001 名無しさん (2010/10/10(日) 04:07:09 ID:DlJsgNOMhQ)
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)の名護市辺野古への移設計画をめぐり、辺野古およびその周辺が、
県外から集結する反米・反日活動グループの拠点になり、「闘争」がこれまで以上に過激になるのではという危機感が
地元で広がっている。9月の名護市議選で、飛行場の受け入れ反対派が圧勝したことなどが理由だ。(宮本雅史)
選挙は定数27人に対し、受け入れに反対する稲嶺進市長派が16人を占めた。
名護市内の飲食店経営者は「反対を前面に打ち出した4、5人の候補者が労働組合などの支援で当選したため、
反対活動が活発化するのは避けられない。特に川野純治さん(55)が当選したことが大きい。彼はPTAの活動を
通して地元との関係を強くしていたが、経歴や現在の活動内容が不安材料だ」と話す。
公安関係者によると川野氏は、天皇陛下が皇太子時代の昭和50年7月に沖縄県をご訪問された際に糸満市内で、
ご夫妻の車列に、空き瓶やスパナ、鉄パイプの切れ端のような物を投げつけて“襲撃”した人物。公務執行妨害容疑で
逮捕、懲役1年6月の実刑判決が確定した。
当時の報道や関係者の証言によれば、川野氏は当時、「流血も辞さない戦いで皇太子上陸を阻止する」と宣言していた
沖縄解放同盟準備会(沖解同)の活動家。事件について川野氏は平成9年6月、新聞社のインタビューで
「天皇と沖縄戦の問題を考え、ふと現代に目を移すと、同一線上に巨大な米軍基地がありました」と振り返っていた。
http://sankei.jp.msn.com/politics/local/101009/lcl1010092246003-n1.htm >>2以降に続く
025 名無しさん (2010/10/10(日) 11:48:09 ID:p4v08oeL9o) 

ミンス=残党の皆さんです
026 名無しさん (2010/10/10(日) 12:07:47 ID:09xHSpmxHc) 

先の戦争は天皇じゃなくて東条英機のせいなんだけどね
全部東条が悪いんだけどね
027 名無しさん (2010/10/10(日) 12:09:38 ID:uMV3pJy4rQ) 
028 名無しさん (2010/10/10(日) 12:16:56 ID:10WDSpAjB.) 
029 名無しさん (2010/10/10(日) 12:28:36 ID:ESBhEE0NUs) 
スレ画が非常に印象的だ。
あの時代に生きてなかったからね。
戦争を体験した後の通過儀礼として必要だったのだろう。
陛下もご苦労をなさったんだなと改めて思う。
030 名無しさん (2010/10/10(日) 12:34:34 ID:pWTBDUOWOk) 
沖縄は元々民度が低いからなあ。
031 名無しさん (2010/10/10(日) 12:36:41 ID:10WDSpAjB.) 

.
032 名無しさん (2010/10/10(日) 12:39:47 ID:vxfnBXTvGk:au) 
なんちゅうか本中華
033 ねぽ
(2010/10/10(日) 12:41:23 ID:V5PZz9Gif2) 
>>26 第二次世界大戦に至る日本の立場を考えるとき
当時日本軍部が推進した大東亜共栄圏構想が
最先に取り上げられなくてはならない
日清・日露戦争は固より凡ゆる事変紛争が
日本軍部にとって
“この命題に随って行われた”と見るべきであり
当時の国民も大多数がこの方針を支持し
途中多少の議論・事件があったが
国家の趨勢はこれに委ねられた
軍部の独走と片付けて当時の国民の責任を逃れようとするのは
卑怯な人間のすることである
日本国家が国民が第二次世界大戦
大東亜戦争迄を突っ走ったのである
中国(共産党政府)の言うような
軍部と人民を区別する歴史観は見当はずれも甚だしい
034 名無しさん (2010/10/10(日) 12:53:26 ID:0oCQ7ckR.I) 
これは沖縄だけの問題にとどまらんぞ!
ただでさえ民主党売国へたれ政権のために尖閣諸島の領有権が侵されかけておるのに・・・
035 名無しさん (2010/10/10(日) 13:01:55 ID:wywq2LPpF.) 
天皇を襲撃した事については川野は立派
でもアメリカに楯突くのは感心しない
あんまり調子に乗りすぎると・・
036 名無しさん (2010/10/10(日) 13:07:56 ID:ihktsnqQvk) 
極左を当選させた沖縄市民
037 名無しさん (2010/10/10(日) 13:11:06 ID:I9wh5FeFLo) 
解同本部の副委員長が今度の環境大臣になったぐらいなんだから
もはやこの程度では驚かない
038 名無しさん (2010/10/10(日) 13:16:09 ID:uMV3pJy4rQ) 
1945年2月14日に近衛首相が現地の軍人たちからの
声をもとに敗戦を確信し、早期終結の方が良いと判断
し、天皇へ戦争終結の決断を求める上奏を行いました
が、天皇は「もう一度敵をたたき、日本に有利な条件
を作ってから」と言って能動的にこれを拒否しました。
もちろん誰も逆らえませんから、その後も半年にわたって
戦争は継続しました。
しかし、そのせいで終戦までの半年の間に特攻で亡くな
った方は増え続けたことになります。のみならず、沖縄戦
・広島長崎への原爆投下による多大な犠牲者を生み出
したわけです。その半年間、昭和天皇がどう考えていらっ
しゃったかは不明です。しかし、戦後、天皇は自分にすべ
ての責任があるとおっしゃっています。そこだけ聞くとカッコ
いいのですが、上記の事情を鑑みると、まさしく2月14日
以降の犠牲者について天皇が責任を感じるのは当然の
ことではないでしょうか。よく、軍部が暴走した、天皇は悪
くなかった…ということのみで先の大戦を片付けようとする人が
いますが、上記の例からは、現地でこれ以上勝てる見込み
はないと早期終戦を判断した軍人と、自らの保身(国体護持)
のために有利な講和を求めて戦争継続を能動的に決断
した天皇、という図式からは全く逆のものが見えてきます。
何事も様々な側面から見なければならないということです。
039 ritolziyonmk2
(2010/10/10(日) 13:21:42 ID:G7fq3nKmpA) 
米海兵隊とゲリラ戦するつもりかね。
市民と一緒に。
040 (2010/10/10(日) 13:23:47 ID:ZbfoFU4QTE) 
削除(by投稿者)
041 もぐたん
(2010/10/10(日) 13:27:23 ID:eSCjbvvWrQ) 
避難の住民並ばせて爆破
日本兵、食料を強奪
「1,2,3」の号令と同時に、白い煙が立ち込め大勢の
住民が即死した。さっきまで生きていた人々が、日本兵の手
によって一瞬のうちに息絶えた。死体は内臓が飛び出し、首や
足がなくなるなど無残な光景が広がった。
1945年5月の深夜、大宜味村渡野喜屋(現白浜)で、日本軍が
住民を虐殺した「渡野喜屋事件」は起こった。
中南部から渡野喜屋に避難していた住民が寝静まったころ、突然
10人ほどの日本兵が避難民を襲った。
「起きろ、起きろー」
と乱暴に起こされ、住民数十人が、綱で数珠つなぎにされ、広場に
集められた。海を背に護岸の前で4列に並び、恐怖を感じる間もない
まま数メートル離れて並ぶ十人ほどの日本兵に手りゅう弾を投げられた。
042 名無しさん (2010/10/10(日) 14:03:04 ID:e8NzLC0lCc:DoCoMo) 
>>18 その事件、皇族が戦後初めて沖縄を訪問するのに、警備が甘過ぎない?
なんか違和感を感じるなぁ。場所が場所だけに…。
043 名無
(2010/10/10(日) 14:14:48 ID:P4JgdTSBr.) 
名護市民だけど、今回の報道で初めて知った。
滑り込みで、大和人が入ったなぁ程度にしか思わなかったよ。
後、知名度が低いのに当選したのは組織票のある某宗教関係者かとも思った
マスゴミが一切報道しないからなぁ
044 もぐたん
(2010/10/10(日) 14:18:44 ID:eSCjbvvWrQ) 
那覇から避難していた仲村渠(なかんだかり)美代さん(28)
=現在(91)は最前列にいたため、煙に気づき、4歳の長女康子
さんと2ヶ月の長男元一さんをかばおうと地面に伏せ、命を取り
留めた。手りゅう弾の破片は頭上をかすめ、後ろへと向かった。
日本兵の姿は見えなくなっていた。
「日本兵がまた戻ってきたら殺される。
子どもが泣く前に逃げなければ」
他人を気にすることも後ろを振り返ることもできないまま子ども
を引き連れ、必死で数百メートル先まで逃げた。
「私が亡くなったら子どもたちはどうなるのか。こんな戦争早く
終わってください」
心で叫びながら足早にその場を去った。
一緒に列に並んだ美代さんの義弟・正夫さん(15)、松ちゃん(7)
の二人は即死だった。正夫さんが
「殺されるんですか?」と恐る恐る質問すると、日本兵は
「話があるから」と答えた。
だが、結果は虐殺。
「戦争に勝った報告でもされるのかと思っていた。まさか、日本人
が日本人を殺すなんて思ってもいなかった」。
美代さんは、思い出して何度も涙をぬぐった。
045 名無しさん (2010/10/10(日) 14:22:24 ID:6wEJ6RZNH6) 
弾薬は貴重なのに
なんでそんな無駄なことする意味があんだよ
自分らがそういうことしてるからって日本人も同じだと思うな
046 名無しさんaa
(2010/10/10(日) 14:37:35 ID:FBcSLbD7Wo) 
回していくか!
047 634
(2010/10/10(日) 14:40:15 ID:b2.i52Fg5E) 
火炎瓶の名手がいたなぁ〜
今どうしてるのやら
地元新聞のインタビューでも受けているのかな
048 名無しさん (2010/10/10(日) 14:43:39 ID:ihktsnqQvk) 
米軍の代わりに中国軍を常駐させたいんだろう
049 (2010/10/10(日) 14:46:07 ID:cs7g4QzLm6) 
削除(by投稿者)
050 もぐたん
(2010/10/10(日) 14:50:32 ID:eSCjbvvWrQ) 
ひざくり抜き「日の丸だ」
父惨殺目撃、心に傷
「いい話がある」といって砂浜に集めた大宜味村渡野喜屋(現白浜)
の避難民に日本兵は手りゅう弾を投げつけた。米軍から食料をもらって
いたことで「スパイ」と決めつけられた罪のない避難民数十人が一瞬の
うちに殺害された。
読谷村古堅から逃げてきた仲本政子さん(4つ)=現在(67)と兄政徳さん
(8つ)=現在(71)、母シゲさん(31)=享年47も集められた避難民の中に
いた。
「何があったのか」と訳も分からず列に並んでいると、手りゅう弾が突然、
一家の真近で破裂した。政子さんは全身に破片を浴び、血だらけになった。
政子さんを抱いていたシゲさんも両腕に無数の傷を負った。政徳さんは無傷
だったが、隣の人を手りゅう弾が直撃し、遺体が覆いかぶさるように倒れて
きた。
「ワタハッチリテタ(内臓が飛び出していた)」。
事件の様子を鮮明に覚えている政徳さんは、現在でも当時の様子を生々しく
語る。
翌朝、事件直前に日本兵に連衡された父政常さん(41)を探していたシゲさんと
政徳さんは、山中のあぜ道で柱に縛られ、首に刀が突き刺さった政常さんを発見した。
周囲には血だまりができ、すでに死亡していた。ひざはくり抜かれ、日本兵は
「日の丸だ。勲章だ」
と言っていたという。
政常さんは、米兵からもらった食料を各家庭に分配するなど、避難民のリーダー
を務めていた。
事件当日の午後十時ごろ、突然家に現れた日本兵に縛られて連衡された。
「わたしはどうなってもいいから、妻と子だけは助けてくれ」
政常さんは家族を守ろうと、最後まで日本兵に懇願した。
変わり果てた政常さんを前に
「ワンネーチャースガヤー(わたしはどうしたらいいのか)」
とシゲさんは途方に暮れ、政徳さんはショックで気絶した。
051 634
(2010/10/10(日) 14:54:41 ID:b2.i52Fg5E) 
[YouTubeで再生]

中国共産党による大虐殺の犠牲者の数は、
「共産主義黒書」(ステファヌ・クルトワ)などの推計に依れば
6,500万人にも上るとされている。
歴史上有名な大躍進や文化大革命、天安門事件だけでなく、
チベット、東トルキスタン(ウイグル)、モンゴルにおいて現在、
残虐な粛清と弾圧、歴史・伝統・文化の破壊、民族浄化・絶滅、
漢民族への同化政策が行われている。
この恐るべき実態は日本にとって対岸の火事では済まず、
やがては日本に襲いかかる脅威である。
更に、大中華圏の拡大、世界覇権の掌握は、全人類が危機に瀕することにも繋がる。
http://www.youtube.com/watch?v=gLmYqvaqVm4
052 名無しさん (2010/10/10(日) 14:54:46 ID:6wEJ6RZNH6) 
>>50米軍から食料をもらっていたことで
>>50米軍から食料をもらっていたことで
>>50米軍から食料をもらっていたことで
日本軍の管理下の住民がどうやって米軍からモノもらえんだよ
そこまで接触できるほど米軍入り込んできてるなら
そこの日本軍は殲滅されとるわ
053 名無しさん (2010/10/10(日) 14:59:40 ID:mF1zqD2wt.) 
左翼があらかじめ住所を移しての投票じゃなかったのか?
054 634
(2010/10/10(日) 15:10:45 ID:b2.i52Fg5E) 
055 634
(2010/10/10(日) 15:31:45 ID:b2.i52Fg5E) 
056 名無しさん (2010/10/10(日) 15:39:57 ID:wywq2LPpF.) 
057 634
(2010/10/10(日) 15:50:42 ID:b2.i52Fg5E) 
>>56 >>50のコメントの何処に前線が流動的と書いてあるの?
教えて下さい。
058 もぐたん
(2010/10/10(日) 15:50:47 ID:eSCjbvvWrQ) 
>>634 ファビョったのかな?
沖縄と関係ないコピペして意味あんのかなw
日本兵が沖縄人にした 良い話とか 聞きたいなw
059 634
(2010/10/10(日) 15:54:25 ID:b2.i52Fg5E) 
>>58 ググったらよろし
いつもの作家のコピペは出てこないの?
060 名無しさん (2010/10/10(日) 15:57:21 ID:wywq2LPpF.) 
>>58 彼のは一種の精神疾患の様なもんですからww
温かい目で見守ってやって下さいw
061 名無しさん (2010/10/10(日) 16:34:22 ID:iB0ufe..DE) 
え、なんでこんな反日左翼テロリストがでかい面
062 名無しさん (2010/10/10(日) 17:04:43 ID:pyRM5D7B0s) 
反日左翼は嘘をつくから信用できない!
063 名無しさん (2010/10/10(日) 17:09:25 ID:wVqx5yb.IA:DoCoMo) 
沖縄は極左の巣窟
正確には本土の反日左翼の電波塔になっている
本土の人間はまともな人が多い
064 634
(2010/10/10(日) 17:31:29 ID:b2.i52Fg5E) 
選挙では前科とかも公表させるべき
選挙ポスターにも赤の大文字で!
065 634
(2010/10/10(日) 17:50:38 ID:b2.i52Fg5E) 
沖縄戦 渡嘉敷島住民集団自決事件
元琉球政府職員が軍命令は嘘だったと吐露
「大尉は自ら十字架背負った」
「大尉は、自ら十字架を背負ってくれた」。沖縄戦の渡嘉敷島で起きた集団自決の
「軍命令」を新証言で否定した元琉球政府職員、照屋昇雄さん(82)。
島民が年金や弔慰金を受け取れるようにするために名前を使われた赤松嘉次元大尉は、
一部マスコミなどから残虐な指揮官というレッテルを張られてきた。照屋さんは、
自分のついた「うそ」で、赤松元大尉が長年非難され続けてきたことがつらかったという。
「軍命令は創作」初証言 渡嘉敷島集団自決 元琉球政府の照屋昇雄さん
http://birthofblues.livedoor.biz/archives/50283553.html
066 634
(2010/10/10(日) 17:53:59 ID:b2.i52Fg5E) 
照屋さんは「うそをつき通してきたが、もう真実を話さなければならないと思った。
赤松隊長の悪口を書かれるたびに、心が張り裂かれる思いだった」と話している。
300人以上が亡くなった渡嘉敷島の集団自決は、昭和25年に沖縄タイムス社から
発刊された沖縄戦記「鉄の暴風」などに軍命令で行われたと記されたことで知られる
ようになった。
作家の大江健三郎さんの「沖縄ノート」(岩波書店)では、赤松元大尉が
「『命令された』集団自殺をひきおこす結果をまねいたことのはっきりしている守備隊長」
と書かれている。
067 634
(2010/10/10(日) 18:05:53 ID:b2.i52Fg5E) 
(琉球新報2007年11月29日報道)
2007年に、琉球大学法文学部准教授の林泉忠(英国籍在日香港人)が、
沖縄県民意識調査を実施
(電話帳から無作為抽出して電話をかける方法で、18歳以上の沖縄県民を対象に実施、
1201人から有効回答を得た。2005年度より毎年実施)。
結果、沖縄県民の内、自らが日本人ではなく沖縄人であると答えた人は41.6%
(2005年度40.6%)、沖縄が独立すべきだと答えた人は20.6%(2005年度24.9%)
であったとされる。
>>だが本音は独立派1%未満<<
現在、琉球独立運動は一般の沖縄県民の支持を得るに至っていない。
2006年の沖縄県知事選挙では琉球独立党(現・かりゆしクラブ)党首の
屋良朝助が党公認で出馬したが、得票数6220票、得票率0.93%で落選している。
これは琉球独立運動家による主張の実現可能性が低いことも関係している。
たとえば、琉球独立の支持者や賛同する市民団体のなかには、琉球共和国及び地域
の名称として沖縄特別自治省、元首(首長)の役職として沖縄省主席(注意)を
主張している。
068 名無しさん (2010/10/10(日) 18:08:01 ID:wywq2LPpF.) 
↑何時もの発作が始まったようです
069 634
(2010/10/10(日) 18:11:31 ID:b2.i52Fg5E) 
070 634
(2010/10/10(日) 18:21:23 ID:b2.i52Fg5E) 
沖縄集団自決「軍の命令ではない」 地元誌が特集記事
第2次大戦末期の沖縄戦で守備隊長が住民に自決を強いたとされる
「沖縄集団自決」について「軍命による自決ではなく、切羽詰まった住民が
自殺した悲惨な事件だった」とする特集記事が沖縄県浦添市文化協会発刊の
「うらそえ文藝」第14号に掲載され、波紋を広げている。
特集には、自決現場を目撃した当時の米軍の報告書や住民の証言などが収録され、
問題の発端となった地元紙、沖縄タイムス発刊の「鉄の暴風」こそが訂正すべきと
結論づけている。
上原氏は長く「鉄の暴風」を疑ったことがなく、現地調査した作家の曽野綾子氏が1973年に「ある神話の背景」で疑問を呈したさいも、軍命による集団自決を
事実として信じて疑わなかった。
ところが、沖縄タイムスや琉球新報などで沖縄戦に関連した連載記事を書くうちに、
新たな住民の証言や米軍の報告書などを入手、「(『鉄の暴風』は)現地調査しないまま
軍命による集団自決をでっち上げたという結論に達した」という。
上原氏によると、こうした結論を2年前に琉球新報で長期連載中の沖縄戦をめぐる
記事に盛り込もうとしたところ、「新聞社側の圧力で断念せざるを得ず、
『うらそえ文藝』での発表に踏み切った」と説明している。
http://sankei.jp.msn.com/life/education/090610/edc0906102117005-n1.htm
071 634
(2010/10/10(日) 18:34:50 ID:b2.i52Fg5E) 
『からくり民主主義』(高橋秀美/著)
「反対の賛成なのだ―沖縄米軍基地問題」より引用
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
唯一の地上戦となった沖縄では、多くの住民が犠牲となった。
しかし、この金武町では、その実態がいまだ不明である。
理由は戦後施行された「戦傷病者、戦没者遺族等支援法」。
沖縄に限り一般住民でも、「戦闘協力者」と認定されれば援護法の適用を受け、
給付を受けることができた。
「もらえるものはもらいなさい、という役所の指導があって、病気や空襲で
死んだ人たちの遺族も便乗して申請したんです。申請書類には誰の命令で行動したか、
を記入する欄があるんですが、なぜかほとんどが"田中軍曹"でして、調べてみると
そんな人は実在しないんです。
聞き取り調査をしても、本で読んだ話を自分の体験のように語るし、何人かで
集まってもらっても、『それ、言っちゃダメ』とか、お互いに牽制しあう。
結局丸くおさめるには『みんな日本軍にだまされて協力させられた』という話
にするしかないわけです」(金武町教育委員会町史編纂室・O氏※)
※原著では姓名記載
072 名無しさん (2010/10/10(日) 18:46:35 ID:zg9Ncd53vg) 
まあどんだけ被害者顔したところで
成人式のアホ顔した馬鹿どもや
強姦事件の異常な発生件数や
国民年金の納付率やらなんやら
DQN県ってのは動かし難い事実だからな。
歴史を振り返っても琉球王朝の極悪非道ぶりは世界でも指折りだしな。
なんかどの口でってのは沖縄と半島のためにある。
073 名無しさん (2010/10/10(日) 18:52:54 ID:CE/4R9CYrQ) 
>「流血も辞さない戦いで皇太子上陸を阻止する」と宣言していた
沖縄解放同盟準備会(沖解同)の活動家。
↓
ご夫妻の車列に、空き瓶やスパナ、鉄パイプの切れ端のような物を投げつけて“襲撃”した
プッwww