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_/ _/_/ _/_/_/ _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ _/ _/ _/ _/ Japan On the Globe (20) _/ _/ _/ _/ _/_/ 国際派日本人養成講座 _/ _/ _/ _/ _/ _/ 平成10年1月17日 1,755部発行 _/_/ _/_/ _/_/_/ _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ _/_/ _/_/ Common Sense: 阪神大震災-真実は非常の時にあらわれる _/_/ _/_/ ■ 目 次 ■ _/_/ 1.温室の真の姿は? _/_/ 2.自衛隊出動要請:奥尻18分後、阪神4時間13分後 _/_/ 3.黙殺されていた自衛隊の共同訓練の呼びかけ _/_/ 4.予測されていた被害状況 _/_/ 5.温室の中でしか通用しない非武装平和の幻想 _/_/ 6.国民を守ったのは誰か? _/_/ 7.「同じ日本人が困っている時に、、、」 _/_/ 8.非常時にあらわれた国家の真実の姿 _/_/ _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ ■1.温室の真の姿は?■ 阪神大震災から3年。今も街中に所々ぽっかり開いた空き地を見 ると、ここでも倒壊した家の下で生き埋めとなったり、火事に焼か れて亡くなった方がいたのだな、と思う。墓地の一角には、真新し い墓がずらりと並んでいる。 「日本は温室である」と今年の編集方針(18号)で述べたが、大 震災という非常時に、温室の一角が破れた。その時に、平常時では 見えなかったこの温室の真実の姿が明らかにされたのである。 ■2.自衛隊出動要請:奥尻18分後、阪神4時間13分後■ 自衛隊の初期出動が遅れて被害が拡大したという批判があったが、 それは事実ではない。約2万6千人の中部方面隊は地震発生から4 3分後の6時半には「部隊の全部を行動可能な態勢に置く」という 第三種非常勤務態勢に移った。7時14分には観測用ヘリコプター が飛び立ち、自治体からの出動要請を待たずに、7時58分には阪 急伊丹駅での人命救助に48人、8時20分には206人を西宮市 に送っている。 それに比して行政側の反応はあまりに鈍かった。兵庫県知事が自 衛隊に出動要請したのはようやく10時であった。災害時の自衛隊 派遣要請は、被災地の市町村長の求めに応じて知事が行うと決めら れているが、通信が途絶し、「早急に応援を要請しなくてはと考え ていたが、決断に踏み切るだけの詳しい情報がなかった」と貝原知 事は語っている。8時10分には逆に自衛隊側からの要請督促があ ったが、決断できずにいた。 しかし自衛隊に応援を求める事自体が、それほどの「決断」なの だろうか。その2年前の北海道南西沖地震では、発生18分後に最 大の被災地である奥尻島との連絡がとれないまま、北海道庁は自衛 隊に派遣要請を行い、多くの人命救助を果たした。今回とまったく 同じ状況である。北海道の18分と兵庫県の4時間13分との差に 隠された「真実」がある。 ■3.黙殺されていた自衛隊の共同訓練の呼びかけ■ そもそも災害出動を迅速に行うには、日頃から自治体と自衛隊と の間で意思の疎通を図っておく必要がある。それが出来ていれば、 たとえ状況が不明でも「とにかく頼む」「よし分かった」と、あう んの呼吸で迅速な出動ができるのである。そのために多くの自治体 は、毎年9月1日の防災の日に自衛隊との共同訓練を行い、日頃か ら密接な連携を築く努力をしている。 ところが関西の各自治体は自衛隊が日頃から共同訓練や連絡調整 を呼びかけても、「結構です」と拒否していたのである。自衛隊幹 部の間では「関ヶ原を過ぎると寒くなる」という言葉があるそうだ。 関ヶ原以西の関西地方の自治体とはつきあいがまったくなかったと いう。 ■4.予測されていた被害状況■ 関西には地震がないと言われていたが、自衛隊の準備に怠りはな かった。京阪神地域で震度5〜6の地震を想定して、被害状況を推 定する調査書を作成している。 それによると、特に神戸市などは木造家屋の密集している地域が 多く、建物の倒壊と火災により兵庫県全体で被災者38万5千人と 予測している。今回の被災者数は31万6千人であり、大災害は正 確に予見されていたのである。 さらに調査書では兵庫県の災害救助の体制が不備であることを指 摘し、冬季には40万枚必要な毛布が2万3千枚しかないこと、煮 炊き不要の食料備蓄がほとんどないこと、給水車や緊急病院の能力 不足など、具体的な問題点を列挙している。 自衛隊はこの調査書をすぐに関西地区の各自治体に直接持ち込み、 協議を提案したが、黙殺されている。 自衛隊の松島中部方面総監はある週刊誌とのインタビューでこう 語っている。 「やるべきことは全部やって、その上でこれしかできなかった というなら、ある意味であきらめもつきます。だけどね、やる こともやってなくて・・・と思うと、死んだ方に対して人間とし て申し訳ないと思ってしまうんです。特に人命救助というのは ですね、助けに行った人間が痛切に助けてやりたいと思うんで す。そして現場にいて助けてやれなかった時、さらにもう少し 早く着くことができればと思える時、どうしても悔しさがこみ あげてくるものなんです。」 村山首相の「全力をつくした」という言葉のそらぞらしさと対照 すべきである。 ■5.温室の中でしか通用しない非武装平和の幻想■ 政府・官庁の拙劣な対応が被害を大きくしたという声が外国のマ スコミからもあがり、国土庁防災局の伊藤防災調整課長が一月二十 六日に、外国特派員向けに記者会見を行った。その中で地方自治体 の対応遅れに対し、政府としてもっと手を打てなかったのかという 質問に、伊藤課長は「自治体の意思を圧殺するのは、戦前の軍国主 義復活を求めているように聞こえる」と答えた。「何千人も死んで いるのにそれでいいのか」という外人記者の声に「私は評論家の相 手をしているヒマはない」と怒鳴りつけて、席を立ってしまったと いう。 ひたすらに自衛隊を黙殺し、国家権力を縛ることが、民主主義で あり、平和主義であるとする社会党的妄想が、中央官庁や自治体に 浸透し、それが災害に対する準備を怠らせ、被害を大きくしたとい うのが今回の大震災の「真実」であった。 政府の無防備・無策ぶりに「国民の命をしっかりと守らない政府 なら、納税を強制されるのは不当である」という素朴な、しかし根 源的な問いかけがなされた。旧社会党の主張してきた非武装平和主 義とは、いざという時には国民を見殺しにする冷酷な無防備傍観主 義に他ならない。阪神大震災という非常時にこの事が明らかになっ たのである。 ■6.国民を守ったのは誰か?■ 無策の政府、自治体の代わりに人々を守ったのは、自衛隊や、企 業や市民・学生ボランティアによる救援活動、それに被災者相互の 助け合いであった。 まず自衛隊の活躍を挙げなければならない。「救援物資」と大き く表示されたカーキ色の巨大なトラックが陸続と被災地に向かう様 を見ると、これこそ国民を救おうという国家意思のあらわれである と、頼もしく思われた。震災発生後一週間に動員されたのは、延べ 約10万5千人、2万35百車両、艦艇110隻、航空機910機 にのぼった。 区役所のガレージに泊まり込んで被災者同様の生活を続けながら、 救援活動を続けている隊員もいた。ある避難場所では自衛隊の一隊 が交代で去る時に、「自衛隊の皆さん、ありがとう」と大書された 垂れ幕を掲げて見送った。不自由な避難生活で資材を見つけるのも 大変だったはずだが、これが被災者の率直な気持ちであろう。 ■7.「同じ日本人が困っている時に、、、」■ 多くの企業も迅速な救援活動を展開した。セブンーイレブンでは ヘリコプターやバイクを動員し、1万6千個のおにぎりと飲料水を 毎日無料提供した。日頃から準備していた緊急時輸送体制が役だっ たという。独自のボランティアチームを組織して、現地に送り込ん だ企業は枚挙にいとまがない。経団連では現地で必要な物資を加盟 970社に連日のようにファックスで流し、ほとんどがその日のう ちに提供の申し出が寄せられた。 大学生など青年の活躍も見逃せない。国立神戸商船大学の白鴎寮 の寮生約250人は地震発生20分後、寮自治体の号令で、実習で 使う安全靴や軍手、懐中電灯を手に、壊滅状態となった近くの商店 街に出動。12時間かけて百名以上の人々を倒壊した家屋から救い 出した。 被災者の救護に約3万人ものボランティアが従事したが、その半 数以上は若者である。「ありがとうと言ってもらえる喜びを初めて 知った」、あるいは「奉仕の意識はない。同じ日本人が困っている 時に当たり前のことをやっているだけ」。こういう声が現代青年の 口から出るようになったのである。 そして世界中の人々を驚かせたのが、被災者自身の助け合いであ る。ボランティアの人が、ペットボトルの水を一軒一軒配っていて、 二本渡そうとすると、「一本で結構、残りはほかの人に分けて下さ い」と言われて、心を打たれたという。ある避難所では三百人規模 で炊事や掃除を共同で行い、大学生たちは買出しを担当、中高校生 は老人や幼児の世話を買ってでていた。 ■8.非常時にあらわれた国家の真実の姿■ 国家とは人民を抑圧する権力機構だという捉え方があるが、それ は国家の外形に過ぎない。大震災直後に現出した被災者どうしの協 力、そして自衛隊員、ボランティアによる支援、こういう素朴な 「助け合い」が国家が始まった時の最も原初の姿ではなかったか。 そしてその根本にあるのは、「同じ日本人が困っている時に... 」という同胞意識なのである。 1月31日には天皇皇后両陛下が被災地のお見舞いをされた。米 国の週刊誌タイムは泣き崩れる若い女性を優しく抱かれた皇后陛下 の写真を掲載して、こう報道した。「被災地の人々は村山首相の視 察には冷淡であったが、天皇皇后を希望の象徴としてお迎えした」 「国民統合の象徴」たる両陛下を「希望の象徴」としてお迎えした というのは、同胞感に基づく国民の助け合いこそ、国家を守り、発 展させていく真実の力であるからであろう。日本という温室を作り、 発展させてきたのは、この力ではなかったか。_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ News _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ ■関東大震災で日本軍が朝鮮人を救助 大正12年(1923年)の関東大震災発生直後、旧日本軍がデマによ る朝鮮人殺害を懸念し、二千人以上の朝鮮人を保護するとともに、 希望者を朝鮮半島に送っていたことが、獨協大の中村粲教授の研究 で明らかになった。 同教授が発掘した神奈川県横須賀市の「震災復興誌」など二つの 資料には、当時流布された「朝鮮人が井戸に毒を入れた」などのデ マを、横須賀の旧日本軍の戒厳司令部が懸命に否定。自警団によっ て襲われる危険性のあった横浜、横須賀の朝鮮人を保護、治療し、 自警団の武装を禁じたという「知られていない近代史」が描かれて いる。 「警察や軍隊によって、何の罪もない数千人の朝鮮人が殺されま した」(教育出版『社会6年下』)というような説を揺るがす反証 である。(産経、12/27)
■お便り 天野徳明さんより 今は高校生なのですが、選択の授業で社会を選択していて、その 先生がほぼ同様の授業をしています。授業の最初の頃は僕も某新聞 のような事実を自社のイデオロギーのもとに歪めて報道するような 三流記事にだまされていて、なかなか先生の話を信じられませんで したが、最近ではちゃんとしたメディアの助けのもとで(国際派日 本人養成講座も非常に役に立っています)日本をある程度直視する ことができるまでになりました。 阪神大震災は「人災」だと思います。地震が発生した場所が運悪 く社会党系の基盤が強固な土地であることが「人災」を決定付けて しまった気がします。もっと迅速に自衛隊に救援要請を出していた ら、もしかすると死者が半減したかもしれないのに。なんかやるせ ない思いです。 ■編集部より 地震の後、観念的な反自衛隊感情が払拭され、多くの自治体が自 衛隊との共同防災訓練を申し入れるようになったのは、一つの成果 でした。
■おたより 湯佐佐木 生雄さん(香港在住)より 当時私はイギリスにおり、あちらの新聞からでしか情報が取れず 災害の概要しか理解していなかったのですが、改めてその時のIN SIDEを感じ、感動しました。地震の中で、あの歴史に残る出 来事が 非常に他人事として風化しているのを、同時代の日本人と して悔恨の念が拭えません。 また OUR JAPANESE の真摯な行動には胸を打たれました。 今更はじめて知る事実でした。 ■編集部より 被災者の助け合い、ボランティアの人々、自衛隊隊員諸兄の奮闘 は、我々の精神的財産として心に留めおきたいものですね。
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