■日本表現規制史年表 1868〜1993



●これは,ある授業の準備のために作ったもので,正確なものでも,アカデミックな値打ちの高いものでもありません。ただ,表現規制関係の何かについて調べたいときに,最初の手がかり程度にはなるでしょう。[97.4 中河記]


[戦前篇]
1868(M1) 太政官布告により,新聞・雑誌類を許可制に(4月)
 69(M2) 東京府で市中の風俗矯正の町触れを出し,また,卑猥の絵や見世物などの興行,男女混浴などを禁止(2月)
  新聞印行条例・出版条例発布,初めて風俗壊乱記事の禁止が定められる(「妄リニ教法ヲ説キ,人罪ヲ誣告シ政務ノ機密ヲ洩ラシ,或ハ誹謗シ,及ビ淫蕩ヲ導クコトヲ記載スル者軽重ニ随ッテ罪ヲ課ス」)(5月)
  芸人,相撲取,役者に鑑札が下される(7月)
  東京府達による寄席の演目規制(軍談,講談,昔噺に演目が限られ,浄瑠璃人形を取り交えたり,男女入り交じっての物真似は禁じられる,70年6月,72年1月と同趣旨の府達が繰り返された)(10月)
1872(M5) 4月に教部省が出した「三条の教憲」に基づき,4ヵ月後に各地の芸能関係者の指導が行なわ れる(「淫風醜態のはなはだしい」演劇には風教の純化を求め,「専ラ勧善懲悪ヲ主トスベシ」と通達される。すなわち,大衆教育という枠に演劇を入れる方針)
  演劇脚本の検閲開始(6月)
 74(M7) 三遊亭円朝,警官に扮した茶番狂言をしたため,屯所へ拘引される(12月)
 75(M8) 反政府運動取締のために新聞紙条例・讒謗律発令(6月)
  出版条例「改正」,管轄が内務省に移り,版権保護規定が細密化
 76(M9) 新聞紙条例に内務省の行政権による発行禁止処分の箇条が追加される(「国安妨害」の記事を掲載した新聞・雑誌に対するもの)(7月)
  成島柳北の『柳橋新誌』など,出版条例により風俗壊乱の恐れがあるとして発禁に(8月)
  演劇,警視庁管下に入り,検閲の対象に
 77(M10) 川路大警視名で,「寄席取締規則」十一ヵ条布告される(2月)
  講談師正襲斎南窓が浅草の寄席で西南戦争を語り,東京警視本署からきびしく叱責される(3月)
  見世物の夜間興行禁止(8月)
 78(M11) 興行取締規則(2月)
1880(M13) 新聞紙条例「改正」,「国安妨害」だけでなく「風俗壊乱」も発行停止・禁止の対象に(10月)
 82(M15) 劇場取締規則公布,警察官による劇場の臨席開始(2月)
 85(M18) 宮崎夢柳訳『 鬼啾啾』摘発(翻訳物の最初の筆禍本,夢柳はたぶん文士としては初めて実刑判決を受ける)
  坪内逍遥『当世書生気質』伏せ字入りで刊行(伏せ字という日本独特の自主規制様式の早い時期の例)
 89(M22) 明治憲法発布(「日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ言論著作印行集会結社ノ自由ヲ有ス」)
  宮武外骨の『頓智協会雑誌』発禁に(憲法のパロディが理由,外骨は三年間下獄)
1893(M26) 出版法発令(「安寧秩序を妨害し,又は風俗を壊乱するものと認むる文書図画を出版したるときは,内務大臣に於て,その発売頒布を禁じ,その印本を差押ふることを得」)
 99(M32) 著作権法公布
1900(M33) 演劇取締規則(「一,皇室の尊厳を涜し,不敬の行為に渉るの恐れあるものはもちろん,又皇威を発揚し,忠君勤皇の志気を奮起せしむるが為なりといえども,いやしくも事の皇室に対し不遜の痕跡を印するの恐れあるもの。二,残虐不倫の脚色にして,看者の神経を害し,児童に恐怖の念を惹起せしむる恐れあるもの。三,猥褻に関することは無論否認せらるる。即ち昔時の濡れ場の如き,親子兄弟と相共に見聞し得べからざる等のもの…」;これ以前(M初年?)から,劇場・演芸場に臨官席が設けられ,警察の担当官が「中止ッ」の掛け声で出し物を中止させた; 壮士芝居の川上音二郎は臨官席との喧嘩を売り物にし,逮捕歴一二〇回を超えたという)
  雑誌『明星』,裸体画掲載のため発禁に(1895年の京都内国勧業博覧会での「裸体人形」への陸羯南の『日本』紙上での攻撃などが前史; 風俗壊乱の罪で起訴された後藤宙外等は無罪判決を受ける; 風俗壊乱罪=「猥褻ノ文書,図画其他ノ物ヲ頒布若クハ販売シ又ハ公然之ゾ陳列シタル者ハ二年以下ノ懲役又ハ五千円以下ノ罰金若クハ科料ニ処ス」)
1904(M37) 与謝野昌子「君死にたまふこと勿れ」をめぐって論議(9月)
  『平民新聞』に幸徳秋水・堺利彦訳『共産党宣言』が掲載され,発禁
 05(M38) 新聞雑誌緊急取締勅令により,万朝報,都新聞,報知新聞,二六新聞発行停止
 06(M39) このころ思想関係の発禁本あい次ぐ
08(M41) 警視庁,東京・神田の錦輝館で公開された仏映画『仏蘭西大革命ルイ十六世の末路』の上映を禁止(上映禁止映画の第一号)(1月)
09(M42) 新聞紙法発令(販売頒布の行政処分が復活)(5月)
  このころから文芸作品の発禁ブ−ム開始(鴎外『ヰタ・セクスアリス』,荷風『ふらんす物語』・『歓楽』,小栗風葉『姉の妹』などが風俗壊乱罪で; それまでは思想書が主流だったが,このころから弾圧の結果思想書はなくなり,以前は年数点だった文芸作品が主要タ−ゲットに)
  栃木県下の一警察長が,長年禁止されてきた盆踊りを奨励しはじめたが,栃木県警察部長が,伝染病の流行の兆しがあるという理由で,中止の通達を出す( )
1910(M43) 風俗取締令
 11(M44) 警視庁,同盟罷業・新聞雑誌などの検閲を管掌(8月)
 12(T1) 警視庁,人気の外国映画『ジゴマ』のシリ−ズの興行を,「模倣犯罪を生む」という理由で不許可に
 13(T2) 婦人雑誌に掲載の反良妻賢母の婦人論の取締を決定(4月)
 17(T6) 警視庁,活動写真取締規則を発令(映画検閲の始まり,本庁内に活動写真検閲室を設け専任官を置く; また,映画館の男女席の分離が定められた)(7月)
1920(T9) 森戸東京帝大助教授が学部の機関誌に掲載した論文「クロポトキンの社会思想の研究」が,朝憲紊乱として起訴される(禁固三箇月,罰金三十円)
  著作権法改定,レコ−ドの著作権認められる
 21(T10) 文部省,活動写真の推薦を開始(2月)(文部省の推薦作品『感化院の娘』を大阪府警が禁止するというチグハグもあった)
  興行場及興行取締規則公布(7月)
 22(T11) 旧少年法成立(以後,成立の日が「少年保護記念日」に)(4月)
 23(T12) 文部省,レコ−ドの推薦制度を実施(4月)
 24(T13) 警視庁,”小唄映画”の観客の映画中の歌手との唱和を禁止する通達(11月)
  大阪で,12歳以下の曲芸師は禁止される(11月)
 25(T14) 治安維持法成立(4月)
  内務省,活動写真フィルム検閲規則を実施(「傾向映画」もタ−ゲットに)(7月)
  牧野省三プロダクション製作の『日輪』,不敬罪で告訴(12月)
 26(T15) 女の相撲興行禁止(3月)
  文芸家協会・日本雑誌連盟などが発売禁止防止期成同盟を結成(7月)
 27(S2) フランス美術展,下見で「横たわる裸女」など五点撤回(3月)
 28(S3) 婦人矯風会等の団体,婦人雑誌の傾向を憂慮し,性愛記事の取締を請願(7月)
  警視庁,ダンスホ−ル取締令を実施(ダンスは1914年6月に日本で初公開,社交ダンスは18〜19年ごろにはじまり,T10年代に大流行,大阪では1926年に市内でのダンスホ−ル営業が禁止され,以後ダンスホ−ルの取締は繰り返される)
1930(S5) 警視庁保安部,七項目の「エロ取締規則」を出す(ダンサ−等の取締のため)(11月)
 31(S6) 文部省,ジャズの流行に「郷土の」文化の振興をもって対応するという方針を出す(これが1936年の「国民歌謡」につながる?)(1月)
  警視庁,活動写真常設館の男女席撤廃を決定(1月)
  満州事変(9月)
33(S8) ダミアのレコ−ド「暗い日曜日」が厭世ム−ドを助長するという理由で発禁に(2月)
  銀座ダンスホ−ルの教師,田村一男,風紀紊乱のかどで逮捕(11月)
 34(S9) 出版法が改正され,レコ−ドに準用されるようになる(内務省警保局による事前検閲開始,ただし,8月に行なわれた第一回検閲では,逓信省で問題になった勝太郎の「島の娘」を含め全部パス; なおこの「改正」で皇室の尊厳の冒涜などの取締強化されることに)(5月)
  渡辺はま子の「忘れちゃいやよ」(最上洋作詞・細田勝義作曲),「いやァ−ンよ」というくだりが「娼婦の嬌態を眼前に見るが如き官能的歌唱」だという理由で発売禁止に(発売は4月,発禁は流行して後; 同巧の後追い曲「かわいがってネ」「思い出して頂戴よ」「わたしのあなたヨ」などいずれも発禁に)
  学生のカフェ,バ−への出入りが禁止される(ただし「制服を着ぬ客はこの限りにあらず」)(10月)
 35(S10) 広重の浮世絵「阿波鳴門」が要塞地帯法に触れるものとして発禁に
 36(S11) 猥褻物の流布及び取引禁止のための国際条約批准・公布(5月)
  落語家・講談師二五〇人,愛国演芸同盟を結成(6月)
 37(S12) 流行歌の検閲強化,「甘ったるい対話口調の入っている」レコ−ドは不許可とする方針に(6月)(2月には,島田磐也作詞・阿部武雄作曲「裏町人生」が「不健全な思想を表すも の」として発禁に)
  映画の冒頭に「挙国一致」「銃後を守れ」などのスロ−ガンが挿入されるように(8月)
  内務省・文部省を主務省に国民精神総動員運動開始(10月)
  活動写真の興行,三時間以内に制限される(12月)
 38(S13) 内務省図書課が「児童読物改善に関する指示要項」を出し,「俗悪」マンガ絵本の浄化運動を行なう(41年の「のらくろ」の連載中止にまでつながる,また,「良質文化」をめざす文部省の推薦図書指定制度にも)(8月)
 39(S14) 映画法施行(劇映画脚本の事前検閲や外国映画の上映制限,年少者の観覧制限,文化・ニュ−ス映画の義務上映等を規定)(10月)
  淡谷のり子の「夜のプラットホ−ム」(奥野椰子夫作詞),厭戦的(非愛国的?)歌詞だとして発禁に(翌年5月には佐藤(忽)之助作詞・服部良一作曲「湖畔の宿」が,「いかにも脆弱く,女々しく感じられ,唾棄すべき惰弱さであり,あまりに感傷的にすぎる」という理由で発禁に)
1940(S15) 内務省,ディック・ミネら一三人の改名を指示(カタカナ名と不敬な名)(3月)
  講談落語協会,艶笑物・博徒物・毒婦物・白波物の口演を禁止(10月)
  ダンスホ−ル禁止される(10月?)
 41(S16) 放送番組管制開始
  迷信記載の暦発禁(6月)
  米英映画の上映禁止
  落語家界幹部と席亭の音頭取りで,禁演落語五三題,「はなし塚」に葬られる(野村無名庵らが中心になった選定作業で,前年9月には骨格ができていたという)(10月)
  太平洋戦争開戦(12月)
 42(S17) 堀内敬三,『音楽之友』に「敵性の頽廃音楽」の享受者を批判する文章を執筆(1月)
  日本出版文化協会による出版物の発行承認制開始(4月)
  政府,米英楽曲の放送・レコ−ド発売・歌唱演奏の禁止
 43(S18) 内閣情報局と内務省,「米英音楽作品蓄音機蓄音盤一覧表」を配布して取締(約千曲の演奏停止,レコ−ドの自発的提出を求め,また治安警察法を適用しての強制回収も行なう)
  紙芝居統制(3月)
  谷崎潤一郎作『細雪』(『中央公論』掲載),軍の圧力で連載中止(5月)
44(S19) 米英型の楽団や,スチ−ル・ギタ−,バンジョ−,ウクレレの使用禁止

[戦後篇]
1945(S20) GHQ(連合軍総指令本部),従来の言論・出版・表現の自由を制限する法律を全廃;しかしマスメディアを監督下に置き,ラジオ・コ−ド,プレス・コ−ドを発令して,「反民主主義的」表現について検閲を行なう(時代劇や浪曲・講談,時代ものの流行歌などが規制の対象に; 忠義/仇討ちがテ−マの「忠臣蔵」はもちろんダメ)(8月)
 46(S21) GHQ,「映画検閲に関する指令」を発表(以後,民間情報教育局(CIE)と民間検閲局(CCD)の二重検閲体制になる)(1月)
  新憲法制定(「言論,出版その他一切の表現の自由は,これを保証する」「検閲は,これをしてはならない」,翌年1月公布)
  映画『はたちの青春』(佐々木康監督)に日本映画初の接吻シ−ン(GHQは接吻シ−ンを奨励した)(5月)
  GHQの指令で,「軍国映画」二万巻が焼却される(5月)
  新聞倫理綱領制定(「自由,責任,公正,気品」)(6月)
  北川千代三『H大佐夫人』,戦後の猥褻摘発図書第一号にカストリ雑誌の全盛
  47(S22) 歌舞伎の「寺子屋」上演解禁(5月)
  改正刑法公布,不敬罪が廃止される(10月)
  児童福祉法・警察法公布(翌年7月に少年法公布)(12月)
48(S23) 日刊スポ−ツ掲載の記事「米国の裸体ショ−」,初のプレスコ−ド違反で軍法会議にかけられる(6月)
  GHQ,大新聞一六社・通信社三社の事前検閲を廃止(7月)
  49(S24) 日本図書館協会が図書推薦選定委員会を設置,図書推薦を開始する(4月)
  GHQの指導下に,映画倫理規定管理委員会発足し審査を開始(6月)
  「赤本マンガ」の流行に対して非難の論調,週刊誌などに掲載(「赤本の手口を真似て少年犯罪が行なわれる」という言説も流通したらしい; 『拳銃天使』(東光堂)でマンガ初のキス・シ−ンを描いた手塚治虫宛てには「こんな破廉恥なエロ・マンガを描く手塚は,子どもの敵」「アメリカ熱に麻痺した売国奴」という手紙が送付されてきたという; 大阪の「赤本マンガ」出版ブ−ムは,「赤本」叩きと貸本屋の増加のために翌年ごろには下火になりはじめる)
1950(S25) 「図書による青少年の保護育成に関する岡山県条例」制定(全国初の青少年条例,タ−ゲットは「エロ本」=「有害」図書,これが原型となり,51年の香川条例,52年の和歌山条例へと徐々に広がる)(5月)
  ロレンス『チャタレ−夫人の恋人』の翻訳が猥褻罪で摘発される(6月)
  放送法,電波法施行
  国警本部,少年非行の激増に対し補導取締強化を提示(10月)
 51(S26) 児童憲章制定宣言(5月)
  日本民間放送連盟(民放連)放送基準制定(以後頻繁に改訂される)(10月)
 52(S27) 三木トリロ−らの「冗談音楽」を含むNHKラジオ番組「日曜娯楽版」,政治的圧力によって「ユ−モア劇場」に番組改編(47年10月に放送開始,前身の「歌の放送」もCIEの検閲にため46年半ばに打切りになっていた)
  対日講和条約発効,GHQによる占領下の言論統制終わる(4月)
  破壊活動防止法公布(7月)
  全国児童文化会議開催(第一回,この第七分科会で音楽業界に「俗悪な流行歌」について自粛勧告 これを承けて,ビクタ−,コロンビア,キング,タイヘイ,テイチクの文芸部長が集まり協議した結果,「レコ−ド・コ−ド」作成が決まる)(8 )
  日本レコ−ド協会が「レコ−ド倫理綱領」・「レコ−ド製作基準」を制定(11月)
  全国PTAを一本化,結成記念式(10月)
  日本文化放送,「娯楽番組取扱細則」を内規,「トンコ節」等15曲を卑俗な流行歌として放送から締め出すことを決定(11月)
 53(S28) 「性典映画」(自称「性教育」映画)のブ−ム頂点に,PTA・マスコミの非難が高まり,映倫は各社に自粛を要請
  猥褻レコ−ドに初の手入れ(何だったんだろう,これは?)(10月)
 54(S29) 少年雑誌の「付録合戦」を批判する報道(『朝日』)(5月)
  NHKラジオの「ユ−モア劇場」放送中止に(この番組が政界の汚職事件をつついたため,自民党幹部が,NHK聴取料値上げの国会審議とからませて政治的圧力をかける)(6月)
  東映『悪の愉しさ』(石川達三原作)の公開(10月)をきっかけに「俗悪映画」追放運動起こる(青少年条例による「有害」指定など; 香川県では指定第一号; 新聞も社説で叩く)
  文化放送,「放送禁止歌謡曲一覧」を発表(11月にラジオ東京,12月にニッポン放送が続く)(6月)(:これは,この年に開かれた全国児童文化会議の「レコ−ドと児童」分科会での討議の「四つの結論」に基づくものだという)
  映倫の提唱で,新聞・放送・出版・映画・レコ−ド・紙芝居の各界関係者がマスコミの倫理基準に関する第一回懇談会を開催(懇談会の目的は「青少年保護育成法案」の国会提出阻止;この会が翌年,東京地区マスコミ倫理懇談会に発展)
  警視庁,「不良出版物その他に関する資料」刊行
  総理府の中央青少年問題協議会に「青少年に有害な出版物映画専門委員会」が設置され,「青少年保護育成法案」の国会提出が準備される(結局断念され,地方条例路線に切り替えられる? 11月に「有効適切な法的措置を講ずることを望む」という意見具申)
 55(S30) 警視庁保安課,仏映画『バルテルミ−の虐殺』のジャンヌ・モロ−の全裸シ−ンのカットを強行
  出版団体連合会,「悪書」追放の世論に対応するため,自粛のための委員会を設置(3月)
  東京母の会連合会,「悪書」を「見ない,読まない,買わせない」の”三ない運動”を提唱,「不良雑誌」を焼く(この団体と,「日本子どもを守る会」,各地のPTAが主な「草の根」の活動主体)(5月)
  レコ−ド協会,レコ−ド製作基準管理委員会(レコ倫)を発足させる(5月)
  文部省,米映画『暴力教室』を青少年に見せないよう通達(同月神奈川県が同様の通達を出しており,時系列上の関係は? 千葉県では映画興行組合が上映拒否; なお,これは真面目な教師が「不良」の生徒に勝つという筋の映画だが,ロックンロ−ルの最初のヒット曲といわれるビル・ヘイリ−とコメッツの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」がテ−マ・ソングとして使われていた)(9月)
  映倫,青少年映画委員会を設置,十八歳未満の観覧を禁じる「成人向」映画の指定を開始(5月)(この年,洋画14本,邦画19本が「成人向」指定を受ける)
  「低俗流行歌」批判の声を承けて,民放連が各局同一の規制基準を作る(? 51年に基準は制定されたはずだが,放送禁止曲を統一したということか?)
 56(S31) 日本民間放送連盟(民放連)の規制基準が,放送倫理委員会に発展(4月)
  売春防止法公布(5月)(この年から1958年にかけて「赤線映画」ブ−ム)
  日本雑誌協会(雑協)創立
  日活『太陽の季節』(石原慎太郎原作)をきっかけに「太陽族映画」上映禁止運動起こる(「朝日」の井沢記者の映倫への公開質問状,PTA・教育団体の映倫攻撃等「法規制」の動きへ→映倫,8月にマスコミ倫理懇談会に「太陽族映画」を自粛させると回答→堀日活社長「太陽族映画」製作の継続断念を発表)
  内閣映画審議会の見解に基づき,新映倫発足(アメリカ映画も審査対象に,青少年映画審議会設置,審査料方式を導入,ただし実施は翌年1月1日)(11月)
 57(S32) チャタレ−裁判最高裁判決(上告棄却で有罪)(3月)
  マスコミ倫理全国協議会発足
  日本書籍出版協会(書協)創立
  書協と雑協,出版倫理綱領を定める
  大阪府で青少年条例制定(55〜59年に八府県,60〜64年に一五都県,65〜69年に六県と徐々に条例を持つ自治体は広がり,以後78年までは,沖縄が復帰に伴い条例を制定した以外には,新規制定はなかった)
 59(S34) 文部省,青少年向けの図書選定制度実施要項を決定(翌月書協が反対決議)(4月)
  民放連,「放送音楽などの取扱い内規」を定める(「日本民間放送連盟は,歌謡曲などの放送にあたり,家庭とくに青少年への影響を考慮して,連盟放送基準にもとづく取扱い内規を決め,自主規制を行なうものとする」として,放送音楽専門部会による事前審査にもとづく,「要注意指定」方式を内規,以後数回改訂)(7 )
  日本放送協会国内番組基準制定(7月)
  山梨読書普及組合(貸本組合)が「まんが実態白書」を公表,「殆どが少年の犯罪で埋まっている」貸本劇画誌を批判,不買運動を行なう(貸本マンガへの攻撃に反応しての自主規制? いずれにせよ,ブ−ムを迎えていた貸本出版業界は「悪書追放」の波に押されて数年で業績悪化,転業に至る。佐藤まさあきなども「悪書」のブラックリストにのったという)
  サド『悪徳の栄え』の翻訳が猥褻罪で摘発される
  映倫の新倫理規定制定(8月)
  仏映画『恋人たち』(ルイ・マル監督)の東京税関でのカットが参院大蔵委員会で論議され,マスコミも「暴挙」として攻撃
1960(S35) 警察庁次長通達,「少年警察活動要綱」(「この要綱は,少年の非行の防止を図り,その健全な育成に資するとともに,少年の福祉を図るため」,補導・事案処理に必要な関連事項を定めるもの)
 61(S36) 嶋中事件(元大日本愛国党員,前年11月発行の『中央公論』に掲載された深沢七郎作「風流夢譚」が皇室を冒涜したとして,中央公論社長宅に侵入,女中と社長夫人を殺傷,マスコミに「菊のタブ−」が広まるきっかけとなる)
 62(S37) 総理府による「マスコミと青少年に関する懇談会」開催
  ピンク映画の嚆矢,大蔵映画『肉体の市場』(小林悟監督)に,警察が「公然猥褻の疑いがある」としてカットを強制(3月)(「ピンク映画」という名称が生まれたのは翌年; 翌63年にも,映倫を通っていた国映『セクシ−・ル−ト63』を摘発・押収)
63(S38) テレビのスリラ−や暴力番組が幼児に深刻な影響を与えていると文部省が警告(心理学者波多野完治が調査に関与?)(8月)
  大映の成人映画『温泉芸者』,全日本聾唖連盟のクレ−ムを受けカット,また,市川房枝ら婦人議員が売春を容認する「誘惑映画」として大映に抗議
  テレビの低俗番組批判起こる(首相の批判発言,自民党広報委員長による番組名をあげた批判など)(→10月に総理府のイニシアティヴで「マスコミと青少年に関する懇談会」)
  書店側も含めた「不良図書」追放運動高まる(10月に甲府書籍雑誌商組合が不良雑誌締出しを決定,同月日出版物小売連倫理委員会も仕入を拒否)
  書協,雑協,日本出版取次協会(取協),日本出版物小売業組合全国連合会(小売全連,日本書店組合連合会の前身)の出版四団体,出版倫理協議会を発足させる(布川角左衛門が初代議長に)(12月)
 64(S39) 東京都で青少年条例制定
  第三プロ『白日夢』をめぐって武智鉄二監督,映倫審査員を忌避,公開後東京母の会などが映倫に上映中止を訴え抗議
  「テレビを見て起こる児童のてんかん発作」について報道される(11月)
  日本放送連合会,放送番組向上委員会の設置を決定(12月)
65(S40) 警視庁,『ファニ−・ヒル』を猥褻として河出書房新社を摘発(不起訴に,ただし再版では「問題箇所」は削られる)
  出倫協,都の青少年健全育成審議会で「不健全」指定を繰り返し受けた雑誌に帯紙をつける自主規制措置を申し合わせる(5月)
  武智鉄二監督の『黒い雪』の試写会上映版,猥褻物公然陳列容疑で摘発(映倫謹慎体制に,また,東京母の会が上映反対運動,新聞も映倫批判の社説を掲げる 映倫審査基準を強化)(6月)
 66(S41) 青少年育成国民会議結成(結成大会に佐藤総理出席)(5月)
  放送番組向上委員会設置(?)
  羽田空港税関,子供を守る会議日本代表持参のベトナムの写真を「残虐」だとして押収(翌年8月に返却)(10月)
 67(S42) 出倫協,「要注意取り扱い誌」指定制度を開始
 68(S43) 青少年対策本部,映画諸団体に「青少年に悪影響を及ぼす低俗映画とその広告物」に関する自粛要望書を送付(12月)
  青江三奈の「伊勢佐木町ブル−ス」の冒頭の溜息が,NHK紅白歌合戦では紅組の応援団の吹くラッパの音に差し替えられる(NHKの自主規制基準は民放連のそれより厳格)
 69(S44) サド裁判最高裁判決(有罪)
  『黒い雪』高裁判決(検察の控訴棄却で無罪に,ただし,作品は部分的には猥褻だが全体としては猥褻ではない,という判断)
  警察庁,各県警に「いかがわしい成人映画,有害広告物などの取締強化」を通告(4月)
  東映の労組「エロ・グロ映画」批判声明を出し反対運動(4月〜)
  新宿駅西口地下広場・土曜夜のフォ−ク集会,道交法違反で禁止(翌月,機動隊により「制圧」)(5月)
  レコ−ド協会非加盟のURCのフォ−ク・ソング(岡林信康の「くそくらえ節」「機動隊ブル−ス」「栄ちゃんのバラ−ド」など4曲,民放連の内規で放送禁止曲に)
1970(S45) 『folk report』掲載の山寺和正(中川五郎)「ふたりのラヴ・ジュ−ス」が猥褻として大阪府警が摘発(1972に起訴,1976に地裁の無罪判決,1979に高裁で逆転有罪判決)「低俗テレビ番組」について,衆参両院の逓信委員会で参考人が呼ばれ,論議される(コント55号の「野球拳」番組や深夜番組の「露出過剰」が問題に)
  警視庁保安部長の諮問機関「風俗問題懇談会」,映倫に警告および規制基準強化の要請
  永井豪作「ハレンチ学園」の追放を三重県四日市の中学校長会が決定,県青少年保護審議会に有害指定をするよう働きかける(「スカ−トめくり」や教師を卑劣な存在とする描写がマスコミでも問題に)
  ジョ−ジ秋山作「アシュラ」(『少年サンデ−』)の人肉食描写が問題視され,神奈川県他4道県で有害指定を受ける
71(S46) 負債を抱えた日活,「ロマンポルノ」の製作を開始
 72(S47) 徳島県警,モテル・喫茶店用のビデオテ−プを猥褻図画販売だとして日活関西支社を摘発,社員二人を逮捕(未成年者の観覧規制ができない,という理由づけあり),さらに警視庁が日活ロマンポルノ3本を摘発,映倫事務所も捜索(1月)
  日本ビデオ倫理協会(ビデ倫)発足(事務局の開設は半年後)(2月)
  野坂昭如編集『面白半分』が「四畳半襖の下張」を掲載したかどで摘発され,一月後に同誌の該当部分を小冊子にしたものを売ったとして書店・模索社が摘発され,同書店員が逮捕される(76年4月に東京地裁で有罪判決,高裁での控訴棄却を経て,80年に最高裁が上告棄却)
  映倫,日本映画ペンクラブなど,ロマンポルノ摘発に抗議声明,警察は最終的に日活社長ら百三七人を書類送検(→映倫審査基準の改定へ)
 73(S48) 「美空ひばりショ−」,弟が暴力団員だという理由で,一一市町で会場貸与を拒否される(1月)
  日本PTA全国協議会,テレビのワ−スト番組を発表するとともに,「不良マスコミの法的規制」の要望書を出す(放送内容の点検規制,成人テレビ番組放映時間帯の規制,暴力番組追放を求める)
  総理府,風俗・性に関する世論調査の結果を発表,ポルノ解禁に70%が反対(8月)
 74(S49) 仏ポルノ映画『エマニエル夫人』,若い女性客を集めてヒット(12月)
 75(S50) 宮本顕治日本共産党委員長,「テレビ・ポルノ批判」の談話を発表(『赤旗』がこれを承けて反ポルノ・反退廃文化キャンペ−ンを開始,吉田秀和などが反批判し論争に)(7月)
  『女性自身』,男性の体毛が写っているヌ−ド写真を掲載し摘発される(男性ヌ−ド摘発の第一号)(2月)
  日本性教育協会,「青少年の性行動」調査を実施,調査結果を発表(第一回?)
 76(S51) 日本映画初のハ−ドコア映画『愛のコリ−ダ』(大島渚監督)製作される,同映画のスチ−ル写真を使った大島著『愛のコリ−ダ』(三一書房),猥褻図画販売容疑で摘発(79年10月に無罪判決)
  警視庁に少年課が発足(5月の全国少年課長会議で,出版物・広告物・映画やテレビの「ワ−スト番組」の実態把握と取締に力を入れることが表明される)
  映倫の指定基準改定,「一般映画制限付きR」を新設して四段階にする(「中学生以下はご遠慮下さい。ただし,成人保護者同伴の場合はこの限りではありません」の表示とセットで) (4月)
  東京地婦連,雑誌自動販売機を設置している業者に対し,「あなたも子の親」を合い言葉に街頭販売の返上を申し入れるなどの運動を展開
  このころから「中央指導型」の青少年条例制定ラッシュ
 77(S52) 青少年対策本部「雑誌等自動販売機に関する青少年の意識調査」をまとめる
  岡山県の青少年条例「改正」案の,放送も規制対象に含めようという条項,地元マスコミの反対により削除される
  このころ「家庭内暴力」「校内暴力」が問題化(「開成高校生殺人事件」が一契機に)
 78(S53) 日活ポルノビデオ裁判,東京高裁で逆転有罪に(75年11月の地裁判決では「市民意識や感情」の変化を考慮して無罪とされた)(3 ),映画のほうは東京地裁で無罪判決が出る(6月)
  「暴走族映画」,乱闘が起きてはと警官つき上映(4月)
  いわゆる「ポルノ雑誌自動販売機」問題,衆議院文教小委員会で超党派で話し合われる(5月)
  日本PTA全国協議会,全国大会でテレビ番組の「ワ−スト7」を公表,追放キャンペ−ンを開始(ターゲットは『八時だヨ! 全員集合』など)
  『漫画エロジェニカ』(海潮社),猥褻として摘発される(翌年2月に笠倉出版社の『別冊ユ−トピア・唇の誘惑』も摘発)(11月)
  このころ(この前年?)から青少年非行の検挙数増加が問題にされはじめ,「戦後最悪」といわれるように
 79(S54) レコ−ド倫理規定,レコ−ド製作基準,およびレコ倫管理委規定「改正」(9月)
  神戸の出版社が出した『バイロス画集』,猥褻図画として摘発される(翌月,その出版社の社長が逮捕されたが,翌年起訴猶予に)(10月)
1980(S55) 日本PTA全国協議会,「有害図書の自動販売機の通学路及びそれに準ずる教育環境破壊のおそれのある道路に設置することを禁止する法規制」「青少年に対してわいせつ図書類の販売を禁止する法規制」を求める請願運動を全国的に展開(二百万をこす署名を集める)
  このころ一斉摘発の結果,「ビニ本」ブ−ム終焉に(芳賀書店専務の芳賀英明,猥褻図画販売目的所持(?)で警視庁に指名手配され,11月に出頭)
  内閣広報室,「犯罪と処罰等に関する世論調査」の結果を発表(調査結果のなかには「猥褻罪によるポルノ取締を国民は望んでいる」という項もあるが,調査項目設定や結果の解釈について日弁連などから批判もあった)(11月)
 81(S56) 『青少年白書』,「昨年の青少年非行は戦後第三のピ−ク」と指摘(12月)
  東京高裁,ヌ−ド雑誌の税関検査に合憲判決(84年12月に最高裁が合憲判決)(12月)
 82(S57) 東京でトラック六台分,二億円相当の「ビニ本」押収される(4月)
  警視庁,ディスコ規制を強化(6月)
 83(S58) ビデオ・レンタル業生まれる
  文部省,「七校に一校で校内暴力発生」と発表
 84(S59) 自民党文教部会「少年の健全な育成を阻害する図書類の販売等の規制に関する法律案要綱」を取り纏める(2月)
  衆院予算委員会で少女雑誌の性情報が問題として取り上げられ,それを承けて『キッス』『キャロット・ギャルズ』『ギャルズ・ライフ』廃刊に(最後のものは主婦の友社刊で,4月に廃刊決定)
  風営法を「改正」した「風俗営業等の規制および業務に関する法律」成立(ゲ−ムセンタ−が規制対象に入り許可制に,ポルノ映画を規制対象から外すのと引き替えに映倫は自主規制を強化したが,その結果,観客の激減を招くことになった)
 85(S60) 最高裁,青少年条例の「みだらな行為(淫行)」規定に合憲判決(10月)
87(S62) 家庭用ビデオデッキが「国民の二人に一人がもつ」(経済企画庁調べ)というレベルまで普及し,アダルト・ビデオや裏ビデオの時代になる(ポルノ映画は完全に凋落)
 88(S63) 絵本『ちびくろサンボ』が黒人差別的という批判を受けて,岩波書店など各社,同絵本を絶版に「原発批判」の曲を含むRCサクセションの『カヴァ−ズ』を,東芝EMIが発売中止(のちキティ・レコ−ドから発売されたが,FM東京などは該当曲をオン・エアせず)
 89(H1) 幼女連続殺人事件の容疑者についての報道が高まるなか,総務庁青少年対策本部,ホラ−ビデオの自主規制を業界に要請(8月)
  岐阜県の自動販売機業者が青少年条例は憲法違反と訴えた裁判で,最高裁が合憲判決を出す(9月)
1990(H2) 「有害」マンガ追放運動始まる(8月)
  『ジャングル大帝』などの手塚作品に,差別作品だというクレ−ムがつく
 91(H3) 樋口可南子の『Water fruit』発売,「ヘアヌ−ド」写真集ブ−ムの口火が切られる(1月)
  出版業界,マンガ単行本に「成年コミック」マ−クをつけることを決定(ほぼ同時期に,警視庁など,東京の書店員とマンガ同人誌関係者を猥褻図画販売目的所持で逮捕,そのあと,熊本などで,青少年条例にもとづく書店の摘発が行なわれる)(1月)
  ダイヤルQ2の未成年者による利用,問題化
92(H4) 東京都の青少年条例「改正」され,不健全図書取締規定に罰則がつくなど規制が強化される(大阪,京都,広島でも前年12月に条例改正)(3月)
 93(H5) テレビゲ−ムの悪影響(光過敏性てんかん等)がマスコミで問題にされる
  日本カラオケスタジオ協会,警察庁の指導下に自主規制実施(未成年者の利用時間制限など)(7月)
  コンピュ−タ−ソフトウェア倫理機構(ソフ倫)発足(11月)
  筒井康隆の断筆宣言
  「ブルセラ」ビジネスが話題に


[主な出典] 石川弘義『余暇の戦後史』(東京書籍 1979),同『欲望の戦後史』(太平出版社 1981),永六輔『芸人たちの芸能史』(文春文庫 1975),加藤秀俊他『昭和日常生活史1〜3』(角川書店 1986),倉田喜弘『明治大正の民衆娯楽』(岩波書店 1980)桑原稲敏『切られた猥褻 映倫カット史』(読売新聞社 1993),小島貞二『落語三百年 明治・大正の巻』『同 昭和の巻』(毎日新聞社 1966),古茂田信男他『日本流行歌史』(社会思想社 1971),永井良和『社交ダンスと日本人』(晶文社 1991),城市郎『発禁本』『続発禁本』(福武文庫 1991),竹内オサム「マンガの差別・発禁・規制等”事件史”」『誌外戦』 (創出版 1993),中野晴行『手塚治虫と路地裏のマンガたち』(筑摩書房 1993),長谷川卓也『最近の猥褻出版 1963〜1979』(三一書房 1979),矢沢寛『流行歌 気まぐれ50年史』(大月書店 1994),『國文学 1993年5月臨時増刊号 明治・大正・昭和風俗文化史』學燈社.
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