その主張は明快で、「知的財産権」は財産権ではなく、著者や発明者を特権化して仲介業者をもうけさせるための知的独占(intellectual monopoly)だから、すべて廃止すべきだというものだ。著作権は財産権ではなく、著作物を譲渡したあとも著作者が複製を禁止する権利をもつ「下流ライセンス権」である。これは18世紀に木版業者の独占を守るためにつくられた特殊な権利で、デジタル時代には実施不可能だ。
著者の報酬を守るために、表現にとって第一義的ではない複製という行為に着目したのは、かつては本の印刷がボトルネックで、それを規制することで著作物の利用をコントロールできたからだ。しかし誰でも容易にデジタル情報を複製できる現在では、複製を禁止するには国民全員の行動を監視する必要がある。
著作権は著者にとってメリットもあるが、過去の著作物の利用を困難にする弊害もあり、電子出版のような新事業にとっては弊害のほうがはるかに大きいので、著作権のネットの社会的便益はマイナスだ、と本書は主張する。したがって狭義の財産権(著作者が情報を1回だけ譲渡する権利)のみを認め、そこで権利は消尽する。たとえば音楽を発表するときは、作曲者はレコード会社にすべての権利を売却し、その後の複製を禁止する権利をもたない。
問題はレコード会社の売ったCDとその複製との競合である。これを避けるには、レコード会社がCDを販売するとき「商業目的で再販売してはいけない」といった契約を消費者と結ぶとか、DRMで制限すればよい。民法の契約自由の原則は著作権に優先するので、著作権法に違反する契約を結んでもかまわない。契約違反については損害賠償訴訟を起すことができるので、刑事罰は必要ない。文化庁も「将来DRMが標準化されれば、契約ベースで解決することが理想だ」としている。
本書の議論には批判が多く、財産権と契約だけで、たとえば医薬品のような初期費用の大きな発明が守れるのかというのは疑問だ。むしろそういう特定の発明に限って「医薬品ライセンス法」といった個別の法律をつくったほうがいいのかもしれない。現在の「知的財産権」による報酬請求権のメリットより流通を妨害する弊害のほうが大きいという彼らの主要な主張は、電子出版をやっていると実感する。
問題はそれをどう改革するかだが、フェアユースを導入するかどうかだけで3年以上も議論している日本の現状では、絶望的というしかない。現在の著作権による保護が強すぎるので、権利者がそれを改正するインセンティブをもたないのだ。おまけに著作権はベルヌ条約で国際カルテルになっているので、改正は不可能に近い。グーグルが「世界を支配」して、ベルヌ条約を廃止してほしいものだ。
著作権は著者にとってメリットもあるが、過去の著作物の利用を困難にする弊害もあり、電子出版のような新事業にとっては弊害のほうがはるかに大きいので、著作権のネットの社会的便益はマイナスだ、と本書は主張する。したがって狭義の財産権(著作者が情報を1回だけ譲渡する権利)のみを認め、そこで権利は消尽する。たとえば音楽を発表するときは、作曲者はレコード会社にすべての権利を売却し、その後の複製を禁止する権利をもたない。
問題はレコード会社の売ったCDとその複製との競合である。これを避けるには、レコード会社がCDを販売するとき「商業目的で再販売してはいけない」といった契約を消費者と結ぶとか、DRMで制限すればよい。民法の契約自由の原則は著作権に優先するので、著作権法に違反する契約を結んでもかまわない。契約違反については損害賠償訴訟を起すことができるので、刑事罰は必要ない。文化庁も「将来DRMが標準化されれば、契約ベースで解決することが理想だ」としている。
本書の議論には批判が多く、財産権と契約だけで、たとえば医薬品のような初期費用の大きな発明が守れるのかというのは疑問だ。むしろそういう特定の発明に限って「医薬品ライセンス法」といった個別の法律をつくったほうがいいのかもしれない。現在の「知的財産権」による報酬請求権のメリットより流通を妨害する弊害のほうが大きいという彼らの主要な主張は、電子出版をやっていると実感する。
問題はそれをどう改革するかだが、フェアユースを導入するかどうかだけで3年以上も議論している日本の現状では、絶望的というしかない。現在の著作権による保護が強すぎるので、権利者がそれを改正するインセンティブをもたないのだ。おまけに著作権はベルヌ条約で国際カルテルになっているので、改正は不可能に近い。グーグルが「世界を支配」して、ベルヌ条約を廃止してほしいものだ。
コメント一覧
権利・契約、発明、生産者余剰・消費者余剰といった市場の問題は、主流経済学で無視しがちなstoryに本質にあると思います。
「標準や基準や自主規制を作って市場を開拓・発展をさせてきたのはオレ達だ!!」って言われたら経済学者や官僚は何も言えなくなるのです。日本の経済学者や官僚はとくにおとなしいから(金を受け取ってないのにも拘らず)既得権の言い分に理解を示しがちなのはこのためでしょう。
著作権や特許権については、私も「必要悪」説から抜け出せません。
後進国ではパソコンソフトは専門店でさえコピーしか売ってませんが、こういうモラルの無さは契約やDRMなどだけではなかなか解決しないように思います。
一方、先進国では間違った権利の使われ方ばかりしているように見えます。
例えば最近、マイクロソフトが(無料の)アンドロイドに対抗してOSを売るために特許抗争をしかけていますが、ああいうのはかなり見苦しいです。
技術改革のスピードが早くなり、過去の資産で食いつなぐのは無理というところまで行ってしまえば、特許権などの効力が自動的に薄まるのかもしれませんが。
さて3,4年ほど前から趣味で携帯電話向けのFlashゲームを作って主に企業向けに販売しているのですが、めでたく売り上げが100万円を越えました。ソースそのものを販売し、いくら複製してもそれをまた別の人に再販しても一切自由という形で売っています。煩わしい契約に縛られずに運用できるあたりが購入者に好評のようです。(ま、所詮個人事業主の小遣い稼ぎですが)
世界規模条約の撤廃やら労働規制の撤廃なんて大業はでかいところやお偉いさんに任せるとして、我々のようなフーテン者はきびすを返して条約や法律の反対側のフロンティアを目指した方が「現実的」なんですよねー。
特許の保護期間短縮が必要と思っています
知的財産は全人類の財産とし、スピードでなく広く活用すべき時代なのです。急速な技術開発はさほど必要としない時代になったのです。と思うのです。
特に基礎研究は保護されないことも考慮すべきです。
▽人類社会は伝統や風習や生活の知恵は時代の流れとともに親から子に、先輩から後輩に、地域から地域へ、知恵者から一般へと、人類が互いに、知恵を出し合い、教え合い、伝い合い、助け合って現在の世界が在るのです。昔から知的所有権などの利権があったら、現社会は存在しないはず。それなのに拝金主義が益々横暴になりその最たるものが知的所有権、憂慮すべ時代と思うのです。
▽科学技術の発展に不可欠な、ニュートンの方程式、アインシュタインの相対性理論、医療でも 薬と医療機器のみが保護されるだけ、医療行為は保護されないのです。経済学の理論も同じで保護されないのです。すなわち社会科学、技術開発の基本になる基礎研究は保護されないのです。
▽知的所有権は利益追求の単なる利権既得権擁護に過ぎず、国取りごっこで早いもの勝ちの理屈なのです。世界では困窮者が多く餓死者も1日に何千人とか、困窮者を撲滅することが優先されるべきです。
次より
http://www002.upp.so-net.ne.jp/HATTORI-n/871.htm
発売前の本の議論をするためピント外れになるやもしれず申し訳なくも。
1.「著作物の複製物」(CDや本ですね)の「複製物」(以下、再複製物)の議論につき、契約または技術的に複製を制約することにより、複製権(許諾権)を失わしめて差し支えないとの見解に立たれているようです。
2.そうすると、契約当事者以外の第三者が再複製物を用いて商業利用した場合の対応が困難に思います。まず、契約関係にないことから債務不履行に基づく損害賠償請求はできないですし、不法行為を基礎づける「権利または法律上保護された利益」も権利が消尽している以上ないことになります。(ありうるとすれば積極的債権侵害(←この概念はまだ生きてるのですかね?)または不当利得でしょうか(不当利得も要件事実の観点から請求原因の立証は債務不履行より難しいのでは。)。
3.従い、図書館やレンタルCDショップにいき、コピー・スキャンをして、サーバーにアップして、たとえば月額100円で見放題というビジネスも可能と思います。
4.「それでいいのだ」という価値判断もあり得ますが、そうするとだれも著作者から著作権の譲渡を受けようとせず、再複製物にを用いたビジネスに流れてしまう結果、著作物の流通以前に、著作物の創作自体なされない(映画製作など割に合わないでしょう)のではないかと危惧します。
5.時流に反する考えとは承知するも、再反論を通じて私のような古い考え方を根絶していただくため、あえて池田さんと本の著作者の反対の立場から立論しました。
>契約違反については損害賠償訴訟を起すことができるので、刑事罰は必要ない。
これ司法が個別の事例に対応すると、かえって社会全体のコストがかかるのでは?