[トップページ] [平成10年下期一覧][人物探訪][222.4 台湾]
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        _/  _/    _/  _/           Japan On the Globe (61)
       _/  _/    _/  _/  _/_/      国際派日本人養成講座
_/   _/   _/   _/  _/    _/    平成10年11月7日 部発行
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_/_/       人物探訪:李登輝総統の志
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_/_/           ■ 目 次 ■
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_/_/     1.世界でも第一級の文明
_/_/     2.私は二十二歳まで日本人だった
_/_/     3.初めての台湾出身の総統
_/_/     4.夜、安心して眠れる国にしたい
_/_/     5.中国史上かつてなかった豊かさと自由
_/_/     6.中国文化の新しい中心地をめざす
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■1.世界でも第一級の文明■

 人口わずか2180万人の小国が、900億ドル(一人当たり約
50万円)と世界第2位の外貨準備高を保ち、その1/5、400
万人もの国民が株式投資をする。台湾経済はまさに現代の奇蹟であ
る。司馬遼太郎は言う。

     たしかに、台湾人のもつ学問・芸術についての才能は、きわ
    だっている。
     一方、よき家庭をつくる能力や一族を大切にするという文化
    をもっている。そういう漢民族固有の能力においては、いまは
    中国大陸のひとたちを越えているかもしれない。
     また、日本時代には50年間法治社会を経たという点で、大
    陸からきた人達や大陸にいるひとびとよりも近代的経験に富み、
    さらには個人や家族のレベルを越えてよき社会をつくろうとす
    る良識があるなど、世界でも第一級の文明が台湾でうまれつつ
    あるのではないか。[1,p314]

 大げさな物言いをしない司馬遼太郎にしては、「世界でも第一級
の文明」という表現は尋常ではない。そして言う。

     運よく台湾は、世界でももっとも教養の高く、かつ名利の欲
    の薄い元首を持つことができた。
    
 この元首が、李登輝総統である。

■2.私は二十二歳まで日本人だった■

     李登輝さんとは、むろん初対面であった。
     会う前から懐かしさをおぼえていたのは、ひとつには、この
    人も私も、旧日本陸軍の予備役士官学校教育の第11期生だっ
    たことである。
    
 「会う前からの懐かしさ」を抱きつつ、司馬遼太郎は李登輝総統
との対面に臨んだ。そんな司馬に、総統は見事な日本語で語る。

     シバさん、私は二十二歳まで日本人だったのですよ。
      自分は、とこの人は言う。初等教育以来、先生たちから日本
    人はいかにすばらしい心を持っているか---おそらく公に奉ず
    る精神についてに相違ない---という教育をうけつづけたんで
    す。むろん大人になってから日本へゆくと、日本にもいろいろ
    な人がいるということを知りましたが。
      しかし、二十二歳まで受けた教育は、まだのどもとまで--と
    右手を上にあげて---詰まっているんです、といった。
     たしかに、そう言われてみると、李登輝さんは日本人の理想
    像にちかい人かとも思えてくる。[1,p82]

 司馬遼太郎と話しているうちに、親しみを覚えたのか、旧制台北
高校の学生ことばになった。また数ヶ月後に台湾に来て、今度は東
海岸の山地を歩く、というと、

    「じゃ、ぼくが案内する」
    冗談じゃない、と思った。
    「李登輝さん、あなたは大統領なのだから」[1,p88]

 しかし、3ヶ月後に、約束通り李総統は東海岸を旅行中の司馬を
訪れた。妻、嫁、孫を連れ、家族旅行の途上という形をとり、気を
使わせないような配慮までして。[1,p370]

■3.初めての台湾出身の総統■

 旧制台北高校で、李登輝は塩見という日本人の先生から、中国史
を学ぶ。この授業で、近代中国の受難を知り、その解決の最大の鍵
は農業問題にあると考える。その後、京都帝国大学で農業経済学を
学び、終戦とともに台湾大学に戻って同じ学問を続けた。さらにコ
ーネル大学に留学して、農業経済学博士を授与され、台湾大学教授
となる。

 '71年に国民党に入党し、台湾農政のためにつくす。その後、'78
年、台北市長、'84年、中華民国副総統。そして蒋経国総統(蒋介
石の息子)の死後、はじめての台湾出身の総統になる。'96年3月
には、中国5千年の歴史で初めての民主選挙で、総統に再選された。

■4.夜、安心して眠れる国にしたい■

 李総統が政治家を志したのは、「かつてわれわれ70代の人間は
夜にろくろく寝たことがなかった。子孫をそういう目に遭わせたく
ない」という気持ちだった。

 日本の敗戦後、蒋介石の国民党は、陳儀という大将を台湾省行政
官として派遣してきた。中国の軍閥の常として、陳儀の部下は占拠
地で略奪・暴行・強姦・殺人をほしいままにし、陳儀自身は紙幣を
どんどん刷って私腹を肥やした。

 日本時代にはかつてなかった無法社会に怒った台湾人は、1947年
2月28日に全島をおおう大暴動を起こし、国民政府軍は、日本時
代に高等教育を受けた人間を片っ端から、連行・銃殺した。最新の
調査では、約1万9千人が殺害されたと判明している。[2,p197]

 蒋介石が中国共産党に敗れ、台湾に移ってからも、'87年まで戒
厳令が敷かれ、恐怖政治が続いた。たとえば、米カーネギー・メロ
ン大学助教授陳文成は、国民党政権の批判者で、在米台湾人のオピ
ニオン・リーダーであった。陳は'81年の一時帰国中、警備総司令
部に呼び出されたまま帰宅せず、翌朝、台湾大学構内で死体となっ
て発見された。米下院外交委員会はこれを蒋政権の人権侵害として
非難した。[3,p199]

■5.中国史上かつてなかった豊かさと自由■

 李登輝は総統になってから、民主化を急ピッチで進める。帰国を
禁じられた台湾人ブラックリストの解除、思想犯罪・陰謀罪の撤廃、
強権と弾圧の代名詞だった警備総司令部の廃止、さらに戦後ずっと
タブーであった2・28事件の慰霊碑落成式に出席し、総統として
公式に遺族と犠牲者に謝罪した。その仕上げとして、蒋介石が大陸
から連れてきた国会の終身議員を退職させ、96年3月に初の民主的
な選挙を実施して、総統に再選された。

 この選挙の最中に中国は台湾海峡で軍事訓練を行い、ミサイル発
射までして、威嚇した。しかしこれは逆効果で、かえって台湾人の
結束を固め、李登輝の得票率を押し上げることとなった。[2,p40]

 台湾の豊かで、民主的な社会について、李登輝は語る。

     民生の建設について言えば、現在、台湾の一人あたり国民所
    得は一万ドルを超え、外貨保有高は1000億ドルになんなんとし
    ており、世界の先進国の仲間入りをはたそうとしています。今
    日の台湾のような繁栄した社会、活気にあふれた人民があまね
    く高度な生活水準にある状態の社会は中国史上かつてなかった
    現象です。

     民権の実現という点から言えば、ここ十数年来、世界30数
    カ国は権威主義体制から民主主義体制への変革を行ってきまし
    たが、台湾のように平和的な形でそれを成し遂げた国は一つも
    ありませんでした。今日の台湾は、名実ともに主権在民が実施
    され、国民はさまざまな自由権と参政権を持って、自由な意思
    を存分に発揮しています。また人権は十分に尊重されており、
    これは中国の歴史にはなかったことであります。[4,p15]

■6.中国文化の新しい中心地をめざす■

 李登輝総統の国家ビジョンは明快、かつ壮大である。「経営大台
湾、建設新中原」と言う。経営大台湾とは、上記のような「かつて
中国史上なかった」豊かな、そして自由と人権の保証された国家建
設をさらに進めることである。

 しかし、これは台湾のためだけではない。このような国家建設に
成功しつつある自分たちの「台湾経験」は、大陸中国全体にとって
意味があると総統は考える。

     「台湾経験」が全中国に広まってゆけば、...大陸の人々が自
    由社会の素晴らしさを知って、中央の統制から離れて経済的自
    立を果たしていく。そのことが将来、共産党による独裁政権政
    治を解消していく方向に繋がっていく、とおもうんですよ。[
    4,p42]

 自由と民主主義で繁栄する台湾は、中華文明再生の新しい中心地、
すなわち「中原」となると総統は信ずる。これが「建設中原」であ
る。

     台湾の刺激と競争がなければ、中国の歴史ないし中華文明の
    発展は、必ずや「定於一尊」(中央一極の意)に帰し、加速的
    な変遷転化の契機に欠けるでしょう。中国の将来および中華文
    化の発展のために、私たちは当然この台湾という土地を保護す
    る責任があり、台湾がとこしえに中華文化を保ち、中国歴史に
    発展の方向に主導的役割を発揮させる責任があります。

 これほど明確に自国の使命とアイデンティティを語れる政治家が
現代の日本にいるであろうか。「日本人の理想像にちかい人かとも
思えてくる」と司馬遼太郎に言われたら、現代の我々の理想はそれ
ほど高いのか、と改めて自問しなければなるまい。

[参考]
1. 台湾紀行、司馬遼太郎、朝日文芸文庫、H9.6
2. 台湾の命運、岡田英弘、弓立社、H8.11
3. 台湾の歴史、喜安幸夫、原書房、H9.6
4. 台湾がめざす未来、李登輝、柏書房、H7.12


■ おたより: 新垣剛さんより 

     中国という国はまさに多種多様な民族と、考えが混在する国
    家であると思います。先日訪れた広州では、下半身が不自由で
    風呂にもはいってないような垢じみた、10才ぐらいの少年が空
    き缶を前に物乞いをしているのです。中国人はごく当たり前と
    いう風に通りすぎていきます。
    
     日本人からすると共産国家に少年の乞食がいるということ自
    体ショッキングであり、またこのことを若い中国人に話してみ
    ると、我々は国家を信じていない。国家は何もしてくれない。
    むしろ、官僚の師弟達はわが物顔で私腹を肥やしている。だか
    ら、このような状態もある意味当然だし、自分の身を守るのは
    己であるとの意見を持っていた。では、この少年を守るのも少
    年自身なのか?

     我々が中国に感じる雰囲気は、自分を守るのは自分であり、
    またその延長線上に家族、血縁、地縁と続く環境の中で育まれ
    ているのではないでしょうか。中国という国を知るにはもっと
    中国人、それもごく一般の中国人を知るべきであると思いまし
    た。

■編集長より

     ご指摘の点、まさに中国の歴史の本質ではないかと思います。
    今の共産党だけでなく、清朝(満洲人の統治で、漢人は植民地
    支配をされていた)、さらにそのはるか前から、国家とは人民
    を私物化し、収奪するものだという政治伝統があるようです。

     中国人が一族での結束を大切にするのも、政府に頼れない、
    という事情からでしょう。この点での政治的伝統の日中での違
    いは本質的であると思います。

     李登輝総統の志が実を結んで、中国人民が政府を信頼できる
    ような日が来ることを願っています。

■賢一さんより(平成14年11月)

     台湾前総統李登輝氏が慶応大学三田祭での講演のためにビサ
     を申請したところ外務省などが中国との外交問題に配慮して
    最 終的にビサ申請を断念したという報道がありました。
    
     11月19日付サンケイ新聞によると、李登輝氏は、その講演で、
     土木技師八田與一氏を紹介しながら「日本人の精神」をお話
    される予定だったとのことでした。そして、サンケイの19日
    付6頁には「講演内容全文」が掲載されていました。
    
     八田與一氏について私は斉藤充功著「百年ダムを造った男」
     (時事通信社97年10月刊)を入手して、一気に読み、同じ土
    木技師として感激しました。今回、サンケイに掲載された李
    登輝氏の講演内容を読みさらに感動が高まりました。
    
     戦後の日本人が失った「日本人の精神」を李登輝氏は日本の
    若者に語ろうとしたのです。それを妨害したと思われる「政
    府の偉い方々」には憤りを覚えずにはおられません。
    
■ 編集長・伊勢雅臣より
 
     八田與一に関しては、以下の号をご覧下さい。

     JOG(216) 八田與一〜戦前の台湾で東洋一のダムを作った男 
     台湾南部の15万ヘクタールの土地を灌漑して、百万人の
     農民を豊かにした烏山頭ダムの建設者。 

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