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【横浜】冷え切っていた地元との関係

2010年10月10日
スポーツ

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【連載:横浜崩壊の舞台裏(1)】横浜ベイスターズが激震に見舞われた。親会社の東京放送(TBS)ホールディングスが、ついに球団売却に踏み切ったのだ。今季、新たに尾花高夫監督(53)を迎え、フロントも大幅刷新して船出したばかりの横浜が身売りを決断した舞台裏ではどんな動きがあったのか。横浜が抱いた理想と誤算、そして崩壊に至るまでの経緯を徹底検証する——。
本気だった「市民球団構想」
「なかなか思った通りにはいかないもんだね…」 先週末、身売り騒動の対応に追われた加地隆雄社長(69)は、憔悴しきった表情でつぶやいた。
 ちょうど1年前の横浜の空気は違っていた。閉鎖的な球団経営で内外から批判を浴びた佐々木邦昭前社長(63)以下、フロントを大幅刷新。新たに電通出身の加地社長を迎えて、球団内は活気に満ちあふれていた。
 TBSが加地社長を招聘した裏には、深い思惑があった。加地社長は若林貴世志オーナー(68)と旧交があり、数年前にも社長就任を打診したことがあった。横浜在住で電通時代に横浜支社営業主幹を務めていた関係から、地元に幅広い人脈を持つ。とりわけ重視されたのは、横浜の“顔役”たちとのパイプだった。
 特に本拠地・横浜スタジアムの鶴岡博社長(70)とは40年来の“飲み仲間”。「なんだ加地か。やっと話ができるヤツが来たじゃないか」。新社長の名前を聞いた鶴岡社長はそう喜んだ。
TBSとしては、赤字体質脱却の第一歩として、まずは球団経営を圧迫していたハマスタとの契約問題を、新たな展開に持ち込みたかった。そのためには加地社長はうってつけの人物だった。
 加地社長は10月の就任直後から精力的に動き始める。チーム運営については佐藤貞二常務(62)に一任。自らは広告塔となって各方面へ出向き、冷え切っていた地元との関係修復に奔走した。11月のある夜、加地社長は市内某所でハマスタの鶴岡社長と向き合っていた。
「なぁ鶴さん。金庫を開けてくれないか?」
 当時、加地社長が模索したのは、100億円超の資産を抱える横浜スタジアムとの合併構想だった。
「本気でやれるのか?」。鶴岡社長の返しに、加地社長は真顔で「俺は鶴さんが“スタインブレナー”でもいいと思っているんだよ」。その後も笑顔で酒を酌み交わす2人からは、何かが変わる雰囲気が感じ取れた。 
当時描かれていたプランはこうだ。ハマスタを中心に新会社を設立し、市と県の協力も得て市民中心の球団を作る。同時に、みなとみらい地区に新たなランドマークとなる新球場を建設する。加地社長の構想に、若林オーナーも賛同した。すでにTBS内では球団売却の検討を始めていた。市民球団への移行なら、身売りよりイメージダウンは避けられる。 ただし夢の実現には多くのハードルがあった。最大の条件は毎年20億円を超える赤字の解消。加地社長は「チームがAクラスに入るようになれば10億円までは減る。そうすれば道は開ける」とソロバンをはじいていた。
 ところがシーズンが開幕すると、この構想はもろくも崩れ去る——。

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