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[21470] [習作]スーパー厨二大戦(デモベ×Dies×禁書×他多数)
Name: U.Y◆d153a06c ID:7e2fa1f6
Date: 2010/10/07 12:51
 この作品は作者の妄想と空想と幻想と厨二病で出来ています。
 タイトル通りかなり混沌としたクロスオーバーに成っており、すり合わせのための設定改変、独自解釈&設定が多数含まれております。一部クロスキャラ同士のカップリングも予定しておりますのでそういった物が苦手だ、という方はご注意くださいますようお願いいたします。
 それでも一向に構わんという猛者は暇潰しにでもお読みくだされば幸いです。



*キャラクター 元ネタ
 ○斬魔大聖デモンベイン
 ○Dies irae ―acta est fabula―
 ○とある魔術の禁書目録
 ○Fate/stay night
 ○11eyes
 ○3days
 ○リリカルなのはStrikerS
 ○うしおととら
 ○装甲悪鬼村正
 ○DUEL SAVER
 ○永遠のアセリア

*アイテムのみクロス
 ○トライガン
 ○スパロボOGs
 ○天元突破グレンラガン(予定)



*1 作中の強さバランスについては展開等の兼ね合いで変更が効きません。そいつがこいつに勝てるわけない、いやそのバランスはどうか、という考証については残念ながら聞き入れる事ができない可能性があるのであらかじめご了承ください。



*2 作品中にはアイテムだけの登場というケースがあります。その辺りはどうか広い心で生暖かく見てくだされば幸いです。



[21470] 第一話 そして世界は歪みだす
Name: U.Y◆d153a06c ID:7e2fa1f6
Date: 2010/09/09 16:52
 ここではない世界。
 ここではない宇宙。
 無限に広がるようで、その実態は泡沫の夢で形作られた世界においてその闘いは続いていた。
 一方は刃金の神。
 碧光の鬣を雄々しく靡かせ、その両手に神の化身した銃を構える鋼の神。

「オオオオオッッッ!!」

 雄叫びを上げ、その魔砲を構える。

「クトゥグア! イタクァ! 神獣形態」

 両手に握られた砲身は赤と白。フォマルハウトの破滅の劫火を吐き出す真紅が咆哮を上げ、セラエノの零度の魔風を噴出す純白が絶叫を響かせながら融合する。一本の長大な砲身となった魔砲は持ち主の命に従い、そこから一匹の荘厳なる獣を解き放つ!
 その威力は星を粉砕してまだ足りぬ。
 恒星さえ飲み込みかねない熱量を蓄えた神獣はいま一方の神へと殺到し、直撃する。

「無駄だよ大十字九郎。この程度じゃぁ僕に傷一つつけることなんて出来ない」

 直後に起きた大爆発をまるでそよ風のように受け流し、その神は悠然と微笑んだ。
 その姿を形容するならば傾国の美女と言おうか。
 およそ人が想像する女性としての美点をすべて兼ね備えた黒髪の女は、しかし、ある一点のみが欠けている。
 それは顔。即ち無貌。
 黒い絵の具で塗りつぶされたような女の顔にはただ焔が形作る三つの瞳だけが亡っと浮かんでいる。
 全うな人間ならばその目を見ただけで狂気に駆られる三つの魔眼を鋼の神はまっすぐに睨み返す。
 渾身の魔砲が防がれ、それでもまだ鋼の神の戦意は欠片ほどもくじけはしない。もとよりその一撃さえ布石。鋼の神は無貌の神が魔砲を受け止めたその刹那に自身最強の秘奥儀を解き放つための詠唱を完成させていたのだから。
 鋼の神のその手に現れたのは黒く輝く多面体とそれを収める金属の小箱。
 捻じ曲がった神柱。
 狂った神樹
 刃の無い神剣。
 ご都合主義(魔法使い)の杖!



 第零封神昇華呪法――<輝くトラベゾヘドロン>



「決着だ。ナイアルラトホテップ」

 精悍な男の声――鋼の神の言葉が無窮の闇に木霊する。
 その男は人類を守護する、あらゆる神の中でもっとも幼く旧い神。
 人類の英知たる科学と世界の真理たる魔術の力が生み出した最弱最強の刃金――デモンベインを愛機とするその神は自身最強の必滅奥儀を放つべく、杖を構える。
 その様、正しく威風堂々。
 その眼光に晒されたいかなる邪悪も震えずにいられない。
 そう確信が持てる程の威圧を受けてなお、無貌の神は嫣然と笑みを浮かべて対峙していた。

「それは残念。ボクは君たちとの鬼ごっこを結構気に入っているんだけどねぇ」

 無貌――あらゆる宇宙に存在し、時間も空間も超越する『這い寄る混沌』は心底残念げにそう漏らす。その言葉には自身の消滅に対する恐怖ではなく、大事にしていた玩具を捨てる時のような寂寞の意志が込められている。
 即ち、宣戦布告。
 絶えず受け流し、はぐらかし、弄び続けるだけだった無貌の神が事此処にいたって旧神を己の敵手として認めたと言い放つ。
 その傲慢は、旧神に必滅の一振りをさせるに十分な力を持ち――

「!? 九郎待て! 平行世界を切り裂いて何かが……」

 旧神の鋼の内から少女の叫びがするがそれよりなお速く。


 虹ッ!!


 世界を裂く七色の極光が二柱の神々を諸共に飲み込んだ。

◇◇◇


 その日の朝、上条当麻はなんとなく感じる違和感につんつん頭をがしがしと掻いていた。
 なんだかおかしい。なにかが変だ。
 そう感じるというのにどうしてもその『何が変なのか』という部分が分からない。同居している腹ペコシスターに聞いてみても『気のせいじゃないの? むしろ朝ごはんを早く早くプリーズ。でないとあなたを朝食にしてしまうかもがぶり』と上条の頭を齧るだけで建設的な意見なんて皆無だった。
 次にニュースやらネットやらを覗いて見たがやはり違和感の正体は見つからない。
 民放のニュースは来週に迫ったクリスマスがあーしたこーしたといった話題で盛り上がり、合間合間に思い出したように学園都市で起こってる連続猟奇殺人事件……被害者が全員揃って首を失っているなんて血生臭い報道を繰り返している。
 ネットの方でもやはりクリスマスの話題一色。それ以外には最近武装化が進むスキルアウトに対抗して警備員(アンチスキル)側が新装備を制式採用したとかでっかい十字架背負って街中爆走する金髪のヤンキーがいるだとかそんな嘘臭いことこの上ない与太話で沸いていて、まるっきり役に立たない。
 こうなれば他の人間に当たってみようと学校に来たわけなのだが、普段よりも早く家を出たせいか教室には悪友の土御門元春も青髪ピアスの大男もいない。あるいはこういった話題ならば風紀委員の吹寄でもいいかも、なんて思っているとそういうときに限って目的の人物と出会えないのが上条と言う人間なのだ。

「どうすっかな……」

 まあもう少しすればみんな来るだろうと自分の席に腰掛けているが、どうにも先刻から違和感が強まっているように感じられて落ち着かない。こうなれば時間を潰すために寝てしまおうかと机に突っ伏していると、頭の上から『聞き覚えのない』声が聞こえてきた。

「あら? 上条じゃない。あなたが一人だなんて珍しい」

「あん?」

 顔を上げるとそこには見慣れない少女が立っていた。
 一瞬、名前が浮かんでこない。初対面か? と言う疑問は相手が自分の名前を知っている時点で成立しない。実は隠れて記憶喪失な上条当麻にとって、相手が誰なのか分からないと言う状況は割と日常茶飯事なのだがやはりこういう時には若干慌ててしまう。

<おや~? 女性の名前を忘れるなんて酷いじゃないか。君は同級生の名前も忘れてしまうような薄情者だったのかい? 上条当麻。仕方ないから、今回だけは僕が教えてあげよう>

 必死に脳みその記録を精査していると、一つの名前がヒットした。

「ああ、ルサルカか」

 小柄な体に腰まで伸ばされた波打つ赤毛。明らかに異国人を感じさせる白い肌と碧の瞳。
 ドイツにある学園都市の協力機関からやってきたという、この学校でいま一番の有名人――ルサルカ・シュヴェーゲリンが上条当麻の目の前に立っていた。

「……なんだか気になる反応をするわね。いくら一月前に転校してきたばかりだからってちょ~っとひどいんじゃないかしら」

「いや、悪かったな。こんな早い時間に誰か来るとは思ってなくて」

 頬を膨らませて抗議してくる少女に慌てて言い訳を重ねるがどうやらそれが失敗だったようだ。彼女は碧色の瞳を細め、

「貴方だって来てるじゃない」

「ごもっとも」

 ぐうの音も出ない。そもそも、上条は話ができる誰かに会うためにいつもより大分早めに登校してきたのだから、そもそも言動と行動が一致していない。

「って、そうか。お前でも良いのか」

 少なくとも彼女は自分に噛み付いてくることはないし、一ヶ月とはいえこの街で暮らしているのだ。
 今日になって何か変なことが起きていると感じ取ることは十分出来るだろう。

「なに言ってるの?」

 一人で納得している上条にルサルカは怪訝そうな表情を向ける。そんな彼女にいや実はと切り出した。

「違和感? なにそれ」

「いや、なにそれって言われても……なんかこう、ある筈のものがないような、ない筈のものがあるようなそんな感じ? いや、具体的に何がどうこうって言うわけじゃないんだけど」

「……これだから思春期は」

「お前同い年だろ」

 洋画の俳優がやるような大袈裟な仕草で肩をすくめるルサルカに上条はそれ以上何かを言うのを諦める事にした。
 そう、全て上条の気にしすぎだという可能性がないわけではない。
 毎朝のニュースにどこそこで誰々が首を刎ねられて殺されたとか、ブラックロッジとかいう変な秘密結社が暴れているとか、それらに対抗するようにして『正義の味方』が現れたとか。
 科学的に異能を開発する最先端技術の集大成たる学園都市では『日常の出来事』なのは間違いない。
 きっとこんな違和感を抱く自分の方が少し神経質になっているのだ。

「……『御使落とし』なんて事件があったからな」

 今年の夏に起きた出来事の中でも『日常』に対する最も大きな影響を与えた事件を思い出しながら、上条は違和感に対して蓋をした。
 その違和感はこの世界で唯一彼にだけ、感じ取れるものだと言うのに。



[21470] 大戦前夜 EX1
Name: U.Y◆d153a06c ID:f78201d0
Date: 2010/10/11 22:55
 EXシリーズでは主に作者の妄想or本作ではカバーできない本作以前の時間軸で起きた出来事などを更新していきます。。








ex1『とある刑務官の憂鬱~彼が離婚する一ヶ月前の出来事~』










 その日、彼は自分の職務を初めて放棄させて欲しいと神に祈った。
 時空管理局に十代半ばで就職してから早数十年。気付けば職場の中では上から数えたほうが早い年齢となった今の彼にはこの空間に満ちたモノは毒でしかない。

(……ここは一体何処なんだ)

 明瞭過ぎるその疑問は誰かに否定をして欲しかったからこそ出たモノに違いない。
 しかし、這わせた視線はそこがよく見慣れた『接見室』である事を理解を拒絶する脳に刻み付ける。
 此処は時空管理局が次元犯罪者――特に特定遺失物(ロストロギア)を違法に所持・研究、あるいは使用した凶悪犯罪者が収監されている『監獄』の中で、唯一外部の人間と面接できる部屋だ。
 普段は執務官や弁護官などが裁判の進め方の相談や、あるいは身内などの面接を行うのに使われているこの部屋だが今日はまったく違う目的で使われていた。
 ……いや、厳密に言えばこれも『面会』の一種なのだろう。
 彼らの間に面識がないのは間違いないだろうが、朗らかに談笑している様子は十年来の友人であると言われても疑いを挟むことが出来ないほど。
 それほどに彼ら――ヴォルフラム・フォン・ジーバスとジェイル・スカリエッティの会話は弾んでいた。
 ……人語を必要としないほどに。

「パァァァァァンンンツッッッ!!」

 立派な顎鬚を蓄えた赤毛の紳士、といった風貌のヴォルフ博士……時空管理局にあってその人在りと言われるほどの天才科学者は両目を血走らせ、唾を飛ばし、大仰に腕を振り回しながら叫んでいた。
 接見開始から彼が『パンツ』以外の言葉を口にしたことはなく、話し始めた直後に彼の思考は停止した。

「ブゥゥゥゥゥラジャァァァァ!!」

 そして、その思考を混沌へと誘うのはその言葉。
 半年前にミッド地上を恐怖の底へと叩き落した張本人……ジェイル・スカリエッティは炯々と光る金色の瞳を限界まで剥き、ヴォルフ博士に負けじと叫んでいる。
 彼の方はまだ人語を用いていた時間があったのだが、ヴォルフ博士が「パンツ」としか言わないと悟るといまのような言葉を叫ぶようになった。一瞬、この恐怖の科学者がヴォルフ博士の精神攻撃によって人格を破壊されたのかと危惧した彼だったが、書記官がすさまじい速度で二人の会話を記している(同時に翻訳して注釈を入れながら)所を見ると、二人の会話は非情に弾んでいるらしい。
 下着の名前を叫ぶだけでどうしてミッドチルダの経済問題やら次元世界の流行やらを知ることが出来るのか、全く不明だったが。

「……というか、お前はどうしてあれの会話内容が分かるんだ」

「スク水? ……げふんげふん、い、いや、ちょっとしたコツがありまして……」

「そうか……頑張れよ」

「ちょっと!? 何でそんな生暖かい眼差しをするんですか」

 慌てながらも凄まじい速記術を発動させている書記官からじりじりと距離をとる。
 駄目だ。この空間にいては自分も遠からず「ああ」なってしまいかねない。
 彼は万が一に囚人が暴れた際に取り押さえるため、一緒に監督を行っている後輩に声をかける。まだ二年目の若者をこれ以上この混沌の空気に触れさせておくわけには行かないと考えたからだ。

「おい」

「ブルマ?」

「……手遅れだったか」

 後輩は既に自分が何を口走ったのかさえ分かっていない様子だった。彼は自分の無力感にがっくりと膝を折り、世の不条理を天上の神へと訴える。
 ああ、神よ。どうしてこんなことに……パンツだのブラジャーだのスク水だのブルマだのと叫ぶ輩がどうしてこうまで多いのか。

「どうして誰も……うなじのエロスに気付いてくれないんだ……」

「刑務官殿、貴方も大概手遅れですよ」

 書記官がガリガリと文字を記しながら顔だけ彼に向けて言う。
 しかし、世に絶望した彼は「帰ったら、かみさんに浴衣着てもらうんだ……」とうつろな瞳で呟くのみ。
 その後、当の刑務官はあまりにうなじへの執着を見せるため、気持ち悪がられて離婚する羽目になるのだがこれはまた別のお話。


◇◇◇


「まったく、人が一生懸命仕事してるってのにこいつらは……」

 ただ一人、かろうじて職務を全うしている書記官はぼやく。
 すでに専門的な話題へと移行してしまった二人のマッドサイエンティストの会話は翻訳は出来ても理解は出来ない。
 それでも、彼は自分が記している内容を読み返し、眉唾な感想しか抱くことが出来なかった。
 書記官が高速で記している会話内容を見ると、どうやらヴォルフ博士がスカリエッティに対して共同研究を持ちかけているようだった。
 その研究内容は昨今噂になり始めている対『魔導殺し』用質量兵器の開発。三メートル級のパワードスーツみたいな物を用いて機械的に装備者を強化することで魔力結合を切断する『魔導殺し』に対抗するというものらしい。
 それには『第97番管理外世界』に存在する『剱冑』の技術転用を基礎として<SSS級封印指定遺失物『魔を断つ剣』>を解析・転用するのだという。
正直『SSS級』なんてランクが本当に実在していた時点で書記官には驚きだった。S級までの高ランク指定の特定遺失物は士官学校の歴史学やらでも習う範囲だが、SSだのSSSだのはそれこそ『御伽噺』で語られる、存在自体が疑われているレベルの代物である。
 しかも、その実験機が既に試験運用の段階にまで至っているらしいと聞いて更に驚いた。
 試作実験機は特殊戦技教導隊の高町なのは一等空尉、八神ヴィータ三等空尉の二名が試験運用中。その名称は――

「『DDM-001 ゲシュペンスト』……亡霊だなんて物騒な名前をつけるなぁ……」

 ぼやきながら書記官は手を動かし続ける。
 ゆりかご事件から半年。
 のちにブラックロッジ月面基地総攻撃まで四年半前に記されたそのノートこそ、未来への希望であると、いまは誰もわからないでいた。



[21470] 大戦前夜 EX2
Name: U.Y◆d153a06c ID:ce56d156
Date: 2010/10/11 22:55
 EXシリーズでは主に作者の妄想or本作ではカバーできない本作以前の時間軸で起きた出来事などを更新していきます。。










ex2『とある結婚式の舞台裏』











 2005年の七月。
 鬱陶しい梅雨も明け、夏の足音が間近に迫ったその時期に、その『依頼』は教会に届けられた。
 語ったのは聖槍十三騎士団黒円卓第三位『聖餐杯』ヴァレリア・トリファ=クリストフ・ローエングリン。常に変わらぬ仮面じみた微笑を真剣な眼差しへと変貌させているところからして、その報告が間違いないことは疑う余地もない。

「……いまなんて言ったの?」

 しかし、だからといって素直に受け入れるにはあまりに唐突な話であった。大抵の事では顔色一つ変えない氷室玲愛が驚愕に固まってしまうほどに。
 普段の彼女を知る者ならば、驚いたことだろう。通っている学校ではクールビューティ(微電波系)と呼ばれ、怜悧な美貌でもって相当数の男子から興味と羨望の眼差しを向けられている彼女の顔(かんばせ)が、いまは蒼白になってしまっていた。
 一体、彼女の身に何が起きたのだろうか?

「少し落ち着きなさい、玲愛。そんな状態じゃ、ヴァレリアも説明を続けられないでしょう?」

「でも、だって……」

 混乱しきった彼女の肩に母を思わせる優しさで手が置かれる。この教会で家族のように暮らしているシスター――リザ・ブレンナーは幼い子供をあやす様に玲愛の背中を撫でた。
 しかし、それとは別に般若の如き視線が尼僧から対面に座す神父に向けられる。その視線は『さっさと全て吐け』と言っていた。
 野暮ったい修道服の上からでも分かるほどの匂い立つ色香と美貌を持つシスターの流し目は、だからこそ名刀の切れ味をもって神父の焦り顔を撫で斬りにする。そんな視線を向けられたヴァレリアはひたすら脂汗を額に浮かべて鉛を吐き出す様に声を出した。

「あ、あのですね。私としましても、これは想定外の出来事でして……」

「ええ、確かに貴方に責任なんかないわね。貴方はただ頼まれただけ。それも極々当たり前の。でも、それを断ることが出来たはずなのに引き受けてしまったという事実はとても擁護できないけわね」

「そういじめないでください、リザ。貴女もあの子達の目を見てしまってはそんな言葉を口には出来ないはずだ」

「だからって引き受ける訳がないでしょう? 貴方、本当に理解しているの?」

 言葉の刃でザクザク切り裂くリザと防戦一方のヴァレリアのやりとりをただ呆然と眺めながら、玲愛はヴァレリアが口にした『依頼』について誰ともなしに問いかけた。

「本気で、黒円卓の拠点(此処)で結婚式なんて挙げる気なの?」


◇◇◇


 話を整理するなら、やはりそれはヴァレリア・トリファの責任となるだろう。
 彼ら黒円卓の拠点としている教会は科学至上主義な学園都市の郊外にひっそりと建っていた。主に農業用プラントや最新技術がたっぷりと詰め込まれた風力発電施設などがあるくらいで、住宅もやや少ないという辺鄙な所にある教会。
 態々そんな所に礼拝にくるような熱心な信徒は少なく、教会の管理をしているヴァレリアやリザも大した仕事がない毎日を過ごしていた。その裏で黒円卓としての活動を繰り返していたのだから、教会の方が忙しくならないようにという意図もその立地を選んだことに関係しているのかもしれない。
 ともかく、そういった理由でいままでこの教会に冠婚葬祭を頼むような奇特な人物は現れなかった。そういった祭儀はむしろ中央に特殊効果てんこ盛りで派手に、あるいはしめやかに執り行う式場が別にあるのだから当然の話だ。
 しかし、今日の昼間、その奇特な人間が現れてしまった。

「依頼してきたのはご近所で『あすなろ園』って孤児院やってる園長さん。新郎さんとの年の差が54歳もあって、あまり派手に式をやるわけにも行かないからこじんまりとした式だけ挙げたいんだって」

「うっわ。なんだかヴァルキュリアが聞いたら喜びそうな話題ねぇそれ。てか、何で私の所に来てるの? テレジアちゃん」

 とある学校の制服を着たままのルサルカ・シュヴェーゲリンは突然訪れたこれまた制服姿の顔見知りに対して露骨に胡散臭そうな視線を向けた。
 ここは学園都市におけるルサルカの拠点として使っているアパートの一室。学生寮に用意された部屋もあったが、彼女は黒円卓とブラック・ロッジという裏世界における二大組織に所属すると言う危険な二束の草鞋を履いている身である。どちらかには隠してある、あるいは誰にも知られていない拠点は安全のためにも複数確保していた。
 そのうち、黒円卓側から連絡があればすぐに分かるようにしてあったのがこの部屋である。

「結構綺麗なのね。魔女の部屋って、もっとごちゃごちゃしているのだと思ってた」

「そりゃどうも。便利な小間使いがいるから」

 埃一つないフローリングをぺたぺた障りながら玲愛が素直に感心した様子で言うと、ルサルカは「本当に何しに来たんだろ」と思いつつお茶なんかを用意したりする。
 玲愛が本題を切り出したのは魔女が緑茶を入れてお互いに一服してから唐突にであった。

「手伝って貰うから。結婚式」

「……それはギャグで言っているのよね?」

 残念ながら本当です、と言いながら玲愛は戦慄したような表情のルサルカにヴァレリアからの伝言を告げた。

「聖歌を唄う子を集めなくちゃいけなくて……リザはオルガン弾かなくちゃいけないから歌い手が足りないの」

「誰が? 私が? 聖歌を? 結婚式で!?」

「そう。レオンハルトは英語、苦手でしょ」

「そんな理由なの!?」

 驚天動地の態で叫ぶルサルカ。その筋の人間が聞いたら正気を疑うというか頼むから止めてくれと願うレベルであろう。歌声で男を水底に誘う魔性である『ルサルカ』に事もあろうに結婚式で聖歌を唄えとは狂気の沙汰もここに極まるという話である。

「……クリストフもとうとうボケが来た?」

「……ベイに受付をさせようとした辺り、その可能性は否定できない」

 勿論、リザがカインにぶっ倒させて止めたが。

「とにかく人手が足りないのよ。式を完膚なきまでに破壊しない範囲でなら、使えるモノは全部使うって」

「それで私に聖歌をって話になる訳ね……断れなかったの?」

「子供たちにお願いされたんだって」

 じゃあ無理だわ、と嫌な納得をするルサルカ。
 あのヴァレリア・トリファが子供の純粋な願い事を理由もなしに断ることはないだろう。そもそも、年中無休で閑古鳥が鳴いている教会がどうして一番の稼ぎになる『結婚式』を断れようか。下手な事を言えば、要らない詮索をされてもつまらない。特に教会に住む騎士たちは殺人狂という訳ではないのだし。

(まあ、本来はそういうもんな訳だし……仕方ないかなぁ)

 そこまで考えてから、ルサルカは思考を切り替えた。結婚式と一口に言っても人手は大量に要る。
 まずは来客の記帳やら何やらをしてもらうための受付人。教会では式を挙げるだけということなので必要ないかもしれないが、待合室を設けて多少は休めるスペースを作っておく必要もあるだろう。そこで出すお茶やら菓子やらを用意するだけでも何人必要になることか。特に、子供が多いと言うのは致命的に手間を増やす。

「いま人手はどれくらいあるの?」

「私を含めた教会に住んでる三人と貴女」

「……四人か。式が始まっちゃえばそれでも何とかなるかもだけど、余裕を考えるとあと何人か必要よね」

 顎先に手を当て、思案顔のルサルカは何かを思いついたように隣の和室へと声をかけた。

「おーい。使い魔ちゃーん。起きてるー?」

「……大声を出さなくても聞こえています」

「っ!!」

 ルサルカへの返事は玲愛の背後から聞こえてきた。直前まで何も感じることが出来ないでいた彼女は一瞬身を固めてすぐに振り返った。
 そこに立っていたのは恐ろしく綺麗な長い髪をした美女。着ているのは何の変哲もないシャツにジーパンだと言うのに、恐ろしいほどに似合っている。宝石めいたその瞳を縁なし眼鏡で隠した彼女は玲愛の反応に感心した様子で見下ろしていた。

「意外です。悲鳴のひとつくらいは上げるかと思いました」

「ある程度、慣れてるから」

「むぅ。小さい頃にやりすぎちゃったかしらね」

 気配も音も、そもそも部屋に入ってきた事を見てもいないのにいつの間に背後に回りこまれていた。
 そんな経験は玲愛にとっては言葉どおり慣れたものである。彼女の周りは言葉どおりの意味で人間以上の存在が多数在ったのだから。
 二人のやり取りを眺めていたルサルカは玲愛の反応につまらなそうな顔をする。どうやら、驚く様子を見て愉しむつもりだったようだ。

「ま、いいや。使い魔ちゃん、話は聞いていたでしょ? 貴女も手伝いなさい」

「……それは冗談で言っているのですよね?」

「それはこれから会いに行く神父に言って。あ、手加減抜きで殴っていいから」

「……ネロはどうするのです」

 美女の視線は隣室へと注がれる。
 ネロとは何を意味する言葉なのか玲愛には知ることが出来なかったが、それでも注がれる視線にはなにか暖かなモノが含まれていると察することが出来た。
 だから、なにか大切なモノがそこにあるのだろうと考えていた玲愛の思考を妙に上機嫌なルサルカの声がさえぎる。

「私の影に入れていくから平気よ。さぁーって、色々面倒くさそうだし、ちょ~っと気合を入れますか」

 話は決まった! とルサルカは立ち上がる。
 そんな気合の入りまくった魔女の姿に、初対面でありながら玲愛と美女は全く同じ事を考えていた。
 本当にこの結婚式大丈夫だろうか、と。


◇◇◇


<何を恐れることがあろうか。神の家たる教会にて永劫の愛を誓う。尊ばれるべきその儀式を邪魔するモノなど、何が許そうとこの私が許さんよ>

<随分と気張るな、カールよ>

<分からぬかな獣殿。彼の二人、その間にある隔絶は常人にとっては絶対に等しい。それを乗り越え、結実する愛の美しさ、尊さは賞賛以外の言葉では語れぬ。語らせはせぬ>

<そうかね。卿がそれほど浪漫主義であったとは……いま思い出したが、なるほど、では、卿の眼鏡に適った二人に私も言祝ごう>

<それはよろしい。ならば、ここに祝辞を贈るとしよう>


◇◇◇


 とある城(ヴェルトール)から贈られた祝辞によるものかどうかは分からないが、その三ヵ月後の十月。
 神無月と呼ばれるその月に、彼らは永遠の誓いを互いに捧げた。
 老女と青年の結婚式は多くの子供たちと善き隣人たちによって盛大に祝われたと言う。
 仕切っているのは血塗れた魔人たちであろうと、そこにあった笑顔は確かに幸福の縮図であった。



[21470] 大戦前夜 EX3
Name: U.Y◆d153a06c ID:7e2fa1f6
Date: 2010/10/11 22:55
 EXシリーズでは主に作者の妄想or本作ではカバーできない本作以前の時間軸で起きた出来事などを更新していきます。。








ex3『とある魔法使いの始まり』










◇◇◇


 それでは、始まりを語ろう。
 旧き神がいない、この世界の。


◇◇◇


 彼が目を覚ますと、そこは荒野だった。

「――……此処は、地球……か?」

 軋む身体を引き起こし、見渡す視界に人工物は少ない。
 広大な草原には春めいた気持ちの良い風が吹いており、空には小鳥達が舞っている。右手には何処までも無限に広がるような平原が広がり、左手には赤茶けた山脈が連なっており、その中腹に小さな村があるのが見て取れた。

「俺は……どうして……」

 混濁する意識の中、記憶を呼び起こそうとする。
 しかし、それは突然かけられた声によって遮られた。

「まだ、あまり無理をされない方がよろしい。貴方の肉も霊も魂も虹によってズタズタに引き裂かれたのだから」

「あんたは?」

 声に振り向くと、そこには突如として現れたとしか思えない唐突さで一人の男が立っていた。襤褸を纏い、蝋めいた白い貌を持つ男は寒気を覚える微笑を浮かべながらこちらを見下ろしている。
 男は誰何の声に僅かに考えたそぶりを見せながら、

「私はしがない詐欺師に過ぎませぬ。御身に名を覚えて頂く栄誉を、どうして私如き小物が浴せようか。私はただ、貴方をお迎えにあがっただけなのですよ。旧き神」

「……識っているのか。俺のことを」

「無論。拙いながら占術を繰る者として貴方を識らぬはずがない。もっとも、いまは本来の神格と権能を分断されてしまっているご様子。唯人の身となったいまの状態で神位に触れれば今度こそ粉々に粉砕されてしまいかねない。故、無理に記憶を引き出すのはお止め下さいますよう」

 丁寧な礼をする男の言葉に意識の何処かで反応する。
 神格も権能も分断される。肉も霊も魂もズタズタに引き裂かれた。
 それを、一体誰が為したのか。

「契約の虹。いまより凡そ1900年ほど後に現れる天才が放つ奇跡が貴方を断ち切った。不滅の魔女を割断するはずだった七色の閃光を邪神に利用されてしまい、いまの状況がある。ご理解頂けぬでしょうが、知っておいて頂ければそれで良い」

「虹……?」

 その言葉から引き出せた記憶は視界全てを覆う光。それを浴びて自分にとって大切なモノたちが全て引き剥がされたと言う事実だけが思い出される。
 最も振るい続けた武器を。
 最も頼りとした戦友を。
 最も愛した女性を。
 その光は全て自分から奪い去ったのだ。

「あいつは……あいつ等……あれ、名前が……」

 喉を裂く絶望は疑問となって漏れる。
 彼らの銘を、口にする事ができないと気がついたから。

「どうして」

「それは『まだ存在していない』ため。貴方はいま唯の人間となっておられる。故に因果の力に逆らえぬ。いまだこの宇宙に発生していない存在をどうして呼べましょうか」

「存在して、いない? でも、俺は……」

「この世界へと堕ちる時、軸が歪んだのですよ。御身が筆頭となってこの地に降臨され、戦鬼の心臓、魔導書、肉体、首、最後に杖が顕現する。それら全てを貴方が手にする事が出来たなら、宇宙に漂う貴方の神格を呼び戻す事も可能となる。それまでは、貴方は何一つ自身についての事柄を口に出せない。
 他者に認識されぬ神格など、それほどに無力なモノなのですよ。私がこうしてこの場に居合わせねば、貴方は永劫眠り続けたままであったでしょう。邪神の企みによって目を覚まさせられる、その時まで」

「それじゃあ、俺はどうすれば良い」

「心配は御無用。貴方が望むモノはこの道を歩いて行かれれば遠からず手に入ることでしょう」

 そう言って、男は草原が広がる地平へと指を向ける。
 それは村のある山脈とは逆方向であり、人工物は何も存在していない。
 道無き道をただひたすらに歩けと詐欺師は囁く。

「この先を真っ直ぐに。ただ只管進みなさい。一歩も止まらず、迷わず。振り返ってはなりませぬ。貴方が望むモノは他の一切を捨てねば届かぬ場所にある」

「もしも、止まったら?」

「全てを失い、別のモノを手にする事でしょう。その時、貴方は旧き神とはならず、時に英雄となり、時に英雄を導くモノとなるでしょう。故に魔法使いと、その時は呼ばれることになる」

 詐欺師を名乗る男が発する言葉は、しかし、絶対の預言であった。
 恐らくは間違いなくそうなるのだろう。
 何一つ分からないこの状況で、ただそれだけは理解できた。

「なら、俺は」

「そう早く向かわれるがよろしい。この場は直に月の王も降りてこられる故」

「え?」

 呟くのと、蒼穹の空が漆黒の夜へと変わるのはほぼ同時だった。

「なんだこりゃあ!?」

 叫びながら見上げた空には血が滴るような真紅の月が浮かんでいた。そこから一筋の流星が堕ち、其処には――

「村が!!」

 山脈の中ほどにあった村に直撃した流星は一切の爆発も起こさず、しかし、村の生命が『吸い上げられて』いるのが遠目にもはっきりと見て取れた。それは有無を言わさぬ搾取。それを受けた命は一切の抵抗も赦さずに殺しつくされるだろう。

「あれは……まずい。急いで助けに行かないと」

「ああ、あれではもはや生きているモノはおりますまい。そんなことよりも早く出立された方が良い。遠からず此処も彼奴の餌場として機能し始める」

「餌場? っていうか、そんなことよりってどういう事だ」

「些事であると言っているのですよ、旧き神。あそこは既に死地と化している。それに伝えたはず。この道を一時も止まらず歩み続けぬ限り貴方は貴方として存在するための全てを失うと。それでもよろしいのかな?」

 詐欺師の男は告げる。
 いまこの時を逃せば次はないと。
 しかし、魂の根幹が叫ぶのだ。霊の本質が訴えるのだ。肉を奔る血潮が動くのだ。
 其処で助けを叫ぶ人々を見捨てる事など出来ぬと。

「悪いな詐欺師。アンタの忠告、聞いてやれなくて」

 村へと向かって駆け出す刹那。
 男に礼と謝罪を残す。
 忠告を無視された詐欺師の男は、しかし、まるでそれが当然であるかのように一つ頷く。

「やはり、そちらを選ばれるか。何度言っても貴方は変わらぬ。故、気にする必要などありませぬよ。しかし、これより先名乗りを上げられぬは不便でしょう。良ければ貴方に名を贈りたいのですがよろしいか?」

「ああ、そいつはあり難い」

「ではキシュア――キシュア・ゼルレッチ・シュパインオーグと。戦鬼の心臓を捜すことです魔法使い殿。それを手にした時、貴方の『魔法』は完全となる」


◇◇◇


 背中に預言を浴びながら、キシュア・ゼルレッチ・シュパインオーグは疾走する。
 正義の味方と呼ばれる偉大なる魔法使いの伝説が、此処から始まる。
 この後、倫敦にてその命を果たすまで彼は走り続ける事になる。
 愛する魔導書の事も思い出せずに。





<やれやれ。アザトースの覚醒を阻むためとはいえ、心が痛む。胸が裂ける。ああ、この罪に応える為にも我が野望は必ず果たそう。旧き神、どうか其処で御照覧を。我が歌劇の出来栄え、無聊を慰める一助と成れば幸いである>





◇◇◇


 水銀の王の手によって月の王と邂逅させられた旧き神。
 それ故に生み出された宝石の魔法使い。
 その結果がどうなるか。
 どのような結末に至るのか。
 いと貴き座に在るモノ達だけが識る。



[21470] 大戦前夜 EX4
Name: U.Y◆d153a06c ID:7e2fa1f6
Date: 2010/10/11 22:55
 EXシリーズでは主に作者の妄想or本作ではカバーできない本作以前の時間軸で起きた出来事などを更新していきます。

 *注意!! クロスキャラ同士のカップリングがあります。苦手な方はギガマインを覚悟の上でお願いいたします。










ex4『とある少女の幸福風景』









 1766年。晩春。
 その日、その村では新たに一組の夫婦が生まれようとしていた。
 新郎は数年前に村へとやって来た若者。
 多くの辺境にある農村部がそうであるように、余所者に対して排他的な態度を取りがちな村の中にあって、彼は持ち前の社交性と長い旅生活で培ったという豊富な知識でもって溶け込んでいった。
 新婦は村で一番美しいと言われる少女。
 貴族にも見初められたこともあるほどの美しい少女は青年と恋に落ち、彼が村に溶け込めるように尽力し、その年月で更に関係を深めていく事になる。
 三度の春を迎えた頃、彼は漸く村の一員として正式に迎えられる事になった。
 少女と夫婦になる、という形で。


◇◇◇


 村の中央にある古ぼけた教会の一室。
 そこに純白の衣装で身を包んだ少女が生涯最大の晴れ舞台に上るため、両親の手を借りながら最後の支度をしていた。
 波打つ赤毛に宝石のような碧の瞳。
 こんな辺境の農村には似つかわしくないほどに整った面立ちは薄く施された化粧によって更に磨かれていた。美女を指して宝石と例える詩人は多いが、彼女を見たあらゆる歌い手は以後に他の女をそう呼べなくなるほどに彼女は美しかった。
 万人が羨む美貌を持つ彼女は、しかし、先程からころころと表情を変えて鏡に映る自分の顔をつぶさに見つめる。どうやら、それほどの美しさをもってまだ彼女は自分の化粧に納得がいかないようだ。
 古びた鏡台に並ぶ白粉に手を伸ばそうとする彼女に、年嵩のいった母が嬉しそうな困ったような、そんな色々と混じった声音で嗜めた。

「もう。そんなに塗りたくってはダメよ。あなたは元が良いんだから、お化粧は薄っすらと塗る程度で良いの」

「でもぉ……」

「母さんの言うとおりさ。白粉まみれな顔じゃ、かえって彼も驚いてしまうだろ」

「ううっっ……わかったわよ」

 両親にそう諭され、彼女は仕方ないとそれ以上化粧を上塗りする作業を停止する。それを見た両親は穏やかな笑みを浮かべ、その顔を見て彼女はなんとも気恥ずかしい思いに囚われる。
 十代も半ばといえば十分に大人として扱われるのだが、彼らから見れば彼女はずっと子供のままなのだろう。その扱いに反感を覚えるのと、そんな物がちっぽけに思えるほどの感謝を少女は胸に抱いていた。

「父さん、母さん。ありがとう。私、いまとっても幸せ」

「なにを言うんだ」

「そうよ。そういう台詞は孫を産むまでとっておきなさい」

 穏やかにかけられる言葉に、少女の目頭は自然と熱くなる。
 彼女にとって彼らは掛け替えの無い存在なのだ。
 実の親に捨てられ、飢えて死ぬか野犬に食われるしか道が無かった少女を拾い、ここまで育ててくれた老夫婦。
 その恩を漸く返せるこの晴れ舞台を前に、高揚しすぎた彼女の心が涙を作る。そんな少女を父は優しく慰めた。嵐の夜、悪夢を見た朝、他の子にいじめられた時と同じように。優しく手櫛でその滑らかな髪を整える。
 いつもと同じ温かな手に、少女の心も徐々に落ち着きを取り戻していった。

「ありがとう。父さん」

「いいさ。今後は彼にこの役目を取られると思うと、少し寂しいくらいだからな」

「もう。何言ってるのよ」

 父の冗談に心が平静になっていく。その感触はとても心地よかったが、しかし、それは逆を返せば冷静にいまの自分を振り返る時間が出来てしまったという事。
 高揚感が収まると、今度は焦燥が彼女の心を炙る。

「でも、本当に大丈夫かな? なんか変じゃない? おかしい所とかないよね?」

「大丈夫」

「ええ。とても綺麗よ」

 両親の言葉もこの時ばかりは慰めにはならない。彼らから綺麗とか可愛い以外の言葉をかけらたことが無いから、本当に大丈夫なのかと心配になる。
 なら、誰か他の人に感想を聞ければとも思うが他の村人達は既に礼拝堂の中。そんなところに準備も整っていない状態で突撃をかけられるほど、彼女は勇猛果敢ではなかった。
 故に、その来訪は神が与えたもうた祝福だったのかもしれない。
 ノックは二度。
 ドア越しの名乗りに少女の父はすぐにドアを開けた。
 そこに立っていたのは白髪褐色の神父。今日の慶事を取り仕切る神父に少女と両親は満面の笑みをもって出迎えた。

「これは神父様。今日は誠にありがとうございます。娘のためにこんなにも綺麗な衣装まで用意していただいて」

「神父が婚礼を取り仕切るは当然の事。礼には及びませんよ、舅殿。花嫁の支度はよろしいかな? 婿殿は緊張しきったようで早会場へと向かわれたが」

「あらあら。しっかりしているように見えたけれど、そういうところは歳相応なのね」

「さもありなん。本来は見届けるべき親がいない、天涯孤独の彼にとってこの村はやはり異郷なのだから。お二方、よろしければ式が始まる前に一つ声をかけてあげては頂けまいか。今日という日を境に彼とお二人もまた親子となる。父として、また母として、言葉をかけたならその凝りをほぐす事もできましょう」

 神父の提案に名案だと頷く二人は少女にもう一度だけ『綺麗だよ』と告げて部屋を出て行く。
 その後姿に否が応でも緊張は助長された。顔は強張り、手足には勝手に力が入ってしまう。農作業を手伝っていたから、健康的に焼けた肌がいまは酷く汚いものに見えて仕方がない。
 正直真っ直ぐ前を向いているのかどうかも分からなくなるほどに緊張しきった少女に、神父は一つ笑みを浮かべると、

「花嫁よ。……君は本当に良いのかね? 彼と結ばれて」

「へ?」

「彼と共にこれより後の生を歩み続けるのか、と問うている。どうかね?」

 唐突な神父の問いに少女は一瞬呆ける。
 まさか、今日これから式を挙げようとする花嫁に神父がそんな質問をするとは思っても見なかったからだ。
 しかし、すぐに合点が行く。

(あ、でもそっか。式が始まったら神さまの前で誓うんだ)

 去年あった友人の挙式を思い出す。
 式の終盤に『富める時も病める時も共に歩む事を誓うか?』という辺りの文言が確かあったはずだ。その直後に遭った誓いの接吻まで思い出して勝手に熱くなる顔をなんとか左右に振って元に戻しながら考える。
 褐色の神父は緊張しきっている少女の様子を哀れに思い、式の真似事をしてそれを紛らわそうとしてくれているのだろう。
 そう分かってしまえば、彼女の返答など決まっている。

「勿論です。私はゾォルケンを愛しています」

 自分が出来る満点の笑みを浮かべて、ただ純粋に答えた。
 神父はその返答に満足したのか、巌のような顔を綻ばせ、

「よろしい。ならば、汝に神の祝福が降り注がれん事を……それでは花嫁――アンナよ。本番もいまと同じように」

「はい、ナイ神父。よろしくお願いします」

 呼びかけに、彼女は立ち上がる。
 扉の向こう、愛する夫となる人が待つ、幸せに溢れた世界へと歩みだすため。





◇◇◇





 懐かしい夢を見た。
 まだほんの三年前の出来事。
 何もかもが幸せだった頃の記憶。
 いまはもう、その全てが亡くなってしまった幸福(モノ)が再生され、彼女は当に枯れ果てたナニカが瞳から落ちた。
 どうしてこうなったのだろう。
 放り込まれて数日。ずっと考え続けていた思考が再び脳裏によぎり、考え続ける力も無く項垂れた。
 意味がない。
 力がない。
 何より、彼女には未来がない。
 魔女の烙印を押された彼女は遠からず引き出され、火炙りの刑に処されるのだろう。
 優しかった両親がそうなったように。
 何もかもがどうでも良くなった彼女は、いつの間にかそこに立っていたモノに気がつくのが遅れた。もっとも、気づいたところでどうにもならない。下手に抵抗をしない方が『早く済む』事もわかっているから、視界の端に僧服が見えても助けを求める事はしなかった。
 もっとも、助けを求めたところで意味がない。
 被害者がどれだけ懇願しようと、正義を掲げる加害者が躊躇する理由などあるわけがないのだから。
 絶望が開いた悟りを胸に、汚辱を受け入れるため思考を深い深いところへ押し込もうとして、

「ああ、アンナ。やはりこうなったのだな」

 聞き覚えのある、重厚な声音に顔を上げた。
 そこに立っていたのは彼女を祝福した後に巡礼の旅に出た白髪褐色の神父。
 彼女を唯一汚していない、神の使いがそこにいる。

「……神父、さま?」

「まだ、私をそう呼んでくれるのか。アンナ」

 膝を折り、汚れに染まった彼女の頬に触れる。その手つきの柔らかさに、彼女は自然と涙を流した。何度となく叩かれ、殴られて腫れた頬は血が滲んでいるが、新婦はそれを意に介さずに拭ってくれる。
 その動作、その眼差しのどれもが狂ってしまったような世界の中で昔のままであり、だからこそ彼女は声を出して涙した。

「しんぷ、さま……わたし……わたしは、まじょなんかじゃ……」

「分かっている。分かっているとも」

 柔らかに微笑む神父の表情は慈悲が溢れている。
 これで助かる。
 これで救われる。
 これで、この地獄は終わるのだと。
 そんな幻想を抱いた彼女に、神父は告げる。
 お前の罪は、魔女である、などというものではないと。

「へ?」

「聞こえなかったかな? アンナ。君が犯した罪は魔女である、などという訳の分からないモノではないのだよ。近親相姦。実の父を夫として向かえ、子を作ったその行為こそ、お前が犯した罪だ。言っただろう? 『本当に結ばれて良いのか』と。二度もあった好機を捨て、罪を犯したのはお前なのだよ。アンナ」

「そん、な……し、知らない。私は知らない!! 彼と私が親子だなんて……だ、大体年齢だって!!」

「それこそ理由くらいすぐに分かるだろう? 何故、お前は此処にいる? どうして村人が魔女だ、など騒ぐ。なるほど、確かにお前の美貌は抜きん出ている。目立っているから足を引っ張られる。それもあるだろう。だが……まったく火の無いところに煙は立たぬだろう?」

 神父は告げる。
 彼女が愛した男こそが魔道の道に身を捧げた外道である、と。
 そして、それは同時に、彼女自身にもその外道の血が流れている、と。

「うそよ……」

「嘘ではない。あれは新しい身体に少しでも強靭な肉体を欲した挙句に自分の『孫』を使う男よ。あれほど躊躇無く外道を行う者は、中々おるまい」

 もはや、彼女の耳に神父の言葉は届かない。
 絶望が全てを飲み干していく。
 何もかも失った彼女は、最後に残った疑問を口にした。

「神父様。どうして、貴方はそれを知っているの?」

「当然。私がアレにお前のことを話したからよ。奴には『聖杯』を完成させてもらわねばならんのだよ。旧き神を招聘し、我が望みを叶える為には」

「……………………そう」

 全ては掌の上。
 自身を見下す神父を邪眼の如き瞳で睨み、制約を口にする。

「殺してやる……引き摺り下ろして地に這わせて永劫踏みつけて、殺してやる」

「善い。その殺意があれば、あるいは彼奴の目に触れるかもしれんぞ? 絶やさず囀り続けるがよい。水底の魔性の如く」

 神父は去り、彼女はまた置き去りにされる。
 奴の足を引き摺り下ろす力が欲しい。
 その渇望、呪詛の歌がとある告解師を招くのは、まだ先の事である。



[21470] 第二話 ブラックロッジ
Name: U.Y◆d153a06c ID:7e2fa1f6
Date: 2010/10/08 00:33

 第97管理外世界――現地名称で地球。
 その衛星の一つである月のクレーターに人知れず建設された魔城にて、その『戦争』は人知れず開始された。
 次元世界における法の番人を標榜する時空管理局が向けたのは精鋭中の精鋭が揃う次元航行艦隊の中でも随一と呼ばれる勇将クロノ・ハラオウンが率いるXV級艦船『クラウディア』を旗艦とし、他に巡洋L級三隻からなる大艦隊である。
 同行している魔導師たちもその殆どがAランク以上であり、クロノ提督の他に数名のオーバーSさえ含んだ大戦力がその組織を壊滅させるために差し向けられた。
 この過剰ともいえる戦力の投入は管理局内部からも大なり小なりの批判を受けることになったが、そんなことは瑣末なことであるといわざるを得ない。
 何故なら――

「総員退避ッ! オペレーター、補足し次第転移を開始しろ。AAランク以下の者は回収されるまで防御魔法を維持することだけに集中しろ!!」

 管理局屈指の戦力をもってしてもその組織――『ブラックロッジ』にはまるで足りていなかったのだから。

「なんだこれッッ! なんだよこれぇええええ」

 Aランクの陸戦魔導師は防御魔法など無いかのように燃え広がる漆黒の炎に巻かれて灰すら残さず焼滅した。

「いやだだだああああがあああああ!!! く、食わないでくれええええ」

 数十の犯罪魔導師を相手に武勇を誇った空戦魔導師は全身の穴という穴から奇怪極まりない蟲に集られ、生きながらにして貪り食われた。

「魔法が効かない!? 馬鹿な、AMFでも張ってるって言うのかよ!!」

 あらゆる砲撃、射撃魔法をいなして逸らす外法に翻弄され、嘲笑の下に蹂躙される。
 その光景はあまりにも馬鹿げていた。
 荒唐無稽。これが夢であるならばすぐにでも覚めてくれ。
 この場にいる全ての者たちがそう願い、しかし悪夢たちは嘲笑いながら現実として屹立していた。

「なんの冗談だ」

 この世はこんなはずじゃないことばかりだ。
 そのことを承知しているクロノをしてその光景は信じられなかった。
 そも、誰が想像出来るだろう?
 たったの『三人』に三桁以上の魔導師が圧倒されているなど。

「くそっ」

 これでは撤退する間もなく文字通りに『全滅』させられる。
 そう判断したクロノは両の手に白と黒のデバイスを顕現させた。師と父の遺品である二本の杖にありったけの魔力を込めて最も近い『敵』に向かって疾走する。

「ほう。それなりに強い力を感じるな」

「デュランダル! S2U!」

<OK.Boss!>

<詠唱開始>

 吶喊するクロノに対して悠然と構える敵――漆黒の軍服を纏った銀髪の青年は虚空に五芒星を展開する。その魔方陣に触れたあらゆる魔法はいなされるか、あるいは青年に吸収されていることは既に何度も目撃している。
 故にクロノは漆黒のテバイス『S2U』で詠唱していた魔法を発動させた。

「強制転移」
<トランスポート>

「なっ!?」

 S2Uから放たれたのは攻撃魔法ではなく対象を指定した空間へと飛ばす転移魔法。不可思議な手管で全ての砲撃や射撃をいなし続けていた青年に対して攻撃魔法は危険と判断したクロノの苦肉の策は、しかし見事に功を奏して、銀髪の青年を最寄の無人世界へと飛ばすことに成功する。
 犯人の逮捕よりも後退をするための時間を稼ぐ。そのための選択が結果として敵の無力化という結果を引き寄せた。
 その成果を目の端に止めながら次の獲物へと視線を向ける。
 一人は召喚師と思しき無数の蟲を使役する老人。いま一人は如何なる防御も焼き尽くす漆黒の炎を操る黒衣の少女。
 片方ずつ確実につぶすことが出来れば最善なのだが当然、それをさせるほど彼らは騎士道精神に溢れてはいない。

「ほう。面白い術を使う。アウグストゥスをあっさりと退けるか」

「いまのはアレの油断でしょう? まったく、坊やは百年経っても坊やと言うことね」

 一瞬で無力化された仲間のことなど無かったかのように二人の魔人が同時に行動を開始する。
 老人が無数の毒虫を地面に展開し、空は魔女によって必殺の焔が膨れ上がる。
 この状況で出来ることは一つ。

「悠久なる凍土 凍てつく棺のうちにて、永遠の眠りを与えよ」

 最大威力で先手を打つことのみ!

「凍てつけ!!」
<Eternal Coffin>

 振り下ろされたデュランダルから絶対零度の魔法が解き放たれる。あまりに広範囲に効果を及ぼすクロノ最大の魔法は緒戦で使うことは出来なかったが、既に周辺に生きている隊員はおらず、あるのは骸のみ。
 故にこそ使うことが出来た極大の凍結魔法は魔人二人の動きを僅かに止めることに成功した。
 しかし、言ってしまえばそれだけ。
 放ったクロノだからこそ、手応えで相手にさしたる手傷を与えられなかったことは十二分に理解することが出来た。数時間とせず彼らは復活するだろう。

(けれど、これで時間は出来た。これでなんとか撤退することが出来る)

 そう確信した、その直後。

「――――な、に?」

 念話によってもたらされたその報告を最初は信じることが出来なかった。
 咄嗟に見えるはずのない、宇宙空間に停泊している艦隊の方へと振り返りそして――無数の閃光が爆ぜる所を確かに目撃してしまった。最期に送られた念話が正しければその閃光は……

「逆十字三人を同時に捌くか。なるほど、英雄の名は伊達ではないらしい」

 いっそ穏やかなその声はクロノの視線の先。見ることなど出来ないはずの距離を隔てた場所から届く。
 見えないはず。
 聞こえないはず。
 だというのにクロノはその存在が口にする言葉の全てを、確かに見聞きすることが出来た。

「だが、その乗機は話にならんな。貴公もこのような駄馬では本領を発揮することは叶うまい」

 酸素など欠片もない、致死の太陽光が照りつける必死の空間で涼やかにこちらを見下ろすのは美しい青年だ。
 黄金の鬣と金色の瞳。
 完成された美貌は見る者の魂を凍りつかせるほど。
 一目で確信した。これは人間ではない。
 そも、純粋な人間ならばいかに高ランクの魔導師であっても『次元航行艦を撃破する』など不可能だろう。

「マスターテリオン」

 大導師マスターテリオン。
 ブラックロッジの首魁であり、強大無比な魔導師として次元世界に遍くその名を轟かせた次元犯罪者。
 黄金の獣と呼ばれる由縁は単純にそれが人間という存在から大きく逸脱しているからこそつけられているのだ。

「あるいは貴公が、とも思ったが……まあ良い。他に候補がいないわけではない」

「なにを……」

 意味不明な言葉を続けるマスターテリオンは、しかし既にクロノに興味を失ったのか、おもむろに掌を向けた。

「余興である。この一撃、耐え切ったなら命は救おう」



 ABRAHADABRA



「っ!」

 息を飲んだ刹那。
 全身が黒い稲妻に飲み込まれた。
 その一撃は防ぐことも避ける事も出来ず、完全にクロノの生命を奪い去る。
 意識が完全になくなる間際、彼が思ったのはただ一つ。
 この地獄に共に来てしまった血の繋がらぬ義妹の安否、それだけだった。


◇◇◇


「ってな感じでいまごろお空の上で一大戦争をやってると思うんやけどかみやんはどう思う?」

「いや、なんていうか……厨二病乙としか」

 なんやとう!? と憤る青髪ピアスを無視してアンパンをぱくつく上条。随分と冷たい反応に見えるが昼休みのチャイムが鳴ると同時に前の席に陣取るや否や聞いてもいない噂話などを捲くし立てているのだ。これが上条以外の誰かならとっくに愛想を尽かせて逃げ出しているところだろう。
 上条はアンパンを牛乳で流し込むと、

「それにしてもありがちだよな、世界征服を企む悪の組織とか」

「まあ、外じゃ学園都市自体がそう思われとる節があるから別に不思議じゃないんちゃう? ほら、こないだ制式採用された警備員(アンチスキル)の釼冑(ツルギ)とかいうあれ。あれ一体あれば十分軍隊とがちれるらしいで?」

「……それってマジ話だったのか?」

「なに、かみやん知らんかったの? わりと話題になってやんか」

 そうだっけ? と返しながら上条はもう一方の話題についても小首を傾げた。
 謎の犯罪組織『ブラックロッジ』。
 学園都市でさえ解析できない未知の技術を用いて数多の犯罪行為に手を染め、その多くはいまだに捕らえられることなく学園都市の闇に蠢いているらしい。
 正直レベル6計画の事や三沢塾での事件を知る上条としてはそういう組織もありえるかもしれない、程度には考えていたがその組織の本拠地が月に在るだとか大導師と呼ばれる首領は生身で宇宙空間を飛行できるなんていうレベルの話になってしまうと胡散臭い事この上ない。
 まあ、だからこそこうして教室の片隅で四方山話にする事ができるとも言えるが。

「ま、ブラックロッジが本物でも何でもどうでもええか。それよりかみやん。実は昨日土御門がめっちゃ美人なお姉さん連れてるん見たんやけどかみやんその辺の事なんか知ってる?」

「なん、だと? そっちの方が重要じゃねえか。ってか、昨日はあいつ部屋に帰ってきてないはずだぞ」

 mjk!? と叫ぶ青髪ピアス。
 世界の異常さを理解できる唯一の人間は平和な午後を過ごし、それ故に天上で鳴り響く開戦の号砲をいまだ知る事はない。
 いまは、まだ。


◇◇◇


 ブラックロッジの拠点、月面に古城の最奥に在る玉座の間。
 その場所に次元航行艦隊を迎え撃ったブラックロッジにおける最高幹部にして各々が魔道の極致に至った七人の逆十字――『アンチクロス』の内五人が集まっていた。

「――以上が先の襲撃における被害になります」

 分厚い資料を片手に報告を上げるのはこの場所で唯一の魔人ではなく、しかし科学という道において極点に立つ老人である。大導師マスターテリオンからはウェスパシアヌスの魔名を与えられた科学者――木原幻生は嬉々として戦果を報告した。

「続いて確保できた素体ですがA級以下が一〇〇余り。AA級二四。AAA級一〇にS級が一……被害を埋めてあまりありますな。もっとも、同士諸君がもう少し自重して頂ければより多くの素体が確保できたのですが」

 そういって木原が向けるのは先の戦いで矢面に立った三人のうち、青年と老人の二人だ。

「ティベリウス、アウグストゥス。貴様らが上げた戦果とはいえもう少し組織に還元しようとは思わんのか」

「カカッ、これは手厳しい。だがなウェスパシアヌスよ、アウグストゥスとは違い儂はほれこの通りの老体よ。運動のあとに体の手入れをしなければ満足な働きは出来んでな。お主とは違い儂は今しばらく戦場を渡らねばならんのだ」

 殺意さえ孕んだ木原の言葉に答えたのはティベリウスと呼ばれた老人だ。枯れ枝が和服を着ている。そう表現するのが正しいと思えるほどにやせ衰えた老人は、しかしその深く窪んだ眼窩から執念と妄執の炎が灯っているのが見て取れ、同時に木原に対して明らかな侮蔑が込められていた。
 和装の魔人が言った事に嘘はない。その体を無数の蟲によって形作っている老人にとって戦闘をすればそれを埋めるための『肉』を他所から集めなくてはならないのは厳然たる事実である。本当ならば、そのような命を削る真似を忌避する老人にとって、安穏と結果だけを受け取る木原はなるほど噴飯を感じるのは当然なのかもしれない。
 そして、青年もそれに同調する。

「ティベリウス殿の言うとおり。科学の徒である木原殿には分からないだろうが我々は力を尽くすために必要な戦利品を頂いたまで。もとより、最上級のSはそちらに譲ったはずだろうに。どうしても欲しいなら、自慢の能力者とやらで魔導師を狩ればいい」

「くっ。この屍体喰らい(ネクロフィリア)どもめ」

 木原の言葉に青年はただ肩を竦めるのみ。体の修繕に肉が必要なティベリウスとは違い、アウグストゥスと呼ばれた青年はただひたすらに自分の糧とする為に百人近い女性魔導師の子宮と心臓を抉り取っていた。
 ……もっとも、その行為自体に憤る人間はこの場所に一人もいない。木原にしても貴重な素体候補を食い散らかされ、更には二人の言葉や所作の端々に現れる侮蔑の念に対して怒りを覚えているのだけなのだ。
 しかし、だからとおめおめ引き下がる事をよしとする木原ではない。更に言葉を重ねようと口を開き、

「ティベリウス、アウグストゥス。それ以上つまらぬ事で場を乱すな。時間が勿体無い」

 鈴の音じみた声が木原の言葉を飲み込ませ、更に老人と青年の視線さえ控えさせた。
 魔女……漆黒の衣に身を包んだ十代半ばほどの少女の外見をしたその魔人は、しかしこの場で大導師を除けば最強の存在である事をこの場の全員が知っていたからだ。
 魔女は老人にその殺意交じりの瞳を向け、

「そんな些事よりも、だ。ティベリウス、例の儀式は大丈夫なのだろうな」

「なに、心配する事はないティトゥスよ。ネロ……聖杯の調整はクラウディウスの協力もあり順調じゃよ。あとは各々がサーヴァントを召喚すれば、いつでも開始する事ができる」

 のう、と水を向けられたこの場にいる最後の魔人――闇が人の容を持ったような黒い女は自分の手の甲をその場の全員に見せた。そこには幾何学的な三本のラインで構築された紋章が刻まれていた。

「これが令呪。奇跡を願うための挑戦権になるわ」

 その紋章は世界の果てから過去の英雄を使い魔(サーヴァント)として招聘し、使役するための大魔術。
 かつて冬木という街で執り行われていた七人のマスターと七騎のサーヴァントによる殺し合いによってあらゆる望みを叶える聖杯を召喚するという大儀式に用いられた代物である。
 ティベリウスはその大儀式を復活させるために十年という時を掛け、ブラックロッジという後ろ盾とクラウディウス、ティトゥスという協力者によってついに復元させる事に成功したのだ。

「ティベリウス、ティトゥス、クラウディウス。大儀である」

 その仕儀にこれまで無言だった大導師が言葉を発した。

「では、これより逆十字による聖杯戦争の開始を許可する。各々の願望を叶えるため、己の秘術を駆使せよ」

 それは酷くあっさりと下された開戦命令。
 本来、お互いの戦闘は禁止されているアンチクロス同士の殺し合いがいまこの時をもって解禁された。

「貴公らの戦場は既に万端整っている」

 そう言って虚空に映し出されたのは木原としては良く見知った日本の西東京に広がる町並み――学園都市。
 それを見た木原は皮肉げに口元を歪めた。本来、彼は学園都市側にブラックロッジの情報を送るために派遣された工作員だったのに、気がついてみれば大幹部にまでのし上がっている自分のいまの位置が彼の琴線に触れたのかもしれない。

「カリグラから既に現地で霊脈の最終調整を終えたと報告が来ている。現地に跳び、直ちに儀式を進行せよ」

 瞬!

 大導師の指令にまずアウグストゥスが転移し、ティトゥス、ティベリウス、クラウディウスが続いていく。
 最後に残された木原は儀式に参加しないが、それでもとある目的のために地上へ戻らなくてはならない。もっとも、そのための手段を用意するには今しばらくの時間が必要な計算なので、特別慌てずに戦地に赴いた同輩たちを見送った。
 それ故、滅多にはないマスターテリオンと一対一という状況に木原はふと浮かんだ疑問をぶつけた。

「大導師、貴方は誰が勝つと思われますかな?」

 これより執り行われる聖杯戦争はサーヴァントとマスターの殺し合い。七人の魔術師を用意する必要から技術協力を受けた魔術組織に一枠、あと二つの枠は聖杯が適当に選んだマスターという事になる。
 しかし、いくら敵同士とはいえアンチクロスの四人は邪魔者が混じった状態で決戦を挑もうとはするまい。ならば結果的に他の三人が排除された後に身内同士の殺し合いとなるだろう。
 ならば、果たして誰が残るのか?
 その疑問から発せられた問いに、しかし、マスターテリオンは僅かに目を細めた。

「さて、どうかな。彼の地には逆十字に匹敵する存在がいる」

「カリグラとその一党ですかな?」

 この場にやって来なかった最後のアンチクロス――カリグラの魔名を持つ魔女は元々ブラックロッジとは別個の魔術師集団からやって来た人間である。そして、マスターの一人もまた、その組織から輩出される事になっている。

「聖槍十三騎士団黒円卓……戦中の与太話と思っていたのですがな」

 かつてナチスドイツが敗戦濃厚な戦況を覆すためにオカルトに縋った結果生まれた闇の集団。その戦力は幹部でもない一騎士がアンチクロスの一角を担っている事から推し量る事ができるが、だからといってサーヴァントを得たアンチクロスに敵うとはとても思えなかった。
 それだけサーヴァントとは強力である。引いたカード次第ではマスターテリオンを屠る事が可能ではないかといわれるほどに。
 しかし、

「少なくとも、黒円卓の双首領は余に匹敵しよう。その近衛にある三騎士ならばあれらは敵うまい。いまは一時的に別の時空へ渡っているようだが……」

 カリグラからの報告で彼らを現世に帰還させる儀式が聖杯戦争と同じ学園都市にて執行されることになっていると伝えられていた。

「ならば……」

「聖杯降臨前に『愛すべからざる光(メフィストフェレス)』が戻れば、もはや聖杯戦争どころではあるまい。アレは加減がない。悉く討ち滅ぼされるだろう」

 アンチクロスの常識外れ具合を知っているからこそ俄かには信じられない言葉ではあったが、マスターテリオンが嘘を言う必要が皆無であるという事実がその言葉の正しさを証明していた。

(なんという事だ……)

 木原の知る限りにおいてアンチクロスや目の前の大導師はこれ以上ないほどの超人である。
 これらに伍する存在が他にいるなど……

「興味深い。実に興味深い」

 一刻も早く、自分も彼の地へ赴き、存分に検分したい。
 そのためには――

「一刻も早くアレを完成させねばならん。忙しくなる。忙しくなるぞぉぉぉ」

 その目に狂想を映しながら遅まきながら木原もこの場を後にした。
 常人でありながらアンチクロスの一角を担う木原幻生という人間は、しかしやはり魔人なのである。
 その背中が消えたあと、マスターテリオンは一人、虚空に映る街並みに目を向ける。

「さて、これで下準備は整ったはず」

 ブラックロッジによって執り行われる聖杯戦争。
 聖槍十三騎士団黒円卓首領を現出されるために執り行われる大儀式。
 これらはどちらも血を見ずには行えない儀式である。なによりも、それを執行する者たちが魂の隅々に至るまで邪悪が染み渡った存在たちである。
 故に、マスターテリオンの望みは叶えられる。

「悪に立ち向かう怨敵(善の極致)よ。早く余の前に立ちふさがるがいい」

 悪性が強まれば強まるほど、善性は研ぎ澄まされる。
 これほどの悪。これほどの邪悪が渦巻く魔都ならば、必ずやそこから産み落とされるはずなのだ。
 大十字九郎に成り代わる、魔を断つ剣の担い手が。

「早く来い。我が怨敵よ」

 焦がれるようなその呪詛が告げる。
 闘争の開幕を。



[21470] 第三話 黒円卓
Name: U.Y◆d153a06c ID:7e2fa1f6
Date: 2010/09/09 16:53
 その日は特別な事が何もない一日だった。
 いつも通りに起きた。故郷から持ってきたmede in japanの目覚まし時計は低血圧なんて容赦なく駆逐して叩き起こしてくれる。おかげでこれまで遅刻とは無縁な生活を送れているのだけど、それでもジリジリジリ! という金音は正直頭が痛くなるような気がする。
 いつも通りに仕事をした。上司の悪口を言い合ったり怒鳴られたり失敗した後輩の尻拭いをしたりして時間をやり過ごしているといつの間にか定時を回っている。それじゃあ、と逃げ出そうとした所を『日本人が定時に帰るんじゃねえ!』と実に差別というか偏見というかな文句をつけられて残業する羽目に。
 いつもの通りに帰宅した。あとはシャワーで一日の疲れを流したらベッドにダイブして一日終了。
 ――俺にとっての『いつも』が崩壊したのはこのステップだった。

「……は?」

 実に間抜けな声。
 そんなのが断末魔なんていやだなぁと思いながら、俺は木乃伊になって死んだ。


◇◇◇


「Wo war ich schon einmal und war so selig
かつて何処かで そしてこれほど幸福だったことがあるだろうか」

 倫敦。
 その都市の名を知らないものは少ない。

「Wie du warst! Wie du bist! Das weis niemand, das ahnt keiner!
 あなたは素晴らしい 掛け値なしに素晴らしい しかしそれは誰も知らず また誰も気付かない」

 表向きには世界でも屈指の大都市として。
 表向きには世界でも屈指の魔術的拠点として。

「Ich war ein Bub', da hab' ich die noch nicht gekannt.
 幼い私は まだあなたを知らなかった

Wer bin denn ich? Wie komm'denn ich zu ihr? Wie kommt denn sie zu mir?
いったい私は誰なのだろう いったいどうして 私はあなたの許に来たのだろう」

 表向きしか知らないものは思うだろう。今日も平和な一日が終わると。
 裏向きを知るものは思わないだろう。ここを襲う存在が世界のどこかにいるなどと。

「War' ich kein Mann, die Sinne mochten mir vergeh'n.
 もし私が騎士にあるまじき者ならば、このまま死んでしまいたい

Das ist ein seliger Augenblick, den will ich nie vergessen bis an meinen Tod.
何よりも幸福なこの瞬間――私は死しても 決して忘れはしないだろうから」

 故にこの結果は必然。
 そもそも、奇襲とはされる側が予期せぬからこそ奇襲足りうるのだから。
 自身の渇望をもって現実を侵食する。聖槍十三騎士団黒円卓の副首領カール・クラフト=メルクリウスが組み上げた秘術(エイヴィヒカイト)において第三階梯に位置する『創造』の発現。

 そのトリガーとなる聖句がいま唱えられ――



「Sophie, Welken Sie
ゆえに恋人よ 枯れ落ちろ」



 ――もって、開戦の号砲となる。


◇◇◇


 その夜、倫敦は永い夜を迎える事になった。

「クッ」

 倫敦を一望できる尖塔の上。闇の帳に包まれた街を見渡せる位置に立つ男の口元から堪え切れないとばかりに嗤いが漏れる。病的なまでに白い肌をした長身の男にとって、自分が引き起こした眼下の光景はまさしく歓喜を呼び起こす物なのだろう。
 街を行く人々は次々に干からび、例外なく枯渇して死んでいく。車を運転しているうちに吸い尽くされた者が大勢いたのだろう。あちらこちで爆音と悲鳴が起こり、漆黒の帳が下りた夜空に紅蓮の蛇がのたうち始めている。
 この夜の下にいるありとあらゆる水分が男によって吸い上げられていく。水もガソリンも血液も……悉く飲み干して残っているのは空になった肉の袋のみ。
 その光景は正しく阿鼻叫喚の地獄絵図だった。
 死と恐怖に満たされていく街並みをさも愉しげに見下ろす男の姿を余人が見たならば気でも狂ったのかと思ったかもしれない。あるいは逆に納得したかもしれない。老人……特に先の大戦を潜り抜けた経験のある者ならばむしろ男の態度を当然と受け取るだろう。
 髪も肌も白く、目元には夜だというのにサングラスをかけたその男の服装は黒の軍装に赤の腕章。そして見紛う筈もない鉤十字(ハーケンクロイツ)……ナチスドイツ、それも親衛隊の軍装を男は纏っているのだから。
 ああ、だかあの戦争はもう六十年以上も昔に終わったはずではなかったか?
 もしもそう問いかける事ができる者がいたら、その男はこう答えただろう。

「戦争再開だ、糞共。さっさと起きねえとこのまま全ン部ぶち殺しちまうぞ?」

 宣言と同時、男を囲むように彼らは現れた。
 鈍! と音をさせてどこからともなく『飛んで来た』鎧姿の騎士六名。
 その全員が鋼鉄の全身鎧に身を固め、右手に長剣と左手に大楯を装備した騎士たちは英国の魔術サイドに所属する『御伽噺に出てくる通り』の存在だ。
 即ち一騎当千の力を持ち、民草を守るために悪しき存在を切り捨てる正義の味方。
 その一団の長はヴィルヘルムの姿を確認すると最後通牒を下した。

「散れ」

 騎士の剣は閃光の如くヴィルヘルムの首へと殺到する。一本ではなく六人全員の刃が。
 多方向からの同時攻撃はいかなる回避も許さず、騎士の剣は惨状を引き起こした白貌のSS隊員を斬首の刑に処する。そう思っていたのは騎士と、僅かにその光景を目にしてしまったごく少数の人々だけだった。

「アん?」

「な、に?」

 騎士たちは例外なく驚愕する。しかし、それは自分たちの剣が敵に通じなかったからではない。
 真に彼らが信じられなかったのは、彼らが動くよりも早く自分たちが股下から脳天まで漆黒の杭によって串刺しにされていたからに他ならない。一団の長がいまだかろうじて意識を持てるのは単に剣に体重を込めるために深く踏み込んでいた事で頭まで串刺しにされなかったからにすぎない。
 それでも致命傷。
 騎士たちを貫いた杭は男の牙でもある。それ故、直接『吸い尽くされる』事になるのだから。

「ちっ。おいおいこんな程度でくたばるのか騎士サマよぉ。ご自慢の騎士道はどうした? 英雄願望の爺(ドンキホーテ)だってまだこのくらいじゃ倒れねえぞ? おい。
 そもそも、こっちはまだ名乗りも終えちゃいねぇってのに」

 しかし、その結果に一番不快感を示したのは男の方。
 彼はサングラスに隠れた両目を不愉快げに歪め、しかしすぐにまた喜悦の色に戻す事になる。

「なあ、そう思うだろう? 騎士団長殿?」

「決闘の前の口上とはまた随分と古臭い事を言う」

 斬! という刃音が男の残像を薙ぎ払う。その一閃は串刺しにされた騎士たちの遺体をも両断する。
 一見冷酷なその行動は、しかし最も正しい対処である事を男は直後に知る。杭から吸い上げたはずの騎士たちの魂が完全に粉砕されていることに気がついたのだ。
 サングラスの奥にある真紅の瞳を喜悦に歪めながら男は問う。

「……流石は騎士王の国。面白ェ得物を使うじゃねえか。そいつの銘はなんていうんだ?」

「さて、教えてやる義理はないな」

 男の前に現れたのは一本の長剣を携えたスーツ姿の紳士だ。
 それこそどこにでもいる、容姿が多少優れている程度の英国紳士は男を、続いて空を見上げてそこに輝く真紅の満月を睨んだ。

「この空間全てが貴様の腹か。これだから固有結界と言うのは厄介極まりない」

「そういうことはメルクリウスに言ってくれや。俺は便利だから使ってるだけなんでねぇ」

 おどけた調子で返すが、男の殺気は先ほどまでの比ではない。それこそこの空間全てを呑みつくすほどに研ぎ澄まされた殺意は無差別に人に襲い掛かり、街中の人々を例外なく串刺しにしていく。紳士の嗅覚はすでにこの空間を満たす臭い……溺れそうなほどに濃い血の臭いにその機能を半ば放棄しようとしていた。
 もっとも、その程度の事で彼……英国を守護する騎士を統べる長の戦意は微塵も揺らぐ事はない。

「やれやれ、ならば致し方ない。貴様の首をもって、そのメルクリウスとやらに文句を言いに行くとしよう」

 瞬! と一振り。
 それと同時に紳士の持つ長剣が赤黒い光に包まれ、やがて3mを超える長大な刃を形成した。
 これこそ騎士の長が振るう魔剣。
 斬った相手の返り血を啜る事でその切れ味を増していくといわれ、かつて英雄ベーオウルフが使っていたとされる御伽噺の剣。
 その銘を『フルンティング』と呼ばれる魔剣を突きつけられた男は歓喜を堪えられない様子で両腕を広げ、

「良いのかよ。期待しちまうぜぇ? ここんとこ碌な祭りもなかったからよぉ……溜まってんだ。その気にさせた責任を取ってくれねえとよぉ……てめえ、一瞬で吸い尽くしちまうぜ?」

 その全身から漆黒の杭が突き出す。
 聖遺物『闇の賜物』――吸血鬼ヴラド・ツェペッシュがその呪詛と怨恨を凝縮させて流した末期の血液――と完全な融合を果たしたその姿こそ、男の本領。
 その杭はあらゆる加護もあらゆる守護も貫き、生き血と魂を啜って主である男の力へとする。
 故に送られた魔名が『カズィクル・ベイ(串刺し公)』――

「聖槍十三騎士団第四位ヴィルヘルム・エーレンブルグ=カズィクル・ベイ」

「英国守護騎士団騎士団長名は……知りたければ私を吸い尽くして見せろ。串刺し公」

「上等ォッ!!」

 男――ヴィルヘルムの咆哮と同時に散弾の如く発射された漆黒の杭が騎士団長へと殺到する。


◇◇◇


 倫敦の街が白いSSに貪られている同時刻。
 英国の中枢もまた襲撃を受けていた。
 その日、バッキンガム宮殿へと攻め寄せてきた敵性戦力は僅かに二人。
 そのどちらも黒いSS服を纏い、腕に真紅の腕章を付けている事からある程度の知識を擁する者ならば黒円卓の騎士であることは一目で分かる。
 しかし、それでも守備側の騎士たちは侮っていた。
 黒円卓。
 その組織の名前は恐怖と畏怖でのみ語られる恐るべき魔術師たちの集団である。
 エイヴィヒカイトという超常の術式を扱い、その構成員は例外なく人間を超越した魔人であると彼らは多くの先達に教え込まれてきた。
 だが、果たしてそれは本当の事だろうか?
 仮にそれが本当ならばどうして六十年前の大戦で彼らは敗北し、別の次元へと逃げなくてはならなかったのか?
 騎士たちの多くは大戦後に生まれ、あるいは補充された者たちであることもその思いを強くさせた一因であるといえるだろう。
 もっとも……そんな幻想は一瞬で焼き払われてしまったが。

「Die dahingeschiedene Izanami wurde auf dem Berg Hiba
 かれその神避りたまひし伊耶那美は

an der Grenze zu den Ländern Izumo und Hahaki zu Grabe getragen.
出雲の国と伯伎の国 その堺なる比婆の山に葬めまつりき 」

 魔人の一人。
 まだ十代の半ばを過ぎたかどうかと思しき少女の手には黒塗りの太刀が握られている。
 日本刀として知られている反りの強い物ではなく、古い祭具に用いるような両刃の直剣を構えた黒髪の乙女は、しかし騎士たちから見れば魅了されたら逃れられない死神である。

「Bei dieser Begebenheit zog Izanagi sein Schwert,
 ここに伊耶那岐

das er mit sich führte und die Länge von zehn nebeneinander gelegten
 御佩せる十拳剣を抜きて

Fäusten besaß, und enthauptete ihr Kind, Kagutsuchi.
 その子迦具土の頚を斬りたまひき 」



 Briah
 創造



『Man sollte nach den Gesetzen der Gotter leben.
 爾天神之命以布斗麻邇爾ト相而詔之』

 そして、それは間違いではない。
 轟! と振り抜かれた太刀は受け手の剣ごと持ち主を焼き殺した。漆黒だった髪を真紅に染め上げた少女は既にその存在自体が人間ではなくなっている。
 唯一つの願望(焔)を絶やすことなく燃やし続ける。自身は独りであっても輝き続ける恒星でありたいという彼女の渇望を具現化させたいまの少女は人の形をした焔である。触れるもの、立ちふさがるもの尽くを焼き尽くしてバッキンガム宮殿を蹂躙していく。
 宮殿守護を預かる騎士団屈指の精鋭たちを歯牙にもかけず、むしろ斬り捨てると同時に魂を吸い上げて更に自分の力へと変換する事ができるエイヴィヒカイトの使い手である少女にとって、この戦場は餌が向こうから飛び込んでくる餌場であった。

「くそ……くそくそくそッッッ」

 ただ蹂躙されるだけの存在である。
 そう悟ってしまった若い騎士の一人がいま一人の魔人へと襲い掛かる。
 こちらは少女のような理不尽な暴威を振るっているわけではない。
 男は手にした槍で渡り合い、凌ぎ合い、純粋な力量を持って騎士たちを抹殺していく。
 その手にした真紅の魔槍は戦いはじめからこれまで心臓以外を貫いてはおらず、魔人はこの場を監督する部隊長を皮切りにすでに二十以上の心臓を奪っている。
 あるいはそれこそが若い騎士を魔人に向かわせた原因かもしれない。
 その部隊長は彼の父親だったのだから。

「くそおおおおっっっ」

「いい気合だ小僧っ!!」

 渾身の一撃が振り下ろされる。それより速く、男の魔槍は騎士の心臓を貫く――はずだった。

「むん?」

「これ以上わが国の騎士を殺されてはたまらないの」

 真紅の閃光から騎士を救ったのは本来彼らに守られているはずの姫であった。
 英国王室第二王女キャーリサ……宮殿の最奥にて現在黒円卓によって引き起こされている大惨事に対応していた『軍事』の王女は真紅のドレスを纏い、その手に無骨な剣を持って戦場に現れた。

「さてと、強盗には速やかに退場してほしいの。こちらはいま非常に面倒くさい術式を準備しているんだし」

「その術式を潰すために我々が来ているのです。王女様」

 キャーリサの背後から少女の声がする。その言葉を肯定するように魔槍の男も肩をすくめ、

「そういう訳だ。出来れば奥で引っ込んでてくれるとありがたいんだが」

「女とは戦えないと?」

「気が進む話じゃねえのは確かだな。女とやりあうなんざ閨の中で十分だ」

「下品よ。ランサー」

「ぬおっ!? あちっ!? じょ、冗談じゃねえかマジになんなよ嬢ちゃん」

 突然燃え上がった自分の前髪を叩きながら槍使いの魔人が少女に文句を言うが、焔の少女は涼しい表情で完全に無視した。

「……漫才がしたいならストリートにでも行けば良い。大道芸の届けをすればどこでやってもお金が取れるだろうし」

「残念ながら、そうも行かないのです。王女様」

 呆れるキャーリサに少女は自身の聖遺物(やいば)――『緋々色金』を構える。

「聖槍十三騎士団黒円卓第五位櫻井螢=レオンハルト・アウグスト。参ります」

「来ればいいの小娘。大天使の力というものを教えてやる」

 キャーリサが宣言すると同時、周囲の騎士たちが意気を吹き返す。
 その様を横目に見ていたランサーの瞳にも一瞬歓喜の色が浮かぶ……が、それもすぐに消火された。

「嬢ちゃん、撤退だ。変態神父が目的を達したってよ」

「……」

「あーそう不満そうな顔すんな。ベイも切れて暴れてるらしいから拾って帰るぞ」

「分かってる」

 表面上は無表情に、しかし内面ではどう思っているのか。それを思うとランサーは駄々っ子二人のお守りか……と多少背中を煤けさせる。

「ここから逃げられると思うとは良い度胸だし」

 しかし、それでそのまま逃がすほど騎士たちは甘くないし、彼女たちのした行為も許されるものではない。騎士たちと第二王女の戦意は更に激しく燃え上がろうとする。
 だが、その機先を再び制したのはランサーだ。

「貴様らが召喚しようとしてた神はこちらで討った。戦士を無駄に死なせるのは無能な王がする事だぜ? 姫様よ」

「……なに?」

 その場にいる全ての人間が僅かに動きを止めた瞬間を逃さず、ランサーと少女はその場を離脱した。建物の壁をぶち抜くという派手な逃走の手段もさることながら、ランサーが残した言葉に呆気に取られたキャーリサたちであったがやがてその言葉が真実であるのだと分かる。
 数秒後にやってくる『必要悪の教会(ネセサリウス)』と時計塔の崩壊を告げる伝令が最初にキャーリサに告げたの物が正しくその情報だったのだから。


◇◇◇


「と、言う訳で此度の儀式では余計な手出しをする余裕は英国には残されてはいないでしょう」

「なんていうか、私がいない間にこっちはこっちで随分と忙しかったのね」

 学園都市にある古びた教会の一角――しかも懺悔室という空間にはあまりに似つかわしくない話題を交えながら、黒円卓の首領代行――聖餐杯ヴァレリア・トリファ=クリストフ・ローエングリンはブラックロッジへと出向していた同輩……聖槍十三騎士団第八位ルサルカ・シュヴェーゲリン=マレウス・マレフィカルムへと現状を説明した。
 ヴァレリアは神父の服装をしているし、ルサルカも一般的な女子高生の服装をしているから一目には実に一般的な構図に見えるのだが、その会話の内容があまりにもきな臭く血生臭い。

「それにしても首都を襲撃しただけじゃなく時計塔や必要悪の教会まで潰して大丈夫だったの? 下手をしたら恨み骨髄で私たちの邪魔をしてくるかも」

「なに。そんな真似をすればローマ正教が漁夫の利を狙って蠢動するようにシュピーネに動いてもらっています。ロシアとフランスはもとより、アメリカも大統領を殺されたくなければ動かざるを得ない」

 そういうヴァレリアの手にある新聞には『倫敦にて過激な宗教テロ!? 米国では大統領夫人が謎の変死を遂げた事にも関連が!!』と報じる新聞がある。無論、三流四流のゴシップ誌の類だがこういった報道はネタが真実であると思わぬ効果を発揮してくれるものなのである。

「……あの男がそんなに熱心に仕事するなんて珍しいわね」

 それだけの裏工作をした同輩のことを思い出しながらルサルカが胡散臭そうな表情をする。おそらく黒円卓の誰が聞いたとしても同じ反応をしたと思われるだけに、ヴァレリアも特別気にかけずに自分の推測を答えた。

「なに、彼もハイドリヒ卿が戻られた後のことを考え出したのでしょう。であれば、勤労に励む同士の助力をするのは現場を預からせていただいている私の仕事だ」

 そうなの? と明らかに信じていない調子で返すルサルカだが、元々彼女は誰がどこでどう死のうがあまり気にしない質である。その話題はこれまでとヴァレリアは話題を切り替えた。

「むしろ、私の興味は貴方がブラックロッジの大導師から監視を命じられた幻想殺しの少年にあるのですがその辺りはどうなのでしょうか? マレウス、貴方ならばある程度は分かるのではないのですか?」

「さあどうかしら。基本的に接触する事は禁じられていたし? まあ私が知る限りはきっちり異能を消し去っているようだけど、私たちの聖遺物まで消せるかどうかは試してみないと分からないわね」

 言いながらルサルカの脳裏に浮かぶのはツンツン頭の少年。
 その右手に宿る異能はありとあらゆる異能を打ち消す『幻想殺し』の力を持つという。
 もしもそれが真実異能を全て打ち消す事ができるなら、彼は黒円卓の騎士にとって最悪の存在といえる。
 騎士たちはその身に聖遺物――聖人の遺物の事ではなく数多の血を啜り、伝説や逸話を孕んだ物品をその体に取り込み、さらに他者から奪い去った魂を燃料として超常の魔人として活動する。
 しかし、もしもその核である聖遺物を破壊されたならどうなるか?
 答えは明瞭。超常の力を制御しきれずに破裂する。
 本来は格の違う聖遺物同士がぶつかりでもしない限りは起こりえない現象だが、上条当麻の右腕はそれを用意に可能にする……かもしれない。

「ねえクリストフ。本当にアレは放置でいいのかしら? なんなら、いまからメールして此処に来てもらう事もできちゃうんだけど」

 ついさっき学校が終わって分かれたばかり。なら、いま携帯に連絡を入れれば簡単に呼び出す事ができるだろう。最期にいい思いをさせてあげるためにも恋する乙女仕様でいけば9割方上手く行く自信が彼女にはあった。

「聖遺物の破壊……もしそんな事が可能なら、彼はハイドリヒ卿を妥当しうる。いくら彼だって自分の聖遺物を壊されたら耐え切れないでしょうし」

「なるほど……なるほど確かに貴女の言うとおりだ」

 不確定な要素はここで排除してしまうのが最善であるはず。
 だが、

「ですがマレウス、こんな諺をご存知でしょうか? 藪を突いて蛇が出る、と」

「……余計な事をしても厄介事を招く結果にしかならない。そういうこと?」

「ええ。少なくとも私はそう思います。なるほど、確かにその少年は聖遺物を破壊する可能性がある。ですが、あくまでそれは可能性だ。それよりはより明確な脅威や障害に注力した方が良い。少なくとも、我々の頭上にはおぞましいもう一頭の獣がある訳なのですからね」

「そう……それもそうね」

 二人同時に頭上へ一瞬視線を向ける。
 古びた教会の天上を貫き、二人の魔人は東の空から姿を見せ始めた月を睨みつける。

「そうだクリストフ。開戦はもうすぐなんでしょう? なら、第一は私に譲ってくれないかしら? 色々と面倒な仕事を最後に押し付けられたのよね」

 改めて視線を向け合ったルサルカからの提案にヴァレリアは僅かに驚いた。彼が知る限り、この魔女は一番槍の誉れを欲するような人物ではなかったからだ。

「ほう。アンチクロスとして聖杯戦争には参加しない予定だったのでは?」

「そうだけど、なんだか聖杯の面倒を押し付けられちゃったのよ。まったく、儀式の最重要部分をないがしろにするなんてどうなっているんだか」

「聖杯というと我々で言うテレジアに当たる女性の事でしょう? こう言ってはなんですが、マレウス以外に適任がいない時点でアンチクロスも終わっていますねぇ」

 余計なお世話よ、と残して懺悔室を出ようとするルサルカだったが、ふと思い立って最後の問いを投げかけた。

「それでクリストフ。英国がやろうとしていた儀式ってなんなの? 確か、メルクリウス直々の指示だったそうじゃない」

「ああ、あれですか。いや、最初は私でなければならないと言われた時は遠まわしな処刑なのかと思いましたがね。現場に着いてみれば納得しましたよ。ええ、あれほどの儀式では私が行かなければならなかった」

 ヴァレリアはその時のことを思い出したのか胸元で十字を切ると深い息をつき、

「異界の神を召喚し、使役する。狂気じみた大禁術を実行してなおかつ成功させてしまう……ラバン・シュリズベリィ卿とキシュア・ゼルレッチ・シュパインオーグ卿はその勇名以上の方々でしたよ。正しく、現状での世界最強は彼らだった」

 その両名の名前はルサルカも知っている。
 というよりも魔術の世界に一歩でも足を踏み入れたなら誰もが知っている名前だ。
 年老いてなお、邪悪を滅する正義の味方。
 御伽噺に現れる人類の守護者として活動している二大魔術師はブラックロッジと黒円卓の暗躍に対抗するため、遠きセラエノより魔神を呼び出して戦力としようと画策していた。
 それに英国の『天使の力』を扱える現女王が助力する事でその大禁術は成功させてしまったのだ。これはブラックロッジ、黒円卓に限らず闇に蠢くあらゆる組織にとって終末のラッパの如き事実となる。
 ……本来ならば。

「非常に残念でなりません。あれほど偉大な方々でもやはり聖餐杯は砕けなかったのだから」

 最後の一言が零れた時、聖餐杯の口元には凄絶な笑みが浮かんでいた。
 異界より召喚する理不尽の権化。御伽噺の化身。強壮無比たる鬼械神すら打倒した聖餐杯はここに儀式の開始を宣言する。

「ブラックロッジが動き出した以上、こちらも動かざるをえませんね。アンチクロスは別にどうでもいいですが、彼らが招聘するサーヴァントは見逃せない。その高潔な魂は至高天に捧げるに値する。ツァラトゥストラも舞台裏で準備をしているようではありますし問題ないでしょう。
 ではでは、これにて開戦と致しましょう。ハイドリヒ卿の凱旋に相応しき屍の道を築きましょう。ベイもマレウスも、レオンハルトもバビロンも黄金の祝福を願うなら存分に奮い、殺すがよろしかろう。
 我らに勝利を(ジークハイル)」

「「「勝利万歳(ジークハイル・ヴィクトーリア)」」」

 終末の刻を告げる笛の音が、神の家に木霊する。



<よろしい、ならば始めよう。今宵この時より混沌たる恐怖劇(グランギニョル)を>



 舞台裏。
 影絵の詐欺師もまた承認する。
 それは奇しくも、あるいは必然として、七頭十角の獣の宣言と完全に同期していた。
 ここに学園都市を舞台とした混沌の恐怖劇がその幕を開ける。



[21470] 第四話 赤い夜
Name: U.Y◆d153a06c ID:7e2fa1f6
Date: 2010/09/04 22:44

「結局この違和感がなんだったのか分かんなかったなぁ」

 ツンツン頭をガシガシと引っかきながら上条当麻は夕暮れの街並みを歩いていた。
 12月の夕暮れは早い。まだ四時を半ば過ぎたくらいだというのにもう空は茜色に染まっていて、道行く人々はそれぞれが足早に自分の目的地へと向かっている。
 その中の何割かは彼氏彼女と思しきリア充たちであるのが自分の違和感の正体なのかも知れない、と八つ当たり気味に考えながらなんとはなしに街並みを眺めていると凄まじい音を伴って空を横切る影が五つ。
 それが噂にもなっている警備員の新装備である事は容易に想像できる。
 いかに科学の最先端、異能を科学的に解析してみせた学園都市であってもその姿はあまりにも異様であり、同時に威容を感じずにはいられないものだった。

「……世の中変わったんだなぁ」

 貪! と空気が破裂する音に見上げた空には翼の生えた人間が……正確には人型の強化装備を身に着けた警備員の姿があった。外見的には昔の漫画とかに出てくるロボットを人間大にまで小さくしたような感じ。背中にあるジェット機めいた翼が動くたびに宙返りだとか急旋回だとか中々アクロバティックな機航を見せている。
 零伍式竜騎兵――釼冑(ツルギ)と呼ばれるその新装備は被装備者の身体能力を増強し、単独で十人の強能力者(レベル3)を制圧可能な戦闘能力を発揮できるという代物だ。
 そんな凄まじい兵器が頭上を飛び交っているというのに街を歩く人々の顔に驚きの顔はない。精々が珍しいのが見えてラッキーという程度のもの。どうやらこの釼冑と言う装備は上条が思っている以上に浸透しているらしい。



<さて、それは果たして正しいのかね?>



「? なんだいまの」

 ずきんと一瞬走った頭の痛みに眉根を寄せる。走らせた視線にいまもピーガー言っているスピーカーが。どうやらアレから出た高音に耳が刺激されたようだ。そのまま視線を下ろすと何故だかそのスピーカーの周りに人だかりが出来ていた。

(なんだあれ)

 何故か出来上がっている人だかりに、しかし上条はこっそりと遠ざかろうと試みた。
 基本的に不幸な上条にとって人だかりというのは中々にデンジャラスな空間である。なにがどうしてこうなった、と思わず呟いてしまうような不幸にめぐり合った事は過去に数限りなく……だからこそ、障らぬ神に祟りなしを実践しようとしたのだ。
 もっとも、この世界の神様は障ろうが何しようが基本人間を弄ぶ人格破綻者な訳で。

「レッディィィィイイスェェェンドジェントルメェエエエン! 我輩の歌を聞きに良くぞ集まってくれたのである」

「あ、なんか不幸になりそうな声がする」

 思わず漏らした言葉は、しかしすぐに鳴り響いたエレキギターの音に掻き消された。周囲の人だかりもこの時点で何か不穏な気配を感じたのか全員が一歩後ろに後ずさる。
 そうすると、まるで狙ったかのように上条とギターをかき鳴らしている人物の間にあった人の壁が消失した。
 人垣を割って上条の視界に入ったのは白衣を纏ったなんだか緑色の髪をした変な中年の男だった。
 白衣の下は黒のライダースーツみたいなつなぎを着ていて、身長は高めで顔立ちだって決して悪くない。悪くはないが……決定的に一般人として大切な何かが欠けているのが一目で分かった。なんというか王気(オーラ)が違う。
 何故ならその怪人物。何故か顔面に手足を付けたようなロボットらしきものに乗り、その上で通行人たちからの視線を無視してエレキギターをかき鳴らしているのだから。
 かつて学園都市にやって来たシェリー・クロムウェルも似たような事をしていたが、あちらは常識とか物理法則に喧嘩を売っている魔術師がする事なので上条的には例外としてカウントされている。
 しかし、いまこの場所に魔術師らしき存在はなく、明らかに科学技術で動いているっぽいロボットの存在が余計にその男を『学園都市の変態』としての印象を強めた。自分の生活圏に変態がいる、というのは中々に重たいダメージを叩き込んでくれる。

「こ、これが真性変態の放つオーラなのか!?」

 無駄に精神的なショックを受ける上条の様子にエレキギターの白衣男が反応した。

「ふっふっふっ。そこな小僧、我輩を常人ではないと見抜くとは中々見所があるのである」

「しまったぁぁぁっ!」

 さっさと逃げればよかったものを相手の関心を引いてしまった。それと同時に周りの人々が上条からも離れていく。俺もそっちに行きたかったと半ば諦めながら白衣男にとりあえず気を引いてしまった責任(?)にとみんな思っているであろうことを尋ねてみた。

「えーっと、あんたこんなところでなにしてるんだ? それ、どっかの大学かなんかの新発明?」

「ふむ、良い質問なのである」

 バサッと翻る白衣。やかましくなるギター。
 その上で人体の構造上不可能っぽいポーズを決めた白衣の男は高らかに名乗りを上げた。

「我輩の名はドクターウェスト。一億光年に一人の大・天・才。そして、このロボットこそが我輩が開発した無敵ロボ試作第一号『裸眼』である」

『……ドクター、光年は距離っす』

「「『………………』」」

 ロボット――『裸眼』とやらから聞こえた突っ込みに周囲が一瞬無言となる。
 しかし、ドクターウェストはすぐに気を取り直した。

「まあ、この辺り一帯一億光年圏内に我輩以上の天才はいないので問題ないのである」

『それなら問題ない、のか?』

「いや、あるだろ」

 反射的にロボットの中の人に突っ込みを入れるがドクターウェストにしろ中の人も一切気にしていない。白衣の狂人は満足した様子で再びエレキギターをかき鳴らし、ビシッと見得を切るように上条へと指を突きつけた。

「と、言うわけなのでそこの小僧。貴様を我輩の偉大なる世界征服の犠牲者第一号にしてやるのである。神様や仏様や蛇や三つ目が通るあたりに感謝しつつ光栄に思うが良い」

「思えるか!」

 咄嗟に翻そうとする上条の視界にまるで大砲のようにエレキギターを持ち上げたドクターウェストの姿が映る。
 パコッと軽い音がして開いた穴からその身を覗かせているのはロケット弾。

「……ふ、不幸すぎる」

「ロォォッッックンロォォォォォル!!」

『はいはい。見学者はどいてないと大怪我じゃすまないぞー』

 中の人がなんか疲れたような声で警告を発しているが、その優しさは上条には向けられない。一頭身の『裸眼』はピコーンと軽快な音をさせて起動する。

「浜面ぁッ! アレで行くのである」

『了解ドクター。無敵ドリル起動っ』

「……意外とノリノリだよなアレに乗ってる奴」

 全力疾走しながら背後から聞こえてくるぎゅおおおおん!! なんて恐ろしい機械音に振り返るとロボットの両手が変形してドリルになっているのが見える。機械音はその掘削機が高速で回転している音だった。それに驚いた周囲の人々は耳を塞ぎながら遠ざかり、それが結果的に先程と同じように上条への進路を開く事になる。
 いまはむしろそれで良いと思いながら上条は全力で地面を蹴りつけた。


◇◇◇


 上条当麻は幸が薄い。きっぱりといえば不幸である。
 街を歩けば不良に絡まれ、家にいれば財布をなくす。カードが折れる。なんだかよく分からない理由で喧嘩を売ってくるビリビリ中学生の電撃で家電が全滅する事も数回あった。
 もう一度言おう。上条当麻は不幸である。
 故に、彼はこの街において厄介事に巻き込まれた際の逃走ルートをいくつも承知している。不良たちを上手く撒く手段もなく、今日まで生き残る事など不可能だったのだから!
 が、しかし。


 爆!!


 それでもなお無敵ロボは振り切れない。
 障害物に利用した建物も車も警備員の一団も無敵ロボは一切合財を貫き、粉砕し、破壊して上条を追跡してくる。

「ぜぇぜぇ……ちっくしょう! 何だってこんなにしつこいんだよ」

「えひゃーっはっはっはっ! そらそら逃げろ逃げろである!!」

『前方空けとかないと危ないぜぇっ!』

 がっすんがっすんアスファルトをへこませながら追いかけてくる無敵ロボの速度は割と遅い。上条の全力疾走よりもやや遅いくらいか。先程から上条を襲っている攻撃の殆どはドクターウェストが放ってくるロケット弾によるものだ。
 もしかしたら無敵ロボを操縦している人間が意図的に手加減をしているのかもしれないがリアルに寿命がストレスでマッハな上条には酷くどうでも良いことである。

「くそっ。どうすりゃ良いんだよこれっ」

 上条の右手にはそれが異能の力であるなら神様の法則すら打ち消す幻想殺しの能力が宿っている。いままでのピンチはなんだかんだでこの右手でなんとか潜り抜けることが出来ていたが、いま彼を襲っているのはれっきとした兵器である。
 鋼鉄を打ち抜く超電磁砲や大天使の力を打ち消す事は出来る右腕もロケット砲が直撃すれば吹き飛ぶのは当然の如く上条の方である。
 頼りにしていた警備員は何故かその動きが鈍い。無敵ロボを挟んだ向こう側には警備員の車両が数台あとを追跡しているがドクターを攻撃する事も停止命令を叫ぶ事もしない。
 その動きはまるで上条以外に被害が向かないように注意をしているか、あるいは何かを待っているかのようで。

「ちくしょうっ! 不幸だああああ!!」

 いつもの台詞を絶叫したその直後――


 破凛 


「……え?」

 硝子が砕ける音がして、視界の全てが真紅に染まった。

「なんだ、これ」

 突然変異した視界に蹈鞴を踏みながら足を止める。そうして気がついたが背後から追って来ている筈の無敵ロボもそれを追っていた警備員の車両もなくなっていた。
 全てが赤く染まった世界でただ一人、上条当麻だけが立っている。

「えっと、助かったのか?」

 とりあえずの脅威は消えたが代わりに理解不能な現状になってしまった。見渡す限りそれまで逃げ回っていた学園都市の街並みに変わりはないが空が異常に暗い。見上げた空は見たこともないほど赤黒いものになっている。その現象はまるで今年の夏に起こったとある事件を思い起こさせる。

「まさかまたどっかで親父がやらかしたんじゃないだろうな」

 前科があるだけに否定できないからなー、と頭をガシガシと掻きながら原因を考えてみるが情報が圧倒的に足りない。

「仕方ない。とりあえず寮の方に行ってみるか」

 人気がまったくなくなった世界にインデックスがいるとは思いたくないがこういった神秘(オカルト)関係の情報は彼女に聞くのが一番早い。そう思って歩き出した上条の視界に何か動く物が見えた。

「……何なんだ、ありゃ」

 うぞうぞと蠢くそれは見たこともない異形。
 コールタールのスライムと適当に人間の部位をあちこち混ぜたような姿をした怪物は上条の存在に気がつくとまるで悲鳴のような声を上げて襲い掛かってきた。

「うわっ」

 咄嗟に右手を翳して背筋に冷たい感触が走る。
 仮にこの生物が学園都市謹製の謎生命体なら、それだけで上条の右腕は食い千切られるだろう。一瞬その想像が脳裏を埋め尽くし――軽い音をさせて異形が弾けとんだことに心底安堵した。

「本当に、一体全体どうなってやがるんだ」

 まるで分からない、理不尽極まりない状況だがただ一点だけ分かったことがある。
 それは此処が非常に危険であり、自分以外の誰かが取り込まれていないなんていう保障がどこにもないこと。
 特に神秘に関わりがあるとあるシスターがもしもこの世界に取り込まれていたら……それはあまりにも危険極まりない状況だった。

「くそっ。インデックス、家の中でじっとしていてくれよ」

 ついさっきまでの全力疾走でがくがくしそうな膝に気合を入れて走り出す。
 一刻も早く寮へ。
 そう願って走り出そうとした上条の目の前にその人物は突如飛び降りてきた。

「「なっ!?」」

 飛び降りてきたのは上条と同年代と思しき少女だ。髪も服もこの世界と同じ、けれど明らかに違う赤色。波打つ赤髪を背中まで伸ばした彼女の手には何故か黒い刀身がギラリと光る日本刀が握られている。

「なんだろう。凄い既知感(デジャブ)を感じるんだが」

「なんだこいつ」

 疑問の声を口にしたのは少女の後ろに音もなく着地した少年。こちらは上条よりもやや年下くらい。服装も何故か木製の杖っぽいものを持っている以外は黒い学ラン姿と見慣れているといえば見慣れている格好をしている。
 だがしかし、上条は少女の方を見た時点で確信していた。
 また魔術がらみの厄介ごとに巻き込まれたのだという事を。

「っ! 伏せろっ」

「へ?」

 一瞬状況も忘れて呆然とした上条を少女が引き倒した。何事かと問うより速く、少女が少年に向かって鋭く叫ぶ。

「ライダー!」

「人使いが荒いマスターだなっ!」

「うおっ!?」

 何事!? という問いはぐるんと回る視界に答えがあった。
 上条たちのすぐ真上。赤く変化した空に先程の異形が集結している。その数はざっと見た限りでも二十を超える。例え幻想殺しがあるとはいえ、同時に多方向から襲い掛かられたなら為す術もない。
 まずいと思ったのと、異形が突撃を開始した事。
 それと少年の言葉は同時だった。

「この手の術は得意じゃないんだけど……お前たちみたいな奴にはうってつけだな――<朏の陣>」

 瞬間、魔術に疎い上条にも感じられるほどの圧迫感と共に錫杖の先から三日月の光が無数に放たれる。
 それに触れた異形が霧のように消えうせていき、全ての異形を消滅させるまで物の数秒も掛かる事はなかった。

「ふぃー。こんなもんかな」

「ご苦労だったなライダー。しばし休め。傷がまた開いては今度こそ命取りになりかねない」

「了解。そっちの奴への説明は任せた」

「分かっている」

 なにやら二人で話がついたのかと思った直後、少年の姿がやはり霧のように消えた。
 それらの現象は一つ一つなら超能力でも説明はつくが、基本的に学園都市の能力者は一人につき一つの能力しか使えないという原則がある。多重能力者の成功例でもない限り、彼女たちは魔術師であるということはこれで確定した。

「あーえっと……とりあえず、サンキュウ」

「いや、私の方が巻き込んでしまったのだろうからな。君が謝る必要はないよ」

 上条には視線も向けずに周囲を警戒しだす少女は、しかしふと何か思いついたの改めて目を合わせた。

「……ああ、なるほど。君が上条当麻か?」

「え、あ、そうだけど……」

 そっちは誰? と聞きそうになり一瞬つまる。
 上条当麻は今年の夏休みの初日以前の記憶がない。
 その事実をひた隠しにしている上条にはその少女が以前からの知り合いなのかどうかの判断が一瞬つかなかったのだ。冷静になれば少女の物言いで気がつくところだろうが、この数分の展開に一時的に彼の思考がストップしていた。
 しかし、その葛藤はすぐに終わる。上条の態度に少女は少しばつの悪そうに柳眉を歪めると、

「すまないな。私は知り合いから君の名前を聞き及んでいたのだ」

「あ、そうなのか」

「ああ。土御門元春は知っているだろう?」

 知らないはずがない。上条にとってはお隣さんであり悪友であり戦友でもある男だ。なおかつ学園都市と英国の魔術結社の二重スパイを行っている侮れない男である。
 だからこそ合点もいく。

「あんたも『必要悪の教会(ネセサリウス)』の人なのか?」

 土御門元春の魔術側の所属は英国に本拠を置く『必要悪の教会』である。そこに所属する魔術師とは敵対したり敵対したり死闘したり時折共闘したりと何かと縁があるため、上条としても身近な相手と言える。
 もしそうなら土御門とも協力してこの状況に当たれる、という予想を立てる上条だったがそれは少女が発した一言で完膚なきまでに粉砕された。

「いや、私は違うよ。あれとは昔、婚約者だった縁でこの街に来る前に多少連絡を取り合っているだけだ」

「へー……NANDALTUTE?」

 いま、この少女は婚約者だった、といったのだろうか?
 誰と?
 まさかあの真性ガチシスコン将軍土御門元春と?

「HAHAHA……やっぱりこの世界は間違ってる。少なくとも神様の性格は破綻してる間違いない」

「どうかしたのか」

「い、いや。なんでもない。きっと聞き間違えだから」

 一瞬聞こえた宇宙言語は記憶領域から破壊する事にして、上条はとりあえず一番の疑問を口にしてみた。

「あんた、名前は?」

「ああ。名乗りが遅れたな。私の名前は草壁美鈴。マスターの一人に選ばれ、この戦争に参加している」

 そう言って少女――美鈴は両手に嵌めている白い手袋のうち、右手のそれを外して見せた。
 ほっそりとした白い手の甲には三つの線で形成された紋章が浮かんでいる。

「聖杯戦争。君は土御門から聞いていないか?」

 鈴のような声で告げられるそれは。
 神と邪神の脚本に一滴の墨が落ちる音になる。



[21470] 第五話 聖杯戦争
Name: U.Y◆d153a06c ID:7e2fa1f6
Date: 2010/10/08 00:34


「ぜぇ……この辺りなら大丈夫か?」

「あまり安心するのもまずいが……差し当たり、ここなら空から強襲される心配は少ないだろう」

 上条当麻は赤い夜に包まれた世界で出会った魔術師・草壁美鈴と共に最寄のショッピングセンターに入りこんだ所で一息つくことにした。
 彼女と出会う寸前まで変態+ロボに追われていた&彼女が『闇精霊(ラルヴァ)』と呼ぶ異形の怪物に追い回されていたせいで足がパンパンになってきた所だったこともあり、上条はホッと息をついた。

「えーっと……草壁さん、だっけ?」

「好きに呼んでくれて構わないよ。年齢は私の方が一つ上なのだろうがこんな状況で敬語では話しづらいだろう? 私は上条君と呼ばせてもらうが良いだろうか」

「オッケー。ならこっちは草壁で。……んにしても、タフだな。なんか魔術でも使ってるのか?」

「特には。私は獲物がこれだから多少は体の方も鍛えているんだ」

 そういって美鈴が示したのは彼女が持つ漆黒の刀だ。これまで何体もの闇精霊を斬り捨てたというのにその輝きは衰える事はなく、むしろ冴え冴えとした迫力が増しているように見える。その持ち主である美鈴の顔色も涼しいもので、上条としては少しだけ微妙なものを感じてしまう。
 しかし、いまはそれよりも気にするべき事柄が山盛りであるため一旦考えを切り替えた。

「そんであんた学園都市で一体何してるんだ? 聖杯戦争ってのは一体なんなんだ」

「……ふむ。多少余裕もありそうだし、とりあえず現状の説明はしよう。まずは聖杯戦争からになるが……上条君、君は聖杯と言うものを知っているか?」

「えーっと……悪い、あんまり神秘(オカルト)関係の知識がないんだ。ヒトラーとかが欲しがってたんだっけ?」

「どうしてそんな知識だけ持っているのか不思議だが……一般に聖杯というと神の子が処刑された際にその血を受けた杯の事を言う。ローマ正教が『本物』とする物は聖霊十式の一つとしていまもヴァチカンの方で保管されているはず」

「……ちょっと待て。じゃあなにか? いつかの使徒十字(クローチェディピエトロ)の時みたいに誰かが盗んでそれをあんたらが奪い合ってるとかそういう状況なのか!?」

 上条の脳裏に浮かぶのは学園都市の運動会である『大覇星祭』の裏側で巻き起こされた大事件だ。オリアナ・トムソンとリドヴィア・ロレンツェッティによって引き起こされたその事件は紆余曲折あって解決する事が出来たとはいえ、上条自身も友人たちも大きな傷を負う事になった。
 それと同じような事態になっているのかと思うと、

「いや、あの時といまの状況は別物だよ。そもそも、ヴァチカンに保管されている聖杯と今回の『聖杯』はまったくの別物なんだ」

「うん? それってどういうことなんだ」

「詳しく説明すればややこしくなるからざっくりとした説明になるが……今回この学園都市で行われる戦争の景品に掲げられているのは”手に入れた者の願いを叶える”霊装だと思って欲しい。それが如何に荒唐無稽な願いであっても叶える性能を持つ霊装を総じて『聖杯』と呼称しているんだ」

「七個集める龍が出てきたりするアレみたいな?」

「こすると魔神を呼び出せるランプでもいい。聖杯戦争と言う魔術儀式はそれら『願望器』を奪い合うために執り行われる争奪戦のことだよ。場所や物によって色々あって……誰よりも速く謎を解き明かした者が手に入れる、誰よりも多くの富を費やすことで手に入る、あるいは誰よりも高潔であり続ける事で手に入ると言う具合に勝利する条件も千差万別ある。
 今回、この街で行われる聖杯戦争の勝利条件は『他の参加者全てを排除』すること」

「……つまりはバトルロイヤルか」

「その通り。まあ、より正確にいうなら聖杯の力で呼び出した使い魔……神話や伝承に現れる英霊たちを現代に召喚してぶつけ合い、その勝敗で決着をするのだが……最終的にマスター同士の殺し合いに発展してしまう事がほとんどらしい」

 そう言って草壁は若干困った表情をする。
 その反応に上条は違和感を覚えた。彼の知る魔術師と言うのは誰も彼もが己の目的のためなら手段を選ばない人間ばかりであり、彼自身滅茶苦茶な理由で命を狙われた事は一度や二度ではない。なのに、いまの美鈴はまるでこの儀式に参加する事が本意ではないように見えた。

「……もしかして、あんた無理矢理参加させられたのか?」

「無理矢理、と言うと語弊はあるが……少なくとも私は万能の願望器なんて物に興味はないよ。今回の聖杯は参加者を自ずから選び、選ばれた側に拒否権がない。まあ、幸いと言うべきか、私の召喚したサーヴァントも変わり者らしく特別どうしても叶えたい願いと言うものはないらしい」

 そう言って、彼女は一瞬虚空を見て少し深く息をつく。

「……私がこの聖杯戦争に参加する理由はただ一つ。この戦争に参加する他のマスターによる一般人への被害を最小限にするため、土御門を頼りにこの街へと潜入したのだ。もっとも……待ち伏せして抑えるつもりが逆に待ち伏せされてしまっていたようだが」

 最後に若干苦笑気味にいう草壁の表情に嘘は見られない。そう確信した上条は再び安堵の息をついた。

「そっか、なら良かった」

「うん? 何が良かったなんだ?」

「あんたが聖杯に興味がなくて、だよ。何が何でも聖杯が欲しくて、そのためならどんな事でもするって言うなら止めなくちゃならないだろ? こんな規模の戦いを街中でやられたらまずいなんて話じゃないからな」

 もし、草壁美鈴が聖杯を欲するために無関係の誰かを巻き込むと言うのなら、それを知ってしまった者として上条当麻も黙って見過ごすわけには行かない。両者の激突は免れないものとなるだろう。
 しかし、そうならなくて良かったと上条は心から思ったのだ。例え何かの間違いだろうが神様の誤謬だろうが友人の許婚を殴るというのも気がひける事には違いないのである。
 一方で、上条の言葉を聞いた草壁もまた何かを納得するように頷いた。

「なるほど。元春の言っていた通りの少年なのだな、君は」

「……何ですかその生暖かい視線は」

 一体土御門はこのお姉さんにどう伝えているのか? 聞くべきか聞かざるべきか一瞬迷う上条であった。

「さて、話を現状についてのものにしたいが良いかな?」

「ああ。そもそも、此処って何なんだ? 人払いの結界みたいなもん?」

 魔術と言うのは基本的に隠匿されている。魔術師たちは無関係な人々にその秘術が知られないようにするため、人避けの結界を張る事が多い事は何だかんだでよく見かける事である。
 しかし、上条が今まで見た人避けの結界はこんなあきらかな異界を作り出すものではなかったはずだ。

「これは恐らく固有結界……魔法に近いとされる大禁術だろう。術者の心象風景を投射して現実を塗りつぶす。この世界は言ってしまえば展開した術者当人の腹の中みたいなものだよ」

「ふーん……うん?」

 魔法と魔術って何か違いがあるのか? と言う疑問浮かび、同時に回答が『浮き上がった』。



<現代では実現不可能とされる奇跡の事を魔法。どのような手段であれ再現できる現象を魔術と呼んで区別する。
 世界には■人の魔法使いがおり、かつて■■■■の時に盲目の賢者に■■■■■■■■■――>



「なんだ、これ」

 勝手に再生される記憶は見た事も聞いたこともないはずなのに知っているモノ。
 まるで脳髄に直接コードを差し込んで記憶(データ)を注ぎ込まれたように感じられて、すぐにでも吐き出したいのに一行に入力が終わらない。

「うぐっ」

「おいどうした!?」

 もう耐え切れないと競りあがってきた胃液が口の中いっぱいになり、それを押さえるために口を右手で押さえた。


 破燐


 瞬間、違和感も嘔吐感も全てまとめて砕け散った。

「っはぁ……はぁ……いまのは一体……?」

「だ、大丈夫か?」

 いつの間にか蹲っていた上条の肩に草壁の手が触れる。その温かさを基点として、上条はなんとか冷静さを取り戻そうとして、今朝からの違和感の正体に気がついた。

(なんだ、この世界。どうして……)

 混乱する頭の中で一つだけ分かった事。
 それは自分の記憶が変えられている……もっと正確に言うなら『歴史が変えられている』のだ。この世界は。

(草壁はこの事に気がついてないのか?)

 荒くなった呼吸を整えながら原因を考えてみるが、少なくともこの魔術師の少女は世界の異変に気がついているようには見えない。上条の脳裏に『御使堕し(エンゼルフォール)』という単語が浮かんだが、違和感は今朝からあった。しかし、中身が入れ替わった人間などはいなかったはずだ。

「一体どうなって……」

「差し当たり、その疑問は後回しだ上条君。すぐに立ちなさい」

「うおっっと……草壁? どうし……」

 疑問に埋もれそうな所を美鈴が腕を掴み、一気に立ち上がらせる。
 突然の事で蹈鞴を踏みそうになったがなんとかバランスを取った上条の耳にその足を音は届いた。闇精霊たちは足音をさせるような形はしていなかったから、必然その足音の主はこの結界の主かあるいは――

「……ほう。主人自ら殿をするとは何と剛毅な事か。雑兵に任せず出向いた甲斐があるというもの」

「バーサーカー……」

「こいつが?」

 その主の使い魔たる存在(サーヴァント)である。

「本当にこいつが……サーヴァント?」

 上条の口元から思わず疑問の声が漏れる。
 しかし、彼のその感想も致し方ないことだろう。
 上条と美鈴の二人に立ちはだかるサーヴァントは白いワンピースを纏った可憐な少女の姿をしていたのだから。
 しかし、墨色の髪を駿馬の尾のように一つに纏めた少女は上条のその言葉に猛々しい笑みを浮かべた。

「いかにも。我が名は光! 我こそ狂乱の戦士(バーサーカー)として召喚された英傑(サーヴァント)である」

 迸る覇気は質量となり、上条と草壁の体を射竦めた。


◇◇◇


 同時刻。
 すべての聖杯戦争参加者たちは同時にその波動に気がついた。
 とりわけ聖杯戦争について熟知し、此度こその執念の濃いティベリウスは真っ先にそれを感知し、莞爾と嗤う。

「カカッ。これはまた随分と凄まじい覇気よ。ティトゥスの『幻燈結界(ファンタズマゴリア)』越しでも感じられるとは……ほとほと恐ろしい鬼札を引いたと見える」

 瘦身に受ける波動は凍える程に凄まじい。彼の引いたサーヴァントではそれこそ鎧袖一触となるのは必定である。

「やれやれ。だが暗殺者(アサシン)も使いよう。いまのうちに勝利の夢に溺れておれ」

 和装の魔人はそう残して学園都市の闇に消えていった。



 同時刻。
 銀髪の青年は漆黒の大剣を携えた剣士を引き連れてその結界のすぐそばまで来ていた。

「流石はバビロンの大淫婦。1000年近い研鑽は伊達ではないようだ」

 一見冷静に見える青年の米神に冷たい汗が落ちる。
 恐らくは彼女こそが最強のマスターとなるであろう事はあらかじめ分かっていたし、それに対抗するために彼自身最優の『剣士(セイバー)』を召喚する事に成功していた。
 しかし、それでも埋められないと理屈ではなく本能に叩き込まれた青年は即座に踵を返した。

「尻尾を巻くのか? 我が主よ」

「ふん……猪武者を配下に入れたつもりはない。勝てる状況を作る努力を卑怯とは言うまい?」

「これほど芳しき闘気を放つ仕手。逃すのは惜しいというのが本音だが……まあ良い。こんなところで令呪を使われてもつまらんからな」

 不本意であることを隠そうともしない巨躯の剣士に青年の怒りは更に募るが、それを押さえ込む。
 その怒りを溜め込み、爆発させる事で彼はいままでその力を増幅させてきたのだから。

(待っていろ。すぐに貴様らを全て俺の足元にひれ伏せてくれる)

 憎悪を胸に、青年もその姿を消した。



 同時刻。
 学園都市の中央にある窓のない建物――理事長アレイスター・クロウリーが存在していた建物の内部でも、バーサーカーの気配を感知する者がいた。
 『弓兵(アーチャー)』として召喚されたその女は一見するとこの街でよく見る学生のように見える。赤を基調としたセーラー服に黄色いタイ。探せば何処かの学校が採用していそうなその制服を身に着けた黒髪の弓兵の手には彼女の宝具である白い弓が握られていた。
 ほんのさっき、学園都市統括理事を吹き飛ばした断罪の弓が。

「マスター誰かが凄い力を使うみたい。もしかしたら宝具かも」

「……」

「うん? マスターどうしたの? あ、もしかしてあいつの言っていた事気にしているの?」

「……」

「まったく失礼しちゃうよね。アリシアちゃん、こんなに可愛いのに」

 その『名前』にアーチャーのマスター・クラウディウスは反応した。
 憔悴しきった、病的に白い貌の中で唯一ぎらぎらと燃える瞳をアーチャーの腕に抱かれたモノへと向けた。そこに収まっているのは一抱えほどのガラスケース。その中にはクラウディウスの『娘』が眠っている。それを心得ているのか、アーチャーの手つきも非常に丁寧で柔らかだ。

「ほらほら。アリシアも元気出して、って言ってるよ? この子の為にもがんばらなくちゃ」

「ええ……ええそうね……そう、その通り……私の可愛いアリシア。聖杯が手に入れば、必ず元通りにしてあげる」

 幽鬼の如く立ち上がり、クラウディウスは夢遊病の如く動き出す。
 そう、彼女には勝たねばならない訳がある。他の者達がどんな願いを賭けようと愛する者のために死力を尽くす自分が負けるはずがない。
 そんな狂信を胸に彼女は動き、その背中を見つめたアーチャーもにっこりと童女のような笑みを浮かべた。

「うんうん。マスターの願望はとっても素敵。私も聖杯を手に入れたらお兄ちゃんを取り戻すんだぁ」

 蕩けた笑みには、すでにバーサーカーの波動など欠片も気にかけた様子はなかった。


◇◇◇


「バーサーカー……狂戦士?」

「サーヴァントのクラスの事だよ。聖杯が呼び出す英霊たちは剣士(セイバー)、槍兵(ランサー)、弓兵(アーチャー)、騎兵(ライダー)、魔術師(キャスター)、暗殺者(アサシン)そして……狂戦士(バーサーカー)の七つのクラスに沿って召喚される。
 元々英霊召喚というのはそれだけでも『御使堕し』級の大儀式なんだが、それを七つも行うには膨大なんて言葉では表せないほど多量の魔力が必要になってくる」

 それを解決するためにあらかじめ用意した格(クラス)に対応した英霊を召喚できるように術式(システム)が組まれている。各クラスにはそれぞれ固有のスキルが存在し、とりわけバーサーカーに備わっているクラスは七騎中最も戦闘に特化したものである。
 即ち――

「理性を犠牲にする事であらゆるステータスが強化される。戦闘以外には何も出来ない……はずなのだが」

「そう決め付けるものではないぞ? 騎兵の主よ。何事にも例外というものはある」

 鈴のような声音を発しながら、その一言一言に気圧される。
 上条も草壁も共に理解している。本能が告げている。
 これには勝てないし逃げられない。
 それは人の形をした死の具現。
 出くわさない事以外に対処する術のない現象なのだと。

「草壁……あんたのサーヴァントは?」

「実は君に出会う前に奇襲を受けていてね。いまは傷を癒すために拠点へ戻している」

「じゃあ」

「ああ、正直に言えば打つ手がない」

 実を言えば、草壁には一つだけサーヴァントを即座に召喚する術が残されていたが例えそれに成功したところで状況は変わらない。宝具の威力は確かに凄まじいモノがあるライダーだがその本領は一対一よりは一対多の殲滅戦にある。事戦闘に関して最強とされるバーサーカー相手では無駄死にさせてしまう公算が非常に高い。
 そんな他人に『死ね』というような真似を、彼女は良しとはしなかった。
 もっとも、

「上条君、私が奥の手を使う。合図をしたら君はどうにかしてこの結界を破って外に出て欲しい」

 それはこの場に守る者が誰もいなかった場合の話。
 草壁の家系は代々退魔を生業とし、悪鬼羅刹を覆滅する事を生業としてきた一族である。
 その次期党首としての自負と矜持がこの場で、自分の手が届くこの場所で、ただ巻き込まれただけの上条当麻を死なせる事をよしとはしなかった。

「……」

 草壁の言葉に上条は無言で返す。しかし、その体勢は即座に動く事ができるように腰を落とされた。
 それを了承と取った草壁はサーヴァントに対する三つの絶対命令権……令呪の一つを行使するために魔力を高める。
 それを感知したバーサーカーもまた、全身の覇気を研ぎ澄まして構える。
 その姿はまるで刃金。
 触れたもの尽くを斬って捨てる妖刀の鋭さがその身に宿されている視るモノ全てに『理解』させる。
 人間ではこれに敵わない。
 自身も一流派を背負う草壁だからこそなおの事その圧力を敏感に感じ取る事が可能であり、なおの事上条をこれ以上危険に晒すわけにはいかないと言う決意を強固なものにする。

(バーサーカーに奇襲を仕掛け、上条君が逃げ切った後に離脱……ライダーの速力に期待する他ないな)

 分の悪い賭けになるがそれもいい。

「走れ! 上条君」

 草壁の唇が契約執行の口訣を唱え――

「草壁、悪い」

 上条が疾走を開始する。
 バーサーカーへ向かって。

「なっ!?」

「ほう」

 一瞬、その場の誰もが驚愕に身を固める。
 誰が想像するだろう。
 サーヴァントに生身で右手に拳を固めただけの少年が突進するなどと!
 しかし、それはただの無謀な吶喊ではない。

(奴が使い魔……ステイルの『魔女狩りの王(イノケンティウス)』みたいな存在なら、俺の右手が当たれば倒せる可能性は高い!)

 上条当麻の右手には神様の奇跡さえ打ち消す異能が宿っている。
 その手に触れたならあらゆる霊装は砕かれ、どれほどの大儀式さえ尽く破壊する。
 故に、その存在自体が神秘であるサーヴァントには最強の鬼札(ジョーカー)として機能する。
 もっとも、

「友達置いて一人で逃げられるかよ!」

 そんな物があろうとなかろうと上条当麻に友達を捨てて逃げ出すという選択肢は存在しない。
 故に、もしも上条のことを良く知るものがいたならその行動は間違いなく予測できるものであっただろう。そして、もしもそういった人間がいたなら、止める事もできたかも知れない。

「オオオオッッ」

 渾身で放たれる右ストレート。
 それはまるで吸い込まれるようにしてバーサーカーの顔面へと伸びていき、

「ふむ、我流だがよい型だ。踏み込みも深い。何よりその気概、賞賛に値しよう。だが――」

 白磁の肌に触れることなく、虚空を貫いた。。

「圧倒的に遅いな」

(マズッ……)

 背筋に走る確信。
 いまこの瞬間に命を吹き飛ばされるという悪寒が上条の意識を際限なく加速させていく。

「拳の基本を教えてやろう。我流も良いが、お前に徒手空拳の才能はなさそうだ」

 スローモーションの世界の中、白い少女の唇だけが滑らかに動く。背後から異様に間延びした美鈴の声を聞きながら、上条の視線はバーサーカーから話す事ができなかった。
 右手を前に、左手を腰に。
 空手の型に良く似たその構えから、バーサーカーはいまだに晒されている上条の柔らかな横腹に向けて砲弾じみた正拳を放ち、


 駕遮!


 上条の体を貫通した。



[21470] 第六話 一つ眼
Name: U.Y◆d153a06c ID:7e2fa1f6
Date: 2010/09/12 08:32
 十二月の日没は早い。
 学校を終え、アルバイト先の喫茶店にしばらく休ませて欲しいと直接伝えて学生寮の自室に辿り着いたのは午後六時になったところだった。
 今日もいつもの一日が終わることに安堵と退屈と鬱屈を感じながら鍵を開けた皐月駆を待ち受けていたのは、まるっきり予想だにしていない光景だった。
 つい先日、唐突に増えた同居人のせいで色々と世の中は不条理に出来ているらしいというのはよく理解しているつもりだったが、どうやら彼の理解はまだまだ浅かったらしい。
 古来より言われるとおり、一度あることは二度も三度も起こるのだろう。
 ……この場合は一匹見たらなんとやら、と言う言葉のほうがより駆の心情に合致したものだったが。

「……どうしてこうなった」

「何か言ったか坊ちゃん」

 健常な左目だけで虚空を見つめて立ち尽くしていた駆の耳に悪魔の声が。
 可能ならばこのまま空想に溺れて溺死したいと割と本気で思う駆だったが、現実はそんなささやかな願いも叶えてくれないらしい。反応が見られない駆に声の主は容赦のない台詞を浴びせかけた。

「そだ。やり方間違えて坊ちゃんのゲームデータ消しちまったわ」

「なん、だと!? 遊び人から育てるのがどれだけ大変かわかってるのか!?」

「いいじゃねえか。賢者なんてまた作れば」

 そもそもリセットボタン押すとデータが消えるなら最初に教えてくれと言う声の主に殺意を覚えつつ、駆は致し方なく現実を直視するために一つだけの視線を向けた。
 部屋の中は朝に駆が出かけた時と大して変わりはない。つい一昨日までとはまるで別世界化してしまっていたが山盛りになった煙草の吸殻や青い空き缶がごろごろしているのも、ビールやら日本酒らしき銘柄の瓶がごろごろしているのもそのまま。
 この異空間を創造した青年は相変わらずよれよれの白衣を着て、窓際にあるベッドに腰掛けて一服吸っていた。
 朝、駆が高校に出かける前と唯一違うところは駆のベッドに見知らぬ女性が眠っているところと玄関の入り口に異様にツンツンした髪型の少年が倒れていると言う程度のものである。
 ……現実がおかしいと声を大にして叫びたい皐月駆17歳の冬だった。

「おーい坊ちゃん。空想遊びも良いが地に足つけないと転んじまうぞ?」

「……うるさい。それよりキャスター、これはどういう事だ?」

「これ? ……ああ、坊ちゃんの童貞喪失にちょうど良さそうなのがいたんで拾ってきた。あ、心配しなくても大丈夫だぞ? 新品だから。そっちはおまけ」

「んなっ!?」

 青年……キャスターの位階(クラス)で召喚された英霊が言い放った言葉に思わずたじろぐ皐月駆17歳童t――

「童貞違うわ! っていうか、それよりもおまけが男ってどういうことだよ!?」

「え? だって坊ちゃん両刀じゃ……そうか、もっとマッチョが良かったか。坊ちゃんはどう見ても受けだしな」

「……いいぜキャスター。俺がどれほど巨乳を愛しているかわからせる時が来てしまった様だな」

「オーケー了解わかった。だからその手に持ったカッターを下ろそうぜ坊ちゃん。それとキャラが変わってんぞ」

「誰のせいだ!!」

 全力で怒鳴りつけるがキャスターにとっては正しく柳に風。凄まじい徒労感に駆が苛まれていると足元の少年とベッドの少女がもぞもぞと身じろぎし始めた。どうやら彼が放った魂の絶叫は彼らの眠りを覚ませる程度の効果は発揮したらしい。

「いっつ……俺は一体……」

「……ここ、は?」

「よう、目が覚めたか。バーサーカーに人間が生身で立ち向かうなんて馬鹿な奴らだなお前ら」

「「「!?」」」

 キャスターの一言にベッドの少女――草壁美鈴も玄関の少年――上条当麻も、更には駆も同時に驚き、それと同時にお互いに警戒の視線を向けた。正確には一対二。数で言えば実に四倍の視線を受けながら、駆は自分が召喚した(と本人は言っている)キャスターへと左目を向けた。

「キャスター、この人たちは……」

「ああ。坊ちゃん同様にこの糞みたいな儀式に参加してる魔術師だよ。まあ、性能はこっちのお嬢ちゃんの方が圧倒的に良さそうだけどな」

「それはどうも」

 キャスターに魔術師としての力量を褒められたところで皮肉以外には聞こえない。だからだろう。美鈴の表情は険しく、上条に向ける視線には悔恨の色が濃く浮かんでいた。

「それでキャスターのサーヴァントとマスターは私に何をさせたいのだ? 言っておくが、私にはまだ三つの令呪があるぞ?」

「こんな距離で令呪を使う暇があると思ってる辺り、お前もそこのツンツン頭と同じでサーヴァント舐めてるだろ」

 いまだに体を起こしただけの姿勢の草壁とキャスターとの距離はそれこそ手を伸ばせば届いてしまう程に近い。どれほどの術達者な使い手であっても、この距離で魔術の英霊よりも速く術を行使することは不可能だろう。その厳然たる事実があるからこそ、キャスターは飄々とした態度を変えることなく、むしろ少女の戦意に呆れかえっている事を隠そうともしない。
 もっとも、それ以外にも理由はあるのだが。

「とりあえず、暴れるのは感謝の一言もしてからにしろやイノシシ娘。こっちは命張ってバーサーカーのマスターが作った結界からお前ら助けてやったんだから」

「なに?」

「あんたが助けてくれたのか?」

 キャスターの言葉に草壁は怪訝そうな表情を作り、それまでしきりに自分の腹を摩っていた上条も顔を上げた。彼が気を失う最後に見たのは自分の腹をバーサーカーの白魚の腕が貫通する場面だっただけに、風穴の開いていない腹になんとも釈然としない表情を作っていたのだ。
 だが、このキャスター……バーサーカーと同等の存在が助けてくれたと言うのなら納得は出来る。そう思っての問いに白衣の魔術師は大仰に頷いた。

「感謝しろよ? なんせ『炎の魔女』とも呼ばれるあのリーゼロット・ヴェルクマイスターに気づかれないように結界に侵入&脱出をしてやったんだからよ」

「ヴェルクマイスター……馬鹿な。あの封印指定がマスターとして参加してるというのか」

「ああ。お嬢ちゃんのサーヴァントもかなり強そうだけど、あいつらじゃ分が悪い。マスターもサーヴァントも性能で圧倒的に負けてるんだ。勝てるわけないだろう」

「えっと……有名な奴なのか?」

「いや、俺に聞かれても分からない」

 キャスターと草壁は二人とも光と名乗った少女……バーサーカーのマスターについて知っている様子だが基本科学側に属する上条にも元々魔術なんて存在自体知らない駆にも二人が驚く名前が持つ意味が分からないでいた。そんな二人の反応に気づいたキャスターが軽く悩んでから口を開いた。

「このお嬢ちゃんがレベル20の魔法使いならあっちはレベルカンストな上にそれでもレベルアップし続けてステータスがバグッた賢者様だよ。サーヴァント同士の性能はもちっと調べないと比べられないが、基本バーサーカーの戦闘能力は最強だ。こと真正面からの正攻法でアレを倒したければ数で上回らないと無理」

「えーっと……それは無理ゲーじゃないか?」

「だから言ったろレベル0のたまねぎナイト。あ、ちなみに坊ちゃんはレベル1の戦士な」

 上条と駆の脳裏に浮かぶのは毎度『最後』と銘打ちながらすでにシリーズ15作目が作られ始めているとあるRPGの光景。ファ○ラとか必死に撃つこちらの攻撃を嘲笑うかのようにメテオとかぶっ放してくるボスの姿がなんとなく想像出来たところで草壁が顔を青くしている理由に納得する。
 ゲームの中なら『ふざけるな』とリセットボタンでも押せば済む話だが、キャスターの言葉が正しければ自分たちはいずれその理不尽な敵と遭遇する事になる。その時、そんな反則相手にどう立ち向かえと言うのか。

「って、ちょっと待てキャスター。それじゃあお前、そんなやばい奴に狙われているのにこいつらを連れてきたのか!?」

「ああ」

「ああってお前……」

 駆の視界は一瞬本当にくらくらと歪む。
 一昨日の夜、何の前触れもなく召喚してしまったキャスターから説明された聖杯戦争という儀式については彼自身の存在と能力とはまったく別の理論で発動する異能を直に見せられた為にある程度納得はしている。しているが、駆はこの儀式に積極的に参加するつもりは毛頭なかった。
 サーヴァント同士の戦闘で仮に誰かが巻き込まれようと、それが駆の与り知らぬところで起こっているなら一切気にしない。
 それが皐月駆の聖杯戦争に対する姿勢(スタンス)であり、それについてはキャスターにも同意は取っていたはずなのだ。

「どうしてこんなことを!」

「まま、落ち着けよ。俺だって考えなしにこんな真似したわけじゃねぇよ」

 激昂する駆を手で制しながら、キャスターはいまだに動揺から抜け出せない上条と草壁に向かって言い放った。

「さて、ライダーのマスター。命を助けた事に多少なりとも恩を感じてるのなら……ここは一つ共同戦線といかねえか?」


◇◇◇


 学園都市には学校としての施設以外にも無数の研究施設や実験プラントが存在している。
 第一次産業から第三次産業にいたるまで、学園都市内で賄えるようになっており、その施設もそうした物の一つだった。
 農業用実験プラント……大きさは一般的な学校と同規模。四階建てのそれは裏手に広大な敷地を持ち、そこには各種の野菜が多数栽培されていた。遺伝子組み換えによる種や肥料の改良、最適な栽培手段などを研究している。
 学園都市の胃袋を満たす台所。
 そういっても過言ではないその施設は、しかしそれだけの物ではない。

「まったく。開戦初日から飛ばしてるわね~」

 その施設の地下にはブラックロッジが密かに建設した学園都市内での拠点が存在している。そこでは日夜表に出せないような麻薬や薬物の研究などが行われ、その余技として農業に転用できる技術が表に流れ出ていると言うのが真実だった。
 ……もっとも、それらの非道な研究は今日この時をもって永遠に停止する事になる。
 たった一人の魔女の手によって。

「ん~量はそこそこだけど、やっぱり質が悪いわね。まあ、わざわざサーヴァントを捧げる必要もないか」

 人気が皆無の施設の中、軍装に身を包んだルサルカは踊るように廊下を歩む。
 その足取りはまるでピクニックにでも訪れているかのようなものだったが、彼女が奪った命は既にこの一時間弱で一〇〇に及ぶ。その全てが火器や霊装によって武装したブラックロッジの戦闘員たち。
 彼らは今日この夜に敵性戦力がこの拠点を襲撃するという情報からあえて集められた精鋭である。その戦力は例え襲撃者が必要悪の教会だろうと時計塔の執行者であろうと教会の代行者であろうと撃退しうるだけの質を持つ者たちだった。
 だからこそその命には価値がある。
 本来並の魂では数百の命を捧げなくては開かないスワスチカが既に開いているのがその証拠。戦場となったこの場所は第一のスワスチカとしての機能し始めていた。
 霊的に汚染されたこの場所は既に一種の異界となっている。
 万が一、精神感応系能力者がこの場所に訪れてしまったなら、それは間違いなく発狂するだろう。
 理不尽な暴力によって命を蹂躙され、魂を貪られ、霊を弄ばれる。
 その苦痛、その嘆きは至高天にも届く事だろう。
 だが、

「それでも三下ばかり送ったんじゃ怒られちゃうかもしれないし? と言う訳でそこで私を狙ってる子達出てきなさいよ~。私と一緒に夜のお散歩、楽しみましょう?」

「いや~出来れば見逃して欲しかったにゃ~」

「ちっ。完全にばれってンじゃねェか」

「まあ最初からオカルトなんかにあんまり期待なんかしていなかったけれどね」

「いやはや面目ない。けど、流石にアレの目を誤魔化しきると言うのはちょっと人間業じゃないんですよ? その辺りを少し考慮していただけるとありがたいですね」

 ルサルカの背後から現れたのは四人の少年少女――サングラスをかけた金髪アロハの少年に白髪赤眼、さらしを胸に巻いて肩に上着を引っ掛けただけという露出の多い格好をした少女と優等生然とした少年。
 一見するとまるで統一性がない一団だが魔術を齧った者が見ればなおのこと違和感を覚えるだろう。能力者が二人と魔術師が一人、不良品が一つと言うその取り合わせは組み上げた人間の意図がまるで読めない。
 読めないが、ルサルカにとってそれはさほどの意味は持たない。

「んー白髪の子は結構良さそうね。そっちのお兄さんたちも。お姉さんは……ちょ~っともの足りないかも?」

「おいショタコン女、良かったな。てめェ嫌われてンぜ」

「……次にそういったら頭だけ壁に埋めるからねペド野郎」

「まあまあ落ち着くぜい。っていうか、むしろアレに狙いをつけられるのは人間的にあれな奴らだから普通に喜ぶべきだと思うぜい」

「そうですね。正直、僕は彼女のような女性は趣味ではないのですが」

「「「ダウト」」」

「息ピッタリね貴方たち。まるでコメディアンみたい」

 感心したと言わんばかりのルサルカの様子に白髪の少年――学園都市最強の超能力者(レベル5)・一方通行(アクセラレータ)は細めた赤眼を向けた。

「おい。お前、ここにいた連中はどうしたよ」

「あの人たち? 私が美味しく頂いちゃったけど? 性的にも物理的にも、ね」

「それはまた……此処は街全体が一応学校みたいなところなんですけれど?」

「あらら。見た目どおりの優等生なのね。でもこんな時間に出歩いているんだもの、みんな十八歳以上ってことでいきましょうよ」

 優等生――学園都市に潜り込むアステカの魔術師・エツァリが困ったように言う。

「まあ俺たちは別にかまわんけれどにゃあ……」

「おいそこのサングラス。どうしてそこであたしを見るんだ。言っとくけどまだ十七だからな」

 殺意すらこもった視線で味方……の振りをした多重スパイ・土御門元春を睨みつける少女――座標移動(ムーブポイント)の結標淡希。
 やはり年齢の事は全女性(一部特例を除いて)にとって鬼門なのだろう。

「これがジャパニーズ天丼……奥が深いのねお笑いの道も」

「あァそうだな。ま、てめェには関係ねェだろ――ここで死ぬンだしよォ」


 怒蛮!


 爆音を足元でさせて一方通行が突進する。
 それを援護するようにエツァリが黒曜石のナイフを取り出し、結標と土御門もそれぞれの役割を全うするために散開する。
 科学と魔術の混成部隊『グループ』と黒円卓の魔女による激突は人知れず始まった。



[21470] 第七話 グループ+
Name: U.Y◆d153a06c ID:7e2fa1f6
Date: 2010/09/14 22:48

 学園都市の闇を掃除するために結成された組織は複数存在する。
 今年の十月に起きた抗争によりその質、量共に低下したことは否めないがそれでもなお学園都市の闇にはいまもなお暗黒の中で蠢く有象無象の邪悪から光挿す世界を守るために拳を握るものたちが大勢存在している。
 学園都市最強の超能力者・一方通行が所属するこの『グループ』はその中でも随一と言って過言ではない。
 座標移動(ムーブポイント)の結標淡希は既に超能力といっても過言ではない能力使用が可能であり、魔術師エツァリの黒曜石のナイフに反射させた光はありとあらゆるものを分解する。様々な組織に内偵を行っている土御門元春の知識が彼らの行動をサポートする。
 諜報・戦闘のどちらにおいても彼らは優秀であり、あらゆる面において隙がない。
 なにより……単純に『最強』の二文字を背負う少年の力は伊達ではない。

「そォらよっ!」

 爆発的な突進と同時に横薙ぎにされた右の平手。対峙する魔女までまだ数メートルを置いて振るわれた一撃は、しかし一方通行の能力『ベクトル操作』によって増幅・制御されて空気の壁を形成し、ルサルカの小柄な体を窓枠へと吹き飛ばした。
 彼らがルサルカと遭遇したのは四階の廊下。窓枠に嵌められているのは流石は学園都市と言えるだけの強度を持つガラスだったが、そんなものが一方通行の能力に耐えられるはずもない。
 結果として、ルサルカは四階の高さから突如虚空へと投げ飛ばされた。

「あらあら。顔に似合わず乱暴な子ね」

 もっとも、その程度でどうにかなる魔女ではない。彼女は器用に虚空で姿勢を整えて難なく着地すると、間髪入れずにしゃがみ込んだ。寸前までルサルカの胸があった空間を『何か』が通過する。

「そんなに殺気立ってたらいくら危機感の薄い私だって気がつくわよ? アステカの魔術師さん」

「おや、僕なんかの事を知っているなんて驚きましたね。流石は『魔女への鉄槌(マレウス・マレフィカルム)』と名乗っているだけの事はあります」

 ルサルカの流し目を涼しい顔で受け止めたのはいつの間にか地上に現れたエツァリ。結標の能力で跳ばされた彼は絶好のタイミングで必殺の魔術を放ったが、その成果は自動車が一台のみ。螺子の一本、ボトルの一つに至るまで完全にバラバラにされたワンボックスを見て、ルサルカは勿体無いなーと暢気に言い放つ。

「蛇の道は蛇っていうでしょ? いやな言葉だけど。私みたいな立場してると聞く価値もない噂話でも聞こえてきちゃうのよねー」

 けらけらと緊張感なく笑うルサルカの頭上から一方通行が落下してくる。重力のベクトルを弄りながら降下出来る彼は、あえて落下速度を加速させて無防備な魔女に来襲する。その一撃は間違いなく人間を圧殺するには過分な威力が込められており、魔女にそれを防ぐ手段はありえない。
 故に、

「ぐごっ!?」

「はーいざーんねーんしょー♪」

 衝撃波すら起こしかねない速度で落下してきた一方通行をルサルカは一瞥もせずに迎撃した。
 彼女の影から撃ち出された歪な鎖の先端が一方通行の腹部を『直撃』したのだ。
 結果としてあさっての方向へ弾き飛ばされたのは鎖の方だったが傷を負ったのは彼の方。
 秘術によって形作られた鎖はただの物体ではない。それが与える衝撃は魂に直接刻まれる。物理的にはほぼ完璧な防御を誇る一方通行の能力もこれを防ぐ事は不可能である。
 その事実に一方通行の思考は一瞬だけ混乱に陥りかけるが、焼けつくような傷の痛みがそれを許さない。
 何より、少女の姿をした『死』が彼のすぐ傍に立っているのだから。

「いただきまーす」

「そうはさせませんよ!」

 エツァリが再び『トラウィスカルパンテクウトリの槍』を発動させた。
 手にした黒曜石を鏡として使い金星の光を反射させる事でアステカの破壊神「トラウィスカルパンテクウトリ」の伝承――それが投げた燃える槍(金星の光)を浴びた者を全て殺す――を模倣したこの魔術は回避も防御も不可能に近い。
 一度に一つしか対照に取れないという欠点こそあるが、それでも聖槍十三騎士団の魔人という遥か格上の存在である魔女を殺すには十分な威力を誇る術である。
 唯一彼が悪かった点を上げるとするなら、

「食人影(ナハツェーラ)」

 相性が絶望的に悪かった事だろう。
 ルサルカは自身が編み出した影絵の化け物で『トラウィスカルパンテクウトリの槍』を受け止めた。その光を浴びた存在をバラバラに『分解』して殺してしまう必殺の魔術も、繋ぎ目一つない影絵を『分解』する事はできなかった。

「順番は守らなきゃね。がっつく童貞にはちょ~っと嫌な思い出があるから」

 あくまで無邪気に、まるで唄うような調子のルサルカ。既に一方通行は彼女の魔術によってその動きを制限されており、結標もエツァリも打つ手がない。
 その結果は当然。

「まさかここまで予想通りとは思わなかったぜい」

「!?」

 魔女のすぐ背後へと転移させられたグループ最後の一人、土御門元春が手にした刃を一閃する。
 重い刃音が過ぎたあとにはらりと赤毛が数本舞う。その事実にルサルカは目を剥き、同時に地面を蹴って土御門から離れようとする。そうはさせぬと踏み込む土御門の鼻先を今度はルサルカの放った鎖が掠めた。紙一重で回避は成功したがその一瞬で広げられた間合いは十メートルを超えている。達人でもない土御門にその距離を一瞬で詰める技術はない。

「やれやれ。ねーちんだったらいまの一撃で決められたんだがにゃ~」

 大袈裟に肩をすくめながらだらりと片手にその刀を構えた。
 刃長2尺7寸。視る者が視たならそこから立ち上る霊気の濃さに目を眩ませる事だろう。
 彼が手にしているのは『本物』の霊剣。

「鬼切……かつて京の都を荒らした鬼女の腕を切り落とし、後にその鬼すら斬った一品だ。天下五剣とは行かないが草壁七宝の一振りであり、同時に我が国が誇る化け物殺しの剣……お前らみたいな存在(モノ)にはうってつけだろ」

「概念武装。まったく、厄介な物を持ち出してくれたわね」

 ルサルカの表情から余裕が消える。
 彼女たち秘術(エイヴィヒカイト)を操る魔人を殺す手段は極少ない。
 同等以上の秘術の使い手、1000年以上の年月を生きた幻想、彼女が所属していたブラックロッジの最秘奥である異界より召喚された神。
 これらの存在ならば黒円卓の魔人に拮抗する。死徒二十七祖級になれば現存最強の騎士であるヴィルヘルムを上回る者もいるだろう。
 しかし、それらはあくまでも同じ『人間以上』の存在たちである。実質まっとうな人間に黒円卓の魔人を殺す手段はたった一つを除いて存在しない。
 それが概念武装……長い年月を経て結晶化した魔術そのものと言える器物を用いる事である。概念武装の性能はもはや絶対と呼べる領域であり、それを覆せるのは同等の概念武装くらいである。
 『聖剣の鞘』はありとあらゆる傷を癒し、『竜殺しの剣』はどれほど強壮であっても竜を殺す。
 『契約破りの短剣』によって破れない契約はなく、『必中の弓』は必ず的を射抜く。
 一介の兵士による『神の子』の殺害すら、概念武装は可能とさせる。
 それ故、ルサルカが感じた戦慄は凄まじい。

「鬼殺しの霊剣……確かに厄介ね」

 土御門が持つ鬼切は正しく黒円卓にとって鬼門。
 人間から超人へと変貌した『鬼』を斬ることに特化したその霊剣は物理・魔術の両面で万全の守りを発揮する騎士たちの鎧を貫通する。
 ルサルカの髪を斬るのと同じ容易さで、その刃は魔女の首を刎ねるだろう。
 自分が殺されるかもしれないという感触が魔女の全身を駆けめぐる。
 故――

「良いわ。貴方たち、本気で殺(あい)してあげる」

 ――浮かんだ笑みには、遊びの欠片も存在していない。
 ゆらりと揺れる碧の瞳に浮かぶのは歓喜の色。
 互いに殺せる、殺される者たちが行う激突こそを闘争というのなら、今宵初めての戦争がここに執り行われる。

「Yetzirah
 形成」

 魔女の足元から影から無数の拷問器具が湧き出す。
 鎖、手錠、鞭、蝋燭、木馬、車輪ets ets
 それら全てが彼女の聖遺物とも言える拷問器具の数々がグループの面々に開陳される。

「聖槍十三騎士団黒円卓大八位 ルサルカ・シュヴェーゲリン=マレウス・マレフィカルム。さあ、私の影に溺れなさい守護者の皆さん」

 ルサルカは自身の聖遺物『血の伯爵夫人(エリザベート・バートリー)』を日記として形成する。魔女はそこに記されたあらゆる拷問器具を呼び出し、攻撃に使う事が可能である。
 それら器具一つ一つであればエツァリの魔術でも破壊することは可能だが、数が圧倒的だ。既に顕現しているだけで二十を超える拷問器具は一瞬で彼を粉砕するだろう。
 物理的な衝撃はともかく、魔術的な汚染を防ぐ事ができない一方通行もこの布陣に飛び込むのは自殺行為と言える。肉体と同時に霊魂にも傷を負わせる秘術の攻撃は、だからこそ最強の術式として畏怖されているのだから。
 これに対抗するには土御門の持つ鬼切を主軸に戦うしかないが、彼は剣術の達人と言うわけではない。まともに吶喊すればあえなく迎撃される以上、その一撃を打ち込む時は結標による援護が必要となるだろう。
 しかし、二度も三度も同じ手を赦すほど魔女は平和ボケしていない。結標が僅かでも動けば彼女を轢殺せんと幾つもの車輪が虚空に浮かんでいた。
 形勢不利は覆しがたい。
 既に後退する事も難しい状況であると全員が理解しながら、グループの面々は自身の武器を強く握り締める。

「おいシスコン」

「なんだロリコン」

「ショタ女に腹黒を拾わせろ。俺とお前はアレの足止めだ」

「了解だニャーってことでお前ら逃走用意。プランAのままでいくぜい」

「……了解。君たちもどうか無事で。幼女を泣かせたりするのは好きじゃないんだ」

 軽口を交し合う三人の表情は明るい。
 彼らに諦めると言う選択肢は存在しない。何故なら、そんな敗北(ぜいたく)の代償が一体なんであるか、彼らは痛いほどに良く理解していたから。
 だからこそ、その瞳に戦意は灯り、その炎がなによりも魔女の殺意を研ぎ澄ませる。

「あら、置いて行くなんて酷いじゃない。皆仲良く一緒に水底に沈みなさいな」

「「「断る」」」

 宣言の刹那、全てが動き出す。
 魔女に言い切る事。
 結標が自分を含めた全員をルサルカから遠ざかるように転移させる事。
 その転移先に全員分の『棺桶』が口を広げて待ち構えていた事はほぼ同時に起き、瞬きの間も置かずにそれは突っ込んできた。

「騎兵隊だぁっ!!」


◇◇◇


 暴れ馬のように凶暴な単車の後ろに跨りながら、藤井蓮はどうしてこうなったのかとため息をつく。
 瞬き一つで背後へ吹き飛ぶ景色の中、その息はすぐに置いてきぼりにされるのだがどうやってかそれを聞きつけた遊佐司狼は片手でハンドルを押さえながら振り返った。

「どしたよ? 暗い顔しちゃってまぁ」

「暗くもなるだろ。こんな状況じゃ」

 平凡な日常。
 繰り返される平穏。
 いつか終わってしまうのだろうと分かっていてもずっと続いて欲しいと願っていた日々は、いともあっさりと砕け散り、いま彼は日常とは遠くかけ離れた戦場へとその身を投じようとしている。

「それで、グループってのはこの先でどんぱちやってんのか?」

「そうらしい。どっかのアホな理事会が出撃命令出しちまったんだとよ。普通の連中相手ならむしろ過剰戦力っぽいんだがなぁ……学園都市の最強さんも意外と大変らしいぜ?」

 蓮と司狼に与えられた任務は救出を目的としたもの。
 今夜、ブラックロッジと呼ばれる犯罪組織を潰すために派遣された学園都市の暗部部隊をその場に現れるであろう『脅威』から救出するのが彼らの役目だった。

「そう心配しなくても不意打ちで一発ぶち込んでとんずらするんだ。そう気負う必要もねぇだろ」

「その一発を入れるのが俺の役目じゃなければな」

 そう言いながら、ぼろぼろの赤い布で包まれた自分の右腕へと視線を向ける。
 そこにはかつて罪人の血を啜り、その首を落とし続けた断頭台の刃とそれに宿る少女の魂が在る。
 秘術(エイヴィヒカイト)と呼ばれる妖しげな術を操るために必要不可欠な物品であり、どうやら蓮はこれを操る事ができるらしいと彼らを戦場に放り込んだ人間には説明された。
 本来ならば、たとえ彼以外の誰にも出来ないと言われたとしても関わり合いになる事を拒否しただろう。なにより、その前提すらない。絶対に藤井蓮がその器物を宿さなくてはならない理由はなく、封印してしまっておく事もできると言われていたのだ。
 もしも、幼馴染の少女がこの件に深く関わり、彼女のせいではない罪を償わさせられる、などという状況でなければ例え神様に命令されたとしても蓮は頷かなかった自身が彼にはある。

「……あんなのが警備員の特殊部隊率いて本当に大丈夫なのか? この街」

「大丈夫なわけねぇだろ……ま、此処まできたら腹くくれや。衛宮の野郎はいけすかねえが基本はお人好しだよ」

「……とてもそうは見えないけど」

 蓮に秘術を教授し、脅迫した張本人の皮肉げな笑みを思い浮かべ、げんなりとする。
 それでも彼は選んだのだ。
 何よりも大切な、宝石のような日常を守るために刃を取ると。
 他の誰でもなく藤井蓮がそう決意してこの右腕に血塗れの刃を受け入れたのだ。
 だから、後悔はこれが最後。

「茶々、目的地まであとどれくらいだ」

「目標まであと30秒。準備は出来たかい? 蓮兄ちゃん」

 器用に司狼の膝に乗っている金髪の少女――茶々丸が片手で馬鹿みたいに巨大な鋼の十字架を振り回して合図する。司狼と蓮の視界にも争う人影が遠めに見ることが出来た。

「蓮、へますんなよ」

「お前こそこけるなよ」

「三けつじゃなけりゃ問題ねぇ。茶々、弾幕晴れや。――派手にな」

「諒解ってね!」

 叫ぶや否や、司狼がアクセルを握りこみ、突如単車の前輪を跳ね上げた。
 魔獣の咆哮に負けぬよう、茶々丸が喜悦の歓声を張り上げた。

「騎兵隊だぁっ!!」

 茶々丸が出鱈目に鋼の十字架を振り回す。十字架の中央には髑髏めいた握りがあり、彼女はその小さく白い手でそれを強く握り締めた。


 餓餓餓餓餓餓餓ッッッッ!!


 同時に降り注ぐ銀の雨。
 科学と魔術の集大成――錬金術によって創り出された破魔の弾丸が突然地面から吹き上がった黒い棺桶を例外なく弾き飛ばし、グループと思しき面々の窮地を助ける事に成功する。
 あまりの出来事に司狼たち以外の全員が動きを止めた瞬間に蓮は全ての意識を右腕に注ぎ込む。
 脳裏に反芻されるのは自称魔術師を名乗る警備員の男からの言葉。

『秘術の一番簡単な制御の仕方は呪文と動作を混ぜて行う事だ。
 ”開けゴマ”でも”ちちんぷいぷい”でも何でもいい。自己に対して『奇跡を起こせる』と信じ込ませるための暗示をかける事で大抵の術は起動できるようになる。その暗示が強ければ強いほど円滑に起動を行えるようになるわけだが……その顔は理解していないな』

 正直初めて聞く説明で理解不能な事ばかりだったが、一つだけ分かりやすい説明があった。

『……最悪、その布を外して相手に意識を集中しろ。それで呪文を唱えれば勝手に暴走(はつどう)してくれる。同行する遊佐の命は保障できんが』

 右腕に巻かれた赤い布を一気にはがす。

『Je veux le sang, sang, sang, et sang.

 Donnons le sang de guillotine.

 Pour guerir la secheresse de la guillotine.

 Je veux le sang, sang, sang, et sang.』 

 聞こえてくる忌まわしきリフレイン。
 天使の声で紡がれる血を欲する呪い歌。
 黄昏の海に佇む歌姫へと供物を捧げるため、蓮はその呪文を口にした。

「Assiah
 活動(アッシャー)」


◇◇◇


「なつ!?」

 突如乱入してきた三人乗りの単車……その中の一人、蓮が口にしたモノに魔女は絶句する。
 その呪文は『特定の理で起動する』術式における初歩の初歩。
 黒円卓副首領カール・クラフト=メルクリウスが編み出した秘術(エイヴィヒカイト)を起動させるための呪文である。
 そして、現状黒円卓以外でこれを行える存在はとある魔術師を除けばただ一人。
 スワスチカを開くこの儀式におけるメルクリウスの代替。
 黒円卓を追う狩人役。
 戦場を形成させるための舞台装置(マキナ)――

「ツァラトゥストラ!?」

「いっけぇぇぇ!!」

 蓮から放たれたのは断頭台の刃。
 その威力、いまだ素人同然でありながらまともに受ければただではすまない!
 咄嗟に斬撃の軌道に鎖を幾重にも展開して防御を行う。


 断ッ!


「ひゃぐっ」

「くそっ……浅かったのか!?」

 鎖はなんとか断頭台の刃を受け止める事に成功するが、それでも鎖の連環には皹が入っている。聖遺物と繋がっている魔女にもそれに等しい痛みが跳ね返り、彼女は六十年ぶりの激痛に涙すらその目に浮かべていた。

「ぐっ……よくもやってくれたわね……いま万倍にして返してあげる」

「いえいえ。お気遣いなく。あ、これ粗品ですが」

 からかうような口調で言い放つ茶々丸が鋼の十字架を擬す。迸る弾丸はしかし地面から現れた『鋼鉄の処女(アイアンメイデン)』によって全て防がれた。聖別された特殊加工の弾丸も不意を撃たなければ大した効果は望めない。
 しかし、それでも時間は稼げた。

「おいそこの白髪ども。さっさと逃げとかねえと、おっかねえ魔女が追いかけてくるぜ? あんたらのお仕事ならさっきキャンセルだって連絡が来てる」

「……ちっ。退くぞ」

 司狼の言葉に一方通行たちの反応は素早かった。結標の能力で戦場から転移していく彼らの姿を視界の端に映しながら、曲芸じみた機動で単車を操縦しながら自らも逃走を開始する。

「司狼! さっさと出せっ」

「こっちの弾幕も持たないって」

「わーってるよ。ったく面倒なお客乗せちまったぜ」

 面倒そうに言いながらその口元に獰猛な笑みを浮かべ、アクセルを全開に。魔女の殺意がその背中を捉えることはなく、司狼たちを乗せた単車もまた無事に戦場から抜け出す事に成功した。

「待ちなさいよ……待てって、言ってんでしょ!!」

 魔女のその後ろ姿に一瞬だけ怒りと憎悪を叩きつけるべく『轢殺の車輪』を向け……ギリギリの所で自制した。

(スワスチカはもう開いているし、此処でツァラトゥストラを殺したらあとでベイやクリストフに何て言われるかわかんない……だからここは我慢……我慢……がま……)

 呑! と魔女の背後から巨大な影絵の化け物が現れ、施設を丸呑みする。
 一向に冷めぬ怒りを胸に、この戦場は不完全燃焼での幕となる。
 魔女は怒りに燻り、敗者たちは凱歌をあげながら逃走する。
 その事を良しと嗤うは、一体どの神であるか……

<ほう……これは意外。地蟲にこれほどの理性が残っているか>

<当然。彼女は責任感の強い女性だ……放蕩する君とは違い、自分の役割がこれ以外にもあると理解しているのだろう>

 神ならぬ魔女にそれを知る事は出来なかった。



[21470] 第八話 警備員
Name: U.Y◆d153a06c ID:7e2fa1f6
Date: 2010/09/18 23:01

 幼い頃の夢を見る。
 ただ兄と彼女に手を引かれ、微笑みの中で暮らしていた時代。
 それはとても……本当にとても幸せな時代。
 そして、既に失ってしまった時代。
 それをなんとか取り戻したくて。
 出来ないとわかっていても縋りついて。
 不可能だと冷たく言い放たれても何とかしたくて。
 だからこそ、彼女(わたし)は子供でいることを辞めてしまったのだ――


◇◇◇


「ホリン、起きなさい」

「――もう着いたのか? 嬢ちゃん」

「……ええ、だから間抜け面していないでさっさと目を覚ましなさい」

 肩を揺すられる感覚にホリンと呼ばれた男は薄目を開けた。隣の座席に座っている黒髪の少女はやや呆れた表情で頷きながら、顎で向かいの席を示した。そこには大量に散乱した酒の空瓶と、その中央で鼾をかきながら眠っている白髪の青年がいる。
 ファーストクラス以上の豪奢な作りのシートにどっかりと座り込み、やりたい放題なその様はまるで何処かの王様にも見えるが……それよりは路地裏で荒れてる不良のような印象が強いな、と男は感じた。

「貴方がつぶれたせいで、私がアレの相手をしていたの。おかげで長旅の間暇だけはしないですんだわ」

 ほんとにありがとう、という彼女の視線には殺意が灯っている。
 どうやら眠っている間に相当面倒くさい事態が起きていたらしいと察して、男はやや気おされながら居住まいを正した。

「あー……正直すまん」

「別に。誤られても意味がないわね」

 取り付く島もない、とはまさにこのこと。完全に不機嫌にさせてしまった悟ると男はそれ以上言葉を重ねる事はせず、代わりに意識が途切れる前までの経過を思い出していた。
 戦場へ赴くための移動手段(あし)がようやく準備できたと少女の仲間――彼女はそれを頑なに認めていなかったが――からの連絡でこの飛行機に乗り込んだのが昨日の昼間。それから機内に蓄えられていた食べ物や飲み物を片っ端から胃袋に放り込み始め……気がついたら眠っていたと言うのが今の状況である。
 戦の前祝とさきの前哨戦で燻っている鬱憤を晴らすと言う目的だったため、かなり派手に飲み食いした事は思い出す。そして、途中から行われた呑み比べ対決により男は白髪に敗れたのだと理解した。

「くそっ……飲み比べで潰されるなんて久しぶりだぜ」

「別に悔しがる必要はないわ。ベイも後半から反則使っていたし」

 悔しがる男に少女が投げやりな慰めをかける。しかし、それでも負けは負けと一頻り悔しがった後、男は再び少女に尋ねた。

「んで、俺はどのくらい寝てた」

「大体三時間ほど。シュピーネがあと三十分もしないうちにベイも起きるだろうって」

 そう言っていると件の青年――ヴィルヘルムがむくりと起きだした。

「あら、本当に起きたのね」

「よう、ヴィルヘルム。次は負けねぇから覚悟してやがれ」

「……ああ、アンタか。別にいつだってかまいやしねぇが……おいレオンここはいまどの辺だ」

「東京上空。もう学園都市に向けて降りている途中よ」

「よぉし……あの人の気配がかなり強い。今回は間違いなく儀式が行われているわけだ」

 一人で納得するヴィルヘルムに少女――櫻井螢は不思議そうに眉を上げて見せた。

「分かるものなの? 確か、双首領閣下と三人の大隊長は別の世界にいるはずでしょ」

「あン? ……そうか、確かテメエはあの人から直接『聖痕』を刻まれてねえからな。俺たちよりは鈍いからわからねえか。アンタはどうだ? ランサー」

 話を振られた男――槍兵(ランサー)として聖杯に召喚された英霊は軽く肩をすくめて、

「お前らの親玉らしき気配ってのは流石に感じないが……此処は既に修羅場だな。血の臭いが此処まで届きやがる」

「ああ。そうだろそうだろ……この臭い、一度嗅いだら忘れられねえ。どんな酒よりこいつが一番気付けになる」

「……流石ね。よく鼻が利くこと」

「ま、お嬢ちゃんにはまだ早い」

 螢の皮肉にもヴィルヘルムは無反応。ランサーだけがやはり肩をすくめた。
 その両者の反応に若干螢の眉間が谷間を作るが、それを遮るように最後の男がその場に現れた。

「同士諸君。歓談中のところ申し訳ないがよろしいかな?」

「おう、シュピーネ。操縦ご苦労さん」

「お前も一杯くらい飲むか?」

「折角の申し出、光栄の極みではありますが……私(わたくし)には今しばらく当機の操縦していなくてはならないので。この国では飲酒運転が強盗よりも重罪なのですよ。故、なにとぞご容赦を。アイルランドの光の皇子殿」

 ランサーに対して丁寧に腰を折ったその男は針金のように痩せ細った不健康そうな男だ。
 名をロートシュピーネと言うその男もまた、黒円卓に属する魔人である。

「さて、大統領専用機(エアフォース1)の乗り心地は如何でしたかな?」

「同乗者がこの二人でなければ良かったわ」

「ふむ……その辺りは馴れていただきたいレオンハルト。現状、彼ら……というか、中尉を御せるのは貴女だけだ。正直、私はこの機が海上で粉々になるケースも想定していたのでこれは喜ばしい成果と言える」

「……おい、俺がレオンに御せるってのはどういう意味だ?」

 シュピーネの言葉にヴィルヘルムが反応する。それと同時に噴出した殺気は完全に戦闘のスイッチが入ったことを意味している。
 一触即発。
 爆発寸前のダイナマイトじみた空気を掻き消したのはランサーの言葉だった。

「落ち着け。此処まで来て足を壊してどうすんだ? 遅参は重罪だろ」

「……っち」

「流石は”本物”の英霊殿。お陰で命拾い致しました」

 舌打ちした上で再びごろりと寝転がってしまったヴィルヘルムを無視してシュピーネが慇懃に頭を下げる。その様子を見ていて、螢は頭痛を感じる額に手を当てた。
 何よりも戦士である事を善しとするヴィルヘルムの価値観としては本物の英雄であるランサー……クー・フーリンの言葉は多少は聞き入れるに足りるものらしい。黒円卓の団員以外全て獲物としか見ないこの男にしては非常に珍しい事だが、この場合重要なのはランサーの言う事なら多少は聞き入れさせることが出来ると言う点である。
 イギリスでの作戦でも、撤退に渋った彼を最後に説得した(四肢を槍でぶち抜いて達磨状態にして連れ出すのを『説得』と証するあたり、やはりヴィルヘルムが気に入る要素を満たしているのだろう。この槍兵のサーヴァントは)のはランサーである。
 そして、そのランサーに対して強制力を持っているのが彼を召喚した螢である。
 つまり、

「では到着後は予定通りに。私は聖餐杯猊下の元で動きますゆえ、中尉とレオンハルト、そして皇子殿は三人一組(スリーマンセル)でサーヴァントを撃破して頂きたい。無論、その御霊でスワスチカを開く事もお忘れなく……一日に一つ、開けた後は最低24時間を置くようにと猊下より指示が出されております」

「わーってるっての。クリストフに子守は任せとけっていっとけや」

「おう。任せとけ」

「……了解」

 狂犬と猛犬、二頭の獣を従わせなければならないこの組み合わせに一人絶望を覚える螢。
 その事について気にしてくれる人間は、残念極まりない事に此処には存在しなかった。


◇◇◇


 一頻りミーティングを終え、シュピーネがコックピットに戻ろうとする所にランサーが待ったをかけた。

「そういや、着陸とかはどうするんだ。確か、こいつはどっかの国からかっぱらって来たもんだろ? 普通には降りられるのか?」

「ああ。それについてはご心配なく。彼の都市にも私の知己が降りますのでそれを頼って空港を使わせてもらえる事に……いやはや、持つべきものはやはり友と言う事ですね」

「その面(つら)で友と言われてもな……」

 ランサーはややげんなりと漏らす。それ以上聞いても胸焼けを起こすような事しか聞けまいと割り切って、寛ぐようにシートへ寄りかかった。

「ま、どっちみちいまからじゃ無駄かヴィルヘルム、嬢ちゃん。適当なもんに掴まっといた方がよいぞ?」

 一瞬の後、全員の表情に浮かんだのは疑問ではなく闘志。

「ほう。これはこれは」

「へっ、なんだやけにVIP待遇じゃねえか」

「……なるほど、そういうこと」

 曇! と響く衝撃音。
 螢がちらりと向けた視界にまるで紙細工のようにへし折られた鋼鉄の翼が見えた。

「釼冑……日本が誇る学園都市謹製の最新兵装ですか。いやはや、この国が作る物はどれもイカれている」

「貴方にだけは言われたくないわ」

 感嘆の声を上げるシュピーネに一応純粋な日本人と言う事で抗議を一つ吐き、螢はすぐに自分の聖遺物と取り出した。
 螢の聖遺物『緋々色金』はただの武器ではない。持ち主の渇望を種火として一切を焼き尽くす紅蓮を生み出す。その火力は英国の騎士が身に着ける鎧さえ焼き斬る程である。
 故、飛行機の装甲など紙同然で断ち切る事ができるが、今から行うのは斬撃ではない。
 両刃の直剣を握り、タイミングを計る。

「いまだ嬢ちゃん」

「わかってる」

 ランサーの合図と同時に刃を床へと突きたてる。
 そうしている間にも四方八方から刃金の鎧を纏った超人たちが迫る。刀槍で武装した黒金の鳥人たちが螢たちの乗る飛行機に肉薄した直後――

 爆ッ!!

 『内側』から起きた大爆発。
 東京上空で咲いた紅蓮の花は黒金の鳥人たちを巻き込み散華した。


◇◇◇


「グループの救出には成功……敵の無力化までは出来なかったか。まあ、そんなところだろう。初陣にしては十分だ」

 携帯を耳に当てながら次々と告げられる報告を聞く傍ら、今夜から部下となった『四人組』の戦果を聞き届けていた。報告される戦果はどれも予想の範囲内だったが、四人組の最大戦力たる青年が自分の能力をきちんと敵に向けられたという情報は彼にとって朗報だった。
 まったく使い物にならない可能性を視野に入れていただけに、指示通りに行動し、第一目標を達成する事に貢献したと言う事実は大きい。

「本番に強いタイプか……なるほど、秘術(エイヴィヒカイト)と相性は抜群らしい。そちらは今夜のところは解散、貴様はドクターのところに必ず寄れ。そこにグループの土御門も着ているだろうから、今後は我々の指揮下に入るように伝えろ」

『マジたりぃ。自分でやりゃ良いだろ』

「そうもいかん。今夜はこれから美女に誘われているのでね。子供の世話をしている暇はない」

『うっわ、なんつう無責任発言。キョーイクイーンカイにうったえてやるー』

「学園都市の教育委員会にか? 命が要らないならかまわんがお勧めはしない。ああ、それとも貴様の保護者を通せば出来るかも知れんぞ? 遊佐童心という政治家はアレで子煩悩だと聞いている。野党の大物議員なら、流石の統括理事も無碍に出来まい。しがない警備員一人、首を飛ばすなど物理的にも造作もないだろう」

『……この街の法律とかどうなってんだか』

 心からそう思っているらしい声音に笑いがこみ上げそうになる。
 無論、それは自嘲の類であったが。

「あんな者が理事長の時点でそんなものは鼻紙程度もあるわけがなかろう……時間だ。切るぞ」

『オーケイ。今度その美女っての俺とも踊らせろよ』

「背が足りるようになったらな、小僧」

 Pi、と電源を切る。
 すると、それを待っていたかのように三つの気配が背後に現れた。細身の男と大柄で派手な色に髪を染めた男、それと陰気な顔をした中背の男。彼らは衛宮士郎も含めて全員が一様に同じ服装――黒を基調とした防護服を身に纏い、胸には警備員(アンチスキル)である事を示す腕章が闇世の中でも輝いている。
 細身の男が彼の仲間から告げられた情報を告げる。

「衛宮、先行した部隊がやられた。どうやら、自爆したようだが……」

「その程度で死ぬ輩ならよかったのだが……現存の竜騎兵は?」

「我々を除けば二十。先遣隊を率いていたパトリックは戦線を離脱した模様。月山三機は既に所定の場所にて敵を補足していると連絡が着ております」

 応えたのは陰気な男。
 それに続いて大柄な男が鼻を鳴らした。その表情には怒りの色が浮かんでいる。それが何を対象にしているのかは言うまでもない。

「麿が出るわ。この空であんな奴らに好き勝手にされるのは気に入らないし、流石の奴らも空中では身動きが取れないでしょう」

「……奴らにそんな常識は通じん。それに、あの一団には『白貌のSS』がいる。奴の奥義は地上だろうが空中だろうが関係ない。……隊長格で奴らに挑み、私が一人ずつ潰す。現状、アレを殺しきれるのは私だけだろう」

「俺たちでは勝てないと?」

「端的に言えばそうだ。奴らは非常に厄介な鎧を着込んでいる。それを抜くには同等以上の威力をぶつけなくては殺しきれない……核でも叩き込めば、流石に多少は傷をつけられるだろうがな」

 その説明に一同は納得する。
 彼ら四人は全員が学園都市において最新兵装である『釼冑』を使用した治安維持行動を行う特殊部隊の指揮官たちである。その鎮圧対象には能力者やスキルアウトだけではなく、科学とは水と油の存在である魔術を行使する者たちも含まれており、その理不尽さについてはある程度全員が承知していた。
 中でも彼――衛宮士郎は対魔術師戦闘において他の四人を遥かに上回る経験を持っている。
 そんな彼の言葉だからこそ、全員が知る。
 いまここに降りてくる存在どれほど荒唐無稽で理不尽な存在であるのかを。

「高町と今川は痩せた男と少女に対応してくれ。残存二〇騎を全て連れて行け。湊斗は例のアレを。それ次第で戦術を変更するが基本的には白貌のSSと奴の仲間を分断させるのがお前たちの任務だ。ただし槍を持つ男とは真正面から打ち合うな。確実に殺される」

「「「諒解」」」

 指示を受けた瞬間から全員が行動を開始する。
 そんな中でただ一人、衛宮士郎だけが夜の空を見上げていた。
 その猛禽の眼には既に、こちらへ向かって『疾走』している白い吸血鬼の姿を捉えていた。


◇◇◇


 櫻井螢にとって、その降下は初めての体験だった。
 高度一千メートルからの救命具なしでの降下。むしろ行き過ぎた投身自殺といっても過言ではないその行為に、しかし螢にとっては大した脅威を感じることはなかった。

「便利なものね」

「意外に芸達者なもんだ」

「お褒めに預かり恐悦至極」

 螢の言葉に芝居がかった台詞を返したのはシュピーネだ。
 ランサーを含めた三人はシュピーネが虚空に張り巡らせた『巣』を足場にして地上へ向けて疾走している最中である。機体の燃料を利用して爆発を起こし、周囲から迫る敵手に深手を負わせる。
 螢が取ったその作戦は実に効率よく敵の命を奪う事に成功したが、その代償に移動手段を失ってしまった。故に、彼らは残る地上までの距離をその足で走破しなくてはならない。
 その事に多少面倒と思いながら、それ以上に螢は同情のため息を漏らした。

「敵も哀れね。ベイの八つ当たりに使われるなんて」

 彼女たちを置き去りにするような速度で疾走する白い吸血鬼は既にその体から杭を作り出し、機銃掃射よろしく盛大に弾幕を張りながら地上へ向かっている。
 先程の爆発から生き延びただけに、残っていた敵はかなりの錬度らしく一撃で斃される数は少ない。しかし、それもこのまま間合いを詰めきれたなら彼の創造が敵を全て取り込んで終わりだろう。
 そう、ヴィルヘルムの力量を知るからこそそこに弛緩が生まれる。
 そして、それを見逃してくれるほど敵は甘いものではなった。

「嬢ちゃん!」

「え?」

 巌! と螢の首筋に衝撃が走る。気がつくと、彼女の首筋には刃渡りの短い刀……小太刀が一本切りつけられていた。視線が一瞬で敵を捉える。
 いつの間にそこに現れたのか、漆黒の鴉めいた釼冑を纏った武者が静かにそこにいた。
 秘術の恩恵によりまともな武装では傷を負わないからこそ無事だったが、通常であれば間違いなく致命傷だった一撃。
 それをいとも容易く受けてしまったという事実が螢の行動を著しく遅くした。

「御神流・奥儀之肆」


 雷徹


 再び衝撃。しかしその凄まじさは先程の比ではない。まるで首から上が吹き飛ばされるようなその威力に螢の体は空を舞う。それを拾ったのはシュピーネの形成した絞殺の糸であり、それはつまり、彼が無防備になった証拠でもある。

「悪いけれど、麿の睡眠時間のためにも速やかに死んでもらうわ」

「おやおや。では私が永劫の眠りを与えて差し上げましょう。なに、御代は頂きませんよ」

 天空から急転直下。
 唐竹に斬り掛かって来る黄金の釼冑にシュピーネは蛇めいた笑みを浮かべた。

 絶!

 一閃がシュピーネの頭と股間を一直線に結ぶ。しかし、凄まじいまでのその一刀は彼が片手で形成した糸で受け止められていた。純粋な力量、威力であれば間違いなく上回っている斬撃を事も無げに防ぐ。
 その事実を見た全員がその出鱈目さに内心で舌を巻き、

「吉野御流合戦礼法『迅雷』が崩し――」

 真打の奇襲が此処に成功する。
 その一撃が効くか否か。
 学園都市が第三位の能力を解析して作り出し、かつそれを使いこなして見せた仕手が放つ奥儀が効くか否か。
 八人いる隊長格のうち、一人だけ量産型の竜騎兵『九四式』を愛用するその男の一撃が効くか否か。
 それ次第で今後の戦況は大きく変わると確信して全員がそれに注目し、

「電磁抜刀(レールガン)・禍(マガツ)」

 音速を超えた抜刀術がシュピーネの首を捉える刹那、蒼穹の獣がその閃光に腕を差し込んだ。

「なっ……」

「いい業(わざ)だ。宝具に換算してもランクはB……誇れ剣士。てめえの一撃は英霊に届く域にある」

 その腕は……無傷。
 ルーンマスターでもあるランサーが全魔力を防御に費やしたとはいえ、それでも必殺の一撃が無傷であったという事実は重い。
 そして、同時に窮地でもある。
 電磁抜刀はその威力こそ凄まじいが当然の如く代償も大きい。
 放つ事さえ至難とされるこの抜刀術は、それにもまして最大の欠点がある。即ち並の使い手では業を放った直後に気を失うほど消耗してしまうこと。学園都市博とはいえ、この電磁抜刀が行えるほどの人間は最も釼冑を使い続けてきた試験装甲者(テストパイロット)――学園都市見廻組四番隊隊長・湊斗景明だけだろう。
 しかし、仕手が耐え切れても釼冑の方が耐え切れない。
 電磁抜刀の際に発生する大量の熱を放出しきるまでの刹那、釼冑はその動きを停止させ、それ故に彼の身動きは完全に封じられてしまう。
 そのがら空きの喉元に真紅の魔槍が突き出され――

「やらせん!!」

「ハッ! 止められるものなら止めて見やがれ!」

 二条の鋼が寸でのところでそれを阻止する。残像さえ残して振るわれる二刀が火花を散らして閃光じみた刺突を迎撃する。しかし、槍兵の英霊が繰り出す一撃はその全てが音を置き去りにするほど。
 いかに釼冑を纏った超人であってもまともに受けてはたまらない。
 それを援護するために全ての竜騎兵たちが手に巨大な突撃銃を構え、

「一斉射! 高町回収任せたわ」

「承知!」

 弾丸の雨が黒円卓の騎士たちへと降り注ぐ。
 闘いはまだ始まったばかりだ。


◇◇◇


「上でどんぱちが始まったかよ」

「ああ、つまらん邪魔が入っては貴様も本気がだせんだろう」

 地上。
 半径一キロにはなにもない無人の空港に彼らは立っていた。
 一人は聖槍十三騎士団黒円卓に属する魔人。白い貌を持つ吸血鬼。
 そして、いま一方は褐色の肌に色素の抜け落ちたような白い髪の男。
 学園都市を守護する警備員の特殊部隊を率いる衛宮士郎に、しかし、ヴィルヘルムはまったく別の肩書きでその魔名を呼んだ。

「そんで? テメエが俺を止めるって言うのかよ? サンドリオン。黒円卓の補欠なんて無様なテメエが、この俺を」

 嘲り以外の何も含まれていない言葉がヴィルヘルムから放たれる。
 しかし、だからどうしたと衛宮士郎は口端を歪めた。

「なんと呼ぼうが構わんが、私は貴様らの一員になった覚えはない」

「言うじゃねえか」

 二人の間にある空気が音を立てて凍りつく。
 互いがぶつける殺意が空間を歪ませ、世界が悲鳴を上げているのだ。
 その哀切がまるで聞こえているかのように、ヴィルヘルムは笑みを浮かべる。
 肩が振るえ、喉を震わせ、抑えきれぬと口元からクツクツと漏れ出る殺意。

「まあ、確かに。てめえは俺たちの仲間じゃねえ。獣臭ぇ猿野郎なんざ貴様の代わりに五位になったレオンだけで十分だ」

 ヴィルヘルムがその名前を口にした時、一瞬だけ士郎の表情に感情の色が浮かぶ。色素が抜けたような鉛色の瞳は、しかしそれが完全に表に浮かぶより速く押さえ込まれる。
 しかし、それでもこぼれてしまう言葉があった。

「……レオンハルト。確か、名前は櫻井螢、だったか」

「よく知ってるじゃねえか。流石は親子二代の"魔術師殺し"だ。良い耳をしてやがる」

「貴様の耳が遠くなっただけだろう。これは忠告だがね、老害はさっさと舞台から消えた方が良い」

「くはっくくっ……まあ、言えてるかもな。俺とこうして話した奴は大概あの世に逝ってやがる」

 ヴィルヘルムが構る。

「偶然だな。私も同じだ。こういう会話をした相手と何度も出くわした事がない。貴様を除いて、な」

 それに衛宮も即応できるよう腰を落とす。

「……」

「……」

 互いに無言。
 それを破ったのは上空で走った閃光。
 ランサーが電磁抜刀を受け止めたその輝きが開戦の号令となる。

「「Briah/創造」」

 ここに、怒るはずのない番外位(イレギュラー)と第四位との激突が始まる。



[21470] 第九話 灰かぶり
Name: U.Y◆d153a06c ID:7e2fa1f6
Date: 2010/09/21 23:51

 秘術(エイヴィヒカイト)と呼ばれる術式が存在する。
 聖遺物と呼ばれるマジックアイテムをその身に宿し、魂を燃焼させる事で術者の渇望を具現化する。
 聖槍十三騎士団黒円卓第十三位『副首領』カール・クラフト=メルクリウスが編み出したその秘術は、しかし原理だけで言えば既に古の魔術師たちによって構築されていた。
 その証拠に時計塔における随一とされる執行者は本物の『宝具』を扱う事を可能としているし、英国の騎士団長はバックアップを前提とするが自身が持つ魔剣の性能を十全に発動させる事ができる。
 『概念武装(マジックアイテム)を使いこなす』術ならば既に無数に存在する。そして、彼らの用いる武装の格であればいかに黒円卓の騎士たちであろうとも殺しきれると言われ続けていた。
 ……現実にその理不尽と遭遇するまでは。

「ヒャァッハー!!」

 歓声と共に放たれる漆黒の魔弾。
 二十を超える必殺の弾丸を衛宮士郎は両手に持つ陰陽の双剣で迎え撃つ。
 弾き、砕き、交わし、落とし、払い、断ち切り前進する。鉄壁の防御を引きながら致死の暴風を搔き分け、その中心へと肉薄する。
 漆黒の軍装に紅の腕章。白貌にかけられたサングラスの下から灯る赤眼を鷹の目で見据えながら串刺し公(カズィクル・ベイ)の領土を侵す。その偉業は、しかし達成寸前で阻止される。

「おいおい。足元がお留守だぜ? サンドリオォォォン!!」

「ちっ」

 からかうようなヴィルヘルムの声に反応している暇はない。
 突如として地面から垂直に突き上げられた巨大な杭を士郎は辛うじて回避に成功させる。その代償は避け損ねた枝葉によって貫かれた右足のみ。状況を考えれば神業めいた回避だが、この空間(よる)においてその浅手が与えるダメージは見た目以上に深刻なモノだ。

「ぐっ」

 がくんと肉体からナニカを引きずり出される感覚に士郎の口から苦悶の音が漏れる。
 黒円卓の第五位『吸血鬼』ヴィルヘルム・エーレンブルグ=カズィクル・ベイの『創造』は吸血鬼である彼が全力を発揮する事が出来る『夜』を創り出す。この夜に存在するモノは須らくヴィルヘルムに捧げられる供物であり、ただ在るだけでも『吸い尽くされる』ことになる。
 血も肉体も魂も。
 健常な者であろうと彼が意識を向けたなら即座に木乃伊とされるだろう。衛宮士郎がそれを免れているのは単純に彼もまた吸血鬼と同位魔人であるからこそ。
 しかし、それでも手傷を負ったのは上手くない。ただでさえこの空間にいるだけで牙を突き立てられているような状態なのに、穴が増えればそこから更に強く吸われるのは道理である。

「おいおい、もう足にきてんのか? がっかりさせるんじゃねぇよ。まだまだ夜はこれからだろうが」

 そして、当然の理屈としてヴィルヘルムはその分回復する。
 鉄壁の防御と戦う限り永続する再生能力。
 こと『戦場で生き残る』という事に関して彼を上回る騎士は黒円卓にもいまい。
 だが、ここで勘違いしてはいけない部分がある。
 すなわち、ヴィルヘルムが埒外にあることは間違いないが……だから他の騎士たちが殺しやすい存在では決してないと言う事。彼ら黒円卓の騎士は戦い殺した魂を聖遺物に吸い取り、燃料とする。それを使えば多少の傷……絶対に先手をとる魔弾や血を啜る事で力を増す魔剣などによって受けた傷だろうと魂(ねんりょう)がある限り再生する。
 今の彼のように。

「随分と余裕だな串刺し公。この程度の掠り傷がそんなに嬉しいか」

「ハッ。生意気な餓鬼だ」

 瞬時に傷を塞いだ士郎は再び突進を開始する。
 再びヴィルヘルムが魔弾による弾幕を張ろうと試みるより速く、士郎がその手にした双剣を投げつけた。古代の名工が鍛え上げた双剣はそれが内包する年月の重さで存在を斬る。それがたとえ黒円卓の騎士であろうと例外はない。高速で回転する夫婦剣は断頭台の刃となって吸血鬼の首へと疾走する。
 しかし、不意打ちならばともかく、弾丸さえ撃たれてから回避できるヴィルヘルムにその投擲は余りにも遅すぎた。杭によってあっさりと打ち落とされた双剣は地面に落ちると同時に硝子の様に砕けて消滅する。それによって稼ぐ事ができた時間は刹那にも満たなく、

「お望みどーり串刺しにしてやるよッ!!」

 疾走する士郎を完全に補足していたヴィルヘルムが極大の杭を自らの影から突き出す。杭というより既に破城槌と呼ぶべきその牙は真正面から突撃する衛宮士郎の腹を貫いた。

「さーて、てめえの味を確かめてやる。安心しろよ、呑み残しだけはしないからよう」

 ヴィルヘルムは獰猛に嗤いながら宣言する。そして、その言葉通りに衛宮士郎の肉体から蓄えられていた『力』を吸い上げ始めた。いかに魂を燃料とした再生が可能であろうとこれでは無理。そもそも、これでは一瞬のあとに魂さえも吸い尽くされるだろう。
 十年前、前回の聖杯戦争に参加していた頃の衛宮士郎であったなら。

「脆い牙だな吸血鬼。歯磨きはしていないのかね?」

 臥鎮ッ!

 鋼と鋼が噛み合う音をさせ、砕けたのは何故かヴィルヘルムの牙。
 それを行った衛宮士郎の腹にはいま無数の剣(キバ)が生み出され、開いた穴を閉鎖する。まるで獅子が顎を閉じるように。それと同時に士郎の体にも異変が起きた。警備員(アンチスキル)の戦闘服――防刃、防弾、耐熱、耐電などなどの各種防護処理の施された鎧めいた衣服を下から貫いて、その剣群が顕れる。
 それぞれが有名、あるいは無名ながらも力を持つ剣の群れ。
 剣製に特化した魔術使いの少年が辿り着いた末の姿こそ、この戦闘形態。
 その輝きはまるで漆黒に塗れた夜を切り裂く閃光の様であり、故にヴィルヘルムの凶眼に殺意が生まれる。

「……いつ見ても気にいらねぇな。テメエの創造はよぉ」

 殺意を孕んだ憎悪の視線に士郎は皮肉げな笑みを口元に作る。
 自嘲めいたそれは果たしてどちらに向けたものか。

「生憎だが、この有様(カタチ)は私の性分だ。似たような存在が君と言うのは甚だ不本意だが、致し方あるまいよ。いまさら変えられるモノでもあるまい」

 刃の触れる音をさせて士郎が構える。
 一方は自身の内から杭を生み出し、武器とする吸血鬼。
 一方は自身を内より剣を抜き出し、武器とする魔術使い。
 彼らの姿かたちは酷く似通っていた。
 故にこそ、彼ら二人は相容れない。
 鏡でしか見ることのない存在を目の当たりにして、どうしてまともでいられよう?

<此処まで逆しまではもはや憎悪する他あるまい。彼らにとっての最悪が形をもって顕れているのだから。やれやれ、無貌殿の演出とはいえ、なんとも酷いことをする>

 くつくつと影絵が嗤う。
 それを合図としたように、両者の激突は再開された。

「死ねや猿野郎ぉぉおおおおお」

「今度は貴様が串刺しにされる番だ。吸血鬼ッ!」


◇◇◇


 吸血鬼と剣製の贋作者が激突している戦場の上空。
 学園都市最強の防衛戦力である『見廻組』と『獅子心剣』櫻井螢=レンハルト・アウグストたちによる激突が繰り広げられていた。しかし、その情勢は裏の世界の誰もが予想するモノとは異なっていた。
 即ち、黒円卓の騎士たちが劣勢に立たされている、という本来ありえない状況になっていた。

「くそっ……シュピーネ、足場は作れないの」

「難しいですね。この夜が明けなければ私の糸も中尉に吸われて満足な強度を持たせられない」

 焦りが滲む螢の言葉に暢気な口調で返すシュピーネ。
 しかし、その間にも二人を狙った銃口が絶え間なく炎を吐き出す。音速を超える赤熱した弾丸。それらをひらりひらりと回避しながら、シュピーネは螢の行動に眉を顰めた。彼女もまた超人的な運動神経で弾丸を回避しているが、それでも幾つかは避けきれていない。
 彼女はそういった弾丸をその手に形成した『緋々色金』で切り払っていた。
 戦車だろうと吹き飛ばせるだけの威力を誇る高速鉄鋼弾を見切って切り落とすその技量は立ち向かっている鎧士たちに寒気を覚えさせるものだったが、シュピーネにはそれが気に入らないものだったらしい。

「レオンハルト、貴方はもっと良く相手を観察なさい。我々の性能ならば、この程度の射撃は回避できるでしょうに」

「……悪いけど、貴方みたいにダンスが得意なわけじゃないのよ。誰も教えてはくれなかったから」

「ふむ……確かに。貴方が私の元に研修で来ていた時もこのような弾幕に曝されることはなかったか。ですが、貴方の兄上、当代のカインならば出来たでしょうに」

「兄さんが?」

 螢は顔面を捉えて飛来する弾丸を『蒸発』させてシュピーネに目をやる。針金で作られているのではないかと思うほど痩せ細った魔人は奇怪な動作で弾丸の全てを避けつつ、頷いて見せた。

「ええ。貴方の兄上は私や聖餐杯猊下同様に凡庸であり、同時にそれをよく理解しておられた。故に我々のような存在になっても慎重さを忘れる事がない。存外に難しいのですよ、これが。大抵はマレウスやベイ中尉のような感じになる。光の皇子殿も、どうやらその部類であるらしい」

「なるほど」

 シュピーネの説明に今度は自身のサーヴァントへと向く。
 そこには金色と闇色の劔冑二騎を相手に圧倒している蒼穹の槍兵が手にした朱色の魔槍を弾雨の如く突き出している。顔面、心臓、肝臓。刺突による三点バーストは吸い込まれるように二騎を貫くが、敵はそれを一向に介さず斬りかかって来る。

「ちっ! 面妖な業を使いやがって」

 閃光じみた剣戟を恐るべき槍捌きで全て受け流す。更には反撃まで行うがこれは先程同様に効いている様子が見られない。
 その様子を苦戦と見た螢は声を張り上げた。

「ホリン! 一度戻りなさい」

「応よ」

 景気のいい声を上げた直後、槍兵は残像だけをその場に置いて後退する。
 螢とシュピーネ、ランサーが一箇所に集まった事で警備員たちも警戒したのか、ランサーを相手に立ち回っていた二騎も僚騎の集団へと戻っていく。

「やれやれ……アイルランドの光の皇子殿もどうやら押され気味のご様子。貴方も正体不明の相手では些か勝手が違いますかな」

「そういう訳じゃねえけどな。どうやら、奴らの術で視覚と聴覚を誤魔化されてるらしい」

 ランサーは自分の目と耳を軽く叩きながら交戦中の現象を説明した。
 曰く、突如として敵の武装が伸びたり縮んだり、相手のいる場所がミリ単位でずれていたり……超人同士の戦いではその微妙な差異が生死を分かつ。その上、相手は聴覚にまで干渉して彼の五感を狂わせているらしい。
 目隠し耳栓した状態であれほどの手誰と渡り合っているランサーも凄まじいが、この場合はサーヴァントに有効なほど強力な幻術を行使している相手側を賞賛するべきだろう。螢は呆れ半分の息を吐く。

「陰義(しのぎ)という外付けの魔術回路で起動させてる術式……まったく、噂程度には聞いていたけれど、この街はどこかの国でも攻め落とすつもりなの?」

「我々が言える事ではないと思いますが……まあ問題は彼らが適切な対処を取っているという事でしょう」

「確かに。どうやって調べたのやら」

 散発的に撃たれる銃撃を避けながらシュピーネが疑問を口にした。
 彼ら黒円卓の騎士たちは遭遇してはならない、一種の天災の類である。それに対抗する手段など余人にはほとんど無い。それを覆しているいまの状況を作り出すには、それこそ黒円卓の騎士の事を詳しく調べ上げる必要があった。
 では誰が? 一体どうやってそんなことを調べる事ができたのか?
 螢もまったく同じ疑問を思い浮かべ、しかし、それについてはランサーがあっさりと答えを出した。

「敵に何度かお前らと戦った事がある奴がいる、そうとでも考えねえとここまで戦略は立てられねえだろうな。そもそもの前提がヴィルヘルムの野郎が使う奥儀の発動だろ。こりゃ」

 ランサーの言うとおり、彼らの敵手たちは積極的な攻撃を仕掛けては来ない。
 可能な限りの安全圏を確保しつつ銃撃を仕掛けて無駄な動作を一つでも多く取らせる。平時であれば何の意味もない作戦だがいまこの空間はヴィルヘルムの渇望が発現している。
 ただいるだけで命をすり減らされる吸血鬼の胃袋は劔冑を纏っていようと黒円卓の騎士だろうと分け隔てなく貪り喰らう。
 そう、この夜、この瞬間――この戦場においてのみ、科学の力しか持たない彼らでも騎士たちを殺しえる。
 物量と言う唯一の優位を用いたごり押して敵をすり潰す。
 闘争において最も正当(オーソドックス)な戦略でもって螢たちはいま窮地に立たされている。

「でも一体どこにあれと戦って生き延びられる奴が……」

 そうもらした螢の言葉にシュピーネが反応した。

「いえ、ですが……なるほど。彼が指揮するなら頷ける。前提条件を全て満たしていますし、なにより前回の優勝者だ。此度の戦争にも顔を出してくる可能性は高い」

 シュピーネの本領は諜報と暗殺。
 それ故に本来存在しない黒円卓の騎士を彼も良く知っていた。

「衛宮士郎。彼らの指揮官があの魔術使いであるなら……これはベイ中尉に加勢が必要になってきましたね」

「そんなに強い相手なの?」

「私が知る限りベイ中尉と戦闘すること八回。その度に生還している事が彼の凄まじさですよレオンハルト。まあ、貴女にも無関係な相手ではない。顔を見ておいて損はないでしょう」

「私に?」

 謎めいた台詞に螢の柳眉が曲がる。
 しかし、いまはこれ以上説明するつもりがないのか、シュピーネはまだなにか言おうとした螢を無視して敵軍に意識を集中する。

「さて、では遊びはこれくらいにして掃除をしてしまいましょうか」

 右手をさっと上げる。
 その動作に鎧士は一様に警戒を強めるが、そんなことは彼にとって何の意味もない。

「Auf Wiedersehen sie(お休み諸君)」

 勲、と糸の張る音がした。
 芝居がかった動作で振り下ろされる腕の指先には無数に分かれた絞殺の糸が。
 刹那の後、半数以上の天駆ける戦士がその首を切断された。


◇◇◇


 今川雷蝶にとって、その光景は悪夢に等しい。
 否、それはこの場に生き残った戦友全員が共有する思いだったかもしれない。しかし、それでも最も激甚な怒りを覚えたのは彼だっただろう。
 戦闘前、彼は指揮官たる衛宮士郎の説明を話し半分程度に考えていた。
 別段、それを責める者はいないだろう。
 それほどに劔冑とは強大であり、身に着けた者の技量次第では学園都市に生きるものにとって最強の存在として知られる超能力者(レベル5)さえ下しえる力を発揮できるのだから。
 たかだか三~四人程度の侵入者、鎧袖一触に斬って捨てることは出来ると考えるのは致し方ないことである。
 しかし、結果はこの様。
 隊長格『五人』による猛攻を物ともしない槍の使い手に二十を超える鎧士の射撃が創り出す殺人空間(キルゾーン)で平然と談笑する男と少女。
 雷蝶は事此処にいたって理解する。
 彼らは魔人であり、それを侮ったツケを仲間の命という換えの効かないモノで支払わされた。

「高町、貴方は残存を率いて後退しなさい」

「……悪いが、俺の流派は『破れ不る』が信条でな。鈴川たちに引継ぎを行った。先に後退した湊斗共々回収をしてくれる手筈になっている。……殿(しんがり)は俺も付き合おう」

 雷蝶が何かを言うより早く、鴉めいた釼冑を纏った男――高町恭也が両手の小太刀を構える。
 現状、残っている鎧士は彼らを含めて六人。
 初撃で奥の手(ジョーカー)を切った湊斗景明は敵の奥儀が発動すると同時に後退させている。消耗した彼ではただ飛行しているだけでも辛いはずという雷蝶の判断は結果的に彼の命を救う事になった。
 仮にこの場にまだ彼が残っていたなら、恐らくは先の一撃を避けることは出来なかっただろう。そう確信できる雷蝶は、だからこそ恭也にも後退するように促そうとした。

「子持ちが無茶するもんじゃないわよ。下の子、まだ小学校に上がってないんでしょう」

「死ななければ問題ない」

 しかし、その程度で引く男ではないと、雷蝶も分かりきっていた。
 だからこそ、

「麿が前よ。オカマを掘るのは趣味じゃないの」

「それを聞いて安心した」

 軽口を交わす。
 それと同時に、闇色の劔冑『銘伏』を纏った男――『見廻組』二番隊隊長高町恭也は背中の合当理(がったり)から紅蓮の炎を吐き出した。
 その鼻先を雷蝶が纏う黄金の劔冑『膝丸』が猛烈な勢いで追い越し、吶喊する。

「イイィィイィイァアアアアアアア!!!!」

 右の肩口で刀を当てるように構える蜻蛉の型から繰り出される打ち降ろしの一撃。最速最強の必殺剣が狙うのは仲間たちを殺した瘦身の男。
 二騎共にその速度は神速。
 繰り出される剣戟は今夜最高の一撃であることは疑いなく、

「お前らの相手は俺だろうが!」

「ぬぅっっっ」

「くっ!?」

 故に英霊を引き寄せる。
 人の身でありながら英雄を殺しえる剣技を誇る二人は、だからこそこの魔槍の使い手から逃れる事ができない。
 展開されるのは真紅の弾幕。すでに点ではなく面を制圧する槍兵の刺突は二人を捕らえ、その腕を、足を貫いて母衣(つばさ)さえ打ち破る。
 先程まで彼ら二人がその槍を捌けていたのはこの場にはいない三人の隊長格によって目と耳を誤魔化し、偽っていたからに過ぎない。しかし、その援護も建て直しを優先させている現状では望めない。彼らは彼ら自身の力量で持ってこの雨霰(あられ)と襲い掛かる死の雨を潜り抜けねばならない。
 雷蝶の太刀が、恭也の小太刀が縦横無尽に振るわれ、閃光めいた刺突を紙一重で見切り、心臓や頭といった部分だけを防御する。そのために腕を、足を、腸を朱に染め、甲鉄を撒き散らす。
 ほんの数秒の打ち合いで既に彼らの体は満身創痍。

「しゃらくさいのよっ!」

 それでも雷蝶の口からは獅子めいた咆哮を放ち、同時にその剣戟の速度が引きあがる。真紅の絶壁を断ち切る黄金の一刀はランサーの頬を浅く切り裂いた。槍兵はその事実に獰猛な笑みで応じ、さらに槍を扱く腕を加速させた。
 黄金と蒼穹の速度は既に人間が辿り着けるものではなくなっている。それでも高町が辛うじて援護出来ているのは彼自身の技量による。彼の流派が「神速」と呼ぶ肉体のリミッターを解除する事で到達する極致。それを更に三段重ねた末にようやく雷蝶の戦いを補佐する事を可能にしていた。
 しかし、それでも足りない。
 そして、なにより――

「そろそろ、私を無視するのはいい加減にして欲しいのだけれど」

 この場にはいま一人、可憐な少女の形をした死神がいるのだから。
 その手にあるのは『緋々色金』の剣。
 最高の鉱物で鍛えられた剣は炎を纏い、釼冑の護りさえ焼き斬る一撃が振り下ろされる。
 その軌跡は仕手の性格を現すように一直線。二人の首を同時に断ち切る一閃が引き結ばれる。雷蝶は反応は出来ても対処は出来ない。一瞬でも眼前の槍兵から目を放せばそれで詰んでしまうからだ。
 故に、高町は動く。
 自分の体がずたずたになる音を耳にしながら、激痛を無視して両腕を疾走させる。

「御神流――虎乱」

 必殺の斬撃に対抗して無数に引き結ばれる鋼の閃光。徹(とおし)と呼ばれる衝撃を内部に浸透させる斬撃は辛うじて『緋々色金』の軌道を逸らす事に成功する。勝利を信じていた少女の瞳が大きく見開かれるのを高町はしっかりと見つめ、

「見事だ。褒美に、俺の宝具(奥の手)をくれてやる」

 告げられた死刑宣告も聞き逃す事はなかった。

「高町! アンタは離脱を」

「悪いが、身動きが取れん」

 全身が氷付けになるような不吉の風を浴びた雷蝶は咄嗟に高町へと叫ぶが、既に限界を超えていた彼の体を無数の糸が拘束していた。この場にいる紅蜘蛛の異名を持つ魔人は己の間合いに踏み込んだ者を一切逃す気はないらしい。
 それを悟った雷蝶は絶望的な思いで槍兵を見つめる。
 朱色の魔槍は歓喜に震えるように光り輝き、好敵手の血を早く啜らせろと戦慄く。
 もはや、この場から逃げる事はできない。
 そう悟ると同時に――



 刹那――その祝詞は捧げられた。




「雷速剣舞 戦姫変生
 Donner Totentanz―Walkure (トール トーテンタンツ・ヴァルキュリア)」


 音を追い越す、戦乙女の閃光が夜を引き裂いた。


◇◇◇


「そんな……馬鹿な……」

「ありえませんねぇ。これは……」

 螢はその光景が何かの間違いではないかと思った。
 それは話に聞いていた彼女の奥儀に余りにも酷似していたから。しかし、それを確認しようとして視線を向けた先任のシュピーネの表情を見る限り、螢は自分が感じた事柄が事実であると悟った。悟ってしまった。

「どうして……」

「嬢ちゃん、呆けてる場合か!」

 ランサーの叱咤に我を取り戻す。
 彼女と突如として乱入してきた男(恐らくはシュピーネが衛宮士郎と呼んでいた敵方の指揮官だろう)との間合いはほぼゼロに近い。いや、実際にある彼我の距離は男が仲間を回収して引いたため既に数十メートル近く離されていたが、今の彼にとって何の意味もあるまい。
 その体を雷に変成している今の彼には。
 その認識が螢の体を動かした。緋々色金を構えさせ、視線は相手の動きを探る。

「ホリン……あれは?」

「さあな。でも、ありゃ嬢ちゃんの奥の手に似てる」

「あれはレオンハルトの前任であるヴァルキュリアの創造……直に見るのは初めてですが、それが貴方の創造ですかな? 補欠のサンドリオン殿」

「そういう貴様が紅蜘蛛か。成程……似合いの名前だ。そして、そちらが噂の新人と……ランサーか。ホリンという名前、聞いたことがある」

 サンドリオンと呼ばれた男はつまらなそうにシュピーネ、螢と視線を動かし、ランサーを確認すると鋭い視線を更に研ぎ澄ませ、もはや刃のような凄みがそれには宿っていた。
 その圧迫感に一瞬圧倒されかける螢だったが、当のランサーは飄々としたままにやりと笑ってみせる。

「随分とまた物知りな奴だ」

「そうでもない。ク・ホリン……アイルランドの光の皇子クー・フーリンの呼び方にそんな物があったと職業柄知っていたのだよ。これでも普段は世界史を教えているのでね」

 引き締められた長身に褐色の肌。鉛色の髪と瞳と持つ男の手には白い刺突剣(レイピア)が握られている。

「その剣は……」

「貴様たちなら知っていよう」

「『戦雷の聖剣(スルーズ・ワルキューレ)』……ヴァルキュリアの聖遺物だった剣ですよ。レオンハルト」

 シュピーネが次いだその銘と、かつての持ち主だった人物の名前を聞いて螢の思考は完全に停止した。
 前五位・ヴァルキュリア……ベアトリス・ヴァルトルート・フォン・キルヒアイゼン。
 かつて一緒に暮らしていた、自分にとって姉のような、母親のような、大好きで尊敬していて、大切な女性。
 そんな彼女の聖遺物を、何故、この男が持っているのか?
 その魂にまで融合した、黒円卓の騎士が持つ聖遺物をどうやって取り出した?
 落ち着こうとすればするほどに混乱する螢の思考を決定的に崩す一言が、シュピーネから漏れる。

「ヴァルキュリアを殺して奪った剣で随分と……私も中々に酷い人間であると自覚しておりますが、貴方はそれを上回る。正直な話、虫唾が走るような思いですな」

「光栄の極み、とでも言えば良いかね? ……これ以上の被害は容認できんな。恐ろしい吸血鬼が追いつく前に我々は逃げるとしよう」

「ヴァルキュリア……ベアトリスを、殺した?」

 もし、それが本当ならば……

「ッ!! 創ぞ……」

「よせ、嬢ちゃん。無駄だ」

 激発しそうになる螢をランサーが抑える。それと同時に士郎を中心に炎が噴出し、一瞬の後、全ての鎧士が姿を消した。

「態々魔術の奥儀たる固有結界を転移のためだけに展開する……確かに、ベイ中尉の胃袋の中からでもあれなら逃げる事ができるでしょうがそれにしても大した大盤振る舞いだ。相当に焦っていたようですねぇ」

 その手並みを見て、シュピーネは感心したように息を吐く。しかし、螢にその意味をたずねる余裕は存在していなかった。

「シュピーネ、教えなさい。アレはなに」

「ふむ、これからの作戦に私情が混じるのは避けたいところでは在りますが……いいでしょう。先程言ったとおり、貴女と彼は因縁が深いですからね。
 彼の魔名は『灰かぶり(サンドリオン)』と言い、本来は彼が第五位として迎えられる筈だったが……しかし、彼は我々に合流せず、逆に敵対する道を選んだ。故、貴方が育てられたのですよ。レオンハルト」

「彼女が……ベアトリスが奴に殺されたと言うのは?」

「前回の聖杯戦争の折、冬木という都市で行われたその儀式の聖杯を手に入れる任を帯びたヴァルキュリアが失敗して命を落としたのは間違いありません。
 そして、彼は前回の戦争における勝者でありその手には何故か『本物』の『戦雷の聖剣(スルーズ・ワルキューレ)』がある……状況証拠だけになりますがもはや言い逃れは出来ないでしょう」

 確かに、一度身に宿した聖遺物と取り出すなど、持ち主を殺して奪う他あるまい。
 ならば、彼はどうやって戦雷の聖剣(スルーズ・ワルキューレ)を手に入れることが出来たのか。考えるまでもない。

「そう、あいつがベアトリスを……」

 血を吐くように呟く少女の声。その手に強く握られた『緋々色金』はこれ以上ないほどに灼熱する。
 騎士たちだけが残された吸血鬼の夜。
 地上では袖にされた串刺し公が怒りの咆哮を上げ、上空では怨敵を見つけた少女が無言の怨嗟を呻き、紅蜘蛛は飄々と地上へ降りていく。

「あいつが……奪ったんだ……」

「………………」

 いまだ消えた敵の背中を見据える少女をランサーはただ一人、痛ましいものを見るように眺めていた。



[21470] 初日終了時点での作中戦力分散表
Name: U.Y◆d153a06c ID:7e2fa1f6
Date: 2010/09/22 00:29
()内は原作の題名
*は直近での彼らの行動予定表
分かりきっている状態でも作品内できちんと名前が出ていない人は???になっていますので予想してみませう(ある程度分かる人なら一発ですが 汗)


『月面』
○マスターテリオン(『斬魔大聖デモンベイン』より参戦)
○ウェスパシアヌス=木原幻生(『とある科学の超電磁砲』より参戦)
*木原は何かを完成させる直前。テリオンは聖杯戦争を鑑賞中


『窓の無い建物』
○クラウデゥス=???(『リリカルなのは』より参戦)
 アーチャー=???(『DUEL SAIVOR』より参戦)
*学園都市のど真ん中にある建物を掌握した事で霊脈に干渉する事が可能になる


『上条さんが美琴とバトルした橋』
○ティトゥス=リーゼロッテ・ヴェルクマイスター(『11eyes』より参戦)
 バーサーカー=湊斗光(『装甲悪鬼村正』より参戦)
*基本的に待ちの姿勢。超越者の特徴は即ちニート化するってことなのかもしれない


『某ホテル』
○ティベリウス=???(『Fate/stay night』より参戦)
 アサシン=ハサン・ザバーハ(『Fate/stay night』より参戦)


『宿無し』
○アウグストゥス=???(『3days』より参戦)
 セイバー=???(『永遠のアセリア』より参戦)


『とあるアパートメント』
○カリグラ=ルサルカ・シュヴェーゲリン=マレウス・マレフィカルム(『Dies irae~Acta est Fabula~』より参戦)
○ネロ=???(『Fate/stay night』より参戦)
 ネロの使い魔=???(『Fate/stay night』より参戦)


『とある学校の学生寮』
○皐月駆(『11eyes』より参戦)
 キャスター=???(『3days』より参戦)


『???』
○上条当麻(『とある魔術の禁書目録』より参戦)
○草壁美鈴(『11eyes』より参戦)
 ライダー(『うしおととら』より参戦)
*キャスター組に勧誘を受ける。次回その返答が明らかに!?


『ドクターウェストパーク』
○グループメンバー(『とある魔術の禁書目録』より参戦)
○遊佐司狼(『Dies irae~Acta est Fabula~』より参戦)
 足利茶々丸(『装甲悪鬼村正』より参戦)
 パニッシャー(『トライガン』よりアイテムのみ参戦)
○藤井蓮(『Dies irae~Acta est Fabula~』より参戦)
 マリィ(『Dies irae~Acta est Fabula~』より参戦)
○浜面仕上(『とある魔術の禁書目録』より参戦)
 滝壺理后(『とある魔術の禁書目録』より参戦)
 裸眼(『天元突破グレンラガン』よりアイテムのみ参戦)
○ドクターウェスト(『斬魔大聖デモンベイン』より参戦)


『とある病院』
○今川雷蝶(『装甲悪鬼村正』より参戦)
○湊斗景明(『装甲悪鬼村正』より参戦)
○鈴川(『装甲悪鬼村正』より参戦)
○高町恭也(『とらいあんぐるハート3』より参戦)
○衛宮士郎(『Fate/stay night』より参戦)
*ほぼ全員が戦闘不能に追い込まれた状態


『某孤児院』
○ヴァレリア・トリファ=クリストフ・ローエングリン(『Dies irae~Acta est Fabula~』より参戦)
○リザ・ブレンナー=バビロン・マグダレナ(『Dies irae~Acta est Fabula~』より参戦)
 トバルカイン(『Dies irae~Acta est Fabula~』より参戦)
○氷室玲愛=ゾーネンキント(『Dies irae~Acta est Fabula~』より参戦)


『とあるホテル』
○櫻井螢=レオンハルト・アウグスト(『Dies irae~Acta est Fabula~』より参戦)
○ヴィルヘルム・エーレンブルグ=カズィクル・ベイ(『Dies irae~Acta est Fabula~』より参戦)
○ランサー=クーフーリン(『Fate/stay night』より参戦)


『路地裏』
○ロート・シュピーネ(『Dies irae~Acta est Fabula~』より参戦)

二日目以降の参戦予定戦力
○機動六課



[21470] 第十話 同盟
Name: U.Y◆d153a06c ID:7e2fa1f6
Date: 2010/10/08 00:34

 ブラックロッジ月面基地内部。
 聖杯戦争に参加しない唯一の魔人・木原幻生は久方ぶりに感じる達成感に身をゆだねていた。

「やれやれ、この歳で徹夜は応えるわ」

 グキゴリグキギ……人体の構造としては鳴ってはまずいような音をさせながら首を動かし、ついでに音楽を垂れ流していたヘッドセットを外す。大音量で聞いていたらしい音楽が盛大に漏れるが、木原は一切気にしない。
 もっとも、この場に誰か他の人間がいたとしても別段気にしなかっただろう。
 木原の興味はついいましがた完成した『それ』に全て注がれていた。
 眼前には巨大なモニターと淀んだ緑色の液体に満たされた大きな水槽がある。象でも入れそうなほど大きなその水槽は左右に二つ。そのどちらにも一目で人間と分かる物体が浮かんでいる。
 向かって右側に男。短い黒髪。鍛え抜かれた鋼の体には無数の傷跡があるが、最も酷いのはその両腕。炭化仕切ったその両腕は現在機械的な義手が繋がれている。
 向かって左側に女。長い金髪。柔らかな曲線を描く肢体には傷一つなく、肌はその下に浮かぶ青い血管が透けて見えるほどに白い。完成された美貌は、しかし、それ故に見る者に不安を与える。精巧すぎる人形の美、女が纏う不気味さは正しくその類であった。
 彼と彼女はいまも生まれたままの姿で胎児のように身を丸くさせて漂っていた。

「ついに辿り着いたか……人の身で神の上をいく生物に」

 ともすれば卒倒してしまいそうなほどの多幸感に眩暈を覚える木原だが、すぐに気を取り直す。
 彼が完成させたこれらはあくまでも『実験作』である。この二体をさらに昇華、改良して初めて届く――神座とはそれほどに高く遠い頂であると彼は考えていた。なまじ、ブラックロッジ総帥という存在を知るだけにその確信に疑う余地はない。
 神とは絶対の存在でなければならない。
 狂信にも似た確信が木原に更なる研究を促す。
 しかし、精神が肉体を凌駕するには彼は些か年齢を重ねすぎていた。どっかりと体重を預けたシートから体を起こすのに難儀しながら、木原はゆっくりと息をつく。

(まずはこれをサーヴァントか……あるいはカリグラのような存在とぶつけ、実戦のデータを取る。都合の良いことに学園都市はいま戦場……相手に困る事だけはあるまい)

 これからの予定を思考の中で組み上げていくが、そのためにはもう一つの方も完成をさせる必要がある。急ピッチで実験体を完成させたので後回しになっていたが、これ以上遅れる事は避けたい。
 どうせぶつけるならばその相手は最強の戦闘力を誇るバーサーカーが最適なのだ。徒に時間を浪費してもしもその機会を失ってしまえば元も子もない。

「さて、それではまたこれに頼るとするか」

 勢いをつけて体を起こし、再びヘッドセットを被る。
 そこから漏れ出る『天使の声』に気分を高揚させながら巨大モニターに接続されているキーボードを打鍵する。

(ふむ……適当に外部を遮断できればと思っていたが存外使える。アウグストゥスの言ではあるが……天使の声と言うのはあながち言い過ぎではないな)

 ふと、聞いていた音楽に対する感想を考えると同時に自分がまだ実験体へ名前を送っていない事に気がついた。普段ならばそんなことを気にする木原ではなかったが、目の前の二体は格別の存在である。故に、彼も一瞬だけそのためだけに思考を巡らせた。

「ならば……サンダルフォン、メタトロンとするか。あれらも兄弟という説もあるらしいからな」

 格別の皮肉を思いついたと口端を歪める木原。
 彼の凶眼には肉体を改造された哀れな義兄妹の姿が映されていた。


◇◇◇


 学園都市には大覇星祭や一端覧祭といったイベント事で学生たちの保護者が逗留するためのホテルが幾つか存在する。その中でも特に『最上級』にランクされる部屋――畳敷きの和室で枯れ木のような老人――アンチクロスの一角・ティベリウスは意外な来客を迎えていた。

「ほう。随分な早駆けじゃな、アウグストゥス。まだ日が昇りきらぬこんな刻限に儂のような老骨に会いに来るとは」

「貴方と夜に遭うなど小心者の私にはとてもとても……貴方の指示通りにセイバーは建物の外に」

「ふむ……儂のサーヴァントが確認した。アサシン、姿を見せておけ」

「御意」

 ティベリウスの命令に静かな声が応えた。すると、ティベリウスの背後から髑髏の仮面を付けた魔人が虚空から浮かび上がった。霊体から実体へと移行したアサシンのサーヴァントは冷たい殺意をアウグストゥスと呼ばれた銀髪の青年に向けている。
 それを真正面から受ける形になったアウグストゥスは、しかし余裕の笑みを崩す事はない。彼の右手にある令呪は身に危険があれば発動し、自身の使い魔を瞬時に召喚する。まともにぶつかれば暗殺者が剣士に勝てる道理はない。それを良く理解しているティベリウスも下手な動きを見せる事はなかった。
 老人は部屋の中央にあるテーブルを顎で示す。

「さて、このような部屋で立ち話もなかろう。椅子は無いが座布団は平気かの」

「ではお言葉に甘えて……早速で申し訳ないが本題に入っても?」

 テーブルを挟んで向かい合って座り込むと、早速とばかりに切り出す。
 ティベリウスはそんな青年の様子を落ち窪んだ眼窩で見据えながら、鷹揚に頷いて見せた。

「かまわんよ。もっとも、大方の見当はついているがの……ティトゥスのバーサーカーに対してじゃろ?」

「御明察。単刀直入に言いますと、私と同盟を結んでいただきたい」

 頷くアウグストゥス。
 彼らが上げたのは昨日から本格的に開始された聖杯戦争における最大の障壁――狂戦士の英霊に関しての事だ。ティベリウスが召喚した暗殺者の英霊は元より、最優を誇る剣士の英霊を召喚する事に成功したアウグストゥスにとってもその存在は脅威でしかない。
 こと戦闘能力に関して、狂戦士は全サーヴァント中最強である。アウグストゥスの引いた剣士の性能も凄まじいモノを持っているが、昨日感じた圧力はそれらを圧倒するであろうと確信できるものだった。
 勝てるかどうかの確率は甘く見積もっても五分。
 その状況でリーゼロッテと言う最強のマスターが率いるバーサーカーに挑むほどアウグストゥスは勇敢な性質ではない。
 そして、ティベリウスに関してはバーサーカーに対して勝算を見出す事もできていない。たとえ奇襲による宝具の使用を成功させたところでサーヴァントもマスターも殺せはすまい。
 この状況でティベリウスにとって、アウグストゥスの申し出は渡りに船以外の何者でもない。
 何者でもないが……

「しかし、それで貴様になんの利益がある?」

 上手すぎる話には裏がある。
 その真理を知るからこそティベリウスの視線には懐疑の色が深く、それを向けられているアウグストゥスも一つ頷いて答えた。

「貴方が私と同盟を組んだ、と言う事実でクラウディウスを口説きます。如何にあの狂人といえども聖杯戦争の勝利を望むのならこの状況で同盟を拒む事はできないでしょう。そして、同盟を組むと言う事は……サーヴァントの情報を垣間見る隙があるということ」

「抜け目のない……彼奴のサーヴァントは?」

「ランサーかアーチャーか……ライダーは昨日の戦闘でバーサーカーと交戦しているのを確認済み。キャスターもこそこそと立ち回っている様子なので、この二体のどちらかでしょうな」

「ランサーはカリグラの一党が率いている。ならば残りはアーチャーか……どのような英霊であれ、あのバーサーカーと戦うには力不足。お主の目論見通りにことが運ぶ可能性は高いかの」

 ティベリウスは顎に手を当て思案する。アウグストゥスの提案は老人にとってもメリットがないわけではない。
 この学園都市で行われる聖杯戦争は生き残り戦。その性質上、情報と言うのは勝敗を左右する重要な要素である。敵を知り自分を知れば百戦危うからず、という諺があるがこれは非常に的を得ている。
 サーヴァントは例外なく死後に英雄として世界に登録された存在であり、逆説的に彼・彼女たちは必ず『死』という結末を得ている。そこがサーヴァントたちにとっての『弱点(アキレス腱)』となる。
 例えるならギリシアの大英雄にとってのヒュドラの毒。そういった物を知ることが出来ればこの闘いは格段に生き残りやすくなる。
 何より……バーサーカーに次ぐ勝者候補のセイバーについての情報を引き出しやすくなる。
 この一点こそ、同盟を結ぶ事で得る戦力以上にティベリウスの心を動かした。

「良かろう。同盟の期限は」

「バーサーカーを消滅させてから24時間は継続させていただく。それまでは互いに不戦の契約を」

 アウグストゥスが懐から取り出したのは魔術文字が記されている古びた羊皮紙。
 そこに記されているのは互いに契約満了まで交戦しないと制約するものだ。老人はそれを隅から隅まで目を通し、契約反故の代償についても確認した上で自分の親指を噛み、血印を捺す。
 それを最後まで見届け、アウグストゥスは満面の笑みを浮かべた。
 邪悪な……一欠けらの混じりけのない邪悪な笑みを。


◇◇◇


 そして、上条当麻は目を覚ました。
 窓から入ってくる日の光はまだ淡い。胡乱な目を彷徨わせるとデジタル表示の時計を発見。現在時刻はAM6:00ジャスト。昨日は何だかんだと色々とイベントが発生しすぎたため、自宅に帰り着くと同時に簡単な飯を作って同居人たちと食事を済ませ、すぐに寝室と化しているバスルームへと引っ込んだ所までは思い出した。
 それにしても寒いと分厚い寝袋の中でごそごそと蠢いていると、いまが12月なのだと思い出す。

「はぁ……ついこの間まで10月だったはずなんだけどな……そもそも、第三次世界大戦は何処いったんだ?」

 ため息を一つつき、現在の自分が放り込まれた状況をなんとか飲み込もうと努力する。
 上条が覚えている限り、学園都市にはあんなヘンテコロボは……あったかもしれないが基地の外な変態博士や聖杯戦争なんて物騒な儀式は存在していなかったように思う。一番分かりやすい変化は警備員(アンチスキル)の新武装とか言う劔冑だろう。
 あんな凄まじい兵器があるなら、いくらそっち関係に疎い上条でもその存在を知らないのはおかしい。魔術師たちによる学園都市襲撃は過去に何度か起こっているのだから。

「っていうか、本気でどうなってるんだか……インデックスもきょと~んとしてたし」

 何らかの魔術による影響なら土御門に聞いてみるのも良いかも知れないが、生憎と隣に住む金髪グラサンの大男は昨日も家には帰ってきていない。すわ婚約者のお姉さんとXXXな事を!? と本来なら騒ぐべきところなのだろうが彼女なら何故か上条宅にて就寝中のはずである。

「……どうしてこうなった」

 寝袋に包まったまま器用にortする上条。
 彼の脳裏では魔術師の英霊(キャスター)を名乗る男が持ちかけた同盟話が再生されていた。
 よれよれの白衣を着込んだ魔術師が言うには、キャスターのマスターは本来魔術師でもなんでもないただの少年であり、力不足な事この上ない。それを補うために同盟を組むに値する、信用の置ける相手を探していたところ彼女――草壁美鈴に白羽の矢が立ったと言う事らしい。
 バーサーカーのマスターによる奇襲を受けて重傷を負ったライダーの戦闘能力は六割ほどに低下している。
 そんな彼女にしてみればその提案は渡りに船なものだった。問題はそれをいってきたのが生き残りを賭けた戦争の相手である、という事だったがキャスターにその気があれば上条たちは既にこの世にいない。
 それらを鑑みれば、答えは当然――

「――上条君。起きているかな」

「草壁? ああ、起きてるけど」

「そうか。なら、少し早いが朝食を用意したのだが食べるかな。おにぎりだから冷めても問題ないと思うのだが……」

「是非食べさせて頂きます」

 思考を即座に中断させて寝袋から脱出。鏡をちらりと覗いて致命的な寝癖だけは手櫛で直してバスルームを出る。
 その間、僅か3秒!
 残像でも発生しているんじゃないかと思えるほどの身のこなしで現われた上条に草壁は若干驚いた表情で目を見張った。

「随分と早いな」

「ふっ……この上条当麻、実は母親以外の手料理なんて(覚えてないだけかもしれないけど)生まれて初めてなんだZE」

 彼女とかいないし。同居人のシスターに料理なんて望むべくもないし。
 女の子と一緒に暮らしていると言うある種夢のような生活にもかかわらず食卓を彩るのは何故か野郎料理である事実は上条が思っていた以上に彼にダメージを与えていたらしい。
 一方で期待の眼差しをビシバシ向けられている草壁は米神に冷たい汗が落ちる。余り包丁を握る機会のない彼女が作れる料理は極簡単な物でしかない。
 過度な期待はしないでくれ、と言う草壁の言葉にはそんな彼女の不安が色濃く滲みこんでいた。
 それでも不安を飲み込み、朝食の仕上げをしようと上条に背中を向ける。
 そのほっそりとした背中にとんでもなく重い物を背負っていると知っている上条は、思わず昨日の夕刻、キャスターの提案にした返事について尋ねた。

「なあ、草壁。どうしてもキャスターと同盟を組めないのか?」


◇◇◇


「何だ、まだ昨日の事怒ってんのか? いい加減機嫌直せよ坊ちゃん」

「お前はしばらく黙ってろ」

 ぴこぴことドット絵が動くテレビの画面から左目を動かさずに言い捨てる主の姿にキャスターは軽く肩を竦めた。
 昨日の夕方、キャスターが聖杯戦争に干渉した事が、駆には相当に気に入らないようである。
 しかし、それもある意味で当然。彼は何の能力も持たない少年であり、学園都市へもその右目にある生まれつきの虹彩異色症(ヘテロクロミア)を治療できるのではないかと思ってやってきただけに過ぎない。その治療にしたっても分かった事は『現代医学では原因不明』というお墨付きだけ。
 科学技術の最先端である学園都市でそうなのだから、実質彼の目を医学的に治療できる手段はこの地球上に存在しない事になる。その事で割合荒れた時期もあったが彼と一緒に学園都市にやってきて『幻影投射(グラデーション)』の能力を身に着けた幼馴染の少女や他の学友たちのお陰でなんとか平凡な生活を送る事ができていた。
 その平々凡々な生活を破壊したのは誰でもなくキャスターの存在である。
 聖杯に認められ、サーヴァントを召喚してしまった以上、皐月駆は否が応でも戦いの渦中へと引きずり込まれていく。平和と退屈に鬱屈しながらも青春を謳歌していた彼は問答無用で殺し殺される世界に突き落とされたのだ。
 むしろ、怒りをキャスター本人ではなくゲームにぶつけているだけ大人の対応を取れていると言えなくもない。
 それが分かっているキャスターだからこそこれまで数時間ぶっ通しで無視されても気にはしなかったのだが……事は彼らの命にも直結する問題であり、彼もこの交渉を譲る気はないらしい。

「坊ちゃん、もう一度ライダーのマスターと話し合うべきだ。現状、あのお嬢ちゃん以外に手を組める奴はいない」

「盾代わりにするために、か」

 そうだ、と魔術師は頷く。
 昨日の交渉時、同盟拒絶の声は草壁と駆双方の口から同時に出された。その理由は両者共に同じ。
 すなわち――彼(彼女)を巻き込むわけにはいかないという事。
 皐月駆にとって、草壁美鈴というのは凄腕の魔術師ではなく可憐な外見をした少女である。キャスターはそんな彼女を盾として、駆には安全な場所で避難させると宣言した。その事に男の性(さが)が刺激された駆は容易にその同盟を受け入れる事ができなかったのだ。
 草壁美鈴にとって、皐月駆というのは完全な被害者である。どういう理屈、原理かは知らないが一般人である彼がサーヴァントを召喚し、こんな血生臭い儀式へと足を踏み込ませてしまった。
 本来力ないものを護る事こそを目的とする彼女は駆が万が一にも巻き込まれかねないキャスターの篭城戦略(キャスターが魔術的な要塞を形成し、ライダーが宝具で暴れまわって危なくなったら帰還するというのを繰り返す戦術を彼は提案していた)を受け入れる事ができなかった。
 キャスターとしてはライダー組が他の聖杯戦争参加者の打倒を願う以上、彼に出来る最大限の助力を行う事でマスターの身の安全を計ろうとしていたのだが、それが完全に裏目に出る形になっていた。
 少女の背中に守られることを忌諱する駆とそんな彼を前に出させたがらない草壁。
 両者の交渉が平行線に辿り着くのはそれほど大した時間は掛からなかった。

「まったく……無駄なところで意地を張る。あの嬢ちゃんは坊ちゃんが思っているようなもんじゃないんだぞ? 正直、人間の形をした化け物だ」

「そんなの知るか。魔術とかそんなの関係なく、女の子に守られるだけなんて……」

「んじゃどうすんだ? 坊ちゃんが自分で出張ってバーサーカーとかを倒すのか? 言っておくが、俺の性能じゃ無理だし坊ちゃんの命も保障できないぜ?」

「……」

 無言。
 しかし、テレビのモニターを睨む目つきはいつになく険しいものになっている。その原因がなんであるか、ある程度駆の記憶を『夢』と言う形で見ることが出来るキャスターには理解できた。

(あれと自殺した姉を重ねてるのか……女に守られる、てことにトラウマを抱えてやがる)

 駆の頑ななは反応にキャスターは疲れたようなため息を吐く。

「まったく、変なところで頑固だよな。まあ、だから『坊ちゃん』なんだが」

「うるさい。そもそも、なんで俺が"坊ちゃん"なんだよ」

「夏目漱石読みな。坊ちゃん」

 この決裂がせめて致命的なモノになりませんように。
 そう祈るキャスターの耳に

 轟云!!!!

 開戦二日目の朝を震わせる轟音が鳴り響いた。



[21470] 第十一話 集結
Name: U.Y◆d153a06c ID:7e2fa1f6
Date: 2010/09/28 23:34

「……少し、寝すぎたか」

 衛宮士郎が目を覚ますと、そこは見慣れた部屋だった。四方壁全てが潔癖な白に包まれたその部屋は警備員(アンチスキル)たちが常日頃から世話になっている学園都市随一の名医がいる病院の個室だった。士郎はベッドから体を起こすと枕元にあったデジタル式の時計に目をやる。
 視界の端に入るデジタル式の時計には『AM4:12』とある。
 まだ日も昇りきっていないその時間は、しかし、確かに衛宮士郎が普段起床している時間よりも十分ほど遅い。その事について責める者など誰もいないというのに彼の表情は険しさを強めた。彼が予想していた以上に昨夜の戦闘は消耗を強いていたようだ。

(残存魔力は四割……これでは回復するまで<創造>は使えんか)

 左手を握っては開く。鍛え抜かれたその掌は無骨だが、しかしその芯とでも表現すべきものが抜け落ちているのを感じる。創造位階の発動に逃走のために使用した固有結界は衛宮士郎の魔力を容赦なく食い潰していた。現状の彼が使用できるのは元から得意としていた『投影』の魔術くらいのものだろう。
 現状、彼が立ち向かわねばならない相手の事を考えればなんとも心許ない事実だが、無いものねだりは意味がないと思考を区切る。元々、対して魔力が多いほうではないのだから、足りないモノをやり繰りするのは得意分野でもある。
 そうやって自分の手札を確認している士郎は、ふと顔を上げて部屋の入り口を見る。そこにはカエルによく似た白衣の男が驚いた表情で立っていた。

「おや、もう起きたのかい?」

「昔からの習慣で、早く起きないと負けかなと思っているんですよ。ドクター」

 こちらの了解もなく勝手に開いた病室の入り口からの言葉に驚く事も無く答える。
 足音は消していたが気配の方はそうもいかない。人外ばかりを相手にしてきた士郎の知覚を掻い潜るなら、それは彼と同等の人間を捨てた存在でなければならないだろう。無論、一介の医者であるその人物にそんな芸当が出来るはずもない。
 それでも多少は思うところがあったのか、カエル似のその医者は「ふむ」と顎先に手を当てた。

「そうかい。でもおかしいな。君には一週間くらいは目を覚まさない薬を打ったつもりだったんだけど」

「それは既に毒というのでは?」

「効かなきゃどっちだって大差は無いさ。それにしても、君は頑丈だね? 確か裂傷・骨折・打撲を総合したら三桁に届くような重傷だったはずなのに」

「……体質です」

「いやはや、医者泣かせな体質もあったものだね? そうそう、他に運び込まれてきた隊員たちは全員無事だよ。ただ、今川君や高町君含めて昨夜の戦闘に加わった全員に入院してもらう事になるけれどね」

「ありがとうございます。ドクター」

 ベッドから抜け出し、しっかりと頭を下げる。日頃から無茶を重ねる事が多い警備員の隊員の中でも群を抜いて負傷率の激しい部隊を預かる士郎としては、彼は足を向けて眠れない人間筆頭だった。

「ところでドクター。何処かで着替えを調達してきたいのだが」

「着替えって、どこかに出かけるつもりかい?」

 ええ、と頷きながら士郎は自分の服装を見下ろした。
 服装はある意味で着慣れている入院患者用の服だったが、すぐ傍に襤褸布と化した警備員の防護服もハンガーにかけてあった。損傷の具合から修繕は不可能であると読み取り、ため息混じりに着替えをどうするかを考える。
 この病院では下の売店でシャツやズボンくらいは買えるだろうが、こんな時間に開いてる訳もない。病院が動き出せば売店も開くだろうが、それまで待つと言う選択肢を取れる余裕は士郎にも学園都市にも存在しなかった。
 ならば、何処かで調達してくる必要がある。投影で出す事も可能だが、出来る節約は極力しておくべきだと判断した。
 しかし、そんな士郎の様子に医師は一度肩をすくめると、

「僕は『全員に入院してもらう』と言ったんだけれどね? 君は警備員を退職したのかい? それとも昨日は戦わなかったと?」

「分かっていますよ。けれど、我々には余裕が無い。いかに『冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)』の貴方でもこの世界が地獄と化してはどうにもならないでしょう」

「……なるのかい?」

「なりませんよ。そのために私たちは給料をもらっている」

 断言する士郎の瞳を覗き込むように数秒凝視する医師。
 しかし、すぐになにかを諦めたようで、

「服なら職員の予備があるだろう。案内しよう」

「お手数をおかけします」

「まったくだ。僕に地獄の道案内をさせるのは君くらいだよ」

 そう、本当に諦めた様子でため息を吐いた。


◇◇◇


 遊佐司狼が目を覚ました時、何故か隣に全裸の金髪幼女が白く濁った粘液に塗れた状態で伸びていた。

「……修正液か」

「ち~が~う~わ~……この、鬼畜、悪魔」

 地獄の底から響くような声。明らかに犯罪被害者といった感じの茶々丸はもぞもぞと緩慢に蠢きながら顔を上げると光沢の失われた瞳で司狼を睨みつけた。

「ロリコン、変態、リアル強姦魔、ドサド、アナル大帝……あ、あてもうお嫁にいけない」

「まあ野良狼に噛まれたと思えや。喉笛辺り」

「それは死んだと思えってことですね分かります……」

 もはや何を言っても無駄と悟ったのか。茶々丸はそれ以上は何も言わずに突っ伏した。枕でくぐもった声で聞こえにくいが『こんなのあのなんちゃってドジっ娘妖刀にやらせれば良い』とかなんとか漏らしているようだ。
 そんな被害者を放って置いて、加害者の司狼はコキコキと体を鳴らしながらベッドから起き上がった。吸えた匂いが充満しているその部屋はここ半年ほど暮らした自室だった。オーナーが変態科学者である事を除けば快適な我が家である。

「あー……そいや、帰ってきてから速攻落ちたんだったか」

 意識が残っているまでの記憶を掘り起こして現状把握。
 ここは司狼が寝起きをしているマンションの一室。元々は何処かの学校の学生寮か何かだったのからしいが所々現在のオーナーが手を入れているせいで素敵な魔空間が形成されていた。かつての名残が見れるのは共用の大浴場と一階にある食堂くらいのものだろう。
 ちなみに司狼が暮らしているこの部屋は二階。三階には家主であるドクター・ウェストの助手とその彼女が暮らしていた。あまり接点が多くはないため、司狼は上の階の住人とは顔見知り程度の付き合いしかしていないが。

「ま、とりあえずシャワーでも行くか……茶々も行くか?」

「襲われるからヤダ」

 殺意交じりの低い声に肩をすくめながら、寝汗やら正体不明の液体やらで汚れた体を洗うために向かうのは部屋を出てすぐのところにある共用のシャワー室へ向かうことに。住み慣れているという気安さから着替えの下着とタオルだけを持ってシャワー室へと突撃すると――そこに裸の女が立っていた。

「なっ!?」

「ほほう……」

 身長はそれなり。スタイルは抜群と言っていいだろう。黒い髪を腰の辺りまで伸ばしているその女はその肢体に水滴を滴らせながら見事な大きさの胸にさらしを巻こうとしているところだったらしい。まずは下からだろう、と突っ込む事もせずにとりあえず上から下まできっちりと眺めた司狼は最後にポツリと呟いた。

「やっぱ勃たないか……まったく、なにがどうしたらこんな変態になるんだか」

「……遺言はそれで良いわね」

 自分の股間に呆れきった様子の司狼に裸を見られた結標淡希は純度100%の殺意を叩き込むために脳裏に計算式を走らせた。壁の中へと転移させられた彼が救出されるのは騒ぎを聞いてやって来た藤井連と浜面仕上が発見してからであった。


◇◇◇


 浜面仕上は一人でキッチン兼リビングになっている部屋にいた。

「くあ……っつ、眠っ……」

 盛大に欠伸をしながらちらりと時計を見る。現在午前五時を僅かに回ったところ。朝食の用意があるため早めに起きだしたというのに、そのアドバンテージは突如として行われた救出作業によってすり潰されることになってしまった。

「ったく、遊佐のせいで時間がなくなっちまったな……まあ、ドクターが起き出さなかったのは不幸中の幸いか」

 独り言を呟きながら巨大な冷蔵庫を開く。
 業務用の冷蔵庫をさらにドクターが魔改造した結果、某青タヌキのポケットみたいな収納力を誇る冷蔵庫の中には、しかし、あまり食材が入っていなかった。
 浜面の料理スキルとこれらの残存物資から製造できるのはトースト、目玉焼き、サラダで終了といった感じだ。コンソメの元があったので辛うじてスープが用意できるだけまだマシだろう。
 しかし、量が非常に微妙だ。想定以上に今朝の朝食を摂る人間が増えてしまったのがその原因だった。
 基本的にはドクターと浜面自身、半年前に突如として同居する事になった遊佐司狼と茶々丸に浜面の恋人である滝壺。あとは月一で泊りがけの診察を受けに来る『打ち止め(ラストオーダー)』と呼ばれる少女の分くらいしか食材を用意していなかったのだ。

「こりゃ朝一で買い足しといた方がいいか」

 昨夜からラボに転がり込んできた『泊り客』は全部で五人。
 現状では一食分をなんとか賄える程度の量しかないので、これはまずいと唸り声が漏れる。まあ、まだ一食分でも賄えるだけマシと考えてあれこれと支度を開始する。そうこうしていると『泊り客』の一人、土御門元春がやって来た。色グラサンの大男は浜面の肩越しに冷蔵庫を覗き込むとその惨状を理解したらしい。

「もしかして、飯が足りないのかにゃ~?」

「いまは平気だけど昼には無くなる」

「確かに……なら、補給を頼んでみるぜよ」

「誰に頼むんだ?」

「えみやん。またの名をブラウニー=衛宮士郎」

「……ああ、あのドクターと知り合いの警備員か。オッケー頼めるなら頼んでくれ」

「了解」

 土御門の問いに簡潔に応えながら浜面は自分に出来る範囲で上手い朝食を作ろうと四苦八苦。幸い、滝壺の健康のためと野菜は色々と買い置きをしてあるのでサラダに関しては量が足りなくなる事はないだろう。肉が足りないと言う奴がいたら司狼提供の『謎の肉』でも食わせよう。
 そんな風に考えつつガスコンロに火をつける。
 その背後でなにやら携帯を弄っていた土御門はパタンとそれを折り畳むと浜面の背中に声をかけた。

「あとちょっとでこっちに来るらしい。飯もついでに色々作ってくれるらしいぜい」

「あいつ料理できたのか?」

 浜面の知る衛宮士郎というのはドクターが開発した『真打』と呼ばれるタイプの釼冑を実戦で使用する試験運用部隊の責任者である。彼自身、ドクター曰く最高傑作とされる『正宗』を託されているのだから戦闘能力はとんでもないんだろうな、位に思っていただけに土御門のもたらした情報は意外に思えたのだ。

「知らんかにゃ? あいつ、世界史の他に家庭科も教えているんだぜい?」

「それはもしかしてギャグなのか?」

 2メートル近い長身の男がエプロンとお玉を持つ光景を不覚にも想像した浜面は朝からSAN値をガリガリ削られるのだった。
 ……慣れていたが。


◇◇◇


 藤井蓮がキッチンにやってくるとそこには既に八人もの人間が集まっていた。
 全員昨日の晩に初めて顔を合わせた面子であり、大半が蓮とそう変わらない年齢の少年少女たちだ。唯一『菌糸類』と毛筆で書かれた外人が好んで買いそうなエプロンをつけた白髪の男だけ一回り近く年齢が上である。その男に対して蓮は一瞬だけ躊躇をしながらも、しっかりとした口調で問いを投げつけた。

「あんた、そのセンスは正直どうなんだ」

「黙れ。これしかこのラボには無かったのだ……それより、早く席に着け。食事が冷める」

 士郎に促され、蓮は司狼の隣に空いていた席に着いた。
 そこには既に煙を立ち上らせる暖かい食事が準備万端に整えられていた。
 こんがりと狐色に焼かれたトーストに半熟のベーコンエッグ。瑞々しい野菜のサラダはきゅうり、コーン、レタス、トマトが盛り付けられ、更にその皿の前には三種類のドレッシングが用意されていた。
 スープはコーンポタージュがマグカップに用意されており、それとは別に香ばしい匂いの紅茶が衛宮の手で全員に配られていた。

「……なんだか凄いな」

「負けたort」

「私ははまづらの料理がすきだよ」

 蓮の言葉にその場にいた一人――当然浜面だが――ががっくりと項垂れた。それを慰めているのは滝壺理后。可愛い彼女に慰められるという、彼女がいない人間から呪詛を撃たれても仕方ないその行状を無視しながら、士郎は手を合わせた。

「えみやん、変態博士と一方通行(アクセラレータ)がまだぜよ」

「声をかけて起きん輩は知らん」

「ドクターはいつも昼ごろ起きるから放っておいて良いと思う。むしろ起こすとキレてここを自爆させかねない」

「一方通行さんはどうやら音を『反射』させているようですね」

「それじゃあ起きないか……なら仕方ないぜよ」

 それでは気を取り直して、頂きます。
 全員がトーストを齧りだすのを見届けてから士郎は自分のトーストにマーガリンを塗りながら口を開いた。

「さて、本来食事時に話をするのは無作法なのだが状況が状況だ。昨夜の報告を聞きたい」

「報告も何も。そこに全員いるだろ?」

 応えたのは司狼。彼が顎で指し示した先には一方通行を除いたグループの三人が揃っていた。その中で唯一衛宮と顔見知りの土御門が代表する形で口を開く。

「こっちの損害はほとんど0。もっとも、一方通行(アクセラレータ)の様子がいまいち分からんぜよ」

「後は、貴様自身も使えんな。概念武装を起動させるのに魔力を使った弊害か」

「まあな」

 士郎の言葉に土御門が苦笑を漏らす。
 昨夜の戦いで黒円卓の魔人に有効打を打てると判明した概念武装による攻撃には、しかし、学園都市の開発を受けた土御門には致命的な欠点が存在している。
 つまり、概念武装を発動させるために魔力を消費するため、能力者である土御門の体はそのたびに崩壊していくのである。彼の能力により再生能力を高める事が可能なため、一撃で戦闘不能になるという事はないがそれでも戦闘が長引けばそれだけ危険が増すという事態に陥る。
 昨夜の戦いでエツァリが虎の子の『原典』を使用しなかったのは万が一土御門も一方通行も戦闘不能になった場合に殿を受け持つため、余力を持っておく必要があったからだ。
 そういう意味で、司狼たちの救援は切り札を温存できたという意味でも彼らにはありがたい事であった。

「そういえば、昨日は助かったぜい。正直あんなの相手にガチで激突するのはもうこりごりだにゃ~」

「別に。そこのブラウニーから貰うもん貰ってるし? お陰で面白そうな連中を見つけることも出来たしな」

 土御門の礼に司狼は軽く応えるとまだ湯気の立つコーンポタージュを一気飲みした。体に悪そうなその食べ方に蓮が眉を顰めていると、士郎も眉間を険しくさせて言葉を繋いだ。

「そういうわけにもいかん……オフレコだが、統括理事とのホットラインが物理的に寸断された。状況は最悪を通り越していると判断した方が良い」

「まさか。あのビルが占拠されたとでも?」

 信じられないと言う表情の結標に士郎は頷きだけを返す。
 士郎の言葉には学園都市の最高責任者にして、恐らくはこの街にいる唯一黒円卓やブラックロッジに対抗できるであろう存在が消滅した事を意味している。それを理解できただけに土御門の表情はかなり険しいものになる。

「……それはまた、へヴィーな話ぜよ」

 米神に冷たい汗を流す土御門にそれ以上は声をかけず、今度は蓮の方に話が向けられた。

「藤井。初歩の『活動』は扱えたと聞いたが実際のところどうだ」

「……一応、狙ったところには撃てた。けど、あっさりと防がれたぞ?」

 突然話を振られて一瞬口ごもりながらも、蓮は昨日の夜を思い出す。生まれて初めて使うことになった『異能』の手応えは確かにその右腕に残っているが、それと同時にその一撃があっさりと防がれた事も思い出される。
 しかし、そんな風に考える蓮に士郎は逆に呆れた様子だった。

「当然だ。相手と貴様の間には隔絶した実力差が存在する。むしろ多少なりともダメージが与えられたのならむしろ誇れる程だ」

「そんなもんか?」

「ああ。倫敦の時計塔なら、封印指定(最高位)に分類されるレベルだ」

 どこか皮肉げな士郎の言葉に蓮の視線が自然と赤い襤褸布で巻かれた自分の右腕に下がる。
 そこに宿る聖遺物の力は非常に強力なのは宿主である彼が一番理解できるのだが、刃物恐怖症な上に生まれてこれまで『普通』に生きていた蓮にはエイヴィヒカイトなどというオカルトを自分が使いこなせていたというのがあまりに現実離れして感じられているのだ。
 しかし、相手はそんなことをお構いなしに襲い掛かってくる。
 なら、戦うしかない。そう覚悟していながら、どこかで力を使う事を躊躇う自分がいることに蓮は戸惑っていた。

「なあ。アンタの聖遺物にも魂って言うか……夢の中で会話が出来るような相手っているのか?」

「ああ。元々、私の聖遺物はそれ自体が特殊だからな。毎晩眠るとこれと殺し合いをしているよ」

 冗談めかした口調で士郎は自分の左腕を摩る。その目に宿る敵意が本物であると感じられるだけに、食卓を囲むメンバーも若干気おされてしまった。

「しかも、負けると死ぬと言う特典がついているからな」

「……滅茶苦茶物騒だな。呪われてんのか」

「呪われていない聖遺物などありはしない。それより、そんなことを聞くということは貴様の聖遺物にもかなり強力な霊魂が宿っているのだろう? 夢の中で会話くらいはしたかね」

「まあ、な……あの子は、ずっと歌ってるだけだけど」

 士郎の問いに思わず言葉を濁す。
 確かに、蓮の夢には右腕に宿る少女が現われた。正確には蓮の腕に宿るギロチンに憑いた少女の霊、と言うべきなのだろう。
 黄昏の海で一人、血と死を望む呪歌を唄い続ける断頭台の姫君。
 ただ触れるだけで首を飛ばす、断頭台の化身と言うべき彼女はどこまでも純粋であり、カリオストロと名乗る正体不明の男に言われるまま蓮を待ち続けていたと言う。
 何も知らぬまま。
 何も教えられぬまま。
 本当に自分は、彼女を血塗れの戦争に使って良いのだろうか?
 そんな疑問が顔に出ていたのか、士郎は一つ頷くと、

「ふむ……悩むのは分かるが、当面は嫌でも戦ってもらう。貴様の力はこちらとしても手放しがたいものだからな。それと、聖遺物の中にある魂との同調は高めておけ。それだけでも性能が段違いになる。手に入る力なら、手に入れておけ。無駄にはなるまいよ」

「より深めるって……」

「差し当たり、距離を縮めてみる事だ。私のように殺し合いをするにしろ、貴様のように会話をするにしろ、相手との距離が離れていては出来ないだろう? 相手が異性なら、そのまま押し倒してしまうのも一つの手段には違いない」

「おしたっ……アンタそれでも教育者か!?」

 あまりの士郎の言葉に蓮は思わず赤面する。彼の脳裏には先程夢の中に現われた少女の姿がありありと浮かんでいた。
 元々襤褸布みたいな物しか身につけていなかった少女だったが、さっきの夢ではそれも無くなっていた。代わりに何故か蓮がいま腕に巻いているのと同じ赤い襤褸布を巻いていると言うとんでもない格好だったのだ。
 イメージ的にはクリスマスだのバレンタインだのでエロ漫画などのネタに出てくる『私がプレゼント』的な絵面を想像すると正しい。
 そんな格好を金髪巨乳の美少女がしていたのだ。
 いかに学校ではムッツリで通っている連とはいえ、動揺は隠せるものではない。
 士郎と司狼はにやにやとした笑みを浮かべると、

「……なるほど。同調はしやすいようで何よりだ」

「お前の好みを考えるとその子も結構な巨乳か……ちぃっと微妙な感じだが、良かったじゃねえかよ。蓮」

「うるせえ。それとそっちのあんたらもその生暖かい目でこっちみんな」

 土御門たちに牽制の睨みを利かせるが、そんなものでひるんでくれる相手はこの場にはいない。それを理解すると、蓮はやけ食いのような勢いで食事を胃袋へ押し込む作業に没頭する事にした。

 そんな様子を見ていた士郎は、しかし、すぐにまた険しい表情を作り出す。

「正直、いまはどんな小さな戦力でも必要だ。私の仲間と部下はその大半が棺桶に下半身を入れている状態だからな。あいつらが復帰するまでの間だけ、貴様たちには彼らの代わりに私の指揮下に入り、連中を食い止めるため働いてもらうことになっている」

「何処からの命令だ」

「統括理事会から。あとは日本国政府からもてこ入れが入っている。遊佐童心の名前は知っているか?」

「野党の大物議員がこんな話に関わってくるんですか?」

「来るんだ。奴は学園都市設立時に多額の寄付を行っているからな。それに、黒円卓の連中は米国大統領専用機(エアフォース1)を奪取して不法入国してきた。なんとしても奴らの首をあちらに送らんと、最悪第二次太平洋戦争になりかねんらしい」

 エツァリの疑問にあっさりと応える衛宮だが、その言葉に含まれる不吉さは尋常ではない。
 それをまったく気にしていないのは土御門と司狼くらいのものである。その二人ほど事情に明るくない蓮は当然の如く顔をしかめ、

「っていうか、そもそも連中は一体何なんだ?」

「……昨日、貴様らが戦ったのはルサルカ・シュヴェーゲリン=マレウス・マレフィカルム。第二次大戦中にナチスドイツで結成された聖槍十三騎士団黒円卓の一員で、首を取れば三代先まで遊んで暮らせる金がはいる。目的は、非常に子供じみた代物だがな」
 
 永劫続く戦争を起こす事。
 そんな馬鹿げた理想を実現するために彼らは戦うのだと衛宮は説明する。


 その直後――


 大気を引き裂く爆発音が世界を震わせた。
 世界を壊す救世の一矢が隔絶された異界の壁を撃つその音が、聖杯戦争二日目の開戦を告げる鐘楼となった。



[21470] 第十二話 白の救世主
Name: U.Y◆d153a06c ID:7e2fa1f6
Date: 2010/10/08 00:34

 逆さに浮かぶ男(ハングドマン)は哄笑する。

「クククッ……ハハッ……よもやこのような結末があろうとはな」

 老人のような青年のような、子供のような大人のような掴みないその男の胸には向こう側が見える程大きな穴が開いてた。

「いやはや、それにしてもまさかそんなモノを救うために私を殺すのかね?」

 明らかな致命傷。たとえかつては『世界最強』と呼ばれる魔術師であってもそれは同じである。心の臓を完膚なきまでに破壊し尽くされ、生存していられる道理はない。

「私の眼も大概に節穴だが、貴女のそれは格が違う。やれやれ、いまわの際になってなお頂点に至れぬか……エイワズの予言も此処まで来ると呪いであろうに……」

 しかし、そんな状態であってなお男は愉快げな笑みが浮かび続けている。
 その表情はこれ以上ないほど愉快げで、だからこそ、見るものの心を凍てつかせる。
 これ以上、聞いてはいけない。
 魔術師の口にする言葉には力がある。
 だからこそ、聞いてはいけない。聞くべきではない言葉が、紡がれようとしている。
 故、いまこそ肉片一つ残さず消滅させんと魔力の稲妻を集束させ、

「それが娘? 貴女は”深きものども(インスマス)”の種でも孕んだのかね」

 紫電の魔力に焼かれながら、魔術師は大笑する。
 愛すべき我が娘の姿を、化け物と叫びながら。


◇◇◇


 クラウディウスが目を覚ますと、何故かこちらを覗き込むようにして弓兵の英霊――アーチャーがいた。

「……何をしているの。アーチャー」

「あ、起きた」

 主に半眼で睨みつけられたアーチャーは、しかし、あまり気にした様子もなく大きな黒真珠みたいな瞳をぱちぱちと瞬かせるとにこりと微笑んだ。

「えっとね、マスターの呼吸が途絶えていたから死んでいるのかなって思って」

「無呼吸症は元からよ。さっさと退きなさい」

 心底邪魔臭そうにアーチャーを手で避けながら、寝床代わりにしていた椅子から身を起こす。頭には寝不足を訴えるような鈍痛が響いていたが、むしろ目覚ましに丁度良いと無視して自分たちの『拠点』を見回した。

「それにしても、此処には何もないわね」

「そう? まあ、ビーカーから出てくる事無かったみたいだから要らなかったんじゃないかな?」

 クラウディウスの独り言にアーチャーが律儀に応える。
 彼女たちの言うとおり、この部屋には人が生活するうえで必要になりそうなものが何一つ存在しない。机や椅子は勿論、食べ物や食料の類もまったく備蓄されていない。そもそもからして、出入り口さえこの建物には存在していない。
 あるのは壁一面を覆うケーブルの群れと、それを収束させている化け物みたいな巨大なコンピューターが一基。クラウディウスはこの場での寝床を自力で作る羽目になった昨夜の出来事を思い出しながら本当に此処を根城とするか、一瞬だけ迷ってしまう。
 しかし、それは本当に一瞬。
 この建物――つい昨日までは学園都市統括理事が存在していたこの場所は魔力溜まりが発生しており、時空管理局の区分においてSランクに相当するクラウディウス=プレシア・テスタロッサにとっては絶好の拠点である事は間違いないのだから。

(ブラックロッジの中でウェスパシアヌスを除いた実力で言えば間違いなく私が最下位……この程度の有利で覆る差ではないけれど、ないよりはマシね)

 ゆっくりと回り始めた思考が彼女に告げる。
 あの化け物達を殺すにはこれでもまだ足りないと。
 アーチャーのスペックは既に完全に把握しているが、彼女の宝具はどちらかと言えば乱戦にこそ真価を発揮する。複数の勢力が争っている状況に柔かな脇腹から鏖殺(おうさつ)の一撃を叩き込み、その空間ごと吹き飛ばす。それこそが黒髪の弓兵にとって必勝の戦法であり、その一撃の威力に関しては疑う余地もない。
 しかし、これが真正面からの激突となると難しくなってくる。特に接近戦を得意とするであろうセイバーやバーサーカーといった存在には押し負ける恐れがあった。
 なにより、彼女の宝具は威力がありすぎて聖杯ごとこの街を破壊してしまいかねない。最大の景品を吹き飛ばしてしまう恐れがある以上、アーチャーの力はきちんと制限して使わなくてはならない。自力で劣るプレシアにとって、その足枷は非常に重く、頭を悩ませていたのだが一つだけそれを打開する手段が見つかった。
 この街には現在、アンチクロス級の魔人が複数潜伏し、彼らの首魁を呼び戻すために戦場を形成しようとしている。その儀式を行っている存在……黒円卓の騎士達ならばサーヴァントに匹敵する戦力を持つという。彼らとの共闘を結ぶ事が出来たならこの闘いで勝利を得る事も難しくはないだろう。
 しかし、

「問題はその話を当の黒円卓側から申し入れらたと言う一点……こちらを利用しようという魂胆は透けて見えるけれど、どう利用するつもりかが見えない」

「マスターってば、あんな三下みたいな人の提案を受けるの? 止めた方がいいと思うけどなぁ」

 なんだか昔に似たような雰囲気を持った先生がいた気がするー、と言うアーチャーを無視してプレシアは思考に没頭する。
 昨夜……とってもつい数時間前の事だが、そう提案してきた痩せすぎの男の言葉をどうするか。プレシアは眉間に深い渓谷を作りながら険しい表情をしていると、アーチャーは「う~ん」と軽く考えた様子で口にした。

「どうしてもあの人たちと一緒に戦うんなら、あちらの大切なモノを奪えばいいんじゃないかな」

「大切なモノ?」

「そう。私達にとっての聖杯(ネロ)にあたる女の子がいるみたい」

 ね? とアーチャーが虚空に確認を取る。
 すると、そこには突如として鍛え抜かれた鋼の巨漢が現れた。見上げるほどの巨躯の男はその背中に彼の体以上の大きな太刀を背負っている。その体から噴出す威圧感は並みのものではない。眼下が窪み、瞳に生気が欠片もない状態であっても、その男は生粋の殺戮者であろうとプレシアに直感させるだけのものがそれには備わっていた。

「……それが貴女の能力なのね。こうして目の当たりにすると、流石は『救世主』と呼ばれるだけのことはあると納得できるわ」

「どうもありがとう。それでムドウ、言っておいたモノは見つかったかしら?」

『……』

 アーチャーの言葉にムドウと呼ばれた大男は無言で頷く。プレシアはその人形めいた動作に薄ら寒いものを感じながら、同時に頼もしさも感じ取る事ができた。
 とある世界において、世界を救う存在を生み出すために行われる壮絶な殺し合い。
 その覇者である黒髪の弓兵は彼女が下した他の『救世主候補』を従える権能があるという。ムドウと呼ばれたその男にしても元は凄まじい強さを誇る戦士だったのだろうが、こうなってしまえば単なる駒でしかない。そして、この傀儡たちの力でさえ、プレシアを凌駕していると言う事実が彼女にこれほどの冷静さを与える要因となっていた。
 本来の彼女ならば聖杯戦争開始直後に他の参加者に襲い掛かり、あっさりと返り討ちに遭っていた事だろう。
 それを留めたアーチャーは、いまもにこやかな表情のままムドウの報告を受け取っていた。

「ふむふむ……それじゃあそのテレジアちゃん? を拉致しちゃうえれば相手も言う事を聞いてくれるかな。その首領代行って人は随分とその子のこと可愛がっているみたいだし」

「待ちなさいアーチャー。それでは彼らもまた私達の敵になる可能性が高い……この場合はもっと上手いやり方があるでしょう。幸い、私達はバーサーカーの特性について知っているのだから」

 思案顔のままうんうんと唸っていたアーチャーの言葉をプレシアが遮ると、うっすらと笑みを浮かべた。
 余りにも酷薄なその笑みは、紛れもなく御伽噺の魔女のそれだった。


◇◇◇


 ブラックロッジ最高幹部が一人、ティトゥス=リーゼロッテ・ヴェルグマイスターは世界を震動させる衝撃に目を覚ました。

「お、ようやくお目覚めか。眠り姫を気取るのは構わんが、攻め込まれているというのにその体たらくではおれの主としてどうかと思うぞ」

「……この程度の攻めで壊れる壁など意味がなかろう。しかし、乱暴なノックもあったものだ」

 リーゼロッテは水晶の玉座に肘掛ながら、目覚めた姿勢のまま現状を把握する。
 とはいえ、分かっている事と言えば何者かが彼女の結界に対して凄まじい火力でもって攻撃を仕掛けているらしいと言う事くらいだ。しかし、それだけでも相手を把握するのは難しい事ではない。

「これだけの出力となると……サーヴァントか。キャスターではこれほどの連射無理だろうし……となれば、相手はアーチャー。あの小娘(クラウディウス)か」

 呟き、リーゼロッテに薄い笑みが浮かぶ。圧倒的強者が挑戦者の無様な足掻きを見下すような、絶対の自信が零れでたような表情だ。第二魔法に匹敵する域にある彼女の結界を揺るがすほどの砲撃は、成程確かに凄まじいとしか表せない。しかし、それをもってしても護りを抜けない事実を見れば、リーゼロッテの余裕も頷けるというものだった。
 結論、火力が『弱すぎる』のだ。
 それこそ話にならないほどに。

「がっつんがっつん騒がしくてかなわんな。いっそこちらから討って出るのはどうだ」

「貴女の常時発動(パッシブ)スキルが抑えられるなら良いわ」

「それは無理な話だな」

「なら、大人しくしていなさい」

 名案を思いついた、と言わんばかりのバーサーカー=湊斗光にリーゼロッテはあっさりと却下を告げる。
 光の常時発動スキルには『呪歌』という。
 能力は『あらゆるモノを闘争へと駆り立てる』という代物で、ある程度の魔術的な防御を施してあれば防げるが、逆にそうでもなければありとあらゆる人間を洗脳する。
 それだけならば大したことが無いように思うが、問題はその効果範囲にある。既に英霊として存在している彼女の力はこの星全てを覆う。ひとたび彼女が現世に出現したなら、あらゆる人々は己の命を賭けて誰彼構わず殺し、戦い、殺して、戦う修羅となるだろう。
 別段、そうなったらそうなったで構わないとリーゼロッテは思っているがいまは時が悪い。

「聖槍十三騎士団黒円卓第一位と第十三位。この二人が同時に戻ってくると如何に私であっても手に負えん。そして、貴様のスキルは奴らを呼び戻すには都合が良すぎる」

「ほう、それほどか」

「直に見れば、お前でも理解するだろう。あれは根源から人間とは別のナニカだ」

 興味深そうに闘志を滾らせる光にリーゼロッテは深く息をつく。彼女は第二次大戦中のベルリンで辛うじてまだ『人間』だった頃の黒円卓の第一位と遭った事がある。
 その時の感想は『自分の千年がなんだったのか』と言うほどの無力感だった。

(あの化け物を呼び戻させるわけにはいかない。出て来てしまえば止められる事など出来はしないだろうからな)

 彼の騎士団がベルリンを生贄に捧げて行った大儀式。その最終目的を知っているリーゼロッテとしては、とても許容できないモノだった。

(永劫続く戦争? そんな修羅の世界、決して赦さん。この世界は滅びるべきなのだから)

 彼女には世界を滅ぼすと言う誓いがある。
 そのためにいままでの千年を歩み続け、あの金色の獣に膝を折り、こうして最後にして最大の好機を手にする事ができたのだから。
 これを逃す事など、どうして出来ようか。

「そのためにも、あの二人を舞台に上げる訳にはいかない。黄金も水銀も、この夜には必要ない」

 この闇に一欠けらの光も要らぬ。
 輝きを放つ一切は遠のけばよい。
 祈りにも似た意思に湊斗光も主の意を汲んだ。

「ならば、仕方ない。今しばらくは篭城と洒落込むか」

「ええ。悪いけれどそうして頂戴」

 聞き分けの良い狂戦士という矛盾した自分の使い魔に僅かに満足した表情を作る黒衣の魔女。彼女自身、知らずに疲れを溜め込んでいたのだろう。
 黒円卓の双首領とその近衛たる三人の大隊長を呼び戻すには修羅の戦場を現世に形成する必要がある。そして、光はそこにあるだけで戦場を形成してしまう。儀式に幾つの戦場が必要かなどは知らないが、そんなものは関係なくなるだろう。なにせ、世界全てが戦場となるのだから。
 だからこそ、リーゼロッテは自身の結界を展開して『待ち』の戦術を取らざるを得なくなる。星すら滅ぼす最強を引いたと言うのに、だからこそ討って出られないというジレンマは少なくないストレスを彼女に与えているのだろう。
 眉間に刻まれた深い渓谷を指で解しながら、いまもまだ続く衝撃の方へ視線を向ける。

「これだけ派手にやっているのだから、他の連中が始末をするでしょう。もうしばらくすれば静かになる」

「おれ達以外の全員が結託して攻めて来ているのかも知れんぞ?」

「それで私一人の結界すら抜けない相手に後れを取るほど無能なのか? お前は」

「確かにそれならわざわざ出向くまでも……む?」

 言い合う二人は同時にその人影に気がついた。
 先程まで世界を揺るがしていた衝撃の中心。その虚空に一人の女が浮かんでいた。短い赤毛の、妙齢の美女。その手に大きな宝石が嵌めこまれた手袋をしたその女は強大な魔力を収束させていた。

「ほう、何者か知らんが多少はやりそうだな。単身乗り込んできた蛮勇は買ってやろう。バーサーカー、相手をしろ」

「ふむ、そうしたいのは山々だが……どうやらあれは爆弾みたいだぞ?」

 何? とリーゼロッテが疑問を漏らすと同時。


 爆!!!!


 凄まじい爆発と同時に女を中心とした空が『砕け』た。

「多次元干渉……第二魔法に匹敵する大魔術を用いた自爆技か」

 既に塵一つ残さず消滅した女のいた空間に夜明け前の空が見える。それは常時深紅に覆われているはずの『幻燈結界』が内側から抜かれた何よりの証拠となっていた。
 次元に干渉するほどの魔術の達人が行う捨て身の自爆術。
 適切な場面で使えばサーヴァントにも重傷を負わせられそうなほどの一撃を、その敵はリーゼロッテの殻を破るためだけに使ったのだ。
 その大胆と言うよりもむしろ無計画に近い攻撃に、しかし、最も面倒な展開へと舞台は流れていこうとしていた。

「バーサーカー!」

「ああ、悪いが無理だ。令呪でもこれは抑えられん」

 世界を滅ぼす呪歌(毒)が溢れる。
 さながら、バジリスクの卵が割れたかの如く。
 視認出来る呪詛をただ眺めながらリーゼロッテはこれからの即時決戦を心に決め、




 そこで、世界が隔絶した。




「? 何事だ」

「世界を”ずらされた”な。主の結界ではないのか」

 光の問いに首を横に振って答えるリーゼロッテ。立て続けに変化する状況の中、その応えは天空から降りてきた。

「次元犯罪組織『ブラックロッジ』幹部・アンチクロスのティトゥス。貴女を特定遺失物窃盗の容疑で逮捕します」

 声は鮮烈に。
 意思は苛烈に。
 黄金の槍杖(デバイス)を持つ純白の最強(エース)がそこには在る。

「私は時空管理局『脅威対策室』特務六課所属、高町なのは一等空尉。貴女たちには公正な裁判を受ける権利があります。抵抗しなければ、悪いようにはしません。決して」

「ほう、随分と面白い事を囀る。公正? 裁判? 私が知っているその言葉は『虐殺』を装飾するための言葉だったはずだがな……まあいい。貴様らにしては上手い対処だ」

 黒衣の魔女は天空の白い魔導師を睨みつける。
 恐らく、世界をずらしたのは彼女の仲間である『魔導師』の仕業だろう。時空管理局が主に使用するミッドチルダ式、あるいは近代ベルカ式と呼ばれる術式は出力、威力共にリーゼロッテにとっては児戯に等しいレベルの物だったが、事空間を対象とした結界術に関してだけは驚嘆すべき性能を誇る。
 特に、転移を封じるために使われるこの『封時結界』の強固さは凄まじい。
 それこそ、バーサーカーの呪歌を内側から流れ出すのを阻止するほどに。

「褒美だ。刹那で殺してやる。管理局の雌犬」

「抵抗するなら、こちらも武力行使を行います……レイジングハート!!」

<All right."DDM mode" set up>

 リーゼロッテの殺意になのはが反応する。
 それに呼応して、彼女の愛機が最初から『切り札』を起動させた。
 しかし、それが終わるよりも早く、なのはを襲う影がある。

「何をするか知らんが術者がこの距離まで来るとは些か無謀な事だな!」

 嬉々として襲撃する光。
 自身を弾丸とするような吶喊はなのはの如何なる動作よりも速い。そのまま無防備な肉体をあっさりと貫かれるかと思われたその瞬間、動いたのは彼女が持つ『魔導師の杖』レイジングハートだった。
 黄金の槍にも見える杖はその核たる先端から真紅の閃光を迸らせる。その光量はいままさに拳を繰り出そうとしていた光の目を僅かに晦ませるほど。
 しかし、それで必殺の一撃を躊躇うほどサーヴァントとは生易しい存在ではない。

「捉えているぞ!」

 繰り出されるのは大地さえ割る正拳の一撃。
 かするだけで人間の体など吹き飛ばすその拳を――高町なのはは右腕で受け止めた。
 真紅の装甲に覆われた、右腕で。

「なっ!?」

「頑丈さには自身があるの。少し痛いけど、我慢してね」

 言うや、今度は左腕を光に突きつける。
 そこにあるのは砲身。無骨な孤狼の顎(アギト)は光の額に擬され、そこから鉛色の閃光が放たれる!

「あだ」

 顔面に直撃を受けた光の額は若干赤くなっていた。
 損害はその程度。
 その程度には損害を”与えられている”と言う事実。
 その事態が何を意味するか、瞬時に把握したリーゼロッテは驚愕の声を上げた。

「どうして貴様程度の使い手でサーヴァントに手傷を負わせられる……!!」

 光となのはの交戦を離れたところから見ていたリーゼロッテだから分かる。
 なのはが纏っている鎧……学園都市がその技術の粋を結集して創った『釼冑』にも似た鋼の装甲には確かに魔術的な防護が施されている。それを纏っている魔導師の出力を更に増幅・強化しているのだろう。
 しかし、言ってしまえばそれだけのはずなのに、どうしてサーヴァントという格上の神秘に通じる一撃が撃てるのか!!
 いや、そもそも、先の一撃は『純粋な物理攻撃』だったではないか!?

「それは一体……なんだ……」

 真紅の装甲は重く厚く、両の肩は特別巨大だ。背中には推力を増幅させるためと思しき合当理に似た推進器(ブースター)が備わっている。
 左腕の砲身はいまだ燻る煙が昇り、右の腕には冗談じみた極太の鉄杭(パイル)が装着されている。
 西洋騎士の兜に似た顔面の装甲。その額からは鬼神じみた角が伸びていた。
 その姿、正しく鬼械(奇怪)な神。

「最新武装装甲DDMシリーズ。型式番号『DDM-003-SP1』アルトアイゼン・リーゼ。
 貴方達ブラックロッジの鬼械神に対抗するために管理局の中に封じられていた『本物』を解析して開発された私達にとっての『ご都合主義の具現(デウス・マキナ)』……もう一度言います、抵抗をやめて直ちに投降して下さい。さもなければ……」

 ただ撃ち貫くだけ。
 空間を歪ませるほどの魔力をその鉄杭に滾らせて、高町なのはは静かに宣告した。



[21470] 第十三話 偽りの神
Name: U.Y◆d153a06c ID:7e2fa1f6
Date: 2010/10/06 01:34
 地球における拠点として使用していた月村邸の地下にあるラボ。
 そこで、高町なのはを含めた元機動六課メンバーはその知らせを聞くことになった。

「ぜん、めつ……?」

「そや。ブラックロッジ月面基地を包囲しとった艦隊に参加しとった人間はその全員が殉職を確認された。うちも、シグナムの消滅を、感知しとる」

 血を吐き出すように言葉を紡ぐ友人を、しかし、高町なのはも冷静さを保つ事で精一杯だった。大切な家族を失い、倒れてしまいそうな友達を支える事もできず、ただ呆然と受け入れがたい報告を聞き入れることしか出来なかった。

「そんな……シグナムさんが」

 蒼白な顔でそう呟いたのはエリオ・モンディアルだ。騎士として尊敬し、槍術の手解きを受けてもいた彼にとって、あまりにも唐突な師との別れであった。その場にいるスバル・ナカジマとヴィータも、それは変わらない。

「あいつが……あいつらが勝手に死ぬわけがねえ! そうだろはやて!? 嘘だよなぁっ!!」

「事実や。プログラムの蘇生も出来へん……奴らが扱う魔術は魂諸共破壊する術があるらしいから、おそらくはそれで倒されたんやと」

「嘘だ! あたしは信じねえ。いまから行ってシグナムを助けに……」

「それは駄目や。うちらが此処におる理由、忘れとらんやろ。こういう状況が考えられたからこそ、クロノ君はうちらをこっちに残したんやから」

 いまにも飛び出そうとするヴィータの肩をはやてが抑える。
 そう、彼女達がこの星にいるのは唯の偶然などではない。つい先日完成したばかりの新装備『DDM』の試験運用の目的として、地球にある同系統の武装『釼冑』との模擬戦を行うため、と言う名目で彼女達はいまここにいる。
 しかし、その裏にはきちんと目的が存在している。次元航行艦隊が万に一つ、ブラックロッジの幹部を地球へと逃してしまった場合、いち早く捜査を行い、確実に捕らえる為に、あるいは……艦隊が万に一つ敗れた場合の、切り札として。
 万全と呼べるほどの戦力を用意し、それでもなお悲劇を予期したクロノ・ハラオウンが張った苦肉の策は、誰もが望まぬ形で成果を発揮した。

「うちらは、あいつらを倒さなあかん。本局はブラックロッジに対する動きが鈍化しとる。総力戦を仕掛けて負けたんやからそれは仕方ないかも知れんけど、いま私らが地球から帰還すれば、戻ってくることはできんやろ」

 そうなれば、地球がどうなるかなど、考えるまでも無い。ヴィータを抑えながら諭すようにそう言うはやてだが、しかし、彼女のその手はかすかに震えていた。本当なら自分こそが駆け出したいと言う思いをジッと我慢しているようだった。
 その様子を見て、なのはも思考が回転し始める。
 呆然としているだけでは駄目だ。この一瞬は月で散った人々が稼いだ時間なのだから、それを無駄にすることなんて何があろうと赦されるはずが無い。

「はやてちゃん。現状は」

「なのはさん……」

「スバル、いまは何も言わないで。悲しむのも、落ち込むのも、全部後で、沢山しよう。いまは、動かなくちゃいけない時間だから。みんなの命を無駄にしないためにも」

 何かを言おうとした昴を制して、改めてはやてへ目を向ける。
 なのはの意思を読み取り、はやては一度だけ深く呼吸をして、つとめて低いトーンで語り始めた。

「月面基地を攻撃されたブラックロッジの幹部達は地上に降りてきとる。目的な何らかの魔術的な儀式を行うため。その戦場として選ばれたんが西東京にある学園都市いう街や。そこで、奴らは戦争を起こしとる」

「戦争?」

「せや。クロスミラージュ……ティアナから送られてきた最期の報告に記されとった情報から、その儀式名は『聖杯戦争』と呼ばれとるらしい」

 はやての告げた名前に、なのはの胸は確かに貫かれた。


◇◇◇


 真紅の戦鬼が弾丸の如く疾走する。
 右腕に鋼の鉄杭。左腕に五つの銃口を持つ機関砲。その両肩には巨大な装甲があり、中にはたっぷりと爆薬を蓄えた、歩く武器庫と呼ぶに十分な威容を誇るその騎体。

 『DDM-003-SP1 アルトアイゼン・リーゼ』

 巨人(リーゼ)の異名に負けぬ巨躯の刃金を駆る高町なのははその細身の体を襲う強烈なGを無視しながら狂乱の英霊へと肉薄する。その威容を前に、バーサーカー=湊斗光はしかし戦意を迸らせ、

「面白い。異界の釼冑の切れ味、見てやろう」

 己から虚空へと跳躍し、なのはを迎え撃つ。繰り出される拳は大地を割り、蹴りは海を裂く光の一撃は、しかし、巨人の重装甲を抜くには至らない。腕で、肩の装甲で、通常技が必殺となるサーヴァントの一撃を防ぎながらなのはも反撃を行う。
 しかし、体術ではそもそも技量が違う。防御力に特化した反面、小回りが絶望的ないまの彼女が選んだのは肉を切らせて骨を絶つ戦法。
 即ち、

「額の角は飾りじゃないの!」

<Heat Horn set up>

「笑止!」

 防御を捨てた特攻攻撃。額から伸びる実体刃は交わすまでも無く光の素手に掴まれる。
 しかし、それで十分。

「止まった。これなら」

「!? それが狙いか!」

 なのはの手に笑みすら浮かべる光。彼女の顔面に繰り出されるのは左の銃口。
 五つの銃口は出番に歓喜を叫ぶように甲高い回転音をかき鳴らす。

「弾種・術式封入弾」

<Burst Shoot>

竜の雄叫びめいた甲高い機械音を響かせながら鋼鉄の弾丸が音を置き去りにして吐き出される。コンクリートのビルさえ紙くずのように引き裂く弾丸は、しかし、光の影を捉える事さえ出来ない。

「遅い!」

 ほぼ零距離といえる距離から放たれた音速を軽々避ける。そもそも、音速程度の速度が出せずにどうして英霊と呼べるのか、そう言わんばかりの高速体術を駆使して何もない空中で全弾を回避してみせた。

「はっ! 二度も三度も同じ業を食らあたっ!?」

「ただの弾丸だと思うと酷い目に遭うよ」

 しかし、一度は回避した弾丸が今度は桜色の光を纏ってUターンする。そんな非常識極まりない銃撃に不意を突かれた光は二度目の被弾を許してしまう。直撃した後頭部をさする光の様子では大したダメージを与えられていないというのは間違いないだろうが、なのはにとっては別段それでも構わない。

「こんな風に!」

<Booster on>

 背部に装備されている大型ブースターから紅蓮の炎が吹き上がる。
 直後、残像が発生するほどの加速を成功させると今度は右の腕を振り上げた。人間の頭など貫くどころか粉砕しかねないほど巨大な鉄杭が桜色の魔力光に包まれるのと、それが光のほっそりとした胸を貫くのはほぼ同時!

「ディバイィィィィィンンン――」

<"Divine Buster Extension">

「バスタァァァァァァァァ!!」

 ガッゴン! ガッコン!! ガッコン!!! ガッコン!!!! ガッコン!!!!! ガッコン!!!!!!

「ッ!?」

 右腕の杭撃ち機(パイル・バンカー)の内部で装填された全てのカートリッジが炸裂する。それによって供給された膨大な魔力を集束させて放たれるのは高町なのはの代名詞とも呼べる必殺の砲撃魔法。回避するどころか零距離でその直撃を受けた光は突風に吹かれた木の葉のように吹き飛ばされ、地上へと叩きつけられる。
 しかし、それで終わりではない。

「お願い!」

<Claymore Avalanche>

 がごん、と音をさせて両の肩が開放される。咆哮を向けられたのは光が叩きつけられた地点。そこに、火薬を大量に使用したチタン弾がその銘が示すとおり、雪崩の如く放たれる。
 点ではなく面で放たれるそれを、光はあろうことかその両腕で全て捌く。化け物じみたというにはあまりにも荒唐無稽なその現実は、なのはにこの攻勢で押し切る事を決意させる。
 マルチタスクを起動。
 術式選択――集束砲撃魔法。
 自身最大最強の奥儀をもって速攻を決める!

<master>

 魔導師の杖が術者への過負荷を警告する。
 しかし、それを聞き入れるほど『不屈の心』は素直な人物ではなかった。

「力を、貸して!!」

<All,right.my master> 

 右腕に装備された杭撃ち機から空薬莢が排出。それと同時に自動で再装填が行われ、完了と同時に全弾使用。世界に満ちる吐き気がするほどの魔力を一点に集め、足を止めている光へと照準を合わせ、

「全力全開!!」

<"Star Light Breaker">

「それは、やばそうだな」

 現界してから初めて、光に戦慄が走る。
 その一撃、恐らくは宝具に匹敵すると本能が告げていた。
 しかし、いまの彼女にそれを避ける暇はない。雪崩となって降る弾雨もまた光を殺傷する性能を持っているのだから!!
 瀑布の如き砲撃は放たれた!
 ありえぬはずの状況のまま、光は桜色の極光に呑みこまれた。


◇◇◇


「はぁ……ふぅ……レイジングハート……」

<All reload>

 主の意思を汲み取り、右腕の薬室(チェンバー)を開放。空薬莢を排出するとストックしてあるカートリッジを補充し、砲身として使用したため歪んでしまった杭も新しい物へと交換する。鈍い音をさせて薬室が右腕に納まると、そこには戦闘前同様の威容を誇る赤い鬼神だけが残っていた。

「リーゼロット・ヴェルグマイスター……これで最後です。どうか投降を」

「DDM……偽りの鬼械神(デミ・デウス・マキナ)か。なるほど、大きな口を叩くだけの事はある。いや、正直に賞賛しよう。それを創った者は天才だ。紛れもない、な」

 自身に比べて圧倒的に巨大なアルトアイゼン・リーゼを前にして、しかし、リーゼロッテはむしろ面白い物を見つけたといわんばかりに目を細めた。そこに宿っているのは純粋な興味と好奇。余にも珍しい一品に予想だにせず遭遇した時に見せる人間の反応がそこに在った。
 その中に脅威を前にした時に現われる恐怖や焦りは皆無であり、だからこそなのはも油断なく構える。
 黒衣の少女が持つ余裕が何の根拠がない訳ではない事はよく理解しているのだから。

「鬼械神を召喚するには魔導書というロストロギアが必要な事はわかっています。取り出せば、容赦なく実体弾を打ち込みます」

「これはこれは。優しすぎで欠伸が出るな管理局の犬」

 大口径の五連チェーンガンが擬される。
 しかし、それでもリーゼロッテの表情は微塵も変わらない。
 何故なら理解しているからだ。大した神秘も篭っていない鉛弾が何故サーヴァントに通用したのかを。そして、その理屈で言えばその銃口がまるで意味を成していないという事を。

「無駄だ。私の護りを抜きたいなら、最低でもそちらの右腕を使え」

「……貴女に指示される理由はありません」

「ふん。折角忠告してやったものを……まあ、例えそちらの鉄杭であろうと私に傷を負わせるなど不可能だろうがな」

「やってみなくては」

「分かるさ。これでも貴様の何十倍かは生きているからな。貴様のそれは神秘を積み重ねた”重さ”で潰しているのではなく、進化の速度を利用した”鋭さ”で断ち切っているんだ。
 なら、より切れ味が鋭くなるのは切っ先の方……貴様の騎体が持つ切り札でなければ意味が無い」

「なにを言っているんです」

「少しは自分で考えろ。まあ、そんな知恵があるなら、管理局などにはいないだろうがなぁ」

 上空のなのはと地上のリーゼロッテ。
 その位置関係でありながら見下しているのは完全にリーゼロッテだ。何故なら、彼女はなのはの一撃が何故光に有効なのか把握する事に成功したのに対して、当人であるなのはがまったくそれを理解していない様子だったからだ。
 なのはたちが行った戦果。それは本来ならばありえないといえるレベルのものであった。
 基本が霊体であるサーヴァントは物理攻撃に対して『霊体化』という反則的な回避手段を保有している。それでなくても実体化している状態であっても並外れた耐久力を持つ英霊は通常の火器では倒せない。
 神秘の塊である彼らを殺すにはそれを護る神秘を上回る神秘をぶつけなくてはならない。
 それがリーゼロッテたち魔術師の常識である。
 神秘はより年月を積み重ね『重さ』を増したものによって圧殺される。それ以外に神秘を殺す手段は存在しないと、魔術師達は言うだろう。
 しかし、それは果たして本当だろうか?
 夜の闇を払ったのは。
 疫病の正体を暴いたのは。
 幻想を追い出し、人間という種族をこれほど栄えさせたのは果たしてなんであったか。

(科学は魔術を殺す。理解していると思っていてもこうして規格外を目の当たりにすると流石に信じがたいものがある)

 リーゼロッテは戦慄する。
 そも、科学と魔術は向かっている方向が違うだけで同じモノだと、彼女の師は語っていた。過ぎた科学は魔術と同意であり、過ぎた魔術は科学に相似する。両者は表裏一体の関係であると彼は言っていた。
 そして、ミッドチルダ式に代表される時空管理局の『魔法』は科学側のベクトルで発達、進化していた。霊魂の存在や呪いと言った概念を迷信と斬り捨て、0と1で構築され、電脳(作り物)にすら代替が可能なその術式はむしろ『行き過ぎた超科学』といった方がこの星の魔術師達には分かりやすい。
 だからこそ見下し、油断する。
 積み重ねた実績も無い、新しいという事しか意味の無い蟷螂の斧などに何が出来ようか、と。
 しかし、忘れてはならない。
 科学と魔術とはベクトルが違うだけで同じモノだと。
 そして、神秘がより大きな神秘で殺されるならば、未来へと疾走するその最先端であれば神秘を切り裂き、幻想を殺せるのはむしろ当然のことであると。
 夜の闇が電灯によって掃われたように。
 疫病を克服する薬が作られるように。
 他のどんな生命体も手にしなかった科学の火が、人類を霊長の座へと導いたように。
 高町なのはが纏うのはその果て。
 いま、黒衣の魔女が目の当たりにしているのはまさにその『過ぎた科学』の具現。人類では決して到達出来ぬ域にまで高められた技術の結集が形を持ってそこに立つ。

(まったく。偽りの神(デミ・デウス・マキナ)とは良くいったものだ。しかし――)

 自分の手札をきちんと把握出来ていない使い手など、リーゼロッテから見れば玩具を振り回す幼子に等しい。
 なにより――

「そうそう、最期に一つサービスしてやろう」

 相手の息の根を絶ったと確かめもしない半端者など、どうして脅威とみなせようか。

「右なら、腕一本で済むかも知れんぞ?」

<master! 12 o'clock!!>

「!?」

 脳が判断を下すより早く、無数の戦場を潜り抜けた直感が肉体を動かした。直後、天上から堕ちた白い閃光がなのはの左腕を掠め……酷くあっさりと、彼女の腕を装甲ごと切断した。
 肩の装甲ごと。
 それこそ枯れ木をへし折るような気安さで。
 空を舞う自分の左腕をただ見つめるなのはの耳にその声は響いた。

「見事なり。誇るが良い。峰撃ちでありながら、それでも貴様の業はおれに釼冑を抜かせたのだ」

 声の発生源は下方。
 先の流星が堕ちた場所から少し篭った光の声が聞こえてくる。


 見てはいけない。


 本能が絶叫を上げる。
 体が悲鳴を上げる。
 心が罅割れる音がする。


 見てはいけない。目を合わせてもいけない。それと遭遇しては生き残れない。


 聞こえるはずもない、だが、確かに聞こえる嘆きの言葉を飲み込んで、不屈の心を誇る魔導師はそれを直視した。
 黒衣の少女の傍らに現われた白銀の凶星。
 流線型のフォルムは女性的な柔らかさよりも刀の鋭さを連想させる。
 何よりもそれが孕む血風が立ち会う相手に理解させる。
 それは殺戮者。
 ただ只管に殺し、壊し、侵して奪って蹂躙する。
 血の赤を死の白で覆ってしまった悪鬼の姿が其処には在った。

「……それは」

「これこそが我が宝具『勢洲右衛門尉村正二世(銀星号)』――天下に武を布く釼冑なり」

 壊れた蛇口のように吹き出す血のことも忘れ、なのはは光の釼冑を凝視した。
 サーヴァントや聖杯戦争に関する詳しい情報を持たないないなのはにとって、光がいう『宝具』という言葉の意味を知ることは出来なかった。しかし、それでも其処に宿る必殺の意思を嗅ぎ取る事はできる。歴戦の経験が、自分の死が形を成して其処に立っているとがなりたてる。

(これは……まずい、かな)

 急速に薄れる意識をなんとか繋ぎ止めているのは皮肉な事に左腕を失ったことによる激痛。
 『DDM』には装備者を護るための緩和装置が無数に積まれているが慣れないサーヴァントの攻撃や急加速、質量兵器の反動、魔力の強制的な増幅……なにより、無茶を通り越した魔法行使は彼女の身体をズタズタにしていた。再生機能が働いているため、このまま安静にしていられれば遠からず回復する事もできるだろうが、そんなことを赦してくれる相手でもない。
 なにより、此処で自分が倒れてしまえば仲間達を更なる窮地へ立たせてしまうという事実が、なのはを安らかな眠りから遠ざける。

(はやてちゃんたちだって向こうで戦っている……なら、私がここでこの人たちを抑えておかないと。こんな人たちに挟撃されたら逃げる事もできなくなる)

 思うのは仲間の事。はやてが指揮を取る本隊とも呼べる戦力はいまは別の場所で戦闘を行っていた。リーゼロッテたちに攻撃を仕掛けていた勢力の方へと。
 それを行っていた術者を調べたところ、管理局でSランクとアンチクロスの中では『弱い』方であったために、なのはは此処で一人戦う事になったのだ。
 アンチクロスの中でも最強とされるティトゥス=リーゼロッテをなのは単騎が此処で足止めし、その間に総戦力でアンチクロスの一角を崩す。漁夫の利を狙うことも考えられたが、共闘されては勝ち目が零になる可能性が高いがための、苦渋の決断であった。
 その選択を押し付けてしまったはやてに対して、これ以上の重荷を背負わせないためにも、高町なのはは倒れない。

「こんなところで、終わるわけにはいかない……」

 だから、愚痴るのも諦めるのも全て後回し。
 いまこの瞬間に出来る全力を。

(温存なんて考えたら、死ぬ!)

<master!>

「レイジングハート……ごめんね。私の我儘につき合わせて。でも、これが多分最期だから……」

<……Don't worry.I defend you>

 唯一つ残った右腕に持てる魔力の全てを注ぎ込む。それでも足りない分を大気中にある全ての魔力をかき集め、ただ一点に――右腕の鉄杭へと集束させていく。
 ごく短い時間で放たれようとする最強の砲撃。
 常人ならば吐き気を覚えるほどに圧縮・集束された魔力に、しかし、リーゼロッテも光もただ面白い見世物を見るように眺めていた。
 数多の次元犯罪者達にとって悪夢の具現とされる管理局の『白い悪魔』高町なのはの窮極魔法『スターライトブレイカー』の発射体勢に入る合間にも、地上の魔女達は悠然と構え続けていた。
 むしろ、その姿にふと思い出したように口を開く。

「ああ、その術式。どこかで見たと思ったのが漸く思い出した。貴様、あの二挺拳銃を使う執務官の師匠だな? しぶとさだけは凄まじかったが……ティベリウスに腹から下を喰われた末にそれで自爆したんだった。冥土で逢ったなら、精々褒めてやるがいい。アレが一番、我らの基地に損害を与えたのだからな」

「……そう、ティアを――そんな風に!!」

 何かが頭の奥で引き裂かれた音を発射音に、最強の一撃は放たれた。
 それは狙い違わずリーゼロッテとバーサーカーを直撃し、

「種の割れた手品など、面白くも無いな」

 黒衣の魔女が展開した防御結界によって、その威力を完全に防がれてた。

「そんな……」

「技量も武器も悪くなかったが……感情を爆発させてはそれは使いこなせまい。頭を冷やして、死ね」

 それが彼女達の間にある絶望的な格差。
 魔力を失い、命すら秒単位で失っていくなのはは空にいることも出来ずに墜落する。その無様を嘲りながら見つめるリーゼロッテの危機感はほぼ皆無といって良いほどに薄れていた。
 それこそ、格下の存在など一顧だにしないほどに。

「北帝勅吾―――千鳥や千鳥、伊勢の赤松を忘れたか―――」

 陰陽師の少女によって唱えられる口訣によって疾走する呪符。紙の式神はなのはとリーゼロッテたちを分断するように飛び回り、光の釼冑や黒衣の魔女に次々と張り付いていく。

「これはあの時の!?」

 異変に気がついたリーゼロッテが動くよりも早く、魔術師の英霊(キャスター)は破邪の呪法を完成させた。

「五雷神君奉勅――― 五雷神君の天心下り、十五雷の正法を生ず。邪怪禁呪(じゅかいごんじゅ)、悪業を成す精魅(せいみ)―――天地万物の理をもちて微塵と成す! 十五雷正法、十二散―――禁!! 」

 直後、呪符が一斉に起動し、それによって発生した雷鳴によって全員がその視覚を完全に奪われた。
 しかし、それ『以外の被害は皆無』だった。
 高町なのはの最強の一撃を防いだ防御はいまだ健在。凄まじい威力を発揮する雷撃は目晦まし以上の効果は果たせず、リーゼロットの身体には毛ほどの傷も負わせられない。
 そう、雷は。

「……は?」

 リーゼロッテは理解できない。
 自分の頬に感じる拳を認識できない。
 彼女は常に絶対の護りを張っていた。それこそ忌避すべき『虚無の魔石』の力を使い、大導師以外の魔術師では決して抜けないほどに強力無比な結界を。
 しかし、そんな物が存在しないかのように、ツンツン頭の少年が繰り出された唯の拳は的確にリーゼロッテの顔面を貫き、振りぬかれ、あと追うように灼熱の痛みが頬に広がり――

「っ!! 貴様ァアアア!!」

 リーゼロッテが放ったのは霊魂諸共全てを焼き尽くす黒い炎。
 巻き込まれたなら一切の護りも意味なく灰燼に帰す煉獄の欠片は、しかし――硝子の如く砕かれた。

「なんだと!?」

「しまった!?」

 必殺の魔術が砕かれ、一瞬放心するリーゼロッテ。
 しかし、少年の方にしてもその動作は致命的だ。
 コンマの時間でも経過してしまえば敵は奇襲から立ち直り、

「昨日の少年か。しかし、今度は外さんぞ?」

 銀色の悪鬼がその背後に立つ。
 構えは昨日の夕方、彼の腹を貫通せんと繰り出したのと同じ正拳。
 まるで焼き回しのように動き出すバーサーカーの拳は今度こそ逃げようのない少年の体を捉えており、

「南無三!」

「ッ!?」

 自明、軌道の先読みは英霊にとって容易な事だった。

「いまのを避けるかよ!? でも!」

 少年を貫こうと伸びた光の腕を切り飛ばそうと走る刃金の槍。
 その仕手の姿を確認するより疾く次の斬撃が繰り出される。下段からの切り上げ、首を狙った水平の薙ぎ、石突によるかちあげは顎を砕こうと振るわれ、短く柄を掴むと機関砲の如く刺突の雨が悪鬼に降り注ぐ。それら全ての速度は光よりもやや遅い。しかし、足りぬ速度を埋める技量がその仕手には備わっていた。

「足元がお留守だぜ」

 上半身に集中していた刺突の雨を突如として軌道を変化させ、下段の払いに移行する。
 それらの動作全てが高速で行われ、常人は愚かサーヴァントであっても片足は犠牲にする覚悟を強いる。それほどの一撃を、しかし光は自身の性能を十全に発揮させて回避した。

「これはうっかり。だが、その程度の足捌きではおれを満足させられんぞ? 僧兵」

 まったく予備動作なしで繰り出されるのは虚空を軸に縦に回転して繰り出される浴びせ蹴り。如何に常識外れのサーヴァントといえど物理法則を此処まで無視するのも珍しい。そこに必殺の威力がこもっているならなおの事。しかし、槍の仕手はそんな『奇々怪々』との戦いこそ本領としている。人の形をしているから人の常識に当てはまってくれるなど、そもそも期待していないのだ。

「女の癖に足癖の悪い奴だ」

 光の浴びせ蹴りを余裕を持って回避すると、仕手は少年の襟首を掴んで退避する。それを追撃しようとする光の眼前に彼女の主の物とは別の炎が遮った。込められた魔力と術式の精密さは間違いなくキャスターの一撃。不用意に食らう事を嫌った光は無理せず構えを取り直し、リーゼロットを庇うように構えを取った。

「やれやれ……昨日は術を使って逃げ回っていたというのに、随分と勇ましいな? ライダー。よもや、実はランサーだった、という事か?」

「いいや? 俺は別に嘘なんかついてない」

 釼冑の中で篭った光の言葉には、しかし、好敵手に見える事ができた喜びが浮かんでいる。
 ライダーと名乗った槍の仕手は一見すると唯の学生のように見える。黒い詰襟とズボンは中々様になっていた。
 しかし、光の知るライダーとは若干違う点があった。
 一つは得物。
 昨日のライダーは錫杖を使い、魔術を使って戦っていた。いまのように槍を持ち、光に接近戦を挑んでくる事もなかった。
 二つは負傷。
 ライダー主従は無用心にリーゼロットの異界に入り込み、手痛い打撃を受けていたはず。しかし、いまのライダーにその傷は見当たらない。サーヴァントを殺しきれる黒衣の魔女から受けた傷がこの短時間で治るとはとても思えなかった。
 そして最後の疑問。

「貴様、昨日は短髪ではなかったか?」

「槍を使うとこうなるのさ。俺の宝具『獣の槍』を使うとな」

 長く、艶やかな黒髪を尻尾のように靡かせ、ライダーは構えた。

「俺の名前は潮。ただの潮だ。昨日はあんただけ名乗ってたから、これでお相子ってことで良いか」

「勿論。口も聞けん状態からよくぞ回復した。快気祝いだ。今度こそおれの本気を受けていけ」

 拳と槍。
 殺意と殺意が激突する虚空を漆黒の杭が分断した。

「まったく、今日は千客万来か」

 光が呆れながら向けた視界には一人の男が立っていた。
 黒い軍装と赤い腕章。
 リーゼロッテ二とってはある意味で見慣れたナチスドイツの軍装。
 日の光を忌み嫌うような白い顔を持つ男は殺意を全方位に撒き散らしながらその場の全てに対して告げた。

「人が寝てりゃあ派手にドンパチ始めやがって……誘ってのか? 売女ども。いまの俺は豚だろうが犬だろうが猿だろうが穴があるならどうでも良い気分なんだ。犯して破って吸い殺してやるから……そこ動くんじゃねえぞ。テメエら」

 鏖殺の宣言は、戦場を混沌の坩堝へと落とす。
 白貌の吸血鬼の出現は誰にとっての凶兆となるのか。



[21470] 挿話 『Gespenst Jäger』
Name: U.Y◆d153a06c ID:7e2fa1f6
Date: 2010/10/08 00:32

 橋の上で混沌とした戦場が形成されているのと同時刻。
 学園都市統括理事が在った『窓の無い建物』もまた勢力入り乱れた混戦が巻き起こっていた。

「……ホリン。貴方はどう見る?」

「そうだな、とりあえずサンドリオンだったか? 良い腕をしてるじゃねえか。弓の英霊(アーチャー)に弓で挑んで互角とか常識的に考えればありえねえ。それに、他にも何か手を隠してる。それがどれほどかはわからねえが……サーヴァントを殺すには十分な代物なのは間違いねえだろ。勝ちの手札を持たないで戦場に出てくる奴には見えない」

 櫻井螢は激しい射撃戦が繰り広げられているその空間を見つめながら隣に居る自身のサーヴァント・ランサーに尋ねると、彼女自身が思っているのとほぼ同じ感想が返された。
 そう、その光景はまともに考えればありえないモノ。
 人間の身でありながら英霊に、しかもソレが最も得意とする分野で互角に渡り合う事などできるはずが無いのである。
 アーチャーが用いる弓と矢は恐らくは第一級の宝具なのは遠目から見ても明らか。聖遺物をその身に宿している螢にはその一撃に込められる威力の程が肌で感じ取る事ができるため、疑いようが無い。その一撃は例えるなら大砲。それに対してサンドリオン――衛宮士郎は拳銃程度の脆い矢を用いて拮抗している。
 その不条理は、即ち事弓に関する技量において、衛宮士郎が今回のアーチャーを大きく上回っている事を示している。
 しかし、

「そんなことが可能なの?」

「さあな。現実として奴はそれを可能にしてんだから、疑ったところで意味が無いだろ。それより、どうする」

「どうするもなにも……」

 ランサーに尋ねられた螢は一瞬思考する。
 彼女達がこの戦場へと現れたのはなにも偶然などではない。この街が何らかの結界魔術に包まれたのと同時に下された指令を遂行するため、彼女達はこの場所に現れた。
 螢としては士郎個人に対して聞きたい事もあったため、これを好機と見ることも出来るがいまは彼女達を統括する聖餐杯からの命令を遂行する方が重要である。むしろ、それが無かったならとっくの昔に衛宮へと襲い掛かっていた事だろう。
 それをよく理解しているランサーは軽く息を吐きながら、

「嬢ちゃん、あいつとなんか因縁があるのは分かるが」

「大丈夫よ。自分が何を為すべきか、分からないほど子供じゃない」

「そう思うんなら、いい加減力を抜けや。そのうち床が割れるぞ?」

 ちらりと見た螢の手元には鉄製の手摺が無惨にひしゃげ、その破壊は床にまで至っている。魔人の膂力を持つ彼女がその気になれば古ぼけた建物の屋上を抜くことなど容易に出来てしまうのだから、力は制御していなくてはならない。
 しかし、本当ならば今すぐにでも衛宮に問い詰めたい事がある螢にはそれが出来ていなかった。表面上は大人びているこの少女が中身はまるっきり子供である事をランサーは召喚されてからのこれまでの時間で把握していたが、今回は輪をかけて酷い状態といえる。

「ヴァルキュリア、ね。お前の家族って所か」

「……貴方には関係ないでしょ。それより、動きがあったみたい」

 目を凝らして遠い戦場を観察していた螢の視界に天空から三つの光点が落下してくる様子が映った。恐らくはこの結界を展開した存在であろうと当たりをつける。
 ルーンの魔術に秀でたランサーも知らぬ術式で構築された結界術が衛宮士郎に扱えるとも思えなかったし、かといってこれから戦闘を行おうとするアーチャー陣営が余計な魔力を浪費するとも思えなかったのがその理由。
 そして、螢たちを混戦に挑ませないで観察を強いていた大きな要因でもある。

「未知の第四勢力……上手く利用できれば楽なのだけど」

「そういうこと言ってっとあの変態神父みたいになるぞ?」

 ランサーの突っ込みにウッと唸りながら櫻井螢は参戦の時期を計る。
 それはもうすぐであると、彼女の勘が告げていた。


◇◇◇


 『DDM-007 ゲシュペンストMrkⅡ』を纏ったスバル・ナカジマは地上で繰り広げられる激しい戦闘に目を丸くした。機械的な補助と強化された視力で観察した両者の魔力量の差はランク換算で三段階。SS+と表示される黒髪の少女に対してAA+ランク相当と表示される灰色の髪をした男性が凄まじい速度で矢を射掛けている。
 その連射速度はとても古色蒼然とした弓という武装が出せるモノではない。さながら機関砲かなにかだと思ったほうが良い。単発の低威力を発射速度と精密射撃によって覆している。黒髪の少女が大砲を放とうと、その寸前で目や手元に矢が迫れば冷静ではいられない。
 微かな動揺、僅かな回避、針の穴じみたその隙間を縫って男性は少女と拮抗していた。
 しかし、それも恐らくは永くは持たない。何故なら、少女の背後にはまだSランクの魔導師が控えているのだから。

「はやてからの確認が来た。男の方はこの都市にある警備組織の奴らしい。どうして結界に巻き込まれたのかはわかんねえみたいだけど、態々敵対する必要も無い。あっちに攻撃は仕掛けるなよ。流れ弾にも注意しろ」

 結界維持と指揮を行うため、結界外に居る八神はやてと通信していたヴィータがスバルと同じく『DDM』を纏っているエリオ・モンディアルに注意を促す。予測していなかった勢力の存在に作戦をどうするか話し合っていたようだが、どうやらこのまま決行するようだ。
 
(なのはさん……)

 一人でアンチクロスの足止めを行っている尊敬する女性のことを思う。
 彼女の負担を少しでも軽くするためにも、一秒でも疾く目の前の敵と倒さなくてはならない。敵がまったく別の敵と戦っているというこの好機に乗じる事ができれば、あるいはそれは存外に簡単に行くかも知れない。

(最初の一撃で、決める)

 引き絞られた矢をイメージ。
 番えられるのは自分自身。
 一切何者であろうとも貫く意志をもって両の腕に力を込める。
 そのスバルの様子にヴィータは何事か言おうとしたが、彼女もまた内心では同じ気持ちであったため、言葉を飲み込んで必要な事を伝えた。

「あの黒髪は基本あたしが抑える。エリオとスバルは魔導師――通称クラウディウスと呼ばれているアンチクロスを逮捕しろ。この武装は非殺傷が使えないから、気をつけろよ」

「大丈夫です。騎士の剣は確かに命を奪いもするけれど、使い方次第で誰かを守ることもきちんとできるんだって、シグナム副隊長にはしっかりと教え込まれていますから」

 ヴィータに返事を返したのはスバルと同型だが、濃紫の塗装がされたゲシュペンストを纏ったエリオ。その腰には本来『ゲシュペンスト』には搭載されていない日本刀に似た武装が下げられている。本来はシグナム用にと開発された『DDM』に採用されていた液状金属を使用した『斬艦刀』がそこにある。
 その銘は伊達ではなく、仕手によっては次元航行艦すら一撃で断ち切る威力を発揮するその剣は特に手加減というものからは遠い。しかし、それもきっと使いようであるとエリオは信じている。

(シグナムさん、貴方が教えてくれた剣で、僕はきっとみんなを守り抜きます)

 なにより、今は亡き師の力をこの剣から借りる事ができるように感じられるからこそ、エリオはその武装を選択したのだ。そんな彼にこれ以上の忠告は無意味だろうと察したヴィータは自身もまた『DDM』を纏う。
 形状は二人のそれと対して変わらない。
 しかし、細部では色々と差異があった。
 それも当然。それは最初期に作られ、全ての『DDM』シリーズの根幹となった機体なのだから。

『DDM-002 ゲシュペンスト・S型』

 カラーリングこそ元の黒からヴィータのイメージカラーともいえる真紅に変更されているが、最古の『偽神』は他の二機を圧倒する威容をもってこの場に顕現する。

「それじゃあ行くぞお前ら! 『亡霊部隊(ゲシュペンスト・イェーガー)』の恐ろしさ、ブラックロッジの連中に叩き込んでやる。月で散った、仲間達の分もな!」

「ガイスト02、エリオ・モンディアル。了解」

「03、スバル・ナカジマ。行きます!」

「あたしに続け!」

 叫ぶヴィータの両足が赫光に包まれる。膨大な魔力が何倍にも増幅され、一つの機関を起動させた。次元航行艦隊の推進器にも応用されている空間歪曲機構。それを両足の装甲に仕込み、攻撃時の反動も余さず全て的に叩き込むという必殺の名を持つに十分な一撃。
 正式名称――近接粉砕呪法『アトランティス・ストライク』
 しかし、ヴィータたちは彼女の主・八神はやてが名付けたその銘を叫んだ。

「ゲシュペンスト、キィィィィィィイイイイッッック!!」

 赤い流星が戦場に落ちる。
 浅からぬ因縁ある相手と彼女達が遭遇するまで、あと一刹那。
 戦場は更なる混沌へと沈降していく。



[21470] 第十四話 亡霊たちの宴
Name: U.Y◆d153a06c ID:7e2fa1f6
Date: 2010/10/10 00:27
 上条当麻が同居人のシスター・インデックス共々草壁美鈴お手製の朝食を済ませてまったりとしていると、その音は突如として聞こえてきた。

「爆発!?」

 立て続けに数度。
 更には寸前のそれらを上回る、世界全体を震わせるような爆発が起きるのと同時に、咄嗟に立ち上がった上条はベランダに飛び出した。
 脳裏に浮かぶはいま、この街で巻き起こっている『聖杯戦争』絡みではないかという危惧。即ち、それ単体でもとんでもない力を持つサーヴァント対サーヴァントによる激突がこんな早朝から繰り広げられているのではないかという予感が上条にその行動を取らせた。
 もしもその予感が正しかった場合、巻き起こす余波がどれほどの物になるか。
 魔術に疎い上条には想像もできないが何も知らない一般人が巻き込まれて無事に済むような代物ではない事は分かりきっている。だからこそ、いち早く何が起きたのか把握しようとしたのだが、その目論見は突如として鳴り響いた『呪歌』によって妨げられた。

「なんだっ!?」

 一瞬、理由も分からず胃袋の中身をぶちまけたくなる衝動に駆られる。
 その原因が聞こえてきた『歌』によるものだと理解するより早く、右手に硝子が砕けるような手応えを感じる。感覚的にはかつて錬金術師によるとある魔術を打ち消した時に似ている。
 ならば、いまのも同一の術理によるものと考えるのは扱く当然の事。

「いまのは……魔術、か?」

 自分の右手を見下ろして思考を原因究明に向けようとするが……

「と、とうま……」

「えっ?」

 力ない声で名前を呼ばれて振り返ると、上条の部屋に同居しているイギリスのシスター……インデックスが顔色を真っ青にしていた。今にも倒れこみそうな彼女を近くにいた草壁が咄嗟に支えてくれていたが、それでもインデックスは激しい頭痛を我慢するように眉間を深く歪めていた。

「とうま……ここ、危ない……」

「インデックス!?」

「待て、上条君。君は近寄るな」

 上条も慌てて駆け寄るがそれより早く草壁は自分の懐から一枚の呪符を取り出してインデックスと自分の額に貼り付けた。

「聖なる五芒は破邪を顕す。邪悪と怪異はこれに触れる事あたわず――禁」

 細い人差し指で虚空に描かれる五芒星は真紅の光で形作られると、すぐに効果を発揮したらしい。ぐったりとした様子のインデックスはそのまま気を失ったようだが呼吸は安らかな物になっている。草壁は脱力したインデックスを抱き上げると、昨夜も使っていたベッドに優しく運んで横にさせた。
 インデックスの容態が安定していると確認すると草壁は上条へと視線を向けると、少しだけ驚いたような表情をした。

「君は大丈夫……のようだな」

「え、ああ。それよりインデックスは」

「大丈夫。精神を冒す呪いのようなものを浴びたせいで心に過負荷が掛かったらしい。いまは私の呪符で防御を張っているから安心してくれ」

 上条を安心させるためか、草壁の表情は少しだけ柔らかいものになる。それにつられて、という訳でもないが上条も一つだけ深呼吸をして冷静さを取り戻そうと試みた。

「ありがとう、草壁。……にしても、精神を冒すって一体何なんだ」

「言葉の通りだよ。こんな物を使って何がしたいのか分からないけれど、先程の『歌』は”闘争を強要する”類の物らしい。私も、ライダーが咄嗟に警告を発してくれなければまともに浴びてしまっていたかもしれない。そうなっていたらどうなっていたか……自分を優先させてしまったせいで、彼女には苦しい思いをさせてしまった」

 直接それを浴びたからこそ分かるのだろう。草壁は自分を抱きしめるように両腕を胸の前で交差させると少しだけ俯いた。その弱々しさはとても昨日、上条と一緒に闇精霊と呼ばれる怪物を多数斬り伏せた凄腕の剣士には見えず、上条はなんと声をかけたらいいのか一瞬だけ迷う。
 もっとも、迷う意味もないほど告げる言葉は明白だったが。

「草壁が気にする事じゃないだろ。むしろ、あんたがいなかったらどうしたらいいのか分からなくておたおたしてた筈だ」

「どうかな。むしろ、余計なお世話だったかもしれない」

 草壁の視線は上条の右手に注がれる。
 彼女には『幻想殺し』の性能について簡単に説明をしているし、土御門経由で多少は情報が流れていたらしいのだが、こうして目の前で強力無比な『呪い』を打ち消して見せた事で彼女の自信を揺らがせてしまったのかもしれない。しかし、そんな草壁に上条はあくまでも真剣な眼差しで首を横に振った。

「そんなこと、あるわけ無いだろ。そりゃ、インデックスだけを守るんなら、それでも良いかも知れないけれど、それしか出来ないところだったんだ」

 上条は再びベランダへ視線を向ける。
 そこから見ることは出来ないが、世界が変貌してしまったことを悟るのは容易かった。
 朝の静寂を打ち壊す悲鳴と怒声が学園都市のあちらこちらで響いている。
 硝子が砕けるような音、重たいものが落ちるような音、何かが爆発するような音……その全てが上条に告げている。
 『呪歌』は学園都市を修羅の巷へと変貌させようとしている、と。

「それじゃあ駄目だ。これを止めなくちゃ、何の解決にもならない」

「ああ、その通りだな。私も全力で協力しよう」

 振り返って見つめた草壁からはすでに『弱さ』など微塵も無くなっていた。
 それを悟った上条は何か口にしようと開きかけ、

「フラグ立ての最中で悪いが、俺たちにもその話、一枚噛ませてくれ」

「あんたは……」

 突然の声はベランダから。
 そこには右目に眼帯を巻いた一つ目の少年を小脇に抱えた白衣の魔術師が立っていた。
 時空管理局の結界によって世界が『隔離』されたのはその直後だった。


◇◇◇


 皐月駆は恐怖で指一本動かせないでいた。

「なんだって、こんなところにいるんだろ。俺……」

 呼吸の仕方が分からない。
 見える世界が信じられない。
 あまりもかけ離れてしまった現実に思考が置いてきぼりを食らっている。
 しかし、それでも何処かで理解した事もある。
 即ち――戦場とはただ在るだけで命をすり潰す空間であるということを。

「坊ちゃん、もうちょい近くにいてくれ。いまはむしろ離れてる方がやばい」

 こちらは息をするのも一苦労だというのに、白衣の魔術師は気軽に手を振ってこちらを招きよせる。
 ライダーのマスターでもある少女――草壁美鈴とその仲間らしき少年達と合流してからこっち、なんだか映画を見ているような現実感が欠如してたような感覚に囚われていた駆には、その気軽な手招きがかえって不吉な物のように見えた。しかし、だからといって迷っていられる状況でもないという事だけは分かっていた。

「キャ、キャスター……」

「そうびびらなくても平気だよ。ちょっとばっかり絶体絶命になってるだけだ」

「全然駄目だろ……」

 キャスターの言葉に一層体が固くなるのを感じるが、それでも声を出した事が良かったのか、辛うじて手足は動いてくれる。おっかなびっくり、駆は味方の方へと近寄っていった。

(一体全体どうなってんだ。この世界は……)

 絶望的な心境でキャスターの背後まで進む。
 いま、駆たちは見たこともないほど高い塔の前に立っていた。天を突くような巨大な塔は、しかし、学園都市で暮らしていた駆は見たことがない物だった。キャスターの説明ではバーサーカーの主が魔術的に建設した代物らしい。魔術という物が如何に理不尽なものなのか、それだけでも理解できてしまう。
 その摩訶不思議な技術を扱っているのがどうみても同年代に見える異国の少女であろうと、先程までの攻防を見ていた駆にはもはや同じ人類であるという認識は持てなかった。

「さっきの女の人……腕が」

「綺麗に落とされてる。放って置いたら出血で死ぬか……最後に大技かましたのが仇になってるな」

「死ぬって……」

 思わず凝視してしまった先にあるのは左の腕を肩口から削ぎ落とされた真紅の鉄鬼――正確にはそれに包まれているはずの女性だ。
 駆たちがこの場に辿り着いた時、先にバーサーカーたちへと攻撃を仕掛けていた彼女を囮とすることで本命の一撃を正確に叩き込む。言葉にしてしまえば非常に単純で外道な作戦は、しかし、失敗に終わった。
 その中核を担っていたツンツン頭の少年――確か、上条と名乗っていた――はいまも悔しそうな表情のまま見上げるようにして宙を浮いている少女達を睨みつけている。
 作戦では彼の右手に宿っている能力で『令呪』と呼ばれるサーヴァントを従える上で重要な核みたいなものを破壊するはずだったのだが、彼の拳は少女の顔面を捉えはしても、令呪を破壊することは出来なかった。
 キャスターは苛々したようすで上条に言う。

「だから股から腕を突っ込めって言ったんだが……まったく、こんなところで童貞が仇になるとは」

「あれってマジなアドバイスだったのかよ」

「当然だ。命張る場所で冗談が出るほど明るい性格してねえよ。生きてた頃に友達なんていなかったくらいだしな」

 キャスターが上条と軽口を交わしているが、駆の内心では焦りだけが募っていく。その原因は此処に突如乱入してきたその男にあった。

「なあ、キャスター。あいつも聖杯戦争の参加者なのか?」

「さあね。どっちにしてもまともな人間じゃなさそうだ」

 振り向きもせずに返ってくる言葉に、駆は唾を飲み込みながら戦場を見回した。
 一番に目が行くのはやはり撃墜された鋼の鬼。それを挟んで対峙しているのが黒い塔を背に負う魔術師の少女と白銀の鎧を纏ったバーサーカー。彼女たちに最も近いところで武具を構えるライダー。そのすぐ傍に上条がおり、草壁とキャスター、そして最後尾に駆けるという布陣になっている。
 そして、それらの一団とある程度距離をとって、その男は屹立していた。
 黒い軍装に赤の腕章。
 あまり物騒な事柄について詳しく知らない駆にも、その服装が軍人のそれであろうと推理する事はできた。同時に最もそんな服装をしていそうな可能性が高い警備員(アンチスキル)でもないということも。
 何故なら、男が放つ雰囲気がバーサーカーの持つそれと酷く似ていたからだった。
 即ち、血と闘争を望む狂人であると。
 あれは秩序を護るのではなく破壊するもの。
 絶対的な捕食者が目の前に現われたのだとこの場で最も常識に身を置く駆だからこそ正確に悟る事ができた。

「まともじゃないって」

「ま、いままで裏の世界に関わった事がない坊ちゃんは知らないかもしれないけど、世の中石を投げたら割と化け物に当たるもんなんだよ」

 そういうキャスターからは寒気を感じるほどの殺意が立ち上る。このどこか飄々としたこの男にさえ臨戦態勢を取らせた白髪の軍人はつまらなそうにその場の面子を眺めた。

「……ちっ。こっちは外れか。サンドリオンは……ああ、向こうの方に居やがるのか」

「貴様……確か、ハイドリヒの犬だったか」

 不機嫌そうに一人ごちる軍装の男に声をかけたのは宙を舞う黒衣の少女。
 彼女はどうやら男を知っているらしく、その口調には知人に対する気安さと家畜にかけるような侮蔑が交じり合っていた。駆にも分かるほどはっきりとしたものだったのだ、それを向けられた男も即座に感じ取り、サングラス越しでも分かるほどはっきりとした怒気を視線に乗せて小柄な少女を睨みつけた。

「誰だ。てめえ」

「ふん。私の名前を知らんか? カール・クラフトは弟子の教育に随分と手を抜いていたのだな」

「弟子? おいおいよしてくれよ。あいつが吐く言葉が毒以外のなんになるってんだ。あいつの言葉なんざ聞いてたら耳が腐っちまう」

「それは貴様が低脳だからだろ? ヴィルヘルムSS中尉。貴様、姉(母)の胎に知恵も教養も忘れてきたか? いまからでも遅くないから取りに行ってはどうだ? なに、畜生が墓場を漁ったところで誰も咎めはせぬだろうよ」

「――お前、面白い言うじゃねえか」

 瞬間、世界が悲鳴を上げる。
 両者がぶつけ合う殺意が空間の許容量を超えようとしているのだ。
 コンマ数秒。
 ギシギシと軋む音はやがて現界を突破して――

「ああ、確かに名案かも知れねえ。なんせ、糞溜めで生まれた身なんでね。その後も学校なんて上等なもんには行ってなかった。知恵だの教養だのをどっかに忘れてきたとしたら、その辺りにあるんだろうよ」

 男から闘志が消える。
 この空間全てを殺し尽くそうとするかの如く発せられていた気配が消える。
 しかし、それが津波の前にある凪であると、真っ先に感じ取った駆は――

「でもよ、わざわざそんなところに行く必要はねえよな? なんせ、テメエの脳味噌はメルクリウスとビーチク喋れるほど出来がいいんだろ? なら……そいつを余さず吸い尽くしてこの腐った脳味噌と取り替えてやルァァァァアアアアア!!!」

 動くなら、この瞬間以外にはないと理解した。

(正気か!? 俺は!!)

 駆は胸の中で悲鳴を挙げながら、それでも身体は勝手に動き出す。
 自問すること。
 駆け出すこと。
 そして、男が全方位に漆黒の杭を弾丸として発射するのは全て同時に起きた。


◇◇◇


「バーサーカー、適当に相手をしてやれ。たらふく霊魂を溜め込んでいるから、良かったら食って構わんぞ」

「ゲテモノ食いは趣味ではないが……まあ良い。ライダーの前座くらいにはなってくれよ」

「上等じゃねえか糞猿がぁぁぁあああああ」

 少女の命令に白銀の悪鬼が動く。それに呼応して、男の弾幕は更にその密度を濃密にし始めた。
 バーサーカーたちどこか、視界に入る敵全てに攻撃し始めた男にキャスター、ライダーたちも行動を開始する。上条は異能を打ち消せるという右手で直撃しそうなものを防ぎ、草壁もいつの間にか手にした刀で彼が討ち漏らした弾丸を切り払っている。
 全員が持ち場から動けない状態の中、男に『敵』として認識されていなかった、されるだけの力もなかった駆だけは辛うじて弾幕の隙間を縫って動くことが出来ていた。

「くそったれ!!」

「ちょっ! 坊ちゃん!?」

 キャスターが叫ぶ声を背中に受けながら駆は疾走する。
 その向かう先は倒れ伏した鋼の鬼。
 無茶苦茶な弾幕を張りながらバーサーカーと格闘戦を開始した男に注意が行っている間に、囮に使ってしまった女性を救出する。
 そのために駆け出したはずの駆だったが、誰よりも自分自信がその行動に驚いて頭を真っ白にしてしまった。

(なにやってんだよ、俺は!!)

 こんな事をするつもりはなかった。
 そもそも戦場に来る事自体嫌だったのだ。
 しかし、今回だけは戦わなければならなかった。戦わなければ、守れない人たちが居るのだから。

(ゆか、匡、奈月……みんな!)

 脳裏に浮かぶのは学校で会うクラスメイト達。姉を失い、右目がない事で屈折する自分を迎え入れてくれる人々の顔が鮮明に浮かび上がる。
 彼らは善良な、ただ平凡に、平和に暮らしている人々なのだ。
 何の因果か変な事柄に巻き込まれる事が多い自分とは違い、ただいつものように退屈で平凡な世界を行き続ける事が出来る人たちなのだ。
 そんな人たちを、その『歌』は、血みどろの世界に引きずり込むという。
 それを、止められる力があって、どうして何もしないなんて選択が出来るだろうか?
 既に一度『なにもしないでいて失った』ことがあるというのに。

(あんなのはもう二度とごめんだ。だけど!)

 人を狂わせる『呪い』を停止させるためにはキャスターが戦う必要があり、それをより安全なものにするためにはライダー達の協力は必要だった。その結果として、ライダーの主である少女を戦場に連れ出してしまう以上、能力を持たなかろうと男の駆は自分だけが安全な場所にいるという事を良しとは出来なかった。
 その提案にキャスターも賛同していた。
 下手にマスターとサーヴァントが離れるよりは近くにいた方が護りやすいというのがその理由。ライダーのマスターたちもその理由ならと納得したからこそ、駆はこの戦場に立つ事になったのだ。
 しかし、あくまでも駆が足を踏み入れるのはそこまで。
 一瞬の迷いや誤りが命を奪う最前線に立つ事など、駆本人すら了承していないことである。

(あそこにいるのは赤の他人だろ。ゆかじゃない。匡じゃない。奈月でもない! なのにどうして命張ってんだよ)

 自分を叱り飛ばしながらよろけた体を立て直す。ほとんど面となって襲い掛かってくる漆喰の弾幕はキャスターの手によって作られた結界を次々に殴り飛ばし、既に皹が無数に入っている。あと数秒も持たないというのが知識のない駆の目にもはっきりと分かるほどに結界は壊れていた。
 それでも、駆は地を蹴り飛ばす。

「赤の他人でも、見殺しに出来るかよ……手が届くのに、諦めるかよ」

 脳裏にあるのは赤い記憶。
 誰よりも近くにいた『姉』を失った時の記憶。
 傍にいながら、いつでも手が届くところにいたはずの物がある日突然、理由も分からずに零れ落ちたときの悪寒が駆を後押しする。
 いまの『彼女』の姿が『姉』に重なる。いや、寧ろこちらの方がひどい。人間は手首を剃刀で切りつけるだけで十分に死ぬのだ。なら、腕を失って生きていられるわけが無い。
 しかし、キャスターは『放って置いたら死ぬ』といったのだ。
 なら、まだ死んではいない。
 さっさと連れて逃げ出せばまだ助けられるかもしれない。

「かも知れない、じゃない。”助かるんだ”」

 ズキン、と右目が疼く。
 切迫した状況が脳内麻薬を大量に精製し、痛みは感じないが熱量だけは上限知らずにあがっていく。まるで目玉が溶岩か何かになったかのよう。溶けて目玉が飛び出そうになる中で、駆の体を辛うじて弾幕から守っていたキャスターの防御魔術が粉砕される音が聞こえた。
 丸裸になった状態で、絶命の弾雨が横殴りに降り注ぐ。
 視えもしない。
 視えたところで反応できない。
 それは圧倒的な面攻撃。防御は出来ず、回避などもっての他の状態で――

「邪魔すんじゃねえ!!」

 ――気がつけば抜けていた。
 駆自身、なにをどう避けたのか分からない状況で、しかし、自分が立つ場所だけは理解できた。
 目的地=鋼の鬼の傍らだと。
 そして、

「……って、俺はどうやってこの人を連れて行くつもりだったんだ?」

 致命的な作戦ミスも。

「貴様、いま、なにをした?」

「いっ」

 天上から聞こえてきた怜悧な声。
 確認するまでもなく、バーサーカーの主であろうと理解する。理解すると同時に体が勝手に横へ跳んだ。直後、駆の体が寸前まであった空間を黒い閃光が貫く。倒れこむようにして避けた駆の視界が上空へ向くと、そこには人差し指をこちらに向けて嗜虐的な笑みを浮かべた魔女がいた。

「直感はそれなりか。ならば、精々踊って見せろ小僧。哂えるダンスなら、その間は生かしてやる」

 突き出された指先に必殺の暗黒が灯り、それは刹那で駆の心臓を貫かんと放たれて、

「悪趣味な事すんなやババァ」

 白く輝く五芒星によって防がれた。
 直後、駆の襟首がぐいっと引っ張られる。突然の引力に目を白黒させる駆に気楽そうな声がかけられた。

「無茶するね、兄ちゃん"も"」

「ライダー! 皐月君はこっちに寄越せ。お前はその人を!!」

「分かってる」

 ぐるんと急回転する体。
 脳味噌を直接かき混ぜられるような気持ち悪さは、しかし、ほんの数秒で終了する。どすんと尻から落ちた駆は涙目になるが、ぐいっと力ずくで立ち上がらされた。

「大丈夫か? 皐月君」

「え? あ……平気です。草壁……さん」

「敬語は要らないよ。それより、上条君もきつそうだ。ライダーの先導で我々は後退する」

「わかりました……キャスターは?」

 立ち上がらせてくれた相手――草壁の思いのほか柔らかな手に思考が勝手に熱くなるのを感じながら、すぐにそんな場合ではないと切り替える。
 駆たちがこうしていられるのは少年……上条当麻が必死になって流れ弾を右手で打ち消してくれていたからだ。駆が命を賭けて助けようとした女性はライダーが軽々と担いでおり、撤退の準備は既に出来上がっているといえる。
 バーサーカーのマスターが殺意を向き出しにして屹立している事を除けば。
 ゾッとするほど強烈な殺意を眼前で受けているキャスターは駆の声に反応して、振り向くことなく軽く手を振った。

「俺は殿。本来はライダーにやってもらいたかったんだが……安心しな。すぐに追いつく」

「……たかだか魔術師(キャスター)風情がよくも言う。それに……貴様がサーヴァント? ハッ、笑わせる。六十年前に私に殺された分際で英霊だとよくも名乗れたものだ」

「へえ。やっぱり『こっち』でも俺はお前と戦ったのか」

「ああ。いまから六十年ほど前に。滑稽だったぞ? 頼みの『虹』があそこの狂犬を含めた蛇の眷属に潰され、単独でこの私に挑んできた挙句無様に地を這い命乞いをした貴様の姿はな……草壁遼一」

 黒衣の少女から最大の侮蔑を込めてその名を紡がれる。
 それに反応を示したのは同じ『草壁』の名を持つ少女と、あとは当の本人くらいだった。前者は驚愕に、後者は自嘲に近い色がその表情に浮かぶ。二人の間にどんな繋がりがあるのか、反射的に尋ねそうになった駆の言葉を遼一が遮った。

「それはそれは……俺が知ってるお前の末期は俺に殺されてるんだがな」

「……哂えぬ冗談だ」

「冗談言えるほど明るい性格じゃないんだよ。基本、根暗でね」

「キャスター……」

 わざとらしく肩をすくめて見せる遼一の行動は魔女の視線を完全に自分へと向けることに成功していた。つまりは、彼を置いていけば逃げ切るのは難しくはないという事。
 しかし、ここで彼を見捨てれば、駆にとっては本末転倒になってしまう。ほんの数日の付き合いだとはいえ、遼一は既に駆にとっては日常の一部になりつつある存在なのだから。
 そんな心配する駆を安心させるため、キャスターは己の宝具を顕現させた。

「安心しなよ坊ちゃん。なんせ俺には窮極の魔導書が憑いてるんでね」

 それは一冊の古びた本。
 見た事もない文字で記されたその本の銘を、何故か駆の眼は理解する事ができた。


 『冥王の鍵』――――ネクロノミコン・アル・アジフ


 窮極無比の魔導書を顕現させたキャスターの魔力は火山の噴火の如くその真価を発揮する。その圧力はこの場にいる全ての存在――黒衣の魔女すら圧倒しうる程の力を感じさせるものだった。
 それを見た魔女の表情が初めて蒼白になる。

「馬鹿な……それはヴァルターの!? 何故貴様がそれを持っている!!」

「そいつは企業秘密だ。ところで、お前は『翠玉碑』が誰の手によって砕かれたかは知ってるよな? 貴様の胎に納まった『虚無(クリフォトの)の魔石』の、大本になった魔導具の末路を」

「っ!!」

 息を呑む魔女に魔導書の持つのとは別の手に一振りの偃月刀を顕現させ、白衣の魔術師は地を蹴る。刃には血のも似た魔術文字で『女王ニトクリス』に関する記述が刹那で書き上げられ――

「終わりの時間だ。冥土(ビュトス)には独りで逝け」

 不死身の身体に終末の刃が振り下ろされた。


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