〜約2年の時を経て〜 今こそ明かそう
瀬戸一派と新風、行動勢力が『国益を考える講演会』から一斉排除された真相
早いものであれからもう2年近くの歳月が経とうとしている。
国益を考える講演会
http://kokueki.cool-biz.net/
当ブログおよびその関係先ブログを古くから愛読頂いている方ならピンとくると思うが、私どもがまだ「行動する保守」(以下、行動勢力)を標榜する一方で『維新政党・新風』に在籍していた頃、岐阜県で開催された『国益を考える講演会』に主催サイドとして名を連ねながら開催前に突如として一斉排除されるという不可解な出来事が起きた。
それが平成21年2月上旬のこと。
この出来事については内外で様々な憶測を呼びながら、真相が明かされぬまま、ついに2年近くの歳月が経過。
国益を考える講演会とは元公安調査庁・調査部第2部長の菅沼光弘氏や元陸上自衛官陸将・北部方面総監の志方俊之氏、独立総合研究所代表取締役の青山繁晴氏、そして特別ゲストとして当時渦中にあった自衛隊の元航空幕僚長の田母神俊雄氏らそうそうたる面々が登壇したことで保守派層に大きな話題を呼んだ一大イベントで、同年3月22日に開催されている。
同講演会の開催に際しては、私どもも周辺に可能な限りの協力を呼びかけ、自身の『NPO外国人犯罪追放運動』のメンバーは言うに及ばず、当時、維新政党・新風といわゆる「行動勢力」の方々、また双方の繋ぎ役としての役割を担っていたサイト『新しい風を求めてNET連合』(現在は休止)協賛ブロガーをも動員して微力ながらも周知徹底と告知に努めさせて頂いた。
同講演会の公式サイトにもズラリと名を連ねながら、それが一夜にして全て削除されてしまったのだから関係者ならずとも不可解に思われたことだろう。
その経緯を説明するにはブログ『日本よ何処へ』(当時は『極右評論』の名称)を主宰する瀬戸弘幸が維新政党・新風の比例代表候補として参院選挙に出馬した平成19年の前年、平成18年にまで遡る。
この年の半ばだか後半頃からさるグループ名を称する一団が頻繁に同ブログのコメント欄に出没しており、同時に我々が発行した書籍(単行本『外国人犯罪』)を大量購入するなど様々な形での支援を受けたものだ。
その一団は後に瀬戸弘幸が新風への支持表明ならびに同党からの出馬表明をすることによって一時期ブログの周辺から姿を消すことになるのだが、参院選が終わった平成19年夏、今度は一団から「A」と名乗るエージェントが直に接触してきた。
なお、一団の全体像は今以って不明だが、エージェントのAとは頻繁にではないものの、時折接触しては一団から相当な額の資金援助を受けたことも事実である。
そのAを通じて、例の国益を考える講演会の開催話が持ち上がり、そこに瀬戸弘幸を筆頭とする我々が主催者サイドとして名を連ねるように持ちかけられたのは平成20年の夏の終わりか秋頃ではなかったかと記憶している。
同年12月には元公安調査庁・調査部第2部長の菅沼氏と瀬戸弘幸の対談が行なわれ(後にDVD化)、この席に私も同席した。
そして同講演会が岐阜で大々的に開催される平成21年を迎えた。
「誰がそんなことを?」 「田母神さんがそう言っています」
話は再び遡るが、瀬戸弘幸が新風より参院選に出馬した平成19年夏より、「行動する保守運動」(後に「行動する運動」「行動する社会運動」へと変遷)の中核を担ってきた『主権回復を目指す会』代表の西村修平氏らと街頭行動を展開するに至り、その共闘関係が今年まで続いてきたことは周知の通りである。
その西村氏が保守系雑誌として知られる月刊『Will』(花田紀凱編集長)に自身が「失業者を集めた弱者ビジネスに狂奔している」旨を記されたとして、猛然と抗議。同社前での抗議街宣を展開すると関係各者に呼びかけ、瀬戸弘幸は当時自身の本ブログ(日本よ何処へ)と並行して運営していたブログ『反日議員を落選させる会』(現在は休止)に告知内容を掲載し、本ブログにもアドレスを引用。
それが平成21年2月5日夜のこと。
※参照 平成21年2月6日 抗議街宣のお知らせ WILL抗議(ブログ『反日議員を落選させる会』より)
http://blog.livedoor.jp/hanrakukai/archives/1031339.html
これを確認した一団のエージェント・Aから「抗議街宣の中止」を求める電話が瀬戸弘幸のもとに入ったのは6日の明け方、午前5時くらいのことだった。
何でもAからの電話はWillは国益を考える講演会の主催者事務所でもあるのだから、そこに抗議街宣をかけるなどはもってのほか、直ちに中止させてくれ−というものだった。
この出来事の数週間前となる1月22日、私は同講演会の件も兼ねて都内のホテルで雑誌社の取材に応じていた田母神俊雄氏のもとへAに連れられて赴いた(※写真参照)。
その時に私は田母神氏と名刺交換をしているが、そこには確かに連絡事務所として「株式会社ウイルアライアンス」と記されている。しかし、それを以って即講演会の主催者事務所とは知る由もないし、瀬戸弘幸としても「そうなんですか? 知りませんでした」としか言いようがない。
Aは声を荒げる。「知りませんでしたではスマンでしょうが!」
あなた方の仲間が街宣をかけようとしているのは講演会の主催者事務所であると食い下がられたため瀬戸弘幸はその旨を了承。一旦電話を切ったが、再度Aから電話がかかってきた。
今度の内容は中止要請の旨ではなく、Aは自分に伝えられた話として「『西村のような右翼はタチが悪い。そんな連中に街宣の中止を申し入れれば右翼に借りをつくることになるからやめておけ。勝手にやらせろ』と言っています」と述べた。
「誰がそんなことを言っているんですか?」
瀬戸弘幸の問いにAが口を滑らせた。「…田母神さんがそう言っています」
講演会に特別ゲストながら真の主役であり影の主催者として見え隠れする「田母神俊雄」の名が唐突に「指揮官」として登場したことなど、一連の流れから考えて我々に多額の資金援助をしてくれた例の一団の黒幕と言うかボスは田母神俊雄だったのではないかと思えるが、飽くまでも推測の域を出ない。
第一、謎の一団の正体を暴くだとか田母神氏を攻めることが本エントリーの趣旨ではない。
こうして私たちは街宣を仕掛けた当の西村氏をはじめ、その全てが国益を考える講演会から一斉排除されてしまうわけだが、決定打となったのは西村氏によるWillへの抗議行動であった。
こうした騒動を受けても西村氏は瀬戸弘幸の落ち度であるとして突き上げて釈明を要求し、今度は講演会場に主催者サイドから外された者一同で乗り込む計画まで持ち上がったが、それを力づくで抑え、自ら悪者になることで頭から泥をかぶり、仲間内で一人責を負ったのは瀬戸弘幸であった。
当時、ばく進中であった「行動勢力」を牽引する西村氏の非を追及して対外的に悪者として吊し上げるわけにはいかないとして、瀬戸弘幸は行動勢力をバラバラに分解させるよりも自らが(仲間内での)批難に耐えることで持続させることを選んだ。
この頃、私は西村氏らから瀬戸弘幸へ諫言するように迫られたことを思い出す。
この約3年間の「行動勢力」としての運動を通じ、私は西村氏から何度となく説教されたり怒鳴られたりしているが、後にも先にも理不尽だなと思ったのはこの時だけである。ただの一度切り。その他には一切ない。
この一連の騒動の後、瀬戸弘幸はかねてからの生き様と持論もあったのだろうが、高名な知識人や諸センセイ方と組むよりも真に国を変革させるには「無名ながらも愛国の情念に燃える若者」の糾合がやはり重要であるという思いをより強くしていく。
追放劇について、今なお周囲から訊かれても「ああいう事実(抗議街宣)があった以上、主催者側としては当然の措置でもあると思う。(田母神さんには)世話になったことも事実だから今さら何も言うつもりはない」としているが、過去のことをほじくり返して改めて関係者に説明するにも苦渋の決断が必要な中、瀬戸弘幸事務所の「スポークスマン」として私が代わって当時の関係者一同にこの場を借りて説明したものである。
『国益を考える講演会』
☆協賛市民団体・ブロガー一覧(団体名・ブログ名またインターネット上での掲載は平成21年1月当時のもの)
主権回復を目指す会(西村修平 代表)
河野談話の白紙撤回を求める市民の会(西村修平 代表)
在日特権を許さない市民の会(桜井 誠 会長)
NPO外国人犯罪追放運動(有門大輔 理事長)
真・保守市民の会(遠藤健太郎 代表)
日本の自存自衛を取り戻す会(金子吉晴 代表)
千風の会(渡辺裕一 代表)
日本を護る市民の会(黒田大輔 代表)
内外地理研究会・家族破壊法犠牲家族支援の会(小菅 清 代表)
靖國会(湯澤 貞 第八代総代・靖國神社第八代宮司)
外国人参政権に反対する会・東京(村田春樹 代表)
田母神空将の復職を求める署名運動(八木康洋 代表)
せと弘幸Blog「日本よ何処へ」
反日議員を落選させる会
侍蟻 ‐SamuraiAri‐
新しい風を求めてNET連合
つげまさじブログ
Buster21 中国の日本ソフト侵略は既に始まってます・・・
この国は少し変だ!よーめんのブログ
太陽の帝国
皇国の興廃、この一文にあり
徳島の保守
正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現
Independence JAPAN
歳徳会
★☆ナオミの華麗なる?戦略的○○生活☆★
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草莽崛起 ★日本の学校で教えられる近代史は嘘です★
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