ファン氏死去:太陽政策批判で韓国左派からは軽蔑も
金大中・盧武鉉政権時は報道関係者との接触・講演禁止
「北朝鮮で闘争せよ」と非難も
10日に死去したファン・ジャンヨプ元朝鮮労働党書記は生前、「太陽政策は北朝鮮の人民をより大きな苦痛の中に追い込み、金正日(キム・ジョンイル)だけを生き延びさせた反逆政策」と口癖のように言っていた。『闇の味方になった太陽は、闇を照らすことができない』という著書(2001年)も出版している。しかし、金大中(キム・デジュン)、盧武鉉(ノ・ムヒョン)両政権は、政権を挙げてファン氏の言動を制限し、進歩系を自認する人物たちもファン氏を無視したり、軽蔑(けいべつ)したりした。
2000年11月21日、当時のイ・ミョンシク民主党副報道官はファン氏の対北朝鮮観を「時代錯誤的」と非難し、「過去に執着する偏狭な観点から脱却せよ」と言った。これは、ファン氏が同じ日に、「国家情報院(国情院)が自由な活動を阻んだ」という内容の声明を発表したのに対する反応だった。当時の国情院は、ファン氏の南北首脳会談批判を問題視し、「政治家・報道関係者との接触禁止」「外部での講演禁止」「書籍出版禁止」といった「5大活動制限」を強要していた。
民主党所属の国会情報委員会委員らは、その二日後にキム・ボヒョン国情院第3次長(当時)との懇談会で「ファン氏は冷戦的な思考に過度に傾いている。ファン氏は行き過ぎた対北朝鮮非難を自制すべき」と述べた。
ファン氏は米議会から訪米招請を数回受けていたが、金大中政権は承諾しなかった。表向きには「ファン氏の身の安全が懸念される」と言っていたが、その本音は別な所にあった。パク・サンギュ民主党事務総長(当時)は01年7月11日、「ファン氏が米国へ行けば、どのような結果になるかあまりにも明白ではないか。苦労してきた南北関係に水をさされることだろう」と漏らした。
いわゆる「進歩系政治家」はハンナラ党内にもいた。同月25日、アン・ヨングン元議員(03年離党)はファン氏に「韓国で世論を欺いたり惑わしたりせずに、北朝鮮に戻って闘争せよ」と言った。キム・ウォヌン元議員(02年離党)はファン氏あてに「守旧・冷戦勢力に利用されている」という内容をしたためた非難の手紙を送った。
盧武鉉政権も、ファン氏を「目の上のたんこぶ」と考えていた。ファン氏は03年8月、国情院の「安全家屋」に事実上、「追いやられ」た。同年10月にはファン氏が夢に描いていた訪米が何とか実現したが、「政府の厳しい規制と監視により、半隔離状態」(ファン氏側近)になり、極めて制限された行動しかできなかった。ファン氏は自身のことを中傷する人々に対し、正面切って対抗したことはない。ただ「韓国へ来てから、天才を自任する人々が漂わせる乳臭さに頭を痛めるようになった」とだけ言っている。ファン氏は韓国のことを心配していた。「滅びゆく北朝鮮を目にしたことから、韓国と統一について論じるためにやって来たが、金正日よりも情けなく、たちが悪いやつらが韓国には多いので心配だ」と言っていたという。
李竜洙(イ・ヨンス)記者
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