四百七十八夜【04782002年2月15日

Seigow's Book OS / CORE
呉澤森
『鍼灸の世界』
2000 集英社新書
original
transelater

[表紙]『鍼灸の世界』
© 集英社

Amazon

オンライン書店 bk1

後漢中期に編纂された医学書『難経』より「脈診法示意図」。脈診の原型となった。
後漢中期に編纂された医学書『難経』より「脈診法示意図」。現在に続く脈診の原型となった。


頭部側面を走る経穴図(「臨床経穴図」より)
頭部側面を走る経穴図(「臨床経穴図」より)



後漢末期から魏初に活躍した華陀。魏の武帝(曹操)の頭痛を鍼一本で治したといわれる。
後漢末期から魏初に活躍した名医華陀。魏の武帝(曹操)の頭痛を鍼一本で治したといわれる。





























小曽戸洋『中国医学古典と日本』(塙書房)
『中国医学古典と日本』
小曽戸洋 著
1996 塙書房



芹沢勝助『定本経穴図鑑』(主婦の友社)
『定本経穴図鑑』
芹沢勝助
1985 主婦の友社



小曽戸洋『漢方の歴史』(大修館書店)
『漢方の歴史』
小曽戸洋
1999 大修館書店



山田光胤/代田文彦『図説東洋医学』(学研)
『図説東洋医学』
山田光胤・代田文彦 著
1979 学研



木下晴都『臨床経穴図』(医道の日本社)
『臨床経穴図』
木下晴都
1997 医道の日本社

 

 
 「標治」の西洋医学に対して、鍼灸や漢方薬を駆使した「本治」の中国医学を、今日の中国では「中医学」という。
 著者は上海の中医学院に学んでWHO上海国際鍼灸センターで治療にあたったのち、北里研究所の東洋医学総合研究所に招かれた当代きっての中医学者である。大学院時代の恩師には、1960年に中国で初めて鍼麻酔を試みて世界的話題をまいた金舒白がいた。
 ぼくは自分の主治医が重野哲寛さんという漢方系の医師であることもあって、ずっと東洋医療に親しんできた。早稲田の劇団「素描座」の先輩演出家で、ぼくが憧れていた上野圭一さんがフジテレビの名ディレクターの座を捨てて一介の鍼灸師になったことも、中医学にさらに惹かれる要因になった。何人もの漢方医、東洋医学者、中国から来日した中医学者とも出会ってきた。

 中医学にはいろいろ特色があるが、最初の診察にしてすでに四診がある。
 皮膚の色・顔色、目の色、舌の状態などを診る「望診」、体臭・口臭とともに声・呼吸音を診る「聞診」、患者の訴える言葉を診る「問診」、手の脈をとり、腹部の堅さや柔らかさや脚の張りなどを触って診る「切診」である。
 西洋医学とまったく異なる観察というわけではない。かつては医者というもの、このような観察を怠ってはいなかった。ぼくは京都中京堺町押小路の高木小児科病院に猩紅熱そのほかあれこれでお世話になったのであるが、いつも先生に目をむかれ、舌を出し、手のひらを触られた。それがまた気持ちがよかったのだ。いまは大半の病院・医院がこうした診察に怠惰になっているだけなのだ。
 が、四診には中医学独得の診察もあり、とくに「望診」では目や耳や爪を見ることを重視する。なかでも耳は「耳穴」に体各部の出先が"出張"していると考えられているので、じっくりと見る。耳に紅い点があらわれているときは体内に熱がこもっているとき、耳に黒点や紫点が見えるときは癌の前兆を疑うという。原発性肝臓癌のばあいはたいてい耳の「肝」に黒い隆起があるらしい。アトピーとのかかわりもほとんど耳の状態が訴えているとされる。
 脈診にも「関」「寸」「尺」があり、片手で6カ所、両手で12カ所にわたる脈を見る。そのうえで弦脈・軟脈・濡脈の区別、沈脈や伏脈の区別、さらには細脈・滑脈・渋脈の区別をする。脈の種類だけで十数種類があるというのだから、ものすごい。名医は脈診で大半の診断ができるらしい。NIRAの理事長として世界をまわっていた下河辺淳さんはアジアの各地をくまなく訪れている人だが、各地で必ず脈診だけはしてもらってきたようで、その体験によると、脈診では中国の医者よりもチベットの医者がすばらしかったと言っていた。

 四診の次に弁証法をたてる。治療方針の立案である。
 大きくは「八綱」「気血津液」「臓腑」「病因」「外感熱病」などがあり、外感熱病がさらに六経、衛気営血、三焦などの弁証法に分けられる。
 もともと中医学では患者の表面にあらわれた自覚的他覚的な症状を「標」といい、その奥の原因にあたるものを「本」という。弁証法をたてるにはこの「本」をめざし、「標」を落とす。まるで孫子の兵法かゲリラ戦術をおもわせる。標治は対症療法、本治は根本治療にあたる。
 こうしていよいよ経穴(つぼ)をいくつか選んで、これを圧したり、鍼をあてる段階になる。これが「打診」だ。予診でもある。
 いわば当たりをつけるわけで、本格的な治療にかかったわけではない。ところがこれでずいぶん多くの症状が和らぐ。そこでこのレベルの打診を拡張してそれたげの治療にあたる専門師がしだいにふえてきた。これが「指圧」である。われわれも日ごろ体験しているように、名人達人鉄人クラスの指圧師はいくらもいるだろうが、中国医学ではこれを医療とはよばない。
 本格的な鍼灸が始まるのはこのあとなのだ。経絡と経穴を選びこみ、ここに鍼を選んで直刺、斜刺、横刺を施す。経絡をまちがわないようにするのが根幹である。そこに鍼を刺し、また打っていく。ここにも微妙な多様性がある。
 たとえば鍼を刺す角度にもいろいろあるのだが、鍼にはまわしかたもあり、左にまわす「補法」、右にまわす「瀉法」とでは効果がまったく変わってくるものだという。それだけではなく、炙った鍼による焼鍼、隆起部分に集中させる斉鍼、患部組織の周囲を刺鍼する囲鍼などもある。恐るべし中医学。

 体系的な中医学の出発点は紀元前5世紀の『黄帝内経』にまでさかのぼる。それ以前にすでに鍼灸に誓い治癒法があって、骨鍼・竹鍼・石鍼などが先行し、紀元前10世紀ころから銅鍼や鉄鍼があらわれた。
 これらによる原始古代期の鍼灸治癒成果を集大成したのが『黄帝内経』で、現存本では「素問」「霊枢」の2部構成になっている。そのうちの「霊枢」全81篇に経絡経穴学説がまとめられ、俗に『針経』とも『九霊』とも尊重された。理論付けには陰陽五行説が駆使されているが、実際的な十二経脈・十五絡脈・十二経別・十二経筋がすでに列挙された。この『黄帝内経』をうけて後漢のころに『難経』が著された。それを克明に注解したのが宋の王惟一の『難経集注』や元の滑寿による『難経本義』で、おおいに巷間に流布した。
 ちなみに日本には平安時代にこの『難経』が入っている。このあたりのこと、小曽戸洋さんの『中国医学古典と日本』(塙書房)という大著に詳しい。

 ともかくも、こうして体を経絡と経穴で見るという見方が広まった。いまでは経絡を「経脈」と「絡脈」に二大別し、その経脈のほうに十経脈と奇経八脈を、絡脈に十五絡・孫絡・浮絡をあげているのが定番らしい。ただし『黄帝内経』では経穴はまだ160穴しかあがっていない。
 その経穴が時代がすすむにつれてしだいにふえていったわけである。皇甫謐の『鍼灸甲乙経』で349穴、宋の時代で354穴になり、明の楊継洲がまとめた『鍼灸大成』(1601)で359穴、清の呉謙『医宗金鑑』(1742)で361穴になる。いまでは1000穴を越えているという。
 鍼医学では、経絡を流れる経気を経穴から拾い、その響きを得気して、全身の有機性に返していくということをする。だから基本は瀉法というもので、体内の過剰状態を解消することを治療哲学としているわけなのである。

 東洋医学には鍼灸医学だけが発達したわけではない。古代中国にすでに『黄帝内経』とともに、本草学のバイブルで漢方薬の原点を示した『神農本草経』、その漢方の湯液医学のバイブルである『傷寒論』があり、古代インドにアユール・ヴェーダ医学、イスラムにユナニ医学があった。
 これらに今日つせいがあるかどうかは、いま議論されている最中である。たとえば経絡はインドではナーディ管とよばれているが、中医学にはチャクラにあたるものがなく、インド医学には経穴にあたるものがない。これからの研究が待たれる。
 が、そんなことよりも、いったいこのような東洋医学がどのような治癒力をもっているのか、いまだ医学理論や医療技術は解明していない。だいたい経絡やナーディ管に何が流れているのかさえ、わからない。中医学ではその流れているものを「経気」というが、その「気」がわからない。また、その経気が集約される経穴が何だかわからない。西洋医学ではこれらはさっぱりお手上げなのだ。
 しかし、多くの中国人・日本人・韓国人にとって、また一度でも指圧や鍼灸をうけた欧米人にとって、経絡や経穴の"存在"には確固たるものである。原因結果の医学理論が介在しなくとも、効き目や治癒をめぐる"合理"というものはあるものなのだ。
 少なくとも、鍼灸はともかくとして、ぼくは指圧なしにはこの世の日々を送れない。








 







RSSを表示する

 
松岡正剛の最新情報はこちら
いつでも見たい、松岡正剛
 

書名、または著者名からバックナンバーを検索できます

Web www.isis.ne.jp


千 夜 千 冊 BACK NUMBER

[目次]

1144

『海上の道』柳田国男

1143

『異装のセクシャリティ』石井達朗

1142

『日本人の自画像』加藤典洋

1141

『稲と鳥と太陽の道』萩原秀三郎

1140

『猿と女とサイボーグ』ダナ・ハラウェイ

1139

『カムイ伝』白土三平

1138

『江戸の枕絵師』林美一

1137

『ゲイ文化の主役たち』ポール・ラッセル

1136

『悪徳の栄え』マルキ・ド・サド

1135

『非常民の性民俗』赤松啓介

1134

『日本創業者列伝』加来耕三

1133

『市場の書』ゲルト・ハルダッハ&ユルゲン・シリング

1132

『女帝の手記』里中満智子

1131

『日本/権力構造の謎』上・下 カレル・ヴァン・ウォルフレン

1130

『多文明共存時代の農業』高谷好一

1129

『木村蒹葭堂のサロン』中村真一郎

1128

『江戸商売図絵』三谷一馬

1127

『性的差異のエチカ』リュス・イリガライ

1126

『インターネット資本論』スタン・デイビス&クリストファー・マイヤー

1125

『ボランティア』金子郁容

1124

『アヴァン・ポップ』ラリイ・マキャフリイ

1123

『笑いの経済学』木村政雄

1122

『ぼくの哲学』アンディ・ウォーホル

1121

『百物語』杉浦日向子

1120

『女性の深層』エーリッヒ・ノイマン

1119

『北条政子』永井路子

1118

『ネット・ポリティックス』土屋大洋

1117

『T.A.Z.』ハキム・ベイ

1116

『江戸の身体を開く』タイモン・スクリーチ

1115

『資本主義のハビトゥス』ピエール・ブルデュー

1114

『猫と小石とディアギレフ』福原義春

1113

『江戸の市場経済』岡崎哲二

1112

『田中清玄自伝』田中清玄・大須賀瑞夫

1111

『黒い花びら』村松友視

1110

『昭和という時代』鈴木治雄対談集

1109

『澄み透った闇』十文字美信

1108

『市場対国家』ダニエル・ヤーギン&ジョゼフ・スタニスロー

1107

『負ける建築』隈研吾

1106

『未来派』キャロライン・ティズダル&アンジェロ・ボッツォーラ

1105

『写真ノ話』荒木経惟

1104

『建築的思考のゆくえ』内藤廣

1103

『バイ・バイ・キップリング』ナム・ジュン・パイク

1102

『コンセプチュアル・アート』トニー・ゴドフリー

1101

『モダンデザイン批判』柏木博


各ナンバーをクリックすると、別ウィンドウで一覧が表示されます。
クリックするとランダムにバックナンバーが出現します。
電子の自由が選んだ一冊を、あなたに。




 
 
  

 ISIS

© Copyright Editorial Engineering Laboratory.
All rights Reserved.
│ ISIS編集学校 │ いと◎へん