[トップページ] [平成10年上期一覧][Common Sense][225 インド][390 国防・安全保障]
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        _/  _/    _/  _/           Japan On the Globe (40)
       _/  _/    _/  _/  _/_/      国際派日本人養成講座
 _/   _/   _/   _/  _/    _/    平成10年6月6日 2,606部発行
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_/_/          The Globe Now:真の反核とは
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_/_/           ■ 目 次 ■
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_/_/     1.以下のインド人の主張を論破して下さい
_/_/     2.インドは何ら国際条約違反をしていない
_/_/     3.核差別を固定化するNPT
_/_/     4.CTBTの欺瞞
_/_/     5.インドが核の開発を目指す理由
_/_/     6.日本の危険な「反核ごっこ」
_/_/     7.日本に期待する事
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■1.以下のインド人の主張を論破して下さい■

 インドが核実験を行い、橋本首相は「国際社会のルールを守る国
には報酬を与え、破る国にはペナルティーを科す」とサミットで発
言した。 

 こうした日本の主張は、インドに対して、どれだけの説得力を持
つのだろうか? それを考えるためには、インドがなぜあえて核実
験を行ったのかを理解し、それを打破する論理が必要である。

 本号では、マスコミで紹介されたインドの主張を、一人の架空の
インド人の主張としてまとめてみた。反論は読者各自で考えていた
だきたい。

■2.インドは何ら国際条約違反をしていない■

 親愛なる日本の皆さん、我が国の核実験に対する今回の日本政府
の態度は、単にアメリカの主張のお先棒担ぎをしているだけで、親
日を自負するインド国民としてはまことに残念でした。

 まず第一に訴えたいことは、「インドは何ら国際条約違反をして
いない」と言う点です。インドはNPT(核拡散防止条約)にも、
CTBT(核実験防止条約)にも加盟していないので、それらを破
ったわけではありません。

 我々はアメリカ主導のNPT、CTBTでは、核を廃絶する事は
できないと常々主張しているのです。橋本首相は何の権限があって、
これらを「国際社会のルール」とし、それに従わない国には、「制
裁を科す」などと言えるのでしょうか。

■3.核差別を固定化するNPT■

 それでは、我が国が、なぜ、NPTやCTBTに反対するのか、
ご説明しましょう。

 まず、NPTは、「持たざる国」の核所有を禁止する一方、「持
てる国」は、CTBT批准までいくらでも核実験ができるという不
平等条約です。ちなみに100発の核爆弾を持つと言われるイスラ
エルも未加盟です。

 そして、NPTは70年に発効しながら、CTBTの方は、よう
やく96年に国連総会で採択されただけで、ロシア、中国どころか、
アメリカ自身すら、議会の反対で批准していません。これでは、
「持てる国」の核独占は永久に固定化されてしまいます。

■4.CTBTの欺瞞■

 一方、CTBTの内容はどうか。米露は、条約の盲点を突いて、
核爆発を伴わないコンピュータシミュレーションによる核開発を行
っています。フランスや中国が一昨年、あわてて核実験を続けたの
も、早くデータを貯めて、コンピュータ・シミュレーションで核開
発を進められる段階に達するためでした。

 したがって、「持てる国」は今後、核実験を行わなくとも核兵器
開発を進められ、「持たざる国」は、永久に持てない。すなわちN
PTとCTBTは核による差別を二重に固定化するものです。

 こういう固定化が国際正義にかなうと言うのなら、インドも今回
の実験で、コンピュータシミュレーションのためのデータは、十分
に集まったので、CTBTに加盟しても良い。これならフランス、
中国と同じ事です。

 インドとしては、「持てる国」も核廃絶の期限を明示した全面核
軍縮を提案していました。これこそが、NPT体制に替わって「持
てる国」にも「持たざる国」にも平等な、国際正義にかなう案です。

■5.インドが核の開発を目指す理由■

 核全面軍縮を主張するなら、なぜ核実験をするのか? 当然の疑
問です。まず我々は、唯一の被爆国として核兵器の悲惨さを訴える
日本の主張に心底から共感します。だからこそ我が国は、中国の核
攻撃によって、我が国民にそのような悲惨を味あわせないために、
自前の核武装を決断したのです。

 62年の中国との戦争での我が国は敗北し、さらにその2年後に
は、中国は初の核実験を行いました。通常戦力で負け、さらに核戦
力で圧倒的な脅威に曝されることになったのです。もちろん、我が
国の国策は中国との平和共存を求めていますが、これでは中国に対
して、対等に平和交渉を行う事すらできません。

 88年12月に当時のガンジー首相が中国を訪問し、中印和解が
進みましたが、これはインドが同年2月に核武装を決断し、中国側
があわてて我々の主張にも耳を貸さざるを得なくなったからです。 

 我が国の核実験に続き、パキスタンも核実験をしました。これは、
中国は、パキスタンに核技術を提供して、我が国を核で包囲しよう
としたのです。(国際社会が核拡散を本気で考えているのなら、非
核国に核技術を提供して、緊張を煽るような事をした中国の責任を
もっと厳しく咎めなければならないはずです。)

 しかし、これでインド、中国、パキスタンは、平等に核を持って、
話し合いのテーブルにつく事ができます。核兵器が開発されてから、
核所有国どうしが、直接戦争をしたことはありません。それほど、
核の戦争抑止力は高いのです。(史上、唯一核兵器が使用されたの
は、核兵器を持たない国、すなわち日本に対してでした。)

 この抑止力が働いている間に、我が国はパキスタンや中国と、真
剣、かつ対等に、領土問題など、対立を生みだした問題そのものの
解消を目指します。対立があるから核武装へと進むのであって、核
をなくせば、対立がなくなるわけではありません。

■6.日本の危険な「反核ごっこ」■

 このように核兵器とは、その抑止力によって、自らの独立と安全
を保証し、さらに国際的に対等な外交を展開するための政治的なカ
ードなのです。

 日本は、非核三原則により、このカードを自ら放棄しているわけ
ですが、そう言いながら、アメリカの核の傘の下にいる。この状態
でいくら反核を唱えても、世界は「反核ごっこ」としか見ません。

 しかし、そのアメリカの核の傘は本当に信じられるのですか?
中国や北朝鮮が日本を核攻撃した場合、アメリカはニューヨークや
ロサンゼルスに核ミサイルを受けることを覚悟してまで、日本を本
気で守ってくれるのでしょうか。どのような保証があって、そこま
でアメリカを信じられるのでしょうか? もしかしたら、これはア
メリカの「核の傘ごっこ」なのかもしれません。

 もし日本が本気で「非核」を貫くなら、アメリカの核の傘から出
なければなりません。日本国憲法の言うとおり、中国や北朝鮮の
「公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しよう」と決
意しなければなりません。それは「平和」のためには、第二の広島、
長崎をも、甘受するということです。

 この事は国民の生命と安全という基本的人権すら、非武装平和の
理想のために犠牲にする、という事を意味します。これは自らの憲
法自体に違反しているのではないでしょうか。一体、誰がどんな権
限で、1億2千万人の生命を危険に曝す事ができるのでしょう。国
民に対して無責任な、危険な「反戦平和ごっこ」としか思えません。

■7.日本に期待する事■

 日本が、こうした「反核ごっこ」、「反戦平和ごっこ」の世界に
閉じこもって、現実の国際政治に直面しない限り、日本の真の国際
貢献もありえません。日本が真に核のない、平和な国際社会を目指
すというなら、「ごっこ」の世界から抜け出さねばなりません。

 日本に期待したい事は、二つあります。

 第一は、多くの国が核を持ちたがるのは、国家間の対立関係、緊
張関係があちこちにあるからです。たとえば、我が国とパキスタン
のカシミール紛争です。両国がこの問題を平和的に解決するには、
中立的な第三国の仲介が必要です。インド−パキスタンの問題では、
日本が最も仲介役にふさわしい国なのです。

 多くの国際間の紛争の仲介役として日本は、もっと世界に貢献で
きるはずです。「反核」を叫び、「制裁」を唱えているだけでは、
世界はちっとも変わりません。一つ一つの国際紛争の解決に、具体
的な努力をしてもらいたい。それこそ、アメリカとは異なった立場
から、国際社会に貢献しうる道です。

 第二に、核軍縮へのリーダーシップです。我が国の核武装は、
「持てる国」の核独占という体制をき崩し、NPT体制の欺瞞と不
可能性を明らかにしました。ようやく、我が国の主張する「全面核
軍縮交渉」を始める環境が整ったと言えます。

 この好機に日本はアメリカの「持てる国」としてのあまりにもエ
ゴイスティックな姿勢のお先棒担ぎから脱却して、「持たざる国」 
の代表として、「持てる国」の核廃絶を主張すべきです。我が国は
「持てる国」の一員として、率先して核兵器廃絶に同調しましょう。 
日本にそうした主体性があってこそ、唯一の被爆国としての心情も
本当に世界の国々に通用するでしょう。

 50年前、人種差別反対と植民地解放を唱えた時の日本は、そう
いう自らの哲学と国家意思を持っていました。インドが独立できた
のも、日本のそういう姿勢がきっかけを作ってくれたお陰です。日
印の協力は、世界が植民地主義の時代から脱却する大きなきっかけ
を作りました。次は同じく両国の協力で、核廃絶を目指しましょう。 
そのためにも、日本が「ごっこの世界」から脱却し、真の独立精神
を取り戻すことを切に希望します。

■おたより Hosogaiさんより    

 こちらの架空のインド人の主張は正論だと思います。

 特に2〜5の主張は、この実験に目くじらをたてたアメリカをは
じめとする多くの国々に反論を求めたいぐらいです。また、核兵器
を持っていても、イスラエルのようにアメリカ寄りの国ならよくて、
それ以外のイラクやインド、パキスタンなどはダメなどというのは、
全く納得ができません。

 どうして「国際社会」なるものはこうもアメリカの言いなりなの
でしょうか?

■おたより murakamiさんより    

 初めてこのページを読ませていただきました。こんな風に真剣に
核について考えている人は日本は何人いるのか疑問に思っていまし
たが、いささか安心しました。

 私の意見は、日本はアメリカに核の傘の中にいる,と言う点につ
いて疑問を持っているということです。日米安全保障条約が有るの
は事実ですが、何人の日本人がこれを信じているでしょうか?殆ど
の人は信じてはいません。

 北朝鮮のようなまだまだ小さな国が(適当な言葉が思いつかなく
て失礼します)日本に攻めてきたとしたら、アメリカは多分助けて
くれるでしょう。それは核の引き金を引く可能性が大変小さいから
です。中国の場合はどうでしょうか?恐らく静観するか、周りでワ
ーワーと何か言うだけでしょう。この場合は核の発射の可能性が大
きいからです。

 もうひとつは、日本には何も地下資源がなく、中国に、日本が占
領されても中国と手を組むほうがアメリカにとって利益が多いから
です。第2次大戦末期日本がソ連に裏切られ、北方領土を取られた
という事実も現実にあるのです。

 少し話がそれましたが、核について言えば、回りが持っていて、
それで脅されれば、持ちたいと思うのが人情でしょうが、それで持
っても良いのでしょうか?現在のアメリカは銃社会だそうですが、
”隣に銃が有るから、私も持たなくては”のような発想でみんなが
銃を持ってしまい、犯罪大国になったアメリカと何ら変わりはない
のでは有りませんか?”みんな持っているから”みんなやっている
から”で良いのでしょうか?私は疑問に思います。

 何も出来ない、何もしていない、私がこう言う生意気なことを言
うのもおこがましいかもしれませんが、今まで、すべての兵器、大
量殺戮兵器はこうして広がっていったのではないでしょうか?橋本
元首相が言うのも実際の条約よりも、この辺の事を言っていると私
は理解したいと思います。

 インドが核を持てば、本当に中国と同じテーブルに座れるのです
か?ただいたずらに核の数を増やしているだけではありませんか?

■おたより 窓さんより
   
 NTP、CTBTが核を持てる国と持たざる国を固定する不平等条約で
あり、核廃絶に必ずしも寄与しないというお説には賛成します。ま
た、核の放棄をも含む戦争放棄は、自国が攻撃される可能性を甘受
することにほかならないという主張も全くその通りです。いざ日本
が攻撃された場合にアメリカが体を張って日本を防衛してくれると
は、私も信じていません。そのようなあてにならない安全保障のた
めに、他国には核廃絶を強要し、自国はCTBTすら批准しないという
アメリカの欺瞞を支持する日本は、確かにいい面の皮です。

 しかしながら、核軍縮を主張しながら核実験を行ったインドの態
度はやはり矛盾していると思います。核の戦争抑止力は、表面的に
は機能してきたように見えます。私はこれを「50年間一度も踏ま
れたことのない地雷」と呼んでいます。そういう地雷は安全でしょ
うか?一度踏めば終わりなのです。

 近隣に核を保有する敵対国があれば、こちらも核保有を誇示しな
ければ危うい、と考えるのは心情的には理解できます。それは恐れ
の心情です。murakamiさんのご指摘の通り、一般市民が銃で武装し
ているアメリカ社会も、全く同じ心理で実現しました。 パレスチ
ナとの和平合意を実現した故イツハク・ラビン イスラエル大統領
は、中東戦争中パレスチナとの戦いで武勲を挙げた軍人でした。し
かしパレスチナと和平交渉に入ってからは、「交渉の相手は完全に
信用しなければならない」と語っていたそうです。

 友好的な顔を作りながら腹の底では敵意と不信を抱いていたので
は、平和のための交渉が上手く行くはずはないことを、よく理解し
ていたのでしょう。核を持たなければ防衛問題について国際的に発
言力を持てず、従って核軍縮にも貢献できないとする架空のインド
人氏のお考えは、むしろ平和には対立する考えではないかと思いま
す。

 片手で剣を振り上げながら仲良くしましょうと呼びかけているよ
うなものだからです。他国に対する恐れと不信を克服できなければ、
核の廃絶も世界平和も実現しないでしょう。

 インド人氏が「対立があるから核がある」とおっしゃる通りです。
アメリカ先住民のホピ・インディアンの言葉に「真の平和そのもの
は心の中にある。この本当の平和がある時、外の世界にも平和が実
現する」というのがあります。

 それは非常な勇気の要ることです。日本の戦争放棄・核放棄の原
則は、今の我が国では実に希有な価値ある政策であると思います。
これが諸外国から「反核ごっこ」「平和ごっこ」と見られてしまう
のは、当の日本人自身がその意義を理解していないからにほかなら
ないでしょう。

 戦争放棄のリスクを理解した上でこれを受け入れ、世界の国々の
誠実さを信頼するという態度のもとに選択された非武装は、世界に
影響力を持ちうると思います。そうなって初めてインド人氏の言う
「ごっこからの脱出」が可能になるでしょう。

 日本がこのような「自覚ある非核・非武装」を選択した時、謎の
インド人氏の提案のように国際紛争の仲介、核軍縮の牽引役として
力を発揮することが出来るに違いありません。日本とインドがその
ような役割を果たせるようになったらどんなに素晴らしいでしょう
か。そんなのはきれいごとだ、おめでたい考えだと言う向きは、武
装の道を行くのだと思います。

■編集部より

 重いテーマに関し、それぞれ本格的なご意見が寄せられました。
窓さんの:

> 日本がこのような「自覚ある非核・非武装」を選択した時、謎の
>インド人氏の提案のように国際紛争の仲介、核軍縮の牽引役として
>力を発揮することが出来るに違いありません。

 という言葉が、印象的でした。

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