プロレス記者の独り言

取材歴25年の大ベテラン・川野辺記者のブログです。豊富な知識・経験をもとにプロレスの醍醐味を書き尽くします。

鶴田に客を呼べない男にされたブロディ

スポーツ2010年10月09日 11:57 | フォルダ : 

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 人間キングコング”ブルーザー・ブロディはなぜか客を呼べない男だった。単体ではシリーズの頭にしようものなら、そのシリーズの客の入りは無残だった。
 ところが、”不沈艦”スタン・ハンセンとか、NWA世界王者ハーリー・レイスとか、ドリー、テリーのファンクスとかの絡みになると客足はグーンとアップした。
 ブルザー・ブロディが最初から客の呼べない男では決してなかった。ブロディが初めて日本の土を踏んだのは昭和54年(1979年)1月、全日本プロレスの『新春ジャイアント・シリーズ』だった。当時のブロディは身長198センチ、体重155キロ。立派な”超獣”だった。
 ブロディをこの世界に引きずり込んだ”鉄の爪”フリッツ・フォン・エリックに伴われて来日。”人間キングコング”はその名に恥じぬ動き。2メートル、155キロの体から繰り出すドロップキック、フライングニードロップは圧巻で人間業とは思えなかった。触れ込み通りのパワーと動きで、プロレス関係者、報道陣、ファンの誰もが度肝を抜かされたものだ。間違いなしの超一級品。あっと言う間にブロディはトップの座を約束され、ファンもブロディに食い付いた。
 そのブロディが2回目の来日を果たしたのがちょうど1年後の1980年(昭和55年)1月『新春ジャイアント・シリーズ』だった。
 全日本プロレス、プロレス、報道陣、ファンの誰もが驚き、驚愕の声をあげた。「ブロディはいったいどうしたんだ? 何があったんだ?」155キロの巨体が縮んで120~125キロになっていたのだ。約30キロも体重をダウンさせていた。ブロディは何故ウェートを30キロもダウンさせたのだろうか? 記者は突撃インタビューを試みた。
「なぜ、体が一回りも二回りも小さくなったのか?」記者の恐る恐るの問いにブロディは堂々と答えた。
「1年前にジャンボ鶴田と戦ってみて考えた。オレはそれまでレスリングはパワーだと思っていたんだ。それが間違いだとわかったよ。レスリングはスタミナ、持久力だとね。今の体重なら膝や腰に負担もない。だから一年かけてダイエットに取り組み30キロの減量に成功したんだ。でかいブロディは死んだ。ニュー・ブロディの活躍を期待してくれ」と胸をグイと突き出した。
 要はジャンボ鶴田との戦いでブロディは己に足りない物を感じダイエットに取り組んだのだが、ただの体の大きな外国人レスラーになってしまっていた。そこには”人間キングコング”と言われた面影は完全に消えていた。それからのブロディはセールスポイントを失った男に成り下がり、客の呼べない”超獣”なってしまったのである。ジャンボ鶴田はなんとも罪作りな男だ。
 次回はブロディが巻き起こしたダイエット事件について語ろう。

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川野辺修のプロフィル 1973年入社。プロレス・格闘技取材歴25年以上。5000大会、5万試合以上を取材。テレビ朝日「ワー
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