[トップページ] [平成10年上期一覧][The Globe Now][222.0136 中国:社会]
_/ _/_/ _/_/_/ _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ _/ _/ _/ _/ Japan On the Globe (27) _/ _/ _/ _/ _/_/ 国際派日本人養成講座 _/ _/ _/ _/ _/ _/ 平成10年3月1日 2,267部発行 _/_/ _/_/ _/_/_/ _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ _/_/ _/_/ The Globe Now: 社会主義市場経済に呻吟する民 _/_/ _/_/ ■ 目 次 ■ _/_/ _/_/ 1.見捨てられた被災者 _/_/ 2.女工哀史 _/_/ 3.姥捨て _/_/ 4.捨て子 _/_/ 5.民衆を食い物にする党幹部 _/_/ 6.民衆にまで届かない我が国の経済援助 _/_/ _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ ■1.見捨てられた被災者■ 96年2月3日夜、中国雲南省麗江地区でマグニチュード7.0 の大地震が発生し、33万棟の家屋が倒壊、約300人の死者、1 万4千人の重軽傷者が出た。これについて、香港の「動向」3月号 は次のように指摘している。[1] 孤立無援に陥った麗江の被災者たちの惨状ぶりは、神戸の大 地震のときとは対照的であった。日本では官民をあげて神戸救 済に立ち上がったのに、麗江への支援は微々たるものだった。 これは経済力とは関係ない。自然災害に直面しても中華民族に は凝集力がないこと、指導者たちが民衆の苦難に無関心である ことを示している。 家を失った40万人近くの人々は、氷点下の寒さの中、長期間野 宿をせざるをえなかったし、食糧不足のため、深刻な飢えにも直面 した。しかし中国政府はわずか1千万元(1.2億円)の義捐金を 送ったに過ぎない。北京中央テレビでも、江沢民主席が第3回アジ ア・スポーツ大会の開会式に出席、といったニュースの後、5番目 にやっと大地震が報道されたという。 香港各紙は一面でこの地震を大々的に報道し、何英傑・香港タバ コ会長などは北京当局の無策ぶり見るに見かねて、一人で7500 万香港ドル(10.5億円)も寄付したという。しかし遠く香港 (当時はまだ英国統治下)の中国人達がこれだけ反応を示している のに、本土の中国人はまったく無関心なのはどうした訳か。共産主 義下では、困った人を助けようという「凝集力」は働かないのだろ うか。 ■2.女工哀史■ 被災者ばかりではない、通常の生活においても、貧しい民衆の生 活は痛ましい。 私たち190人の女子労働者は江蘇省のオモチャ工場で働い ています。この工場でどんな虐待を受け、人権をないがしろに されてきたか、どうしても訴えずにいられませんでした。・・・ 労働条件も過酷です。1日最高15時間。最低でも12時間 は働かせ、残業手当は一元も支払われず、休みもありません。 ある女子工員が過労のため階段で転び足首を骨折、脊椎も損傷 しました。しかし、工場は、痛みに泣き叫ぶ彼女を病院への連 れて行きません。結局私たち10人ほどで彼女を1km以上離 れた病院まで運びました。そして彼女や連れていった私たちを 工場側は無断欠勤扱いとしたのです。もちろん彼女への治療費 は1銭も払いません。 これを紹介した日経ビジネス[2]では、「95年1月から労働法 が施行されたとはいえ、地方都市ではまだこのような悲惨な労働状 況が存在する。恐らくこのような工場は相当数あるだろう」と述べ ている。 ■3.姥捨て■ 程(チョン)さんには息子が2人、娘が1人いる。夫は既に 他界し、息子は既に独立していた。長男と次男に厄介者扱いさ れた程さんは、村の行政幹部の調停で、長男の家に住み、食費 と小遣いは兄弟で分担することになった。 やがて程さんが病気になった。脚が痛く、どうにも動けない 状態になってしまった。程さんは部屋の壁を叩いて苦痛と飢え を訴えた。だが長男夫婦は見て見ぬふり。揚げ句の果て程さん の部屋のドアが開かないように工事し、なんと自分の母親を座 敷牢のごとく幽閉してしまったのだ。程さんは63歳。こんな 老後は想像もしていなかった。そして昨年、彼女は毒を飲んで この世を去った。 この件に関して、日経ビジネス[2]は次のようにコメントしてい る。 「上海市崇明県では89年に135体もの老人変死体が発見さ れている。そのうち79体が自分の子供に扶養してもらえない ことを苦にした自殺であった。12億の民を抱える社会主義国 家、中国の老人福祉政策を考えさせられる深刻な問題だ」 ■4.捨て子■ TIME[3]は、Human Rights Watch/Asia という人権団体が発表し た中国の孤児施設における児童虐待に関する報告書を紹介している。 その報告書には上海の孤児施設で働いていたDr. Zhang Shuyun(95 年に西側に亡命)の証言や、写真、秘密文書などが収められている。 それによると収容された孤児の90%は、1年以内に飢えや病気で 死んでいく。Dr. Zhangによれば、「収容孤児数を一定に保つため に、新しい孤児が収容されると、同じ数の前からいた孤児は、deng sijian "waiting-for-death room"に入れられ、食事や医療、そし て時には水さえも与えられずにおかれるという。死因は「先天性脳 発育不全」とされる事が多い。「これは不要な孤児を排除するため の計画的な政策だ」とDr.Zhangは、ブリュッセルでの記者会見で語 った。 これを報じたTimeの記事には、骨と皮だけになった子供、および、 3人の二歳位の幼児がせっかんのために椅子に縛り付けられている 痛ましい写真が掲載されている。一人の子は殴られたのか、鼻血を 出している。 Timeによれば、捨て子が多いのは、中国の極端な一人っ子政策の ためであると言う。一人しか子供を持てないため、女の子や身体障 害の赤ん坊が生まれると捨てられる場合が多い。中国の公式統計で は、孤児、捨て子は年間10万人とされているが、西側の専門家は それよりもはるかに大きいとしている。 もっとも、最近はこの上海の孤児院も親切なスタッフと図書室や コンピュータまで備えた立派な施設に生まれ変わったそうだ。欧米 人による養子が急増しており、里親には、通常3千ドルの「寄付」 が求められるという。孤児院ではその「店舗」の見栄えを良くする よう努力しているのだ。「市場経済が上海の孤児院を地獄から、よ く管理された施設に変えるのを助けたのかもしれない」とTIMEは述 べている。 ■5.民衆を食い物にする党幹部■ 被災者、女工、老人、孤児と、弱者が虐げられている一方では、 そういう人々を食い物にしている輩がいる。その一種が「枠外高学 費生徒」である。 これは学業成績が悪いが、一般より高額の学費を納める事を条件 に入学を許された生徒である。これで学校側の経費不足を補おうと いうものだが、公職の幹部が公金を流用して、自分の子女の学費に あてるケースが非常に多い。ある市では、課長以上の幹部の子女2 3人以上が、公費でまかなう枠外高学費生徒となっている事が判明 した[2]。 農民に対しては村当局(党)が税金以外にさまざまな名目の分担 金を課して金を搾り取っている。農道、公民館、幹部接待所、党委 員会事務所建設などの名目で、分担金を課すことは農村では当たり 前になっており、その負担は農民の総収入の20%近くにも上がっ ている。[1] 絶望のあまり大都市に流入し、犯罪に走る者も少なくない。94年 の殺人件数は米国と同じ約3万件、日本の約1500件の20倍である。 [2] ■6.民衆にまで届かない我が国の経済援助■ 中国の「社会主義市場経済」という苦し紛れの体制は、党幹部が 権力を独占するという「社会主義的独裁」と、19世紀的市場主義 の「弱肉強食」という最悪の組合せとなって、貧しい一般民衆をさ らに食い物にしている。 日本は中国に総額13.8億ドル(1995、日本の4人家族あたり でみると、年間約5千円)と巨額の経済援助を行っている。中国か ら見ても、第2位の西ドイツの3億ドルを4倍以上も上回る突出ぶ りである。本講座でも紹介したように、これらの援助は輸送・通信 網に使われ、「日本は自国にとって重大な軍事的脅威となる相手の 戦力を国民の税金で増強している」と批判するアメリカの専門家が いる。 中国の国防予算が、10年連続2ケタ増(約1兆4千億円、産経 3.5)と報じられた。その軍事力をバックに、日本やフィリピン、ベ トナムなどと領土問題で摩擦を起こし、台湾の自由選挙にはミサイ ルを放って干渉する。その裏では、このように社会主義市場経済と いう欺瞞の裏で弱者が見捨てられ、食い物にされている。そして我 々の経済援助は、そういう民にはどれだけ届いているのか、分から ない。 こういう国とどうつきあったら良いのか、我が国外交の最大の問 題である。 [参考] 1.「切り捨てられる十億の弱者−中国の『ゆがんだ』繁栄−」 「選択」、96.6 2.「『法制日報』に見る中国犯罪事情」、日経ビジネス、95.9.4 3. "Life and Death in Shangai," TIME, 96.1.22 4. JOG(4) 中国の軍事力増強に貢献する日本の経済援助 5. JOG(9) 米中人権論争〜チベット弾圧の内政事情 6. JOG(20) 阪神大震災:真実は非常の時に現れる
■おたより 内田肇さんより
日本の政策がここまで愚かだったとは、知らなかった。これは、 第二次世界大戦のとき、日本のトップが、「絶対にアメリカには勝 てない」と理解しつつ、誰も戦争反対と唱えるものがいなかったと きと同様な気がする。民主政治とは名ばかりで声を張り上げるもの が事実上のトップであった、そういった歴史担当の先生の言葉を思 い出す。 ■編集部より 戦争中、もっとも国民を煽ったのは、大新聞でした。今も同じと すれば、真の反省も進歩もなかったということでしょうか。
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