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中国漁船・尖閣領海内接触:検証 船長の釈放/衝突の経緯/逮捕の判断

 <検証>

 沖縄県・尖閣諸島近海で発生した中国漁船衝突事件は、日本と中国が構築を約束した「戦略的互恵関係」のもろさを露呈した。日本の捜査当局は何を根拠に中国人船長の逮捕を決断したのか。釈放を決めた時、政府内ではどのような動きがあったのか。体をくねらすように、外海へと進む「巨龍」に日本はどう臨もうとしているのか--。船長釈放決定から10月1日で1週間が経過する。これまでの節目を検証した。

 ◇強硬一転、腰砕け

 ◆船長の釈放

 24日午前10時。東京・霞が関の法務検察庁舎に、検事総長ら最高検幹部と福岡高検、那覇地検幹部の6人が集まった。中国人船長を起訴すべきか否か。意見は割れた。地検・高検側が「現場の海域が荒らされている。検察が弱腰だと言われかねない」などと起訴意見を具申したのに対し、最高検幹部らは「日中関係がますます悪化すれば、フジタの4人も含めて日本人が脅かされかねない」と突き放した。1時間の協議で、船長釈放の方針は決まった。地検は午後2時半、「日中関係を考慮した結果」として処分保留での釈放を発表した。

 那覇地検は、菅直人首相が国連総会出席のため出国した後に動き始めていた。

 22日、法務省を通じ外務省に職員派遣を要請。「事件処理に外交の知識が必要だった」(西川克行・法務省刑事局長)というのが理由だ。外務省は既にニューヨーク入りしていた前原誠司外相に電話で了解を得て、事務方トップの滝野欣弥官房副長官に判断を仰いだ。松本剛明副外相は参院外交防衛委員会で「省庁間の要請であり、官邸と協議して決定するのが適切と考えた。地検からの説明要請は、そう例があることではない」と答弁している。

 外務省の担当課長は23日、那覇地検を訪ねた。派遣は事前に仙谷由人官房長官にも伝えられた。課長は、▽中国との取引企業や日本経済が大打撃を受ける▽中国の監視船が大挙して現場海域に押し寄せる状態も考えられる▽起訴しなければ話し合いの道筋をつけている--などと日中関係の現状を説明した。ただし、起訴の「正否」には言及しなかったとされる。

 中国側から《河北省の軍事管理区域でビデオ撮影したとして建設会社「フジタ」の社員4人を取り調べている》との通報があったのは、その夜だった。

 実は、検察首脳の24日の会議は2日前から決まっていた。結果として「外務省の説明→日本人拘束の連絡→船長釈放決定」と推移したことで、政治介入が強く疑われた。

 検察は外務省の説明などから「指揮権発動も起こりかねない」との懸念を深めていた。直前に大阪地検特捜部の主任検事が証拠隠滅容疑で逮捕され、強気に出られない内部事情も釈放という判断を後押しした。

 検察幹部は判断に当たり官邸と一切接触していないとしたうえで強調した。「外務省から聴いた事情は『証拠』の一つ。起訴したらどうなるか、不起訴にしたらどうなるかは、情状判断の理由になる。政治判断ではなく、証拠による判断だ」

 米国での日米外相会談や首脳会談では、日米同盟の結束を強調して中国にプレッシャーをかけつつ、釈放に向けた落としどころを探っていた、と首相周辺は解説する。クリントン国務長官は「(尖閣諸島に)日米安全保障条約は明らかに適用される」と述べ、米国の対日防衛義務を定めた安保条約第5条の適用対象との見解を示した。また、首脳会談については「互いに関心を持って注視し、緊密に連携することで一致した」と報じられた。

 しかし、違った指摘もある。ある政府関係者はクリントン長官が「事態を早く収めてほしい」と受け取れる発言をしたと明かす。菅首相はオバマ大統領に「こちらは冷静にやっている。近く解決する見通しだ」と釈明した、という。

 ◇漁船に回避意思なく

 ◆衝突の経緯

 尖閣諸島の領海線に沿ってパトロール中の巡視船「よなくに」(1349トン)のレーダーが、久場島の領海線付近で船影の群れをとらえたのは7日午前9時過ぎだった。海上保安官が画面の「点」を数えると、領海内に約30、領海外に約40。いずれも静止していた。

 「よその国の漁船が操業しているな」。「よなくに」は指揮船に報告し、久場島北北西約12キロと、最も領海を侵している「点」にへさきを向けた。

 領海内では8月中旬から中国漁船の違法操業が増えていた。今年は海流の影響か、カワハギなどの豊漁が続く。魚釣島から約27キロ北東の離れ小島・久場島は、監視の目が届きにくい。

 まもなく、網を広げるトロール漁船が見えた。船体には「〓晋漁5179」の文字。「〓」は中国福建省の呼称。「晋」は省中部の晋江市。中国漁船だった。

 「ここは日本の領海だ。退去しなさい」。電光掲示板に表示された中国語の警告を見せるために「よなくに」が漁船の前を横切る。すると、漁船が動き出し、かじを切らず「よなくに」の船尾をこすって逃げた。

 「10時15分、久場島北北西約12キロ、該船と接触」。「よなくに」から最初の接触が無線で指揮船に入った。指揮船は念のために「接舷しようとしていたのか」と尋ねたが、過失がないことを確認すると、付近で警戒中の「みずき」(197トン)に「連携して立ち入り検査するように」と指示した。

 「止まりなさい」。追いついた「みずき」が拡声機と電光掲示板で繰り返し停船命令を出した。甲板では警告を無視する模様を保安官が証拠としてビデオカメラに収めていた。「みずき」は漁船の左前方を約70メートルの間隔を取って並走していたが、漁船との距離は狭まっていった。

 保安官は「ぎりぎりになったら避ける」と思っていた。しかし、「幅寄せ」が15秒ほど続いた午前10時56分、漁船の左舷船首が「みずき」の右舷中央から後方に衝突した。

 接触を回避するにはエンジンを逆回転させるが、その形跡はなかった。船首が「みずき」の甲板にせり出す形で接触した後、漁船は領海外へと逃げた。「『みずき』から各船へ。該船、本船に接触。久場島北西約15キロ」「該船、なお北へ逃走中」

 「通常の事案ではない」。2回目の衝突で、第11管区海上保安本部(那覇市)の空気は一変した。最初の接触時は「軽微だがぶつけられているし、止めて検査せざるをえないな」とおおらかに受け止めていた。しかし、現場の気象条件は特段悪くはなく、漁船の操船ミスの可能性はまずない。

 「漁船がかじを左に切り、速度を上げない限り、左前方を直進するみずきにはぶつからない」。11管は対策本部を設置してヘリコプターを急行させ、現場に展開する3隻に放水による進路規制を指示。「みずき」には「止まらないなら強行接舷して立ち入り検査しろ」と命じた。

 だが、漁船は蛇行しながら逃げ続け、甲板の船員が「あっちへ行け」とばかりに激しい身ぶり手ぶりを繰り返した。排他的経済水域(EEZ)に入った午後0時55分、久場島北北西約27キロで「みずき」が緩衝材付きの船首をぶつけて強行接舷。同56分、なだれ込んだ保安官6人がエンジンを止めた。船長らは観念したのか、おとなしく従った。

 「該船停止!」。「みずき」の保安官がトランシーバーで報告し、ビデオテープを別の巡視船の保安官に手渡した。映像は指揮船から電送され、尖閣の領海内で外国漁船が初摘発された事件の捜査が始まった。

 ◇証拠ビデオ、後押し

 ◆逮捕の判断

 東京・霞が関にある海上保安庁。巡視船「みずき」から回収したビデオテープが電送された7日午後4時ごろ、オペレーションルームの大型テレビモニターにビデオが再生された。

 中国漁船が「みずき」に幅寄せする約15秒間を見た保安官は振り返る。「近づいて来たな。危ないな。来るぞ。あっ、ぶつかったと心の中で叫んだ」

 漁船の喫水線付近の波の立ち方などから漁船がかじを切り、衝突回避のためのエンジンの逆回転もさせていないことが見て取れた。

 政府内で船長逮捕を強く主張したのは、当時外相だった岡田克也民主党幹事長だった。岡田氏は事件発生時、ドイツへの機内にいた。独要人との会見後、ベルリンの空港に向かう車中で、官邸サイドと国際電話で協議し「こういうことは粛々とやらなければだめだ」と主張した。

 岡田氏は5月の日中韓外相会談の席上、突然、中国の核軍縮を訴え楊潔〓(ようけつち)外相を激高させたり、7月の東南アジア諸国連合(ASEAN)地域フォーラム(ARF)では、南シナ海の領有権問題に絡んで中国の動向をけん制した。対中強硬派と目される。

 「日本は法治国家だ。当初この問題が起きた時、私も、小泉(純一郎)政権の時の自民党のやり方が頭の中に浮かんだ」。岡田氏は党幹事長転出後の29日、事件を振り返る中で語った。

 04年3月、中国人7人が尖閣諸島に不法上陸して日本側に逮捕された。当時の小泉首相は司法手続きに入らず強制送還した。その後、小泉氏は「政治判断」の存在を認めていた。岡田氏はこれを批判した。「事を荒立てないなら、そういうやり方もあっただろう。しかし、日本の巡視船が傷つけられるようなことが起きた時、取り調べもしないことはあり得ないだろう。そう考え、船長を逮捕した」

 事件当時、海上保安庁を管轄する国土交通相だった前原誠司外相も「ビデオを見る限り、悪質な事案であると思った。その意見を海上保安庁には伝えた」と後に明らかにしている。船長逮捕には2人の有力閣僚の主導があった。

 船長逮捕を主張した海保には実はハードルもあった。巡視船への衝突を公務執行妨害容疑で立件した経験がなかったのだ。

 ただ、海上保安庁と同じころ届いたビデオを見た那覇地検の判断は違った。「ばっちり撮れている。公務執行妨害でいこう」。漁船と「みずき」のGPSデータから航跡を描くと、巡視船は直線なのに対し、漁船は左へ曲がるカーブを描いていた。尖閣の領海内で外国漁船を初めて立件する証拠は固い--。地検側の強い意志のもと、検察と海保の腹は決まった。

 その後、午後4時40分と同9時ごろに、官邸で関係官庁の非公式会議が開かれた。2回目の会議。海保側からビデオでの説明と公務執行妨害容疑で逮捕状を請求する方針が、仙谷由人官房長官にも示された。10時半、逮捕状が請求された。

 ◇東南アジア諸国、日中の神経戦を注視

 中国は改革・開放が本格化した80年代以降、経済発展に合わせるように海洋進出を図ってきた。特に南シナ海では中国漁船保護の名目で海軍が展開するようになり、南沙(英語名スプラトリー)諸島や西沙(同パラセル)諸島の領有権を巡り、フィリピンやベトナムと衝突している。背景には漁場や地下資源の獲得に加え、海上輸送路の確保といった安全保障上の理由もあるとみられる。衝突事件で中国の強硬姿勢が目立ったのも、南シナ海の領有権争いへの波及を懸念したとみられている。

 東南アジア諸国は日中の神経戦を注視し続ける。「日本はベトナムと同じ立場。人ごとではない」(地元記者)。ベトナムのメディアは衝突事件の経過を連日詳報した。東南アジア諸国連合(ASEAN)議長国のベトナムは東南アジア回帰を鮮明にした米国を巻き込み、中国に対抗したい方針だ。

 フィリピンは6月のアキノ政権発足以降、中国と一定の距離を置く。9月14日には南沙諸島で実効支配する島の使用不能だった滑走路を改修すると表明。中国の支援を積極的に受け入れ、島の施設改修に手を付けなかったアロヨ前政権とは対照的だ。

 インドネシア当局は5月と6月に2回、違法操業の中国漁船を拿捕(だほ)した。すると、漁船を護衛していた中国の監視船が武力をちらつかせ、漁船を解放させる事態に発展した。中国との交渉役を務めた当局者は、尖閣諸島の衝突事件での日本の対応を「船長逮捕の判断は正しい」と指摘。「我々は武力に屈して釈放した。日本のように確固たる対応を取るべきだ」との認識を示す。

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 ■質問なるほドリ

 ◆尖閣諸島の歴史って?

 ◇明治に沖縄県編入 中国は92年に自国領と明記

 なるほドリ 尖閣諸島について教えて。

 記者 沖縄県・八重山諸島の北約160キロ、台湾の北東約180キロにある無人島の集まりです。住所は沖縄県石垣市登野城(とのしろ)で、魚釣(うおつり)、南小、北小、久場(くば)、大正の5島と三つの岩の総称です。5島のうち最小の大正島は国有地ですが、残り4島は個人が所有し石垣市に固定資産税が納められています。総面積は約5・5平方キロで富士山ろくの河口湖くらいの面積です。最も大きいのが魚釣島(約3・8平方キロ)です。

 Q そこまで聞くと、尖閣諸島は日本の領土に思えるけど。

 A 日本のものです。日本政府は1885(明治18)年から現地調査し、島が中国(当時は清国)の支配が及んでいないことを確認し1895(同28)年に閣議決定で沖縄県に編入しました。戦後は沖縄とともに米軍の管理下に置かれ、一部の島は米軍の射爆撃場としても使われました。1972年の沖縄返還で南西諸島の一部として日本に復帰しています。日本政府は尖閣諸島はどの国にも属さない無人島で、日本が先に占有することで領有権を得たとしています。「歴史的にも国際法上も疑いなく、領有権問題は存在しない」との立場です。

 Q 中国も「自国の領土」と主張しているようだけど。

 A 中国共産党機関紙「人民日報」は1953年の資料記事で「尖閣諸島」と日本の呼び名を記し、「日本の琉球群島の一部」として紹介しています。ただ、68年の国連調査で、海底に豊富な石油資源や天然ガスがある可能性が指摘されると、中国や台湾は自らの領土だと強く主張するようになりました。78年には当時の最高実力者、トウ小平氏が「次の世代はもっと賢く知恵があるだろう」と述べ、棚上げを提案しましたが、その後中国は92年に制定した領海法で陸地領土とし「釣魚島」と明記しました。

 Q 中国はなぜそこまでこだわっているの?

 A 中国は歴史的根拠として▽16世紀の明代、倭寇(わこう)の侵入を防ぐため、島を含む東シナ海を防衛水域に設定▽明・清の時代に琉球王朝へ派遣された使者の残した地誌でも中国帰属は明らか--などと主張してきました。尖閣諸島が位置する東シナ海は地下・漁業資源に恵まれた重要な海として注目されています。

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 この特集は、西岡省二、犬飼直幸、西田進一郎、吉永康朗、大貫智子(政治部)、石原聖、樋岡徹也、石川淳一(社会部)、工藤哲、隅俊之(外信部)、成沢健一、浦松丈二(北京)、西尾英之(バンコク)、矢野純一(マニラ)、佐藤賢二郎(ジャカルタ)が担当しました

毎日新聞 2010年10月1日 東京朝刊

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