

 ソウル市が市内各地の高架道路を撤去しているのは好ましいことだ。過去数年間に、清渓高架道や弥阿里、苑南洞、漢江大橋北、恵化洞、光煕洞の高架道路が次々と取り壊された。最近では退渓路の会賢高架道が撤去され、韓国銀行側からすっきりと南山を望められるようになった。

 高架道路が1本撤去されるたびに、常々停滞しているソウル市内の交通状況がさらに悪化するのではないか、と心配は尽きない。だが交通の問題は、それほど深刻なものではないことが分かった。市民は、都心のあちこちに登場した奇怪なセメントの塊を取り払ったことでもたらされた心理的・視覚的な解放感に比べれば、交通の停滞が多少増すくらいは我慢できると考えているようだ。

 清渓高架道が建設された1970年ごろ、ソウルを走る自動車は7万台だった。それでも高架道路を建設するか、陸橋を作るのかをめぐり大騒ぎとなった。速度と効率を最優先にした時代の雰囲気が、そうさせたのだ。現在、ソウル市に登録されている自動車は298万台。車の数は数十倍に増えたが、多くの市民は高架道路を撤去する方に賛成だ。

 これほど大きく変わった時代の流れを見る度に残念に思うのが、高架道路の建設に伴い、元の場所から追い払われた独立門だ。史跡第32号独立門は、79年に城山大路を建設し、金華トンネルと社稷トンネルに続いてヒョンジョ高架道を建設する際、北に70メートル離れた現在の場所に移された。その結果、義州路の真ん中に堂々と立つべき独立門は、西大門側から見ても、母岳峠側から見ても、一方に隠れているかのような格好だ。高架道路によって、周辺の景観は台無しになった。しかし、ヒョンジョ高架道は、ソウル市が進めている高架道路撤去事業の対象には含まれていない。

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

このページのトップに戻る